Fusion of souls. vol.07 |
シンイチの全身から放たれていたまばゆい光が消え、両腕も完全に元通りになった。 金色の睫毛が震えると、眉を僅かに寄せて小さく唸って瞼をこすった。ふっくらとした瑞々しい唇が薄く開かれた。 「……ん? あれ? 手がある……」 瞼を開いて顔の前にかざした両手をぼんやり眺めているシンイチへ、ノブナガは驚かさないようにそっと声をかける。 「あの、マキさん? 大丈夫ですか……?」 「……ノブナガ?」 ゆっくりと起き上がったシンイチの髪も眉も、ブラウンの名残も感じられない見事なプラチナブロンドに変わっていた。人狼にしても濃い目の褐色だった肌も、吸血鬼ほどではないが白く明るい色になっている。直接見ていなければ、シンイチと同じ面差しの別人と勘違いしそうなほどの大きく変化していた。 (でも見かけなんてどうだっていい。マキさんが蘇ってくれたんだから。アキラさんが命をかけて、この世に魂を戻してくれたんだから……) 「ノブナガ? 何故泣く? なあ、ここはどこだ? あいつら……あの吸血鬼どもはどうした? 俺が生きてて腕も生えてるってことは、アキラが来てどうにかしたってことだろ?」 説明をしなくてはいけないのに、涙が喉を塞いで嗚咽しかでない。待って下さい、今全部、俺が見たことをすべて話すから。俺が触れたせいで、アキラさんの灰のひとひらも残せなかったことも……。 助けを呼びに行く前に、アキラから助けにきたこと。ノブナガがアキラが現場に降り立った時には吸血鬼たちは仮死状態に見えたこと。意識のない(あの時のシンイチは呼吸していないように見えたが、確証がないため触れなかった)シンイチをアキラが魔術で救ったことなどを。今に至る経緯をノブナガは涙ながらに、長い時間をかけて詳細に伝えた。 話し終えたノブナガは苦悶に歪めた顔を、厳しい表情で黙考しているシンイチからそむけた。 「だから俺が……俺がアキラさんを殺したんです」 「殺してない。お前が殺せるほどアキラは弱くない」 「そうじゃ、なくて!!」 床を両手で力強く叩いたはずみで、またノブナガの顎から涙がボタボタと落ちた。濡れた床板に額を打ち付けて頭を抱えながら蹲り咽び泣くノブナガに、シンイチは困ったように眉を寄せた。 「お前がそこまで泣くのだから……アキラはもういないのだろう。禁忌術で俺を蘇生するなんて……三人分の吸血鬼の命くらいじゃ足りなくて当然だ。自分の命も使いきって力尽きても無理はない。お前が触れようが触れまいが、アキラの命はその前に消えていたんだから、気に病むな」 「亡骸を残せなかった話じゃない! 罠に飛び込みたがった俺のせいで、アキラさんは命をかけなきゃいけなくなったんだ!!」 「最終的に行くのを許可したのは俺だ。その俺は力不足のせいでアキラとの約束を破って、あいつより先にあいつのいない場所で死んだ……はずだ。それに怒ったあいつは俺との約束を破って、恐ろしいほどに魔力も体力も消耗する禁忌術を使ってしまった。強いて言うなら俺のせいだ」 「違うっ!! 元凶は俺なんだっ!!」 「原因なら俺だ。俺が人狼にしちゃ美味そうだからって、あいつらが言ってただろ」 怒りをぶつけていた床が陥没しても血まみれの拳を止めないノブナガの手首を、白いシンイチの手が掴みあげて強制的に止めた。それを振りほどいてノブナガは絶叫する。 「そんなことない! 絶対マキさんは何も悪くない!! マキさんを食おうとしたあいつらが悪いんだっ」 「そうだな。いくら美味そうでも本人の承諾もなしに味見をしようとしたあいつらが元凶だ。伴侶と家族を襲われてアキラが怒るのも当然だ。つまり俺たち全員に非はなく、被害者なんだ」 「でも俺は! ……俺が面白がってここに来たがらなけりゃ」 「それは嘘で誘ったあいつらのせいだ。もう堂々巡りをさせるな。それ以上自分を責めたら、お前や俺を助けたアキラが浮かばれんからやめろ。いいな」 厳しい口調なのに優しい手が、ノブナガの項垂れている頭をぽんぽんと叩く。 「それにお前はこれから親になるんだろ。迎える子供をお前とジンで守っていくんだ。俺たちはお前たちを支えてやれないんだから、お前が一番しっかりしろ」 「そんな話は……こんな俺が親になんて。…………マキさん?」 頭に乗っていた手がふいにぼとりと床に落ちて、ノブナガは涙と鼻水で汚れた顔をあげた。シンイチの身体が斜めに傾いている。 「マキさん……? 大丈夫すか」 心配そうに名前を呼ばれたシンイチは、目を閉じたまま重たそうに唇を動かす。 「お前なら家族を守れる。俺が保証するんだ……腹をくく…………れ」 糸が切れたようにガクンと頭を落としたシンイチは上半身ごと床に倒れた。 シンイチを腕に抱え、泣きぬれた頬のまま途方に暮れていると、突然ドアが開かれた。 警戒に身を固くし、抱える腕に力をこめるノブナガへ、部屋へ入ってきた尖った耳と青白い肌の五人の黒装束の男たち(間違いなく吸血鬼だ)の中のひとりが尊大に告げる。 「数時間前にこの建物の上空で、黒魔法陣、並びに暗雲で形成された漆黒の鋼矢がここへ投下されたとの多数の目撃情報があった。それらは他者の命を使って使者の蘇生を行う最大の禁忌術が発動された際にのみ、発生するものだ。我々は禁忌術を行った者を裁きにきた審判者だ。術を施行した者はどこにいる」 突然のことに言葉を失っているノブナガをよそに、審判者と名乗る者たちは返事も待たずに全員が伸ばした両手を下向きにかざした。ほどなくして床から灰色の煙のようなものが四本、細く立ち上った。