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「この大学進学に決定で、本当にいいんだな。もう日数的に変更はきかないんだ。今日が最後なんだぞ」 「くどいよ監督。最初から俺はそこがいいんだ。そこにしか行きたくないんです。他の大学も見に行けとか、他校を薦めたい先生方の気持も分からなくはないけど、俺が行くんだから。俺が決めたんだからいいんです」 こうして話し合うのはもう何度目だろうと、仙道彰はため息を零した。担任に進路指導、とうとう今日は部活の顧問である田岡監督まで駆り出しての進路話に、ほとほと疲れてしまっていた。 「監督の気持ちはありがたく受け取りましたんで……もう帰っていっすよね? ありがとうございました」 残念そうな顔で黙り込んでしまった田岡へ低姿勢を装いつつ、仙道は逃げるように進路指導室を後にした。 インターハイ初出場で9位、冬の選抜は10位もれという結果に終わった仙道ではあるが。彼個人としてのバスケセンスや身体能力の高さにより知名度は高く、けっこうな数の大学から誘いが来ていた。その中に、去年のインハイ予選で仲間にすら見抜かれなかった仙道の計算を瞬時に見抜き、チームを勝利へと導いた男─── 牧紳一がいる大学があった。 あの一年前の夏からずっと、仙道の胸の奥にはどこか特別な……ライバル選手としてだけではない、言葉として表現し難い何かを牧個人へ感じ続けていた。 ただそれは、誰に言える話でもなく、また他校で一つ年上という年齢差も手伝いあまり会う機会がなかったため、主将としてそれなりに忙しく過ごす日々の中ではどうすることも出来ない問題であり、胸の奥に深く潜めておくしかないものであった。 問題の解決につながるような行動を起こすきっかけもなく、放置する時間だけが増えるごとに、この説明のつかない感情は薄れて消えていくのだろうと。それを少し残念な気持ちではあったが、自然なことだと冷静に捉えてもいた。 しかしふいに。本当にふいに、自分でも不思議なくらいに彼に会いたくて、声を聞きたくなった。解決うんぬんというより、ただ会いたい衝動に襲われて苦しかった。何を話せばいいのかもわからない、選手としてのデータ以外はほとんど何も知らない相手だというのに、どうしてこんな説明のつかない気持ちに襲われるのか。 自分のこの強い欲求がどこからくるのかも、何故くるのかも分からずに苛立ち途方にくれたことも度々あった。元来が他人に深く興味を持たない自分が、あまりにらしくないことをと苦笑すら零した。 数校のスカウトの中でも条件面ではあまり良い方ではない、彼のいる大学の推薦を受けることに決めたのは、一重にそういった不可解な自分の感情から決別したいがためだった。わからないなら、わかる距離まで近づけばいいと。他人に執着しないのがスタンスである自分の胸の奥底に、気付けばもう二年近くも静かに存在する稀有な一人の人間をこれ以上無視することは出来なかった。 まだ日が暮れるのも早い二月。高校三年生の授業はほとんどないに等しかった。試験を受けに行く者、未だ内定をもらえず就職活動中の者。そして仙道のように進学する先へ体験入学的に一足早く大学の部活へと通い始める者のために。 枯れ木と低い常緑樹に囲まれた広大なキャンパスの敷地内にある、一度しか訪れていなかったバスケ部専用の体育館へ、仙道は一人で向かった。大学生は今時期は講義がほとんどないらしく、各種専用体育館へと向かう専用遊歩道に人はまばらにいるものの、そこへ行くまで通ってきた学業用の建物内は広さに反して人気はなかった。 部室より先に体育館へと足を向けた。開いている扉からちらりと中を覗けば、既にけっこうな人数がそこここで談笑したり各々でストレッチらしきことを行っているのが見えた。 入り口で持参したバッシュに取り替えて中へ入る。 「ちわっす、今日からお世話になります!」 一応最初なので少し大きい声で挨拶し軽く一礼をした。 仙道としては褒められた戦跡を持っての入部ではないと思っていたのだが、前評判はかなりのものだったようだ。一瞬静かになった館内は一転して「期待の新人登場〜!」「俺達迎えに行ったのに、どこ行ってたんだよ!」などと口々に言い合う先輩達に囲まれるといった派手な歓待を受けた。 無難に挨拶をしながらも仙道は目的である男の姿を探すが、見当たらない。今にして思えば勝手だけれど、体育館に入れば他の誰よりも牧は先に自分を見つけて声をかけてくれるものだとばかり思い込んでいた。