Believe it or not. vol.10


仙道から『次の晴れた土曜の夜、約束だからね!』という返信が着てから、気まぐれな秋の天気は意地悪のように土曜日には雨を降らせた。牧としては天気にこだわる理由はないのだけれど、金曜の夜の仙道からのメールには必ず天気を気にする一言があり、その文面が面白いからそのままにしていた。

小説などでは『暗雲垂れ込める』とでも表現されそうなほどに重たそうな、どんよりと広がる雨雲に覆われた夜空を牧は見上げて一人呟いた。
「あったかいし雨も降ってないが……これから降りそうだな」
部活の後、先輩達に飲みに連れて行かれた牧は、酔い覚ましに電車で帰っていた。タクシーを使えば早いけれど急いで帰る必要も特にない。明日は土曜日。夜には数時間、多分仙道と過ごせるだろう。会えたら何をしようか。たまには映画のDVDでもレンタルして観るのもいい。あいつはどういうのを選ぶのかな……。
アルコールでほてった頬を夜風が撫でる。心地よさに駅からの帰り道をいい気分でゆっくりと歩きながら、ふと、この雨雲を仙道も見てがっかりしていればいいのにと思い携帯をポケットから取り出した。電源が切れていて、電車に乗るため切ったままだったことに気付く。
「そんなに飲んだか? 俺」
小さく呟いて電源を入れれば、着信履歴に仙道の名前があった。時間を見れば、今から20分程前だった。まだ起きているだろうと、牧はためらいもせず電話をかけた。素面の彼であれば深夜だからと、電話ではなくメールという手段を選んだのだろうけれど……。


「おー、早かったな。まぁ、上がれよ」
玄関先で牧はけっこう大きな声で出迎えたため、夜分の来訪に恐縮していた仙道の方がギョッとする。
「あ、うん。すんません遅くに。あの……ホントに入っていいんすか?」
ことさら小声で、背を丸めるように小さくなっている仙道に牧は笑った。
「何だよ、珍しく電話であんなに来たいってゴネたくせに。入れ入れ」
「ちょ、牧さん、そんな高らかに笑ったら……ご家族の方、寝てんでしょ?」
「おお、もうしっかり夢の中だろ。大丈夫だって。うちは皆、一度寝付いたらよっぽどのことがないと起きないんだ。そうそう、半年前だったかな、近所で火事が……何だよ」
楽しそうに廊下で説明をはじめた牧の口元に仙道が手をかざしてストップをかけたため、牧が不機嫌そうに唇を少し尖らせた。
「続きは牧さんの部屋で聞かせて下さい。とりあえず、部屋に行きましょう。ね」
「……何が『ね』だ。本当に平気なんだよ、うちは」
まぁ立ち話もなんだしなと、階段を昇りだした牧に仙道はホッとした様子で後に続いた。

今まで二人は二度ほど、外食中に飲んだことがあった。しかし仙道は牧がこれほどしっかりと酔ったところを見るのは初めてだった。泥酔とまではいっていないようだけれど、血色の良くなっている頬や、少々ぼんやりとした様子がいつもの彼とは違って見えた。そんな姿が可愛く新鮮で、仙道は内心、無理を承知で会いたいと押したことを自賛した。

仙道へアイスコーヒーを手渡すと、牧は自分の分を机に置いてからベッドへどさりと座った。隣へ座れと仙道を手招きした。
「今夜は星が出てなかったから、ビールは用意してないぞ」
「うん。分かってる。今日はタクシーで帰りますよ。ちょっと…どうしても顔、見たかっただけだから」
「何で来たばかりで帰る話になってんだよ。俺はビールはないと言っただけだぞ?」
何故か少々不機嫌そうな顔になった牧に仙道は戸惑った。暗に泊めないと釘を刺されたつもりで返したけれど、どうやら言葉通り、ただ単にビールの話をしただけらしい。
「ビールがなきゃ、お前は泊まってかないってんなら、買ってくるが」
「え? な、何で? んなのなくたって、俺は泊まらせてもらえたら……そりゃすっげー嬉しい…よ?」
立ち上がりかけた牧の手首を思わず掴めば本音が口から零れた。思わずがっついたようで恥ずかしくなり、仙道は慌てて手を離した。しかし牧は特別何も感じなかったようで、「そうか」と呟いて隣に座りなおした。
仙道は表情には出さなかったが、真意を探るため牧を慎重に窺った。パチパチと濃く生え揃った睫毛を瞬かせてあくびを噛み殺す横顔からは特に何も考えていないように見える。今までは頑なに宿泊することも、宿泊させることも拒んでいた彼とは思えない先ほどの言動。朝練や朝一の講義があるかを聞いてもこなければ、泊まってほしそうなニュアンスまで感じさせた。何か心境の変化でもあったのだろうか、それともただ酔いのせいだろうか。