彼らが詠唱をはじめると、一本の煙の柱が太く大きくなった。今度は全審判者がその巨大な煙に手をかざして呪文を唱えだすと、煙は金の光の筋となり、瞬く間にシンイチの額へ吸い込まれていった。そして気付けば他の三本の細い煙も消えていた。 静まり返った部屋の中で、「この金色の者を蘇生したのか……」と呟いた吸血鬼の一人が、急に忌々しそうにシンイチを指さして声を荒らげた。 「この者……皆もよく見られよ、我らの同胞ではない。こいつは人狼だぞ」 他の審判者もシンイチを汚らわしげに見やると、怒気も顕に口々に悪態をつきだした。 「香りまで擬態しておるとは、なんと巧妙な。この見目と香りで同胞たちをたぶらかしたのか」 「人狼なんぞを蘇生させるために、四名もの尊い吸血鬼の命が失われたとは、なんと嘆かわしい……!」 怒りを口にしていた彼らは目線を合わせ頷きあうと、手にしている杖のようなものの先端をノブナガ─── 正確にはその腕の中で意識を失っているシンイチを射るようにつきつけた。 「元凶を捕獲する」 勝手な憶測による元凶呼ばわりにカッときたノブナガは、抱きしめる腕にいっそう力を込めて声を張った。 「何言ってんだ! 元凶は俺らを最初に襲った三人の吸血鬼どもだぞ! 何も知りもしないで勝手に決めつけんじゃねえ!!」 しかし人狼の言葉に一切耳を貸す気のない五人は、魔術でノブナガの口も動きも封じた。そして室外で待機させていた従者らしき別種族の者たちを入室させると、意識のないシンイチを奪い運び出させた。 シンイチと引き離されたノブナガは、目隠しと拘束をされた状態でどこかの地下牢に入れられた。 脱出を何度も試みたが無理だと悟ったノブナガは、事件の真相が誰かの耳に届くようにと牢屋の中で繋がれたまま、大声で説明し続けた。かなり年季を感じさせる建物だから、閉ざされた扉の向こうでも耳の良い種族の者がいれば声は届くと信じて。 この必死の訴えを耳にできたのは、食事を運びに下りてくる監視のボブゴブリンが二匹。そして地下牢に続く階段の上部で気配を消して立つ、弱視で両牙のない吸血鬼一人だけだった。 そんな僅かな往来しかない場にいることすらも知ることのできないノブナガは、微かな可能性にすがるしかなく、連日昼夜問わず声を張り続けた。 Vampiiri kapriisはエルフの管轄地だが、事件の関係者や被害者が吸血鬼であることから、裁判は吸血鬼の司法の元に行われたと、シンイチたちが拘束された翌日には不死者の各種族長に書面で報じられた。 書面には『畏れ多くも吸血鬼に擬態した金色の人狼に、多くの吸血鬼が誘惑され不利益を被った。それにより、件の人狼の主人の吸血鬼が責任を負わされたため、人狼は己の罪を悔い自死した。それを哀れんだ主が、その場に居合わせた三人の吸血鬼の命を使って最大の禁忌である蘇生術を行った。結果、術自体は成功したが、術の行使に耐えきれず主までも落命した』という事件の概要説明。そして、結果的に四人もの吸血鬼の命を奪う元凶となった人狼を火刑にすることで、禁忌術を行った主の罪も合わせて償わせる、という判決が記されていた。 決闘や戦争以外で不死者が複数名も命を失うこと自体が大変珍しいため、瞬く間に事件は全ての不死者種族の間に広まった。もっとも、裁判など建前上の通告で、実際は真相究明の捜査すら行われてはいないこと。またこの報じられている概要自体も真相からはほど遠く、吸血鬼に有利な作り話であろうことは、吸血鬼が絡む事件のためどの種族にとってもわかりきっていることだった。 しかしそれに異議を申せば吸血鬼を侮辱したとして、申したてた者はもちろんのこと、その種族ごと根絶やしにされてしまう。だからこそ、ここまでいい加減なことが大昔から横行され続けているのだった。 吸血鬼による恐怖支配を数百年ぶりに見せつけるこの度の判決もまた、吸血鬼以外の多くの不死者たちの鬱屈した嗜虐心を煽り、強い注目を浴びる一件となった。 報には事件に関わっている者の個人名は、今までと同様に一切記されてはいなかったけれど、人狼の長のタカサゴは報せをみるなり、アキラの城とジンとノブナガの家へ使者を送った。 ノブナガは三日が過ぎてもまだ地下牢に閉じ込められていた。喉が完全につぶれてしまい、訴えることもできない己の無力さに歯噛みするばかりだった。 そんなノブナガの目隠しが突然はずされた。他者が入室した気配もなかったため、ノブナガは緊張に身を固くした。 眩しさに目が慣れてやっと目視できたのは、昔にシンイチに私闘を挑んだ吸血鬼であり、ノブナガとジンが銃で仕留めた男でもあった。 「お前、あの時の……。こんなとこになにしに来たんだ。今更復讐か?」 喉が潰れきって音のない声だが、巻き毛の吸血鬼は聞き返すことなく返事を寄越してきた。 「お前を解放してやる」 そう言うと吸血鬼は懐から取り出した鍵を使い、ノブナガの手錠を外して扉の鍵も開けた。 「どういうことだ!?」 「出て右の階段から出たら、迎えの者が待機してる。黒髪の女の吸血鬼と人狼の大男だ」 「おいっ! なんなんだ一体!」 何も言わずにそのまま去っていこうとする吸血鬼の背中に向かってノブナガは続けて音のない声で叫ぶ。 「待てよ! せめてあんたの事情を説明しろって! 俺を助けたなんてどこかから知れたら、いくら吸血鬼のあんたでもひどい目に合わされるぞ!?」 「お前のような人狼の雑魚一匹が消えたところで、誰も追わないさ。面倒が減ったくらいに思われて終わりだろうよ」 「そんな話してねえ!」 