Believe it or not. vol.02
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民家がどんどん減ってゆくに連れて緑が濃くなってゆく。まだ紅葉には早い、けれど夏とはまた違った色の葉をつけた木々が細い車道の両脇にトンネルを作る。 「あ。あの看板じゃないかな」 仙道の呟きに牧も頷き、矢印に従って脇道へと車を進めた。 砂利を敷いてあるパーキングへ車をとめて漸く、後部座席の二人は話し疲れて眠っていたことなど嘘のように元気に目を覚ますと車から飛び出した。 「わぁー、こっちに飾ってあるやつも可愛い〜。見て見て、奈美ちゃん」 「うん! お母さんかなぁ、こういうの揃えたの。それともお姉ちゃんかな?」 賑やかにログハウスの中を探索している甲高い声が木の香りが満ちる広い室内に響く。やっと最後の荷物を運び入れた仙道がベランダで景色を一人眺めていた牧の隣へやってきた。 「荷物運びご苦労だったな。汗かいてんじゃないのか? だから手伝うっていったのに」 「いーんすよ、俺、最年少だし。それに荷物ったって女子のばっかだもん、数はあるけど重たくないから。それよか、牧さんこそ運転お疲れ様」 突然背後の開いた窓から明るい笑い声がけたたましく響き、牧と仙道は少し振り向いてから苦々しい笑みを交わした。 「運転は別に。ただなぁ……女三人揃えば姦しいというが、二人でも十分すぎた。そっちが疲れたよ」 全くっすねと軽く小さい仙道の笑い声が眼前の森林と小さな川が広がる景色の中へ吸い込まれる。 恵理達は階下へと移動したのか、急に静けさが降りてきた。陽が少し傾き始めた空は柔らかく穏やかな色で浮かぶ雲の縁を染めている。鳥の鳴き声と虫の声がさらさらと流れる水音と重なる。牧は深く息を吸い込んでから一旦止めて、深く吐き出した。 「空気、美味いっすか?」 牧が頷くと仙道は「俺も」と言って長い両腕を大きく広げ深呼吸をした。 「美味いだろ?」 同じような言葉をかけると、仙道も先ほどの牧と同じように頷いた。 そうしてまた二人は細い丸太で出来た手すりにもたれかかって並ぶと、広がる眼前の景色に溶け込むように黙した。 静かな時間を楽しめていたのはほんの十分程度で、それからは奈美の提案で、日が暮れる前に近辺にある徒歩で行ける滝やスポーツができる広場などを散策しようと四人は外へ出た。 恵理の親が所有しているログハウスと似たようなタイプのログハウスが何軒も通り道にあり、それぞれの庭はガーデニングに力が入っていた。山小屋の一軒屋というタイプではなく、完全にリゾート施設として小売りされているようで、どの建物も庭以外は作りや屋根色が統一されている。自然に適度に溶け込むように計算されつくしているのが少々鼻につかなくもないが、それでもこうして自然に直接触れている感じは素直に気持ちが良く感じられ、牧は木漏れ日を何度も見上げては目を細めた。 道が細くなっていく頃には建物などはなくなっていて、「疲れたからここで少し休んで、それからゆっくりいくわ〜。先行ってて〜」と仙道と牧の前を歩いていた恵理と奈美は小さな木製のベンチに座るとひらひら手をふった。 角度が急になりはじめた山道は登るにつれひんやりとした湿度の高い空気に変わった。湿った土や濃い水の香りを感じだした頃、濃い緑に包まれた山頂高くから白い飛沫をあげて落ちてくる大量の水──滝が現れた。 設置されている柵を掴んで水が落ちる音に包まれながら眺めていると、頭の中がぽっかりと空洞になっていくような気がした。 砂利を踏む足音が牧の隣で止まった。 「……なんか、いいっすね。ここ。スーッとするっつか。なんでかな?」 「滝周辺は飛沫のおかげでマイナスイオンが大量に出ているからかもしれんな」 「牧さん物知りっすねぇ。んじゃここでもガッチリ深呼吸しておこうかな。牧さんもいっぱい吸っておきましょうよ」 また両腕を広げて大きく深呼吸をする仙道に牧が軽く笑うと、「ほらほら、笑ってないで」と深呼吸をするようジェスチャー交じりに促してくる。まだ紅葉には早いせいか、周囲に人影もないため、牧も一緒になって今度は深呼吸をしてみる。 「ダメダメ。そんなんじゃ甘いっすよ。もっとこう! 大きく両腕を振って! さんっはいっ!」 大げさな仙道の動きに笑いながらつられて牧も両腕を広げ滝を見上げた。 「あ。凄ぇ……」 真っ白い滝と、それを取り囲む原生林の緑と空の青と薄小金色に縁取られた雲を自分の両腕で抱くような。