水面に映る虹よりも  vol.10


木漏れ日からまだらな影が落ちる。仙道のすっきりした額にも汗が浮いていた。
「本当にここで良かった? もう少し歩いたら別のファミレスもあるのに」
「お前さえ良ければ俺はここで満足だ。あ、もしかして小腹減ってたか?」
「俺は全然。……話戻るけどさ、牧さんってホント神出鬼没だよね。あんな時間にあんな場所にいると思えなくて、半信半疑で暫く後つけちゃったよ。いつもああやってふらりと目的もなく出かけるんすか?」
仙道に聞かれた時に、何故か咄嗟に嘘をついてしまっていた。急に部活をさぼりたくなって、行くあてもなくぶらぶらと歩いていたと。大学に入って初めて部活の休みを申請しただとか、練習試合に間に合わなかったと正直に言いだせなかった。
「……滅多にないんだけどな。それよか、後つけてたってどこからだよ」
嘘をついた手前、仕方なく嘘に合わせた返事を仙道は疑うでもなく首を軽く傾げた。
「小柳理髪店のとこだから……50mぐらい? ま、改めて乾杯しましょーや。俺達の二度目の偶然の再会に」
かんぱーい!とふざけて仙道がペットボトルをぶつけてきた。ボコンという鈍い音がわずかに響く。水滴がぶつかりあって散った。

牧が見れなかった今日の練習試合の話から始まり、連絡をしあわなかった間にあった些細なくだらないバカ話。少し喋るのが上手くなった大輝の話などなど。風に吹かれてのんびり話をしていると本気で時間を忘れた。
風も陰ってくる日差しも、仙道の明るい笑顔や低いのに涼しげな声も。何もかもが心地よくて、ずっとこのまま一緒に座っていたかった。
だからといって。流石に三本目のペットボトルを買いに行くのもどうか……。
「すまなかったな、帰る途中だったのに付き合わせて」
ベンチから立ち上がると仙道はきゅっと眉間を少し寄せた。
「まだ明るいじゃないすか。牧さん今日は何も用事ないって言ってたじゃん」
駄々っ子が拗ねているように見上げてくるので内心焦ってしまう。コートで飄々としているあの仙道とは思えない。まるでまだ帰らないでと甘えられているように錯覚してしまい困ってしまう。
「俺はいいけど、お前が……。そんな荷物持ったまんまで。それに、滅多にない早帰りの日だってのに悪いじゃないか」
「滅多にないからこそ、ゆっくり牧さんと過ごせて嬉しいって意味で言ったのに通じてなかった? 乾杯までしたのに、冷たいなぁ。電話だってずっと待ってたのに全然くれねーし。あ、嘘、ごめん」
言ってから即謝られて牧は苦笑した。言うつもりはなかったのにと仙道がバツが悪そうに眉尻を下げているのがまた可愛いくてグッとくる。……可愛いだって?
「…怒った?」
やけに胸が甘ったるくて戸惑ってしまい黙したのが勘違いを招いたようだ。不安をぬぐうべく笑みを作る。
「全然。それに関しちゃ俺が全面的に悪かったから。だが流石にちょっと切り替えるのに時間がかかってな。大目にみてくれよ、こうして会いに来たんだから」
「え。会いに来てくれたの?」
「あ」
うまく隠せていたのに、仙道の曇った顔を晴らしたい一心でつい。どうしてこう、俺はこいつといるとうっかり、普段やらかさないようなことをしてしまうのだろうか。

流石にこうもミスが重なると、もう良い自己フォローも思いつかない。
となれば開き直るしかなくなってしまう。
「……顔見たいと思って悪いかよ」
ぶんぶんと首を音がするほど左右にふって仙道が立ち上がった。首の振り過ぎで少しよろけたのを慌てて支える。
「バカ、何やってんだよ」
「や、だって。嬉しかったから……。俺の顔、見たいと思ってくれたんでしょ」
少し紅潮した頬が近くにあって、何故かこちらまでつられて顔に血の気がのぼる。
「それがどうした。大げさに言うな。引っ張る話題かよ」
「引っ張るって。もし今日会えてなかったら、明日の土曜は呼ばれなくても押し掛けるつもりだったんだ、俺。会いたくて会いたくてどうにかなりそうだったけど、あんたけっこう繊細なとこあるから……すっごく我慢して辛かったんだよ」
「繊細ぃ? 俺がぁ?」
初めてうける評価に過剰反応して語尾が上がってしまった。しかし仙道は真面目に頷いた。
「そうだよ。あんなことくらいであんなにパニクっちゃうくらい繊細だよ。気遣いとか無意識でしてるし。本当はさ、知ってるよ。あんたは外面キングなんかじゃなくて、俺に合わせてくれたってのも。それに……優しくて繊細で、恋愛で傷つくのを怖がってる真面目な人だってことも」
「…………お前、誰のこと言ってんだ? もしかして、俺に別の奴を重ねてねぇか?」
「何言ってんのさ! あ、吹き出した、人が真面目に喋ってんのに。失礼だよ腹抱えて笑うなんて」
体をくの字に折って盛大に笑う牧の横で、仙道は長い脚を子供のように踏みならして怒った。
しかしそのうち仙道も「なんでそんなに楽しそうなのさ〜。チクショ、可愛い顔して」と、悪態をつきつつやけっぱちのように牧の肩をバシバシと叩いてから隣に座りなおした。


