Fusion of souls. vol.05






 ノブナガが立つ出入り口前にも、等間隔で植えられている街路樹の下には様々な秋の花が咲き乱れている。少し離れた位置にある吸血鬼専門の出入り口前は、それよりも明らかに豪華な花々や洒落たオブジェが飾られているのが見えた。
「……すげぇ……世界が違う……」
 眼前に広がる、隅々まで計算されて作られている美しい商業施設や闊歩する人々の立ち居振る舞いなど、全てに圧倒されてしまった喉からは掠れた小声しか出なかった。
 事前にセンドーさんに『一番上等な服を着てったらいいよ』とアドバイスはもらっていた。だから自分なりに身なりは整えたつもりだったけれど。この服装で街を歩いていいのだろうかと、急に不安に襲われて足が動かなくなってしまった。
「かなりかかったな。お疲れ」
 入場許可証を持っているためすぐに通されたシンイチが、入場門近くの花壇に囲まれた噴水がある区画のベンチから小さく手を上げてきた。おかげで硬直がとけたノブナガはシンイチのもとへ一目散に駆け寄った。
「マキさんっ! 良かったっすマキさんがいてくれて……!」
「何だ急に。今の今まで俺の存在を忘れていたくせに」
「だ、だって。花の香りがすごくて鼻が効かなくて、マキさんの気配がわかんなかったすもん。ねえマキさん、俺大丈夫かな?」
「何が?」
「この格好で……」
 洗ってアイロンをかけた白シャツに紺色のスーツ。古いが磨いてきた革靴を履いている自分をノブナガは見下ろした。
「ああ、いいんじゃないか。こざっぱりしてて」
 朗らかに返す相手を改めてよく見れば、黒地に灰色と藍色の細いストライプが施された上質な三つ揃えのスーツに紺色の洒落たネクタイ。控えめな光沢が美しい灰色のシャツ。高級そうな内羽根式のプレーントゥは艶を放って足元を飾っている。髪型はゆるめのオールバックで艷やかに整えられて決まっている。明らかに上質でフォーマルな隙きのない装いにノブナガの血の気が引く。
「浮かれてて……俺、マキさんのスーツとか髪型とか意識してなかった……」
「俺の? これはアキラの見立てなんだが。似合わないか?」
「すげー似合っててめちゃくちゃ格好いいっす。けどそーじゃなくて……。俺もせめてネクタイくらいしてくればよかった……」
 下唇を噛んで俯いてしまった義理の息子へ、シンイチは己のネクタイを解くと手渡しながら笑った。
「これでよかったらするといい。ネクタイをしていない人もけっこういたぞ? 建物内は暖かいからだろうな、シャツの第一ボタンを外していた人も見たな。さあ、せっかく来たんだ。待ち合わせ時間までかなりある。店のひとつやふたつ覗いてきたらいい」
「ありがとうございます、ネクタイお借りします……。あの、どっかでネクタイ買いたいっす。売ってる店知ってますか?」
 ノブナガの質問にシンイチは少し眉根を寄せて腕を組んだ。
「知ってはいるが……価格帯がお前には向かないような。俺ですらアキラがいないと、少々敷居が高い」
「ヒイイイィ! いいです、いいです、すんません、今のなし! 帰りましょう!」
 青くなって回れ右をするノブナガをシンイチは呆れ顔で止めた。
「待て待て。なんのために長い入場チェックに耐えたんだ? 母親を語る者と会う前に尻尾を巻いて逃げてどうする」
「あ……」
 ノブナガの肩をポンと軽く叩くと、シンイチは中央通りではなく右の商店街へ顎を向けた。
「あっちには従者の休憩所や飲食店がある。吸血鬼は基本的に利用しないから中央通りほど華々しくはないが、地方の珍しい雑多な物も売ってる店もあるぞ。行くか?」
 縦にぶんぶんと首を振るノブナガの気持ちもわかるため、シンイチは笑いに歪む己の口元を片手で隠した。


