Love is a leveller. vol.04


 土曜は平日より少し早目に部活はあがる。その後は個人的に自主練をしたい者のため体育館は二時間ほど開いている。それ以上の時間はオーバーワークを避けるため強制的に体育館は閉められることになっていた。
「悪ぃ、牧。そういや俺、帰り付き合えんくなったんだった」
 今週も余分の二時間ギリギリまで自主練をしたのはお馴染みの数名の面子。そのため男子バスケット部専用ロッカールームは通常時の賑やかさが嘘のように静かで、そう大きくもない池上の声すらやけに響いた。
「何だよ〜。そういうことは早く教えてくれよ。ああいうとこで男一人で買い物すんの嫌なんだぞ」
「悪ぃ悪ぃ。あ、でも代わりに仙道に付き合うように言っといたから。な?」
 事前に打ち合わせをしていた通りの会話の流れを聞き、牧から死角になるロッカー側で待機していた仙道が自然を装って通りかかる。そこで池上はすかさず仙道の肩をぐいと掴んで牧の前へと押しやった。
「こいつ、姉ちゃんがいるんだと。牧の姉ちゃんと同い年くらいらしいから、俺よかいいと思うぞ。仙道はこないだも姉ちゃんの買い物に連れまわされたとか言ってたしな?」
「あ、はい。牧さんのお姉さんっていくつ上なんですか?」
 池上に合わせて仙道は頷きながら、実は既に知っていることを質問する。
 牧は自分が蚊帳の外で話が進んでいたのが気に入らないのか、それとも他に理由があるのか浮かない顔で池上を見ながら口を開いた。
「4つ上……。買物は明日でも間に合うから、いいよ。仙道だってせっかくの早あがり日なんだし用事もあっただろ。悪いからいいよ」
 微妙に喜ばれていない空気が伝わってくる。もしこれが本当に偶然でこういった流れになったのであれば、二度も『いいよ』という言葉にくじけて、当たり障りない言葉を選んで引いていただろう。歓迎されてもいないのに買物、しかも女用などという自分も得意ではないことに付き合うわけがない。
 しかし背中を指先で軽く突っつかれた仙道は急いで首を左右に振った。
「俺はこの後全然予定ないから平気っす。俺の姉は5つ上で牧さんのお姉さんと同じかな? こないだ姉が買ったのに似た小物やバッグでいいんじゃないすかね?」
「明日が誕生日なんだろ? 明日切羽詰って無駄に頭悩ますよか、素直に助けてもらやいいんじゃね? んな仙道に悪いと思うなら、買物の後で何か奢ってやりゃいいじゃん」
 な? と池上が軽く片側の口角を上げたところでやっと、牧は「……じゃぁ、すまんが宜しく頼む」と、この会話になって初めて仙道を見て頭を下げた。
 仙道は「全然いっすよ」と笑って答えたが、内心では無理強いを仕掛けた気持ちで複雑な思いだった。


 やたら色彩に溢れた店が並ぶフロアから仙道と牧は少しふらついた足取りで離れると、脇目もふらず昇りのエレベーターに乗った。
 額にはお互い暑さのせいではない汗が薄っすらと浮かんでいる。明らかに疲労感がたっぷり見て取れる牧は、それでも明るく笑った。
「良かったよお前に付き合ってもらって。物も目処が立ってるだけに探すのも早くすんだし。俺本当に駄目なんだ、婦人物フロアって。どうして通路があんなに狭くて、あちこち雑多に物が配置してあるんだろうな。俺にとっちゃトラップだらけで歩くのも怖々だ。加えて俺は背があって目立つから、余計に緊張するしさ。でもお前となら女の人の視線はお前に集まるから助かった〜」
 店内ではボソボソと一言二言しか話さなかった人とは思えないほど一気に喋っていることが、いかに牧が店内で緊張していたかを物語っていた。
 実際、移動や買い物中の牧はロッカー室の時の雰囲気など微塵も感じさせないどころか、買い物が苦手な様子ながらもどこか楽しげに見えた。小声で話すせいか仙道のそばから離れず、寄り添うのに近い距離で選ぶ様子は自分を頼ってくれているようで大変、想像以上に楽しく嬉しい時間だった。
 牧の安心した様子が微笑ましくて、思わず笑みが零れる。
「俺も牧さんの背も彼女達にしたらデカイだけだから、同じくらい目立ってると思いますがね。もっと年齢層高め設定のショップフロアだったら通路も広くとってて、店内も落ち着いてて静かなんですけど。でもそういうとこは値段が違うからなぁ……」
 うーんと唸れば牧がじっと見上げてきた。少し小首を傾げるような角度と立ち位置が数ヶ月前に抱きしめた牧の姿と重なる。他に誰も乗っていない二人きりの空間ということに今更ながら気付いて、仙道の心臓がドキリと跳ねた。
「な、何すか?」
「ショップってブランド品の店のことか?」
 色素の薄い目を少し細めて訊ねてくる仕草が可愛くて、仙道の心臓は更に数回飛び跳ねる。
「はぁ、まぁ。別にそれだけでもないけど、店内スペースを広くとってるとこは大概高いですね。バッグ一つで何万円って、俺にしたらアホかと思うんですけど。そんな高いのを学生の俺が買えるわきゃないのにうちの姉ときたら……? 牧さん?」
 仙道は邪な思いを悟られないようにと視線を僅かに逸らして話していたが、穴が空くかと思うほど見つめられていることに気付き首を捻った。すると牧は急に顔を背けるようにエレベーターの階数を示す赤い数字を見やって言った。
「次で降りよう。そこが飲食街みたいだから、何か食いがてら休もうか。安くて良さそうな物を選んでくれたお礼に奢るよ」
「わー、ゴチになります。実は腹減ってたんですよね〜」
 明るく返しながらも何か少し引っかかったけれど、牧の横顔には不機嫌な色があるわけではないため、仙道は自分を落ち着けることに集中すべく、そっと息を吐いた。

