I apologize! vol.05


暦の上では初秋というのに、陽射しは恐ろしいまでに真夏の様相。ギラギラと照りつける太陽は、今までクーラーのきいた建物の中にいた牧と仙道を射るように襲いかかる。
「子供の頃はこの時期にはもう少し涼しかった気がするんだが……。まるで温暖化現象を招いている人間を焼き尽くしたいみたいだな」
狂ってるよこの暑さは、と眩しさから少しでも目をかばうように牧は掌で目元に影を作った。
目の色素が少ない青眼の白人などは直射日光で目を傷めやすいと聞いたことがあった仙道はふと微笑んだ。
「牧さんは目の色素薄くて綺麗だよね。光の加減によっては琥珀色や金色に見える。俺はそれが凄く綺麗で大好きだけど、本人にとっては外を歩く時やアウトドアん時は大変なの? だから沢山サングラス持ってるの?」
「沢山なんて持ってない」
唐突に賛美されて恥ずかしくなり、ついぶっきらぼうな返事をしてしまった牧を分かっているのかいないのか、仙道は微笑を崩さずに続けた。
「けっこう前、俺にサングラスくれたじゃないすか。ほら、牧さんと牧さんの友達四人と俺でビーチバレーした時。そん時してたのと、こないだ一緒に釣りした時とは違うサングラスしてたよね。普通、サングラスなんて一個持ってりゃいいほうで、二個以上は多いと思うんだけどなー」
何気ない仙道の台詞で牧は突然、ずしりと重たいものが背に乗せられたように動けなくなってしまった。続けて話している仙道の声も聞こえなくなる。

『けっこう前』。あのビーチバレーをした日の夜に仙道へ告白しようと決めてから、既に四ヶ月近く経っていた。決めてから一ヶ月間はお互い忙しくて会えなかった。電話では頻繁に話しはしていたが、電話で言うのも気が引けて出来なかった。その後は仙道が高校最後の夏のインターハイという大舞台があったため、それどころではないだろうと自重した。インハイが終わってからは自分が部活で忙しく……というのは口実で。きっかけがつかめなくて、けっこう二人で遊んではいるくせに、結局言い出せないで終わっていた。
頭の中で先週吾妻に言われた嫌な台詞がポコリと浮かびあがる。
──『まだ言ってないんだ。牧は呑気だね……あれだけ格好いいセンドウ君が、いつまでも恋人作らないままでいるって思ってられるんだから』

急に足を止めた牧に仙道は振り向いて「どしたんすか?」と首を傾げた。
凶暴なまでに照りつける日差しが作り上げている濃い影を見つめるように立ち尽くしている牧へ仙道は戸惑いながら数歩近寄った。
「疲れたの? ここじゃ暑いから、日陰行こうよ」
仙道は数メートル先にある木陰を指差したが、牧は唇を噛んだままで歩き出そうともしない。
「……どうしたの? 急に……。俺、何か悪いことでも言った?」
「言ってない!」
勢い良く上げられた牧の面は泣くのを我慢している子供のような必死さがあり、仙道は気圧されたように一歩後ずさった。
「そ、そう? ならいいんだけど。ね、あっち行こうよ。ここマジ暑いからさ。とりあえず座ろう? こんなとこにずっといたら日射病になっちゃうよ?」
眉尻を下げた困り顔の仙道に促されてようやく牧が頷いて動き出した。

ベンチに座るなり、牧は項垂れた己の後頭部を組んだ両手で抱えてしまった。隣に座った仙道からは全く表情は窺えない。突然過ぎる牧のおかしな様子に途方に暮れた仙道は、黙って牧のポロシャツの襟から覗く、うっすらと汗を浮かべている滑らかな項を見つめていた。
熱風ではあるが、浮いた汗を撫でれば気化熱でいくらか涼しく感じる。生い茂る頭上の葉が斑の木漏れ日を二人に揺れながら落とす。
何か悩んでいるのだろうかと心配にもなったけれど、話したくなったら話してくれるだろうと、仙道はこのまま何時間でも丸一日でも待とうと決めて肩の力を抜いた。

