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「頭痛ぇ……死ぬ……」 「……ゲロ滝のように吐きてぇ〜マーライオンになりてぇよぉ〜」 そんな力ない呟きがあちこちで聞こえる、歓迎会翌日のバスケ部専用体育館内。 この日ばかりは鬼主将と名高い勝山も、屍と化したほとんどの部員を叱咤しなかった。というより自分も二日酔いで部活に顔を出すのがやっとという体で、やりたくとも出来なかったのだろう。 「今日は……ちょっと……つか、かなり早いが、終了にする。明日も今日みたいだったらお前らブッコロスからな……ウプ」 全く凄みも何もあったものではない、通常より一時間も早い吐き気交じりの部活終了宣言が下された。歩ける余力がある者は早々に体育館を去り、ない者はそのまま磨かれた体育館の床と仲良くなっていた。 体育館の窓から射す夕刻の日を浴びながら、仙道は動けないほど宿酔いしたわけでもないのに壁にもたれ座り込み頭を抱えていた。昨夜、牧を腕に抱いた時に自覚した牧への恋心をもてあまして。 最初から異常なまでの関心 ─── 執着心を自分でもおかしいと思ってはいた。しかしまさかそれが同性であり、親しい間柄でもない男への恋情から生じていたものだったとは。何故、どうしてという疑問の嵐に揉みくちゃにされた一夜が過ぎてしまえば、もう理屈なんてどうでもよくなってしまっていた。人を好きになるのに理屈はいらないと何かの歌であったようななかったような。何にしろ目を逸らしたくても逸らしようがない、昨夜牧に感じたあからさまな欲望は仙道を打ちのめして納得させるのに余りあるものであった。 ふいに閉じていた目蓋に感じていた明るさが消えた。ゆっくり目蓋を開けると、池上が光を背にして意地悪そうな顔で覗き込んでいた。 「お前にしちゃ、なかなか新入生らしい潰れっぷりだな。バスケ以外でも高校時代とはかなり勝手が違ったか?」 酒が理由で座り込んでいるわけではないのだが説明したくないため、仙道は曖昧に笑って頷く。 「あ、牧。こいつは甘やかす必要なんてないぜ。多分半分くらいはだらけてるだけなんだろうから。大体こいつはそうそう潰れるような可愛げのある奴じゃねぇんだ」 鋭い池上の指摘よりも視線の先にいる人物が気になって目線を上げると、片手にヤカン、片手にプラスチックの大きいコップを持って近づいてくる牧の姿があった。 今一番、どういう顔をしてどういう行動をとればベターなのか分からない、けれど一番傍にいきたいその人物は、仙道の横に膝まづいて微笑んだ。 「飲めよ。飲んで動けそうなら、帰ってさっさと寝るのが一番だぞ」 「ありがとうございます……」 普段と変わらない様子に安堵し、ありがたく水を飲んだ。普通の水道水のはずがほんのり甘く感じる。 池上は屍の数をざっと確認するように周囲を見渡すと、軽く肩をすくめて溜息をついた。 「潰れんのも経験なんだから放っておきゃいいのに。牧は甘いな」 「甘いんじゃなくて、さっさと帰ってもらわないと俺が困るんだよ」 「あ、今週鍵当番なのか?」 「そ。あ、もう一杯飲むか?」 飲み終えてもコップを握ったまま、綺麗な褐色の肌や高い鼻梁やふっくらした唇が形作る端整な横顔に魅入っていた仙道に気付いた牧本人が小首を傾げて尋ねてきた。その頬に触れたいと思うのも彼を好きだと思う気持ちも昨夜と変わらない。やっぱり気の迷いでも酒のせいでもないことを、改めて湧き上がる胸の甘い疼きと共に感受する。 「下さい」 コップを上げながら、本当は『水ではなく、あんたを』と言いたくなったけれど、池上さんがいるから冗談めかしてすらも無理な話で。もちろん周囲に誰一人いなかったとしても、昨日の今日で突然そんなことは言えるわけもないけれど。でもいつか、遅かれ早かれ自分はこの人へ懇願するのだろうと確信していた。 差し出したコップを受け取ろうと牧が手を伸ばしたところで池上がそれを奪った。 「一人一杯までだ。何調子こいてんだよ。牧も牧だ、こいつなんて甘やかすなよ。すぐ図にのるんだから。他の奴等にもさっさと配ってさっさと帰そうぜ。ヤカン一個じゃ足んねぇだろ。確かもう二個くらいあったよな」 憎たらしい物言いのわりには、「ほら、立てるだろ、その顔色なら」と手を差し伸べて仙道を立ち上がらせてくれるところが池上らしい。 