HOME SWEET HOME 2

「牧さん、話があるんです」
仙道がノックもせずにいきなり部屋に飛び込んでくる。急いできたのか、小さく肩で息をしている。そしていつになく強張った顔は酷く青ざめていた。
リビングのソファーに一人座っていた牧は、何も言わず仙道を見上げた。
「そんなに焦んないで―――」
「断った渡米の話、牧さんが保留にしているってどういう事ですか?」
仙道が荒々しく遮る。
「あぁ、そうだ。俺がお前を説得するからと頼んで、コーチに返事を待ってもらっている」
牧の答えに、仙道が信じられないと言うように首を横に振った。
「俺・・・そんな事、牧さんに頼んでない。俺が自分の意志で決めたことだ。牧さんには関係ない」
泣き叫びそうになる衝動をかみ殺した悲痛の声。しかし、そんな仙道に対して牧が見せる表情は冷たく何の感情も読み取る事が出来ない。
「本当か?」
「え・・・」
すくりと立ち上がった牧が仙道の目をじっと覗き込む。
「本当に俺には関係ないのか?今回のアメリカ行きも、留学先でのスカウトも?」
その言葉に仙道はばつが悪そうに顔を顰める。牧はただ黙って目を硬く瞑った。
(やはり・・・そうだったのか)
くすぶっていた疑念が一気に怒りに摩り替わって牧の体を激しく突き上げる。抑え切れない怒りに任せて仙道の胸倉を掴み上げると、そのまま壁に打ち付け吊り上げる。
「お前、自分が何やったかわかってんのか?どうしてこんなチャンスをみすみす捨てる?俺が日本にいるからか?俺がいなければお前―――」
「違う。違うって。牧さん、俺の話聞いてよ!」
力任せに押さえ込まれた仙道の苦しげな声に、我に返って手を離す。壁にもたれたまま俯いた仙道が軽く咳き込んだ。その苦しげな咳に、さっきまで体中を支配していた熱が一気に引いて、苦々しい気持ちだけが残った。
「・・・すまない」
その声に、仙道が小さく首を横に振る。
「大丈夫・・・っす」
そう言いながら呼吸を整える。暫くして、俯いていた仙道が鼻で小さく笑った。
「・・・仙道」
「何やったか・・・って、ただアメリカ行くのを断っただけじゃないですか?それがどうしたって言うんですか?」
「だからどうして・・・」
「どうして?」
勢いよく面を振り上げると自嘲気味に肩を竦めた。
「そんなの牧さんだったら分かってくれると思ってたんだけどな」
そう言うと、所在無く垂れ下がっていた牧の右手を持ち上げて、口元に引き寄せた。何かを堪えるかのようにゆっくりと目を閉じると、指先に軽くキスを落とす。触れた部分が、熱を帯びてじんと痺れた。
「もう、これ以上あんたと離れるのは嫌なんだ」
祈るように、囁かれた願い。
緩やかに開かれた仙道の瞳が、悲しげに揺らいだ。
「・・・ずっと分かんなかった・・・」
「・・・」
「俺、結構小さい頃から要領良しで・・・あんまり苦労して何か覚えた事って無かったんですよ。ちょっとやれば大概何でも平均以上は出来たし、そのぐらいで周囲の奴らは凄い凄いって言うし・・・」
「随分でかい事言うな」
「そう?でもホントだし」
皮肉っぽく口元で笑う。
「その中でもバスケは特に人よりもちょっとばかり上手かったみたいで、すげぇ期待されたりもした。でもさ、俺にとってはバスケはただそれだけのもので・・・別に一番って訳じゃなくってさ・・・。だからかな。中学の頃は、別にこれ以上上手くなりたいとかとも思ったこと無かったし、試合で勝っても負けても別になんとも思わなかったんだ。でも、高校に入って・・・牧さんと会って変わったんだ」
俯きかけていた視線が牧を捉える。
「理由なんてわかんねぇ。でも、初めてやった時こてんぱんにやられて、俺すげぇ悔しかったんですよ。で、あんまり悔しいからどうしても次は勝ちたくていつもはやらねぇ練習も真面目に始めた。あんなに汗かいて必至に練習したのなんてあれが生まれて初めてだった」
懐かしむように仙道が笑う。その笑いに牧もつられて口元を緩めた。
牧も良く覚えている。まだ二人とも制服姿だったあの頃。
久しぶりの陵南との練習試合で初めて仙道と当たった時の事だろう。
こてんぱんに負けてがっくりしている陵南のメンバーの中でただ一人、やけにへらへら笑っている奴がいた。
(なんだ・・・あいつ?)