腕時計もしていないし、携帯を出すのも無粋な気がした。だから時間がどれだけ過ぎたかは分からない。20分かもしれないし、一時間かもしれない。時間は分からないが、とにかく店から出て浮いた汗は乾いた。木陰のおかげもあり、熱風が体に馴染んで熱さをあまり感じなくなった頃。ゆっくりと牧は腕を降ろして自分の両膝の間で指を組んだ。
「……すまん。退屈させたな」
「や、別に。予定もないし。暑いけど気持ちいいし。咽渇いたんなら、何か買ってくるよ?」
「お前は?」
「俺はどっちでも」
「なら……決心が鈍らないうちに、ちょっと俺に喋らせてくれ」
「はあ」
そんな重要なことなのかと首を傾げながらも仙道は頷いたが、俯いてる牧には見えない。しかし空気を読んだのか、牧は意を決したように話しはじめた。
「口から出しちまった言葉は、どんなに撤回したくても、後悔しても戻らない。完全になかったことには出来ないって分かってる」
「うん……?」
話が見えなくて曖昧な相槌しかうてない。
「なかったことに出来なくても……やり直すことは、努力によっては不可能じゃないと考えてしまうんだ。都合のいい考え方かもしれないけど……」
沈痛さ漂う牧の様子に仙道は慎重に言葉を選んでゆっくりと返す。
「牧さんが何を言いたいか分かんないけど、人間なんて失敗して学ぶ生き物でしょ。一回失敗したらお仕舞いだったら生きてけないって。どうしたの? 誰かになんかとんでもない失言でもしちゃったの? もし良かったら、俺に教えてよ。んで、一緒に考えようよ、その、あんたが望む“やり直す”上手い方法をさ」
「……一緒に考える……?」
暗かった声音がほんの少し変わった気がして、仙道は慎重に投げた糸に魚がかかったような手ごたえを感じ一気に勢いづいた。
「そーだよ! 一緒に考えようよ。失敗するから次はより良くするように学んで考えれんのが人間の良さ。失敗は成功のパパって言うじゃん。バスケだって何だってそうさ、説明するまでもないじゃん。成功してばっかで失敗しないまんまなんて、それこそ退屈過ぎて生きてけないかもしんないよ? ほらほら早く、もったいぶらないで話して下さいよ」
やっと牧は上体を起こして顔を向けてきた。
「それを言うなら“パパ”じゃなくて“母”だろ」
苦笑する牧に安堵しながらも、格好つかなかったことに仙道は笑いながら後頭部をかいた。
「今のはわざと失敗してみせたの。……なんてね。ほら、俺も言ったそばから間違ってんじゃん。ね。さぁさぁ、牧さん。悩んでる顔も渋くてカッコイイけど、焦らさないで早く失敗談語ってよ〜」
おどけた仙道へ、やっと牧は困り顔ではあったが白い歯を見せて笑った。

かなり前の話になるけど、と前置きをしてから牧は語りだした。
「俺さ、前も言ったかもしれないが、男にやたらもてるんだよ。何故だか分からんけど。それで断ったら大体が友人関係も消滅しちまうんだ。俺としては別に偏見はないが、友達が減るようで告られるのは気持ち悪いというより悲しかった。でもまれに……友人関係は壊れずに、変わらず楽しくやれてる奴もいるんだ」
「……その楽しくやれてる奴は俺のことだよね。俺以外にもいたんすか?」
「森と吉沢と村雨と、木下かな」
それと……と指折り数えている牧に、『まれ』という人数ではないと仙道は頭が痛くなってしまった。『まれ』でその人数なら、どれだけの男にこの人は惚れられてきたのか。それよりも、やはり森さんには恋愛感情があったのだ。……おそらく森さんには今でも思慕が残っているから、先日の自分はあんなに落ち着かなかったのだと納得がいった。

