Fusion of souls. vol.06





 頭痛と共に目が覚めたシンイチは起き上がろうとして、すぐに止めた。今度は寝返りを装ってゆっくりと動いてみれば、己の両手は後ろで縛られ、両足首には鉄枷がはめられているのがわかった。左足側からのびる鎖は部屋の隅にある石炭ストーブの煙突に。右足側の鎖はノブナガがいるベッドの脚にぐるぐると巻かれている。ノブナガはさるぐつわを噛まされたまま、真っ赤な涙目でこちらを見ていた。
『怪我はないか?』
 人狼でも耳が特別良い者にしか聞こえないほどの小声で聞けば、頷くことでシンイチが目覚めたことを悟られぬようにノブナガは瞬きで応える。そのたびに音もなく涙がベッドへ染み込んでいく。
 泣かなくていいと言ってやりたかったが、無様に繋がれている自分が言ってもなお泣かせてしまうかもしれない。
『そうか。よかった』
 気を遣って言葉を選んだつもりだったが、かえって泣かせてしまった。

 シンイチは再び瞼を閉じた。気を失っているふりをしているうちに、薬のせいで鈍っていた頭はゆっくりと覚醒していく。今わかる範囲での現状把握が済んだので、次は脱出手段に頭を巡らせる。俺の両足の拘束は鎖だが、俺の両手とノブナガの両手足はロープだ。ロープであれば獣形態なら爪で切り裂くか牙で噛みちぎれる。ならば……と策を考えはじめたところで吸血鬼が近づいてくる気配を感じた。
「タフさしか取り柄のねぇ人狼が、んな程度の薬でいつまでのびてやがる。いい加減起きやがれ」
 尻を蹴られては無視もできず、今の衝撃で目が覚めたかのように、シンイチは少し驚いた顔をつくって振り向いてみせた。それから狼狽えたようにわざと周囲を見渡す。
(天窓以外の窓は家具で塞がれているのか。かといって出入り口のドア前にはまだ細工が残ってるだろうから……)
 吸血鬼はシンイチが黙しているため覚醒できていないと見たのか、今度は背中に蹴りを入れてきた。
「テメーの状況を教えてやるよ。これは俺の下僕に書かせたもんだ。テメーをおびき寄せるためにな」
 ノブナガが持っていたはずの封書を金髪の吸血鬼はシンイチの眼前でヒラヒラさせてから、封筒ごと破って散らせた。
「俺を?」
「味見させろとアキラにかけあえとコリンに何度か打診したが、あいつは牙抜けな上に腰抜けでな」
 椅子に座っている黒髪と茶髪の吸血鬼が声をあげて笑った。シンイチは三人を睨みながら吐き捨てる。
「こんなまわりくどいやり方で捕まえなくても、俺が一人の時に拐えよ」
 単細胞の人狼は話になんねーなと黒髪が呟くと、再び下卑た笑いがおきた。
「万が一、他の奴に見られてアキラにチクられんのも。まかり間違って俺たちがアキラみたいに珍獣に入れ込んだと誤解されんのも迷惑なんだよ。いくら珍味で毛色が珍しかろうとなあ」
「それなら洗脳すれば良かっただろ。俺からお前たちのところへ行くように」
「ごちゃごちゃ煩ぇ野郎だな。そうそう洗脳なんて上手くいくかよ、バカが。だいたい洗脳するには近距離までテメーを引っ張ってこなきゃなんねぇ、二度手間だろが」
 神経質そうな面立ちの金髪が荒っぽくベッドの脚をガツガツと蹴る。古そうなパイプベッドはそのたびに軋んだ悲鳴をあげる。
「まあそう怒んな。人狼なんかに守護契約かけてやるような、化け物でキチガイなアキラに飼われてんだ。常識が通じなくても不思議じゃねぇだろ」
 間に入ってきた、いくらか話ができそうな黒髪の吸血鬼へシンイチは、物知らずを装って尋ねた。
「俺はそんな契約を聞いたこともないし、かけられた覚えもないぞ? 大体、守護契約がかけられてるのなら、何故俺は捕まってんだよ」
「バーカ。魔法すら使えない人狼ごときがわかったような口きいてんじゃねぇ。守護契約ってのは、刃物も銃も魔法もテメーには効かなくできんだ。けどテメーが大怪我を負ったら、その現在地がすぐアキラにバレるってやつだ。そんなクソむずい上級契約を一人で結べんのは、能力も体力も化け物なアキラくらいなんだよ。普通は十人くらいで一人の吸血鬼にかけるもんなんだ」
「それほど大変な負荷のかかる契約を一人で俺に……」
「まあそんだけお前の血が美味くて独占したいってこったろ。それにしたって守護契約とは豚に真珠もいいとこだぜ」
 鼻で笑う黒髪に、上手い例えだと他の吸血鬼が嘲笑を重ねた。
 シンイチは以前、アキラに質問したことがあった。コリンとの件以降、新たな契約を結んではいないかと。答えをはぐらかされたから小さな契約は結んでいると思ってはいたが、まさか上級という負担が大きなものを一人で行っていたなんて。しかもその対象が自分であったと知ったシンイチは、密かに動揺し指先を震わせた。

