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ジリジリと照りつける真昼の日差しから逃れるように、宮益と牧は職員玄関裏の人気のない職員専用自転車置き場のひさしの下へ入った。涼しさにホッと宮益が息をつく。 「わざわざこんなところへ来なくても」 「そうだけど、外に出たくなったんだ。良い天気だから。時間ないから手短に話すね、昨日の電話の続き」 「あ、うん」 急に牧は伏せ目がちに視線を逸らせた。 本人は無自覚だろうけれど、この不自然さは武藤が以前困惑した時の動きと似ている。上手く言い表せないが、牧は恋愛話になると全く知らない不思議な大人の男に見えるのだ。こんな姿を武藤や高砂はもちろん、誰にも宮益は見せたくなくて、ついこんな所まで連れてきてしまった。 「あのね、もし仙道君から1on1の誘いが来たらなんだけど。最初から仙道君が他の人も連れて来るようなら、受けていい。けど、それが分からない場合は断って欲しいんだ」 牧は驚いた顔を宮益へ向けてきた。断るという選択肢は牧にはなかったことが伝わってくる。 「『予定を調べて、こちらから連絡する』って言うんだ。そうしたら主導権はこっちに自然と切り替わる。仙道君単独か仲間連れかは分からなくても、牧は次の連絡の時に僕を連れて行くことを最初から自然に切り出せるようになる。可哀相だけど……牧はまだ仙道君と二人きりになるのは早いと思うんだ」 握手と笑顔とたったあんな普通の会話で赤面するようじゃ、とまでは流石に宮益も言えずに苦笑いで促した。 「断るって表現が悪かったね。いったん保留って言えばよかった」 硬くなっていた牧の表情が少し緩んだ。断る気もなかった上に、断れる自信もまるでなかったのだろう。 「保留なら出来る。分かった。俺も実はあいつと二人きりになるのはプレッシャーが大き過ぎてキツイから、宮もいてくれたらって思っていたんだ。助かる」 はにかんだ頬笑みに、今度は宮益が軽く驚いた。 「早く二人きりになりたいと思わなかったの? それに僕が助けになるかはわかんないよ?」 「思えねーよ。あんなに人がいたところですら無様な面を晒したのに。宮がいなかったらと思うと今更ながら恐ろしいよ」 「……そう」 あまりの純情さに気が遠くなりかけた宮益は我に返ると、電話の場合と直接会いに来られた場合の両方の返答パターンを牧へ教えた。素直に牧は数回教えた台詞をブツブツと繰り返すと、「暗記した」と真面目な顔で頷いた。 「宮、ありがとう」 「全然だよこんなの」 「……宮がいて、本当に良かった」 「そんな台詞は恋愛成就してから言うもんだよ。やめてよもう」 まさか成就とはならないだろうと最初から予測している僕に、お礼なんて言わないで欲しい。 宮益が後ろめたさを隠すため眼鏡を外して拭きだすと、丁度昼休み終了の予鈴が鳴りはじめた。 * * * * * 試合から二週間近く経っても仙道からの連絡はなかった。最初の数日は『今日かもしれない』と、毎朝登校途中に何度も頭の中で宮益に伝授された返答パターンを繰り返した。夜は寝る前にイメージトレーニングまでしていた。 「……来ないね」 前を歩く高砂と武藤に聞こえない程度の宮の小声。短い呟きだが言いたいことは全部分かる。あれは社交辞令だったのかもしれないと、宮は言いたいのだろう。 「……そうだな」 もう不安と期待を持てあましながら練習やイメトレする必要はないのか。…何度反芻したかわからない仙道の声や笑顔も、もうなるべく思い出さないようにしなくてはいけないかな。だとしたら、少し淋しくなる気もするけれど、それでも安堵する気持ちの方が勝った。 「もう気にしないことにする。すまなかったな、色々考えてくれたのに」 宮益はかるく頭を振った。 