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どんよりと重たい灰色の雲が窓から覗く風景を暗く見せている。いつ降り始めてもおかしくない空模様を眺めながら今日の部活メニューを予想していると、隣の席の身長は自分とほぼ同じだが妙にデカく感じさせる色黒の男がまた深いため息をついた。机の上にはノートを広げてはいるけれど、全く筆記した形跡はない。心ここにあらずなのは自分も含め、きっとつまらないだけの必須科目であるこの講義を受けている者の9割だろう。しかしこうも複雑な顔で己の思考に没頭しているのは1割にも満たないんじゃないだろうか。 朝に顔を合わせた時点で、いかにも昨日何かありましたよと主張している、目の下に黒々と寝不足感をたっぷりと描いた面。その上、今朝からもう数えるのもうんざりなほど、深く意味深なため息を連発しまくっている。そのくせ何かあったかと聞けば判で押したように『何もない』と返してくるだけ。ならばため息をつくなと言えば、『ため息なんてついてたか?』と、自覚がないだけに大変鬱陶しいことこの上ない。 実は人から思われるほど気が長い方ではないため、いつもなら無理にでも話を聞き出しているだろう自分が、あえてそうしないのは、ため息をつく理由がそれとなく察せられているからだ。しかもそれに対してどう返していいか決めかねているせいでもある。 池上は深く追求しないために延々と続きそうな牧の重苦しい鬱陶しさに朝からずっと耐えていた。話したくなったら話すかもしれないし、その時までに適切な返答─── 多分仙道に告白されただろうことが推測できるため、円満……とまではいかなくとも、無難な断り方を。それと、断った後の行動の仕方を考えておいてやろうと。 あくまで推測ではあるが、告白されていなかったら、良く言えば大らか悪く言えばどうしようもない天然ボケの牧が急にこれほど悩むことはないように思う。そして悩んでいるということは、その場で断りきれていないからに違いない。見た目やコート上の雄々しい姿を裏切る、実は穏やかで優しい考え方をする牧という男は、同じく見た目や普段の様子からは想像もできないほど情熱的な部分を潜めている仙道に狼狽して押し切られそうになり、這う這うの体でひとまず答えを保留にして退散した─── といったところだろうから。 ダルイ講義が終わった後も牧は20分前と同じ、肘をついた左手に顎を乗せたまま、檀上にあるホワイトボードの方を向いている。放っておいたら何時間でもこのままでいそうなため、一応考えがまとまった池上は、牧の肘の下からノートを引っ張ってバランスを崩させた。 「ん? あれ? お前なんで立ってんだ?」 呆けた顔で尋ねられ、池上はわざとらしく周囲を見渡した。 「お前はなんで座ってんだよ」 牧は「え?」と呟き周囲を見て漸く状況を把握したらしい。バツが悪そうな顔で机上の教本などをバッグに詰め込み始める。 「何をそんなに考え込んでんだ? 朝からかなり変だぞ牧。いいかげんゲロれよ」 講義が終わって講堂がほぼ無人になるまで座ったままであったことで、流石に『何でもない』とは言えなくなったのだろう。牧はバッグを肩にかけると渋々と口を開いた。 「……ちょっと考え事をしてただけだ。そんな、何も変なことなんてしてないぞ」 「自覚がないのもいい加減にしてくれよ。ものすっげー困ったことがあって対処に弱り果ててますってな面で、講義中彫像かよってくらいピクともしないのが変じゃないって? ……昨日帰る前までは変わりなかったじゃん。もしかして買い物で何か嫌なことでもあったか?」 周囲に人はいないものの、池上は一応用心をして後半は声を潜めて尋ねた。しかし牧は池上とは対照的に、しかも普段より大声で派手に片手を顔の前でぶんぶんと左右に振りながら答えてきた。 「ないない! 嫌なことなんか全然! 全くなかったぞ。あ、そうだ。結局仙道のお姉さんが買った小ぶりのバッグの色違いにしたんだよ。お姉さんが一目惚れしたっていう財布も二件目で見つかったんだが、うちの姉にはちょっと可愛過ぎるんじゃないかと思ってやめたんだ」 これで今年の誕生日は楽勝だよと続けられ、池上は『そんなことを聞いてるんじゃねぇだろこの天然ボケ! だから桜木にジイとか言われんだよっ!』と突っ込みそうになる口をぐっと引き結んで耐えた。 嫌なことは全くなかったと言い切ったのは嘘ではないようで、牧は先ほどまでの苦悩顔から一転、楽しそうなほどの上機嫌でまわった店内の様子などを語り始めた。 急に饒舌になられたのは少し変な感じもするが、問題は別だったのかと思いかけた頃に、話の途中で突然牧が不自然に顔を赤らめ口を閉じた。 「どうしたよ? 蕎麦屋でサービスのコーヒーがどうしたって?」 「こ、……コーヒーが……コーヒーも…………コーヒー……」 「はあ? 何が言いたいのお前?」 「何も。ううー……っと、あの。ええとさ、そのコーヒーが美味かったって話。……それだけだ!」 