 シンイチが項垂れ黙してしまったので、また金髪が乱暴にベッドを一蹴する。
「のんきに化け物の心配をしてる場合かテメーはよぉ。魔法と刃物と銃が効かなくても、それ以外の物理的な暴力は効くんだぜ?」
 金髪はボクシングのようにパンチを数発、空に打って残忍な笑みを浮かべた。
「その獣臭いやつと一緒に獣体になって暴れられたら面倒くせぇな。そいつを先にノシてから……あれ? なんだこいつも何か……」
 吸血鬼がノブナガの前に手をかざすと、アクアマリンに光る文字らしきものが浮かび上がった。男は舌打ちして手を振り打ち消す。
「こんな奴にまで……全く理解できねー。この珍獣が死んだ時用の予備の食料なのか? それにしたって趣味が悪すぎんだろ。こいつなんて狼と大差ねぇ獣臭さだろうが。見た目だってやぼったいしよぉ」
「こいつにも俺と同じ守護契約が結ばれているのか?」
「バカかテメー。何人に自分の命を分けんだよ。こいつのは中級レベルだから、大怪我を負うとアキラに位置がわかるだけで、痛めつけ放題なんだっつの」
「いやいや、上の下だ。下級種族相手と単独契約なんて、お前ひとりじゃムリだろ。俺はできるけどな」
 黒髪に笑われた金髪が「煩ぇ、黙れや。焼かれてぇか」と威嚇する。
「なあ、ここがバレるとやっかいだぞ? こいつもすぐには殺せねえなんて聞いてねぇぞ、面倒くせぇなあ……」
 ブツブツと文句を零す茶髪の吸血鬼の手から金髪がワインを取り上げようとして、口論がはじまった。
 予定が微妙に変わってきて苛つきはじめているのを三人とも隠そうともしていなければ、計画を練り直そうと提する者もいない。プライドが高いだけの烏合の衆だと簡単に見抜かせるほど、結束感がまったく感じられない。吸血鬼は個人主義が多いとアキラが言っていた。元戦士であり隊長も務めていたシンイチの目には、彼らの未熟さなどを差っ引いても大変愚かに映った。
 またアキラの現状を知らない彼らにとっては、今だにアキラは驚異的な能力者であり特別危険な存在なのが伝わってくる。もしもアキラがこの場に現れれば、奴らは戦うこと無く我先にと逃走するだろう。
 だが肝心の呼び出す手段が……。俺にかけられている守護契約を使えば即解決だが、大怪我で大量失血すれば、今の衰えた俺の体はショック死しかねない。良くて植物状態か脳死がせいぜいだから、ギリギリまでこの手段は避けたい、となれば……。