「こんなとこで真実を叫ばれたって、意味なさ過ぎだから」 「あ、待てって!」 巻き毛の男はもう立ち止まらず地下牢から出て行ってしまった。 残されたノブナガはまだ麻痺が残る両足を叩いたが、立ち上がれるまで待っていられずに四つん這いで地下牢を出た。 * * * * * * 事件から五日が過ぎた死刑執行前夜。秘密裏に探っていた、シンイチが収監されている独房を、タカサゴの側近とジンが漸く見つけ出した。 監視員に多額の賄賂を渡すことで、ジン一人だけが従者専用の裏口から入ることができた。 石の重たい扉を開けて冷えた房内に入ったジンは、あまりに非道な拘束をうけているシンイチに血の気と言葉を失った。 逃亡防止のため両足の腱は切られ、足首の骨にあけられた穴には再生防止の銀の輪が通されている。両手のひらには銀の筒状の金具を貫通させ、そこへ鎖を通して天井から吊るしている。筒は自重により上へ引っ張られて、筒の下からも壁が覗いていた。 ここにいるのがシンイチに似た別の者であってくれと、髪や肌の色から一縷の望みを抱かずにはいられなかった。 入室者がいつも来る者とは違うように感じたのか、シンイチはゆっくりと頭をもたげると、驚いた視線と掠れた声をよこした。 「ジンか。よく……来れたな。どうやってここがわかったんだ?」 穏やかですらある声音がかえってジンの胸を押し潰すから、喉は嗚咽で詰まってなかなかいうことをきかない。それでも長居は出来ないため、今にも崩れ落ちそうな足に力を込めて歩み寄り、必死に声を絞り出す。 「すみません遅くなって。でも……助けにこれたわけじゃ……ないんです」 「そりゃそうだろ。俺を助けたりなんぞしたら人狼族が吸血鬼族に襲われて、集落まるごと。下手すりゃ世界に散る他種の人狼族ごと根絶やしにされかねん」 「集落は……すべての家の周りに吸血鬼が洗脳したボブゴブリンを見張りに配置しています。根絶やし覚悟で金狼を救出しようとする者は多数いると知られてますから」 「皆に迷惑をかけてすまないな。それにしても随分と買いかぶられたものだ」 笑った直後にシンイチの眉は僅かに歪んだ。そんなささいな揺れすらも相当傷にひびくのが伝わってくる。 「……実際、家族を人質にとられないと助けに飛び出す奴がゴロゴロいるほど、絶大な人気なんですよ。俺たちの伝説の戦士であり、希望の金狼である自覚がまるでないあんたこそが、本当に自分のことを……わかって……ない」 軽口に応じたふりをしてみせたが、限界だった。語尾は滲み、涙がジンの頬を滑り落ちる。 「俺が戦士だったのなんていつの時代の話だよ。それよりノブナガは……おい、お前が泣く必要はないんだぞ、ジン。ヘマをした俺の自業自得なんだから」 「ノブは……アヤコさんとタケノリさんの協力で救出で……まし、た。自業自得だなんて言わな……くださ……何も…………あんたを連れ出すことすら俺は……」 ジンが首を左右に振るたびに、シンイチの血で濡れた床に淡いピンクの水玉模様が作られてゆく。 古い記憶が蘇ったシンイチの口の端が緩む。 幼かったジンは大きな瞳と明るい肌色で女の子のように可愛らしかった。だから家族になった記念にと赤地にピンクの水玉柄のシャツを買い与えたら、『これを着ないと僕は施設に返されますか』と初めて泣かれてしまった。それから笑顔を取り戻すのは一苦労だったが、あれがきっかけで少しずつジンは腹を割って話してくれるようになったのだった。 「なあ、泣くなよ。またお前に水玉のシャツをやりたくなるじゃないか」 なんのことかと真っ赤になった目で見返してくる、大人になっても相変わらず鹿のように黒目がちで大きな瞳の俺の息子。もう俺よりも銃の腕は上で、思慮深くて賢く頼りになる立派な男だ。 「お前やノブナガは俺には過ぎるほど、優しくて賢い息子だ。だから今は己をそれぞれ責めているのだろうが、その必要は全くないんだぞ。吸血鬼の怖さをお前たちよりもよく知っている俺やアキラの判断ミスだ。それとノブナガには言ったが、俺たちは被害者であり、加害者は俺たちを襲った三人の吸血鬼どもだ。俺たちが己を責める必要はないんだ。加害者はアキラが討ったし、今回の件は不幸だったと割り切って早く忘れろ。いいな」 命ずる気持ちで言ったのに、ジンは初めて頷かなかった。それどころか首を振って否定された。育ての親であり戦士としても尊敬しているからと、シンイチが本気で命じたことには一切逆らわなかったジンが。 シンイチは驚きに金色の睫毛を何度か瞬かせたのち、フッと笑った。 「今頃反抗期か」 「ノブにも伝えます。でも……俺もノブもあなたの希望には従えません……」 「希望か。……命令でもダメか」 「無理……です。できません……」 ボタボタと両目から大粒の涙を零して口元を戦慄かせるジンの頭を、シンイチは今すぐ抱えて撫でてやりたかった。しかしそれすらも叶わぬ己の不甲斐なさに、シンイチは奥歯を噛んで瞼を閉じた。 ならば別の理由で理解させ、心理的負担を軽減してやるしかないとシンイチは意を決した。 「ジン。これは……その、夫婦間のことでもあるから、誰にも言うつもりはなかったことなんだが」 恥ずかしさに眉根をしかめるシンイチへ、ジンはこの状況下で何をと、泣き顔を更に不信感で歪めた。 「ええとだな。結婚してから、あいつは俺以外は食わない。俺の身体にはあいつの毒以外入れないと俺たちは誓ったんだ」 「それが吸血鬼との結婚というものでは?」 「違う。吸血鬼の飯は基本、人間の血だ。それに普通は伴侶の有無関係なく、伴侶以外の不死者の血を嗜好品的に吸いもする。