Same to you. vol.04


空が徐々に群青色に染まっていく。流れる雲の方が少し空よりも明るい青。夜の始まりのコントラストは少しもの淋しくも美しい。
そんな風に空を眺める余裕があるのは宮益だけ。先ほど宮益にぐうの音も出ないほどに淡々と、己がいかにおかしい行動をとって周囲を心配させているかを客観的に語られた本人はぐったりと項垂れていて空を見るどころではないからだ。

打ちのめされたような牧の様子を暫し面白く眺めていた宮益だが、今度は少し柔らかい声を心がけた。
「言いたくないなら無理強いはしないよ。言った方が楽になることはいっぱいあるけど、苦しくたって言いたくないこともある。僕はそんなんばっかだったから、本当は……聞きだす役を受けたことを半分後悔してる」
牧がのっそりと頭を上げた。その顔には明らかな困惑があり、宮益は苦笑した。
「けどね、半分は僕で良かったとも思ってる。僕は嘘をつくのが武藤や高砂よりずっと上手いからね。今ここで牧の悩みを聞いても、僕はあいつらに全く違う作り話を伝えて安心させてやれる自信がある。もちろん、牧の悩みを本気で聞くことで牧を少しでも楽に出来てからの話なんだけど」
「宮……」
「言いだすのが難しいなら、質問形式で聞いていいかい?」
どこまでも牧が一番良い形になるためにという想いが言葉の端々から溢れんばかりに伝わってくる。牧はチクリ胸に走った痛みを飲み下すように、小さく頷いた。

「もしも答えたくなかったり隠したいと思ったら遠慮しないでね。仮に僕が嘘を感じてもツッコミ入れないから」
まだ前置きをおく宮益へ牧は「俺も武藤並に嘘は下手だよ」と苦く笑った。
宮益の質問はまるでYES・NOクイズのようだった。途中で「車とバイク、どっちが好き?」など全く無意味そうな質問まで混ざっていて、牧は「なんだよそれ?」と首を傾げながら答えていった。そのうち「今夜の晩御飯、カレーとカツ丼と生姜焼き、どれだと嬉しい?」と完全に関係ない、いつもの話みたいになって、すっかり先ほどまでの妙に硬い雰囲気などは消え去っていた。

晩飯ネタに花が咲いたところで腹が鳴り、公園に来る前に買っておいたパンや飲み物を二人は食べ始めた。
ブランコに座りながら食べる二つの影は体格差のせいで親子みたいだと、牧は不思議な気持ちで眺めていた。宮益はこの一年弱、生き急いでいるのではと感じるほど練習漬けの日々を送っている。しかし残念ながら本人が一番欲しているであろう身長はほとんど伸びていない。筋肉量や体力は増えてはいるものの、身長促進に繋がるエネルギーが全てこの優れた頭脳に注がれてしまっているのだろうか…。だとしたら、やはり誰もが思う通りに何事もいくものではなないのだな……などと。口が裂けても言えないことを牧はぼんやりと考えていた。

宮益は食べ終わったパンの袋をカバンに突っ込むと牧を見上げてきた。
「……さっきの珍妙な質疑応答で宮は何か掴めたのか?」
「見当はついたよ。ただ、それが当たっているかどうかは“牧のみぞ知る”だけどね」
質問内容からは家族に重病人がいないくらいしかデータになりそうに感じたものはなかっただけに、牧は目を瞠った。張ったりをかます者特有の空気が宮益には感じられず、牧は自分の悩みをこの頭の良い友はどう見当付けたのかと焦りだした。
「判断経緯は今度ゆっくり聞かせてくれ。それより結果を先に。宮は俺が何に、その…」
「牧の悩んでいる理由を僕が憶測で口にしていいんなら、言うけど」
じんわりとした嫌な汗を背中に滲ませながら、牧はコクコクと頷いた。
「さっきの質問もデータに加えた結果、牧は家庭・部活・クラスの対人関係やバスケに関して悩んでいるようには思えなかった。結果、悩みの理由候補は二つに絞られる」
体育以外はどの教科も優れている宮益だが、理数系は特にずば抜けて出来る。宮益へ小さな悩みや相談事を持ちかけると、彼らしい客観的かつ論理的な考えを伝えてくれる。それはいつも牧にはどこか天からの声のようにも聞こえ、不思議な頼もしさがあった。牧はぎゅっと膝の上の拳に知らず力を入れて身構えた。
「僕が思う一つは、こないだ来た陵南高校のおそらく主将と副主将と田岡監督の誰かに牧は恋をして悩んでいるのでは、ということ。もう一つはさっき言った三人ではない学外の誰かに恋をして悩んでいるのでは?ってこと。どっちにしろ、恋愛ごとで悩んでいるんじゃないかなーって見当をつけた。どう? 的外れかい?」
牧のあんぐりと開かれた口と大きく瞠った目から、返答はなくともビンゴであることが伝わってくる。
「あー良かった。僕は恋をしたことがないから、今回ばかりはちょっと自信なかったんだよね」
ホッと息をつき胸をなでおろした宮益の言葉は驚愕する牧の耳へは全く届かなかった。