もしくはそのまま吸い込まれていくような感覚に襲われる。 隣で仙道も同じポーズで固まったまま、ひっそりと嬉しさを滲ませた声をかけてきた。 「うん。凄ぇよね……。足が宙に浮く感じ」 「俺も今、そう思った」 見なくても仙道が喜んでいるような気配が伝わってきたような気がして、そんな自分が少し不思議だった。 「……なかなか登ってこないな。途中の急勾配で転んだとかいわないよな……」 ゆっくり登るから先に行けと言っていた恵理達がなかなか現れないのが心配になり、牧は石で出来た丸い小さな椅子から立ち上がった。 「ちょっと見てくるから、お前はここにいていいぞ」 「や。俺も行きますよ。牧さんいないでここでじっとしているのは、ちと寒いから」 日が落ちたわけではないけれど山中の空気は汗がひいた体でじっとしているには少々肌寒さを感じさせる。 「俺がいたって気温は変わらんぞ」 「んーん。牧さんいたら全然違います」 少し離れた場所にある椅子から立ち上がった仙道は牧の返事も待たずに先に歩き出した。 グレーのパーカーの広い背中を見ながら、牧は仙道の言葉の意味が全く分からないため眉間に皺を寄せたまま後に続いた。 かなり降りても恵理達の姿は見当たらず、スタート地点まで戻ったところで漸く奈美の笑い声が聞こえて二人の居場所が分かった。 木造の土産小屋に入ると、恵理が牧をみつけて手を振ってきた。 「こっちにおいでよ〜。随分ゆっくりしてきたのね、上って滝しかなかったんでしょ? 何飲む? ここのオススメは野ブドウのジュースだよ。あ。彰君もこっちどうぞ」 店内にある飲食ブースで恵理と奈美はパフェを食べていたらしい。ほとんど中身が残っていないガラスの器がテーブルに二つあった。 「滝の所で待ってたんだぞ。なかなか来ないから心配して降りてきてみれば……」 「ごめんなさい、私が途中で靴擦れした感じになっちゃって、途中で引き返しちゃったの」 ペコリと奈美が頭を下げたため、牧は慌てて奈美に向き直ると困ったように頭を軽く下げた。 「いや、そんな。そうだったんですか。足はどうですか? 車とってきて近くまで寄せようか」 奈美に向きかえって提案した牧へ奈美が強い口調で言った。 「大丈夫です! ほんのちょっとだったから休んでいたら治ったし」 「でも、また歩いていたら痛くなるよ〜道悪いし。紳一君、やっぱり車とってきてくれる? 一休みしてからでいいから」 牧が頷いた横で仙道は大きくため息をついた。 「そんな靴、履いてくるからだよ」 不機嫌さを隠しもしない仙道の一言は場を一瞬にして凍らせる威力があった。確かに四人の中でスニーカー系ではない靴は奈美だけであったからだ。 奈美の小さな「ごめんなさい……」という呟きに恵理は彼女の背中を軽く叩いたあと、尖った口調を仙道に向けた。 「彰君〜、そんな言い方ないじゃない。滝以外はちょっと荒れてはいるけど舗装された道だから、これでも大丈夫と思ったんだもんね、奈美ちゃん。彰君がパンフ見て滝が見たいって言ったから……仕方ないじゃない」 恵理の言葉に仙道は返事をしなかった。黙ってメニュー表を手にとると、それへ視線を落とす。 きゅっと恵理の細い眉が寄せられた。これは彼女が怒った時によくやる顔で、これが出ると次はよっぽど上手い返事をしない限り、次に彼女が口を開くときは弾丸のような文句を浴びせてくるのだ。 こんな場所で仙道が一斉射撃を受けるのを何とか防ぎたいがため、牧は目配せの一つで『とりあえず嘘でもいいから謝っとけ』と伝えたかったのだが、仙道はメニューを見たまま微動だにしない。 「…………牧さん、何か飲みます?」 返事どころかシカト。メニュー表から顔もあげずに呟かれた仙道の一言は恵理の怒りに油を注ぐには十分すぎるものだった。 ヤバイと感じた牧は恵理が口から弾丸を発射するより先に立ち上がって仙道の腕を掴んだ。 「俺は何もいらん。やっぱり車先にまわす。仙道、確かお前、絆創膏もって来てたんだよな? 一緒に来い。恵理、もうちょっと二人でここで待っててくれな。好きなもの食って飲んでいいぞ。俺が奢るから」 「牧さん、俺は」 「じゃあ、ちょっと行ってくる。ほら、行くぞ」 がっちりと仙道の腕を掴んで引きずるように牧は恵理や奈美の返事も待たずに仙道を連れて店を出た。 男の足なら土産物屋からは片道20分程度の場所にある今夜の宿へ牧は急ぎ足で歩いた。その後を仙道がのろのろとついて来る。 