牧が笑い終えてからも仙道は言葉の端々でちくりと嫌味を零した。もちろんふざけているのは分かっているが、一応付け加えてみる。
「だから別にバカにしたわけじゃないんだって」
「はいはい、いいですよもう。外見とバスケだけ大人レベルだけど、恋愛に関しちゃお子さまなあんたにはね。これから俺がじっくりしっかり色々教えこむからいいですよ」
「何気に失礼だぞ。まぁ、お前は確かに恋愛に関しちゃ百戦錬磨だろうがな」
「んなこたねぇっす。つか、百戦錬磨って。まるで俺がスケベで浮き名を流してるみてーな」
「藤真が言ってたぞ。お前は無駄にフェロモン撒き散らしてるから男も女も入れ食いだって」
「何その嘘八百〜! いつか泣かす!! ただでさえ藤真さんには」
突然立ち止まられて、牧は後ろへ振り返った。握りこぶしを片手で作ったポーズの割には、表情に勢いがない。
「どうした?」
「牧さんは。その……牧さんは、まだ。……藤真さんのこと」
ぼそぼそと不安そうな声音を牧は途中で遮る。
「何とも思っていない。蒸し返されたくもない。その話の続きになるなら、俺はこのまま帰る」
仙道のお気に入りというラーメン屋へ向かう途中であったが、牧はそのまま仙道を追い越して元来た道を戻ろうとした。慌てて仙道が引きとめる。
「すいません、もう絶対聞かないから」
牧は一度だけ軽く睨め付けたが、それでもまた仙道の隣に並んだ。同じことを繰り返したくて来たのではないから。
仙道も同じことを考えていたのだろうか。「もう焼かない。ごめん」と呟いたあとは、「ええと、信号を渡ってあの角を曲がってあと少ししたら店に着くから」と話を変えた。牧は何に仙道が焼いたか分からなかったが、話が切り替わったのでそのままにした。


信号を待つ間、仙道のドラムバックに隠れるように白いものが見えた。それがコンビニの袋だと初めて気付いた。以前迷っていてこいつと会った時も同じようにコンビニの袋を提げていたような。
「それ、何? 何を買ったんだ?」
「……別に大したもんじゃないっす」
思いがけず返事に窮したように目を逸らされてしまい、俄然興味が湧いた。
「恥ずかしがることはないぞ。うちなんて部室の棚に常時3〜4冊は入ってるみたいだし」
「んな大きなサイズでもないんだから、違うの分かんでしょ。残念でした」
「別に残念じゃない。おっと、すまん」
わざとらしく牧は仙道の手にある袋に指をかけて中を覗いた。牧は「あ」と小さく驚きの声をあげた。
「……特別すぐ食いたかったわけじゃないんで…」
ごにょごにょと口の中で言っている男がどんな顔をしているのか、牧は知ることが出来なかった。
袋の中で溶けきってしまっている一個のカップアイスと、これまた袋の中で液状化しているアイスキャンディー。
「……言えばよかっただろ。その場で食っちまえばいいのに。もしかして……前に会った時もお前、アイス買ってた?」
「…アイスなんていつだって食えるから」
だからこんなん、いーんです。
顔も見なくても、声音だけで仙道の表情など容易に想像ができた。

今まで胸に積み重なり続けてきた、全ての不可解なパーツが。とても小さくて、でも何故か忘れることができないでいたパーツが、唐突に規則を持って組重なって形をなし、一つの答えを導き出す。
横倒しになっているカップアイスのはしからバニラアイスが零れてビニール袋に小さなクリーム色の水溜りを作っている。
ほんのりと甘く優しい、バニラの香り。
それよりももっともっと甘くて優しい男の心は、きっと早く気付いて大事にしないと同じように溶け崩れて手放すしかなくなってしまうような──

