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部室の扉を開けながら、牧・高砂・宮益は同時に頭を下げた。 「「「ちゅーっす」」」 同時に頭をあげながら一列になって部室へ足を踏み入れる。先に来ていた者の視線は必ず先頭の宮益へ注がれる。これは既にバスケ部員の日課となっていた。今日は来ないだろう、今日こそは来ないはずだ。誰もがそう思わずにはいられないほど、宮益は全ての練習・体力においてどの部員よりも相変わらず劣っていた。最初の“ふるい期間”を宮益が乗り切ったことは奇跡と囁かれていた。そしてその奇跡は現在も継続し、既に入部から二ヶ月が過ぎていた。 「おいおい……今日も来たよあいつ」 「マジ? あいつ実はロボットなんじゃねぇ?」 「奇跡もこんだけ続くと恐ろしいな」 ぼそぼそとロッカーの陰から聞こえる他部員の声は宮益にも届いている。しかし宮益はいつも通りの涼しい表情で自分のロッカーへ急ぎ着替えるのだった。 最初のうちは宮益の存在をあからさまに『足を引っ張るグズ』として扱う者が多かった。練習で組まされると面と向かって嫌がる奴、わざと不必要に強いパスでミスをさせる奴。酷いのになると、牧や武藤が見ていない時にわざとボールをぶつける奴までいた。同じ一年ですらそれなのだから、上級生が彼をかばうわけもない。監督がいない場所で本人に聞こえるように悪口を言ったり、どうでもいいような用事をわざと押し付けたりは日常茶飯事だった。入部一ヶ月が経つ頃だろうか、宮益が勉強が出来るとわかると、学年問わず宿題を押し付ける輩まででてきた。 それでも宮益はくじけなかった。三年の宿題をやらされるのは少々予想外だったが、他は全て予想の範囲内だったからだ。 部活が終わった後、牧はいつもの自主練をすませると宮益へ声をかける。 「終わったぞー、帰る用意しろよ」 「うん、あと一ページ訳したら……」 部室のテーブルに半ば突っ伏すような姿勢で、今日の宮益は二年の先輩の英文和訳を書いていた。汗を拭きながら牧はそのノートを覗いて眉間に深い皺を刻む。 「……また井澤先輩か。最近多くないか? 俺が今度それとなく言ってやろうか…」 「いいって。牧がこれ以上余計なことで睨まれたら、僕が部活にいられなくなる。こんなの怪我させられたりするよか全然いい。それに二年の勉強先取りしてるようなもんだろ、僕のためにもなってるさ……ふあああ…っと」 大きな欠伸をしながら体を伸ばした宮益が眠そうに目を瞬かせる。後から入ってきた武藤が「でっけーアクビだな」と笑ったが、その目は心配を物語っていた。 「宮よー、朝練減らした方がいんじゃね? 体力つけてー気持ちも分かるけどさぁ」 「俺もそう思う。家に着いて玄関で寝ちまうのは体が限界だって言ってるようなもんだ。休みが足りないと体力つくどころか消耗する一方だぞ」 武藤と牧に挟まれて宮益は照れたように肩をすくめた。 「部活の後に武藤や牧みたいに自主練できる体力が残るようになったら朝は減らす。心配いらないよ、僕は僕がやれるペースでやってるさ」 よし出来た!と、宮益が勢いよく椅子から立ちあがった。その一部始終を着替えながら聞いていた高砂がのっそりとロッカー裏から現れて呟いた。 「俺は宮益に賛成だ。……さっさとしないと牧も武藤も置いてくぞ。鍵はどっちが取りに行くんだ?」 高砂は既に着替えも終わっている。宮益のバッグを軽々と肩へ担ぐと顎で部室のドアをさした。牧と武藤はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、それでも頷いて急いで着替えを始めた。帰り支度が一番遅い者が職員室まで部室の鍵を取りに行くと、毎晩一番遅くまで残るこの四人の中ではいつの間にか決まっていた。慌てて着替える牧の腕がロッカーに当たって派手な音が響き渡る。 「急がなくていいよ、僕が鍵を取って来るから」 宮益ののんびりした声に三人が同時に異口同音を返す。 「「「俺が行く!」」」 三人は互いの顔を見て心底嫌そうな顔をした。それを見て宮益は満面の笑みを浮かべた。 宮益本人としてはもっとあからさまないじめも覚悟していた。