その姿がやけに目に付いてついつい目で追っていたら、魚住がそいつの頭をぱんと軽く叩いた。
―――仙道、お前何笑ってんだ、負けたんだぞ
年下の弟を諌める調子の魚住の声。でも、言われた相手はというと、頭を摩りながらそれは楽しそうな笑顔を見せた。
―――えー?でも、今日の試合最高に楽しかったっす
あれは今よりもまだずっと線の細く、幼さの残る仙道の横顔だった。
負けたくせに楽しかったと屈託なく言うそのルーキーは、正直バカなのかと思ったものだ。
まさかあの笑顔の下にそんな渦巻く感情があるとは思いもよらなかった。
「そっからのバスケは本当に楽しくて仕方なかった。あの時、牧さんと出会えなかったら俺は悔しいって気持ちも、本当のバスケの面白さも気がつかずに・・・バスケなんて何処かであっさり止めてたかも知れない。でも、」
不意に言葉をとぎらせると、あいている手を牧の首筋にかけて強引に唇を奪う。
「―――!!何っ・・」
抗議の声を唇で塞ぎこむと、舌を強引に割りいれてねっとりと口内に押し込んできた。奥に逃げ込んだ舌を絡めて深く吸い上げる。角度を変え、強さを変え、情熱の赴くままに貪り味わい続けた唇を名残惜しげに離す。
「・・・今はもうそれだけじゃない。牧さんの事が好きになって、初めて自分に色々なものが欠けていたって気がついたんだ」
「仙道・・・」
「悔しくて眠れない夜も、心の底から愛しいという気持ちも・・・そんな風に心が動かされるのは牧さんといる時だけ・・・それだけなんだ」
目を伏せて軽く俯くと片手で顔を覆う。口元が微笑んでいるのは見える。が、その表情が何故か牧には泣き顔に見えた。
「俺、今幸せなんだ。ようやく一緒に牧さんとバスケが出来るようになった。こうしていつも側にいて、声を聞いて、抱きしめることが出来る。やっと・・・手にしたんだ。もうこれ以上何にもいらねぇよ・・・それなのにどうしてそれを捨ててまでアメリカに行かなきゃいけねぇんだよ?教えてくれよ・・・?」
うな垂れた仙道の体が微かに震えている。
あの背中に腕を回して思いっきり抱きしめてやりたい。
一歩距離を詰め、手を伸ばす。それは逆らいがたい衝動。でも、
(ここで抱きしめたら―――もう、俺たちは)
その一念が、牧の動きを止めた。
「仙道、良く聞くんだ」
今までの激情をするりと隠して静かに呟くと、両肩に手を載せた。
「お前には、誰も持っていない天から与えられたバスケの才能がある。それはどんなにバスケが好きだからと言っても手に入れられるものでは無いし、お前がいらないからと言って誰かに譲れるものでもない」
「そんなの・・・俺が頼んだ訳じゃない」
「でもお前はそうやって選ばれたんだ」
ガクガクと肩を揺すると、仙道が顔を背ける。
「お前を今、求めている人達がアメリカにいる。お前に希望を託そうとする奴らが日本にいる。そんな人たちの事を全て切り捨てて自分の事だけ考えてお前それでいいのか?お前にそんな事させる為に、俺はお前の側にいたのか?」
「・・・して・・・」
「え?」
「どうして・・・わかってくんないんだよ」
仙道の声が微かに震えた。
「牧さん、あんたが言うのは正論だ。100人尋ねたら全員そうした方が良いって言うだろうよ。でも、俺は違う。俺は牧さんだけがいればいい。それ以外は何もいらない。他の奴らがどうなろうが知ったこったねぇ」
肩に置いた手をぐっと掴まれたかと思うと、猛然と払い落とされた。顔を上げて牧の顔を正面から捉えてぐっと睨みつける。そんな仙道の瞳の奥に見た事も無い青白い炎が見えた。
「牧さんはいつだって他人の事ばかりだ。そうじゃないだろ?一番肝心なのは牧さんの気持ちじゃねぇのかよ!俺の気持ちなんて全然―――」
溢れ出る想いに言葉がついていかない。声にならない叫びが二人の間を貫いていく。
「・・・・っ」
仙道は何かを振り切るかの様に牧から視線を外すと、そのまま振り返る事無く早足で部屋を出て行った。
ガチャンと重い扉が閉まる音が聞こえる。牧は一人壁に向ったまま立ち尽くしていた。
何が正しくて、何が違うのか。
仙道の未来。自分の将来。二人だけの人生。周囲の期待。
家族の願い。希望。願望。
―――牧さんだけがいればいい。それ以外は何もいらない
激しく求められ、魂を揺さぶられる言葉。
そして―――一瞬過ぎった恐怖とも歓喜とも言えない激情。
仙道がいなくなった今、嵐の如く渦巻く感情を止める事は出来なかった。
「・・・・・・」
がくり、と膝が力を失い、床に膝を付く。ずるずるっと壁を伝う指は微かに震えた。
(これで全てが終わったのだろうか―――)
仙道がいなくなった部屋はひっそりと静まり返った。


それから一週間。仙道は、牧の前に姿を現さなかった。


しんとした体育館に規則正しいボールの音が響き渡る。牧は一人、練習後欠かさず続けてきたシュート練習をしていた。
ラストはフリースロー100本。心の中に試合のイメージを浮かべて何度も放つ。
(97・・・98・・・99・・・)
ラスト100本目を放った瞬間、それまで明るかった体育館の照明が一斉に落ちた。
「!」
いきなりの事に牧は動く事が出来ない。
タン、タン、タン・・・
暗闇の中、ボールが床を弾く音が小さくなっていく。その時だ。がらりと扉が開く音と共に、かすかに足音が聞こえた。
(誰・・・だ?)