「仙道」
「はい?」
「何て言えばいいんだ?」
「?」
もどかしい。焦っているせいで頭が全然働かないから助けてほしいのに。
「だから、こういう場合だよ」
「だからって……どういう場合なんすか?」
仙道が不思議そうに首を傾げながらビニール袋にかけられた牧の指をそっとはずした。
「お前のものになりたいんだ。そういう場合は何て言えば適当なんだ? 俺は男だから、彼女じゃないだろ。お前の彼氏にしてくれと言えばいいのか? それとも俺の彼氏になってくれと言えばお前は俺のものになってくれるのか?」
牧は一気にまくしたてるように口にした。
呆けたような、なんとも言えない顔の仙道が前かがみの状態のまま必死な顔を向ける牧を見降ろしている。
「お前は恋愛ごとには長けてるんだろ。教えてくれ、早く」
「ま……き、さん」

長い指先からするりと逃げたビニール袋がアスファルトの上でパシャンと小さな音をたてた。
袋からじわじわとクリーム色の液体が灰色のアスファルト上に広がっていく。共に広がる、甘いバニラの香り。
一歩踏み出してきた仙道の靴の下でピシャンと小さくバニラが音をたてた。
早く。早く。零れてダメになる前に早く教えてくれ。

足元のバニラに気取られていると、長い腕に包み込まれた。額に触れる仙道の熱。耳元には震えた囁き。
「好きだと……俺を好きだと言ってくれればいいんだよ」
「好きだ。お前が好きだ」
とっくに好きだったのだ。そのくせ、モラルに外れる引け目が新たに生まれた恋心を認めようとしなかった。お前が向けてくれる気持ちまで無意識で無難な好意にすり替えて逃げていた。
溢れだす、今まで仙道に感じていた正直な想いが。
「お前もだろ? お前も俺を好きだろう?」
まだ間に合うはず、まだこいつは俺を好きなはずと、成就する恋を願って声が掠れる。早く言え。お前は俺が好きだと言いやがれ。─── 頼むから、間に合っていてくれ。

抱きしめられてはいるが、望む言葉が与えられない。徐々に牧の中に不安が滲みだす。まさか、もしかして、そんな…好きだと言わせておいて…もう今は……?
腕が解かれて牧は愕然とした。そんなのありかよ……と唇を動かすが声にならない。ほどかれた腕の熱はすぐに体から失われた。同性に恋をするのは若者特有の一過性のものであったとか。そんなことをお前は言うのだろうかと胸がひやりとしはじめた。

すっ…と仙道の両手が牧の冷えてしまった頬に添えられた。そのままするりと撫でるように牧の顎を捉えて上向かせる。軽く開いていた牧の唇に、薄いが柔らかい仙道の唇が重ねられた。
一度だけだが知っていた唇とは思えない、力強い質感。
バニラの甘い香りに包まれながら、唇には僅かな海の味。
恋が、叶う。
ずっとあり得ないと思い続けて、夢みたこともなかった恋が。
好きな奴に好いてもらえることがこんなに涙腺を弱くするものだと知らずに生きてきた。

長いキスがほどけた淋しさに、今度は自分から仙道の頬を包んだ。ずっと、こうしてみたかったと今頃気付く。
掌に包まれた、いつもより少し血色がいい顔が少し意地悪な笑みを浮かべる。
「……これは、嬉し涙なんでしょ? まさか大輝君とのキスのように痛かったなんて言わないよね」
「…余裕こきやがって。テメェだって、これは何だよ。俺は噛んでないぞ」
笑っていた口元をさらに歪めた仙道の瞳は透明な水がたたえられている。溢れそうなそれが欲しくて、目尻に指を添えた。指先に伝う滴は体に沁み込むようだ。
「考えて。もっともっと俺を見て、そしてまた考えて。まだたった一つしか正解を導き出せてないなんて、俺を見てなさ過ぎの証拠だよ。見て、触れて、感じて、考えて、気付いてよ。俺がどんだけ前からあんたを……」

続くだろう答えそのものはもらえなかった。
かわりに、沢山のヒントとも答えともいえる甘い甘い口付けを。
バニラの香りに溺れるほど与えられた。













袋の中に残ったアイスは、袋ごと冷凍庫へ入れてもダメだから捨てるしかなくてもったいない〜。
 零れたアイスにアリがたかって、キスの最中にとんでもない状況になってたら嫌だなぁ……。


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