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閉店ギリギリまで飲み食いした五人は、迎えに来た貴代子の姉が運転するプレマシーに貴代子・森・仙道が乗り込んだ。森兄のハリアーは酒を飲めなかった牧(昨日、森と吾妻と牧がジャンケンで決めていた)が行き同様に運転するため、牧と家が近い吾妻がそれに同乗して解散となった。 牧の運転する車に乗りたかったと内心残念に思っていた仙道に隣の森が小声で話しかけてきた。 「センドウ君さ、途中で抜けた便所、長かったよね。もしかして、吾妻に何か言われた? 奴が牧マニアだとかさ」 仙道はパチパチと数回目を瞬いた。疲れが出て助手席で寝息をたてている貴代はいいとして、運転している貴代の姉に聞かれたらどうするんだと驚いたからだ。 その反応に察しのいい森は手をひらひら振った。 「大丈夫。こんだけ音楽でかくかけてんだ、運転手には聞こえないよ。それよか、図星だろ。変な奴だろ、あいつ」 バレていたのならばと、仙道は曖昧に頷いた。 「吾妻さんと牧さんって、小学生の頃からの知り合いなんですか?」 「そう。吾妻ん家ってさ、すっげ複雑なんだよ。一時期、不仲な両親からの虐待から遠ざけるために、吾妻だけ遠縁の牧の家に預けられてたんだって。小5から小6? いや、中一までだったかな? 俺は二人とは中二からだから詳しく知らないけど、小学校低学年の時に吾妻と同じクラスだった奴から聞いた話じゃ、マジ酷かったらしい。人間嫌いになんのも当然っての?」 なんと相槌を打てば良いかも分からず、仙道は黙って森の話を聞いた。 「そんでさ、なんちゅーのかな。感情がないわけじゃなかったんだろうけど、ロボットみたいだった吾妻をさ、人間に戻したのが牧だったみたいだぜ? 牧はあの性格だからそういう話は一切しないから、両方の話聞けてないんでホントのとこはどーだったんか計れないけど、当の吾妻が自分でそう言ったんだ。あいつさ、けっこう変わってて何でも喋っちまうんだよ、気に入った相手にだけ。まぁ、気に入ったというのは俺が見てて勝手にそう感じただけなんだけど。ほら、本人は人間嫌いって言って、『俺は人間を気に入ることはない』って豪語してっからさ」 肩をおどけるように竦めた森へ仙道は「あー…」と小さく頷いた。 「だから、自分からあの変な“牧マニア”の話をしだしたってのは、センドウ君を奴なりに気に入ったからってことなんだ。つまり、えーと。あんま気を悪くしないで欲しいんだ。ほら、便所から戻ってきた時、ちょっとセンドウ君元気なかったみたいだからさ〜」 Tシャツもビシャビシャに濡らして戻ってきたしね、と笑った。濡れているTシャツに驚いた牧がハンカチを、貴代子がハンドタオルを貸してくれたことを思い出す。あの時の森は濡れている仙道のTシャツの裾をふざけて絞ろうとしたりと賑々しかった。あれは場の雰囲気を盛り下げないよう気を遣った行動であったのだと今頃気付く。仙道は自分の浅薄さに苦笑した。 おちゃらけているイメージが強くて気付かなかったが、仙道は牧が何故、一見牧とは合いそうにない性格に見える森とつるんでいるのかが分かった気がした。同時に、かなり変わっている吾妻のことも、少し。 「教えてもらって良かったっす。どうも俺、吾妻さんなんとなく苦手かな……って思いそうだったんで」 森は「そーだろそーだろ、やっぱなあ〜」と仙道の肩を叩いた。 「俺なんて最初大変だったぜ? 吾妻の過去なんて知らねぇもんよ。しかもあの頃は奴、今よりもっと手厳しかったからさ。あいつね、すっげーIQ高いんだ。東大だって楽勝ってくらい。一度覚えたことはほとんど忘れないからさ、俺なんてパーだから揚げ足とられるわ、容赦なく正論でズバズバ攻撃されるわ。