HOME SWEET HOME 3

「―――最終搭乗のご案内を致します。11時30分発―――」
静かに流れていた音楽を遮って、アナウンスがラウンジに響き渡る。辺りの客が荷物を持って移動を始めた。
「時間・・・だな」
「そうですね」
仙道は牧を見るのでもなく、ただ外を眺めてそう呟いた。動く気配はまったく見えない。
「牧さん」
「なんだ?」
「俺、一つだけ聞き忘れてた事があったんですけど・・・」
振り返った仙道が何かを考え込むように眉間に皺を立てている。
「俺・・・何年、頑張ればいいんですか?」
「は・・・?」
仙道が慌てて付け足す。
「いやさ、だってもしかしたらもう全然芽が出なくて、あっち追い出されてとっとと帰ってきたりとかする場合だってあるかもしれないじゃないですか?その場合はどうなるのかなぁって」
「おいおい、情け無いこと言うなよなぁ」
突然不安げな事を言い出す仙道にいたたまれなくなる。牧は励ますように肩を軽く叩いた。
「石の上にも三年って言う諺もあるからな・・・とりあえず三年ぐらいはしっかり頑張ってみろよ」
「三年かぁ・・・長いなぁ。マジ牧さんに忘れられそう」
そういって頭をガクリとうな垂れる。
「バカいうなよ」
迷いの無い返事に思いを込める。
遠く離れていても、お前の事だけを見つめてる。
信じて欲しい。ただそれだけだ。
「約束通り、俺はしばらく日本の事も・・・牧さんの事もみんな忘れます。連絡も一切しない。向こうで出来るだけ頑張る・・・それで良いですね?」
仙道の問いかけに牧は頷く。再び振り返った仙道の顔が何かをこらえるようにくしゃりと歪む。
「畜生〜。ねぇ、牧さん。ここで誓いのキスとかしちゃ駄目っすかね?」
「バカ、止めろ」
半分本気といった感の仙道を慌てて止める。仙道はうーんと小さく声をあげると天井を見上げた。
「あ、そうだ」
そう声をあげると、「牧さん」と小さく声をかけてきた。なんだ・・・そう問いかけようとしてふと気付いた。仙道が辺りから見えないように、腕を下に下ろしている。ソファーの陰から右手の小指がピンと差し出されているのが見えた。
「ここは原始的な方法でお約束・・・ってどう?」
嬉しそうに笑いかけてくる仙道に、牧も笑顔で応えると同じ様に腕を下ろして左の小指を絡めた。軽く揺すりながら、お約束の言葉を交わす。
「嘘ついたらハリセンボン飲ましますよ。覚悟しておいてくださいね」
「あぁ」
その答えに、仙道は優しく微笑んだ。そして、囁くようにゆっくりと牧に語りかけた。
「・・・信じているから・・・牧さんの事」
そう言って一瞬指に力を込める。そして、絡めた指を離すと机においていたチケットを取り上げてサングラスをかけた。
「それじゃ行きますね」
「あぁ」
そういって二人立ちあがると、共にラウンジを後にする。しかし、出たすぐの所で、再び仙道が立ち止まった。二、三歩先に進んだ牧が振り返る。
「どうした?」
「・・・先、行ってください」
「・・・」
仙道は困ったように微笑んだ。
「俺、見送られるの嫌いなんです・・・だから」
「あぁ、そうだったな」
牧は小さく頷いた。
最近は同じ家に帰ることがほとんどですっかり忘れていた。まだ二人別々の場所に暮していた頃、いつだって先に背を向けるのは牧の方だった。駅のホームで、街角の何処かで、いつだって自分はこうして仙道に見送られてきたのだ。
そう、今もいつもとなんら変わりの無い別れの時だ。
またいつか、その時が来たらきっと会える。
人が忙しなく歩いている出発ロビーの喧騒も、もう何も気にはならない。
牧は仙道にゆっくり歩み寄った。
「頑張ってこい」
「はい」
仙道が小さく頷く。握手も抱擁も何も無いが、もうそれで充分だった。と、牧が急に仙道に向かって手を伸ばした。
「あ・・・」
あっという間に取られたのは仙道のサングラス。気がつけば牧の目元にかかっていた。
「これは人質にもらっておくぞ」
唖然とする仙道に笑いかけると、牧はそのまま踵を返して一人エレベーターへ向った。
(もう、充分だ)
人の流れに逆らいながら、最初はゆっくりとしていた足並みが次第に早くなるのを抑えられない。エレベーターに乗り込んでドアが閉まる瞬間、思わず仙道のほうを振り返る。
仙道はまだその場に立ち尽くしていた。
(仙道!)
駆け戻りたかった。
その瞬間、エレベーターの扉がぱたりと閉まった。

