BEAUTIFUL DAYS

作者:ケラさん


[1]

 「おい仙道、起きろ」
何度か軽く頬を叩かれて俺は目を開ける。何だってんだ。まだ朝の9時じゃねえか。
 「え・・・」
俺の周りには死体が一杯。いやホンモノの死体じゃなくて、高鼾をかいている酒臭い体育会系のヤロー達の死体。
「適当に着替えて早く来い」
「寝癖が・・・」
「そんな時間はない」
随分とまた強引な。
「・・・マジ?・・・」
知ってる。普段は決して我侭を言わないオトナな人。そんな人がこう出るという事は、何かあるのかもしれない。だけど----------。
 「早く」
牧さんの手には車のキー。はーん、どっか行くんだ?
「牧さん、髪・・・」
「外で待ってるぞ」
・・・ありゃ。


 海南大と俺の行ってる大学との合同合宿。
『それサイアクだね、そんなところで会いたくないっスよー』
『まず有り得ないから安心しろ。俺だってごめんだ』
互いにそう言って笑っていたのに、どういう訳かそれが実現してしまった。代表として挨拶する牧さんは、なんだかいつも会ってる牧さんとは違う人に見えた。そんな事を考えながらにやにやしていたら、当の本人に会議用の机の向こうから軽く睨まれた。
 「リッチだなあ」
「いいから早く乗れ」
ピカピカのチェロキー。さっすが重役の息子は違うねえ。
 合宿所へは、基本的には公共の交通手段を使って来る事になってるけど、大学生にもなるとそんな規則は誰も守らない。海南はボンボン校のせいか、駐車場にある車も高級車が多かった。まあ俺達は身体がデカいから、必然的に大きい車に乗らざるを得ないという事実もあるけど・・・。それでもやっぱ、海南は凄い。外車の占有率はウチの大学の倍だ。
 寝癖のついた髪を気にしつつ車に乗り込む。ああ太陽が眩しい。寝たの明け方だった気がするし。でも牧さんはまだその時起きてたような・・・。
 「で、どこ行くか」
「はいー?」
助手席でぼんやりぐるぐるしていた俺は、牧さんのそんな間抜けな一言で目が覚めた。
「まだ決めてないんだ」
「何スかそれ・・・」
「・・・すまん」
訳が分からない。俺は首を傾げて牧さんを見た。
 「怒ったか」
「別にそこまでは」
「我慢出来なくてな・・・」
「へ?」
交差点で信号に捕まり、牧さんは上半身をゆっくりとステアリングに凭れさせた。ふう、と牧さんの唇から溜息が漏れる。
 「お前が隣に来たら、合宿が終わるまで我慢出来なくなった」
「・・・?」
 今日で合宿は終わりという事で、昨日は午後の練習が終わってからすぐに酒盛りが始まってしまった。俺は牧さんに接近を図ったが、牧さんの周りはあの小うるさい清田や神といった付属からの持ち上がり組が幾重にも取り巻いていて、それはちょっと難しそうだった。さすがの俺もあの海南一色の中へ割って入るのは気が引けた。
 でも時間が経つにつれ、その海南の鉄壁のガードも序々に崩れてきた。皆潰れだしたからだ。俺はチャンスとばかりにどさくさに紛れてさりげなく牧さんの隣に移動した。まあ死んでた筈の清田が気づいてしまい、何なんだあんた牧さんの隣に!とでも言いたげな顔をされてしまって、全然「さりげなく」ではなくなってしまったけど・・・。でも俺は気にせずその場にごろりと寝転んだ。牧さんは横目でちらちらと俺を見ながら、チームメイトの人と話を続けていた。いいな悪くないよ下からこうやってあんたを眺めんのも、なんてアルコールでふやけた脳ミソで考えたのは覚えている。あと何度か交わしたアイコンタクト。何これ結構ときめきメモリアルなカンジじゃーん、とかまあそんなアホみたいな事を思ったりしたのも覚えている。でもその後は記憶がない。多分あのまま寝ちゃったんだろう。胡坐をかいた牧さんの30センチ横で。俺は。
 「あんなところですやすや寝やがって・・・」
「俺のせいスか?」
「ああそうだ、お前のせいだ。おかげでこっちは寝られなかった」
「・・・それって俺の寝顔見て悶々としてたって事?」
この人でもそういう風になる事があるんだろうか?
「うるさい」
咄嗟にパンチが飛んでくる。はは、あるんだー。うーん新発見。我慢出来なくなったってよ。あの牧さんが、ねえ。照れ臭いのか俺の方をちっとも見ない。そんな切羽詰まった横顔もステキよ、なんて言ったらまた殴られそうだから言わないけど。
 「責任取って行き先を考えろ」
「行き先って・・・我慢出来ないならホテル直行しかないでしょ」
「・・・それじゃ余りにも即物的過ぎやしないか?何ていうか、もう少しこう・・・」
「デートっぽく、スか?」
俺がそう言ったら牧さんは黙ってしまった。
 「いいですよデート!もう任せろってカンジー」
「・・・言わなきゃ良かった・・・」
「ひっでー!」
ボヤきつつも、俺は恐ろしくいい気分だった。


