Same to you. vol.01


五年ぶりに戻ってきた神奈川に母親は「懐かしいわね」とか、「御無沙汰していた○○さんは元気かしら」などとしきりに話していた。僕にも似たような反応をしてもらいたかったのだろう、「義範もそう思わない? ほら、あのお店、ますます古びたわねぇ」なんて車中何度ふられただろう。その度僕は黙ったままだるそうに首を曖昧に傾げるだけなのに。
それでもめげずに雰囲気を明るくしようと努力されて、それがまた煩わしい。仕方なく僕は白旗気分で話題を替えるため口を開いた。
「もうネクタイを結ぶコツはつかめたから。教えてもらわなくていいよ」
明日は高校の始業式だ。今度はブレザータイプの制服。ネクタイは初めてする僕に父がやり方を三日前に教えてくれていた。その時にあまりうまく出来なかったから、母は『慣れるまで私が結んであげるわ』と張り切っていた。僕としては高校生にもなって親に毎朝あれこれとかまわれるなんて恥ずかしいから、密かに引越してきてから毎晩練習していたのだ。もう時間もかからずピシリとできる。
「ええ〜残念っ。義範は一人ですぐになんでも出来ちゃうからつまんなーい」
父より8歳年下の母は年齢よりも言動が若々しい、というより幼い。少し年の離れた姉のようにも見える、少々若づくりな母の不満げな横顔をちらりと見て、宮益義範は今日言っておいて正解だったと小さく溜息をついた。


高校といっても始業式初日は中学の頃となんら代わり映えのないものだった。
教室では軽い自己紹介の時間が設けられた。海南大附属高校は数年前まで男子校だったため、女子は僕のクラスに五名しかいなかった。別に高校デビューとか彼女作りたい等の野心や希望など全くなかったから、そこは全く気にはならなかった。ただ、男が多いということは…柄の悪い奴らも多くいるんじゃないか。今までのように空気的存在で少々遠巻きにされるのはいいけれど、いじめやカモられるのだけは絶対にご免だ。

宮益は慎重に、かつ目立たぬように自己紹介の時間に自分のクラスを観察した。それと、神奈川の小学校で三・四年生の二年間を過ごしたため、その頃のクラスメイトがいるかだけを気にした。しかしそれらしい人もいないようで胸を撫で下ろした。当時特に何かあったわけではないが、転校を繰り返すうちに知り合いのいない環境で暮らす方が自分には楽になっていたからだ。
初日の判定としては、大人しくしていればまた今まで通りの……テストが近づいた時のみ必要とされるだけの人畜無害な存在として過ごせそうだという、まずまずな感じだった。あの左後ろ角の奴らが雰囲気的に関わらない方がいいとは思うけれど。まぁ、あの程度の粋がったバカはどこにでもいるので仕方ない範囲と判断した。


ホームルームが終わると宮益は早々にクラスを後にした。玄関口へ出ると部活の勧誘をしている上級生達や、興味をひかれてか話を聞いてる新入生達がけっこういる。その脇をするするとくぐりぬけて、宮益は足早に校門へと向かった。しかし一瞬その足が戸惑うように速度が落ちる。
─── 左にカツアゲできそうなカモを探してるのがありありと伝わってくる馬鹿面三人と、右に恐ろしく威圧感のある三年生の大男一人か……。
人混みを避けて最短距離を行くには馬鹿面どもの前を通ることになる。そいつらを避けるためには、何故か先ほどから僕を睨んでいるような大男の近くを通らなければいけなくなる。留年でもしてるのか、一応ブレザー姿だけれど大人びた鋭い目つきの男は180cmはありそうだ。リーゼントで色黒のそいつは厳しい表情をしている。僕を値踏みしてでもいるのだろうか……。

どちらも関わりたくないがため、忘れ物を取りに戻るふりをして宮益は踵を返そうとした。すると、
「宮! 宮益だろ!」
低い声が突然宮益の名前を呼んだ。つい反射で声の方へ向けてしまった視線の先、バチッと目が合う。立ち止まってしまった宮益へ色黒の上級生はあっという間に人混みをすり抜け、腕を掴んできた。目の前に立ちはだかる長身と言葉にならない威圧感に圧倒されている宮益へ男はパッと笑みを浮かべた。
「懐かしいな! まさか高校で会えるなんて思いもしなかった。しかも同じクラスだなんて!」
凄い偶然だよなと目を細めた顔は、先ほどまでの強面と重ならないほどに穏やかで優しい。掴まれている腕も思えばふわりとした力加減で、懐かしがる声音も優しいものだから……恐怖に固まっていた宮益の肩から少し力が抜けた。