*  *  *  *  *


「そっかぁ……一年の仙道君か。僕は後ろ姿しか見てないんだよなー」
「誰にも言うつもりなんかなかったのに……!」

正気に戻った牧は宮益へ猛烈な勢いで、何故・どうしてと、宮益の出した答えを否定するために繰り出した。しかし宮益の冷静な観察眼に裏付けされた返答は牧の必死な抵抗をことごとく撃ち落とした。それどころか宮益からの軽いジャブ的な質問に、咄嗟の嘘が下手な牧は己の好きになった者の名前まで自爆的にばらしてしまった。

首から上を真っ赤にしている牧は己の両膝に頭を埋めるようにして髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「やめなよ髪が傷む。ただでさえ海焼けで髪の毛茶色いんだから、もっと痛んだらブリーチ入れたみたいになって、金色リーゼントヤンキー? そんなんなったら仙道君が怖がるんじゃない?」
「みいぃやあぁ……! 他人ごとだと思って! お前、武藤や他の奴にバラしたら、いくら宮でも」
「ないない。言うわけないじゃん。僕は牧に嫌われるのが一番怖いんだから。武藤や高砂には、親戚の離婚したお姉さんが幼子連れで牧の家に居候してるって作り話で安心させておく。夜泣きが酷くて睡眠不足が続いて情緒不安定気味ってことにしたら、今後も牧が多少変でも勘ぐられないだろ?」
「“今後も多少変”……」
「即解決に至るものではないから、牧の変な状態は継続するだろ。いい? 牧も口裏合わせるんだよ? そして僕にはバレてる以上、変に隠さないで何でも話してほしいんだ。牧が一日も早く大分変で辛そうな状況を脱して精神的に安定するためにも、僕は全力で牧の恋を応援したいんだから。先に言っておくけど僕は同性愛に全く偏見ないから安心して」
「俺が“大分変”……“恋”……やっぱりこれは宮からみても恋にあたるんだ……」
「そりゃそうでしょ。僕はまだ恋愛したことがないけど、それ以外当てはまる言葉が見つからないよ? 牧は違うと思うの?」
「…………違うとは思わない。ただ、俺が勝手に一人で仙道を好きだと思っているだけでそんな、」
「そういうのを“片思い”って言うんだよ。実れば“両思い”」
「かたおもい……」
一度に沢山のショックを受けた牧は、赤い顔で汗を額に光らせながらがっくりと肩を落とした。よしよし、と宮益が牧の熱くなっている背中をポンポンと叩くと、牧はさらに深く項垂れた。

宮益は腕を組んで、うーんと首をまわした。
「まずは仙道君がどういう人かもっと探らないといけないね。男女の恋愛なら“お友達からで”ってお互いを探りながら恋愛へ進展していく方法があるけど。仙道君が同性を恋愛対象に出来るかどうか知ってかってからじゃないと動くだけ損になる」
「宮…あの、気持ちはありがたいが。俺はな、誰にも言う気はないんだ。仙道にもだ。俺は中学時代に散々悩んだ、どうして男しか恋愛対象として見れないのか。悩んで悩みつくしてやっと、今年に入ってくらいだけどふっきれた。仕方ないってあきらめられたというかさ。だけど恋愛に挑むなんてまだまだ俺には怖くて無理だよ」
「怖いって? もう実際、仙道君のことを好きなんだから怖いもなにもないじゃん。仙道君と両想いになれたら嬉しいと思わない?」
「そりゃあ……仙道が俺に告白してくれたなら…。だが、俺からなんて。俺は自分にそんな自信なんてこれっぽっちももてない。無理だ。絶対に。絶対に俺は告白なんてしない!」
あまりにも頑なに己から恋愛に踏み出すことを拒む牧に、宮益は悲痛なものを感じて驚いた。牧は大きくなってしまった自分の声に恥じ入るように視線を外してしまった。

