Believe it or not. vol.12


可愛い年子の妹を仙道が遊んで捨てたという、勝手な被害妄想に思考がすりかわってしまっている寺澤は、部活では通常通り“普通に嫌な先輩”でいた。しかし日に何度も電話をかけてくるようになった。もちろん用があってのものではない。どうでもいい愚痴や仙道への嫌悪をねちねちと一方的に話して切る、ただの嫌がらせ。
どんなに嫌な奴でも現主将。携帯の電源を入れ忘れ・入浴・トイレで通せるのも十回のうちに三回くらいがせいぜいで、それ以外で電話に出なければ翌日部活後に腹を殴られることもある。携帯番号を換えたとしても、寺澤ならどこかから必ず聞きだすか、直接何で変えたと叱りながら聞いてきて、結局は同じことになるだろうから無駄っぽい対策はしていない。

そういった理由もあるが、仙道は寺澤の気がある程度すむまで。最悪、寺澤が卒業するまでの数ヵ月、電話くらいならば耐えようと決めていた。
電話で色々聞かされるようになって分かってきた寺澤の性格と人間関係。寺澤はあの性格だから本気で自分を気にかけてくれる者は妹以外いないようで、それが異常に溺愛する要因になっているということだ。その読みが正しければ、奈美の心の傷が癒えて新しい男が出来れば、嫌がらせの矛先は変わるだろう。奈美は寺澤の思い込みとは違い、あれでけっこうしたたかであり、積極的な恋愛体質だ。男ができるのにそう時間はかからないはず。こうして大人しく聞いてやっていれば、牧までもゲイだと吹聴される気配もなさそうなため、仙道は真夜中の電話にも仕方なく応じた。
電話は聞き流せばすむので、慣れてくればそれほど辛くは無い。辛いのは、時間関係なく日に何度もかかってくるせいで、夜はもちろん、午睡でさえも深く眠る時間が作れず慢性的な寝不足になってしまうことだった。講義中に寝てしまったり、電車を寝て乗り過ごすことが頻繁になってきているのも困ったことではあった。


─── この睡眠不足が続く中でインカレに入るのは流石にキツイ……。
約二週間後に控えている全日本学生バスケットボール選手権大会、通称インカレが近づいてきているため、部はいつにもまして練習に熱がはいっている。帰宅してコンビニ弁当を胃に流し込み一息つけば、すぐに疲労もあって睡魔に襲われる。
横になると熟睡して電話に気付かないため、うつらうつらとベッドに腰かけて舟をこいでいたところ、爽やかな着メロが流れてきた。待っていましたとばかりに速攻で「こんばんは、牧さん!」と元気よく携帯を耳にあてる。
寺澤から煩くかかってくるようになってからは、仙道は牧だけに着メロを設定した。好きな人からの連絡を一瞬でも手を伸ばすのに躊躇したくないためだ。今まで面倒で誰一人にも設定したことがなかったため、設定の仕方が分からず、福田にあきれられつつも教わったのだ。

