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すっかり枯れて寒々しい街路樹を背に立っている二人が笑みを交わした。言葉で説明するまでもなく通じ合っている。四人で話しているけれど、気持ちとしては三人で会話をしているような気分だ。 この二人は性格はかなり違うだろうに、二人で一人。コートを降りるとそんな気にさせられることが多かった。……まさに、今もそんな感じに思えて、冬の外気のせいではない冷たさが胸に少しだけ痛い。 「じゃ、その時間でいいってことで……? 牧?」 急に自分の名前を藤真が呼んだため、距離が近くなっていた男の顔に焦点が合った。 「うん?」 「うん?、じゃねぇよ。聞いてなかっただろ。何ボーッとしてんだ。いくら桜木にジイって呼ばれてるからって、その気になるにはまだ早いぜ?」 「集合時間の話ですよ」 牧の横で海南副主将の松田が小さな声でそっと耳打ちしてきた。 意地悪っぽい笑みを浮かべて僅かに見上げてくる頬を冷たい夕陽が染めている。そんな普通の仕草までも中性的な美貌を持つこの男がすれば様になってみえる。ついそれだけで文句を返す気も失せ、苦笑しながら頷いた。 「9時30分でこちらはかまわないと伝えておいてくれ」 藤真の後ろに立っている2m近い長身の割りに威圧感の少ない花形が静かに用件のみを述べた。いつも無駄なことはあまり言わない、コートを降りると物静かな男。コートを降りると辛辣且つ饒舌になる藤真とはこういうところも対照的だ。 「分かった。今日は色々とすまなかった。感謝する」 三年である牧は部活には在籍しているが、インハイが終わってから主将の座は神に譲っていた。本来はこういった業務連絡や打ち合わせは主将・副主将同士が行うものだ。しかし神が珍しく体調を崩して休んでおり、高頭監督が急用で明日の翔陽との練習試合に行けなくなってしまったと慌てた昨日、たまたま部へ顔を出した牧が明日の練習試合へ出向いてほしいと松田に泣きつかれて引き受けざるを得なくなったという事情があった。 もちろん海南は当初の予定通り牧は試合に出ない旨を翔陽側へ電話で前日伝えていた。あくまで監督兼主将代理としてのみ牧が顔を出すことになると。事前連絡に却って気を遣ったのか、翔陽側は冬の選抜後、事実上引退している藤真と花形を牧と同期ということで、対応に回してきたのだ。 今ここに翔陽主将の伊藤と副主将の藤崎がいないのは、本日使用した体育館の管理人の所へ使用終了の挨拶へ出ているからだ。これも通常であれば両校の主将が顔を出すものであるのだが。 翔陽側の諸々の気遣いに感謝し、牧は改めて頭を下げた。隣の松田は90度になりそうなほど頭を下げた。 「だからいーってそれは。んな大したこっちゃねー。俺としちゃ、まぁ、久々にお前の老けた面を拝むのも悪くはなかったぜ?」 返事に窮する藤真の言に、それでも牧は手刀を軽く切って返した。 「伊藤も藤崎もここの体育館の管理人と親しいんだ。だから気にしないでくれ」 「ありがとうございます。次の時は僕達がやりますからと伊藤君達に伝えておいて下さい」 松田が再び頭を下げると、藤真は「おう。じゃーな」と短く返した。 逆方向へ歩き出す背を黙って見ている牧に松田が首を傾げた。 「……行かないんですか?」 「ん? あぁ、帰るか」 踵を返そうとした牧を急に振り返った藤真が呼んだ。 「牧! 次ん時もお前、来るのか!?」 一ヶ月後に行われる神奈川校合同練習試合を見に来るのかと問われて、牧は返事に詰まった。牧は昨年の秋口より放課後は海南大バスケ部の練習に混ぜてもらうようになっていた。昨日のように大学の練習が休みの時には高校の方へ顔を出すこともあるけれど、基本的には大学の予定を優先させている身であるからだ。 分からないと返事をしようとするより先に藤真の声が飛ぶ。 「来いよ! 俺は行くからな!」 言いたいことはすんだとばかりに、牧の返事もかまわず背を向け、片手を軽く上げて行ってしまった。 隣を歩く長身の男はちらりと牧を一度振り返って、『すまないな』と唇だけを動かしてみせた。 松田が少々呆けたような顔で、数cm高い牧を見上げる。 「藤真さんって、凄く牧さんのことを気にかけてますよね……」 「そんなことないだろ」 「ありますよー。噂で聞いたんですけど藤真さん、夏の短期間、髭生やしたことあるらしいっすよ」 「その噂は俺も聞いたが、それと俺と何の関係がある?」 珍しく少々狼狽した先輩に松田は神と似たような笑みを浮かべた。 「貫禄をつけたかったんですよきっと。牧さんのことを老け顔だとかジイだとかやたらに言うじゃないっすか。あれって裏返しだと思えませんか」 「何の?」 「憧れですよ。スポーツする男として可愛い顔はそんなメリットないっすよね。なめられやすいというか。藤真さんは監督も兼ねてたから、余計に外見的な貫禄も欲しかったんじゃないかなって。俺、今日、藤真さんと牧さんの話を隣で聞いてて自分の考えを確信しましたよ。しきりに言ってたじゃないすか、『お前が制服でベンチに座ってるのはどうみてもスーツ着た監督のオッサンだった』って」 ロビーで交わした会話が蘇り、牧の眉間がグッと狭まる。