*  *  *  *  *  *


 運ばれてきたアイスコーヒーを一気に半分ほど飲み干したシンイチは、背もたれへ背中を深く沈めた。
「……俺は疲れた。当初の予定通り、あとは一人で見てまわれ。何かあったら躊躇せず遠吠えしろよ。人型での発声方法は知ってるだろ」
 狼の遠吠えは数キロ先まで届くため、下手な笛などより確実だ。ノブナガは生クリームを山と盛ったふかふかのパンケーキに琥珀色のシロップをかける手を止めた。
「遠吠えはできます。けど、マキさんと一緒にまわりたいっす。ねえマキさん、なんかここ、人型形態の魔物や不死者しか見かけないすね。ゴブリンやグレンデルなんて商売っ気もけっこうあんのに、こんな大きな商店街で全然見かけないのは何でかなぁ」
「来たがってた割に全然予習してないのか」
「しましたよぅ。40年前、人間が作ったこの美しい巨大ドームを気に入った吸血鬼が、珍しく30人ほどの徒党を組んで人間皆殺しにして奪ったんでしょ。で、数年くらい住んだけど、飽きたとか諍いが起きたとかで出てっちゃって。そこをエルフとなんだっけ……。えと、彼らが借りて手を加えて今の商業施設に」
「俺に説明はいらん、知ってる。ここは20年前から吸血鬼も出入りするようになったろ。それで彼らの好みに合わせるため、人型や人型になれる見目もそう悪くない者しか業者といえど出入りさせなくなったんだ。だから出入り口も天井はさほど高くはなかっただろ」
「へえ〜。金ヅルに合わせてそこまでしちゃうなんて。すげーすねぇ」
「もっと詳しく知りたかったらここの紹介が載ってる土産本でも買え」
 頷きながらパンケーキを美味しそうに口いっぱいに頬張るノブナガに、シンイチは目を細めた。優しい眼差しをうけて、照れくさいのにノブナガの顔は笑み崩れてしまう。
 初めて来た場所が珍しく面白いのも確かにあるが、それ以上にマキさんと二人だけで見てまわるなど、まるで子供の頃に戻ったみたいで楽しいのだ。店をひやかしているときからずっと、嬉しくて胸は弾みっぱなしだ。大人になったことなど関係なく、もっとマキさんとこうして遊びたかったのだと今更ながら気付かされた。
 きっとジンさんだって、気付けていないだけなはず。マキさんと二人だけで過ごす時間が持てたら、今日の俺みたいに不思議に満ち足りている自分に驚きながら喜ぶに違いない。
(帰ったらジンさんに言ってみよう。今度はジンさんがマキさんと出かけたらどうすかって)
 俺はノブと違って親離れしてるから、とか返されそうだけど。いくら長く生きてても大事な人との時間が特別なのは変わらない。俺たちの寿命はそりゃそりゃ長いけれど。だからっていい大人だからとか今更恥ずかしいだとか、そんなんで遠慮してんのはすっごくもったいないのだと、どう説明したら上手く伝わるかな……。
 
 目の前に俺しかいないから、マキさんは俺の言うこと全てに返事や相槌をしてくれる。向けてくれる表情は全て俺だけのもの。いつもの『皆のマキさん』じゃない。今は自分だけのマキさんなのだと、ノブナガは甘え心のままに尋ねた。
「ねぇマキさん。センドーさんってあの伝説のキーア・ラドンセなんでしょ? てことはすんげー魔術や魔法、あとええと……契約? とか使えんでしょ?」
「使えるな」
「それなら魔術でなんかこう、うまいこと日差しをガードして日中も外を歩いたり、日陰から日陰へ瞬間移動とかできないんすかね?」
 先程までの優しげな金褐色の瞳に少し物寂しげな陰りが浮かんだ。
「多分……やれなくはないだろうな。でも俺が……なるべく魔術や契約は使わないように頼んであるから」
「どうして? せっかくすっげー高い能力持ってんのに」
「魔術や契約に必要なのは能力だけじゃない。それらに見合う体力もいるんだ。ものによっては寿命の年数と引き換えのものもあるらしい。俺も詳しくは知らんが」
 不死者の体力や寿命が少々目減りするくらい、どうってことないだろうと思ってしまうけれど。マキさんにこんな寂しそうな目をさせてしまうのだから、俺の考えるように簡単で単純なことではないのだろう。
 聞く必要のないことを聞いたせいで、マキさんの瞳を曇らせてしまった……浮かれすぎた自分に腹が立った。
「す、すんませんでした。お気楽なこと言っちゃって。まだ日も高いのに中央通りには吸血鬼たちが来てたみたいだったから、センドーさんも来られたら良かったのにって思っただけなんす」
「普通に抱く疑問だ、謝る必要はない。この時間に闊歩してる吸血鬼は施設内のホテルに宿泊している者だろう。アキラが出不精でなければ、ホテルをとって前夜入りさせることも出来たんだがな。すまんな、身内に甘くて」
 シンイチが軽くおどけて言ったので、ノブナガは苦笑いをしながら「マキさんの身内に甘いとこも俺は好きっすよ! それに全然いーんす。もともと俺が一人で行きたいって言ってたんすから!」と片手を振った。
「さあもう食い終わったんだから、行って来い。いい大人なんだろ?」
 明るく返してくれた気持ちを汲んで、ノブナガもあえて元気に甘えた声をだす。
「マキさんツレナイ〜。マキさんと買い物なんて俺がガキの頃以来なんすよ? もっと一緒に歩きましょうよー」
「あの頃のお前と同程度の活発さ具合だったら、あと一時間くらいは付き合えてたよ。俺はここで休んでいるから、行って来い」
 そんなに疲れるほど引っ張り回した気はないのだが、二度も言われては逆らえない。
 食べ終えたノブナガは渋々な体を装って席を立った。
「おい、口元拭いてから行け。クリームがついてる」
「あ、はい。すんません」
 立ったまま紙ナプキンで拭くノブナガへシンイチは微苦笑を向ける。
「滅多に来れないところなんだ。楽しんでこい。ジンやアキラに土産も買うんだろ?」
「はい! マキさんにも買ってきますね!」
「俺はいいよ。それよりジンとアキラに少しいいものを選んでやってくれ。残りはお前が使うといい。約束の時間より少し早めに戻って来いよ」
 テーブルに三枚もの高額紙幣を滑らせてきたシンイチに、ノブナガは一瞬迷いはしたものの。「ありがとうございます! すんげー喜ばれそうな物を選んできますね!」と受け取って元気よく店を出た。