俺たちのようなのは特殊なんだ。前例がないから比較検証は出来ないが、多分それは……体には良くないことなんだ」 息子に夫婦の秘密を話してしまった羞恥が、血の気を失い冷えきったシンイチの身体にほんのりと体温を呼び起こさせた。 しかしジンの瞳は涙をたたえて曇ったままなので、何も伝わっていないことがわかる。これで察してくれというのは無理な話かとシンイチは観念した。 「俺とアキラは年齢の割に見た目が若いだろ? 特に俺なんかは毛色すら……ああもう今は比較にもならんから、少し前の俺で考えてくれ」 ジンは苦々しい顔ながら、相槌がわりに小さく頷いた。 「こんな変化をした人狼が過去にいるか? 俺は多分、アキラに血を抜かれすぎた上に、アキラの毒だけを長いことまわされてるせいで、体質に変化が起きてる。アキラもそうだ。一人の人狼の血を主食にしすぎてな。そのせいで俺たちは外見だけが異様に若いんだ」 「若々しいのはいいことじゃないですか……」 「程度問題だが見た目だけなら、まぁな。俺たちは皮膚や爪や髪なんかは凄い勢いで再生するが、筋肉や内蔵は逆に再生が極端に遅くなった。まるで人間のように。外気に触れる表面部分のみ異常な新陳代謝を繰り返す分、内側はその反動なのか猛スピードで脆くなっていて……中身はもうボロボロなんだ。多分、何事もなくてもそう遠くないうちに俺たちはこの世を去るはずだ。よく見てみろ、俺の手や足を」 拳で涙を拭ったジンは、跪いてシンイチの足───金具が貫通している箇所を見るなり、また涙を溢れさせた。治癒再生が始まっていないどころか、金具が食い込んでいる肉の部分は腐り、覗いている骨には無数のヒビが発生していた。 生きながら腐り朽ちていく痛みをおくびにも出さず、もし自分が泣かなければ教えることもなかった、父である前から戦士であった強すぎる男にジンは嗚咽を漏らした。 「そう長くはないと俺たちは覚悟していた。それが今回の件で別れの時期が少し早まっただけなんだ」 「……そんな理由で俺たちの後悔や怒りが目減りするとでも?」 「遅かれ早かれ数年の違いだったと思ってくれ」 「無理です」 「二度もお前に無理と言われるとはな。夫婦の秘密までバラしたってのに。あいつの喜びそうな冥土の土産ができちまった」 ジンが嫌そうに。でもほんの少しでも笑おうと努力した気配を感じて、シンイチはジンの代わりに笑みを浮かべ続ける。 「……俺としては久しぶりに親らしいこと……家族を守れた気がするから、そう悪くないと思ってる。きっとアキラもそうだろうよ」 「ずっと守り続けてきてくれたじゃないですか。それに俺たちが今何百才だと思って言ってるんですか」 「いくつになっても親は親。子は子で逆転はしない。……ってのはまあ屁理屈だがな。仕方ないだろ、何百歳だって俺にはお前らが可愛いんだから」 石の扉の奥から何か物音が聞こえた気がして、シンイチは気力で背筋を伸ばし、瞳に力をこめた。 「顔を見れて嬉しかった。長く居ると危険だ、さあもう帰れ。俺は疲れたから少し休む」 「何もできない俺もノブも。仲間たちも皆。せめてあなたの痛みだけでも軽くしたくて……」 ジンが懐から注射器をとり出した。これで楽に逝けると喜びが胸に一瞬よぎったが、弱音を押し込んでシンイチは首を振った。 「気持ちはありがたいが、ここで俺が死んだら村は」 「ええ。だから……これはただの鎮痛薬と麻酔薬です。それほど酷い状態では一回の接種くらいじゃ明日の朝には意識も痛みも戻ってしまうでしょう。本当に気休めで申し訳ないんですが……量を超すと副作用が」 辛そうに説明するジンの言葉を、シンイチは呑気な声音で遮った。 「ああ、それはいいな。今夜は冷えそうだから、寝付きが悪そうだと思っていたところだ」 「すみません………」 「謝るな、助かると言ったんだぞ。そうだ、ひとつ言い忘れていた。ノブナガと助け合って元気で暮らせ。養子も迎えられたら、三人仲良くな」 「ノブ……あいつは……救出してからずっと、あんたを救けに行くと暴れて手に負えなくて。これと同じのをぶちこんで……連れてきませんでした」 「そうか……。早く帰って、ノブナガの目が冷めたら、お前にした話を伝えて気を軽くしてやってくれ」 「……伝えはします。これでは明日の朝までの痛みしか止められませんが……。でも」 腕の感覚がないため、ジンの指先が触れてもシンイチにはその体温すらも感じられなかった。ただ、注射器を持つジンの指の異様な青白さがよく見えた。 (『美青白って言葉、知らないの?』) ふいにアキラの声が脳内で再生され、またもシンイチの頬は緩む。いい思い出が沢山あるというのは良いものだ。 「……でも、明日。炎に焼かれる苦しさと痛みだけは感じさせません。俺とノブが必ず。約束します」 「駄目だ。もう来るな。お前たちに危険が及ぶ可能性が高い。駄、あ、……が…………」 一気に劇薬が注入され、シンイチは言葉半ばで首を落とした。 「約束、しましたから」 意識が途切れる直前に、きっぱりとしたジンの声だけが耳に届いた。 * * * * * * 窓もない地下牢では時間を推し量ることは難しい。それでも足元にカチカチのパンが三つ転がっていることから、今がジンと会った翌日の夕方過ぎだろうと推測した。 朝までの気休めとジンは言っていたが、弱った体に麻酔(?)は大変よく効いたようだ。拘束されてから初めて、痛みや寒さで起きることなく、まとまった睡眠をとることができた。おかげで回復まではいかないが、心なしか頭が少しだけ軽い。 