Believe it or not. vol.14


呆気にとられていたのは長い時間ではなかった。瞬間、恵理の胸ぐらを掴みあげて『何やってんだよ!』と問いただしたくなった。二人を追おうと思えばすぐに会計をすませば出来なくはない。けれど、開いたままの携帯画面を見て冷静さが戻ってきて追う事はしなかった。追ったところで、関係ないと言われればそれまでだ。既に恵理の友人である奈美と関係のない仙道には自分から牧と恵理の関係に深く立ち入るのは微妙ともいえた。
自分がどれほど望んでも得られない座をないがしろにしている女へ怒りを通り越して憎しみを覚えた。二股をかけられている牧を思うと、憎悪で頭の芯がギリギリとねじれるように痛む。
こんなことを彼が知る前に──── と、そこまで考えて仙道はふと思い出した。牧が寺澤に向かって『恵理とはもう別れている』と言ったことを。その後に本当かと訊ねたところ『ああ言っておくのが得策だ』という、今にして思えばどちらにもとれそうな返答をしていたことも。

食器を下げにウェイターが来たことで仙道は店を出た。家に着くまでの間、頭の中でぐるぐると考え、悩み続けた。
店では咄嗟に彼女が二股かけたのかと激昂したが、冷静に考えてみれば恵理さんは喋り方よりも軽いタイプではなかった。お世辞にも頭が良くはなさそうだけれど、ズルさやスレた感じはない人だった。今日着ていた派手目な服や化粧は変ではないけれど、思えばどこか痛々しく無理をしているようにも見えた。牧さんと一緒にいた時の彼女が自然体で一番可愛かったように思う。やはり二股とかではなく、先ほどの変な小さい男が今の彼氏なのだろう。まだ別れて間もない彼女が新しい男となじんでいない感じがするのも納得がいく。
別れていたのであれば、何故牧さんは教えてくれないのか。俺の気持ちなどとっくに分かっているはずだ。─── だからか? 女と別れてフリーになったところをいい寄られては困るから? 牧さんほどの男を彼女が簡単に手放すはずがない。別れたとしたら俺のせいで恵理さんが誤解してだろうから、別れた理由に俺が傷つくとでも? もしくは単純に男の見栄?

考えても結局は全て憶測。本人に聞かなければ理由は分からない。けれど直接牧さんに聞けるわけがない。前に聞いた時は場的にさらりと状況のみ聞ける雰囲気があったけれど、今になって改めて聞けば俺の思惑の重みまで加わって伝わってしまう。理由はどうあれ俺から聞いてしまえば、この恋人ごっこは終わりになってしまう危険性が高い気がする。
奈美と別れてからもう一ヶ月近く経っている。試合期間以外にはかかってくる定期便の電話が途絶えるのが怖い。ただの友人同士に戻れば、もう彼を抱きしめることは許されなくなるだろう。このままでいたい。このまま、牧さんにまた新しい彼女が出来るま……で。

目の前にある自分の住む部屋のボロいドアが歪んで見えた。ポケットから鍵を取り出して差し込んだ時、自分の手の上にかぶさってきた褐色の長い指を思い出す。目頭が一気に熱さを増した。
ここで、彼はまた俺を助けてくれた。……もう十分じゃないか。
どんどん欲張りになってく自分に歯止めがきかなくなってる。高校時代の方がまだ節度ってもんを知ってた。次の彼女が出来るまでだって? 俺の欲はその時までにどれだけ膨らんでるんだ? この業欲で優しい彼の自由までも押しつぶしてしまうんじゃないのか? 今でさえ、寸暇を惜しんで会いたがる俺に付き合せたり面倒かけて、牧さんの少ない一人の時間を奪っているというのに。