急にあからさまに狼狽しだしたため、むやみに連呼していたコーヒーと関連する何かが起こったように感じた池上は、やはり気になって蕎麦屋で何かあったのかともう一度聞いてみたが、牧は「何もなかった」と頑なに口を割らなくなってしまった。 またこれでもとの鬱陶しい溜息発生マシーンに戻られるのかと、あと一歩で溜息の理由に繋がりそうな話を聞き出せそうだっただけに池上は内心で落胆した。 それから暫くは牧が溜息の国の住人に戻ってしまったため、会話もないまま別棟にある教室へと向かった。人気のない長い渡り廊下の片面は大きな窓ガラスが連なる。ぽつぽつと降り始めた雨を横目に、池上はもうこりゃ放っておくしかないと決めかけた頃、突然牧がボソリと口を開いた。 「池上はさ、ジョニー・デップが好きだったよな……」 「俳優個人が好きなんじゃなくて海賊役の奴が面白いってだけだけど? 突然何?」 「うん。いや、何でもない」 「気になるだろがよ。ハリウッド俳優がどうしたって?」 「別に深い意味はないから気にするな」 「ふーん……」 先ほどより狭い教室の入り口付近にたむろしていた同じ部の奴等数人が軽く手を上げて近寄ってきた。そのため釈然としないもやもやした状態のままで話は終わってしまった。牧もいつものように周囲に人が増えはじめたせいか、先ほどまでのおかしな様子は影を潜め、一見いつもと変わらなくなっている。 突然映画の話題を振ろうとしたのは、もしかして仙道に映画にでも誘われた話をする前振りだったのだろうか。 池上は『さっぱり分からん……』と、いつもと変わらない牧の横顔を見ながら胸中で呟いた。詳しいことは仙道に聞けば一発で分かるだろうと、とりあえず部活が始まるまで忘れようと気持ちを切り替えた。 半日が過ぎ、部活の時間となっても池上は仙道と二人になることがなかった。加えて急に決定した一週間後のK大学との合同練習試合へと意識が集中してしまい、昨日牧に何かしたのかと聞き出すことなどすっかり失念してしまっていた。 池上亮二 ─── この男もまた、良く言えば思慮深げ、悪く言えば執念深そうな陰りのある面立ちによらず、大変あっさりとした性格であった。 * * * * * 『まるで俺は牧さんのストーカーをしているようだ……』 そんな淋しい一人ツッコミをもう何度頭の中で繰り返したかと、仙道は淋しく己を笑いながら、じっとバスケット部専用体育館入口近くの階段に腰掛けていた。やけに湿度の高いじめっとした空気を仙道は背中にどっしりと背負って項垂れた。 図らずも告白をしてしまったあの日から、仙道は牧に避けられてしまっていた。周囲には気付かれてはいないだろうけれど、悲しいかな気のせいなどではなく確実に。 告白をしてから、もしかしたら考える時間が欲しいのだろうかと二日ほど悶々としながらも、声をかけずに避けられることに耐えた。 けれど三日目にはもう、期待感よりも不安感の巨大さに押しつぶされそうになってしまい、仙道は『これが先に好きになった奴が味わうという惚れた弱みか屈辱か?』と、慣れない心労に白旗を掲げた。一番捕まえやすい部活の休憩時間、牧へ『四年後ってどういう意味なんですか』と問うてしまった。TPOをわきまえなかった自分も悪いが、その時牧は苦々しい一瞥をくれただけで去ってしまった。 そのたった一度の問いかけから、牧は体育館の中ですら仙道と距離を置くよう気をつけるようになってしまうという、かなり最悪な形になり─── それからというもの開き直った仙道が、牧が一人になるタイミングを探しては話をさせてもらおうとし、またギリギリのラインで逃げられるということを繰り返していた。 間に他校との練習試合を挟んでの、七日目。 仙道はもう、即答で断られなかったのは面倒事を増やさないための逃げなのだと諦めていた。よく考えてみれば、自分も昔は女の子に告白されても、相手がやっかいそうな女に見えたら適当なことを言って逃げていた。はっきりとその場で嫌いだとか興味がないなど言うよりも、後でどうとでも新しい逃げ道を作れるからだ。俺は、彼にやっかいな男として判断されたのだろう……泣ける話だ。こんなことにならないように、もっと自分をわかってもらってからって考えていたのに。たった一回のタイミングミスでアウトで退場だなんて。ミスの穴埋めを出来るのが四年後だなんて厳し過ぎる……。バスケだって5ファウルまでは退場しなくていいんだぜと泣きたくなる。 今の自分ではアウトなんだと分かっていながら、こうして今日も彼が帰る後ろ姿を遠くから眺めるために待っている。ストーカーのような自分を嫌悪しながらも、ただ彼が数人の他の奴らと談笑している姿を誰にも邪魔されず、ゆっくりと見たくて。笑ってる彼を見ていたくて……待ってしまう。見終わったあとで彼の笑顔が俺には向けられないのだと惨めな現実に毎度凹んでしまっても。 もう池上さんや高砂さんの位置に自分が取って替わる日は来ない。