「もういーって。どっちも殺さなきゃいいだけなんだから、さっさと始めようや。珍獣の味をみてから失神させて、まとめて使い魔に隣国の湖にでも沈めさせりゃいいんだ」
「湖に捨てたら死ぬだろが。殺せねーんだから幽閉だ、幽閉。予定変えんなよ」
 喋りながら自分のベルトを外しだした黒髪の吸血鬼の足元へ、ワインを飲んでいた茶髪が空瓶を投げつける。
「おい、なんでお前が一番先にやる気なんだ。お前が一番何もしてねーくせに」
「俺が一番系譜がいいからに決まってんだろが。言われねーとわかんねぇのかよ」
「待てや。そんなら俺だろ? お前んとこの従兄弟が去年にクオーターの女を娶ったの知ってんぜ?」
 順番やこれからの算段でまたも意見が食い違い、三人は再び言い争い始める。
 その間にシンイチは壁に背をもたれて深く俯いた。諦めきった体を装うことで己の口元を彼らから隠し、ノブナガにのみ届く、ほぼ無音の声で話しかけるために。
 シンイチの意図を察したノブナガは自分の目を吸血鬼たちに見えない位置にすべく、身じろぎを装って少し体を斜めにした。
『お前の猿ぐつわを外すように交渉してみる』
 唇を開けもしないノブナガは眉をしかめて無理だとうったえてくる。
『俺があいつらに、お前の舌でケツをほぐされた俺にツッコむやり方が一番具合がいいとアキラが言っていたともちかける』
 とんでもない卑猥な嘘にノブナガの目が驚きに丸くなった。
『それを真に受ければ、両手足を縛ってるからと油断しているあいつらは、お前の猿ぐつわをはずすだろう。お前は俺の両手の縄が見えたら、俺へ飛び込んで牙で切り裂け。加減などいらんから一瞬で力一杯やれ。手首が多少傷ついてもかまわん。俺は自由になった手でお前の手足の拘束を割くから、獣化させた足で天窓へ飛びぶち破って外へ出ろ』
 マキさんを残してなどいけないと必死に目でうったえるノブナガを無視し続ける。
『足を獣化させるために必要な数秒間、あいつらの意識は俺に集中させる。お前はなんとしてもここから出てアキラに知らせるんだ』
 ここからアキラの城まで人狼最速を誇るノブナガの全速力でも一時間半はかかる。しかもこれほどの晴天では窓を塞いだ馬車を使わないとアキラは外へ出られないのではと、ノブナガが考えそうなことを予測していたシンイチは目元で笑ってみせる。
『あいつは必ず、どんな手を使ってもすぐに駆けつけて俺を救う。ノブナガ、これは命令だ。お前はアキラを呼びに行け』


 言い争いに間があいて険悪な空気が漂う中。シンイチはゆっくりと、気だるそうに顔をあげて吸血鬼たちへ話しかけた。
「なあ……。俺は血を吸われたら、毒で抵抗もできず輪姦される。だから……ヤるなら痛くしないでくれ」
「はあ? テメー自分の立場わかってなさすぎねえ?」
「俺としては無念極まりないが、観念した以上は言わせてもうらう。毒がまわっていてすら俺が痛みを感じるってことは、尻穴まわりの筋肉も中も硬いってことだ。そんな状態で突っ込んだらお前らだって痛いだけだぞ。下手すりゃ入りもしないだろうな。どうせヤるならお互いスムーズに、ヤってる間くらい気持ちよく楽しんだ方がいいだろ?」
「おいおい……とんだド淫乱だぜこいつ。さすが、化け物をトリコにしただけはあんな」
 下卑た嘲笑を受けながらもシンイチが妖艶な薄笑いを浮かべると、吸血鬼たちが黙った。
「だからといってお前たちは、人狼ごときに前戯の手間などかけたくはないだろ。そこで提案なんだが」
 最初は聞く耳ももっていないようだった吸血鬼たちが、シンイチが誘うように語る卑猥な提案の数々に興奮して喉を鳴らしはじめた。縛られ横たわっているだけのノブナガにまで、いやらしい視線が品定めするように這わされる。
 ノブナガは視線から逃げるように硬く目を瞑ると、噛まされている硬い布をがっちりと噛みしめた。
(マキさんがこんなにドエッチなつくり話をできる人だったなんて……。しかも俺がとんでもない舌技のテクニシャンになってっし。いや、これは俺に価値をつけて無意味に痛めつけないためであり、計画のために頑張って慣れない嘘や演技をしてくれてんだ。センドーさんにそういうことされてんのかなとかゲスな邪推なんてしませんよ俺は! ああでも両手が使えていたなら耳を塞げたのに……)
 頭の中で自分とセンドーさんがマキさんを抱くような絵面が浮かびそうになるたびに、作り話で失礼な想像すんなと己を叱咤しながら。ノブナガは靴を履いた状態で出来る範囲の足の獣化をじわじわと進めた。