「さっさと歩けよ」 振り向くと仙道はかなり後方をゆっくりと歩いていた。両手をパーカーのポケットに突っ込んで項垂れながら。牧はため息をつくと仙道へと引き返した。 「帰りは車ったって、あまり待たせたら可哀相だろ。それともお前、ここで待ってるか? 車で拾ってやろうか?」 仙道は小さく首を左右に振った。そのはずみか、地面にポツリと小さな雫が落ちて音もなく土に吸い込まれていった。 「……何で泣くんだ。泣きたいのは奈美さんだと思うぞ?」 また仙道は首を左右に振った。今度は先ほどよりも強く振ったせいか、二粒ほどの雫が乾いた路面に黒い染みをつくった。 「…………もう、ヤダ。俺、もう帰ります」 涙声の小さな呟きは切ないほど悲しげで、牧は仙道の肩に手を置いて覗き込んだ。 「突然どうしたんだよ……。帰るったって、ここから車なしにどうやって帰るんだ? タクシーだって近場の街までだとしてもけっこうするぞ?」 「……突然じゃ、ない、です。俺、街まで歩いて、そっからJRで帰ります」 ゴシゴシと拳で目元を擦る仙道の肩を抱くように牧は腕をまわし、促すようにゆっくり歩きはじめた。仙道も止めていた足をまたのろのろと動かしはじめる。 「奈美は……いつもそうなんだ。気に食わないことがあったら、直接言わないで遠まわしに誰かから俺に言わせるんだ。さっきだって、滝に行きたくなかったんなら最初から言えば良いのに。ついこないだだって……日焼けして肌がって……寺澤先輩に俺が後からどやされて……。なら無理やり釣りに付いてこなきゃいーのに……。こんなん……何回やりゃ気が済む……畜生……。何が『嫌われたくないから言えない』だよ……! こちとら最初から好きでもなんでもねぇんだよ」 ボツボツと漏らす不満に牧は胸が痛んだ。好きでもない相手と先輩命令で付き合うだけでも面倒だろうに、愛情を抱けない自分をじわじわと周囲から追い詰めるような責め方をされるというのは。それに耐えなければいけないというのは……。 牧はやりきれない気持ちで仙道の呟きを黙って聞いていた。 やっとログハウスに着くと牧は携帯が繋がらないため、備え付けの電話を使って恵理達が待つ土産物屋へと連絡をつけた。 「恵理? うん、俺。すまんな、連絡遅くなって。………電話の傍にこの周辺の店屋の番号があって。……うん。あぁ、それよりな、悪いけどもう少し遅くなりそうだから。…………すまん。だから、その近辺に確か温泉があったろ? 徒歩10分しないはずだから、そこで二人で入っててくれないか? ……下着? そんなの売店で売ってるんじゃないか? ………だろ? だから…………そう。うん。……あ、俺らはいいよ。ゆっくり楽しんでこい。終わったら電話くれ。迎えにいくから。……うん。じゃぁ、それくらいの時間に行くよ」 早口で用件を伝え電話を切った。温泉好きで長風呂派な恵理だから、これで予定変更がなければ二時間程度は自由に過ごせる。昔、一度だけドライブで温泉日帰り入浴をしに行ったことがあった。その時は恵理のあまりの長風呂と仕度の遅さに辟易したものだったが、今回ばかりは都合が良い。 振り向くと茶色い皮のソファに座って項垂れていた仙道の姿がなく、牧はキッチンや洗面所を探してみたが見つからなかった。 一階の寝室にいるのかと階段を降りてみると、二部屋あるうちの一部屋の扉が半分ほど開いていた。 「……仙道? 入るぞ?」 間に小さいサイドボードを挟んで二つ並んだベッドの一つに仙道は目を瞑って横たわっていた。 「行くんすか?」 言いながら身を起こそうとした仙道を「まだ行かないから、寝てろ」と軽く肩を押して戻した。仙道は押されるままにまたベッドへと仰向けになる。 「恵理に連絡取れた。恵理達に近場の温泉に行ってこいと伝えたから、迎えに行くのは二時間後くらいでいいようだ。それまでお前は寝ててもいいぞ」 「牧さんはどっか行くんすか?」 寝室を出ようとした牧の背を止めるように仙道の急いた声が追ってくる。 「俺? 俺は別に。咽乾いたから、冷蔵庫に何かないかなと思って」 「なら、俺も」 「お前は寝てろよ。迎えだって俺一人で行ってきてもいいぞ」 勢いをつけてベッドから起き上がった仙道は牧をじっと見つめてきた。そしてゆっくりと頭を軽く振ると淋しげな笑顔を浮かべた。 「こんなとこで一人は嫌です。牧さんがいないと、ここは寒い」 陽は陰ってきてはいたが寒くなどはない室内で、本当に寒そうな頬の色をした仙道を見ていると、言っている意味は分からなかったが自然と口が動いた。 