そんな牧を見ていなかった松田は歩きながら続けた。 「本当は見かけで貫禄なんて出るもんじゃない。そんなの本物じゃないって分かってるんでしょうけど、」 「松田」 「はい?」 突然牧に話を中断された松田は驚いて隣を振り仰いだ。逆光のせいかもしれないが、真っ直ぐ進行方向を頑なに見つめる牧の横顔は暗く厳しく映る。 「その話はもういい。それよりお前、これからあいつらをお前が率いて帰れ。俺は用事があるから。帰りくらいしっかりまとめていけるだろ、俺がいなくても」 「はい、分かりました! 大丈夫です、学校着いたら点呼の後で監督に連絡入れてから解散します!」 有無を言わせない命令口調に、牧が主将だった時代へ一瞬にして戻った松田は直立不動になり大声で返す。 「おい、いいって止まらなくて。やめろよ恥ずかしい、こんなところで。じゃあ、すまんが任せたぞ」 苦笑した牧に肩を軽く叩かれた松田は、今度は嬉しそうに「はい!」と大声で返してしまい、再び失笑をかった。 藤真が向かったのとも、海南部員達が向かったのとも違う方向を選んで牧は一人で歩いていた。 副主将として主将を支えるだけではなく、もっと強く出れるようになれという激励の気持ちで松田一人に任せたが、本音をいえば部員を引率して帰る気分にどうしてもなれなかったのだ。 少しは日が落ちるのも遅くはなってはきているけれど、それでもまだ春には遠い二月の夕刻。皆と一緒に電車にすぐ乗ってしまうより、このまま一人で風にさらされていたい。─── 冷たい空気にこの僅かばかりほてった頬を冷やしてもらいたかったからだ。 顔を見れたことを喜ばれた。そう取るのは少し図々しいかもしれないけれど。 次の時も顔を見せろと言われた。そう取るのはそれほど自意識過剰じゃないはず。 久しぶりに見れた男の姿を何度も思い出しては、先ほどの後輩の言葉も合わせて思い返してしまう。綺麗で強くて傲慢なあの男が、俺のような大したことのない容貌を憧れ的に意識していただなんてあるわけがない。そんな良い意味合いで吐かれた暴言ではない。全ては自校の先輩に肩入れし過ぎている後輩の勝手な推測。 そう頭では理解しているつもりでも、頬にのぼった僅かばかりの血がなかなかおりてくれない。冷え込んできた気温も役に立たない。 神ほどではないが俺の顔色をけっこう読めてしまう松田から逃げられて心底安堵する。あのまま後輩の続く推論を聞かなくてすんだことも、今更ながら良かったとも思う。 根拠のない推論に浮かれるなと己を叱咤しながら、それでも思い出してしまう。 次を誘う声を。俺の顔を見るのも悪くないと言ってくれた言葉を。 「……藤、真」 誰にも聞こえないように呟いた声は小さく、白い息より早く霧散した。 日はとっぷりと暮れ、街路灯のついた電信柱に張られている住所表示がやけに見えにくい。 「四条七丁目……というのは、駅に近づいたのか? それとも逆か?」 一人であの体育館の周囲を歩いたことなどないくせに、物思いに任せ過ぎてつい歩き過ぎてしまったようだ。ここは一体どこなのだろうか。四条七丁目と言われても、それが何町なのかも分からない。分かったところで知らない町名は役にも立たない。そもそも駅は何条辺りにあるのだ? 人に聞こうと思ったが、小さな子供には不審者がられそうで聞きにくくてやめた。次に人に出会ったら聞こうと歩いていたら、次は女子中学生だった。これまたあきらめた。悲しいかな武藤の話によると、夜の俺は老け顔どころか、かなり怖面の外国人に見えるそうなのだ。『夜に女子供に声かける時は注意したほーがいーぞ。下手に叫ばれて警察にでも来られたらやっかいだぜ?』などと言われて以来、ガタイが良いのと老け顔……と、色黒なのが夜は少々悔やまれる。 こう考えると俺は外見的にはいいところがない。身長だって190は欲しかったのに184と中途半端で止まってしまうし。藤真がこんな俺の容姿に万が一にも憧れるわけなんてないと、改めて先ほど僅かではあるが信じかけて浮かれた自分を恥じた。 迷った時は人に聞く。そんな一時の恥すらかけずに牧は黙々と歩き続けた。 これだけ歩いて駅にたどり着かないのならば、タクシーを使って駅へ行ってもワンメーター以上行くだろう。ならばタクシーをひろってもいいかもしれない……などと思いはじめた頃。突然背後から自分の名前を呼ばれて、牧は驚き振り返った。 「こんばんは。こんな時間にこんなとこに用事っすか?」 「仙道……!」 制服姿でコンビニの袋とドラムバッグを提げた背の高い男。ずば抜けたバスケセンスと女性うけする容姿(加えて不思議な髪型)で有名な、陵南高校バスケ部の主将が僅かに目を見張ってこちらに早足で向かってきた。 時刻はもう20時になろうとしている。既に自分がどこを歩いているかすら分からなくなって久しい牧に、この時の仙道は光り輝く電光掲示道案内板に見えたのだった。
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不毛な横恋慕中(?)の牧です。当然、もう既に花形と藤真はもカプであります。
近い未来に恋人となる仙道ですが、今の牧にとっては電光掲示板(笑) さぁ頑張れ仙道♪ |