|
|
||||
「そっすかぁ。牧さんも来てたなら、俺も見に行けば良かったな」 こんな時間にこんな場所に一人でいる牧を不思議がる仙道へ、牧は簡潔に経緯を伝えた。もちろん一人になりたくて歩いていたなど言う必要のないところは省いた。少々説明不足かもしれないと自分でも思ってはいたが、仙道はすんなりと納得したようで詮索をしてくることはなかった。素直に練習試合に興味を向けたようだった。 「いや、だから俺は試合には出てない。ずっとこの格好のままベンチで座ってたんだって」 「高頭監督は試合中には来れたんすか?」 「来てない。やはり途中で抜けられなかったんだろう。それがどうした?」 「その恰好でベンチに始終座ってたら翔陽のベンチ入り出来ない奴らやギャラリーに……」 笑うのを堪えているのが震える肩の動きで分かる。牧は口をへの字に曲げた。 「監督代行も役目に入ってたんだから制服で行くしかないだろうが」 立ててある髪型を崩さないようにパカンと仙道の後頭部を叩けば、「まだ最後まで言ってないのに〜」と笑い出した。 ワイシャツとネクタイと紺のブレザーの制服のせいか、サラリーマンと間違えられることもしばしばな俺には、仙道が何を考えて笑っているかなど聞くまでもない。 あまりに楽しそうで、つい余計なことを口走ってしまう。 「俺はお前のとこの制服よりはいいと思っている」 「え? どうして? 俺んとこのなら警察官と間違われないっすよ?」 会社員ではなく警察官と思ってたのかこいつは……と、ますます眉間に皺が寄る。 「俺が学生服を着ていたら何回もダブってる奴か、変な変装した危ない奴に見られるのがオチだろ」 仙道は腹に手をあてブフッと吹き出すと、今度はしゃがみこんで盛大に笑った。こういうリアクションをされそうだと思いつつ言ってしまったのは、こいつが長身をかがめて笑う姿が、妙な好感を感じてしまったせいかもしれない。コート上のこいつしか知らなかったが、こんなに人懐っこく笑うとは意外なだけに新鮮で。ついいいだけ笑われていることもどうでもよくなって笑う姿をのんびり眺めてしまった。 ひとしきり笑った後、しゃがんだまま顔を上げて訊いてきた。 「それじゃあ、牧さんは制服で海南を選んだの?」 「そんなわけないだろ。うちは中・高・大とエスカレーターだ。小学生の頃から自分の成長した姿を見越して進路を選べるものか。俺だってこんな、」 ……こんな顔に成長してしまうとは思ってもいなかったと本音を零しかけたのを途中で止めた。子供の頃はもっと父親に似た面差だったはずなのにと続く言葉も呑み込む。 それを知らない仙道はニコニコと笑った。 「こんな精悍な男前に変わるとは想像しなかったって?」 とんでもないお世辞の切り返しに唖然とさせられた。男前はお前だろうがと、返事が一拍遅れた。 「阿呆か。煽てにはのらん。お前こそその身長で学生服を着ていても気味悪がられない顔で良かったな。親に感謝しろよ」 そんなオチつまんないよ牧さん〜、と口先を尖らせる仙道の靴先を牧は調子が狂った面持ちで、「さっさと立て」と己の靴先で軽く突くように蹴った。 くだらない会話をしているうちに気付けば賑々しい通りに出ていた。太い道路には駅へ向かう表示なども記されている。迷ったことや駅を目指していることなどは伝えていなかったが、もしかしたら気付かれており、こちらへ誘導してくれたのかもしれないと考え付く。しかし今さら礼を言えば藪蛇になる可能性もあるため、あえて牧はそこについては触れなかった。 そのかわりというのもなんだが、仙道がなるべく笑いそうな話題を選んで話した。大学の部活でのこと、監督の妙なこだわり。他にもそれこそ色々と小さなネタみたいな軽いものを。 そのひとつひとつがまるで爆笑ネタのように仙道が大ウケするものだから。話が上手くないと自覚してはいても、単純な俺は話術が上手くなった気がして話をするのが楽しくなっていた。 仙道の絶妙なツッコミが面白くて笑っていると、いつの間にか駅が見えるところまで来ていた。もうここからなら迷いようがない。まだ付き合って先を行こうとする仙道の袖を牧が軽く引っ張って止めた。 「ここでいい。送らせてしまったようですまなかったな」 「いいえ、全然! ……つか、失敗した〜」 まさに痛恨といった様子に驚き、何か用事があったのかと焦れば、「違う違う」と手を振って苦笑いされた。 「もっと遠回りして、終電がなくなってから駅に着くようにすりゃ良かったなって。ここ、けっこう終電早いんすよ」 「なんだよそれ。そしたら俺はタクシーに乗らなきゃいけなくなるじゃないか」 意地悪がしたかったのかとムッとしかけた俺に、今度は力なく笑った。 「終電なくなってたらそれを理由に俺ん家に誘えたなぁって。……もっと話したかったから」 まるでこの機会を逃したらもう会えないかのような仙道の呟きに、何故か胸にツキリと小さな痛みを感じた己に首を傾げる。 「なら電話かけてこいよ。俺ばかり話しちまったからな。今度はゆっくりお前の話を聞くよ」 ふわっと仙道の顔に笑みが広がった。