そんな、愛しい人にだけのとっておきの着メロは、今夜も最初の1フレーズを奏でる暇もない。
『おう。今日はどうだった? 寺澤は何も言ってこないか? 面倒な事をされたりしていないか?』
仙道が寺澤に呼び出されてからの定期便の第一声はいつも同じ優しい気遣い。だからついいつもと同じように仙道は嬉しさ丸出しで元気に返してしまう。
「はい、へーきっす。牧さんはもう飯食ったんすか?」
『食った。今日は和食』
「へー。いいっすね。おかず、何?」
『蓮根の辛いキンピラと焼き魚と肉じゃがと豆腐の味噌汁。お前は?』
「いいな〜、俺、和食食いたくてコンビニ三件回ったんだ。なのにゲットできたのがまた焼き鳥弁当っすよ。なんだかなーでしょ」
『また焼き鳥弁当か! 何日連続で食ってんだ。一人暮らしは飯が大変と聞くが、お前は特別大変そうというか、変だぞ。飽きるだろ普通は。食べたい弁当が売ってなけりゃ自分で何か作ればいいだろ』
「自分のためだけに作るのはヤダ。面倒。そりゃ鳥弁も飽きてるけど、買いに行く時間のせいか毎度こーなっちまうんすよ。あ〜肉じゃが食いてえ! あの弁当屋さえ潰れなきゃこんな食生活にはなってねーのになぁ〜」
『……お前さ、もう寝るのか?』
「まっさかー。まだ10時前っすよ? お子様じゃないんだから」
本当は牧からの電話が終われば速攻で寝るのだけれど、心配をかけないよう嘘を明るく返した。電話の向こうで「そうだよな」と軽く笑うのを耳にして、愛しい人の苦笑顔が思い浮かんで仙道も微笑む。
『残り物でいいなら、今から車で届けてやろうか』
「何を?」
『肉じゃが。芋は当日食うのが一番美味いから。お前の腹に隙間があればの話だけど』
「ほ、本当? うわー、すっげ嬉しい! ね、牧さん明日は朝一で講義あるんすか?」
『明日は午後から二講と部活だけだが?』
「なら泊まってってよ! 俺、今からビール買って待機してますよ」
『ビールか…』
まんざらでもない牧の声音に仙道は勢いをつけて言い切った。
「ビールは奮発して本生用意します! あったかい部屋で、俺は肉じゃが、あんたには枝豆! どう? もう断る理由なんてないだろ」
携帯の向こうで「ビール代くらい俺が出すって」と笑う声がしたが、時間がおしいとばかりに仙道は「じゃ、またあとで!」とだけつげて電話を切った。


普段はダチが来ても、良くて発泡酒しか用意しないけれど、彼のためなら本生だって出すぜ俺は。たとえこのビール4本と冷凍枝豆一袋の値段が俺の三日間の昼食を菓子パンと牛乳だけにすると分かっていても。
自分が尽くすタイプとは知らなかっただけに、そんなことすら新鮮で仙道は鼻歌交じりで自分の住む築25年の木造二階建てのアパートを目指した。今日は土曜じゃないけれど夜空も雲は多くない。星はチラチラと風に瞬いて、なかなかに良い。夜気のおかげで眠気も飛び、足取りも軽いを通り越してスキップに近くなってしまう。
「初めて泊まりに来てくれるよ〜…やっとだよ…うわぁ〜……」
電話を切ってからもう何回口にしたか分からない呟きがまた漏れて、顔がだらしなく緩む。ビールさえ手にしていなければ諸手を上げて走り出したい気分だった。

信号の一つ向こうにあるアパート前の駐車場のすみに牧の車が見えた。仙道はなるべく缶を揺らさないように気をつけながら歩を早めた。車の向こう側にぼんやりと人影が見えて、男二人の話し声が聞こえてくる。……二人?
「だから。俺は寺沢さんが仙道の部屋のポストに何を突っ込んだのかって聞いてるんです」
怒りを押し殺したあまりに低い声。それを発したのが牧だと気付けたのは、アパートの部屋の明かりが映し出すシルエットがくっきりと、一歩前に歩み出た均整の取れた長身の体躯を浮かび上がらせてからだった。それほど、今まで聞いたこともない硬く低い声音だった。

急ぎ近づいてやっと、外階段の影になるような位置に、こんな時間にアパートの前にいるはずもない人物の寺澤が立っているのが見えた。
「何だって牧には関係ねぇだろ。あ、違うか。お前がケツ借りてる相手だもんな。へっ。神奈川の帝王さまがヤローのケツ追って夜におでましかよ。気持ち悪ぃったらねぇぜ。……んだよ、その目はよぉ」
下卑た笑みを浮かべているのが見えなくても分かる、気持ちの悪い粘ついた喋りに仙道は缶のことも忘れて駆け寄った。一番鉢合わせてほしくなかった二人が揃ってしまったことに冷や汗が額に浮かぶ。
走り寄る足音に寺澤が振り向いた。
「寺澤さん…」
「お姫様のご帰宅〜ってか。おっと。何買ってんだよ。牧よぉ〜飲んで帰ったら飲酒運転になるぜぇ? って、んな心配はねーわな。どうせコイツん家に泊まんだろ? コイツのケツの世話になりたくて夜にわざわざ来てんだもんなあ。うおーキモ。俺なら自分の息子をヤローのケツに突っ込むなんて可哀相なことできねぇなぁ。お? それとも何か? 帝王さまが突っ込まれる方だったり? うっへー、そりゃキッツー! ま、どっちにしても悪趣味にゃ変わりないやぁね〜」
続く、だひゃひゃひゃといういやらしい笑い声に反吐が出そうになる。仙道は殴りたくて震える拳をビニールの手を握り締めることで耐えた。