それでも宮益は先ほどの自己紹介時に見かけなかったせいもあって警戒心を解くことができず、声を出すのに勇気を必要とした。
「同じクラス…じゃないと思います。さっきの自己紹介…ホームルームの時にはいなかったと僕は記憶してます。あの……どうして僕の名前知ってるんですか?」
どう見ても三年生、正確に言えば浪人して五年生といわれても納得する男に同級生と間違われる不思議に、宮益は自然と敬語で返していた。男は「ああ……」と少し落胆した苦笑いを零した。
「用事で俺、始業式しか出れてなかったんだ。それで先生がクラスメイトの名簿を見せてくれて、宮と一緒だってわかったから探してたんだ。でも五年ぶりくらいだろ? 自信がなくて俺もさっき声をかけるの少し迷ったんだよ。見間違いかなって。なぁ、わかんないか? 俺だよ、ほら△△小学校で隣のクラスだった牧だ」
思い出せないか、と首を傾げられる。牧が述べた小学校名は自分が通った所のものであるが、宮益は記憶を手繰っても全く思い出せない。色が黒くて外人のように堀の深い顔の高身長な男。こんなに目立つ奴なんてクラスにいただろうか……。もしかしたら同級生の兄貴だったりとか?

全く思い出しそうにない様子に僅かに眉を困ったように下げた牧はもう一度、ゆっくりと言った。
「牧だよ、牧紳一。一緒によく帰ったじゃないか。公園で待ち合わせてさ」
いや、待ち合わせてたってわけじゃないけど、と続けられ。宮益の脳内に突然小学四年生の頃の、そこだけ鮮やかな色に溢れている大事な思い出がぶわりと溢れ出した。


*  *  *  *  *


今日はハンカチもティッシュも持ってくるのを忘れてしまったから、鼻の下と手についてしまった鼻血を拭くものがない。転んで鼻血だなんて格好悪いから人に見られたくない。どこか洗えそうなところを探しながら、知らない路地を数本歩いていたら小さな公園に辿り着いた。ブランコが一台と砂場が一つしかないくせにボロい水飲み場があってホッとする。
使おうと公園へ足を踏み入れたけれど、先に来ていた女の子がタイミング悪く水を飲みだした。並ぼうかと思ったけれど血がついた顔を見られるのが嫌で、僕は先ほどまで女の子が使っていたブランコに座った。

夕日が少女の細いふわふわとした巻き毛に金色の光をまぶしている。細くて長い手足は小麦色。逆光で顔は良く見えないけど、子供なのに大人のように鼻がすらりと高くて唇がふっくらしているのが分かる。どこの国の子だろう…横顔の可愛さに思わず見とれてしまう。もっとしっかり正面から顔を見て見たいな……。
そんな僕の好奇心に応えるかのように水を飲み終えた少女はくるりとこちらへ振り向いた。
「あれ? 二組の…えっと、ミヤ?」
首を傾げて僕の名前を呼んだのは少女でもなければ海外の子でもない、隣のクラスで一番背の低い…
「ま、牧くん?」
うん、と一つ頷いて近づいてきたのは、いつも二クラス合同体育の時間に僕と同じ最前列に並んでいる彼だった。

自分のクラスの奴ですら興味のない僕が他クラスの彼の名前を覚えていた理由は単純だ。僕よりも少し背が低く、もしかすると学年で一番背が小さいかもしれない牧くんは、小さいくせに走るのも早くて鉄棒も上手かった。最前列というのは何でも一番最初にやらされる。僕は体育が苦手だから、最初にやらされる役目がなるべく一組の彼に当たるようにと毎回願っていたりもした。
だから覚えていたはずなのに。こんな場所にいるはずもないという先入観と濃い夕日のせいで全く気付けなかった。