部屋に入って荷物を放りだすと仙道は冷水で顔を洗った。それでは足りずに頭までも水をかぶる。そして唐突に浮かんだ案を実行することに決めた。
クリスマスを一緒に過ごそうと誘う。恵理と過ごすからと断られれば、牧さんは別れた事実を隠したいということ。隠してくれてるうちは、この友情を逸した関係を続ける意思がいくらかはあるということだ。状況を変えたくないってことだろうから、このまま何も知らないふりをさせてもらう。
もし誘いを受けてくれたら、別れたのを隠す気はない=そろそろこの“ごっこ”は終わりということ。これが一緒に過ごせる最初で最後のクリスマスだろうから、俺の気持ちを行動に移そう。拒否されたら冗談だよとふざけられる程度ぎりぎりのを。きっと拒否の仕方で今の俺になら分かるはず。彼が俺の気持ちを受け入れるつもりがあるのかどうかを。こういう行過ぎた友人関係を終わらせたいという素振りが少しでもあったら……これ以上俺の欲が肥大する前に、彼を放してあげなきゃいけない。

決意が鈍る前にと、まだ髪も濡れたままベッドに腰かけて携帯を手にした。直接ダメージを受けるのが怖いからメールにしようかと思ったけれど、返事がくるまでの間を耐えられそうになくて、やはり電話にする。忙しそうだったらすぐに切ろうとかける前から切ることを考えたが、ワンコールで牧さんは電話にでた。
「は、早いね。俺、今家に着きました」
『そっか。俺は姉の家。今病院へ母さんと荷物を届けてきたとこだ』
「なんかお母さんも荷物と同じみたいな言い方だね」
『荷物より悪いって。毎日何をそんなに長話してるんだか。姉さんは暇だからいいんだろうけど、俺は一日目でこりた』
牧のため息に仙道は笑いながらもさりげなく言い出すきっかけを必死で探す。
「俺の母さんも似たようなもんかも。そういや、今日駅前、平日なのに人で凄かったよ。クリスマス近いからかな」
『そうなんだよ、車もけっこう渋滞するしさ。明日もこりゃけっこう高速降りてからも時間かかりそうで、帰る前から気が重いよ』
「牧さん、今夜帰るんだと思ってた。明日の何時頃なの?」
『夜の7時くらいには着けるかな……。あれ? 言ってなかったか?』
「うん。初耳。そっか、明日忙しいんだ〜。ならさ、明後日会いませんか? 新しいラーメン屋案内しますよ、さっき言ってたチャーシューのでかい店」
『おう。あ、そうだ、その日ってイブだよな?』
あっさりした即答に続く突然の『イブ』の言葉に心臓が跳ね上がる。
「そ、そうだね。あ、やっぱイブは忙しい? また今度にしようか?」
『そうだな。ラーメンは別の日にしよう。お前、24日は暇なのか?』
「え? あ、俺はね。部活の奴等にもまだ帰ってるって言ってないし」
『なら俺ん家来ないか? 母さんがクリスマスに家に息子がいるのは数年ぶりだとか言ってるから、流石に出かけるの悪くてさ。親いて落ち着かないかもしれないけど、チキンもケーキも出るぞ。腹減らして来いよ』

誘うはずが逆に誘われて、トントン拍子な展開に仙道は返事をするまでに一拍おいてしまった。「やっぱ無理か…」と呟かれて慌てて返す。
「俺、お邪魔なんじゃない? 久々の家族水入らずみたいだし。そりゃご馳走は食いたいけど」
『やめてくれよ〜。大学生にもなって親子仲良くなんて、女ならまだしも。な、助けると思って来いよ。なんなら迎えに行くぞ?』
手伝いからも逃げられるしと続けるのが可愛くて笑ってしまった。
「お迎えはいいっすよ。道、それこそ混んでるから。たっぷりお手伝いしてあげてよ。じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になりに行こうかな」
『おお、来い来い。あ、悪い。姉の旦那さん帰ってきたみたいだ。じゃ、またな』
「うん、またね」
切られた携帯をぼんやり見つめて仙道は吐息をついた。
「あんなに緊張してたのに……なんかバカみだいだな、俺」
口にすれば本当にバカみたいで、難しく、しかもネガティブな方にしか考えていなかった自分に苦笑するしかなかった。


約束当日。牧の家族への手土産と牧へのクリスマスプレゼントを買うために、仙道は昼前に街へ出た。手土産の方は無難にクリスマスラッピングをされた菓子に決めたが、プレゼントは店をまわればまわるほどに何がいいのか分からなくなってしまった。