最初こそ慎重にしていたが、そのうち、褐色の肌が赤みを帯びてますます綺麗だ……と、不躾に見つめ過ぎていたようで。見返してきた彼は僅かな不安と苛立ちを感じさせる声音で呟いた。
「……何でそんなに見てんだよ。俺が泊まってけって言うのが、そんなに変か?」
「そんなんじゃないよ。さっきも言ったけど、長くあんたの顔見れるから、俺には嬉しいばかりだもの。俺は牧さんが好きだから、側にいられる時は沢山見ておきたいだけなんだけど。ダメ?」
素直に訊ねてみれば、眉をひそめて視線を外された。最近分かってきた、彼特有の照れ隠し。以前はこの一見怒った様な表情に機嫌を損ねたかと焦ったけれど、今はもう分かるから、それが可愛くてたまらない。仙道は自分の眉尻が下がってくるのが分かる気がした。
「あのなぁ……お前の言い方だと。その……誤解を招くぞ」
「誤解? 俺はあんたの恋人だもの。どこに問題があるんすか?」
牧の言いたいことは分かったけれど、仙道はあえて軽くまぜっかえした。すると牧は少し気の抜けた顔をして「そういや、恋人役だったな」と笑った。
彼の中での俺はあくまで『恋人役』なのだから、本気の俺の想いを乗せ過ぎて負担をかけてはいけないと、仙道は笑顔の下で改めて気を引き締めた。

「そうだ、寺澤兄妹の様子は最近どうなんだ?」
仙道は突然痛いところをつかれて、「別に変わりないです」と返事をするまでに僅かな間を空けてしまった。そんな間を酔ってはいても見逃すようなことはないようで、牧が苦い顔をする。
「何かあったんだろ。じゃなきゃ、こんな時間にお前が無理してくるはずがない。隠すなよ、俺に」
寺澤に帰り際蹴られた腹を無意識にさすりながら仙道は笑った。
「や。ちょっと最近、奈美に冷たくしてんのがバレたみたいで。明日の部活が終わったら顔貸せって言われただけ。また盛大なねちっこい小言を聞くのがウザくてね。長説教の間、あんたのカッコイイ顔を思い出してやり過ごそうかな〜と。てなわけで俺、明日と明後日は牧さんに会えないから。見溜め?」
顔やユニフォームから出る部分に暴力は受けないけれど、多分今日の様子からいって、明日は少なくともゲロを吐くぐらいはボディをやられるだろう。その後で時間が出来たとしても牧さんに会えないから、無理に今夜顔を見に来たのだ。一応嘘は言っていない。
どうせ呼び出すなら平日選んでくれりゃいーのにさ、と軽く会話を締めくくれば、彼は難しい顔のまま小さく頷いた。

そんなことより初めて許された宿泊に浮かれていた俺は、早く良い雰囲気を作りたくて内心焦っていた。牧さんの酔いが冷める前に、もっと恋人役らしさをお互い出せるよう練習しようとかどうだとか、何でもいいから理由をつけて牧さんに触れたかった。
とりあえずもっと近づこうと仙道が腰を浮かしかけた時、牧が仙道の腕を掴んだ。
「明日、部活が終わるの何時だ? 俺も一緒に行く」
「えぇ? い、いや、気持ちはありがたいけど、一人で大丈夫ですよ」
「何時なんだって聞いてんだよ」
酔っ払いらしい、少々ドスのきいた声音が頼もしくもあり、ちょっと怖くもある。やはりいつもと違うと思いつつ、牧の睨むような視線に気圧されて仙道は目を泳がせた。
正確な時間を言えば本当に来てしまいそうで、とりあえず嘘をつく。
「明日は何か行事あるらしくて、講義も全部休みだし、体育館も使えなくてミーティングだけなんすよ。だから午前10時くらいかな。牧さんは午前中ビッシリ講義入ってんでしょ? ホント、その気持ちだけで十分ですから」
「……講義はサボる。明日は一緒にお前の大学に行く。ミーティング終わるの待っててやるから。いいだろ?」
「そ、そんなぁ。牧さんいつも言ってるじゃない。サボるのは何事も良くないって。どうしちゃったの? そんなに心配することじゃないのに」
珍しく我を通そうとする牧に驚いて仙道が目を丸くする。その様子に牧は不満げな表情を隠したかったのか俯いてしまった。