「おい、仙道。家の鍵を開けろ。寺澤さんも帰らないでそこにいて下さい」
全くとりあう様子もない冷静な牧の声に寺澤の笑いが止まった。
仙道が家の鍵をポケットから出し鍵穴へ挿すと寺澤の手が仙道の手に被せられた。生臭い息が顔の真横にかけられる。
「俺は、オメーに頼まれたものを、ポストに入れてやった。そうだよなあ? 仙道?」
わざとらしく区切るように寺澤は言うと、仙道の目を覗き込んでから、にったりと黄色い歯を見せた。
「……寺澤。仙道の手を離せ。仙道もそんな今作った寺澤の嘘に付き合う必要なんてない。入れられた物によっては、目撃者である俺は証拠写真を撮って、入れられた物証を指紋がつかないように梱包してから、学校か警察に出すだけなんだから」
今まで一応、他校といえど一つ先輩である寺澤へ敬語を使っていた牧だったが、とうとう憤慨極まったのか、鋭い眼光で睨みつけながら呼び捨てていた。
「おいおい、牧よぉ。お前、年上に敬語もキチンと使えねぇほどバカなわけ?」
「敬意を表するに値しない奴に使う敬語を、俺は持ち合わせていないんだよ。さっさと仙道の手を放せ」
牧は言い切ると、自分の携帯を出してカメラの機能へ切り替えてみせた。隣にある寺澤の咽がぐっとつまる音が耳に届く。ふいに手を押さえていた力が消えた。
「なぁ、牧。俺は心が広い男だからよ、お前らがゲイだってことを言いふらさないでこの一週間いてやっただろ? お前もバカじゃねぇんならよぅ、俺の言いたいこと分かるよなあ? 先輩後輩・ファンに家族、いっぱい泣くぜえ? それにほら、お前の彼女、恵理ちゃんだっけ? 悲しむんじゃねぇの〜? 二股かけられてただけでもキズつくってのに、その相手が親友の男なんつーたらよぅお?」
今度は馴れ馴れしげに寺澤は牧の肩へと手を置いてみせたが、牧はすぐにその手を忌々しげに払い落とした。
「言いたきゃ言え。家族にも恵理にもだ。まぁ、恵理とはもう別れているがな。それより間違えんじゃねぇ。今この状況でお前に有利な点は何一つねぇってことを」

仙道に鍵を開けろと牧は顎で促した。カチリと鍵が開いた音が三人の間に響く。仙道の指がドアノブにかかった時、今度は牧の手が止めた。振り仰ぎみた牧の瞳は仙道には向けられていない。とても冷ややかに寺澤を射るようにすえられている。
「……寺澤。俺も仙道も心が広い男だから、ポストに入ってる物を黙って丸ごとお前に持ち帰らせてやってもいいんだ。指紋がベタベタついている袋の中も見ないまま、な。そうしてもらうには、何も俺たちに有利な点のないお前は、どうするしかねぇんだろうな?」
肩をすくめてわざと訊ねてみせる牧は顔の片側だけで皮肉げに笑ってみせた。仙道はその表情に、こんな時に不謹慎だと思いつつも、試合で対峙する時に彼にだけ感じさせられる、傲岸不遜とはまた違う本当に芯の強い者だけが放つ色香に肌が粟立った。
しかしそう感じとる者は少ないようで、彼の前に立つ男は明らかに臆した様子で顔を強ばらせていた。