 吸血鬼の従者や業者が使う土産物屋には、様々な種族の名産品や珍品が所狭しと並んでいた。この店内でも嗅いだことのない不思議な香りが満ちていて、異国に来ているような気分になる。
 散々迷いに迷って、ジンさんには奇妙な小瓶に入った香辛料らしきセットを。センドーさんには綺麗なガラス容器に入った花のジャムらしきものを買った。どちらもどこの文字かもわからない記載のラベルで、そこに描かれている絵だけでは味や花の見当もつかないけれど。そういうのもまた珍しくて面白がってもらえるんじゃないかなと思って選んだ。
 店員のエルフはノブナガから受け取ったお金を数えながら話しかけてきた。
「このジャムに合う美味しい紅茶があるよ。それも買ったらどうさ。その紅茶にこのジャムを入れると色が変わるんだ。このお釣りで買えるよ」
 わりと美人なエルフだが、言葉遣いはあまり綺麗ではない。でもこれくらいの方が気楽で助かる。
「じゃあそれもひとつもらおうかな」
「この通りにゃ売ってないよ。中央通りのブローグっていう店でしか買えないんだ」
「それなら俺には買えないや。中央通りの店なんて入れねーもん」
「お館様と一緒に入店すりゃいいじゃない」
 吸血鬼ではない不死者が単独でVampiiri kapriisに来ることなどそうないからだろう、吸血鬼のお付きできた従者と間違えられてしまった。確かに俺も一度でもここに来たことがあったら、単独で来たがったりなど絶対しなかったから、わかる。
「今日はお付きで来たんじゃないんでね。あのさ、あと一人分、土産買いたいんだけど。この通りでここ以外に土産物屋ってある?」
「この並びをまっすぐ行ったら資材置き場がある。そこを右に曲がった五軒目だよ。うちより大きい店だけど、品揃えならうちのが上さね」
「そっか。一応のぞいてくるよ。いいのがなかったらまた寄らせてもらう。ありがとう」
「はい、まいどさま」

 店から出て教えてもらった方向へ歩きだすと、路肩に設置されている換気口が開いて風が流れた。ドーム内を換気するために決まった時間に数分間行われるのだ。
(……あれ? なんだろ……誰か付いてきてる? ……うーん……もしかして後をつけられてる……なんてこたねぇよな)
 換気口が閉まるとまた気配は感じられなくなった。どの店も変わった匂いが充満しているし、通りも花の香りが強いから嗅覚が役に立たない。さっきは換気で鼻が効くようになったせいで、逆に過敏になったのかもしれない。金持ちの吸血鬼がゴロゴロいるところで、子供でもなけりゃ金になりそうもない俺みたいな人狼なんかを誘拐するメリットなどまったくないから、多分気のせいだ。
(けど、一旦マキさんのとこに戻ろう。んで暫く様子見ても何もなかったら、荷物預かってもらってまた買いに出りゃいいもんな)
 くるりと素早く踵を返したノブナガの目は、方向転換をする自分から一瞬遅れて人影が横道へ不自然に消えたのを見逃さなかった。
(確認はしねえ! 勘違いでもかまわねえ!)
 ノブナガは荷物を道端に投げ出し、足を大きく開いて両肘で腹部を圧迫しながら喉が張り裂けんばかりに遠吠えをした。そしてすぐ獣形になろうとしたのだが。背後から後頭部に強烈な一打をくらうと同時に、口元に濡れた布のようなものを押し付けられて昏倒した。