拘束されてから意識がある時は、アキラと過ごした日々を思い返しては、胸の内でアキラに語りかけていた。しかしそんな暇つぶしも激しい頭痛や、体が回復を優先させようと意識を飛ばすことで、長くは行えなかった。 だが今はジンのおかげで、長く話ができそうだ。けれどジンに借りを作るのを嫌うアキラは複雑な顔をしそうだな。まあしかめっ面をさせたついでに、今夜は小言でも聞いてもらおうか。 小言というよりは文句かな。なあアキラ。何が『あんたは俺を看取ってくんなきゃダメだから。絶対だよ』だ。見取らせるどころか、お前は灰の一片すら俺に残さなかったじゃねぇか。ノブナガが発狂したように泣き叫んでいたし、俺が生きてる上に両腕までもあったから、あの場は信じたふりをしたがな。本当はまだあの時は半信半疑だったんだぞ? まったくお前は昔から人の話は聞かないし、変なとこだけ手間をかけるし、勝手ばかりな奴だ。おかげでこちとらずっと振り回されっぱなしだぜ。 あ……、今苦笑いをしただろ。お前が消えてから、こうして語りかけていると胸のあたりがくすぐったいような……蝋燭の火が灯るような温もりを感じるんだ。そしてなんとなくだが、そのあたたかさでお前の表情がわかるんだ。 これは俺の意識混濁が起こしてる現象じゃない。お前が俺の魂を呼び戻したか再構築したんだか、とにかく生き返らせた時に、自分の魂もついでに少し入れたせいだろ? ほら今、図星をさされたって顔をしたな? それとさ、お前の魂が俺に極力苦痛を感じさせないように、魔法か何かで感覚を麻痺させて守っているだろ。バレてないつもりだろうけど、自分の精神や身体だからわかるんだよ。 俺の胸の中にほんの少しだけお前が確実に存在している。 言い換えれば、それっぽっちしかお前はこの世に存在していないことを……認めたくないのに、認めざるを得ないんだ。 あの時俺は失血による気絶を狙ったんだ。中身がオンボロなせいで予想より持ちこたえられずにお前が来る前に死んじまって、ごめんな。 お前すげぇ腹立てたんだろ……使ったら離婚するって俺が言った禁忌魔法を使ったくらいだもんな。吸血鬼三人分の命程度じゃ足りないのは、使う前からわかってたくせに。まさに命がけの説教だな。続きは冥土でされるのか? その時は説教の前に弁解くらいはさせてくれよ。 悪かったと思ってる、食いちぎる加減を間違えたのは。だけど俺は意識がある状態でお前以外の奴に血を吸われたり毒をまわされるのは─── お前以外の相手に快感を感じさせられて体を開く記憶が自分にほんの僅かでも残るのは……命を失うより嫌だったんだ。 あ……今、あんたも俺のこと言えないねって顔で笑いやがったろ。 そういやお前、俺の腹に額を押し当てたまま消えたそうだな。その顔は怒りの形相じゃなく、してやったりな顔だったんだろうな。俺の鼓動が再開するのを耳にしながら、にんまりしてたに違いない。 だってお前は内部から崩壊していく己の体にすら、『シンイチが俺の血肉の一部になってる』と幸せそうに言っていたくらいだから。きっと今回も、お前は自分の魂が俺の魂の一部になることをほくそ笑んでたはずだ。俺に関しては筋金入りの変態だからな。 だから……やっぱり見たかったよ。看取らせてほしかった。……ああ、違うか。俺がもっと早く目を覚ましていれば……なんて今更だな。 本当に……お前は会った時から消えるときまで、とびきりおかしな奴だ。でもそのおかげで退屈とは無縁で……こうして俺の中の感覚だけのお前と話せて退屈せずにすんでるよ。五感では存在を感じられないのは非常に物足りないけどな。まあそれもあと数時間だ。 ありがとうアキラ。お前と暮らすようになってからは、寿命までが長いと憂うことは一度もなかった。 それどころか俺はいつのまにか、お前となら千年先まで笑って生きられる気でいたんだ。 ああ……胸の中が今夜は特にあたたかい。お前が得意げに笑っているせいだな。 お前の笑顔が見たい一心で追っかけてつかまえたのは、俺の人生最大のファインプレーだ。 とても……とてもあたたかい……お前の微笑みのおかげでまた少しだけ……眠れそうな気が…………する…… * * * * * * 翌朝、処刑場へ連行するから着替えろと、壁から吊るされていた鎖が解かれた。両腕が自由になったシンイチは支えを失い床へ崩れ落ちた。 鎖を外したボブゴブリンが、床に転がっている四個のパンを苛立たしげに蹴って舌打ちをした。 「食わねえからまともに立てもしねぇんだぞ。そりゃ意気揚々と死刑台に立つ奴ぁいねぇが、それでも火炙りはかなりマシな方なんだぜ?」 白シャツと黒いスラックスをシンイチの横へ放り投げつつ、ボブゴブリンは独りで喋り続ける。 「普通は吸血鬼の命を奪った吸血鬼以外の奴は、処刑台の上で足先から10cm単位で死ぬまで切り落とされんだ。見せしめだから長時間、見物人どもに恐怖感を植え付けるためらしいが、そりゃひでぇもんだぜ? 流石に見物人も膝くらいからは半分以下に減るんだ。太ももの根本近くになると受刑者が失血死しちまうから、だいたい終わるんだがよぅ。その頃にゃ見物人は両手で数えるほどになってんのさ」 四つん這いになったシンイチはぼそりと呟いた。 「……なぜ斬殺刑じゃないんだ」 「なんだ、テメーまだ口がきけたんか。昨晩は目も開けなかったくせに。エルフみてーになまっちろい色のくせにタフだな」 「今回の件で俺の家族や人狼族に一切難癖つけないなら、一切弁明しないし斬殺刑でかまわんと言ったのに」 「初めてよこしたマトモな返事がホラかよ。