 結局、箱根がいいですとかお台場がいいですとか俺がふざけた事ばかりを言い続けていた為、牧さんは行き先を横浜に決めてしまった。
「最初からそのつもりだったりして・・・」
「なに訳の分からん事を言ってるんだ」
 おっこらーれたー、と肩を竦めながら、ウインドウ越しの色んなものが次々と後ろにふっ飛ばされていくのを眺める。隣の車線に目をやると、ワインレッドのワゴン車の窓から子供が顔を出して、こちらをじっと見つめていた。
 「イェー♪」
笑顔で手をひらひら。
「何やってんだ」
「ああ、コドモ。あちゃ、嫌われちゃった」
 俺を見ていた子供は怯えたような表情を浮かべてウインドウを上げてしまった。可愛くねえなーと呟くと、お前もおんなじようなもんだろと言って牧さんが笑った。
「違いますよ牧さんがオトナ過ぎるんスよ。大体何でチェロキーかなあ。牧さんだったらベンツかボルボ。もしくはジャガー」
「・・・それじゃとても学生には見えないじゃねえか」
「あは、自覚アリですか」
「・・・おい・・・」
「てっ」
 ビシ!と膝頭にチョップ。マジ痛。手加減なし。でも可笑しくてたまらない。
 「あ、コスモクロック・・・乗ってねえなあ。最近」
「乗るか1人で」
「えー、せっかくのおデートっすよー。2人で乗りましょうよー」
「野郎2人で平気で観覧車に乗れる程俺の神経は図太く出来てない。お前と違ってな」
「ああー?可愛いコイビトにそこまで言っちゃいますー?」
ちょっとヘコむ。でも牧さんはそんな俺には取り合わず、みなとみらいのエリアへと車を走らせた。
 「え?ここ?」
「ああ」
車が2、3台しか止まっていないひっそりとしたパーキングから、コンベンションセンターの方へ向かう。人は殆どいない。がらんとした展示ホールの中を覗きながら、こんなに人とすれ違わないのも珍しいな、なんて思ったりしていたけど、さすがにホテルに近づくと人もそれなりに増えてきた。デカいからやっぱり目立つのか、宿泊客らしい集団が何度も振り返ってこっちを見る。いや別にゲーノー人とかじゃありませんよう俺達。ああ視線が刺さる。まあとっくに慣れちゃいるけど、そんなにじろじろ見るのは如何なものか?てな感じだ。
牧さんも同じ気持ちだったのか、序々に速足になった。つかず離れずの距離を保ちながら、俺も歩調を速めた。
 そして----------。
「どうだ?」
インターコンチの横を抜けたところで牧さんが振り向いた。
 白い敷石の広がりの向こうに海があった。いくらかガスっててぼやけてはいるがベイブリッジも見えた。高校時代に毎日見てたものとはまた別の空と海と船。目に映るのは綺麗なものばかりじゃなく、ごみごみしていたものもあったし、何よりそこは人工的な空間ではあったけれど、妙に落ち着いた印象を俺に抱かせた。
 「来た事あるか」
「こっちはないっスね」
「なかなかいい感じじゃないか?」
俺が頷くと、牧さんは満足そうに笑って俺の先を歩いて行った。桟橋へ続く敷石の上に牧さんの影が落ちた。
 俺は伸びをしながらゆっくり歩くと、展示ホールの外の柱に寄りかかって座った。敷石の強烈な照り返しを、深く青い水の色が和らげている。目を閉じると優しい海風が頬や首筋を撫で、俺は少し眠気を覚えた。
 「ねみー・・・」
「いいぞ寝ても。置いていくから」
「またそういう意地悪な事言うー・・・。違うの俺が言いたいのは、それ位キモチイイって事」
「分かってるさ」
 鈍く光る銀色の手摺りに腰掛けていた牧さんは、また笑いながら俺のいる方へ戻って来た。
 「こういうところで口説いたりしてた訳だ、牧さんは」
「・・・何だそりゃ」
「なかなかどうして、隅に置けないっスねー」
