Believe it or not. vol.15


「クリスマスプレゼント。大した物じゃないけど」
牧の驚いた顔が困惑の表情に変化するのを見て、仙道は裡でアクセサリーを選ばなかった自分を褒めた。中を見る前からこんなに心苦しそうな反応をするこの人は、一目でこれ以上値の張る物を贈られても絶対に喜ばない。その点、これなら妥当な線なはず。
「受け取ってよ。何本あっても邪魔にはならないと思うんだ」
「俺は何も用意してないのに……」
困り顔で受け取ると、丁寧に包装紙を剥がして箱を開けた。
「ベルトか! ベルトを人からもらったのは初めてだよ」
少しダメージ加工された黒い牛革にダブルホール。シルバーでガッシリとしたバックルは四角い枠に少し歪みが入ったデザイン。派手ではないが存在感のある、使いまわしのききそうなベルトである。
「格好いいな……」
嬉しそうにバックルを触っている様子に安堵すると、仙道はそっと牧の手からベルトを奪った。
「少し重たいけど、この重みは馴染めばいい具合になるよ。革もその頃にはもっと柔くて使いやすくなる。見かけより早くね」
「随分自信ありげだな」
仙道は黙って頷くと牧の腕をとってベッドから立たせた。
「お、おい……俺、今食ったばっかで…。自分でやるから……」
シャツの裾をめくられて戸惑う牧の腰に腕を回すようにしながら仙道はベルトを牧の履いているジーンズへ通しはじめた。

「……少し長いね。ハサミあります?」
ほとんど腰を抱かれたような状態で耳元へ囁かれて、牧はまるで甘い睦言のように感じてしまい首を竦めた。
「あ、ある。自分でやるからいいよ」
「俺があんたのサイズに合わせてからプレゼントしたいんですよ。ねぇ、どこにあるの? 俺にやらせて下さいよ」
今度は勘違いですまされる距離ではない、仙道の唇が俯いた牧の耳に触れるほどの位置で囁かれた。低く甘い男の声が牧の顔に血流を集める。
情けないほどうろたえている自分を隠したくて顔があげられない牧は、仕方なく机の上のペン立てを指差した。仙道の長い腕がハサミを取ると、今度は牧を抱きしめるようにしながらベルトをゆっくり抜いていった。
バックルからベルトの革を外して切り取り、また金具に差し込んではめ戻す。そして再び抱きしめながら仙道はベルトを時間をかけて通した。
その間牧は抵抗もせずに、切り落とされて床に落ちたベルトの欠片を仙道の腕ごしにぼんやりと見つめているだけで、仙道にされるがままであった。

金属と金属がぶつかるカチンという固い音で牧はびくりと体を震わせた。
まるで覚醒したように驚いて顔をあげれば、鼻先が触れ合いそうな位置に仙道の顔があった。
「牧さん、見て? ほら、俺のと色違いなんだよ。これね、俺が半年前くらいに一目惚れして買ったベルトなんすよ。そん時はこの茶色だけだったんだけど、人気があって黒も出たんだって」
視線で促されてまた俯けば、それぞれの腰にあるバックルが重なっている。革の色が違うだけでデザインは同じ物だ。
「革、触ってみて。俺のは使い込んでるから、かなり柔いよ」
仙道の指先が牧の指先を掴んで促した。指先に触れた茶色の革は仙道の腰に柔らかく馴染んでおり、バックルも仙道の体温がうつっているのか冷たさはなかった。
「気に入ってくれたら嬉しいんだけど……」
至近距離で綺麗に微笑まれ、牧はますます赤く染まった頬を隠すことも出来ない。心臓が口から出そうな思いで頷けば、「嬉しいって言ってくれないの?」と漆黒の双眸を細められる。
「気に入った……嬉しいよ……とても」
「そう。それは良かった。俺も凄く嬉しい。使って下さいね」
仙道はニコリと、今し方までの濃密で淫靡な空気など全くなかったように笑って、唐突に牧から離れた。
何事もなかったように床へ落ちていたベルトの端や包装紙を拾い、丸めてゴミ箱へ入れている仙道に牧は戸惑い立ちすくんでいる。
「トイレ借りますね」
まだ頬の赤みが消えきらない牧へ軽い口調でつげて仙道は部屋を出て行ってしまった。
階段を降りる音が聞こえなくなって漸く、牧はのろのろとベッドへ腰を下ろした。
「あの野郎……天然か? 天然のタラシなのか? 俺が女だったら今ので妊娠しててもおかしかねぇぞ」
牧はまだ燻っている熱を払うように唸りながら悪態をつくと、独り頭を抱えた。