これと似たような表情の変化を俺は知っていた。花形が迎えに来たことに気付いた時の藤真がよく見せていた、それ……。 仙道に会ってからすっかり頭から消えていた藤真の存在が牧の心に薄い影を落とした。 しかし目の前に立つ仙道は書く物がないときょろきょろと周囲を見回しており、僅かにしかめてしまった自分の表情に気付いてはいなかったようで胸を撫で下ろす。 「あ。牧さんちょっと待ってて。俺、書く物買ってくるから」 書く物など緑の窓口にでも借りたらいいだろと言いかけるより早く、仙道は隣のコンビニへ駆けて行ってしまった。 呆気に取られている短い間に戻ってきた仙道は、ボールペンを買ったレシートの裏に自分の電話番号を書いて半分にちぎって渡してきた。ペンと残りの半分を受け取って牧も番号を書いて渡す。 「メモ帳くらい売ってなかったのか?」 「売ってると思うけど。けど、……こっちの方がいいから」 「普通のボールペンと違うのか、それ?」 いえ、まぁ……と濁した返事をされたが、特に興味もなかったので追及はしなかった。 もらった番号は家電話なのが少し意外だった。自分も携帯を持っていないため、こいつも俺と同じで携帯は首輪をつけられるようで面倒だと考えるクチなのかと勝手に解釈する。 「牧さんももしかして携帯持ってないんすか?」 「あぁ。お前もなんだな」 「うん。持ってても多分持ち歩くことも忘れると思うし、確実にどこかに置き忘れそうで。俺は家電で不便してないから」 つい口元が笑ってしまったのを気付かれた牧は頷く。 「そうなんだよな。周りは持てと煩いけど、俺からしたら周りが持ってるから不便ないんだよ。悪いとは思うけどさ」 一緒っすねと嬉しそうに。……本当に嬉しそうに微笑まれて、こんな程度のことが一緒で何故それほどとこっちが戸惑ってしまい、目線を周囲へ意味もなく彷徨わせてしまった。それを仙道は時間を気にしていると捉えたらしい。 「牧さん、今からなら多分52分発のに乗れますよ。連絡、待ってますね」 「あぁ。じゃあな、また」 「うん、また」 急ぎ足で歩道橋を上る途中で、つい何気なく振り返ると、一人だけ飛びぬけて背の高い仙道がぽつんと立っている姿が見えた。何故帰らないのだろうと思いつつもまた階段を上った。 一人になり、知らない夜景を電車のガラス窓から眺めていると、また藤真の顔を思い浮かべてしまっていた。 暫く会うこともないため、今日見た顔をこうして次に会える時までに何度か思い出すのだろう。切なくなるのが辛くなってやめるまで、バカのように何度も。 もうやめてしまいたい。伝える気もない、伝わるわけもない、伝わってほしくもない、実ることが100%有り得ない恋など。 いい加減疲れたと思いながら、まだ、『来いよ!』と命ずるような藤真の言葉を思い返している。 何年こんな不毛なことを続けていくんだ。もうやめてしまいたいのに……。 苛立ちのまま、ぐしゃりと髪を掴んだ手の行き場がなくてポケットへ突っ込んだ。カサカサと指先に紙片が当たる。 引っ張り出してみれば先ほどのレシートの半分。 今更ながら面倒な約束をしてしまったかなと溜息が零れた。他校の、しかも一部では俺のライバルとも称されてもいる男と会うと考えるだけで少し疲れる気がした。 仙道が出てくる前までは、神奈川県で俺のライバルは藤真だけだった……。 まとまらない考えにむしゃくしゃしてレシートを握りつぶすと、乱暴にまたポケットへ突っ込みなおした。 漸くちらほらと覚えのある夜景へと変わりはじめた。腹が空腹を訴えて妙な音で鳴いている。今日の晩飯は何だろう。こんなに腹が減っているのだから、駅前のどこか店に入って何か食えばよかった。もうこの時間ではキオスクも閉まっているし、駅を出て家に着くまでにある店ももう閉まってそうで買い食いしながら帰宅もできやしない。 そういえば仙道も学校帰りのようだったから案内の礼に飯でも奢ってやればいいものを。一緒に飯でも食えばあいつの話とやらも聞くことができたし、電話をする約束などせずに済んだのに。 電話は昔から嫌いだ。直接会って相手の顔を見ていながらも気持ちを汲むのが下手なのに、顔も見れない様子も分からない相手と話をするなんて。しかもこちらからかけるとなると、相手の都合を考えて更に気が重くなる。大学生ともなれば携帯を持たないでもいられなくなるのだろうか。面倒なことだ……。 気持ちを切り替えようと、あえて二人の顔を思考から消し去って目を瞑れば、今度はもう誰の顔も思い浮かばなかった。 駅を出ると急に夜気の冷たさと光源の少なさに包まれて自然と足が速まる。 静かで冷たく暗い夜の海辺で一人誰かを探し迷っているような心細さを、奥歯をギリと噛み締めることでやり過ごす。 明日の大学での練習はいつもよりもっときつければいい。 そんな全く関係のないことを無理に考えた。
|
|||||
|
|||||
牧と仙道は携帯があまり好きじゃないといいな〜。特に高校時は持っていないのを希望。
二人が携帯やメール依存なのは嬉しくない…なんて思うのは私の頭が原作重視のせい?(苦笑) |