無理やり平気な顔を作ろうとしているため、こめかみがピクピクするのを隠して話を促すべく、「へぇ…そうなんすか」と仙道は無難な相槌を選んで打った。
「あ。そういえば吾妻もか? いや、あれは冗談だったかな? まぁ、そんなことはいいんだ。それに、お前はあいつらと少し違うし」
仙道は『何もよくなんてない! しかもあの吾妻って男が冗談で言うわけがない! 何がマニアだ! テメェが一番性質悪ぃっての!』と腹立たしさで沸騰しそうになったが、話の腰を折ることは出来ず黙して堪える。
そんな仙道の胸中など気付かない牧は、仙道が引っかかった言葉ではない、別の言葉をもう一度区切るように繰り返した。
「お前は、あいつらとは最初から少し違ったんだ。お前の場合は……俺から言い出しただろ。あの頃のお前は俺に向ける好意を隠してはいなかったけど、俺を好きだとかそういった言葉は一切口にしてなかった」
「最近はついさっきみたいに、牧さんの瞳が綺麗で大好きだとか、口からぽろぽろ出てるからやめろってこと……?」
ぴくりと片眉をあげた牧は「そうじゃない」と呟くとゆるゆる首を左右に振って視線を仙道から逸らした。
「他の奴等みたいに告白してきてもいないのに……俺は自分から切り出してお前に恋情を捨てさせた。お前以外から寄せられた好意には気付かないふりで面倒だから言われるまで放置してきたくせにだ。断ってダメになったらそれまでだって割り切れてきたのにさ」
大きな溜息をついてから牧は目蓋を伏せてベンチの背もたれへ体を預けた。
「最初から間違えたんだ、俺は。……お前とは学校も学年も違うから、告白されて断れば疎遠になるのは目に見えていた。それが怖くて、自分から言い出したんだ。あの頃の俺には選択肢は一つしかなかったんだよ。男に告白されたら断るというのしか。─── 覚えているかな、お前はあの時、『二者択一しかないなら』って言って俺の当時の願いを聞き入れたんだ。今思えば、俺の方こそ、他の選択肢はないと思い込むほど切羽つまってた……。お前を手離したくない一心に捕われて、間違えたんだ」
目蓋を伏せてもなお、仙道の表情が見えてしまいそうで怖くなり、牧は組んだ指で目蓋の上を覆った。

二人の間にまた音もなく熱風が通り過ぎた。
「今更だって分かってる。自分から捨てさせたくせに、勝手なこと言うなって詰られるのも、今更あの頃の気持ちに戻れるわけないって断られるのも覚悟は出来てる。だけど言わせて欲しい。言わないままでこの先、言えば良かったと後悔し続けるのは嫌なんだ。……身勝手な我がままだけど」
仙道に向かうように上体を起こした牧は驚きに目を見張った。
目を閉じている間中、仙道は泣いていたのだろうか。両頬にはくっきりと涙の筋が伝っており、顎から雫が音もなく零れ落ちる。
「……続けて下さい」
涙を湛えた漆黒の瞳で仙道は牧を睨むと震える声で言った。
「早く」
きつく促されて、牧の瞳も熱く潤んだ。
「わ……るかった。本当に……すまなかった」
ドンッと仙道がベンチの背を拳で叩いた。振動で仙道の顎からまた雫が落ちた。
「違うだろ! 何でそこで謝るのさ! いつまで待たされなきゃなんねんだよ! いつまで俺はあんたが好きなことを隠しとかなきゃなんねんすか!」
「え……?」
「当たり前でしょ。恋情捨てろって言われて、はいそーですかで捨てれっかよ。それに、こちとらあんたが俺のこと好きだって、あんなこと言われる前から気づいてたのにさ。何言ってんだかと思ったよあん時は。自分の恋愛感情に鈍いとこも可愛いけど、いい加減俺ももう限界なんすよ。何だよ、黙って聞いてりゃ森さんとか吾妻さんとか! 絶対駄目だからね! もう最近なんて、さっさとしねーとキテレツなトンビにさらわれちまうんじゃないかって気が気じゃなくて夜もおちおち寝てらんないってのにっ」
これだから年齢差があるのは嫌なんすよ、と鼻水をすすりつつ泣きながら怒る男を前にして、牧は呆気にとられた。
「俺……今、お前に謝罪してから告白しようと思ってたんだが……。森とか吾妻とか、駄目とかトンビとか、何の話になってんだ?」
「もーっ!! だからさっさと……! あぁ、チクショウっ!」
整えた髪形が乱れるのも構わずに、仙道は腹立たしげに自分の頭に手を突っ込んでぐしゃぐしゃとかき乱した。そして尻ポケットから駅でもらったらしきティッシュを取り出すと盛大に鼻をかみはじめた。

真っ赤な鼻で、それでも涙が止まった仙道はジロリと牧を睨みつけてきた。泣いたせいで赤みを帯びた目が妙に迫力がある。牧は恐る恐る窺うように首を傾げると、仙道は黙って頷いた。
「ええと……つまり、あの頃の気持ちをお前がまだ持っていてくれるなら……友人じゃなく、その…俺の恋人になってほしいんだ」
牧はゆっくりと頼み込むように頭を下げた。
「あの頃の気持ちなんてね、もう消えちゃってるよ」
ふてくされた返答にグッと牧は息を呑んだ。しかしここで引き下がるわけにはいかないと気力を奮い立たせる。……格好悪さに面は上げられないけれど。
「好きだ、仙道。多分お前が言うように、あの時にはもう既にお前が好きだったんだ。自覚が遅くて余計な迷惑をかけたことを許してくれ!」
膝に頭がつくかというほどに牧は深く頭をたれた。