牧が本棚から二冊の本を出したところで仙道が部屋へ戻ってきた。
「お前、これ持ってないし読んでないって言ってたよな」
分厚い単行本二冊を渡されて仙道は頷いた。
「この文庫版は持ってるけど、こっちはないっす。かなりラストが違うらしいね。十数年前に絶版してるから、大きい図書館行かないと読めないと思ってたんですよ。牧さん持ってたんだ……。貸してくれるんすか?」
「やるよ。クリスマスプレゼントだ」
パラパラとページをめくる仙道の手が驚きに止まる。
「な。いいよ、もらえないよ。だってせっかくのシリーズのラストが欠けちゃうって。それにこれ、初版じゃん」
返そうとした手を掴まれて押し返される。売る気などはさらさらないが、古本屋やオークションでけっこうな値になる本である。それを惜しげもなくくれてしまう男を弱りきった顔で仙道は手にある本と交互に見ていた。その様子がおかしかったのか、牧がふっと口角を上向けた。
「もっと気楽に受け取ってくれよ。お前の部屋にあるなら、俺が持っているのとさして変わらんのだから。あ、でもそれじゃあ贈られても嬉しかないか」
プレゼントなんて用意してなかったんだよな……と続けて頭をがりがりとかいている。言葉以上の他意はない横顔を見つめる自分の瞳が徐々に熱くなっていくのを仙道は感じていた。
─── 分かっていないのだろうか、この人は自分が言った言葉の奥に含まれている意味を。

「……牧さん」
「ん?」
「凄く嬉しいよ。ありがたくいただきます。大事にします」
「そうか。ま、正月にでも読んだらいい」
「絶対大事にする。何があっても手放さない。火事になっても地震にあっても、これだけは持って逃げるよ」
仙道のあまりに真剣な硬い口調に牧は首を傾げた。
「確かに文庫版より面白いが、そこまでするような本でもないぞ?」
ふるふると仙道は首を振って否定したあと、本を牧の机の上に置くと改めて正面に立った。
「俺は、絶対に大事にする。天変地異が起ころうと守るって誓います」
両腕を伸ばして仙道は牧を抱きしめた。何かのついでを装うのでもなく、ふざけてでもなく。真剣に、真摯に。
抱きしめるためだけに。
抱きしめるということは、お互いの顔は見えなくなること。
仙道の気持ちを判断出来る材料は、言葉と声と抱きしめてくる腕の強さだけ。
「……仙道?」
牧の気持ちを推し量る材料は、言葉と声と、戸惑いながらも背に添えてきた弱い腕の力だけ。
「俺なら……何があっても手放したりなんかしない」
腕の中の体が微かに揺れたことで、本に例えたことが伝わったのが分かる。けれどもし牧が触れたくないと思えば、まだ本のこととして誤魔化せるだけの逃げ道がある台詞を仙道はあえて選んだ。

言葉もなく長いこと苦しい胸を抱えたままで二人はただ抱き合っていた。
降りていた沈黙を静かな牧の声が破った。
「いつ、知った?」
「数日前、ファミレスで。どうして……」
どうして教えてくれなかったのか。そこまで口に出来ない自分の意気地なさに仙道は唇を噛んだ。先ほどの反応や言葉達に得た勇気は、ちょっとの沈黙の間にしぼんでしまったように思えた。
「……俺が恵理と別れたと言ったら、お前は困るんだろ」
対する牧が漏らした呟きも、くぐもっていてどこか頼りない。
「何で俺が……?」
「お前は弱くて、ずるくて、……優しい奴だから」
「確かに俺は弱いしずるいけど、優しくなんてないよ?」
「困るだろ」
「そりゃ、俺のせいであんたがゲイだと誤解をうけて別れることになったんなら、困るよ。土下座ですまないよ」
牧は顔を仙道の肩口に埋めると、ゆるく額を擦り付けるように身じろいだ。否定で首を振ったのか、はたまた体勢を変えただけなのか。どちらにしろ、その仕種は切なさを仙道の胸に植えつけた。
じわじわと切なさに呼吸を奪われていくようで、仙道は言わずに通そうとしていたことを吐露してしまった。
「俺は……あんたが恵理さんと会うために割くはずの時間を、全部意図して奪ってきた。だから、会えないことが理由で愛想をつかされたんなら、全部俺のせいだよ。優しいどころか、恩をあだで返す、あんたにいつ殴られて捨てられてもおかしかない最低な奴なんだよ。あきれかえっただろ…許せない……よね」
懺悔をしている自分はクリスマスという日に相応しいかもしれないと、自虐的な気持ちで仙道は洟をすすった。きっと自分は、恵理さんとの関係を訊ねれば、結局はこうして自滅するとどこかで分かっていたのかもしれない。