ぬるい夜風に吹かれながら、宮益は牧が落ち着くのを待って、静かに言った。
「僕は牧が女性を好きになれないのは当然だと思ってる。そうなる理由がある」
恐る恐る慎重に、こちらを向かない牧の横顔を窺いながら宮益は続けた。
「知らない女の人に果物ナイフ喉につきつけられて脱げって脅されたら…僕だったらパンツ脱ぐと同時に小便もらしてたよ。それにきっと、女性を好きになれないどころか全世界の女は消滅しちまえくらい今も思ってるだろうさ。高校入って牧がクラスの女子と普通に話しているのを見て僕は驚いたし感心したんだよ、よく割り切れたなって。もう十分過ぎるほど牧は偉いって」
「……普通には話せるけど…今でも触るのも触られるのも怖い。小四のガキん頃の面影の欠片もないほどでかくなっておいて…。今じゃ大人の男だって俺をよけて通ることもあるくらいなのにさ、馬鹿みたいだよ。どんな自意識過剰だって話しだ」
どこか捨鉢な声音に、宮益は真面目な顔でふるふると頭を左右に振った。
「全然。あんな体験をしたんだ、相手がいつ豹変するか、武器持ってないかってと思わずにいられるわけないだろ。体の大きさなんて関係ない。あのね、女どころか人間不信になってたっておかしくない目に牧はあってるんだよ? それに、そういうの抜きにして普通に同性が好きな人はけっこういるよ。もとが男子校だからかもしれないけど、うちの学内にだって男カップルみたいなのいるじゃん。社会的にはまだマイノリティではあるけど、それでも海外では同性婚を認める国もある。そこまで牧が卑下する必要は全くない」
一気にきっぱりと言い放った宮益を見つめる牧の瞳は普段見せない弱さを滲ませ揺れていた。

「蒸し返しちゃいけない事だと分かってて引っ張り出してごめん」
少し自分の声のトーンがおかしい気がしたが、牧は気付かなかったようだ。先ほどの弱さを滲ませた瞳はもうしっかりとしたいつもの彼の落ち着きを宿している。
「いや、いい機会もらったよ。ずっと言いたかったけど、きっかけがなくて言えなかった。宮、あの時は助けてくれて本当にありがとう」
あれから一週間学校休んで、やっと学校行ったらお前転校してて。礼どころかさよならも言えなかったと当時は随分凹んだ、と牧は苦笑いを浮かべながらもう一度礼を述べつつ頭を下げた。
宮益は赤くなった顔を隠すように慌てて両手を顔の前でふった。
「ちょ、やめてよ。あんなん助けたうちに入んないって! 僕なんてあれから牧にどう声かけていいか分からなくて、牧のクラス担任に牧の家の住所を教えてもらったんだけど、結局会いにいけないまま転校にかこつけて逃げたみたいなもんなんだから。……下手言って嫌われるのが怖いだけの、今以上の意気地なしだっただけだよ」
「俺も宮の担任に住所聞いたんだけど、手紙って何書けばいいかわからなくて…。あ、でもあん時の宮は凄く格好良かったぜ? リコーダーを吹き鳴らしながら女にランドセル投げつけて、何か叫びつつ俺の手を引いて走って逃げてくれたじゃないか。途中で俺に自分の短パン履かせてくれたからお前はブリーフで…パン一で歩くのは恥ずかしかっただろうに、本当にありがたかった。助けられたよ」
「あの時は状況見ただけで泣くほどビビって、声が咄嗟に出なくて笛吹いただけで、パンツはチビッてたから貸せなかっただけなの! 今ならもっとマシに助けられてるよっ!」
「そうだったんだ」
「そうだよっ!」