近くに寄りたい。あわよくば前に一度だけ触れた髪や頬にもう一度……なんて。そんなどころではなくなってしまい、仙道は随行したがる牧を、どう説得してあきらめてもらうかを必死で考えていた。
実は仙道は牧の提案した奈美と別れる方法を実践する気は全くなかった。あの時は面白い案だし、牧がそれを実行することを望んでいるのがありがたくて話にのった。否。のったフリをしていたというのが正しい。
あの場では納得してみせたが、やはり僅かでも牧に不利となる種になりそうなものは蒔きたくないから、自力でどうにかする決意は最初から変えていなかった。
もしここで牧が寺澤に会えば、牧は当初のシナリオを実践してしまうだろう。そして万が一にでも、あのケンカっ早い寺澤が牧を殴りでもしたら……仙道は退部も部の活動停止も忘れて寺澤を半殺しにしてしまうだろう。そうなれば今度は優しい牧が後悔する。だから絶対、牧と寺澤を直接会わせるわけにはいかないと仙道は決めていた。

どう言えば牧の親切心を傷つけずに断れるかと思案に暮れていると、牧が俯いたままで話し出した。
「……長説教ってお前は軽く言うけど。寺澤なんて絶対、酷い言葉の暴力を浴びせてくるに違いない。下手したら腹の一つや二つ、殴られるかもしれないんだぞ……」
思わず、『流石牧さん、鋭いっすねぇ! 実はもう今日も二発蹴られてきましたよ〜』と拍手したくなるのを仙道は堪えた。
「やだなぁ。一応寺澤も主将だから、直接手は出してきませんよ。大丈夫」
ケロリと笑って嘘をついたけれど、続く牧の声音は暗いままだった。
「俺……お前に助けてもらったから。今度は俺が助けたいんだ」
「は? 俺、何かしましたっけ?」
小さく牧は頷いたが、仙道には全く身に覚えがないため首を傾げた。重たい口を無理に動かすように牧がぼそぼそと話しはじめる。
「……先月、ちょっと、その……嫌なことがあって。そん時、お前のメールに救われたんだ。俺はお前のように言葉が上手くない……タイミングを計るのもお前ほど器用にはいかない。でも何かされる前からいれば、俺だって役にたてるだろ」
何故かは分からないけれど、牧さんは酔いとは違う朱を頬に深めた。その様子に俺は慌てて牧さんの両肩を強引に掴んでゆすってしまった。
「何言ってんすか、ちょ、やめてよ。俺、あんたにそんな風に言ってもらえるようなもん書いた覚えもなければ、あんたが評価してくれるほど器用でも何でもないよ! それに、俺こそあんたに助けてもらってばっか……で……」
牧がゆっくりと面を上げてきて仙道を見つめてくる。色素の少し薄い瞳が琥珀のように透き通って美しい。朱色のしっとりとした唇と頬は精悍な普段の彼とは異なった妖艶な色香を刷いて、触れられるのを待ち望んでいる……ように仙道には映った。

「……仙道?」
僅かに首を傾げるだけの仕種が、誘われているようで胸が苦しいほど高鳴る。このままベッドに押し倒して唇を奪って、着衣の下へ手を滑り込ませながら強く抱きしめてしまいたい。もし、自分が本当に彼の恋人であるならば許されるその続きまでも。
しかし自分はあくまで、
「役……。俺は、あんたの恋人役、だよね」
かなり前にもこの距離、否、これよりも近い距離で彼と視線を重ねた時に唇を奪おうとしたことがあった。あの時は物音が自制のきかなくなっていた俺を止めた。でも今の俺は物音なんかじゃ止まらないから、牧さん自身に止めてもらうしかない。止めてもらうために、言った。最初は飛び上がるほど嬉しかったけれど、今では口にするたび寂しさと切なさで胸が切り裂かれてしまう『恋人役』という言葉を。
ひっそりと僅かに眉根を寄せた牧が訊ねた。
「そうだが……それと今の話とどう繋がるんだ?」
「だからさ、お互い水くさいこと言いっこなしでいこうよってさ。俺もあんたに一緒に来てほしい時は自分から言うから。それこそあんたが『甘えるな』って言ってもね。今回はホント、大丈夫だから心配しないで。終わったら電話入れるよ」
「…そっか。うん。そうだな。すまん、いらん節介やいちまった」
「ううん。愛されてるーって思えて嬉しかったっすよん」
「! そんな話してないぞ! このバカ野郎がっ」
「はっはっは。うんうん。そんなマジに怒っちゃイヤですよ〜」
照れ隠しというよりは、今度は本気で嫌そうに牧が口元を曲げたので、仙道は笑って牧の肩から手を放した。