 ※ ※ ※
 
雨の降りしきる音に、牧はふと我に返る。壁にかけられている時計を見上げると、もう半時もの時間が過ぎようとしている。過去の記憶に引きずられたせいだろうか?胸の奥に締め付けられたような微かな痛みの名残が感じられる。気を改めて、牧は再び手紙を読み始めた。
『今だから言うけれど、あの頃確かにバスケに関して言えばちょっとばかり物足りなさを感じていた。本気でバスケをやるなら、留学したままアメリカに残った方が良いかなって自分でも考えたし、周りの人にも結構言われてた。でもプレーヤーとしての喜びが半減したとしても、俺は牧さんと一緒にもう一度バスケがしたかったんだ。だから、留学先でスカウト受けた事、どうしても牧さんに言えなかった。言えば、牧さんは必ず俺の事を考えてアメリカに行かせようとするのが分かってたから。結果的に嘘をついて、その事で余計に牧さんの事を傷つけてしまった事は、ずっと謝りたかった。でも、あの頃、俺は望んで牧さんに縛られたいと思っていた』
文字に込められた仙道の想いを、牧はゆっくりと辿っていく。
好きだからこそ伝えられなかった言葉。それは仙道も同じだった。

『だからこそ、本気で俺は牧さんと離れたくなかった。どんなに牧さんが信じろといっても、人の心はそんなに強くない。会えない時間や遠すぎる距離に牧さんの気持ちが揺らいだとしても、俺は何も出来ない。牧さんの人生に関わることが出来なくなる自分が歯がゆかったし、愛してるなんて殺し文句言ってくれたくせに突き放してくる牧さんの事、正直ちょっと恨んだりもした。どうして分かってくれないんだろうって。俺にとって牧さんの存在は何にも変えがたいもので、何と引き換えにしても手放したくないものだって事をさ。その強さと同じくらい、本当は牧さんに俺を求めて欲しかったんだ。
それでも、どうしてアメリカに行ったと思う?
実はさ、俺と牧さんが言い争ったあの夜、本当は一度牧さんの部屋に戻ってきていたんだ』
(!)
思いがけない仙道の告白に、どくん、と胸が騒いだ。

『どうしてももう一度牧さんと話したいと思ったからなんだけれど・・・その時、牧さんシャワーを浴びていたんだ。仕方ないから、出てくるのをずっとリビングで待っていたんだけど、一時間経っても牧さんは出てこなかった。さすがに俺も不安に思って声をかけようとした時に、気がついたんだ。牧さん、あの時ずっと水のシャワーを浴び続けていたよね。
牧さんが冷たいシャワーの下でずっと何を考えていたかは俺には分からない。でも、一つだけ分かったんだ。自分たちの意思に反して動き始めた現実に苦しんでいるのは俺だけじゃない。牧さんもそうなんだって。それに気づいたら俺、もう牧さんに声がかけられなくて・・・家から出て、ドアの向こうでずっとシャワーの音が途切れるのを待ってたんだ。
あの水音が今でも耳にこびりついて離れません』
あの夜、シャワーに打たれながら、バスタブに叩き付けられ壊れていく水粒をずっと見つめていた。ただひたすら孤独だったあの時を、仙道が共有しているとは夢にも思わなかった。

『俺、よく言ったよね。牧さんの言う事はいつも正しいって。
それは今でも良く思う。でもさ、分かってはいるんだけれど、そう上手く立ち回れるかと言うとそうでも無いんだ。
そう、何もかも忘れろと牧さんは言ったけれど、忘れようにも忘れられない。耳を澄ませば俺を呼ぶ牧さんの声が聞こえてくる。遠くにいるのに近くに感じる。それは一緒にいた時には感じた事の無い、不思議な暖かさだった。その確かな暖かさが、どんな苦しいことからも俺を守ってくれて、生きる支えになってくれた。そう、俺は牧さんの存在に救われ続けているんだ』
あぁ、それは俺にも分かるよ。
自分の夢の先にお前がいると思うだけで、どんな事があっても心失くすことなく俺は俺でいられる。仙道の存在に救われている。
仙道の手紙はまだ続いていた。