「……二階でコーヒーでも飲もうか」 誘われた事が嬉しかったのか、先ほどの淋しげな様子が消えて牧は何故かホッとした。仙道が立ち上がって近寄ってくる。 「牧さん、冷たいもの飲みたかったんじゃない……?」 「お前の寒そうな面見てたらこっちまで寒いような気になってきた」 仙道が今度浮かべたのは今日何度も牧にだけ向けてきた嬉しそうな笑顔だった。 鳥の鳴き声が小さく届くだけの静けさの中でコーヒーを飲んでいると、今に至るまでのドタバタなどなかったように落ち着く。 備え付けのコーヒーメーカーでおとしたコーヒーは香りも良く、味もなかなかにいい。広々とした室内に皮のソファとどっしりとした木のテーブル。テーブルは床のフローリング同様に飴色の柔らかな輝きを放っている。大型の木製キャビネットには大型の薄型TV。改めて室内を見回せば備えられた小物や室内照明や家具全てが、落ち着いた深いくつろぎを生むために計算されて選ばれていることが分かる。キッチンなどはファンシーな小物もあったが、室内は大人のくつろぎを重視したシックな調度でまとめられていた。 「ログハウスってもっと泥臭くて無骨なもんだとばかり思ってた。それか、カントリー系とか」 「キャンプ目的じゃなく別荘目的で作られてるせいかな。なんかいいよね」 二人しかいないのにどちらも僅かに声を潜めたように話してしまうのは、室内が広いため声が響きすぎるのと、この日常離れした静けさを崩したくないとどちらも思っているからだろう。 「……もう一杯、飲むか?」 「うん。俺、コーヒーの味ってあんまり分からない方なんだけど、なんか……すごく美味しい」 「そうか」 マグカップを差し出しながら穏やかに微笑む仙道の表情がこの空間に溶け込んでいて、とても牧には好ましく感じた。 夕暮れ色が室内を古い映画─── 時を止めた世界のように彩る。あまりの居心地の良さにソファに根がはえてしまって動きたくない。しかし壁かけ時計は時は止まってはおらず、迎えに行く時間だと無情にも伝えている。 二杯目のコーヒーを飲み終えてからソファに横たわり眠ってしまった仙道を起こさないように、静かに牧は立ち上がった。 少し離れた場所にある大きな四人用の食卓テーブルに置いた車のキーを手にする。チャリ……と小さな金属音がしてしまい、牧は咄嗟に視線をソファへ向けた。 むくりと起き上がった仙道が首を捻って牧が座っていたソファを見、いないと分かると慌てたように立ち上がるのが見えた。 「仙道、こっちだ」 「あ……。俺、置いてかれたんかと焦っちゃった」 本当は寝かしておいてやりたくて置いていこうとしていたのだが、あまりに必死に自分を探す様子につい声をかけてしまった。そんなことは知らない仙道は目元を少し擦りながら牧の隣に寄ってきた。その距離が今までとは違い、とても近いことに気付く。警戒心の強い動物や子供が懐いてきたことを示されたようで、不思議と嫌な気はしない。 そういえば仙道は俺に可愛がられることに全力を注ぐといったことを冗談で言っていたけれど、こうして自然と距離が近づいて初めて気付いたことがある。口で言うよりこの男は人とあまり親しくしようとしない……一匹狼タイプだということだ。しかもどうやら、そのくせ淋しがりでもあるようだ。警戒心も強くプライドも高いが、淋しがりで傷つきやすくもある。人当たりの良さや振る舞いの上手さで巧みに隠してはいるが、本当は自分の懐には滅多に人を踏み込ませない男なのだろう。はたしてこの男のそんな繊細で硬質な部分を周囲のどれだけが理解しているのか。 そして。何故こいつは自分にこれほど分かりやすく己の裡を見せてくるのだろうか……。ちらりと横に立つ男に目をやれば小さなあくびをして全くの無防備な顔をさらしている。 「行きたくないけど行きますか」 苦々しく呟くその顔があまりにも言葉通りなもので、牧は思わず噴き出してしまった。 仙道の真意は知れないが。こうして今、笑いながら仙道の背中をポンポンと無意識に叩いた自分は……どうやらこの、ちょっと難しい男をまんまと気に入ってしまったことは確かなようだ。
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ちょっと気難しい繊細さのある仙道に挑戦。でも既に失敗しそうな予感が……(笑)
余談ですが、私はマニキュア好きですよ。滅多にしないけどね。 |