今にして思えば、牧に近づいてくる奴をそうやって選別してたんかもしんないね。奴なりに守ろうと一丁前に思ってさ。牧なんて別に守ってやらなきゃなんねーほど弱くもなんともないのに」 俺としてはもう少し優しい目で観察して判定していただきたかったんですけどぉ〜?と、森が外人のように大げさな仕種をしたため、つられて笑いながら仙道は呟いた。 「森さん、いい人っすね」 「そうよぉん、気付くの遅いわよぉん、俺は顔だけじゃねんだぜ〜。なんてね。んーと……、俺もさ、昔…牧に精神的に救われたことがあってね。別に牧が何をしてくれたってんじゃねんだけど。とにかくそれで、ダチになりたかっただけでさ。しまいにゃ俺を阻む吾妻に対して意地んなったんもあったかもだけど。……本当にいい奴は俺なんかじゃなくて……牧なんだよ」 視線を車窓へ向けた森の横顔がどこか引っかかった。吾妻の時ほどではないが、またしても仙道の胸が嫌な感じでざわつきはじめる。 (吾妻さんをかばうためだけの発言にしては、どうも雲行きが変わってきたような……まさかだよな) 牧へ近づく男全てがゲイなわけがない。世の中そうそうゲイだらけなわけじゃないのだから─── と、冷静に考えようと努めても、ゲイではなかった自分を思えばなぐさめにもならない。 それきり会話が止まったせいか、仙道の胸中は車を降りるまで落ち着かないままだった。 プレマシーが発進して姿が見えなくなってなお、牧はラジオを選局している。それを横目で眺めていた助手席の吾妻が欠伸交じりに呟いた。 「森も身長止まったみたいだな。俺等の中で一番デカイのは牧かぁ……」 「そうなるな。吾妻、着くまで寝てていいぞ」 「ジャンケンに弱い自分を恨んでくれ」 「煩い。今日は飲みたい気分じゃなかったからいいんだよっ。黙って寝ろ」 気に入った局も見つからず、森のCDケースから適当にセットして発進した。車が静かに滑り出したのに合わせて吾妻はシートへ深く沈みこむように項垂れた。牧はフロントガラスの向こうに連なるオレンジ色の街路灯と伸びる海沿い道路へと視線を固定した。 森の好きなアーティストの歌声は眠りを誘いそうな甘ったるいバラードを紡いでいる。寝ようとしている吾妻には邪魔にはならないだろうけれど、運転している自分が眠くなるのは避けたいため、仕方なく音楽を止めた。 静かな車内では一人でドライブをしている気分になり、自然と牧は今日のことを振り返るように思い出していた。 遠目でも俺のことは見間違わないと豪語した笑顔。友人から借りた古めかしいサングラスをかけて困ったように眉尻を下げた苦笑い。やったサングラスをかけた時の格好良さと、褒めた時にみせた照れ笑い。試合では活躍するたびに目が合うとニカッと子供みたいに白い歯を見せた。視線だけで面白いように互いの意図は通じた。決まる連携プレーの後は眩しいほど満面の笑みで犬のように抱きついてきた── 仙道を誘って良かった。今日の全てが心を明るく満たして、こんなに楽しい一日を過ごせた事に感謝している。不満の余地などあるはずもない……あっていいわけがない。 「センドウ君だな」 突然話しかけられ、しかも頭の中をいっぱいにしていた男の名を口にされて、牧は驚きのあまりビクリと背筋を正してしまった。 「ねっ寝てなかったのかよ! 何だよ突然、ビックリしたじゃないか。何が仙道なんだよ?」 「俺等の中で一番身長のある奴の話」 「お前、いつの話してんだ」 吾妻はちらりと車の時計へ視線をやったため、時刻を聞いてんじゃないぞと牧は眉間に皺を寄せることで言外に伝えた。 「牧、突っ込みどころを間違ってる」 訝しそうな顔で「何が」と問う牧へ吾妻は片方の口角を上げる。 「これからは牧・森・俺の三人に新たに“センドウ君”ってメンバーが加わるってとこに突っ込めよ」 「またビーチバレーやるのか?」 