時間が経過するにつれ、人でごったがえすデパートや駅内にあるショップを歩き回るうちに頭が痛くなってくる。手袋・マフラー・セーター・帽子、そんなありきたりなプレゼントは選びたくない。これが最初で最後のプレゼントになるのだから、少々値ははってもいいから特別な物を……と、考えるほどに賑やかなディスプレイとクリスマスの音楽に疲れを倍増させられてしまう。
本当は何か身につけるアクセサリーを贈りたい。ブレスレットやバングル、ネックレス。褐色の滑らかな肌に映えるプラチナや、肌に溶け込むようなゴールドもいい。着けた時に贈ってくれた人を思い出させるような物がいい。
今なら女の子が何故彼氏にアクセサリーをねだるのか、少し分かる……と思いながらも脚はその手の店には向けない。絶対に牧さんはアクセサリーの類を嫌うのは目に見えているから。以前、男の化粧なんてと話をしていた様子から、きっとアクセサリーは照れくさがるか面倒がるに違いない。それに恋人でもない、しかも男からもらっても困るだろう。自分だって牧さん以外からなんてもらっても困るし、もらいたくもない。

気付けば訪問の時間まであと1時間。もうどうすりゃいいの状態で、考えるの嫌になっていた俺はふらふらとなじみのジーンズショップへ逃げていた。ウォレットーチェーンやゴツイシルバーの指輪などをぼんやり眺めていると、ふいに目の端で鈍く光ったものに視線をやった。


10分遅れで牧の家を訪れた仙道は驚いたことに牧の父親に出迎えられた。相手も初対面の息子の友達に僅かばかりぎこちない笑みを浮かべている。
「こんばんは。どうぞあがって。紳一は今、ちょっと買い物に出てる。すぐ戻ると思うから紳一の部屋、は、二階の奥の」
案内をしようと階段へ向いた牧の父を慌ててとめる。
「あ、牧さんの部屋は知ってます。あの、これ、ご家族で食べて下さい」
ナイスミドルという言葉が服を着ているような、品の良い50代後半らしき男は振り返ると、先ほどよりは自然に微笑んだ。
「これはご馳走様。気を遣わせて悪かったね。では後で皆でいただこう」
仙道へ軽く会釈をすると「母さん、紳一の友達から土産をいただいたよ。お茶でも出してあげなさい」と言いながら居間へと行ってしまった。残された仙道はもう一度、今度は大きな声で「お邪魔します!」と居間へ続く廊下へ向かって言ってから階段を音をたてないようにしながらも急いで駆け上がった。
主のいない部屋へ入って床へへたりこむとぼやきが口をついてでてしまった。
「し、心臓に悪ぃ〜! いきなり父! しかも何か大物俳優みたいな貫禄の! ……うちのぼんやりした親父とえらい違いだぜ」
手土産買っといて良かった〜と、仙道は緊張の糸が切れてヘナヘナと床に転がった。

階段を昇ってくる音に慌てて仙道は起き上がり、背筋を正して正座をした。「入るぞ」の声と共に扉が開いた。
「何おまえ。何で正座してんだ?」
牧がお茶を手に現れたのを見て仙道は長い溜息をついた。
「だって牧さんのお父さんかと思ったんだもん。あ、お帰りなさい」
「あー。俺と父さん、声が似てるからな」
それにしたって正座なんてと笑いながら茶を手渡されて、ようやくホッとして仙道は足を崩した。
「そんなに緊張すんなよ。父さんは確かに我が子には厳しいけど、他人様には優しいんだ。外面いいからな」
「……ますます緊張するなぁ、んなこと聞くと」
「何でだよ?」
「だって俺、いつかは義理の息子になるもん」
「はあ?」
再び仙道は正座をすると、ガバッと床へ両手をついて頭を下げた。
「お義理父さん! 僕に息子さんを下さい! ……ってすんの俺だからさ」
顔を上げてニッカリと笑った仙道に牧は驚いていた顔をしかめて、取り合ってられんとばかりにその背を蹴って床へ転がした。