照明が落とされた今、体育館の中にある光と言えば非常出口の場所を示す明かりのみだ。暗闇にまだ慣れない牧の目には辺り一面が漆黒の海にしか見えない。そんな中、聞き覚えのある声が響いた。
「これで終わりでしょ?」
声のする方を思わず振り返る。フロアーから続く用具室の入り口の方角だ。その場所を照らす僅かな光に縁取られた見覚えのあるシルエット。
牧は思わず目を見張った。
「・・・仙道」
その声に陰が僅かに揺らぐ。ふと、ここメインアリーナの電源部分が、仙道がいた用具室にある事を思い出した。
「突然消すなよ。びびんじゃねぇか」
その返事に、ぷっと仙道が吹き出した。
「冗談でしょ?この位で牧さんがびびる訳ねーって。それに、今はちょっと顔を見るのが辛いから・・・暗い方がお互い助かるでしょ?」
そう言うと、ゆっくりと影が動き始めた。まっすぐに躊躇う事無く牧の方へ近づいてくる気配がする。
最後にした言い争いも、一週間顔を全然出さなかったのも何もかも無かったかのようないつもの仙道に、ずっと凍りついていた何かがゆっくり溶け出し始めた。
足音が止まる。まだ表情は見えないが、ぼんやりと姿形が目の前に見える。気がつけば手を伸ばせば届く距離まで近づいていた。
「仙道、お前に―――」
「ちょっと待った。その前に先、俺に謝らせて下さい」
牧を制した仙道が小さく頭を下げた。
「この間はすみませんでした」
「そんな事は・・・」
「でも、勘違いしないで下さい。言った事は俺の本当の気持ちですから。ただ、自分の気持ちを強引に牧さんに押し付けた事だけは謝ります」
その言葉に対して、言わなくてはいけない事はたくさんあるはずだった。
それなのに、いざ口にしようとすると言葉が喉の途中で絡まりあい、何一つ形にならない。
そんな沈黙と暗闇の中、再び仙道が囁くように呟いた。
「この間言った事・・・あれが牧さんの気持ち全部なんですか?」
「・・・」
次第に仙道の表情がはっきり見えてくる。
「この間は俺・・・自分の事で精一杯で・・・牧さんの気持ち、ちゃんと聞く余裕が無かった。なんかガキみたいに駄々こねてカッコ悪かったけど、あれが俺の本音です。後は牧さんの本音が聞きたい。」
じっと牧を見つめる瞳。まっすぐに射抜く眼差しの強さの陰に、答えを待つ仙道の微かな不安を感じる。
その視線に、牧は鳩尾の辺りから熱い想いがこみ上げて来るのを感じていた。
(あぁ、そうだ。あの時もそうだった)
初めて想いを告げられたあの夜。あの時も、仙道はこんな風に自分を見下ろして答えを求めてきた。
きっかけを作るのはいつも仙道で、答えを出すのは牧だった。
そして、いつだって二人の関係が動くのは、こんな暗闇の中だった。
不意に、不安と苛立ちに硬くなっていた牧の心が音を立てて崩れ始めた。
仙道は―――気づいていたのかもしれない。
様々なものを背負う二人が唯一自由になれるのは暗闇だけだと言う事を。


「この間言った事は、俺の嘘偽り無い気持ちだ。お前の気持ちを踏みにじって傷つけたかもしれない。でも、俺は謝らない」
「・・・分かってます」
ようやく仙道はそう言うと、深い息を吐き出した。
「仙道」
伸ばした片手が仙道の手首を捕らえる。ぎくりと身体に緊張が走った仙道を無視したまま、牧はゆっくりと手を持ち上げると指先にキスを落とした。この間とはまったく逆の行為に、仙道が小さく息を飲んだ。


この世に二人きりでいられたならどんなに楽だっただろう?