抱きしめていた腕の力を仙道がゆるめると、意外なことに牧のまわしている腕に力がこめられた。
「そんなことは関係ない」
「そうとは思えないよ……。他にも俺、」
「お前を困らせるくらいなら、俺は……」
牧は仙道の台詞を遮ったくせに、語尾は弱まり消えていった。腹を決めて全て吐露しようとしたのに、牧はそんなことには興味がないとばかりに取り合う気がなさそうで、仕方なく話を戻した。
「俺のことは関係無しにあんたがフリーになったってんなら、俺は困らない。でも全くの無関係じゃないだろ。あんたがどう捉えて……俺に言わずにきたかを教えてくれないと、俺は動けないままなんだ。動かしたくないんなら、言わなくていい。……言わない…で、いて」
牧は仙道の返事を予測していたのか、静かに深い溜息をついた。
「……ずるいな、やっぱり。ここまで俺がねばっても、お前は俺に言わせようとするんだな。いつも何でもギリギリまでお前のいいように進めておいて、最後の決定打になりそうなとこで俺に丸投げする。俺が動けないと分かると何もなかったようにリセットする。今回だってそうなんだろ。俺がこのまま黙っていたら、俺のためにこの時間をなかったことに戻すんだ」
「うん。俺がホントはとことんズルイ奴だって分かっていながら、今までそれを許してきたあんたも……優しさと紙一重でずるい人だ」
微笑しながら、仙道は少し胸元から離れて顔を上げた牧の視線とやっと目を合わせた。すっと細めた牧の瞳は困ったような、それでいてどこか笑っているような光を浮かべて見返している。返す仙道の瞳もまた、同じようにゆっくりと細められた。

視線を絡ませあったまま、牧が口の端で笑った。
「寺澤は自分が主将という権力を利用してお前に妹を押し付けた。他校とはいえ俺は先輩で副主将。お前をフリーにしてやる助力をしたというのを笠に……」
「面白くもないギャグっすね。けどまぁ、んな冗談でまだ逃げようとする弱さも新鮮で楽しいけどね。一見、どこも似てない俺らだけど、根っこは似てるのかな。弱くて、ずるい。……でもあんたはとびきり優しいから、やっぱ違うか」
「お前と同じで俺だって優しくなんてないさ。本当に優しかったら、もっと話は早かっただろうよ」
零す苦笑が重なる。胸が痛みと錯覚するほどに甘やぐ。
互いに顔を寄せ合えば、あと15cmで唇が重なる距離。
「好きになられたら……困るんだろ?」
「好きになってもらえなかったら、ひどく困るよ。なんとか好きになってもらいたくて困り果てる……けど、弱い俺は自分からは言いだせないから。…ずるいけど、言ってもらえるまでいつまでも困りまくるよ。困りすぎて死んじまうかもしれないよ」
漆黒の瞳は涙を湛えて牧だけを映している。
「だから、そうなる前にさっさと俺を助けてよ……」
好きだと告げてもらうための言葉は、もう仙道には何もなかった。ここで言ってもらえなければ、二人の関係は変われないまま終わる嫌な確信が握り締めた拳を震わせた。