あぁ、そういやお前には死んだ主人の吸血鬼がかけた魔術が体内に残っていて危険かもしれないから、火炙りの方が安全だって、弱視の吸血鬼が審判の吸血鬼全員にコレ渡しながら言ったらしいって噂は聞いたな」 金塊を意味するジェスチャーを交えながら、ボブゴブリンは鼻で笑った。 「他にも黒髪美女の吸血鬼も減刑を訴えたらしいぞ? 人狼のくせに、飼い主の吸血鬼以外に何人の吸血鬼をたらしこんでたんだテメー?」 しゃがんだボブゴブリンは大きく無骨な手でシンイチの髪を鷲掴んで無理やり頭を上げさせた。その耳元へ大きな生臭い口を近づけて舌なめずりをする。 「まあなあ……長く吊るされててもこの程度の目減りだもんな。こんだけ上玉なら、ちょいと着飾りゃ人狼の男でも囲いたくもなるわな。300年生きてて初めて見たぜ、色の白い金髪の人狼なんてよ。……おい、今一発ヤらせろよ。ヤってる間は足枷を外してやるぜ? 水を飲ませてやってもいい」 冷めた金褐色の瞳が初めて自分へと向けられ、その瞳の硬質な美しさに圧倒され、ボブゴブリンは思わず口を閉じて喉を鳴らした。 かさついたシンイチの唇が、投獄されてから初めて長く言葉を紡ぐ。 「弱視の吸血鬼の言ったことは本当だ。俺は禁忌の魔術で作られた死人返りだぜ? 伝染病や数多の災いを呼び寄せる魔術がこの皮膚の下に植え付けられてる。だから俺は斬殺刑がよかったんだ。切られた部分から災いが周囲にばらまかれるからな。Vampiiri kapriis内で疫病が広まれば、いい腹いせになると思ってたのに残念だ」 先程聞いた話から吐いた思いつきの嘘だったが、ボブゴブリンは掴んでいる髪からも病気が伝染るとでも思ったのか、荒々しくシンイチの頭部を床へ叩きつけて距離を置いた。 床に頬をつけたままシンイチは「土産話がまた増えた」と楽しげに喉で笑った。 「この気狂いが! さっさと丸焦げになりやがれ!」 怒鳴り散らし肩を怒らせてボブゴブリンは出ていった。 それからしばらく経った後、別種族の看守がやってきて黙したまま、着替えたシンイチに目隠しをしてから再び縛り上げた。 外に出たことは空気や人々の気配やざわめきで、すぐにわかった。 漸く目隠しの布を外されたことで、数日ぶりに外を見ることができた。 太陽の位置もわからないほど空は灰色の厚い雲に覆われていた。それでも僅かながら風があるのが心地よい。 連れてこられた処刑場は大きくはない扇形の、長いこと使われていない競技場のようだった。天井は崩れ落ちて既になく、処刑台から数メートル離れた場所にロープが張られており、その向こうには数十年ぶりの火刑を観覧に来た者たちが集っていた。さらにその正面最奥にある階段席は吸血鬼専用なのだろう、そこだけ豪華な天幕が貼られてはいるが、観覧は数人もいないようだった。左右の崩れかけた階段に人影はなく、その向こうには崩れかけた小さな家が遠く点在しているのみだった。 習性で状況検分をしかけたけれど。逃げる気もなく死にゆく自分にとってどうでもいいことだと、シンイチは考えることをやめて、群衆から一段高い石造りの壇上から下方をぼんやりと見下ろした。 準備が整ったのか、三人の屈強なボブゴブリンがシンイチを抱えあげると、太く長い丸太と鉄の板で作られた十字架めいた処刑台に鎖でしっかりとくくりつけてから離れていった。 磔にされて目線がかなり高くなったため、会場のほとんどに目が届いた。その中には人狼らしき者はひとりも見当たらず、シンイチの目元はほんのりと緩んだ。 もともとアキラが消えたら銀の玉で後を追ってやろうと思っていた。だからノブナガからアキラが消えたと知らされた時もそのつもりだった。なのに投獄されて独りになった時に、お前が俺の胸の中にいると気付いてしまったから。……どんなにちっぽけだって、俺にはお前を消すことはできないから。 処刑は、存在しか感じられない寂しさからの解放。そして俺とあいつの一部をアキラがいる場所へ行けるようにすることでもあるから。実はそう嫌じゃなかったりする。 ただアヤコさんやコリンのおかげで極刑の中ではマシとはいえ。流石に火炙りには、土壇場で恐怖を感じるだろうと予想していた。 なのにいざ担ぎ上げられてみれば、完全に現実感を失って、全てがどこかぼんやりと遠く感じる。離れた下の方で勝手な罪状を滔々と並べる吸血鬼の声も、残酷な見世物に湧く観衆のざわめきも聞こえているのに。 それよりも日増しに強まる自分の胸の奥の甘いような優しく柔らかな感覚───小さくてもアキラだとわかる感覚が、ここへきて全身の隅々まで広がったことに驚いている。 あたたかな布団にすっぽりと全身を、頭までもくるまれているような。なにも怖くも辛くもないどころか、安らぎ……あいつに抱きしめられている時によく感じていた多幸感がある。全身の痛みも寒さも何も感じない。アキラが俺を最後の力の全てで守っているのがわかる。 ……ちっぽけな魂の欠片になってなお、全身全霊で守ってくれるお前比べて……俺は胸の中にいる、ほんの小さなお前すら守ってやれないってのに。 でも、この重たいだけの肉体から抜け出したら、お前の魂と今度こそ完全に解け合える。そうしたらもう、守るも守れないもないよな。ひとつになるんだから。 じゃあもう少しだけ甘えさせてくれ。アキラ。俺が無様な悲鳴を晒すことなく、お前が今居る場所へいけるように、守り導いてくれ。 観衆の視線が一気に己の足元へ集中したことで、括り付けられている丸太を支えるように小山ほども盛られた木々に火が放たれたことを知る。 小さな炎がパチパチと小枝を選びながら、少しずつ移っていく様がシンイチの瞳には美しく映った。