牧は僕の近くにくると「それ、血? 止まってんの?」と呟いた。そこで僕は我にかえって急いで蛇口をひねった。
顔と手を洗い終わっても牧は僕の隣に立っている。どこかに置いてたのだろう、背中にはさっきはなかった黒いランドセルがあった。改めて見ると彼は僕よりも小さくて細く、小学一年生と言われても頷いてしまうような幼さがあった。
「ミヤの家はどっち? 俺はあっちなんだ」
まるでずっと昔からの友達のように僕の名字を縮めて呼ぶ、女の子のように可愛い声。長いまつ毛に縁取られた薄茶色の大きな瞳。赤くてぷっくりした唇。小麦色ですべすべした頬にも、くるくるとした茶色い髪にも金色の夕陽が降り注いでいる。体育の時間に力いっぱい走り回る彼とは別の生き物のように感じて、何故か心臓が走った時のようにドキドキする。
返事をしない僕に彼は話を聞いていないと感じたようで眉をキュッと寄せた。我に返った僕が目線を逸らして自分の家の方角を指差すと、フン、と鼻をならすように牧は頷いた。
「なんだ、一緒か。なら途中まで一緒に帰ろ」
「うん」
別に一緒に帰らなくてもとか、断ったりも出来たのに、口はすぐに返事をしていた。牧にフッと微笑まれて、僕は再びはじまったドキドキに気をとられてしまい、素直に牧と並んで歩きだした。


それからというもの、けっこう頻繁に僕は牧と一緒に帰るようになった。公園に行くのは少し遠回りだけれど、なんとなく気になって寄ってしまう度に、いつも牧がブランコに一人で座っていたから。
帰り道での会話はいつもあまりはずまなかった。別クラスのせいというだけじゃなく、僕も牧も口数があまり多くないせいな気がする。母親がたまに口にする“性格的なもの”というやつかもしれない。
会話は少ないけれど、クラスの奴らがよく大きな声で喋っている、ゲームや漫画やくだらない自慢話は一つも、それこそお互い申し合わせたみたいにしなかった。たまに話すことは大体決まっていた。牧は体育の話や理科の授業で触った虫やカエルの話とかで、僕は塾の先生が言っていたおかしな話や、まだ幼い妹の話とか。
クラスの奴らとはまた違った意味でどうでもいい内容だけれど、相手を傷つけず胸に残らない分だけ心地良かった。きっと牧も同じように感じている。だから僕の顔を見つけると口の端をフッとあげるような大人びた笑みを浮かべて、帰ろうと僕が言う前に立ち上がるんだ。

友達というには相手のことを知らな過ぎる。けれどもし誰かに、一番一緒に帰りたい奴は誰かと聞かれたら。僕は迷うことなく彼の名前を口にする。
そんな存在が自分にも出来たことが嬉しかった。本当に、ただそれだけのことがとても嬉しかった。


* * * * *


どっと押し寄せた大事な記憶に漂っていたのは数分だっただろうか。何も言わずにただ突っ立っていただろう僕に、牧は何も言わずに口角をゆるく上げている。きっと僕の表情から思い出したことが伝わったのだろう。
「……全く。これっぽっちも。まさかこんなところで牧に会えるなんて思ってなかった」
「うん。だよな。名簿見ても同名の人違いかもって最初考えた」
だから気になって探してた、と嬉しそうな笑顔に僕も負けないくらいに笑顔になっていた。
「本当に同じクラス?」
うん、と力強く頷かれて、もう一回同じことを繰り返していた。
「本当に同じクラスなんだ」
「そうだよ。宮と同じクラスになってみたかったから嬉しい。宜しくな」
僕こそ、と言いたかったのに。僕はまだ昔の記憶に半分頭を持って行かれていたせいか、それともあまりに嬉し過ぎたせいなのか。声が震えてしまいそうで何も言えなかった。
それでも自然と自分から牧へ拳を差し出していた。僕よりかなり大きな黒くてゴッツイ拳がコツンと僕の拳へ当てられる。

拳が触れ合ったところからビビビと痺れて、頭の奥で今朝母が言った一言が唐突に浮かんだ。
『今日から新しいスタートだね』
昔と同じように合わせられた拳に、僕は久しく感じていなかった……否、感じてはバカを見ると避けてきた“期待”というもののワクワクした感覚に数年ぶりに心臓が踊った。










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私は宮益が大好きで、今まで漫画などにも脇役で出演させてきました。今回は初の準主役!
もちろん主役は牧ですが(笑) 勝手な捏造満載(海南大附属がもと男子校とか)でお送りしまーす♪


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