当事者の牧も泣いてはいたけど漏らしてなかったのに、僕は昔っから憶病だったんだよと恥ずかしがる宮益を、牧は眩しいものを見るように目を細めた。
「……宮は強いな。昔も、今も」
「はあ? さっきの話からどうそんな結論に至るわけ? 昔は百歩譲ったとして、今の僕のどこが??」
「宮は三年間、バスケ部はやめないだろ?」
「怪我さえしなきゃね。それが?」
「初心者が海南バスケ部に入って一年以上続いた前例はないそうだ。先日監督が言ってた。二年目に突入してんのは宮だけなんだぜ?」
ふぅん、と呑気に宮益は返した。本当に分かってんのか、と牧につっこまれてやっと宮益は照れた顔で肩をすくめた。
「昔も今も、俺はお前の強さを見せつけられる度に、もっと強くなりたいって……焦る」
「牧……」
「う〜…やっぱ恥ずかしい……さっきの話も今のも、後で一生からかいのネタにされそうだ」
恥ずかしさを押し隠すように眉間に皺を寄せる牧が宮益には高校で再会してから初めて。自分が捉えていたよりももっと繊細で、子供の頃の潔癖に近い純粋さと脆さを補強しきれていない─── 高校二年の青臭い、自分と中身は大差のない、まだまだ未成熟な存在であることを感じた。
並んでいる。己を必要以上に卑下することも、相手を神格化する必要もない。自分は牧の隣に並んで歩く同等の“友達”と思っていいのだと感じて目頭が一気に熱を帯びた。

胸に押し寄せる形にならない想いが宮益の喉を圧迫する。けれど今は自分の喜びに浸るために用意した時間ではない。喜ぶことは後でいいと、宮益は熱くなった目をぎゅっと一度瞑ってから明るい声を出した。
「恥ずかしさならお互い様。僕なんてさっき、牧に嫌われんのが一番怖いって言ったろ。前だって言ったじゃん、牧がいるから部活入ったって。昔、牧に誤解されたけど、恋じゃないけど誤解されても無理ないくらい僕は牧が誰より好きなんだ。それよか、話し戻すよ?」
僕まで恥ずかしくなってきちゃったじゃない、と手で顔を仰ぐ仕草をしてみせた宮益へ牧が「話し?」と首を傾げた。
「そうだよ。牧が仙道君に告らない決意はわかった。けど、それならなんで悩んでんの? 同性を好きになることはもうふっきれてるって言ってたよね。伝えないなら何も問題ないじゃん」
「来週末に練習試合あるだろ。…………俺、マトモにあいつと闘えんのか自信なくて。こんな不安、初めてなんだ…」
「えええ!? 試合前になったら別人スイッチ入るくせして、何を無意味な心配してんのさ!」
「なんだよ“別人スイッチ”って。ただ試合前には集中力を高めてるだけだろ。俺はな、あいつの顔や声や仕草を思い出すだけでダメなんだ。なんかこう……胸は苦しくなるわ体は熱くなるわ、それでいて頭の中に馬鹿みたいな言葉ばかりがぎっしり詰まる感じで。とてもじゃないが集中力どころじゃないんだよ……顔をまた見れると思うだけで…なんだか自分がタコになったように、ぐにゃぐにゃになるんだ」
「牧がタコねぇ……。馬鹿みたいな言葉って例えば?」
「格好良いとか爽やかだとか可愛いとか…? なんか、おわーってなって言葉ではない時もある」
「ふぅん、可愛い顔してるのか、見れば良かった。髪を逆立ててる方の人だよね? 背は高いけどヒョロリとしていた気がする。あんまり覚えてないけど」
「可愛い顔というより、全ての顔のパーツが素晴らしく整ったいい男だよ。優しげな顔や声だけど女くさくはないんだ。睫毛が長くて雰囲気が可愛いのかな…? 背は俺より少しあるけど、細くて動きも独特なんだ。ゆったりと長い手足をこう、まるで泳ぐように優雅に」
牧はブランコから立ち上がると両手を軽くふりながら歩いてみせた。
「……違うな、こんなんじゃない。こう……手は振ってないけど、ええと……こうか?」
「や、聞かれても僕全然わかんないから。いいよ別に、来週じっくり見るから」
「じっくり見るのか!」
「見るよ。何でそんな牧が動揺するのさ。別に応援席からいつも通り試合見るだけだよ?」
「そ、そうだよな。はははは……は。……俺も応援席からあいつをじっくり見れるだけなら、こんな悩まないよ。いいなぁ、宮は」
「ちょ、しっかりしなよ牧。ベンチにも入れない僕を羨んだら、他の奴らにボコられるって。牧だって試合出たいんだろ? ベンチだって嫌だろ?」
「フルタイムで出る。勝つ」
真顔に戻ってきっぱり言い切る牧に宮益はブハッと噴き出した。
「大丈夫だよ、こんな話してるのに、突然戦闘モードのスイッチ入ってんじゃん。当日になったら対仙道君じゃなくて対陵南になっていつもと変わらないさ。僕が保証する」
「そう上手くいくかよ……。当日は本人が目の前にいることもあるんだぜ?」
「いくって。もし牧が色ボケで途中退場させられたら、僕がお詫びに仙道君を隠し撮りして牧にあげるよ」
「!!」
「あ、今一瞬途中退場もいいかもとか思っただろ。牧の想像するような隠し撮りなんかしたら僕、犯罪者だよ?」
「バカッ! な、何が、誰がそんな!! ズルイぞ宮、犯罪写真なんてさっき言ってなかっただろ! それに俺は何があっても途中退場を望むようなことは絶対ないっ!」
「自分で言ってるじゃん」
「俺は仙道の裸の写真が欲しいなんて一言も言ってないっ、変な言いがかりつけんな!」
「“何があっても途中退場を望まない”って言ってたでしょって言ってんの。仙道君のそんな写真なんて僕が撮れるわけないから考えもしないよ〜」
牧ったら考え過ぎ〜スケベ〜とカラカラ笑う宮益へ「人の純情からかいやがって!」と牧は怒りのヘッドロックをかました。牧が武藤たちとふざける軽い遊びでも、体格が違い過ぎる宮益には熊にじゃれられるようなものだ。あっと言う間に視界が薄暗くなる。すぐに宮益がギブギブとタップした。