「どっちが甘やかしてんだか」と肩を竦めて笑うと、牧は他の潰れている一年のもとへと行ってしまった。 仙道はといえば、立ち上がったはいいものの、ずっと牧の後姿を切ない目で追っていた。そのため、ヤカンを両手にいつの間にか戻ってきていた池上に 「どうした? ……何、牧のケツ追って見てんだよ。キモいぞ」 などと不審者扱いされてしまっていた。 鍛え上げられた体だから、抱きしめたらもっと硬いと思っていた。でも思ったほど硬くもなく、それよりもしっかりと抱きついても大丈夫な安定感にまわした腕を離せなくなった。6cm俺より身長が低い彼の唇がちょうどキスしやすい位置だと気付いてしまって戸惑う。肩口に顔を埋めれば、褐色の肌のきめ細かさや、ほのかに香る優しい体臭にうっとりと酔わされた。 『おい、仙道? 大丈夫か? 気分悪くなったのか?』 心配して支えてくれるのをいいことに、俺はまわした腕に力をこめて、さらに深く抱きしめた。 『……仙道?』 流石に変に思ったのだろう、声音が僅かだが訝しそうに曇る。 『……具合悪いんで、ちょっと背中さすって下さい』 ゆっくりと腕が背中にまわされ、大きな掌が優しく上下に擦ってくる。 『別の部屋で横になるか? 水でも持ってきてやろうか?』 今度は訝しさも消えて、優しく労わるような低音が耳を心地よくくすぐる。 信じられないほどの清らかな幸福感と、恐ろしいまでの生々しい欲望という、全く相反する感情に身が裂かれそうだった。優しいこの腕の中でいつまでもまどろむような幸福を味わっていたい。引き締まった肉体を押し倒して思う様蹂躙して全てを食らい尽くしてしまいたい。 そんな経験したことのない苦しい気持ちに翻弄されていたのは、きっととても僅かな時間だったのだろう。返事をする前に、二階から彼を呼ぶ野太い野郎の声が聞こえてくる。 『すまん、仙道。ちょっといいか?』 そっと腕を放されて我に返った俺は、仕方なく優等生の言葉を述べた。 『すんません。随分楽になりました。俺、ちょっとトイレ寄って顔洗って戻ります』 『ゆっくり休んでから来いよ』 再三、しつこいほど連呼されて、心配そうな顔ではあったが頷いた牧は階段を駆け上がっていった。 何百回も思い返している、先月の歓迎会での数分間の出来事を、仙道は今日もまた思い出しては溜息をついていた。 自覚してしまってからは、彼に想いを伝えたい気持ちが日増しに募るばかりだ。 自分が他の奴等とは違う意味で好意を寄せている存在であると知ってもらいたかった。最初は同性だからと気味悪がられたとしても、『誠意』という、自分の辞書に初めて加えられた言葉を精一杯総動員して抵抗感を除去したい。そしてなんとしてでも晴れて恋人になってもらいたいのだ。 長期戦になるだろうことを思えば、二年間無自覚で無駄に時間を使っていた愚かな自分に腹が立つ。が、それでもこの大学を選んだことだけは褒めてやる。条件のみで薦められるままに他を受けていたらと思えばぞっとするから。 時間はあるようでいて、実はない。入部して約二ヶ月近いというのに、親しい間柄にすらなれてはいない現状を思えば楽観は無理な話だ。 こうなったら少々強引にでも行動あるのみ。本当に欲しいものを手に入れるためなら、この面倒くさがりでいいかげんで、実はちょっと格好つけで事なかれ主義な今までの自分なんてゴミ箱行きだ。彼好みに全部変えられるわけもないし、そんな気もないけれど、捨てた部分に彼の好みを追加していけるようにはしたい。……出来るかどうかは怪しいけれど。 とにかく躊躇している時間すら惜しい。だって一刻も早く、あの時の夢のように幸せな時間がほしいじゃないか。こうして思い返しては切なさに身を捩じ切られそうになるのを無駄に長引かせてなんていたくない。 距離を近づけるためには情報は多い方がいい。彼の好みを知るためには、チームメイトの枠を越えて親しくならなければいけないのだから。二人きりになって話が出来る状況を作りたい。最初は僅かな時間でもいい。回数を増やして徐々に俺をいい奴だと、こいつといると楽しいと感じさせる。そんでいつかは俺がいないと物足りないという気持ちにまでいったところで……驚かせないように、さらりと言うんだ。あんたが好きだよって。 ──── そんならしくもない、少ないと分かっている時間を最大限にかける覚悟の上でたてた計画は。現在に至るまで悲しいほど何一つ実現していなかった。理由は簡単。