しかし一年の中でずば抜けて実力のある、牧・武藤・高砂のうちの誰かが部活中は宮益の傍にいた。ただ自然と仲間の一人として認めているように。もしかしたら牧が武藤や高砂に何か言ったのかもしれない。それとも牧の行動に二人が自然と倣っていったのかったかもしれない。あからさまに庇うのではなく、彼らがただ仲間として同等に接してくれているからこそ、こんな程度の面倒ですんでいる。この絶妙なバランスを作ってくれている彼らにどう感謝すればいいのだろう。 ─── いつか必ず、僕はこの三人を助ける存在になってみせる。だから、もうしばらく…待ってて。 振り向いた背の高い高砂がいつもの無表情のまま首を傾げて宮益を見降ろしてきた。 なんでもないと答えるように首を軽く降って笑顔を向ければ、四人の中で一番無口な友はまるで宮益の今の気持ちを全てわかっているかのように重々しく一つ頷いた。 * * * * * 夏休み初日から毎年、海南大附属高校篭球部恒例の強化合宿が地方で行われる。早朝6時から夜9時まで、食事作りや休憩など短い時間を挟みはするが、ほぼびっしりと厳しい練習漬けの五日間だ。故障者が出ないように監督もコーチも気を配っているため、故障でリタイアする者はいない。しかし毎年この合宿を耐えきれず逃げだす者、またはどうにか乗り切ったとしても今後続けて行く自信が持てずに辞めていく者は1/3ほどにもなった。 そんな厳しい合宿を耐えて乗り切った者を誰が軽んじることができようか。 夏合宿後も部に残った宮益を部内の皆は口にはしないまでも仲間として認めた。否、既に夏合宿三日目にはもう認められていたかもしれない。それを肌で感じていた牧と武藤と高砂は、宮益が一人でいても別の者達の輪の中にいても気にかけなくなっていった。宮益もまた積極的に、少し自信を持って練習に参加していくように変わっていた。 季節が移ろうのに“この日から”という区切りがあるわけではない。それでも確実に季節が変わっていくように、宮益もまた着実に変わっていった。最初は部活が終わると自主練習どころか帰宅すら辛かったのが、部室に残って他人の宿題をやれるようになり、宿題を頼まれなくなった頃には夜の自主練習に切替られるようになっていた。 そうして宮益は現在、朝と夜の練習にシュート200本を組み込めるまでに体力をつけていた。 驚くほどの早さで体力をつけていったことには、日々の効率的な時間の使い方や休憩の挟み方など、涙ぐましいまでの自己管理があった。それに加え、両親が息子の初めてみせる生き生きとした様子に喜び、栄養バランスのとれた食事や栄養補助食品、家でできるトレーニング用品などのバックアップを惜しまなかったことも大きな助力だった。 秋風がそろそろ本格的に寒さを増し、店がホット飲料を扱い始めた頃。今日も今日とて四人は部活と居残り自主練後にくたびれた顔でノロノロと校門を出た。武藤がだるそうに首をまわす。 「宮は練習の虫だよなー。牧よか自主練やってねぇ? あんまやり過ぎると体壊すぞ?」 「武藤ってけっこう心配性だよね。大丈夫、きちんと考えてやってるから」 「……武藤はもっと宮益を見習えばいい。勉強の方は特に」 「こういう時だけ喋るなよモアイ」 「“人は図星を指されると声高に反論する”ってのは本当なんだなぁ」 「うっせぇ、のんびりおっさんくさいツッコミすんな!」 武藤が牧の尻を蹴ったが、牧はよろけもせずに「痛ぇぞ、図星小僧」と鼻で笑った。 「うっわ、憎たらしい! 一年で一人インハイレギュラー入りを果たしたからって調子にのんなよ! 大した活躍できてなかったくせによ! 冬は俺がレギュラーの座をいただくかんな」 「牧は贔屓目で見なくても活躍してたよ、インハイのスコア何度も見てたの武藤じゃん。そこは認めなきゃ男らしくないんじゃない?」 「武藤はまだ小僧だからスコアが読めないんだ、眺めてるだけ」 「ふっざけんなっつの! なんなの君達? 何か牧に弱みでも握られてんの?」 「弱み握られてるのはお前だろ。先週の補習に乗り切れたのは誰のおかげだったっけ?」 「うわ、宮益様! どうか今週もぜひ俺にピンポイントな特別講習をお願いしまっす!」 「えー、またぁ? 