一分も経たないうちにタップして逃げたのに宮益の息はあがっていた。牧へバレないように宮益は少し離れた水飲み場へよろけながら向かった。牧は追ってはこなかった。恥ずかしさがあまって飲み終わったペットボトルを八つ当たりのようにベコボコと執拗に小さく潰している。事情を知らずに見れば恐ろしいだけの光景だが、宮益には照れる牧が微笑ましく映った。
「大丈夫。百万が一にも牧が試合で集中力を欠くことも、勝負で手を抜くこともない。そもそも、出来ないよ牧にはそんなこと。牧はそういうところは可哀相なくらい不器用なんだ。取り越し苦労さ」
「…そうかな」
「そうだよ。本格的に腹減ったね、帰ろうか。いくら明日の午前中体育館使用禁止だからって、午後はいつも通り部活あるんだし」
「おう」
牧は立ち上がったまま、宮益を見た。宮益が「何?」と首を傾げる。
「あー……なんか宮に断言されて、俺は単純だからその気になってきた」
今夜は早く寝付けそうだ、と牧は照れくさそうに呟いて自分と宮益のバックを担いだ。
宮益は手を伸ばしたが、牧は「家まで持ってってやる」とぶっきらぼうに言い放ち先を歩きだした。宮益はそんな子供じみた礼をする牧に、『武藤のエビフライみたい』とひっそりと笑った。




自分が変わることを望むあまりに、こんなに傍で見ている一番大事な友の心を誰かが占めているなど今日話を聞くまで考えもしなかった。
いつか牧が仙道君と。それともまた別の人と恋愛をするようになる日が来る。それは不思議な面白さと一抹の淋しさを胸にもたらした。
好きというのはなんだろう。僕は牧が一番好きだけれど、一人の時や何かの時に牧を思い出してもあんな風にはならない。くだらないちょっとした劣等感と、好きだという気持ちがただ存在するだけだ。
書物や映画などでしか知らないことが僕には山ほどある。書物などの別媒体で知ること全ての数%を死ぬまでに実体験できれば上々。時・金・運・環境、全てを鑑みてもその比率は自分も他人もさして変わらないだろう。けれどそれを悲観する必要はない。実体験しなければ分からないこともあるけれど、人間には想像力で補える部分が沢山ある。
そう割り切れることなのに。なのに僕は……僕にも……いつかは牧のように誰かを恋しく思って悩む日が、その数%に含まれたりもするのだろうかと、僅かな期待と諦めが交差する。

「また……先に行かれちゃった気がする」
呟いた己の頼りない声が他に誰もいない自室に溶けるように消える。
牧が宮益を尊敬していると言った時、確かに隣に並べた気がしたんだけどな……。
知らず唇を噛んでいたことに気付き、ふっと溜息を一つついた。


疲れた体を半回転させて仰向けになる。ベッドから昨夜読んでいた本が床へ落ちる乾いた音がした。
見慣れた天井を瞼で遮ると、また今夜も宮益は強烈な睡魔にさらわれるように眠りへ落ちていった。













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似たような話を前にも書いたなーと思いながら書いてます(笑) 牧の過去の事件は実は
もっと詳しく書いてたけど大幅カットしました。悪戯をされる直前に宮益が助けたんですよん。


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