ずずっと洟をすする仙道へ牧の高い鼻梁が触れるほどに近づく。
数秒の沈黙が永遠にすら感じて仙道は目蓋を閉じた。湛えていた雫が頬を伝った時、漸く牧が告げた。
「好きだ……」
やっと、やっともらえた言葉がキラキラと雪の結晶のように仙道の胸に降りてきて、そっと溶けた。
仙道が涙ながらに頷きかけたところで、
「……と、言っていいか?」
と続けられた。
呆気にとられて仙道は目を大きく見開いた。瞬きを繰り返すたび、長い睫毛が雫を弾く。困ったようにもからかっているようにも見える苦い笑みを浮かべた牧を信じられないという顔でまじまじと仙道は見返す。
「訊ねられてんだから、答えろよ」
仙道のへの字に曲げた唇がぶるぶると震えた。
「い……い……いいに決まってんでしょーが! まだ疑問系なんて、ずる過ぎだよ!」
分かりきっているくせにまだ決定権を委ねてくる男の背を仙道はドンドンと拳で叩いた。が、腹立たしいのに嬉しさが後から後から湧いてきて、最後には縋ってしまう。こんなにずるい男が好きで好きでたまらなくて、とうとうそんな自分に笑いがこみ上げてくる。
悔しさに紛れて強く抱きしめれば、同じ強さで抱きしめ返されて、泣き笑いの頬へ柔らかな唇がなだめるようなキスを降らせてくれる。
「男女の恋愛じゃないんだから弱気にもなるって。お伺いをたてたってバチは当たらないだろ。俺は意気地なしなんだから」
牧がおどけた調子で肩をすくめると、仙道は口を尖らせた。
「あんなオッソロシイ寺澤に土下座をさせた人の言うこととは思えないね」
「バーカ。あんなろくでなしになんてどうだってやれるさ。俺を意気地なしにさせられんのは、世の中広しといえどお前だけだ。俺を情けない男にしやがった責任、とってくれよ」
「何それ。じゃあ、俺の方があんたより強いってことになんの?」
苦笑交じりに仙道の右手が牧の頬にそっと添えられる。ぴくりと牧が身を竦めた。その反応に仙道よりも牧自身が一番驚いたように目を軽く見張っていたが、照れくさげに首を傾げた。
「……そう、みたいだな。自分から触れるのはそうでもないのに、お前から触れられると……どうにも、弱いみたいだ。気持ちよくて動けなくなったり、逆に過剰に反応しちまう。こんな風になるのは全部お前にだけだもんな」
先ほど自分の腕の中でベルトを通されている時に大人しくしていた様子も思い出し、胸に愛しさが満ち溢れる。
「考えてみたら俺は自分から告白するのは初めてみたいだ。その相手がお前で良かった」
あまりに優しい瞳で綺麗に微笑むから、ありがとうと伝えたいのに声にならない。
「好きだ、仙道。お前を大切にしたい。何よりも、誰よりも。……いいだろ?」
返事の変わりに仙道は褐色の滑らかな頬と目元の小さなホクロへ何度も唇を寄せた。

口にして恥ずかしくなったのか、じわじわと赤らんでゆく頬が可愛い。熱が包んでいる掌に移ってくる。
その頬よりも赤い、やや厚みのある唇の温度を、頬ではなく自分の唇で知りたくてたまらなくさせる。顔の角度を変えて更に距離を縮めれば、空気を察して牧が目蓋を伏せた。ふいに仙道にイタズラ心が湧く。
「キス……唇にしても、いい?」
牧が先ほどの仙道と同じように呆気にとられた顔をして見上げてくる。立場逆転。してやったりという顔をわざと作ってみせれば、牧は降参とばかりに苦笑した。
「この状況で訊ねるお前の方が相当ずるいと思うぞ」
「聞いてんだから、答えて下さいよ」
「無粋な事言わせんな」
「今度はくしゃみで逃げるってのはナシですよ」
「何だよそれ?」
仙道はフッと軽く笑うと「何でもない」と呟いて牧の頬を両手で包んだ。
そっと再び目蓋を閉じた牧へ、仙道は今度こそ、ゆっくりと高価な美術品に触れるような思いで唇を重ねた。



*end *




こんだけ引っ張っといてキスで終わりかとがっかりされた大人な貴女。いつか番外編で
この後を書けたらいいなと私も思ってます(笑) 最後までお付き合いありがとうございましたv


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