アキラと、息子たちと、仲間たちと何度も囲んできた暖炉や焚き火を彷彿とさせるから、口角が自然と上がってしまう。 懐かしい思い出に浸っているうちに小山の半分ほどは炎と同化し、もうもうたる煙で周囲はほぼ見えなくなった。 真っ黒な煙に包まれている状態なのに息は苦しくなく咳のひとつも出ないのだから、魔力が衰えたのなんだのとアキラが凹んでいたのが今更ながら笑えてくる。まったく、こんなに小さくなってまで凄い奴だ。 しかしこれでは観衆に俺が燃える姿が見えないのではと、どうでもいいことを考えて、いよいよ分厚くなった煙の壁の向こうへ目を眇めると、ほんの少しの煙の切れ目ができた。 その隙間から吸血鬼の観覧席よりもなお遠くの細高い建造物の上に、狼姿のノブナガに跨り銃をかまえるジンが見えて、シンイチの顔に驚愕の色が走った。 誰にも気づかれずにあんな場所まで来れた上に逃げ切れる自信や、あれほどの遠距離から小さすぎる的を撃ち抜ける自信があるから、あいつらはここへ来たのだろう。 頼もしく立派に育った息子たちの姿が誇らしくて、シンイチはほろ苦い微笑みを浮かべた。 「……あんな一方的な約束を守りにきたか。誰に似たんだろうな、その頑固なまでの律儀さは」 あんたにきまってるでしょ、とアキラの笑いを含んだ呆れ声がはっきりと聞こえて、とうとうシンイチは声をあげて笑った。 なんだよ、本気出したらお前、喋れたんじゃねぇか。ギリギリまで出し惜しみしてやがったな。それにあれほど遠い距離のあいつらが俺に見えてるのも、お前が俺の目に細工をしてくれてるからだろ。気を利かせやがって。 だがおかげで、最後に息子たちの顔が見れて、お前の声まで聞けて。こうして笑って死ねるとは、なかなかにいい最期だ。 ありがとうジン、ノブナガ。お前らの親になれて良かった。楽しかった……と、来世でもし会えたら言わせてくれ。 ありがとうアキラ。最期まで助けてくれた上に粋な計らいと楽しい驚きをくれて。礼はこれからしにいく。 突風が吹き、シンイチの全身をすべての群衆から覆い隠すように炎が高く舞い上がった。 その一瞬。 誰の目にも留まらぬ速さで、美しい一線の光が、ほがらかに笑うシンイチの眉間を貫いた。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * 吸血鬼の間に古くからある迷信のひとつに、能力が飛び抜けて高いものはこの世での記憶を死して転生しても覚えていられる、というものがあった。 始祖エウノーイ(大地をも作り変える強大な魔力を有していたと記述が残る、伝説の吸血鬼)が行った返魂の魔術により、死に返りをした能力の高い吸血鬼がそう言ったからだそうだが。そいつは蘇生後半年とたたずに気がふれて、同胞の城にいくつも火をかけて自殺したため、話に信憑性がなかった。 エウノーイが眠りについてから数百年後に生まれた俺が知った頃では、最早迷信どころかおとぎ話であった。 自分が生まれ落ちたこの、食物連鎖の頂点が人間である世界。 それ以外に似て非なる別の世界が存在しており、そこでは捕食者の頂点は人ではなく不死者や魔物がいて、魔法や魔術が存在していたこと。ましてやその世界の中のひとつの種族の間にのみ伝わっていた迷信のことなど、俺は全く知ることもなく15になるまで安穏と過ごしてきたのに。 「無意味だ……。いや、それどころか有害でしかねぇ」 先月迎えた15歳の誕生日の夜。頭がカチ割れ目から火花が散るほどの酷い頭痛に見舞われた。あまりの激痛にベッドの上で頭を抱え硬直していると、不死者が存在する前世の数百年分の記憶が怒濤のごとく蘇ってきたのだ。 能力が高すぎたゆえに孤立していた自分に、命よりも大切な別種族の伴侶ができたこと。それから長いこと幸せに暮らすも、その彼を自分の甘すぎる判断で喪ってしまう。しかし蘇生に成功するが、自分だけ力足らずで先に死んじまった。そのせいで愛しい彼が酷く辛い目にあいながら死を迎えるまでを、彼の胸の中で見守るしかできなかった辛すぎる記憶。 彼を失った哀惜の念に胸をかきむしろうが泣き叫ぼうが、今更何もならない。なのに記憶だけはまるでこの世でつい先日起きた出来事のように生々しく、日が経っても薄れることなく俺の精神を苛む。 せめて彼が吸血鬼であったなら。転生して同じ世界にいることに一縷の望みをかけて、どこにいようが見つけ出して幸せにするという、生きる希望が持てるのに。 吸血鬼だった俺の毒のせいで、彼は晩年、金狼という稀有な形態になっていた。それでも人狼には変わりないから、転生できはしまい。まして前世の記憶を有して俺と同じ世界への転生などあり得ない。 そうわかりきった上でこれから先の数十年を、この数百年分の重い記憶を抱えて生きなきゃいけないなんて、どんな拷問で生き地獄なんだ。 「15で燃え尽き症候群。真っ白に燃え尽きすぎて、自殺すんのもめんどくせぇ」 青空にそぐわない、辛気臭い自分のつぶやき。 チッと舌打ちしたところで、いつもやたらとまとわりついてくるクラスメイトの佐渡が俺を呼びながら走ってきた。 「隣町の田舎者が転入してきたって。見に行こうよ!」 息を弾ませながら俺の手をとろうとしたので、あからさまに避けながら腕時計を見る。 「興味ない。俺は視聴覚室に直行するから」 昼休みが終わるギリギリに次の授業の教室へ行くから、もう俺を呼びに来るなと暗に告げた。佐渡は不満気に口先を尖らせながらも「最近付き合い悪くなったよな。