牧と二人きりに全くなれていないからだ。 趣味・嗜好。それなりの情報は、人気があるだけに仙道が調べようとしなくても耳に飛び込んできていた。その点だけが救いではあったが、裏を返せばいかに牧が周囲から注目を浴びつつも大事にされているかということを示していることであるため、仙道の胸中は複雑だった。 部員だけでも40名以上がいて監督もコーチもいる。これほど多くの人間がいて、ほとんどに好かれているとはどういうことなのだろう。確かにコートから出れば温厚で適度にぬけていてとても付き合いやすい性格をしている。しかし逆に、ルックスも良くてバスケも上手く、頭も性格もいいなんて出来過ぎと思えなくもない。そんな人間というのは少ないだけに、どこかで疎まれたりするのが普通だ。なのにバスケ部一、嫌な男と囁かれる性格最悪な副主将のあの東郷ですら、からかったり面倒をかけながらも彼を気に入っているのは傍目からも明らかだった。 「まぁ、俺が惚れるくらいの人だから当然か」 考えるたびに漏れる自分の空しい呟きはいつも同じ。何の前進や解決の糸口になるものでもなかった。 今日も今日とて、仙道は星の少ない夜空を見上げてため息を盛大に吐き出しながら、ボロ下宿(築三十五年)に続く道をとぼとぼと辿っていた。 牧はとかく一人でいることのない人で、その周囲には練習中・休憩中・帰宅と、決まった取り巻きがいるというわけでもないが、誰かかれか人がいた。彼と二人きりになるのを狙うことは、同学年や先輩でもない者にとっては到底無理なことのように思えた。 本日も仙道の愛する御仁は二人の三年に新装開店のラーメン屋に「奢ってやるから、行くぞ」とさらわれてしまっている。体育会系では年功序列は絶対だ。牧が二日前にも同期とラーメンを食べに行っているのを知っている仙道は、まさにしょっぱい気分で見送るしかなかった。 人もまばらとなったロッカー室で、いつもは下宿が見えるギリギリになって吐き出していた愚痴が溜息とともにまろび出る。 「……いくらチャーシューメンが好きでも、二日おきじゃ飽きるよなぁ」 丁度仙道の横を通り過ぎようとしていた池上が足を止め振り返った。 「ホントだよな。先輩達ももうちょっと考えてやりゃいいのに」 「可哀相っすよ。先週だって他の先輩がラーメン屋連れてってたし。塩分過多で体調崩したらどーするんすかってね」 汗で濡れた着替えで重くなったバッグを担いで体を起こすと、立ち止まったままの池上に仙道は何かと首を傾げる仕草で問うた。彫が深い目元から覗く目が面白そうに笑っている。 「お前が人の健康気にするなんてなぁ。一年会わなかっただけで変わるもんだと思ってさ。高校三年で主将やったからかね」 対照的に仙道の表情が面白くなさそうに曇る。 「あぁあぁ、んな顔すんなって。褒めてんだから」 「……ちっとも褒められた気がしませんけど。俺、んなに周り気にしてませんかね」 「全くな。お前は昔から天下無敵のマイペースだ。まぁ、コート内では驚くほど周りを見てるけどよ」 池上の返答に脱力した仙道は力なく肩を落として「お先に」と形ばかりの会釈をして過ぎようとした。その背を池上の声が追う。 「お前さ、橘さんが今日何食いに行ってっか知ってる?」 肩越しに仙道はゆるく顔を向けて「さあ……?」と訝しげに返すと、池上はゆっくりと仙道の隣まで歩いてきて口の片側をあげシニカルな笑みを浮かべた。 「どうやら俺の勘違いじゃねぇみたいだな。どーれ、しゃーない。器用そうなふりして実はそうでもない後輩の面倒でもみてやるか」 そのかわり餃子奢れよと仙道の背を軽く叩いてくる。胡散臭そうに首を傾げた高校時代からの後輩の前を池上は歩きながら付け加える。 「恋愛相談料に餃子だけじゃやっぱ足りねぇな。回鍋肉も付けろよ。あ、ちなみに橘は三週連続、しかも週に三回ドンキーに連れてかれてっから」 ハンバーグレストランチェーン店の名前を聞いた仙道はぐうの音も出なくなり、中華を奢るだけの金を所持しているかどうか渋々と自分の財布を取り出した。 *Next 03
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池上って燻銀のイメージがあるんですよ。彼もカッコイイですよね〜彫が深すぎて眉毛見えないけど(笑)
運動部ってラーメン屋以外にどういう店によく行くのかな?コンビニ以外浮かばないのだけど。うーん。 |