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仙道に連れられて、昼は定食屋で夜は居酒屋という小さな店の暖簾をくぐった。仙道のすすめるにまかせてメニューを選び、慣れないアルコールを頼んで飲んでしまう。 軽い酔いのせいもあるのだろうか、仙道の繰り出すバカ話と美味い飯はやけに俺を笑わせた。おかげでいい具合に酔いがまわって、先ほどの変な照れなどすっかり忘れてしまった。 部活の打ち上げなどで行くような店とは違いカウンター席に並ぶ背広姿が多い店内はあまり広くはない。ほどよい狭さと適度な賑わいは初めての店とは思えぬほど落ち着けた。メニューも家庭的な料理や味付けで、目新しさはないがどれも美味しかった。 女子供がみかけられない装飾も地味な店内で、男二人で食事をして浮かない店を俺はラーメン屋くらいしか知らない。こういう店に仙道は一人でふらりと来ると知り、一つ年下と思えない雰囲気を今まで感じることがあったせいか妙に納得がいった。 最後に出てきた熱々の竜田揚げを咀嚼して冷えたビールを飲む。苦いだけだと思っていたビールも、こうして旨いものと一緒に飲むのはなかなかにいいものなのだなぁと、今日何度目かの初めての発見に気を良くしているところへ仙道が訊ねてきた。 「牧さんさぁ、今日奢ってくれるのは礼と詫びって言ってたけど。詫びって何だったの?」 最奥の小さなテーブル席は狭いながらも居心地は良い。薄暗くもほのぼのとしたオレンジめいた明りに照らされた仙道はくつろいだ姿勢でニコニコとしている。 口調も幾分くだけてきているのが俺としても気軽になれたのだろう、ペロリと本音を吐いていた。 「あー。電話するって言ってたのにしなかっただろ。俺なぁ、実は電話嫌いなんだよ。しかもお前の家電だろ? 親御さんが出たらとか考えたら更に面倒になってさ。タイミング逃すうちにかけるのを忘れてたんだ。すまん」 「全然。俺、電話来ねぇだろうなって思ってたから」 「何でだよ。そんなに薄情そうか俺は」 違う違うと手を振る仙道は責める気は全くないと笑った。本当は忘れたわけではなかったため、嘘をついたことになるけれど勝手に許された気がした。 「レシートの裏に書いたじゃん。だから間違って捨てちゃっただろうなって。それにほら、俺だって牧さんの番号知ってたんだから。待ってばっかねーで俺からかければいいことじゃん。だから気にせんで下さい」 それよっか、こないだ珍しい奴と会ってね─── 続く仙道の全く別の話に電話の件はうやむやに流れて消えた。 楽しく飲んで食べて話をして。あっさり自分の非礼を許されて。まだこうして個人的に会うのは二度目だというのに、こんなに気のいい男と親しくなれたと嬉しく感じていた。 藤真達と会っている間中、淀んだ気持ちで胸が重苦しかった。誘いを断りやっとの思いでその場を逃げ出した時は飯など喉を通らない気さえしていた。多分あのまま一人で家に帰り着いたとして、晩飯は茶碗一杯しか食えずに寝ただろう。 それが。 「うう〜。食い過ぎた。特にここの竜田揚げはパリッといい揚がり具合で、進んで困るなぁ、飯も」 ビールもと続けるとこだったが、一応未成年を隠して注文しているのでかろうじて口を閉じた。仙道は分かってますよというように中ジョッキを軽くあげてニヤリと左口角をあげてみせた。こんな仕草までが妙に様になっている。 「でしょう。実はね、ここのチャーシューおにぎりがまた格別。この竜田揚げを細かく刻んで、たっぷりのゴマと少しの菜っ葉と一緒に混ぜて握ってあんの。菜っ葉の食感が絶妙でね」 「そういうのは早く教えろよ〜。……? メニューに載ってないぞ?」 「うん。裏メニューってやつだから」 「そういう裏メニューはどうやって知るんだ? いいなぁ。なんか特別な気がして注文したくなる」 「まかない飯だったんだって、最初。