「ここへ来たのは俺だって今日が初めてだぞ?」
「ウッソでしょ」
「嘘ついてもしょうがないだろう。姉貴に聞いたんだ。姉貴は勤めがこっちだから」
 牧さんの髪が、風に煽られてふわふわと揺れる。
「じゃあやっぱ最初から横浜に来るつもりだったんだあ」
「お前な・・・いい加減にしろよ」
 力強い手に手首を掴まれて、俺は一瞬息を飲んだ。近くに、本当にすぐ近くに牧さんの顔があった。
「確かにいつかお前を連れて行きたいと思ってはいた。でも今日は偶然だ。お前があんなふざけた事ばかり言ってたからこうなったんだ」
はああ、そいつは確かにごもっとも。
 「・・・スイマセン」
「分かればいい」
視線が絡み合って、公園に人影がないのをいい事に俺達はごくごく自然に唇を重ねた。牧さんの乾いた唇の感触が気持ちいい。ずっとこのままでいたい、なんてプチ乙女チックになってる自分に我ながら驚いた。
 「ん・・・」
牧さんが俺の立ててない髪を撫でる。ヤバいなこれも気持ちいいな。それに『いつかお前を連れて行きたいと思ってた』なんて、随分また嬉しい事言ってくれるじゃない-------うん、こうやって流されるのも時にはいいもんだ。
 「・・・なあ、仙道」
「何・・・?」
「お前、俺といる時くらい髪立てるのやめないか・・・?」
「は?」
渋い声で何を囁くのかと思ったら。
「もしかして・・・身長差、気にしてんスか?」
「馬鹿、そうじゃない」
呆れた、といった感じの表情で牧さんが俺を見る。
「せっかく触り心地がいいんだから、何もガチガチに固めて立たせなくてもと思っただけだ」
「あはは、そうスか。いやーすいませーん」
「全く・・・お前という奴は・・・」
「だからすいませんてば」
「今のは結構傷ついたぞ」
「ごめんなさい!」
「・・・やっぱりお前は置いていく」
「牧さーん!」
 立ち上がって歩き出した牧さんを慌てて追う。少し歩くと、よちよち歩きの子供を連れた若夫婦がこっちへ向かって来るのが見えた。今日は土曜日で、しかもこんなに天気がいいのに、どんなに目をこらしても俺達の他にはその家族しか見あたらなかった。今日はたまたま、なんだろうか。それとも時間帯のせいなんだろうか。どっちでもいい事だけど、他人の目を気にしないでいられる分、いつもより充実感があった。
 風がまた俺の頬を撫でる。ふと空を仰ぐ。雲が流れていた。雲が流れる様子を見るのなんてもう何週間、いや何ヶ月ぶりだろう。それからふと気づいた。こんなふうに空を眺める、その行為自体ここのところずっとなかったという事を-----。
 ありがと牧さん。俺忘れてたよ。そう、海や空の青さとか風の心地良さを。こういう時間も大事だね。
 「まーきさん」
「・・・知らん」
「すいません!ホント、ごめんなさい!」
すると突然牧さんが立ち止まって振り返った。うっ、と条件反射的に直立不動。
 「これからは何か言おうとする前にちょっと考えろ。お前の頭なら出来る筈だ」
「はーい」
「・・・何だかなあ・・・」
「何スかねえ・・・」
牧さんが腕組みして首を傾げるので俺も同調したら、お前が言うなと後頭部をはたかれた。
 「帰るぞ」
「え?もう?」
「昨夜飲んだから、午前中に反省会じゃきついと思って午後にずらしたんじゃないか。忘れたのか?」
「・・・忘れてました・・・」
「・・・呑気でいいなあ、お前は」
険しかった牧さんの表情が少し崩れる。浅黒く端正なその顔に苦笑が浮かぶ。それを見て俺は、ああやっぱこの人の事好きだなあと、意味もなく唐突に思った。






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