机の上のアイスコーヒーに手を伸ばしている牧の背を仙道は静かに見つめながら心の中で繰り返す。彼の厚意で与えられた役を演じることが、彼に対する恩義に報いることになる。彼は完全な異性愛者。この人に出会うまでの自分がそうだったから分かっている。男が男に性的な意味合いで求められるのは、どれほど虫唾が走るものであるかを。
彼の側にいるためには、決して今以上の関係を望んではならない。分を越えてはいけない。期待してはいけないのだ。

牧に初めて出会った高校一年の時、嵐のように突然に、仙道は心臓を丸ごと奪われた気がした。一目惚れという言葉を当てはめるには、あまりに強過ぎた衝撃は今でも昨日の事のように思い出せる。
それまで男を恋愛対象と見たことなど一度もなかったが、過去がどうとかモラルがどうだとか。心臓を奪われた自分は生まれ変わった別の生き物になっていたから、そんなものはこの炎のような恋情の前には紙くず以下だった。
会えば会うほどに好きになっていった。声も姿も仕種も。何気ない表情も、闘争心を隠さない笑みも何もかも。僅かな会話から得る彼の人柄や、周囲から聞く彼への評価。どんな些細なことまでもが不思議に心惹かれるばかりだった。
しかし彼と付き合えるなど万が一にもないことは、恋に落ちた直後から分かっていた。だからこそ、公の場以外で会う事を極力避けてきた。会えば必ず欲が出る。欲は火に油を注ぐ。自分の理性を容易く焼いた炎が彼に襲いかかる怖さを思えば、個人的に会えようはずがなかった。
高校二年になって、彼に彼女ができたことを噂で知った。それでも自分は全く動くことはなかった。略奪愛だなんて、男の自分は仕掛けるべくもない。結果の知れた不毛な恋の一人相撲はしたくないというよりも、女性と同じ土俵に立とうとした時点で、同性愛者として彼に疎まれるのが恐ろしくて動けようはずもなかった。
バスケでの知り合いであり、ライバル。彼にとってはけっこういるその中の一人でいられればいいと満足するように努めていた。
そうして二年が過ぎる頃には、怯えは欲を薄めて、炎までも灯火へまで落ち着かせていった。この恋はこうして年月を重ねれば誰にも知られずに消えるはずだった。
それなのにもちかけられたダブルデートに参加してしまったのは……プライベートで牧と一日過ごせるという、一生に一度あるかないかのラッキーを味わってみたかったからだ。それで更に恋情が増したとしても、牧が恋人の女性と仲良くしているのを直接見てしまえば、いくらかあきらめもつくだろうと思ってのことだった。

「なのに……逆効果にもほどがあるよ」
つい惨めさが口からポロリと零れてしまった。しかし大あくびをしていた牧へは聞こえなかったようでホッとする。
眠そうに目元をこすっている、どこか幼さを滲ませた仕種に性懲りもなくまた胸は甘く疼く。それを誤魔化すためにわざと軽く訊ねた。
「牧さん、眠そう。俺、床にゴロ寝でいいっすよ。毛布か何か貸してもらえません?」
「あー……突然だったから客用布団とか用意してないんだよ。狭いけど俺のベッドで一緒に寝ようか。一晩くらい我慢出来なくはないだろ」
自分に都合のいいことばかりが牧の口から出たため、仙道はポカンとした表情で固まってしまった。
「……んな顔すんなよ。俺は寝相はいいみたいだから、蹴落とすことはないはずだ。大丈夫だって」
苦笑する牧に正気に戻った仙道が慌てて首を左右に振った。
「ぜ、ぜんっぜん平気っす!! そうですよ、一晩くらい! 蹴られても俺、落ちませんて! 落ちたとしても平気ですっ」
「だから落とさないって。あ、寝間着は…俺ので大丈夫かな。洗濯してあるしあまり着てないから、けっこうマシだと思うんだ。でも気持ち悪いか、人のって。そういえば新品のパーカーがあるけど」
クローゼットを開けてしゃがんで物色している牧に見えていないのが分かっている仙道は一人で万歳三唱をしていた。こんな激烈ラッキーが起こるなんてと、目から見えない歓喜の涙がほとばしる。
「俺、パーカーじゃ首が落ち着かなくて寝られないんで、ボロくていいからパジャマ貸してもらえるとありがたいっす」
「俺もパーカーで寝た朝は首が痛かった経験があるよ」
何度目か分からないあくびをしながら牧がパジャマを手渡してきた。