ここ、クラスの奴の親の店で、そいつもここで手伝いってかバイトしてるんだ。そんで教えてくれて。牧さんも食いたい?」 随分と落ち着いた店を知っているものだと案内された時に内心驚いたが、なるほど合点がいった。同時に何故か少し安心もした。 腹に手をあてたが、流石にこれ以上は無理だと断念する。表情で返事を読んだ仙道がくっくと笑った。 「けっこう食い意地はってんだね、牧さん。また今度来ませんか」 「おう。連れてきてくれ。ここ、道が入り組んでて分かりにくいよな。今度は必ず電話する。そうだ、もし俺から一週間以内に電話来なかったら、お前からかけてくれないか」 「おー! 今まさに俺、牧さんを餌で釣った〜! しかもすっげー安い餌で!」 何がツボにはいったのかは分からないが、仙道はテーブルにつっぷして笑い出した。ハリネズミのような黒髪が揺れている。 そういえば、前もこいつの呼吸困難くさい爆笑する姿に俺は驚かされ、ついにはつられて笑っていたと思い出す。 初めてかもしれない。人見知りというわけではないが、たった二度個人的に会って一度の飯を共にしただけで自分から次も会いたいと、バスケ抜きで思うのは……。 「俺、一人暮らしなんすよ。だから電話は気軽にいつでもかけて下さい、俺しか出ねぇんで」 「え? あ、そうか。お前バスケ特待生だったか。寮住まいなのか?」 バカ話や食べ物の話ばかりしていて、全く自己紹介的な話をしてこなかったことに今更気付いた。もともと相手のことに関して詮索などしない性質だが、それとは別に、まるで昔からの知り合いだから聞く必要もないような気になっていたようだ。 牧はそんならしくもない自分に驚いたが顔は出さなかったため、仙道も先ほどと同じ調子でこたえてきた。 「一年は寮で我慢したけど、やっぱどうも。……部活終わってまで集団生活はキツくて」 「そうだよなぁ……。俺も本当は寮の方が近いし考えたこともあるんだが」 やっぱり寮は一人の時間が減るもんなぁと続ける牧へ仙道は頷きながら苦笑した。 「牧さんも自分の時間が大事なタイプなんすね」 「ずっと先輩だ後輩だのと、立場に応じて対応してりゃ疲れも出るだろ」 驚いた顔をされたが、そこには深い共感が滲んでいる。 「なんだ、お前もか」 少しうろたえたような照れた様子でまたも頷いてきた。 「牧さんも外面キングだったなんて知りませんでしたよ。つか、そんなこと俺にバクロしてくれるなんて思ってなかった……」 「!?」 いつ俺は自分が外面キングだと言ったよと、牧は呆気にとられた。 即座に否定しようとしたのだが。いったん俯いたけれどすぐに上げてきた仙道の頬が赤く染まっており、そこへはにかんだ笑みまで加われてしまい──。それを見た途端、牧の心臓はドクンと跳ねて言葉を出せなくした。 「んなことまで教えてもらえて、すっげー嬉しいです」 ─── 眩しい。微塵も自分の推測が間違っていないと思っているその目が。 普段飄々として食えない男に感じさせている仙道という男が、こんな初々しい(?)顔を見せるなんて。 ここで即座に否定することが出来る奴がいたらお目にかかりたい。いかな海南現主将、天下無敵の冷静ツッコミ男とささやかれている神ですらできないのではないかとまで思う。 落ち着かない心臓を宥めすかし、牧は仙道の瞳から目をそらした。お冷を飲んで間をおいてから、それでもいくらかは抵抗。否、誤認を解くよう試みる。 「……キングというほどじゃない」 心の中の自分が、それじゃダメだろと項垂れる。これじゃ間接的に肯定をしたようなもんじゃないか。 案の定、程度なんていいんですよと二度三度と頷かれてしまった。 「俺さ、見えないって言われんの確実だから誰にも言ったことないんです。見透かされんのも嫌なくらい外面キングなんで。牧さんだって誰にもそう思われてないだろうし、言わなきゃ絶対ばれないのにさ。