「さっき紳一に買ってきてもらったのだから、あまり冷えてないかもしれないけど。昨日買うの忘れてて、さっき思い出したのよ〜」
言いながら仙道のグラスへ牧の母はシャンパンを注いだ。淡い金色の泡が薄いグラスの中で軽やかに弾ける。全員のグラスが満たされてから「いただきます」と牧と父、つられて仙道が言った。それを受けてニッコリと母が「はい、いただきます」と告げて食事が始まった。
チキンに生寿司、天麩羅、牡蠣フライ、水菜と大根のサラダ。全てが大皿にドーンとたっぷりの量が盛られており、見ているだけで豪快だ。流石に「昨夜の残りで悪いんだけど」と追加で出されたビーフシチューだけは大皿ではなかったけれど。
「紳一、仙道君が届かない皿のはとってあげなさいよ」
「わかってる」
「仙道君、遠慮しないでどんどん食べなさい。頑張って食べてくれないと揚げ物は特に残ってしまうよ。母さんもいくらクリスマスだからって、こんな揚げ物ばかり作らなくてもいいじゃないか。あの先日もらった新巻鮭焼いたらいいのに」
「だって男の子は大概揚げ物が好きでしょ。お父さんは無理しないでいいのよ。あとで鮭焼いてお茶漬け出してあげるわよ。ん〜、ケンタッキーなんて久しぶりだわねぇ。美味しいけどシャンパンには合わないわねぇ」
「今日のおかずでシャンパンに合う物なんて一つもないよな」
牧に会話をふられて、仙道は口に入れた海老天を咀嚼しながら曖昧に首を横へ傾けた。
「紳一は厳しいわねまったくもう。仕方ないじゃない、シャンパンに合う食べ物なんて私は知らないんだから。でもシチューは案外合ってると思わない? ねぇ、お父さん」
「そういえば去年はシャンパンはケーキと一緒に出していたんじゃなかったか? 母さん、久々に子供達とクリスマスだからってはしゃいで間違えたんじゃないのかい?」
「あらやだ! そういう手もあったわねえ! 去年はお父さんと二人で美和子もいなかったから、チキン以外は普通のおかずですませたからかしら。あら? 仙道君のお皿が空よ。紳一、何やってんのよ。気が利かないったら」
「あ、いえ。自分で選ぶし、そっちの皿へも届きますから。あっ」
牧の母親へ言ったそばから牧が仙道の皿へ牡蠣フライを3個のせてきた。

牧の自室へ入るなり、仙道は腹を抱えて壁にもたれるとズルズルと落ちるように座った。
「酷いよ牧さん〜。絶対親切じゃねぇって、あの盛ってくれようは……。確かに揚げたて天麩羅は滅多に食えねぇし大好物だけど〜」
「親切親切。人の親切を疑っちゃいかんなぁ。あー俺も腹キツイ」
「絶対生寿司、一人前以上食ってるのに、加えて牧さんの嘘くさい、皿いっぱいに揚げ物をのせてくれる親切! おかげで明日は胃もたれ決定っすよ。あぁ〜苦しい〜」
「胃薬も飲んだんだから大丈夫だって。あ、でもケーキもあるんだった」
「勘弁してよ〜!」
「お前、もっと食えるようにならないとこの先大変だぞ」
笑いながらベッドへ腰かけた牧を仙道は「何で?」と見上げた。
「義理の息子になったら毎年クリスマスはこのくらい食わされるんだから。ちなみに年越しと正月はもっと凄い。母さんは大家族の長女だったから結婚前は飯をそりゃもう毎日沢山作ってたんだと。そのせいか、ちょっとはりきると量が」
続く牧の話を仙道は半ば奇妙に浮かれた感じで聞きながらも平静を装って相槌を打っていた。
冗談とは分かっている。最初にふざけたのは自分だったから。でもこの手の冗談を、いくら気分がいいからといってそうそう使う人じゃない。
─── 渡すなら、今がいいんじゃないだろうか。
仙道は床に置いた自分のダウンの下に隠していた箱を取り出して差し出した。








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いくら食べ盛りの男二人がいるといっても、そりゃないでしょうのご馳走メニューです。くどそう!
和洋折衷むっちゃくちゃの油っこさに負けて、私なら牧父と同じくお茶漬けコースかも(苦笑)


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