「あのね、今度の部活休みにスポーツ店に付き合ってくれない? バッシュ買い替えたいんだ」 「いいよ。それなら、その帰りに本屋寄りたい」 さらりと会話を変えてくれる気遣いがありがたかった。もしここで落ち込むなとかまだ期待はあるなどと言われたら、俺はどういう顔をしていいか分からない。 宮はどうしてこんなに人の気持ちをくめるのだろう。同い年とは思えないほど気遣いが上手くて、俺はそれに助けられることばかりだ。以前それとなく聞いた時は、『転校が多かったからかな? でも牧が言ってくれるほどじゃない。買い被り過ぎだよ〜』と笑ってはぐらかされたっけ。 牧はこれ以上宮益を煩わせないためにも、隣を歩く頼りになる友人のことを考え続けた。 昨夜はイメトレをしなかったせいか、とても深く眠った。それでも出る生アクビに目をこすると、校門前に信じられない人影を発見した。眼鏡をかけていないせいもあって幻覚か見間違いかと立ち止り、再び目をこする。 目を開いても人影は消えていない、とは、えーと……どういうことだ? 白昼夢? 来るとしても絶対平日の朝はないと踏んでいた相手。その男が手を軽くあげ、驚きに立ちつくす牧へ走ってきた。 「おはよーございます、牧さん」 「せんどう」 「あ、ここじゃ通行の邪魔になるからあっち行きましょう」 まだ信じられない思いで呆けている牧の腕をつかんで仙道は走り出した。 「ここならいいかな。すんません、強引に引っ張って来ちまって」 手を離されて初めて、牧はハッと我に返った。何が起こったのか現状把握が全く出来てはいなかったが、とりあえず目の間にいる仙道は幻覚ではない。それだけは掴まれていた左腕が燃えるように熱く震えだしたことで認識する。震えを隠すために牧は仙道に対して斜めの位置に体をむけた。 「あの、突然すけど。前の練習試合の後の約束…覚えてくれてますか?」 「1on1……?」 目の前の仙道が白い歯を見せて破顔した。朝日を数倍にさせたような眩しさに牧の心臓が大きく跳ねる。 「そっす。良かった覚えてくれてて。けっこう前なんで忘れられてっかなと思ってたんで。俺、よく考えたら牧さんの住所も電話も何も知らないんすよね」 どうやって連絡とったらいいのか困っているうちに忙しくなって、でも調べ方も分からなくて。結局、校門前に立ってりゃ会えるだろって思い立ったら来てしまっていた、と。そんなようなことを仙道が話すのを牧の耳は捉えてはいた。 けれど、牧の脳は目の前にずっと会いたかった男が予期せず近くにいる幸せでヒート寸前で、情報は半分も脳には残らなかった。 牧はあまりに頭が熱くなって、表情筋まで神経がまわらずに無表情のままであった。仙道が困ったように首を少し傾げる。 「牧さん? もしかして怒ってます?」 一歩近づかれて漸く、牧はシュゴーッと耳の中に血液が流れる大きな音で再び我に返った。 「俺が何に怒るんだ?」 急に血色が戻った牧の顔面は、戻り過ぎて首から上は無表情なのにやたらと赤い。仙道は僅かに驚いた顔をした。 「いや、俺が急に来ちまったから…。牧さん、これから朝練? 俺と話してたら遅くなりますよね、すんません」 否定するべく牧は首を左右に振った。少々頭がくらくらする。 「今日は自主練だからいいんだ。うちは朝練と自主練が交互でな。いい時に来てくれたくらいだ」 「そっすか。あ、うちも今日は自主練日っす」 ホッとした表情の仙道を見て、牧の肩からも少し力が抜けた。ふいに仙道がニコリと笑った。 「打ち合わせの時や試合の時とけっこう違う」 「何が?」 「そういう感じが。俺、もっと牧さんは試合そのままに厳しい、隙のない感じの人かなって思ってたんですよ。けど、話すと、なんか…話しやすいっつーか」 「話しやすい…? 俺が?」 