こう、サラリと俺なんかに言っちまえるってスゲーすよ。うん。言っちまえる牧さんは確かにキングまではいってないかな」 手放しで褒められ居心地が悪くなる。それでなくとも先ほどの仙道の笑みを可愛いと……藤真以外の男相手に心臓が跳ねてしまった自分に冷や汗が出たというのに。 変に狼狽えるから酒も更にまわって言動を失敗するのだ、冷静になれと牧は己を叱咤する。 「外面いいなんて褒められた話かよ。やめろってもう。俺のはただのクソ真面目なんだから」 やっと本当のことを言えてホッする。そうなんだ。俺はただのクソ真面目であり、別に外面を気にして行動しているわけではないのだ。求められた立場を遂行してしまうだけの、面白味のない奴なんだよ。 分かってくれ仙道……と、説明不足を棚に上げ無茶な願いを胸の内で唱えるも。 「いいじゃないすか、真面目上等! 集団生活なんて誰かが外面考えねぇと円滑にゃ回らんもんでしょ。ましてや主将だしさ〜」 ぐいとグラスに残ったビールを飲み干す様は先ほどより酔いがきているように見えた。 当然通じていなかった俺の誇張したマイナス部分までいいように取られてしまって、もうどうしていいか分からない。このままではどんどん仙道の中に仙道の望む形の俺が出来上がってしまう。そんな器用な奴は俺じゃないのに……。 これ以上誤認が拡大する前に話の矛先を変えねば。これからまたこうして会っていく中で俺という人間を徐々に知ってもらえばいい。とにかく今この慣れない酒で思考回路が弱っている自分には訂正は無理だと見切りをつける。 「魚住の話を聞いていたら、お前はマイペースで周囲を気にしない飄々とした男となげいて……ええと」 「あはは! いっすよ言葉なんて選ばんで。俺はね、飄々とした風を装ってるんですよ。何事もどこ吹く風って感じでいれば、周囲がこいつには任せてらんねーって自分がやる気になんでしょ。んで俺もやりたいようにやりやすくなるしさ。だから少々なげかれるのはコミなんだ」 「なんだ、やっぱりマイペースは合ってるのか」 「そういう牧さんもでしょ? 海南がすげー真面目なのは主将のカラーが出てるんだろうし。牧さんは自分の真面目さをマイペースで発揮してるから、周囲もつられて頑張ろうと自然にやんだろうしさ」 考えてみたことのない見方を教えられて、混乱しているせいか、はたまた酔った頭のせいかそういうもんなのかと流されてしまう。そして結局はまた矛先が自分に戻ってきてしまったため、とうとう観念して牧は白旗を揚げた。 「何だか自分が分からなくなってきた……。別の話をしようぜ」 よっぽど情けない顔をしていたのだろうか、またも仙道は楽しそうに笑った。 終電の一本前の電車は人もまばらで、冷たい色の蛍光灯に照らされた車内は無機質で寒々しい空気に包まれている。 駅へつくまでの夜風でアルコールは抜けて体は冷えていたが、心はふわふわと少し浮ついた感じで仄かに明るい。 そういえば先月もこうして見慣れない夜景を眺めながら一人で夜の電車に揺られた。あの時よりも今日の方が落ち込んでいて良さそうなものを。きっとまたあきれるほど今日見ることが出来た藤真の声や表情を思い出しては沈みこむのを覚悟してもいたのに。 今は──。今思い浮かぶのは、断ったのに駅まで送ってきた仙道のことだけで。 何だってあんなに笑うのだろう。声を出して笑うというより顔が笑っているというか。……いや、違う。本当は笑っているんじゃなくて目元に笑みが絶えないからそう感じさせるのかもしれない。 嬉しそうだったり楽しそうだったり。勝手に誤解してあんな無防備な顔を見せたり。あれほど表情豊かな男は珍し…くはないか。後輩の清田や湘北の桜木など全て顔に出しているかと考えを改める。 では何故、表情が豊かというだけでこんなに繰り返し思い出してしまうのだろう。 ふと『俺は外面キングだから』という、前向きなんだか後ろ向きなんだか分からない台詞も思い浮かんだ。 