今度は何さ。生物? 現国?」 「両方っす! あと、英語も!」 「救いようのない馬鹿だ」 「みっともねぇ。こんな馬鹿に俺がレギュラー取られるわけがない」 「外野うっさい! 宮益大明神〜何とぞ、夜の自主練時間をワタクシに割いて下さいぃ〜」 「しょうがないなぁ。いいけど、かわりに部活休みの日にパス練付き合ってね」 高砂と牧は「練習も増やせて一石二鳥だな」と引きつった顔の武藤の肩を両側から叩いた。 * * * * * 二年に上がる頃には朝と夜までも自主練習をこなすまでの体力や筋力を宮益はつけていた。部活では練習に置いていかれることも相手に迷惑をかけることも格段に減っている。一年間で劇的に変わったのは宮益だけではなく、他の部員も皆それぞれに心身ともに成長していた。今では一年を共に闘ってきた仲間として、宮益は周囲にしっかりなじんだ存在となっていた。 また恒例の「ふるい期間」が始まる頃、宮益は朝と夜の練習にシュート500本を組み込んでいた。 昨年自分達が歩んできた道を新しい入部者達が必死で辿る。それを横目で見ながら流しのランニングをしていた宮益へ隣を走る牧が声をかけてきた。 「宮も先輩だな」 「うん。なめられないように、僕もリーゼントにしよっかな」 牧みたいにと続けたのを聞きとめた、後ろを走る同じ二年の片岡が口を挟んできた。 「やめとけやめとけ。牧みてーにしてたらおっかなくて、女子が近付いてこねーぞ。ただでさえ女子が少ねーんだから、モテ系の俺を目指せよ」 すかさず横から別の者が「誰がモテ系だって?」「走りながら寝てるバカがここにいまーす」とツッコミが入る。 皆で喋りながらのランニング。以前はこんな風に流しの時ですら喋る体力など宮益にはなかった。いくらか喋れるようになった時でもまだ、自分を会話に入れてくれるような雰囲気もなかった。一年という期間の一日一日がこれほど辛いと思ったことも、楽しいと感じたこともない。生きていて楽しいと実感できる幸せが、走る早さで高鳴る心臓を更に力強く動かす。 宮益は照れ笑いを牧に見られないように顔を少し俯けて、軽く握っていた手に力を込めた。 五月の心地よい風に吹かれながら、宮益は部室へ向っていた。すると、六人ほどがかたまって先を歩いているのが見えた。篭球部主将と副主将の牧と高頭監督。他は陵南の制服姿の背の高い学生二人と中年男性……多分、田岡監督だろう。そういえば今日、他校の篭球部が練習試合の日程をつめにくるだか視察なんだかで、牧はホームルームの最中に呼び出されていなくなっていた。 「副主将の初接待ってとこ? 頑張れ牧〜」 ゆっくりと体育館へと消えていく男たちの背をみながら、聞こえないよう呟いて宮益はロッカー室の扉へ手をかけた。 昼休みのチャイムがなり、購買や学食へ走る者が去った教室の中は一気に見通しが良くなる。 「な、あいつここんとこ変じゃね? まさか五月病?」 武藤が小声で宮益の肩をつつきながら眉をしかめた。視線の先には今日も心ここにあらずの、どこを見ているのかさっぱりわからない呆け具合で教科書の上へ肘をつきシャープを手にしたままの牧に据えられている。二年になってクラス替えがあり、宮益は牧と引き続き一緒で、そこへ武藤が加わっていた。三年では受験も考慮されてクラス替えはない。宮益にとっては最高の三年間になることがこれで半分は決まったような気分だった。 それはさておき、武藤に言われるまでもなく、牧の様子がおかしくなったのを宮益は口にはしなかったがかなり気にしていた。 「……この四日前からだよ。何かあったのかなぁ」 「宮さぁ、いっちょ探ってみてくんねーかな。部活ん時は以前にも増して殺気立ってっけど、部活終わったら空気の抜けた風船みてーになってっし」 「副主将になったばかりだから、殺気立ってるというよりは気合入ってるみたいで、僕は部活の時は気にならないんだけど……」 「部活中以外はアホみてーだろ?」 「アホとはいわないけど……なんか変なのは僕も気になってる」 弁当を広げた二人は視線を牧へやったまま、喋りながら食べ始めた。まだ牧はピクとも動かない。 誰かが勢いよく教室のドアを開く派手な音がしてようやく、牧は夢から覚めた時のような反応をした。