『今年で俺も30になって、第一線のプレーヤーでいられる時間はもうあと僅かだと思っています。色々ハードな事は多いけれど、その残りの時間はアメリカで全うするつもりでいます。きっと牧さんの事だからそれを望んでいると思うしね。でもさ、一つだけ我慢出来ないことがあるんだ。牧さんに会いたくて仕方が無いんだ』
その一言に、手紙を持つ指が震えた。

『俺、この四年、結構頑張ったよね?牧さんだって俺の知らない所で一人ずっと戦って頑張ってきたんだと思う。だからさ・・・もういいんじゃないのかな?周りの人を無視して生きていくことは出来ないけれど、ほんの少し我がまま言うぐらいの努力はしてきたと思うんだ。
だから、会いたい。出来れば今すぐにでも日本に帰りたいぐらいなんだけど、開幕前でさすがに俺もそれは出来なくて・・・。
でさ、お願いがあるんだ。
牧さん、俺の開幕戦見にアメリカに来てくれない?練習や仕事のスケジュールがぎっしりだろうって事は分かってる。それでも、牧さんに俺の試合を見て欲しいんだ。その日だけ、俺は誰の為でも無い、牧さんの為だけに戦う。俺が4年かけて作り上げたものを、そして牧さんの希望の欠片を、俺たち二人の未来をそこに見つけて欲しいんだ』
封筒を覗くと手紙の他に何かが入っている。引き出してみるとそれは牧の名前が刻印されたアメリカ行きのオープンチケットだった。

『牧さんが今俺の事をどう思っているか分からない。もしかしたら俺の事なんてどうでも良くなっていて、既に俺の知らない人生を歩いているのかもしれない。それならそれで、このチケットも手紙も全部捨ててくれてかまわない。それでも、これだけは伝えたかったんだ。
俺も牧さんの事だけを愛している。
楽じゃない道ばかり選んでしまうその不器用さも、俺の事が大切だと言いながら突き放す強さも、俺に見せない弱さも、何もかも丸ごと受け止めたい。俺の心の中で生き続ける牧さんをもう一度この手で抱きしめたい。
この間は俺が牧さんの我がままを聞いたんだ。今度は牧さんが俺のわがまま聞いてくれる番だよ。
自由にすると言いながら、約束させて俺を縛りつけた代償は大きいよ』
そういわれてはたと気が付く。
約束は、柔らかな鎖と一緒なのだと。
最後は、こう結ばれていた。

『信じろと牧さんが言ってくれたから、俺は今でも信じてる。牧さんと俺の気持ちはきっとまだ重なっていると。だから会える日を夢見るように待ってます』

手紙を丁寧に畳むと、牧は再び封筒にしまいこんだ。それを手にしたまま壁際においてあるサイドボードに近づくと、一番上にある小さな引き出しを開けた。そこには普段使いの時計や小さな小物が並んでいた。その引き出しの一番奥に手をやると、透明なケースを取り出した。
そこに入っているのは、あの日仙道から取り上げたサングラス。
久しぶりにケースから取り出すと、指でゆっくりとフレームをなぞり始めた。その手触りも光沢も・・・何もかもあの時と変わらずにいた。
何度季節が巡っても、色鮮やかに蘇る二人の記憶。
何よりも輝いていたあの時。朽ちる事の無く湧き出る愛しさに息が止まるほど苦しくて幸せだった。思い出の中に眠るそんな想いが、静かにひび割れ牧の心を満たしていく。牧は、握り締めたサングラスに口付け囁いた。

そうだな、仙道。もういいよな。俺も正直に言うよ。
お前に会いたい。抱きしめてキスして一つになりたい。
この4年、お前が一人で過ごしていた間、俺にも色々あったんだ。
お前の話も聞かせて欲しい。そして俺の話も聞いて欲しい。
お前だけに恋焦がれている。

フラッシュバックの様に蘇る記憶の渦に、鼻の奥がつんと痺れる。
熱い吐息をゆっくり吐き出してこみ上げる衝動をやり過ごすと、サングラスと一緒に手紙をしまいこんだ。
雨はまだ降り続いている。それでも、もう何も気にならなくなっていた。

* end *
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cool beans press vol.1

 あまりの切なさに涙しつつも、器用そうでいて不器用な二人が愛しすぎます…!
残念ながらcool beans!では一冊のみの発刊となってしまったけれど。
いつかまた、お互いの元気と時間が重なった時にでもコラボ等できたら幸いですv
涙なくしては読めない、深い愛のお話をありがとうございましたv