 提案という名の淫蕩なつくり話にすっかり興奮した吸血鬼たちは、瞳を興奮で赤く燃やしながら、ノブナガのさるぐつわだけではなく腕の拘束まで解くという、シンイチの計画以上の油断までも冒した。話が長かったおかげで十分にノブナガの足は獣化直前の状態までもっていけていることも知らずに。
 横倒しの状態でシンイチはスラックスを膝まで下ろされた。茶髪の吸血鬼はノブナガの後頭部をつかむと「さっさといい具合にしろよ」と舌舐めずりをしながら乱暴に牧の背後へと転がした。ノブナガはすぐさまシンイチに飛びついて両手の拘束を鉤爪で引き裂くと、己の足のロープを引き裂きざま両足を獣化させて跳躍し、天井の窓をぶち破って飛び出した。


 狼となり全速力で駆けるノブナガの目尻から涙が後方へと飛び去っていく。吸血鬼たちが追って飛んでくる気配はない。
 一時間半もかけてセンドーさんを呼びにいく間に、マキさんは三人もの吸血鬼から吸血されて失血失神してしまうだろう。いや、それよりも吸血時に注入される毒が三人分もだなんて、中毒死だってあり得る。どちらにせよそうなる前に輪姦されるのは確実だ。
(一人くらい追ってきやがれってんだ! チクショウ、んな長い時間マキさんを一人にできっかよ!)
 どの程度が大怪我なのかはわからないが、最悪自分が失血で死んだとしてもセンドーさんは異変に気付いて、すぐにマキさんのもとへ向かうはずだ。
 出入り口がある入場門が見えたところでノブナガは来た道を引き返し、監禁されていた建物の裏へまわりこんだ。
 鉤爪で切った指先から滴る血で、マキがこの中で三人の吸血鬼に襲われていると壁に走り書いた。そして獣化の際に脱ぎ捨てた上着を拾い手早く丸めて自分の口に深く突っ込むと、躊躇なく己の左手首を右の鉤爪で骨ごと掻き切り落とし、その勢いで首の動脈も掻き切った。
 すぐに涙と鼻水で鼻腔が塞がったため鼻呼吸ができなくなる。絶叫の消音と痛みのショックで舌を噛まないよう固く丸めてつっこんだ布を固く噛んだまま、痛みと呼吸困難で痙攣していると天窓から獣の咆哮が轟き、それに重なるように三人の吸血鬼たちの怒声が聞こえてきた。
(マキさんのこんなに激しい怒りの咆哮は聞いたことがねえ。加勢しなきゃ)
 立ち上がろうとしてバランスを崩し、ノブナガは顔から地面に落ちた。気は急いているのに体がいうことをきかない。失血で痛みの感覚は減ったが、酸素不足もあり平衡感覚を失ってしまっている。
(なにやってんだ俺! マキさんが危ないのに!)
 痛みではない涙で大きな血だまりが歪んで見えた。そこに突然、黒く巨大な影が映った。



*  *  *  *  *  *



 両手が自由になったシンイチは足に繋がれている長い鎖を、獣化させた両腕で思い切り自分へむけて引っ張った。右足側が括り付けられている、さきほどまでノブナガがいたベッドがシンイチのいるベッドに激しくぶつかって斜めに乗り上げる。左足側の鎖が巻かれた煙突はストーブと接続部の壁から外れて宙を飛んだ。煙突付きの鎖をそのまま力任せに振り回し続けると、吸血鬼たちは一旦部屋の四隅へと散ったが、目配せしあうと怒声をあげてシンイチへ一斉に飛びかかった。
 激昂し瞳を更に赤く燃やした吸血鬼たちにシンイチは再び、今度は鎖で後ろ手に縛られて殴打され、腹も散々に蹴り上げられた。床に血と胃液混じりのコーヒーを吐いたところでやっと、己の服が汚れると三人は蹴るのをやめた。