「また間違う」 ハーッと溜息をつかれて牧は明らかに機嫌を害した顔をした。 「怒るなよ。俺にしては早く認めたんだぞ」 「お前なぁ。もっと分かるように話してくれよ。俺はイライラしてんだ、分かりやすく端的に話せ」 「ほら、そこ」 「え?」 牧は視線を右の前景へとやった。また吾妻が、今度は小さく溜息をつく。 「違うって。牧が苛々してる話のことだよ。俺以外にはバレてないけど、牧は今日かなりの割合で苛々していたことは分かってる。その原因が嫉妬だってこともな」 右から左。牧は勢いよく視線どころか首ごと吾妻を振り返った。 「俺は仙道に嫉妬なんてしてないぞ!」 「前向いて運転してくれよ。誰もお前がセンドウ君に嫉妬してるなんて言ってないだろ。牧は、センドウ君に近づいてくる女にも男にも嫉妬してたって言ってんの。俺のセンドウ君なのにってさ、そりゃ苛々もすれば疲れもするよ。よく俺に気づかれる程度にしか顔に出さないですんでるね。その分、更に疲れも腹ん中に倍増ってとこなんだろうけど」 「あ……づま、お前、」 驚いた牧の続く言葉を遮って吾妻は続けた。 「無理してる自分が分かってるから酒飲みたい気分にならなかったんだ。そんな気分で飲んだって悪酔いするのは自明の理、だもんな。ジャンケン弱くて良かったね。正当な理由で飲むの免れて。理由もなく飲まなかったら森は別として、センドウ君や喜代ちゃんは気にするもんな」 断定で全てを話されてしまい、牧は何も言えなくなってしまった。 森が馴れ馴れしく仙道の肩や背中を触る、貴代ちゃんが仙道に熱い視線を送っているのを見る度。熱い声援だけならまだしも、他所の女性にまで差し入れをされつつ写真を一緒にとねだられている(写真は断ってはいたが)度に……確かに、今日の俺は……頻繁にイライラしていた。そんな自分が理解できなくて更に腹立たしさが加わっていた。 心にもう存在を否定できない感情─── 吾妻が言葉にしてしまった、その醜い『嫉妬』ってやつを直視したくなくて、俺は“何かが不満な気がする”と、その感情に名前を付けることを拒否していたのかもしれない……。 沈み込むように沈黙していた牧へ吾妻は首を傾げた。 「そんな顔する必要はないと思う。牧さえ腹をくくれば問題は全て解決するんだから。何が引っかかってるんだ? 男同士だから?」 考えることを避けていたことを訊かれて奥歯を噛み締める。 馬鹿を言うなとか、勝手な推測で話を進めるなと、森が相手であれば不機嫌な顔をしてはぐらかしてしまえた。しかし相手が吾妻では、もう溜息をつく程度の逃げ道しかもらえないのは経験上知っている。 仕方がなく、牧は深く長い溜息をついた後で苦く笑った。 「吾妻の観察眼には参るよ……。いつから気付いてたんだ?」 「一年くらい前かな。俺は別にいいと思うよ。実際に話したのは二回だけど、いい奴っぽいと判断できた。いい奴なら、女でなくとも人間なんだし問題ないんじゃない?」 一年前といえば高校三年のインハイ前……仙道が個人的に俺に会いに来るようになった頃。意識するもなにもなかった頃から、この幼馴染であり悪友である男には何かしら感ずるところがあったのかと思うと冷や汗が出る。俺以上に俺を知っている男に、たまに驚きを通り越して畏敬の念さえ抱いてしまう。一年前というけれど、自分としてはそれほど前からではないため認めたくはない。しかし口にすれば、吾妻の理路整然とした客観的根拠の弾丸でぐうの音も出なくさせられてしまうだろうから─── 話を僅かに逸らす。 「お前の定義からいったら何でも問題なさそうだよな」 少し呆れたように片眉をあげてみせた牧へ吾妻は珍しく目元を細めて優しい笑みを浮かべた。 