熱い風がさわさわと葉を揺らす音と仙道の鼻をすする音が聞こえる。それですら、あの時に自分が怖いと感じた沈黙よりはとても優しくて、牧は切ないほどの愛しさを胸に深謝し続けた。
仙道は小さな溜息を漏らした。
「……あの頃はね、あんたが好きだから、あんたの望むようにいようと思っていたよ。まだ自覚のないあんたを傷つけるくらいなら……プラトニックな恋でも耐えられるって自分に言い聞かせてきた。けどもう、さっきも言ったけど、限界なんだ」
仙道は牧を抱き起こすように面を上げさせると強く胸に抱きしめた。
「気持ちの上でだけの恋愛なんて耐えられない。それだってもしかしたら俺の勝手な勘違いかもしれないって思ったら、不安で苦しくてたまらなかった。悪いと思ってんなら、全部奪わせてよ。あんたの全部が俺だけのものなんだって安心させてくれよ。俺が最初から丸ごとあんたのものだってこと、いい加減に分かって……」
仙道の顔は抱きしめられていて見えないが、声と震えている熱い体から、また泣いていることが伝わってくる。仙道の汗の混ざった体臭を深く吸い込めば、幸せに咽がつまってしまった。それでも音にはならなくとも、そっと牧は吐息で囁いた。
『約束する。もう不安になんてさせない。全部もらってくれ。俺もお前を全部もらいたいから』
痛いほどにしがみついてきた仙道の背に、牧もまた腕を回して仙道の背をきつく抱きしめた。


公園のトイレの洗面所で仙道は涙でガビガビになった顔を洗った。牧がトイレットペーパーを取り出して差し出す。
「ども。でもこれって顔にはりつくんだよね……。ハンカチが良かったなぁ」
「今日は持ち合わせてなかったんだから仕方ないだろ。そういうお前なんていつも持ってないじゃないか」
そうだけど〜牧さんのハンカチが良かったのに…とブツブツ言いながら拭き終わった残骸をゴミ箱へ捨てると、仙道は鏡に向かい、顔に残ったペーパーのかすを指で取りはじめた。
その様子を横でじっと見ていた牧に仙道は鏡越しに視線をやった。
「何すか?」
「いや……。美形はそんなマヌケなことをしてても美形なんだなって感心してただけ」
ごく真面目に言っている牧の表情に照れはない。仙道は鏡に両手をつけてがっくりと項垂れた。
「あのねぇ……。今だから言えるけど。牧さん自覚なさすぎだよ。昔っから誰の前でもあんた、俺のこと褒めるでしょ。しかも赤面ものの台詞でさぁ。それ、直した方がいいと思うよ」
そりゃ俺は嬉しいけど、と続けながら溜息をついた。
「? そんなことはないし、今のは思ったことを口にしただけだ。お前の方だろ、最初から俺のことやたらに褒めてきたのは。そうだよ、前から言おうと思ってたんだ。お前、吾妻の前であまり俺を褒めるな。いつまでもそれをネタにからかわれて面倒なんだよ」
ムッとした牧へ今度は仙道がもっとムッとした顔で振り返った。
「恋人に昇格させてもらったから言いますけどね。もう今後はなるべく吾妻さんや森さん、特に吾妻さんと二人きりになっちゃ駄目っすよ! じゃないと、今後は吾妻さんの前で褒めるどころか、目の前でキスしますからね!」
「な……!!」
驚いて絶句した牧へ仙道はずいっと一歩踏み込んだ。
「俺、心配なんすよ。あんた本当に怖いくらい可愛いから。一年近く俺にプラトニックを強いたんだから、それくらいは俺のお願いきいてくれますよね?」
笑顔で牧を下から覗き込めば、みるみるうちに牧の頬が紅く染まっていく。
「牧さん、可愛い。頬がとっても綺麗な薔薇色になったよ」
急に力いっぱい牧が手を振り仙道を押しのけた。
「煩いっ。俺は可愛くなんてない! 恥ずかしいのはお前だ! もうそんなに見るな! 分かったから。極力三人でつるむか単独行動するようにするから」
「そんなこと言ってない。なるべく俺以外の男と二人きりにならないようにして欲しいだけ。俺ね、嫉妬心は山より高いんですよ」
「そんなん自慢出来ることか! 俺だって嫉妬心じゃ負けんっ。だーかーら、もう見るなって!」
「何? 何で見られたら嫌なの? 俺がいつあんたに嫉妬してもらえたっていうの? そんな嬉しいことあったなんて全く気付かなかったんで、教えて下さいよ〜」
ニヤニヤと目尻を嬉しさ丸出しで下げながら再び顔を寄せてくる仙道に、とうとう牧の拳が仙道の横っ腹へとヒットした。突然の痛みに仙道が前かがみになり呻く。その頭上で牧の怒鳴り声がトイレ内に響いた。
「いつ嫉妬しようが俺の勝手だ! 顔、あんまり近づけられるとヤバイんだよっ!」
ったく、人の気も知らないで、と言うなりドカドカと腹立たしげにトイレを出ようとされて仙道は弱々しくも頑張って声を投げた。
「何がヤバイんすか〜。待って下さいよ〜。イタタ……一人で残されたら俺、ふてくされて、床にあんたが好きだって言ってくれてるこの面をべったりつけて泣きますよ。俺の可愛い恋人の牧さんが、俺を殴って逃げた〜って叫びながら」
今度は慌てたようにバタバタと戻ってくると牧は片手を床についてしゃがんでいる仙道を助け起こした。