……わかったよ」と低く返すと戻っていった。 静けさを取り戻した校庭わきのベンチで、またぼんやりと空を見上げる。 生きていたくない。こんなに鮮烈で鮮明で強烈な数百年分の記憶に、のほほんと生きてきたたった15年ぽっちの歴史で太刀打ちできるわけがねえ。いや、寿命が80だとして残り65年分足したって屁にもならねーよ。しかもだよ、この先の65年で楽しかったり面白いことが沢山あったとして、そこに彼はいないのだ。それは例えるなら、どんなに素晴らしいことも三割くらいに目減りして感じるってことだ。 腹の底から吐いたため息を風がさらっていったところで、後ろから。今度はゆっくりとした足音が聞こえてきた。 「あの……」 知らない声。 遠慮がちな呼びかけに、だるさを隠すことなくのろのろと振り向いた。 見上げた先にある、声をかけてきた相手の顔に思わず立ち上がる。 「すみませんが、四号棟への行き方を教えてくれませんか」 日差しを正面から浴びて輝く、明るい髪色に琥珀色のこの瞳を知っている。 まだ声変わりをしたてなのか、少し掠れが残る声は聞き慣れたものとは少し違うが、落ち着いたこのリズムやトーンを知っている。 目に映る姿やちょっとした仕草や話し方。彼の全てに胸の奥から例えようのない強い歓喜が湧き出して、俺の全身の血を滾らせ震わせる。 「初めて来たんですが、ここはとても広くて迷ってしまって」 数百年分の記憶が俺の瞳から堰を切って熱く溢れ出す。 「え。……どうかしたんですか? どこか痛いんですか?」 相手がひるんだことなど気にもせず、己の心臓を制服の上から鷲掴み、つまった喉からやっとの思いで声を絞りだした。 「シンイチ。お前はシンイチだろ。俺は……俺はお前のアキラだ」 *end*
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シンイチたちのいなくなったこの世界のその後ですが。 処刑が行われた数ヶ月後。吸血鬼へのたまりたまった怒りに人狼族は、吸血鬼と渡り合える力をつけるべく、 ノブナガをリーダーに水面下で他種族と繋がるべく動き出します。 ノブナガの代ではまだ他種族の説得が厳しく、その目論見は失敗続きでした。 しかし、ノブナガとジンの義理の息子アツロウがその意志を継ぎ活動は続きます。 その頃には時代の流れも味方し、ほとんどの吸血鬼以外の不死種族が硬い同盟を結び、 吸血鬼に対する反勢力として共闘宣言を出しました。 対する吸血鬼側は少子高齢化で圧倒的に数が減り弱体化していたため、 戦いを回避したい吸血鬼側は協議の場に初めて参加することになりました。 度重なる協議ののち、そこで同盟側が掲げる『すべての不死者は能力に関係なく平等である』という 理念のもとに共通の憲法成立、そして全不死者種族の代表者が集う検察機関及び 裁判所の設立を目指すことに合意がなされました。 こうして血をみることなく、数千年続いた能力至上主義の時代が終わるのでした。 その際新たに作られた記念旗には、同盟のシンボルである金の狼と、吸血鬼を意味する蝙蝠がしるされました。 ……大変ドリーミーですね/// ノブナガとジンは悲嘆に暮れ続けはせず、復讐ではなく アツロウたちが吸血鬼に脅かされることなく生きられるようにと立ち上がり、精一杯生ききれたこと。 また、アツロウがその悲願を果たせるなど、なかなか良かったんだよ〜という歴史(?)をね。 書ければいいんだけど、私にはムリなので。まあそんなことがこの先にあるのね〜程度に踏まえてもらえたら嬉しいです。 今回のお話ですが、私としてはバッドエンドではなかったりします。 アキラの魂はシンイチに溶け込んでいた(Fusion of souls.の訳は「魂の融合」)ので、最期までも二人は一緒にだったからです。 誰もが逝く時は一人であるというのにですよ。だから見方を変えれば、奇跡のハピエン……って厳しいですかね?(苦笑) 解釈は人それぞれではありますが。異世界転生編(笑)は誰が読んでも紛うことなきハピエンにしますので。 地球に転生したアキラたちのお話を、安心して気長にお待ちいただければ幸いですv ファンタジーをよく知らない私が何年もかけて長い話をなんとか書き切れたのは、応援して下さった皆さんのおかげですv その上、こんなに長いあとがきまでも読んで下さって、感謝の念に耐えません。 ささやかですが、お口直しにオマケ絵なんぞご用意しました。こちらからどうぞv このシリーズを好いて下さった皆様、本当にありがとうございました!! < 2023年 追記 > 実は2020年に志毛さんがこの話の本『Vampires and Werewolves』を読んで書いて下さった 『cross the twilight』というものすごーく素敵かつミステリアスな別軸未来の小説をいただいておりまして。 いつかそのお話に繋がる話を書きたいのですが。本編の完結が2022年で、まだまだ書けそうにないため。 諦めて志毛さんの作品を先に掲載させていただくことにしました。 これでもう逃げられないぞ書けよ梅園! と自分自身への強烈な尻叩きでもあります。 志毛さんのサイトで既読の方も、まだ未読だった方もこちらからぜひ読まれて下さいな。 別軸でも彼らは出会い、一緒にいる幸せ(しかもめっちゃお洒落で素敵なのv)を一足先に感じられますよv や、でもホントにね。いつか必ず志毛さんとの妄想連結列車を完成させたいです! ※背景素材はNEO HIMEISM様からお借りしてリピート用に描き足し加工しました。 |