*  *  *  *  *  *


 ノブナガの遠吠えは店内にいるシンイチの耳にも届いた。予想外に近い場所からだったため、獣形になるまでもないとそのまま店を飛び出した。
 花の香りがきつくてわかりにくいが、微かにノブナガと薬品臭を感じ取ったシンイチはにおいを追った。不自然ににおいが途絶えた場所は倉庫や材木が並ぶ資材置き場だった。材木が積まれている奥には古そうな木造の管理棟も並んでいる。この一体だけやけに荒廃し年月を感じさせるため、もう長いこと使われていないのがわかる。荒涼としてはいてもドーム内だから野生動物の気配などもなかった。
 必死に生き物の気配を探っていると、二階建ての管理棟の左の通路からノブナガの残り香が感じとれた。出入り口らしき両開きの木戸をそっと押してみる。心もとない小さな悲鳴に似た音をたてながら木戸はあっさりと開いた。玄関の三和土には横倒しになった古い薪ストーブしかなく、受付と書かれた札の下のガラス扉には内側からカーテンがかけられている。全く人気がないことを確認してから、シンイチは靴をぬいで両手足を変化させて音もなく侵入した。
 受付から右手は用具入れと書かれた札が下がった扉と二階へ続く階段のみ。左手は薄暗く長い廊下がのびている。その片側は全て外側から塞がれた窓が並び、廊下を挟んだ向かい側は沢山の扉が等間隔に並んでいる。
 (一階には全く人の気配がない……。先に二階から調べるか)
 シンイチは階段を数歩で駆け上った。二階も一階同様に塞がれた窓と扉が廊下を挟んで並んでいるが、一番奥の扉だけが不自然に開かれており、明かりが漏れている。シンイチは窓に背を預けて中を覗き見た。
 入り口近くの小さな応接セットのソファには金髪と茶髪の男。黒髪の男は壁際の事務机に肘をついて回転椅子に座っている。三人とも吸血鬼特有の肌の色と耳の形状だ。最奥には簡素な二台のベッドと空の薬品棚が並ぶ。この部屋は簡易な医務室のようだ。その奥側のベッドの一台には背を向けて横たわっている黒髪の男。部屋から漏れるキザったらしい香水のせいで匂いは薄くしか感じられないが、スラックスからノブナガに違いなかった。
「早かったな。入って来いよ。つーても罠と知ってて入りたかねーよな。だから入りたくなるようにこいつの喉笛切り裂いてやってもいいぜ?」
 吸血鬼が相手では超音波で自分がここにいるのは知られていて当然だ。だから驚きはなかったが、待たれていたような口ぶりが気にかかる。
 回転椅子の背もたれへ背中を深く預けた黒髪の吸血鬼が手招きをしながら鼻で笑う。
「それとも犬みてぇに首に紐でもつけて引いてもらわねぇと入れねーか?」
「……そんな手間をかけなくても入るさ。迎えに来たんだから」
 後ろ手に縛られているノブナガがシンイチの声に頭を跳ね上げ振り向いた。口はさるぐつわで塞がれていたが、鼻から発する音だけでも『来るな』と言っているのが伝わってくる。
 シンイチは三部屋分駆け戻ると廊下の壁と幅を助走に使い、室内に足を一歩も着くことなく、一気にノブナガがいるベッドまで飛んだ。その勢いで両腕でノブナガを抱きかかえてベッドを蹴り天窓まで跳躍した。しかし布団のかげになって見えなくなっていたノブナガの足首に繋がれたロープがそれを許さなかった。天窓まであと少しのところから、シンイチはノブナガを抱いたままベッド脇へと落下した。
 激しい衝撃音が消え、大破した床に半ば埋まっている人狼たちを見て、黒髪が声を荒げた。
「麻痺の薬をデカイ方の奴にぶっかけろ!」
 金髪が応接テーブルの上の小型デキャンタを引っ掴んで駆け寄り、シンイチの頭にぶちまけた。横から茶髪が恐る恐る覗き込む。
「おい、こいつ脳震盪おこしてんじゃね?」
「んだよ、それならクソ高ぇ薬をぶちまけんじゃなかったぜ」
 三人の吸血鬼たちは深く息を吐いた。
「……すっげぇ跳びやがったな。油断なんねぇ」
「入り口の床に仕掛けた罠もムダになっちまったぞ。クソが」
「一瞬過ぎて目ぇが追いつかなかった……ヤベェ。この安っぽそうな野郎も予備でつないどいて正解だったな」
 茶髪の吸血鬼は舌打ちしながら茶色い小瓶を傾けて、布に液体を染み込ませる。
「ビビってねえけど、こいつやたら強ぇらしいから騒がれると面倒そうじゃん。だから念の為やっとくわ」
 ノブナガの残り香に混ざっていた薬品臭と同じ臭いになった布を、抱きかかえたノブナガの下敷きになっているシンイチの顔にきつく押し付けて、完全に意識を失わせた。























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Vampiiri kapriisは高級ブランド店街みたいなのが中央通りで、それをぐるっと囲む周囲は普通の商店街的な、
巨大なドーム型商業施設をご想像下さい//// 上手く表現できなかった〜;



※背景素材はNEO HIMEISM様からお借りしてリピート用に描き足し加工しました。