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「まだ少し臭いますかねぇ……」 狭い自室の玄関へ向け首をひねる仙道へ牧は「もう平気だろ」とビールを煽った。 あれから寺澤に汚物を片付けさせ、玄関を拭き掃除までさせた。そのまま帰そうとした牧に仙道が替えのシャツを渡すくらいはと、渋る牧を説き伏せて着替えをさせてやった。物証として先ほどのナイフはこちらが没収した。帰す前に牧は『一筆残せ』と寺澤に“今後一切、仙道彰と牧紳一、及び二人に関与する者に迷惑行為はしない“という内容の誓約書を書かせてから、汚物に濡れた自分の服を持ち帰らせた。それらが全て終わったのが一時間ほど前のことである。 今二人は交互にシャワーを浴び終えて、騒動が終わってから冷蔵庫に入れたため中途半端な冷たさのビールを開けていた。 仙道は枝豆に手を伸ばした牧の横顔をうっとりと、先ほど初めて見た怒りを滲ませた表情を重ねて見ていた。 ─── 『言いたきゃ言え。家族にも恵理にもだ』 牧さんが啖呵を切ったあの時、腰骨に電流が走ったかと思うほどに痺れた。当然寺澤に吹聴させないようにさせる自信があったから、少しも淀む事なく言い放ったのだろうけれど。それでも咄嗟に出る言葉ではなかなかないはず。 もし。もしも本当に俺達がそういう関係になったとして。その時に似た状況になって……また同じような啖呵を切られたとしたら。有り得ない想像をするだけで再び腰骨がビリビリとしてくる。 「また惚れちまったよ……」 「ん? 何か言ったか?」 TVを見ていた牧が視線をよこしてきた。慌てて手を振り否定する。 「いえ、別に。あ、そういえば牧さん、恵理さんと別れたっての、あれ本当?」 「あの場合、ああ言うのが得策だと思わないか?」 さらりと返されて仙道は素直に頷いた。 いつもと変わらない表情から、彼は彼女に自分との、親しい友人同士としてもおかしいほど連絡を密に取り合っていることは教えていないことを知る。確かに彼女に気付かれなければ無用な波風も立たない。それが一番いいだろう。 仙道は納得しながらもチクチクと痛み出す胸を騙すため、半分ほど残っていたぬるいビールを一気に飲み干した。 「それよりお前さ、寺澤に何か色々面倒かけられてたんだろ。でなきゃ、今になって突然あんなことしないはずだ。何で隠したりしたんだ。俺は毎度聞いてただろ、何かされてないかって」 「……すんません。でも今までは大したことなかったから……」 静かだが厳しい瞳から逃げるように仙道は俯いた。たかが電話での嫌がらせなど予想の範疇であったし、その程度のことでもう面倒をかける気はなかった。まさか寺澤があんな行動に出るとは思ってもいなかっただけに、油断と読みの甘さを指摘されたようで思わず小さくなる。 これ以上の負担をかけ面倒に思われて敬遠されるのが怖くて。この距離を壊してしまうのは絶対に避けたくて、そればかりを考えていたせいで寺澤が次の企てにうつりそうな前兆を見逃したのかもしれなかった。 「ごめんなさい……」 「別に謝ってほしいわけじゃなくてだな。俺は、その……あー……えーと。別に……俺はただ……。いや、別に……」 急にらしくもなく煮え切らない物言いに変わった牧を奇妙に感じて仙道は顔をあげた。口ごもった牧には先ほどの厳しい様子はなく、口をへの字に曲げた顔で缶に視線を落としていた。 「“別に”……?」 三回も繰り返されて、つい復唱してしまったのが悪かったのか、牧は眉間に深い皺を刻んだ。 「別に。やっぱり恋人ごっこの相手でしかない俺には、頼ってくれないのかって思っただけ。それだけだ」 「そんなことないよ! 実際頼ってたじゃん、俺! 甘えまくっていたってば、あんたに!」 空になった缶を所在なげにペコペコと凹ませている牧の手首を仙道は強く握った。驚いた顔を牧がむけてくる。 「俺は頼られてもないし、甘えられてもないぞ? だってそうだろ、お前が自分で寺澤に話をつけたし、よくは知らんが嫌がらせにだって自力で何とかしようとしてたんだろ。今回はたまたま俺が先に現場にいたから、ああなったけど」 ブンブンと音がしそうなほど仙道は首を左右に振った。 「違うってば! 本当に頼ってばっかいたって! もしあんたが後ろ盾してくんなきゃ、奈美が俺に飽きるまでずるずると関係は続いていたって。あんな牧さんにも迷惑がかかるシナリオを使わせてもらったってのは、十分過ぎるくらいの甘えじゃねぇ?」 