ダークグレーのパジャマは新品かと思うほど綺麗なもので、仙道は少々驚きながら広げた。
「これ、牧さん一回くらいしか着たことないんじゃないの? なんかもったいない……すんません」
「そんなの気にするな。それより着てみろよ。サイズの方が心配だ」
ベッドに腰かけた牧さんが普通に見ている。部室で着替えをしている仲間を見る顔で。意識する方が間違っているのだと自分に言い聞かせるも、どうにも照れくさい気持ちになる。少し牧へ背を向ける感じで仙道は着ていた上着類を全部脱いだ。
「お前って、けっこういい体してんのな」
何の気なしに放たれた自然な一言に、仙道は咄嗟にどう返せばいいのか困って、聞こえないふりをして急いで着替えた。
パジャマは身長が牧より6cmほど高い仙道には少しだけ丈が短かったけれど、他は全く問題なかった。「大丈夫そうだな」と言ったあとも牧の視線はまだ仙道に注がれている。
「あ……の、牧さん?」
「ん? あぁ……いや、俺のパジャマじゃないみたいでさ。やっぱり格好良い奴が着ると違うもんだなぁって」
「!! 何バカなこと言ってんすか!」
「あ、照れたな」
はははと軽く笑う彼がとても可愛いのに憎らしい。カッコイイのに可愛いのはあんたでしょと抱きしめて頭をぐりぐりしたくなる衝動を抑えるのが辛かった。

牧の着替えを見てしまえば、絶対欲情して一緒のベッドに入れなくなるため、仙道は涙をのんで自分の脱いだ衣服を畳むことで視線をそらした。
着替え終わった頃に顔を上げると、柔らかな風合いの淡いベージュ色のパジャマ姿の牧が目に飛び込んできた。
「牧さん……すっげー可愛い……」
思い切り怪訝そうな顔をされたけれど仙道はまた放心したまま口にする。
「すっげーすっげー可愛い……。そういう色、似合うって知らなかった……可愛い、痛っ」
うっとりとしているところでパカンと雑誌で頭を叩かれて我に返る。叩いた本人は耳まで赤くして睨み下ろしている。
「茶化すな。親が買ってきたんだ。仕方がないだろ」
「違うって! 本当に似合うって! 牧さんって肌が綺麗な褐色だから、そういうミルクっぽいベージュ色が、なんつーのかな、カフェオレみたいで美味しそうつか。いつものシックな色合いの服もそりゃ似合うけど、こういう色味も可愛くて似合うんだよ。ホントだって!」
「煩い! 寝言は寝てから言え。降りて顔洗いにいくぞ」
牧はからかわれたと勘違いして腹立たしそうに背を向けた。そして仙道が立ち上がるのも待たずに先に部屋から出ていってしまった。本当にそう思っていると、お世辞じゃないのだと納得してくれるまで言いたかったけれど、ご機嫌を損ねて一緒のベッドで寝るというビッグボーナスを逃すのだけは避けねばと大人しく後を追った。

「どうした? さっさと入れ」
先にベッドへ横たわった牧が布団をめくって自分を呼んでいる。以前と逆。こんな夢のようなことがあっていいのかと眩暈がしそうになる。自然に、なんでもないことをするように、さりげな……く、
「お、お邪魔します」
さりげなく言って自然にベッドへ入ろうとしたのに、思わずひっくり返って出た自分の声に自分で驚く。思い切り不自然なことを隠すため、急いでベッドにもぐりこんだ。牧がそれに合わせて更に壁へへばりつくように移動する。それでもやはり大柄な男二人がシングルベッドに二人というのは狭過ぎた。仙道は牧に直接触れないようにと落ちない程度にベッドの縁の方へ身を置く。
「……やっぱり無茶だったか。でも余分の布団は親の寝室の押入れにしかないんだよ。いくら眠りが深くても布団を出したりはなぁ」
「全然、ぜんっぜん、全くもって無茶じゃないっす。俺、寝相いいから落ちねぇんで気にしないで下さい」
頷きながらも何か気になるのか、牧がもぞもぞと身じろぐ。
「あのな……嫌だったら無理しないでいいんだけど……」
「何がですか?」
「もうちょっと、こっち寄って来てくれないか。背中、布団の隙間のせいで寒いんだ」
「!! お、俺も今そう思ってたんですよ。腹がスカスカ寒いなって!」