 エスカレーターから降りて沢山の飲食店が並ぶフロアをパッと見ただけで牧がげんなりとした顔をしたため、思わず苦笑が漏れる。
「俺が食いたいのリクエストしていーんすか?」
「勿論。予算もかなり余ったし、ちょっといいものでも大丈夫だぞ。まぁ、寿司やステーキは勘弁だけど」
 明らかに店選びの役割を担わずにすんだとばかりの清々しい笑みも添えられる。仙道はにこりと礼を述べ、ざっと店舗案内板を見ると迷うことなく蕎麦屋へ向かった。

 ざる蕎麦でいいと言う仙道にかまわず牧は天ざるを二つ注文した。
 お絞りで顔を拭いて「ふぃ〜」と間抜けた、なんとも気持ち良さそうな息をつかれて思わず仙道は笑ってしまった。
「あ、すまん。こういうことするから池上におっさん扱いされるんだよな俺は」
「いーじゃないすか。俺だって拭きますよ、大抵。俺が笑ったのは、ふぃ〜ってのが可愛かったからで〜す」
 軽い調子が良かったのか、牧は仙道の予想に反して、「お前、目ぇだけじゃなくて頭もおかしかったのか」と面白がっているような反応であった。
 叱られなかったのが嬉しくて、仙道は「じゃあ俺がやってみせますから、可愛さ発見して下さいよ」と同じように顔を拭きだし、「ふぃ〜」と先ほどの牧を真似た。
「アホか。真似されてもどこが可愛いかも分からん。やっぱりおっさんくさいだけじゃねぇか。あーあ、俺はこれからもっと気をつけるかな〜」
 などと楽しそうに牧が笑ったので、仙道も一緒に笑った。
「そのままおっさんくさい牧さんでいて下さいよ。じゃなきゃ俺が淋しいじゃないっすか」
 ね? と仙道は牧を下から覗き込んだ。すると、「バーカ」と唇を少し尖らせて顔を離されてしまった。そのままカウンター席側の壁に貼られたメニューを眺めはじめた牧の頬は、何故かほんのり血色が良かった。

 期待はしていなかったが、思っていたより美味い天麩羅と蕎麦に話は弾んだ。十割蕎麦がもてはやされているけれど蕎麦はつなぎが入ってる方が好みだとか、天麩羅は小さくてもいいから衣が少なめの方が誤魔化しが少ない気がして嬉しいだとか。そういった特別な話ではないことを喋っているだけなのに、仙道はとても楽しく、口元は笑うか喋るか食べるかで忙しかった。牧も自分と同じように見える分だけ心が弾み、話は飛んで飛んで、姉の弟に対する仕打ちは酷いとか、女の買い物は何故あんなに長いのかなど疑問と持論がごっちゃになった会話で盛り上がった。
 少しずつ距離を縮めていこうとか、そういった計算は蕎麦を食べ終える頃にはすっかりどこかへ消えていた。楽しかった買い物はまるでデートのようだったし、食事はこんなにも会話が弾んで楽しい。もうすっかり旧知の仲であるような、敬語を使うのも時々忘れそうになるほど、一緒にいるのが自然になっていた。
─── 否、たった半日でなるわけもないのに、俺はあまりの嬉しさで勝手に浮かれてそう感じていたのだ。