先週、大学への挨拶に来た時にバスケ部へ案内された。その時は偶然彼は不在だったけれど、バスケ部の監督が『牧も君が来るのを楽しみにしているよ。高校時代は好敵手だったけれど、これからは良きチームメイトになるんだもんな』と話していたから。 仙道は顔にこそ出さなかったが、かなり気落ちしている自分が悔しくて、他の人に牧はまだ来ていないのかと気軽に聞くこともできなかった。 体育館の隅にある用具室らしき扉から、探していた姿を漸く発見して思わず声を張り上げた。 「牧さん! ちわす! お久しぶりです!」 「よお、久しぶり。元気そうだな」 牧も遠くから軽く手を挙げて応えはしたが、そのまま近くにある別の出入り口から姿を消してしまった。 久しぶりに、本当に凄く久しぶりに見た軽い笑顔がとても嬉しかっただけに、近くに来てくれなかったことや周囲が煩くて傍へ駆け寄れなかったことがやけに淋しく感じてしまう。 「ふられたな、仙道」 まるで胸中を見抜いたかのような台詞に振り向けば、池上さんがニヤリと笑って肩を叩いてきた。高校時代のバスケ部副キャプテンでありシニカルな笑みを得意とする、仙道より一つ年上の池上亮二。彼は推薦ではなく受験でこの大学に入っていた。下見の時には校内案内もしてくれた人である。 「お久しぶりっす。開口一番、嫌なこと言わないで下さいよ〜」 「言いたくもなるさ。一番手のかかった奴の面倒をまた三年間みるかと思ったらな」 「もうお世話をかけることもないかもしれないっすよ」 「なま言ってんな」 軽口を叩いている内に集合の合図がかかった。いよいよこの大学のバスケレベルを肌で体感出来るのだと、ほんの少しだが仙道の心は躍った。 ─── 同じ部なのだからもっと接点があればいいのに……、と仙道は溜息をついた。 仮とはいえ入部してから二週間になろうというのに、内心苛々するほど牧と一緒に行動することはなかった。まだ入学したわけではないが、部の雰囲気や大学バスケの練習メニューに早く慣れるために、卒業後すぐからこうして通っている仙道のような輩は他にも数人いる。必然的に彼らと組んだ行動を多くとらされることが多いせいもある。 それにしても、である。牧とは開始前に一言二言話せればいい方で、下手をすれば挨拶だけで終わる日もあった。池上や他の先輩にはけっこう長い休憩時間には話しかけられることも多々あるのに、何故か一番話したい彼は休憩時間には体育館にいないことが多い。 痺れを切らした仙道は、何気なさを装って牧と同期の武石に訊ねた。 「どうして牧さんは休憩時間、いつもいないんすか?」 人の良さそうな丸いレンズの眼鏡を拭きながら、武石はのんびりと振り向いた。 「牧は今回幹事なんだ、歓迎会の。人数がなかなか確定しないから店探しが難しいだけじゃなくてね、うるっさいのがいるんだよ〜」 「煩いって?」 「副主将の東郷さん。グルメ気取って、ダメ出しガンガンでね。東郷さんが副主将になってからは、幹事は東郷さんのお伺いをたてなきゃならなくなってねぇ」 まだ仙道は副主将とは一度しか話をしたことはなかった。しかし一度で十分という印象をもたせる男であったのを思い出す。 「東郷さんは一番長い、っても20分のこの途中休憩を部室でとるのが好きなんだよね。だから牧は店が決まるまでは部室に行くしかないんだ。面倒な話だよ」 次の幹事は俺になるから今から憂鬱になっちゃうな、と武石は溜息をついた。 「歓迎会っていつの予定なんすか? 店っていつもどのくらいに決まるんですかね?」 「歓迎会、楽しみ? 仙道は飲み会好きなのか〜。酒、強いの?」 「特別強くも弱くもないですよ。あの、楽しみというより予定とかあるから、いつかなって」 「入学式が終わって二週間以内かな。もうギリッギリで決まるんだ。ほとんど幹事イジメが趣味だからあの人。タチ悪いんだよ全く。あ、でも仙道はその被害の心配はないね。問題なくいけば仙道が二年になる頃は東郷さんいないしさ。いいなぁ〜」 牧さんが休憩時間にいない理由は分かったけれど、大変そうなことも知ってしまった。何か手伝えたらと思うけれど、新入生で歓迎を受ける立場にある自分が下手に口出しなど出来ない。 「……歓迎会終わるまでの辛抱かな」 つい口から出てしまった小さな呟きは、愚痴めいた話をダラダラ喋っている武石の耳には入らなかったようで聞き返されることもなくすんだ。 飲み会が楽しみなわけではないが、仙道は今日の歓迎会を心待ちにしていた。 結局この日まで牧とは練習中に交わす軽い二言三言の会話以外できないままで来ている。