これで自分の一年分の幸運全てを使い果たすことになったとしてもいい。運命の女神の大盤振る舞いに仙道は素直に歓喜した。ここぞとばかりに体を寄せれば、ブラウンの柔らかな髪が美しい後頭部が鼻先に触れそうな位置。体の下側になっている右腕の置き場がなく、どうしても牧の背中に触れてしまう。
「ご、ごめん。どうしよう、背中に俺の腕があたって気になるよね」
「いや、平気だ。お前が楽ならそれで俺はかまわん。あったかいし。それよりお前の背中、しっかり布団に入ってるのか?」
「え? ……う、うん」
「……嫌じゃないならもっとくっついてもいいぞ。風邪をひかれちゃ困るからな」
もう五年分の幸運を使い果たすのかもしれないと思いながら、仙道は『ええい、ままよ!』ときつく目蓋を閉じると、牧へ腕をまわし密着した。
流石にこれには牧も驚いたようで、仙道の腕の中の体が一瞬硬直した。
「くっつけとはいったが、抱きつけとは言ってない……」
「そ、そっすよね。すんません」
慌てて腕を引っ込めようとしたところを牧の手が抑えた。
「まぁ、誰が見てるわけでもないし。このまま寝ちまおうか。これが一番あったかい体勢に間違いないもんな」
「うん…。すっげぇあったかいよ。それに牧さん、なんかいい香りするし気持ちいい……。天国にいるみてぇ……」
牧がフッと苦笑いを零した気配が伝わってくる。
「随分と狭くて安上がりな天国だな。香りはきっと、シーツやお前が着ているパジャマが洗いたてだからだと思うぞ。今夜来てラッキーだったな」
大あくびをした牧へ『あんたの髪や項から微かに香る、柔らかい体臭が好きなんだ。あんたの体の感触や体温まで感じられて、こんな贅沢な天国はないんだよ』と伝えたかったけれど、流石に正直に口にすれば引かれてしまうと自重した。
「俺、酒飲むと寝付き早いから先に寝ると思う。寝付いたらなかなか起きないから、眠ったと思ったら俺をもっと壁に押し付けて楽に寝たらいい」
「俺もすぐ寝付くと思うから……朝までこのままだったら、ごめんね」
またあくびをしながら牧が頷いた。そのまま、本当に落ちるように腕の中の体は力が抜けていき、ほどなくして静かで規則正しい寝息に変わった。よほど眠たかったのだろう、我慢して起きていたのが分かるほど速攻で眠りについた牧を仙道は少し腕に力を入れて胸に引き寄せた。

叶う事のないはずであった夢の状況にあるというのに、全く邪まな想いが湧いてこない自分が不思議で驚いていた。
しかし牧の柔らかい髪にそっと鼻面を寄せていて、気付く。あの炎のように悲痛だった恋は愛しさが増えるほど優しくなれる愛へ変われていたのだと。もてあましていた激しい恋情を深い幸せな形─── 愛へと変えてくれたのは、二人で重ねてきた、あのなにげない穏やかで短い、けれど深く静かな時間なのだと知る。
気持ち良さそうに腕の中で眠る人が、涙が出るほどに愛しい。
自分の持てる愛全てでくるみたい。この穏やかな眠りを守れる存在になりたい。大事にしたい。優しくしたい……。
胸に湧き上がるのは愛しさばかりで。こんな自分もあるのかと、満ち足りた微笑みを形作りながらも震える唇を、そっと褐色の耳朶へ落とした。もちろん、深い眠りの中にある彼を起こさないように、すぐに唇を離す。
「おやすみなさい」
静かに囁いて仙道は潤んだ瞳を閉じた。










*next : 11




背中合わせに寝ればいいじゃないねえ! もしくはベッドの布団を床に全部下ろすとか。
なんてツッコミをしてしまうのは仙道が羨ましいからです。激烈ジェラスィー☆


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