 吸血鬼たちの荒い息遣いとシンイチの咳込みが止まると、室内に奇妙な静けさが訪れた。
「……おい、どーすんだよ。一匹逃げたぞ。追って幽閉しなくていいのか?」
「どうせ狼になってアキラを呼びにいったんだろ。あの跳躍の早さじゃ今更追うだけ無駄だ。アキラがいる城まで片道二時間以上はかかるんだ。あいつの足を考えて二時間を切るにしても、時間はまだある」
 黒髪の言葉に金髪が「こんな手間までかけたのに、顔に泥塗られたまま手ぶらで帰れっかよ」と瞳を怒りにギラつかせながら、己のベルトを外してファスナーをおろした。
「面倒だから最初に決めた順番でいいぜ。お前らは左右から吸えよ。俺はお前らの毒がまわったこいつのケツを使ってから吸う。毒がまわりゃほぐしてなくたって押し込めば入るだろ。アキラに散々仕込まれてんだから」
「具合良かったら教えろよ。俺もヤる」
「へっ。お前は男になんて勃たねぇからヤんねー、吸血だけって言ってたくせによ」
 両手足が使えない状態で頭部を獣化させても、吸血鬼と3対1では撃退などできはしない。三人分の毒がこの弱った体にまわれば精神が破壊されるのは確実だ。強姦による肉体の損傷のみならば回復も見込めるが、精神は壊れたら終わりだ。どのみち毒で死ぬか廃人コースしかないのなら───。
(お前が辿り着くより先に逝くかもしれんが許してくれ、アキラ)
 残忍な笑みを交わし終えた三人が近づいてきて、シンイチは覚悟を決めた。
「アキラが来るまで失神した珍獣でせいぜい遊ぶがいいさ。お前らが蔑む狼頭のな」
 シンイチは言い捨てるなり頭部のみ狼に獣化し首を捻ると、己の左肩を食いちぎった。返す牙で右肩までも。興奮と激しい痛みに放たれる咆哮に三人分の吸血鬼の怒声が混ざる。
 金髪の吸血鬼は黒髪の吸血鬼に腕を伸ばし、その胸元に手をつっこんで銃を奪った。
「やめとけ! 殺したら次は俺たちがアキラに殺されるぞ!」
「うっせえ! ここまでコケにされて生かしてられっかよ!」
「コイツが怪我したのはもうアキラに伝わっちまったはずだ。逃げんぞ!」
「アキラに知れてんだから、鉛玉で殺したって同じじゃねぇか」
「両肩の怪我くらいじゃ死なねえだろ、タフな下級種族だぞ。置いときゃ少しは時間稼ぎに……あーもー、勝手にしろや。俺は逃げるからな!」
 狼狽えながら血まみれの人狼を見ていた茶髪の吸血鬼が、言い争う二人へ顔を向ける。
「おい……こいつはもう失血で死ぬぞ。全然血の勢いが弱まらねえし、痙攣しだした。見ろよ、マジでやばいぜ……」
 三人の視線の先で数度大きな痙攣で体を跳ねさせた人狼は、ガクンと一段首を深く落として静止した。
「……なんなんだよ……血管に膜をはる程度の回復力もねえとかあり得ねぇだろが。人間じゃあるめぇし」
 己の血の海で項垂れたままの人狼からは呼吸をしている様子も感じられない。
「……どっちみちここまでアキラが来るのも時間の問題だ。逃げ……?!」
「なんだ?! 足が……なん……動け……ね……」
「え、ヤバ。な……え……が」
 逃げ出そうと踵を返した三人は、薄く赤黒い膜のようなものに足元から覆われて動きを絡め取られていく。膜はすぐに頭部まで包み込んだ。
 指一本動かせないまま空気と完全に遮断された吸血鬼たちは、叫ぶこともできぬまま酸欠で仮死状態に陥った。


*  *  *  *  *  *


 アキラの行動は全てが迅速だった。契約が消えた感覚でノブナガの異変と現在地を察知すると、遮光製のカーテンで全身を覆った。詠唱をしている間にもシンイチの契約が侵されてアキラの両肩から血が噴き出したが、かまうことなく唱え続けてVampiiri kapriisまで高等魔術で一気に飛んだ。
 到着した先で、血溜まりの地面に蹲っているノブナガを見つけると、口に噛んでいる布を外してやり呼吸を確保した。
 咳き込みながらも、吸血鬼たちに襲われているマキさんを救ってくれと泣きすがるノブナガへ簡易な止血と接骨の術をかけながら説明をする。
「ここに来るまでの間に、シンイチの半径5メートル以内の生命体を仮死状態にする魔術をかけた。シンイチは…………シンイチは必ず呼び戻す」
 切断されていたノブナガの左手首が再びつながったのを確認し、アキラは立ち上がったが、その場で両膝を折った。
「センドーさんっ!?」
 口から大量に黒紫色の血を吐いたアキラは地面に両手を着いた。その手首にも黒紫の血が伝っていることで、アキラが両肩を酷く負傷していると知り、ノブナガは激しく動揺した。黒い服や自分の血のにおいで気付けなかったが、彼はここに辿り着くまでに新たな敵と交戦でもしてきたのだろうかと。
 周囲を警戒したノブナガは獣化しようとしたが止められた。
「だ……大丈夫。シンイチは絶対に助けるから。ノブナガくんは自分の手首がしっかりくっつくまで安静にしてて。多分俺の術は長くは持たない。自分の治癒力上げてなんとかして」
 アキラは消え入りそうな声で伝えると、ノブナガが止める間もなく屋根へと飛んだ。