歓迎会に乗じて個人的に親睦を一気に深めるには絶好の機会と、内心妙な気合が入っている仙道であった。 しかし会が始まってしまうと座席は遠く離れており、幹事である牧は先輩方の追加注文などを店員に伝えに行くため頻繁に席を外していた。二階の大部屋貸し切りという悪条件だけではない、お世辞にもマナーがあるとは言いがたい先輩達の悪ふざけっぷりに、大人数に対して幹事一人という大変さがひしひしと伝わってくる。 「牧さん、なんかすっげー大変そう……」 右隣に来て喋りこんでいた大田原先輩が料理を口に頬張り無言になった時に、仙道はぽつりと呟いた。それを聞きつけた左の席で同期の芳沢が頷く。 「ホントだよなー。仙道知ってた? 幹事って次の年に副主将に推される可能性の高い人がなるって内々の噂あんだよ。だから年に何回かある飲み会の幹事って、どんだけ動ける奴かを見るためにあえてコキ使うらしいぜ」 内緒だぞ?、とひそひそと小声で教えられた。これだけ煩ければ周囲になど聞こえはしないのに。それでも声を潜める用心深さは、少しだけその噂が本当らしく感じさせる。 噂の審議はともかく、わざとコキ使っているとしか思えない忙しさは見ていて可哀想で、仙道はせめて自分だけでも大人しくしていようと考えた矢先。 「うぉーい、仙道〜! 何を隅っこで大田原なんかにつかまってんだー。こっちこいやあ! お前の武勇伝聞いてやっからよお」 大変嬉しくない、東郷に並んで悪名の高い三年の後藤田先輩からお誘いを大声でうけてしまい、笑顔の下で『テメーらのような輩がいっから……』と悪態をつきながら、無難な程度の苦笑いを浮かべつつ仙道は席を立った。 牧といつもより長く話が出来るかと楽しみにしていたけれど、これはもう今日は無理だと仙道は内心あきらめた。美味くもない酒をがぶ飲みさせられ続けるのもバカらしい。トイレにでも行って一息つくかと階段を降りたところで、思いがけず牧と鉢合わせた。あまりのラッキーに沈んでいた気分が急上昇する。 「お疲れ様です。大変そうですね、幹事」 「全くだよ。何十回階段昇降させられてるんだか」 苦笑交じりに肩を軽くあげる仕草を見るだけで、仙道の胸は少女漫画の擬音にも最近みない、キュンという甘い音をたてた。そんな自分に仙道は盛大に驚きながらも表面上は平静に話をする。 「それじゃ食うどころか飲みも出来てないんじゃないすか?」 「いや、空きっ腹にガンガン飲まされて水っ腹なくらいだ」 「牧さんあんま顔に出ないタイプなのかな。それとも酒強いのかな。俺、なんか食い物みつくろって持ってきましょうか? 体に悪いっすよそんなんじゃ」 「気持ちだけで十分だよ。ありがとうな」 でも……と、尚も気にする仙道の肩を「本当に腹いっぱいだから」と牧は軽くポンと叩いた。 「顔に出てると面白がって尚更飲まされるだろ。それの防止対策にさ、実は今さっき酔い冷ましに顔洗ってきてスッキリしたとこなんだ。もうこれ以上はあまり飲まされないですむと思うんだ。それに後せいぜい一時間程度だろうし」 牧は苦笑いをふわりと浮かべて、一つ深い溜息をついてから自分の首に右手を添えて小首を傾げた。その疲れた顔に視線を奪われ、今度はドキリと胸が鳴る。赤みを帯びた目縁。よく見ればほんのりと上気している頬。少しやつれたように濃く落ちた疲れの色が精悍な顔立ちに“色やつれ”を浮かべさせているように映る。そんなことを男に感じたことなど一度もない。昔短期間付き合った年上の女にすら、一度としてこんなに強烈な色香を感じたことはなかった。 「……仙道?」 固まってしまっていたため、訝しげに軽く見上げるように覗きこまれていた。それに気付いて更に鼓動が早くなる。キスをねだられているような錯覚を感じる自分を振り払うように首をぶんぶんと音がするほど左右に振る。 「おい、やめろよ。あんまり頭振るな。お前も飲んでんだろ。酔いが一気にまわっちまうぞ」 心配して一歩近づかれて距離が縮まる。 振り払えなかった欲望が突然暴走して、仙道は気付けば両腕でしっかりと無防備に立っている眼前の男を抱きしめていた。 *Next 02
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二年近く想ってるくせに自分で気付いていない仙道というのは初めて書くような。でもそこは引っ張るとこではないです(笑)
人気者牧を書くのが思いのほか楽しくて、またやっちゃいました♪ なるべく短く終わらせたいです〜。 |