「あー笑った笑った。お前って顔に似合わず面白い奴というか、おっさんくさいんだもんな。いい味でボケてるよ全く」
「牧さんこそ大人な顔して言ってることメチャメチャなんだもん。さっきのは思っきしガキの屁理屈ですって。つかさ、顔に似合わずって何? 俺そんなにハンサム?」
 顔をテーブルを挟んだまま身を乗り出して近づければ、牧は「大人な顔ってのは何だこの野郎」と、ペチンと仙道のおでこを叩いてまた笑った。
「自分で言うなよな〜。部内で一番もててるって鶴島がやっかんでたから、そうかもしれないけど」
「他の奴の意見じゃなくてさ、牧さんはどう思うの? 好み? 俺は牧さんの顔もガタイもぜーんぶひっくるめて色男と思うけど?」
「ハンサムだとか色男だとか、お前の表現全部オヤジくさいよ。あー、はいはい、分かったって、言えばいいんだろ、てか言わせたいんだろ? 俺なんかよりお前の方がずっといい男だよ、認めてますよ。これで満足していただけましたかね?」
 牧におどけた敬語を使われた仙道はお絞りをひらひらと扇子がわりに振って頷いた。
「大層満足じゃ。そち、苦しゅうない、もっと遠慮せず褒めて良いのだぞ。近ぅ寄れ、ほれ、もっと近ぅ」
「何言ってんだこのエセ殿が」とあきれながらも笑われた。
 入部して初めてこんなに一緒に沢山喋れているという幸福感と、軽い冗談だったのに好きな人から『いい男』と言われたことで、とてつもなく浮かれてしまい完全に冷静さを失ったのだろう。俺の口からは今日告げるつもりのない本音がするりと零れていた。
「俺、外見もだけど、牧さんが好きです。本気で好きなんです」
 色々と手順を踏んでからと考えてきた今までは何だったのかと思うくらい、恐ろしいほどにあっさりと告げていた。突然告白された彼が驚いた顔で固まったのは予想の範疇だったが、言ってしまったマヌケさに茫然自失して自分まで固まるはめになるとは……有り得ない失態だった。

 店内にかかっている有線の音楽も、周囲の家族連れなどの賑わいも、二人の間に流れる奇妙な空気を和らげてはくれなかった。
 硬直状態から我に返った仙道はごくり、咽を上下させた。……気まずい。非常に気まずい。居たたまれない。せめて冗談だろと笑ってでもくれたなら、開き直って真剣な思いの丈を切々と伝えることも出来るのに。
 動かないのだ、眼前の愛しい男は。目を軽く見張って、口を半開きにしたままの状態で、完全に意識がどこかへ行ってしまっているのだ。食後のサービスについてきたコーヒーに伸ばした指先まで、彫像のごとく1ミリたりとも動いていない。驚いたという顔であるから、言われたことを正しく理解はしたのだろうけれど。
 唐突過ぎたタイミングを悔いてはいるものの、口から出た言葉は戻らない。ならば話を進めたい、進めさせてもらいたい。のに、彼の前で手をひらひらと動かしても瞬きすらしてくれないとは。
 この反応は流石に予測不可能過ぎたため、どうこちらも対処すればいいのかと仙道は頭を抱えた。
 しかしいつまでもこのままでは埒が明かないため、恐る恐る、仙道は壊れ物に触れる思いで、固まったままの牧の指先へそっと己の指を添えてみる。
「……牧さん? あの、大丈夫ですか?」
 指先をとんとんと動かすと、本当に夢から突然覚醒したような勢いで牧は触れられていた手を慌ててひっこめた。そのはずみにカップがガシャンと横倒しになる。
「俺はっ、あっ!」
 仙道へ何か言いかけた牧は倒れたカップからコーヒーがソーサーに並々と零れていることに驚いて、今度はコーヒーに釘付けになった。
「牧さん、手にコーヒーかかってませんか? 大丈夫?」
「お、おお。平気だ。……凄いな、絶妙だな」
「そっすね。凄いバランスだ……」
 受け皿の上で横倒しになったカップと添えられていたスプーンが零れたコーヒーに溺れている。しかもご丁寧に表面張力でコーヒーはぷっくりと盛り上がっていた。下手に触ればテーブルの上に零れる、その微妙な状況に二人はまたしても固まっていた。