本人が己をそう評しているのを考慮すれば、笑みに見える表情をキープするのは納得がいく。けれどどうも俺には魚住達が感じている仙道の方が本人が評する性格よりしっくりと感じられる。あまり親しいわけでもない俺ですらも、仙道が本当に外面重視の男とは思えないでいる。 ……本当は外面でもなんでもなくて、ただ気遣いが出来るだけの話ではないだろうか。 頭の回転が早く気遣いが出来るからこそ、陵南という仙道のレベルのみが突出しているチームでも、周囲にプレッシャーだけ与える存在とならずに上手くなじめているのではないか。現に陵南はあいつのチームになっている。 この推察はなかなか自分でも納得ができ、つい牧は一人頷いてしまって周囲を見渡してしまった。…幸い誰もこちらを向いてはおらず安堵する。 もし仙道が本気で外面を演じているだけと認識しているのであれば。偽りの自分を演じていることを辛く感じつつ、一人になれる時間でしか本来の自分でいられないと思っているのならば。 お節介ながらいつか教えてやりたいと思う。お前は気遣いができて周囲を見れる頭のいい男なのだと。それと、決して全てが演じている自分なのではないことや、もっとお前のチームメイトに自分が思う自分を見せて楽になれという助言も。 インハイ予選で陵南と対決した際、チームメイト全員の揺ぎ無い信頼─── 言い換えれば、崩れることは絶対に許されない強大なプレッシャーを仙道は一身に背負い過ぎていた。もう少し自分にも欠点や脆さもあることを理解させないと、今後はもっと厳しいことにもなるだろう。 いくら天才と評されていたって、全く崩れない精神を築くには、まだ俺達の年齢では経験が圧倒的に足りない。プロの世界ですら常に課題となり続けるくらい大切であり、かつ大変なことなのだ。 今日話をしていて、そう遠くない時に突然何かの拍子にあいつが潰れてもおかしくはない感じがして不安になった。多分、それら全てを計算し尽くした上で奴はギリギリの縁に自ら立っている……ような気がしたから。 コート上で弱点に気付かれればそこから切り崩されてしまうもの。勝てなければ全ての時間も努力も無きに等しいものへ変える勝負という厳しい世界では、どんなに僅かな隙だって見逃されはしない。 敵に塩を送る愚行だと分かっている。それでも……伝えてやりたいと思うのだから、俺も大概甘い奴だと僅かに緩んだ口元を片手で押えた。 もし今。互いに携帯を持っていたら。仙道へメールでもしたかもしれないとふと考え付く。誤解をとくとか助言するだとかそんな難しいことをメールではしないが、今夜は上手い飯をありがとう、とくらい出しているかもしれない。 出せばきっと返事はすぐに来るだろう。そこには俺を気遣って、次を確約しようとする内容はなく。当たり障りのない、けれど心のこもった短い言葉が届く気がした。 そんなあり得ない想像をらしくもなく巡らせば、またほわほわと心が軽く浮いた。 先ほどの考えを改めて俺は肯定する。実は結構気疲れをしがちである自分が次も会うのを、得意でもないお節介もコミで楽しみにするのがいい証拠だろう。 もう俺は、あいつを好ましい存在と認識しているのだ。 今夜は遅いから無理だが、なるべく近いうちに電話をかけよう。 苦手な電話を早くかけたいと思う自分が不思議で……そんな自分が嫌ではないことが気恥ずかしかった。 冷え切った夜空で冴え冴えと瞬く星を見ることもなく。 牧は何故か酒を飲んでいた時よりも血色が良くなってきた顔を俯けて足早に家路を辿った。
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バスケ以外で相手のことを色々考えるようなタイプではない牧が考えてしまうのは……ムフフv
隠れメニューって一度だけ頼んだことがあるけど、頼む時はけっこう勇気いりますよね〜(苦笑) |