「はい。前ん時も思ったんすけど、他校の一年が突然話しかけても威嚇しねーし」 突然、前回宮益の助け舟が入る直前の自分を思い出して牧の声が詰まる。 「っ……そんなことして何になるよ」 「そっすよねぇ。弱い奴ほど、ってやつかな? けど牧さんには実力があるから、んなことする必要ないっすよね」 はにかんだように同意を求められた。その微笑は牧の全身まで熱くする威力を十二分に持っていた。 ─── 褒められた? もしかして前回の赤面前の俺に対し仙道は好印象を抱いたのか? 何故だか知らんが勝手に芽生えた好印象を迂闊な発言で台無しにするよりは、このままここで別れたい。もっと正直に言えば今にも全身から湯気が出そうで、のぼせて足が震えだす前に逃げだしたい。しかしここで逃げたら不審者確定だ。落ち着け、落ち着くんだ紳一。大丈夫だ、俺が下手なことを言わなければ仙道は自分が俺なんかに好かれていることなど気付かないのだから。そうだよ、宮が俺に授けてくれた台詞を言えばボロは出ないじゃないか。宮、宮、俺に力を貸してくれ! 「牧さん?」 「え?」 「あー、やっぱり聞いてなかった。日時の話しですよ、いつにします?」 牧は必死で働かない頭で宮益の授けてくれた台詞を思い出していた。そのせいで仙道の話を聞いていなかった己の失態に冷や汗が背中を伝う。日時の話しならば、あの台詞だったよな!? 「『最近ちょっと時間に空きがなくて。都合がつきそうな日が決まったら俺から連絡する。連絡先を教えてくれないか?』」 一字一句間違えずに言えた自分に、牧は胸中でグッジョブ俺!と拳をかためた。 「そっすか。あ、連絡先、俺も知りたかったんすよ」 丁度良かったと、仙道は何を疑うこともなく頷いて携帯を取り出した。牧も倣うように少々ぎこちない動きでカバンを開けた。 無事交換を終えたあと、仙道がじっと牧を見てきた。 「……な、なんだよ」 「あー、いえ。嬉しくて」 ふわりと口元に笑みを浮かべる仙道の眩しさに、牧は胸中で叫んだ。 ─── お前と携番交換できて心底喜んでるのは俺の方だ! 人の気も知らないで可愛い顔して何度も笑いやがって! もちろん口に出しては全てがパーになる。牧は真似るように同じ言葉を口にした。 「俺も……嬉しいよ」 「良かった。そりゃ1on1もいつかはやりてぇけど、その前にまずゆっくりと話をしてみたかったんで。あ、いけね。遅刻になる。じゃ、また。連絡待ってますね!」 190cmと高い身長なのにひらりと軽やかに身をひるがえした仙道が片手を上げて走り去る。 「え。あ? 仙道、ちょ、おい??」 牧が戸惑いの声をあげた時にはもう、仙道は曲がり角へ入ってしまい見えなくなっていた。 「………1on1じゃなくて何をするんだ俺達は? ゆっくりと話? 何を話すんだ??」 携帯を操作する仙道の長く節ばった指の滑らかな動きに見惚れていた俺は、またもや重要な話を聞き逃していたらしい。いや、もしかしたら日時の話の前に言っていたのかもしれない。どちらにしろ、聞いていなかったことには違いなかったようだ。 仙道を前にすると何かミスをやらかすだろう自分を自覚していたが、まさかここまで酷いとは。 額に手を当て、まずは気持ちを落ちつけようと空を見上げた。見知らぬ家の屋根と立ち並ぶ電柱が朝日を反射して白っぽい。 ─── ん? 見知らぬ家? 周囲へ視線をやった。誰も歩いていない住宅街の静かな一角で、牧はボソリと呟いた。 「……ここ、どこだ?」
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ちょっとずつ性格や設定を変えた牧や仙道を書いてるつもりなんだけど。
どうも牧は方向音痴や道に詳しくないような感じにしたくなるのは何故かしら。 |