「……店員、呼んだらいいんだろうか」
 ボソッと呟かれて仙道はそのまま少しの間、物思いに耽っていた自分に気付いた。
 少し困った顔の牧を見た仙道は備え付けのペーパーを数枚手にした。
「あ、うん。でもその前に、こうやって……」
 皿の縁へそっとペーパーの端を触れさせれば、一気にコーヒーが紙へ染み渡っていった。「おー……」と牧が感嘆の呟きをあげ見守る。
 数回その作業を繰り返すと皿の上のコーヒーは粗方なくなった。代わりに元へ戻したカップの中にはコーヒー漬けのペーパーが山盛りとなった。
 お絞りで指先を拭っていると牧がバツが悪そうな顔で小さく頭を下げてきた。
「すまん、助かった。ありがとう」
「あ、いえそんな。もとはといえば俺が驚かせたのが悪かったんですから」
 言われて漸く驚きに至る経緯を思い出したのか、俯いている髪から覗く額までが瞬時に赤くなった。先ほどの告白や指先に触れ意味などが彼にとってなかったことにされていないことに安堵する。
「あの。さっき何か言いかけてませんでしたか?」
「いや、別に」
 変なインターバルが入ってしまったけれど、即座に否定されなかったことや、牧の上ずったような声、まだ赤く染まったままの頬から『イケる!』と踏んだ仙道は期待を胸にたたみかけた。
「あのあの、俺、さっきも言いましたが本気ですから。後輩としてとか冗談とかそういうんじゃないんです。唐突で驚かせてしまったけど、俺の気持ちは突然降って湧いたもんじゃなくて。本当に。冗談じゃなくて、俺、真剣に牧さんが」
 勢い込んで身を乗りだしたところで牧に片手でストップをかけられた。
「あー……あのな」
「はい」
「うー……んと。えーと……気持ち。うん。そう、気持ちは」
「気持ち悪いですか? わ、わかるけど! そりゃ男に好かれて複雑な気持ちはわかりますけど! けど、付き合っていくうちにそんなん感じなくさせる自信が俺、あるんです! 俺を信じてみて下さいよ!」
「落ち着け、仙道。誰も気持ち悪いなんて思ってないから」
 慌てるように、今度は両手を前に突き出す格好で止められてしまった。文字通り身を乗り出して椅子から腰を浮かせている自分に気付き、慌ててどさりと腰を下ろす。
 眉間に薄く皺を寄せた牧の表情には冷静さが戻っていた。途端、一人で興奮していた自分に羞恥を覚えた仙道は顔を伏せるように俯いた。
「取り乱してすんません……」
 かっこ悪ぃ……と呟けば、今までこんなにみっともない姿を人に見せたことがないことや、初めての狼狽を好きな人の前で晒したことに気が遠くなってくる。
 自分より先に冷静になった牧がどう先ほどの醜態を捉えたのか……。仙道は急に顔を上げるのが怖くなって項垂れたまま目を閉じた。
「……格好悪くなんてない。俺には出来ないことだから」
 静かに囁くような声が、今にも情けなさで潰れそうな胸に染み込んでくる。さらに乱れてしまった胸中と、冷えた頭で仙道は一生懸命考えた。
 俺には出来ないことって何だ? 男に惚れるってこと? 好きな人の前で取り乱すバカな行動か?

 卑屈な方向へ傾いていく思考。それを止めようと口を開けば、また恥の上塗りよろしく支離滅裂で余計なことを喋りそうで。自爆しそうで、また怖くなる。膝の上の自分の拳がブルブル震えている無様さに泣きたくなった。
 沈黙が一分長引く毎に仙道の中にあった期待感は絶望感へと色を変えていく。先ほど彼が頬を染めてみせたのは、単にカップをひっくり返すほど慌てた自分に照れただけかもしれない。冷静に考えればその線が強いに決まっている。優しいこの人は、傷つけないように断る言葉をきっと探しているんだ……。
 一番考えたくない答えに思い至ってしまえば涙が零れそうで、泣いて困らせることだけは避けたいがため、爪を掌に食い込ませるほど強く拳を握り締めて堪えた。

 たった数分の沈黙は仙道を意気消沈させるには十分すぎるものだった。
「……すんません」
「謝るようなことはしてないだろ」
 優しく包むような声音に閉じた目蓋の裏の温度が上がる。
「困らせて、すんません」
「……驚きはしたが、困ってはいない」
「え……?」
 意外な返答に、すっかり消えたように思えた期待の芽がこっそりと顔を覗かせる。
 僅かに頭を上げて盗み見るように牧の様子を窺えば、こちらを向いているとばかり思っていた牧は窓の外へ静かな視線を向けていた。
「もし……。もしもお前が四年後も同じ気持ちだったら、もう一度言ってくれ」
「え?」
「四年後までは、この話はなしだ。俺は用があるからもう帰らないといけない。お前はゆっくりしていくといい。あ、釣りはいらんから。じゃあな。今日は買い物付き合ってくれてありがとう」
 早口で一気に伝えきると牧は立ち上がって出て行ってしまった。慌てて仙道も立ち上がったが、入り口付近の席だったために牧はもう店内から姿を消してしまっていた。
 仙道が俯いていた間に用意していたのか、テーブルの上には千円札が三枚、綺麗になったコーヒー皿を重しにするように置いてあった。










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蕎麦屋で食後にサービスでコーヒーでるとこありますよね。そういうとこって焼き物のカップとソーサーでこだわりのコーヒーが出てきたりしません? 蕎麦とコーヒーって何か通じるものがあるのかな?


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