実際には仙道は牧のシナリオを使ったわけではなかったが、結果としてそうなったため、仙道はあえて言い切った。それでも牧の表情からは不満げな色は消えない。 「別に……そういう計画だったんだからそれは関係ないだろ」 「もうっ! それこそ“別に”じゃねーって! もし俺が牧さんに甘える気がなかったら、別の手をもっと真剣に考えてただろうし。あぁもう、何ていったら分かってくれんすか。俺、こんなにあんたに甘えてんじゃんか!」 「甘えられた覚えなんて、それこそない」 憮然とした顔で返され、とうとう仙道は掴んだ牧の手首を強引に引き寄せると、牧の体を自分の胸におさめて抱きしめた。呆気にとられている牧の背中をあいている腕でやけっぱちのように強く包み込む。 「恋人ごっことか、あんた言うけど。俺にとってはそれがどんだけ嬉しかったか知らないんでしょ。どれほど力もらってたかなんて……これっぽっちも分かってないから……。俺が、俺がどんなにその“ごっこ”が心地よくて……でも苦しくて。それでもこの関係を一日でも長く守りたくて必死でいたかなんて考えもしないんだ」 声が震えてしまったのは、情けないからか。それとも腕の中にあるぬくもりがあまりに愛しいせいなのだろうか。拒絶を覚悟してなかば自棄気味で抱きしめたというのに、嫌がるどころか逃げる気配すらない。それどころか胸にもたれる形で大人しくされてしまえば、止めようもない甘い眩暈に襲われる。 肩口にあるブラウンがかった綺麗な髪へ頬を擦り付ければ、同じシャンプーの香りに混ざる、かすかな彼の香りが唐突に涙腺を刺激して、涙が滲んで自分が驚いてしまう。 ふいに腕の中の人が離れようとしたのに気付き、赤くなってしまっているだろう目元を見せたくなくて、慌てて腕に力を込めた。 「ま、まだ。もうちょっとだけ、甘えさせて下さい」 素直にまた動きを止めた牧は、片手だけを動かし缶を床へ置くと、そっと仙道の背中へ腕を回してひっそりと呟いた。 「……この場合、俺が甘やかされてるんじゃないのか?」 「そんなことないです。牧さん、感覚ちょっと変だよ」 「そうか……? まぁ、どっちでもいいか。……気持ちいいから」 本当に気持ち良さそうに小さな吐息を漏らされて、仙道は言葉も出ないほどの幸福感に酔いしれる。もっと気持ちがいいと感じてほしくて、柔らかな髪からしっかりした項や広い背中へと何度も優しく指を滑らせていけば、牧は自ら仙道の胸に甘えるように身体を深く預けてきた。 あまりに幸せで、これは夢ではないかとまたもや思う。いっそ夢であったなら、このまま腕の中の男を上向かせて唇を奪ってしまえるのに。 胸が高鳴りすぎて撫でている指先が震える。……軽いキスであれば、怒られても『感謝の気持ち』とか何とか悪ふざけですませたりは出来ないだろうか。 そっと掌で形の良い後頭部を包んでみた。嫌がる素振りはない。 仙道が恐る恐る、ゆっくりと掌に力を加えて牧の顔を上向かせながら顔を覗き込めば、驚いたことに瞳はもう伏せられていた。 「キス、してもいい……の?」 期待で声が僅かに震えてしまった。……返事は、ない。 「答えないなら、許してくれたって思いこみますよ、俺」 牧からの返事はやはりなかった。後から酷く責められてもかまわないと仙道は意を決した。 己の胸が欲するままに顔を近づけ、唇が重なるよう角度を変える。自分も瞳を閉じたその時。 「ヘックショイ!」 「わあ!?」 「ん〜。腹がわはあったかいけど、背中寒くて起きた」 窓際は寒いなと呑気に言いながら牧は目元を擦りあくびをした。仙道は驚愕で両手を床につけて尻餅をついたような格好で硬直している。 「……どうした? すっごい顔して。目玉零れ落ちるぞ?」 「ま、牧さん……寝てたの?」 コックリと牧は頷き、部屋にある壁掛け時計を見上げた。 「お、もうこんな時間か。もう寝るか。何か疲れたよな〜」 牧はのそりと起き上がると、ユニットバスへ歯を磨きに行ってしまった。 「確かに夢だったらいいとも思ったけどさ〜。こんなオチってありかよ。あーあ……。現実ってこんなもんだよな」 一人残された仙道は盛大な溜息をつくと、パタリと床に仰向けになって苦く笑った。 * * * * *
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ファミレスのラーメンも私は別物として好き♪ あっさりが食べたい時に便利です。
もちろんラーメン屋のこってりも好き。でも豚の背油ラーメンとトンコツは最近無理。年かなぁ…(淋) |