いや、来ないわけではないけれど、それは四年たってから『あんたが四年待ったらって言ったから』と上げ足を取って詰め寄り、彼をものにしてからの話で。もちろん彼が自分の発言を覚えてなかったら、それをいいことに、『四年たったら付き合ってやるといった』と捏造してでもと考えている。 今は、こんな惨め極まりない自分に甘んじているけれど。理由は分からないが四年は我慢してるふりをする。けれど、だ。俺は諦めたわけじゃない。四年間で男を磨き、バスケでも彼を追い抜いて、そんじょそこらの美女なんかよりスゲェ価値のある男に成長する。そして絶対に次の告白の時には即答でOKさせてやる……! 池上さんや高砂さんなんてそん時ゃ眼中にねぇぞチクショウ!! などと、悶々と暗い妄想に浸っていた仙道の前に影が落ちた。月明かりを背負って立つ男の顔を見上げて仙道の口がぽかんと開かれる。 「……どいてくれないか。中に入れん」 困った顔で見下ろしているのは、今まさに四年後にゲットすると思い描いていた片思いの相手その人であった。 仙道が立ち上がることも忘れて呆けていると、牧が首を傾げた。 「仙道? もしかして立てないのか?」 「や! た、立てます! あ、その荷物持ちますよ!」 弾かれたように立ち上がると、重くないからと断る牧の手から大きな袋を奪った。 「俺、もう帰るとこだったんで、何でも手伝います!」 否と言われたくなくて必死だったせいか、微かに裏返ってしまった仙道の声に牧がふっと困ったように微苦笑を漏らす。 「そんな大した用事じゃないんだけどな……」 久々に自分に向けられた声の柔らかさに仙道は無性に嬉しくなり、鼻の奥がツンと痛んだ。 用具室と部室の両方に荷物を置きに行く間、意外にも牧の方から話をしてきた。帰ろうとした時にマネージャーが雑品購入してきたのと鉢合わせたこと。そこで監督の部屋に置く分の荷をしまってくることを請け負ったら、一緒にいた池上は薄情にも『それくらいの量なら牧一人で事足りるな』と、見たいTV番組を優先して先に帰ってしまったこと等々。 相槌をうちながらも仙道は牧がいつもと違う出入り口から既に帰っていたことに軽く衝撃をうけていた。もしこうして会うことがなかったら、きっと自分はあと一時間は余裕で待っていただろう。マヌケなストーカーもいたものだと自分を苦く笑う。 和やかに、まるで今まで避けられ続けてきたのは何だったのだろうとすら思うほど普通に会話は続いた。途中、話が途切れても空気が硬くなることもなく。 簡単な用事過ぎたため、15分もしないうちに荷物運びは終えてしまった。仙道はもう牧の傍にいていい理由がなくなってしまったことで淋しさに襲われる。しかししつこくしては今度こそ周囲にすら分かるほどに避けられるようになるのかもしれないと思うと、『一緒に帰りませんか』の一言は喉から出てこない。 しかしその場で、はいさようなら、というのも流石に牧も悪いと思ったのだろう。牧は「んじゃ、帰ろうか」と、一緒に帰ってもいいととれる発言をして、鍵の確認をもう一度すると仙道の一歩前を歩きだした。 先ほどとは逆方向のバスケット部専用体育館出入口へ向かう途中で、夜風に髪を軽く乱されながら牧が振り向かずに小さく呟いた。 「……こないだは、すまなかった」 せっかくの穏やかな空気を壊すのが惜しくて、あえて今日は触れないでおこうと思っていたことに、奇しくも牧から触られて仙道は僅かに返答に戸惑う。先ほど一緒に帰るのを許してくれただけで今日はもう十分だと思っていただけに。 その戸惑いをどうとったのか、牧は足もとに伸びる己の月影を見るように俯いた。 「怒ってる、よな。ごめん」 漏らされた声音は少し強くなった夜風に流されるほど頼りない。叱られるのを恐れる子供というよりは、何もかも諦めてしまった大人のようだ。 「……今のはどれに対して謝ってくれたんすか? 周りに人がいるのに俺が耐えきれず質問して睨んだこと? 告白してから俺を避けてること? それとも……俺の想いには答えられないってことっすか」 声になるべく感情が載らないように気をつけたつもりだが、やはり胸を占有する諸々が滲んでしまったのだろうか。数歩前を歩いていた牧の歩が止まった。 「どれにでも、ない」 「じゃあ、四年間保留にして、自然消滅狙いで逃げることに?」 牧は静かに一度頭を振ると、校門の逆方向にあるベンチへとゆっくりと向いはじめた。 コート上ではあれほど頼もしく見える広い背中は青白い月明かりと湿度の高い風に吹かれて、やけに心もとなく映る。 もし今、自分の顔を鏡で見たらきっと、同じくらい心細そうな頼りない顔をしているのかな……と、仙道はぼんやりと考えながらその後について行った。 *Next 06
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最近の俳優で一番人気って誰なんでしょう? ジョニーにするかブラッド・ピットにするか迷いました。
あの映画で一番男らしいのはキーラ・ナイトレーでしたよね。面白い娯楽映画で私は好きでした♪ |