誰の事も考えず、自分達の事だけを見詰め合って生きていくことが出来たらどんなに幸せだろう?
でも、生きている限り俺たちは誰かと関わりを持たずにはいられない。
それは嫌というほど分かっている。
だからこそ、今だけは許して欲しい。
全てを考えずに、正直になる事を―――

「愛している」
「・・・なに、急に言って・・・」
仙道は驚きにそのまま声を失った。
愛している。たった6文字のその短い言葉を、これだけ長く付き合っていても俺達は一度も口にしたことが無かった。
だからこそ、その意味の重さを誰よりも仙道が感じている。
牧は静かに微笑んだ。
「急にじゃない。ずっとお前の事だけを愛していた。だからこそ―――」
するりと牧の手の中から仙道のそれが落ちていく。
「お前の足枷にはなりたくない」
そう呟いた牧をただ仙道はただじっと見詰めていた。
好きだと言う気持ちが、長い年月を経て愛に変わる。
それだけの時間も、喜びも、悲しみも、牧達は二人で重ねてきた。
そうやって培ってきた互いを想うその強さはとても愛しい。
そして、同時に恐ろしかった。
どんな歯止めも効かないほど、自分自身変わり続けている事が。
愛という名の執着がいつしか絡まりあい、互いの存在をがんじがらめにしていたのだという事すら目をそむけるほどに・・・。
「お前と一緒に歩いていければそれはそれで幸せだろう。でも、俺はそれ以上に・・・お前の羽ばたく姿を見たい」
牧は小首を傾げると、仙道に尋ねた。
「お前、バスケが好きか?」
「・・・」
「好きだよな。口で何て言ったって俺には分かる。伊達にお前とずっとやってきた訳じゃ無いからな」
牧はそう言うとリングの方を見上げた。いつだって、俺たちの求める先にはこのリングがあった。
「そんなお前にとって、今の環境が物足りないって事は、俺には分かってたんだ・・・でも、何も言わなかった。いや、違うな」
遠くを見つめたまま牧は口元に笑みを乗せた。
「言えなかった。」
「・・・え・・・?」
「言えば、お前を手放さなきゃいけなくなるからな」
そう呟くと、真っ直ぐ仙道のほうを見返した。
「例えお前が納得のいかない形であったとしても、多少お前が苦しんでいたとしても・・・俺はかまわなかったんだ。ただ、お前を側において置きたかった」
そんな自分の醜い執着。そんな物の為に、牧は仙道のあるべき姿を歪めてさせていた。
「お前がな・・・この間言っただろ?」
―――牧さんだけがいればいい。それ以外は何もいらない
あの時、過ぎった恐怖とも歓喜とも言えない激情。
「アメリカに行くのがお前の為だなんていってえらそうな事言ってたがな・・・あの瞬間、俺は気が狂うかと思うぐらい嬉しかったんだ」
仙道の未来の為に、自由にさせたいと言う気持ちも本当だった。
あいつにしか応えられない様々な願いを実現してほしいと言う気持ちも嘘偽り無い。
それでも、思うことは止められなかった。
俺の醜い執着と同じものを仙道の中に見出したあの瞬間、身体の中を貫いた浅ましい喜びを。
「上手く説明する事が出来ないんだがな・・・お前の未来を願う気持ちも、周りの人の事を思う気持ちと同じくらいの強さで、お前と共に生きたいとも思ってるんだ」
少し考えてから、仙道は呟いた。
「矛盾してるよ・・・言ってる事が」
「そうだよ。だから、説明出来ないって言ってるじゃないか」
自分自身、こうありたいと願う理想。そしてそんな理想をも打ち砕く醜い感情や、自分でも許しがたいと感じる種類の願望。
それら全てが何もかも自分で、そして仙道とこうして過ごしてきたらこそ知りえたものだったのだ。
もういいだろう。
仙道と出会って、愛して、自分は普通なら一生手にする事が出来ない生身の感情を手に入れることが出来た。
もう自由にする時が来たのだ。
―――えー?でも、今日の試合最高に楽しかったっす
楽しくて楽しくて仕方が無いといった仙道のあのバスケに対する気持ちを、もう一度奮い立たせてやりたい。
全てを認めた上で、牧は選んだ。


「仙道。俺はもう充分だ。次はお前の番だ」
「俺?」
「そうだ。俺の事も、日本の事も何もかも忘れて、自分が何処まで出来るのか思いっきり確かめてこい。あの世界で楽しんでいるお前の姿を俺に見せてくれ」