暫し、三人の中で沈黙が降りた。
牧は仙道の手から己の手を引くと、「開けろ」と静かに告げた。それと同時に寺澤が尻ポケットから何かを取り出した。手にあるものはバタフライナイフのようにも見えるが、刃を出したわけではないので定かではない。
寺澤が形勢逆転とでもいいたげに分厚い唇を釣り上げてみせる。
「俺たちスポーツマンに怪我だきゃあ、いただけねぇよなぁあ? 怪我したくなかったら、仙道よぉ、袋の中のものを便所に流してこいや。んで、牧は〜…その携帯、俺によこしな。なぁに、別にそれ使ってあちこち電話したりしねぇで、すぐ返してやるよ」
牧は額に片手をあてると、深いため息を零した。
「……常々頭の悪そうな男だと思ってはいたが、ここまで悪いとは」
「牧さん、んな挑発」
咎めようとした仙道の言葉が言い終わらないうちに寺澤がナイフの刃を閃かせて牧へ突進してきた。予測していた牧は素早くしゃがむと踵を少し脱いでおいた靴を手にし、立ち上がりざま寺澤の顔面を近距離から叩きつけた。傾いた寺澤の横腹へすかさず容赦のない蹴りをお見舞いする。バランスを崩した2mの巨体が仙道へ飛んできたが、仙道はそれを支えずに身をかわしたため、派手な音とともに開いた玄関へ寺澤は倒れこんだ。
その間、正味1分とかからない格闘(?)であった。

「今の出来事も正当防衛だから、俺たちに不利になることなど何もない。目撃者は102号室の人だ。俺と目があった時に頷いてくれていた。いいか、お前が勝手にマイナスポイントを増やしてんだぞ。不法投棄に傷害未遂。多分それとストーカーまがいもやってたんだろ。俺は仙道から何も聞いていないが。こんなことをするくらいだ。どうせ無言電話とかガンガンしてたんじゃないのか?」
鼻血が出ている顔よりも蹴られた腹がより痛いようで、うめきながら横腹をかかえている寺澤へ、淡々と牧は話しながらも携帯のカメラにその様を収めている。
落ちていたナイフを拾った仙道はふと異臭に気付き首を傾げた。牧が「どうした?」と訊ねる。
「なんか嫌な感じに臭ぇ……けど、その臭いモノはどこにあんのかなって」
「臭うよな。さっき寺澤が入れてた袋……は、」
開け放たれた玄関の扉を振り返れば、扉に備え付けられているはずの新聞や郵便物が入るカゴ部分がない。
「お前、ここに普通付いてる入れ物部分はどうしたんだ?」
「先月ちっと外れちまったままで、そこ、靴箱の上。あー……もしかして」
呻き声は小さくなってはいるが、起き上がれないのか額に脂汗をうかべて横たわったままの寺澤を指差す。
「入れられた物、寺澤さんの下敷きになってんのかも」

仙道の言葉に驚いた寺澤が痛みに顔を歪めながら上半身を起こす。その背の半分ほどに袋からはみ出した生ゴミと犬の糞らしきものがべっとりと付着していた。
「……こんな写真撮りたくもねぇな。ま、寺澤は変態な自分を写真に撮られるのが好きなようだし、サービスで撮ってやるか。ほら、こっち向いて笑えよ」
苦笑交じりで、呆然としている寺澤を牧は何枚も撮っていた。
ぶるぶると震える寺澤の分厚い唇は色をなくしている。
「な……に、言ってんだよ、牧」
「ん? お前は変態な自分を金払ってまで写真撮ってもらってんだろ。藤真から見せてもらったが……変態以外の言葉が俺には浮かばんかった。あれとはまた違うが、自分が持ち込んだ汚物にまみれて喜んでいるお前も十分変態だろ。だからさぞかし嬉しいだろうってな」
「ふ、藤真……。何で藤真が牧に……」
一瞬で寺澤の顔全てから血の気が失せた。
「安心しろ、藤真は特別に俺に見せてくれただけだから。俺も今日撮ったデータは、そのお礼として藤真にしか見せないつもりだ。まぁ、お前の今後の出方によっては、藤真とデータ交換して、うっかりそのデータと今日のと一緒にして、お前の大事な妹へ送っちまうかもしれないけどな」
天気の話しでもしているような涼しげな牧の足もとへ寺澤が土下座をし、その足へ縋った。寺澤を見下ろしながら、牧は心底疲れたように二度目の深いため息を零した。








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悪い事した奴には悪いことがドーンと来る!勧善懲悪ブラボー!(笑) 恵理を通じて牧は
奈美のアドレスを知ってるようにほのめかしてますが、実は知りません。ハッタリブラボー♪


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