「俺の定義はお前が今後もそれなりに幸せであれるかどうかだ。定義を崩さない相手か否か隅々まで厳しく選別するのも俺の趣味。一年、それに関しての牧の様子見てきて大丈夫だと俺は結論出したんだけど。牧はまだ出し渋るのか?」 渋るという表現に、もったいぶってるからとか、そういう変な考えで動けないわけじゃないと抗議したい気持ちに駆られた。けれど、滅多に見せない心からの吾妻の笑みを見ていると、そんなことこそどうでもいいことのように思えて、牧は首をゆるく左右に一度振る。 「…………いや。今度言うよ」 「あ、そう。あ、その信号で右に曲がって。俺、コンビニ寄ってく」 「おう」 買い物をしている間も、家に送り届けるまでも、もう会話に一切仙道のことは出てこなかった。それが吾妻の気遣いなのかは分からないが。 久々に見た吾妻の深い微笑みが、踏み出すことに怯えていた背を押してくれた。踏み出したその一歩が成功しても失敗しても、こいつにだけは結果報告をしようと、アパートの玄関へと向かう友の背に心を決めた。 牧は吾妻を送り届けてから自宅へ引き返した。疲れた体をベッドに横たえれば、いつもよりも早く深く眠りについた。 空の色を映した薄い灰色の静かな海が数メートル先の崖先端の先に広がっているのを見つめていた。ここ数ヶ月、よく見るため、これは夢だと分かっている。いつもここで、誰かは分からないけれど背後から呼ばれて別の場所、安全な場所へと移動していた。でも今日はいつものように呼び声はなかった。呼ばれて引き返す事が習慣になっていたのに。呼ばれないから、引き返せない。引き返せないなら、もう自分は進むしかない─── 飛び込むしかないのだ。 3mほど助走し、空へ跳躍した体は灰色の海へ頭から急降下する。そろえた指先は真っ直ぐ海を刺し貫いて水飛沫も上がらなかった。 深度が深まるにつれて体温は奪われていった。同時に弱い薄曇の空からは光すら届かなくなっていく。徐々に手足は重くなり、何かに絡め取られたように動きは緩慢になっていく。溺れているのと紙一重ではあったが、それでも海底に辿り着いた。暗くて何も見えない、音もない、淋しさに満ちた場所。苦しさを乗り越えて目指した先がこれかと、やりきれなさに体よりも心が鉛のように重い。浮遊するのにも疲れ果てて何かに体を固定したくなり下ろした腰にはゴツゴツとした硬い感触。 真っ暗な海の中で押し潰されてしまうような気がして腰を上げかけたその時。雲間から日が差したのだろう、細い光の筋が何本も周囲を照らした。光が映し出したのは色とりどりの珊瑚と沢山の魚達とcerulean blueの世界。 自分が手をついているのはただの岩場だと思っていたけれど、それは珊瑚であったことを知る。生命の息吹を生み出す珊瑚に。 この海は、まだ間に合う。これ以上余計な不安で汚さなければ、珊瑚は自分も海も見捨てない。それどころか、もっと美しく健やかな環境に変わる可能性だってあるのだ。まだ様々な疑問や不安で濁っているけれど、幸運にも、まだ遅くはない。 想いをもっと早く、強く、大きく育てていくために、透明度をあげたい。そのためにも、どうしても必要なものがある。とても大切で必要なもの。 それは光。欲しいのは、仙道彰という光──…… ブラインドを閉め忘れた窓からは、眩しい朝日が覗いている。 いつもならば眩しさに顔をしかめて寝返りを打つ牧が、今朝は降り注ぐ真っ白な光を歓迎するかのように、身じろぎ一つせず穏やかに眠り続けていた。
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牧は何か海水汚染や温暖化などの問題番組を観てから寝る習慣のご様子。←嘘(笑)
暖かい地方の浅瀬は珊瑚だけど北海道は昆布。…昆布だって浪漫になるもん!←強がり☆ |