手を二人でまたも洗っていると仙道は楽しそうにしつこく訊ねてきた。
「何でヤバイか教えて? ねぇ、ねぇ。ねぇったらさ」
ぐぐぐと嫌そうに眉間に皺を寄せた牧は、とうとう降参とばかりに濡れた両手を挙げた。
「初めてのキスが公衆便所なんて可哀相だろ」
「え……?」
目が零れそうに見開かれて、牧は自棄になってる気分に拍車がかかってしまい、言わなくてもいいことまで言ってしまう。
「お前の顔をあんまり近くで見たらキスしたくなるんだ。それを我慢するのが辛いんだって言ってるんだ。笑いたきゃ笑え。俺は告白もキスも、当然それ以上も経験ないんだ。老け顔してるからって恋愛経験豊富と思うなよ。ザマミロ」
何に対してザマミロなのかと、自分に内心ツッコミをいれつつ牧は回れ右をして扉へ走るように向かった。
ドアの取っ手を掴んだ牧の腕を駆け寄った仙道の濡れた手が掴む。
「離せよ、服が濡れる」
「ヤダ。ね、教えてよ。どこだったらいいの? どこでならあんたにキスしていいの? なるべく近いとこにして。じゃないと俺、トイレから出た途端に襲いかかっちまうよ?」
「バカかお前は」
「バカだよ! バカだから失敗しないように聞いてんじゃん! んなこと聞くのがどんだけカッコ悪いかなんて分かってる。でも、でも、俺……あんただけは、俺の出来る範囲でだけど大事にしたいんだよ…!」
必死な声に負けて牧は振り向いた。どうせ真っ赤な顔を背けていても、真っ赤な耳と項は隠せないのだから。
「人目がなくて、トイレの近辺じゃなきゃ、どこだっていいよ……。俺だって、早くお前と……」
勢いが削がれてキスという言葉を紡げなくなってしまった牧の初々しさに、仙道の脳内でブチリと、しめ縄のように太かった何かがちぎれ飛んだ。
「あぁ! 牧さん! あんたはなんて可愛い人なんだ!」
感極まった叫びと同時に仙道は逃げようとする牧を抱きしめるなり、唇以外の顔中にキスをしまくった。
「やめろ! 離せ! 俺の話を聞いてたのか!?」
「唇にだけはしないから! もうちょっと! もうちょっとだけ!」
「顔だって同じだ! うわっ、ちょ、腰押し付けてくんなー!!」
牧の絶叫の後、今度は足を思い切り踏まれた仙道の叫びがトイレに木霊した。











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ここで終わってもいいようなものですが、何故か続いてます。そっちはオマケみたいなものです。
ファースト顔面中キスがトイレだなんて、きっと一生ステキな思い出に残りますね。いやん(笑)


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