「ちょ・・っ、待ってよ。なんで牧さんの事まで忘なきゃいけないんだよ」
「それ位自分を追い込んでやってみろって事だよ」
仙道の言葉を無視して牧は言った。
「NBAは今までお前がいたような企業リーグとは訳が違う。プロとしてしのぎを削りあって、それこそ生きるか死ぬかの勢いで戦っていかなきゃいけない世界なんだぞ。のん気に日本の事や俺の事なんて思い出していてやっていけるとおもってるのか?」
ぺちっと頬を軽く叩く。ムッとする仙道が低く問いただした。
「つまり・・・それって別れるって事?」
「まぁ、そう捕らえられても仕方ないよな」
「牧さんってば!」
仙道が牧を睨みつける。その視線を和らげる様に牧は優しく目を細めた。
「例え今ここで別れて、お前がそのうち俺の事を忘れたとしても、俺はお前をずっと愛し続ける」
「!」
「お前への気持ちは変わらない」
「・・・だったら、牧さんも一緒に・・・牧さんなら絶対・・・」
言葉を遮るように首を横に振る。仙道が言いたい事は分かっていた。
「俺はお前とは違う形でバスケを続けていくだろうし、それ以上やりたいと思っている事だってある。お前とは同じ道を歩く事は出来ない」
「・・・やりたい事?」
「そう、俺はバスケットの未来に夢をかけたい」
一度も口にした事の無い夢を、形にする。
「野球やサッカーに比べれば、まだまだバスケは競技人口も少ないし人気も海外に比べればそこそこだ。だからこそ、俺はもっと今のバスケを盛り上げて、注目されるようにしていきたい。そうすればバスケの楽しさや面白さをよりいろんな人に知ってもらえると思うし、ただこじんまりと日本でプレーするだけじゃなくてもっと世界で活躍する土壌を作り上げる事が出来ると思うんだ。その為にも・・・仙道、お前の活躍は不可欠だ。なんたって本場のNBAプレーヤーの誕生は何よりも最高のスパイスだからな」
ぽん、と牧は仙道の頭に手を載せた。
「牧さん?」
「お前の夢の実現の先に、俺の希望がある。だから、俺の最初で最後の我がままだ。黙って聞いてくれないか」
様々な未来の中から牧が出した答え。それを聞いた仙道は人形のように固まって動かない。表情も硬いままだった。
「仙道?」
その声で仙道は大きなため息をついて目を伏せる。重たそうに腕を持ち上げて載せられていた牧の手を外すと、牧の身体を抱き寄せた。
「・・・本当は全然納得してなんかしてねーんです。でも、もういいや」
囁かれる仙道の声が耳朶を震わす。
「牧さんの夢が俺の夢で、牧さんの願いが俺の願いだ。もうそれで充分だから―――約束する」
「あぁ、約束だ」
その約束が本当に果たされるかどうかは、二人にも分からない。
それでも、願いを口にして誓いに変える。
二人別々の道を辿るとしても、最後は共に同じ所に立てると信じて。
「・・・牧さん・・・」
仙道は抱きしめていた腕を緩めて、少しだけ身体を離した。
至近距離で覗きこまれる瞳に吸い込まれそうになる。
「仙―――」
「目、瞑って」
その言葉に吸い寄せられるように瞳を閉じる。
仙道の唇が目蓋に、頬にと降りていき、最後唇に重なり合う。
いつになく啄ばむようなソフトタッチのキスを繰り返し、ようやく唇を離した仙道はもう一度ぎゅっと牧を抱きしめた。
「・・・なんか今すぐやりたくなってきた・・・」
「おい」
物騒な言葉に、思わず仙道を引き剥がす。
「ここでやったら、絶対牧さん俺の事忘れないでしょ」
一日のうち大半を過ごすこのコートの上に仙道と抱きあった甘くて苦い記憶が記憶が焼きつくなんて・・・想像しただけでもぞっとする。
「そんな事しなくても、忘れねぇよ!」
慌てて仙道を突き放すとよろめいた仙道が床にぺたりと座り込んだ。仙道の笑い声が閑散とした体育館の中に響き渡る。
「冗談だから・・・さ。助けてよ」
そういって、仙道は片手を伸ばす。
その腕を取って立ち上がらせると、牧は静かに抱き寄せた。
愛しさとほんの少しの後悔が牧の身体の中を駆け巡る。
何もかもが終わるわけではない。これからが始まりなのだ。
そう自分に言い聞かせた。

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