首を左右に振って周囲の状況を確認したのだろう、あわてて教科書やノートを机へ突っ込むと財布を手に走って行った。 「今日弁当じゃなかったんだな。もう購買のパンなんてジャムパンくらいしか残ってねぇかも」 「うん。起こしてあげればよかったね」 「目ぇ開いて寝てたら怖ぇよ。や、前さ、声かけた時、変な反応されて以来……なんか俺、声かけんの嫌でさぁ」 「あー…。あん時は驚いたねぇ。なんであんなに恥ずかしがったんだろ、牧」 「さぁなぁ、スケベなこと考えてるにしちゃ難しい顔してたくせになぁ。なー、宮にしか頼めねんだよ。牧が本音言いそうなのって宮か高砂だろうけど、高砂も口べた過ぎて役にたちそうにないし」 俺にだとあいつ変に意地はるじゃん、頼むよと武藤が自分を棚に上げて口先を尖らせた。頼まれる喜びもさることながら、牧が自分に信頼を寄せていると武藤に思われている誇らしさが宮益の首を縦に振らせた。武藤は「サンキュ!」と破顔し、宮益の弁当箱へ自分の弁当のメインである海老フライを入れた。 宮益は牧と二人きりになるタイミングを狙っていたが、思っていたよりもずっとそれは難しいことが分かった。部活前はクラスに誰かかれか人がおり、クラス外へ呼び出すにも休み時間は短過ぎる。部活中は全く無理。部活後も自主練が終われば四〜五人で帰る。その上、宮益の方が牧よりも学校に家が近い。さりげなく二人きりの時に話をしようという作戦は全く無理だった。 まだ話を聞き出せないのかと、武藤の期待の視線は日に日に強くなる。宮益は仕方なく、「誰にも聞かれずに話をしたいから、あの公園へ寄りたいんだけど…明日の帰り、いい?」と牧へ嘘をついた。 土曜日は部活の始まる時間が早い分、一時間部活が早く終わる。いつもとは違い、まだ日が落ちたばかりの空は淡いオレンジ色の雲が残って優しい色をしていた。 「話しって何だ? 珍しいな、宮が俺を頼ってくるなんて」 「そう? 僕は牧にずっと頼りっぱだと思ってるんだけど」 「何言ってんだ、この半年、宮を担いで走ったことはないぜ? 先日助けて貰った礼もある、何でも言ってみろよ」 出来る範囲でなら一肌脱ぐぞと牧が軽く笑う。話しやすい雰囲気を作ろうと気を配ってくれているのが伝わり、宮益の頬がゆるんだ。 「Excelのマクロとかそんなん教えたくらい助けたって言わないって。それよか、えーとね。心配事があるんだ」 「うん?」 「二週間近く、休み時間は毎日ここに皺寄せて暗い顔で唸ったり、急に赤くなったりしてる奴がいるんだ。最近なんて食欲まで落ちてるみたいでね。幸い元々体力あるからすぐに影響が出ることはないだろうけど、そのうち突然倒れたりすんじゃないかって気もするんだ。そいつ見てると、これまで特に何か原因になるような出来事もなかったように僕は思うんだよ。それだけに家庭の事情とか本人の体の異常とか……突然何か深刻な問題抱えてしまったんじゃないかって、聞きにくくて……」 「そうなんだ……そいつは心配だな」 「だろ? 聞けなくて、いつまでも心配なままで…僕らも辛くなってきてるんだ。やっぱ原因だけでも聞き出したくて…原因がわかれば僕らだって助けられることもあるかもしれないだろ。けど相談もされてないのに聞きだそうとするのは、デリカシーに欠けると思う?」 少々思案気な顔で黙していた牧は静かに頭を振った。 「いや、周囲にそれだけ心配をかけているのなら聞かれても仕方ないだろう。周囲の雰囲気を不味くもしているのだろうから。宮はそいつに聞きだしにくいから俺にそれとなく聞いてほしいんだろ。俺は口が上手くないから出来るかどうか怪しいが、誰か教えろよ。部活の奴か? それともクラスの奴?」 予想以上に満足のいく返事を牧から引き出せたことに顔が勝手に笑う。 宮益は笑顔で人差し指をまっすぐ牧の顔前へ突き付けた。
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つい宮益の良さをアピールしようと書き過ぎてしまうのは宮益への愛というより、牧の親友設定にしたから。
牧の親友にふさわしい男にしようと頑張る=全ては牧への愛ゆえであ(以下いつもの牧愛論なので削除) |