 屋根の上でアキラが詠唱をはじめると、巨大な黒い魔法陣がノブナガが破った天窓の真上に作られた。詠唱が終わると魔法陣は雷のような轟音を発しながら漆黒の無数の槍に変化した。それらはアキラに導かれるように、天窓から飛び込む彼と共に降り注いだ。
 ノブナガは失血で朦朧とする頭を気力で奮い立たせた。外付けの非常階段を使って半壊している屋根にのぼって、貧血で落下しないように膝をついて覗き込んだ。
「なんだよここ……」
 自分がいた時とは全く別の部屋─── 否、異質な空間に変わっていることに驚愕して息を呑んだ。
 全ての家具はほぼ壊滅状態で壁際に散乱し、一部を除いて床は穴だらけ。しかしその惨状の原因の漆黒の槍はどこにも見当たらない。それを不思議がるよりも、水色の光が脈打つように明滅している室内の不気味さに鳥肌が立った。床には半透明の赤黒い膜に包まれた三人の吸血鬼たちが、まるで水底に沈められた遺体のように転がっている。それらにも槍が貫通した痕跡がいくつも空いていた。
 変わり果てた室内で唯一シンイチとアキラを中心とした半径2メートルの空間だけが、槍が降った形跡もなく、奇妙な水色の光も及んでいなかった。まるで透明の円柱の中で二人だけが守られているようにも見える。しかし頭部だけ狼に変化しているシンイチの両肩部分は失われていた。皮一枚で両腕がかろうじてつながっている傷の状態から、吸血鬼にやられたのではなく、自傷したのがわかる。
 仰向けに寝かされている全身血濡れのシンイチの腹に、アキラが額をつけて両手足を床についている。耳を澄ますと詠唱している低い声が聞こえてきた。
 命の気配がアキラ以外室内に感じられないことや、肌を刺すような異質な禍々しさと恐怖感にノブナガの全身の毛が逆立つ。
(失血失神に決まってる。何を縁起でもないこと考えてんだっ。きっとセンドーさんはマキさんの治癒力を上げる魔法か何かをしているんだ)
ノブナガはアキラを信じてシンイチの回復を祈りながら、邪魔にならないように息をひそめて食い入るように見つめるしかなかった。

 長い長い詠唱がやむ頃には、先程まで室内に満ちていた水色の光の明滅は暗い濃紺の光に変化していた。その毒薬めいた光が底面に沈殿すると、徐々にどす黒い血のような色の文字の羅列を形成し空中を漂いだした。濡れた髪が燃えるような異臭の強風が渦巻き、血文字の羅列をまとめあげると、シンイチとアキラがいる空間を主軸にして闇色の輪をつくった。輪はどんどん回転を早めていく。
 床に倒れていた三人の吸血鬼や室内の家具は闇色の高速回転する輪に引き込まれて、台風に飲み込まれ分解されるように粉砕され消えていく。ノブナガがしがみつく欠けた窓枠も引っ張られているようで、手にビリビリと振動が伝わってくる。
 それでも輪の中心のアキラたちだけがガラスの円柱に守られているように、無風で変化はなく見えた。
 やがて二人以外に室内には何もなくなった後。輪の回転が止まると、黒く太くなった輪は三つに分裂し、赤い三本の雷のような細く鋭い光に変わった。それらは急に暗い室内を縦横無尽に、まるでこの世の全てへの怒りをぶちまけるような荒々しさで駆け巡った。時折ぶつかりあっては火花をあげていた赤い雷光は、徐々に勢いを弱めアキラたちの上空に集結すると一本の赤黒い槍となって天を指した。そのまま飛んでいくのかと思ったが、槍は空中で微動だにせず、まるで天から見えない糸で吊るされているようだった。
 しかし突如プツリと糸を切られたように矛先を下方に向けた槍は、急降下してアキラの後頭部とシンイチの腹をまとめて一瞬で刺し貫いて消えた。


 ノブナガは何が起きたのか全く理解できず、静まり返っている室内を凝視したまま叫び声をあげることすらできなかった。
(なにが……おきたんだろう……センドーさんはマキさんを助けようとしてたんじゃないのか?)
 透明な円柱は赤い雷光の槍になったのと同時に消失していた。そのせいで槍は二人を刺し貫けてしまった……ように見えたけれど、実際は槍ではなかったのだろうか。確かに貫通したけれど、穴も空いてなければ何も……目をこらしても二人に変化はみられない。
(落雷のようなものだったんだろうか……。わからない。何もわからないけど、なんでもいいから、これでマキさんは助かるんだろ? 突っ伏してないで早く教えて下さいよセンドーさん……)

 どれくらい長いこと動けずに見つめていたのかわからない。だがゆるやかに室内の空気からは緊迫感が消え、部屋は見慣れた色に戻った。それでもアキラもシンイチも動く気配は全く感じられない。
(なんで動かないんだ? ……まさか…………まさか二人とも……そんなはずは)
 急に恐怖に襲われたノブナガは己の怪我も忘れて飛び降りた。即席でつなげられた手首が衝撃で痛んだが、かまわず駆け寄る。
「マキさん。センドーさん。あのっ。……あの、俺の声が聞こえますか……?」
 声をかけても全く反応がない。
「マキさんは助かったんですよね? ね、センドーさん……?」
 恐る恐るアキラの肩へのせたノブナガの手はその肩を抜け落ちた。
「え?  う、うわああ!!」
 触れた場所からアキラの全身は灰に変化して崩れ落ちていく。床に積もる灰は天井の穴からこぼれる淡い光があたる部分から消えていってしまう。直射日光ではなく、ドーム内の光石や蝋燭が作る、吸血鬼にも無害な光なのに。
 慌ててノブナガは右手で灰を日陰へかき集めようとしたが、それらも触れるそばから消えていく。
「ど、どうして。どうしよう、わ、ああっ……」
 動くほど灰が失われてしまうため、ノブナガは硬直するしかなかった。


 全く触れること無く、息すら潜めていても灰は結局全て消えてなくなってしまった。
 ノブナガは絶望で愕然としていたが、生き物の呼吸音を感じてのろのろと首だけ振り向いた。
「光ってる……再生が始まってる!!」
 頭部はすでに人型に戻っており、失われていたシンイチの両肩やその先はまばゆい光を放ちながら再生しはじめていた。
「マキさん、マキさんっ……!!」
 無意識でシンイチへと伸ばしかけた手を寸前で止める。また自分が触れることでシンイチまで崩れてしまうのではと恐怖が先に立ったからだ。
 ノブナガはまたもただ涙ながらにシンイチが完全に回復して目を覚ますのを祈り、待ち続けるしかできなかった。




















*next : 07







シンイチが咄嗟にエロ話が出来たのは、使い魔が拾いアキラへ贈った人間の書いたエロ小説をアレンジしたから(笑)
ソレを覚えちゃうようなことをアキラと実際に行ったかは、ご想像におまかせしますv


小説で説明する機会がなかった補足設定をちょっとご披露します///

<その1>
人狼形体から獣化するのは頭部により近いとこの方が早い設定です。頭>上半身>下半身。足が一番筋肉量が多くて時間がかかるのです。
<その2>
アキラの両肩から血が噴き出したのは、守護対象者の負傷のいくらかを術者も被る(それによって守護対象者への被害は少々減少)ことは、三人の吸血鬼たちも知りません。自分たちが使えもしない術のことは詳しくないのでした。
<その3>
アキラがドーム内でも遮光布を被るのは、弱った体で魔術を使いすぎている(瞬間移動)ため、直射日光以外の光に少しでも体力を削られないためです。

私と同じく設定萌えのある方に楽しんでもらえたら幸いです……///


※背景素材はNEO HIMEISM様からお借りしてリピート用に描き足し加工しました。