Dreamlike magic never end. vol.02
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部活がない貴重な完全オフの夏休みは三日間。その二日間を他校の者とのんびりと過ごした。それだけでいつもの牧ならば終わらせていた。こんなことなど中学以降はなかったから、それで十分珍しい思い出ができたといえるからだ。 それなのに別れ際、仙道に電話番号を交換しようともちかけたのは。一緒にいるとやけに落ち着くせいか。それともあいつがみていた夢がやはり引っかかってしまったせいなのか。 牧自身ですら判別がつかない胸中など全く知らない仙道は、「連絡しますよ。昨日話したラーメン屋に連れていきたいんで」と眉尻と目尻を同じくらい下げて携帯を取り出していた。 その柔らかな表情が個人的な繋がりを求めたことを好意的に感じているように感じさせたため、牧は慣れないことをした自分を心のなかで少し褒めたのだった。 * * * * * * 夏休みの宿題である英文読解の手を止め、牧は眼鏡を外した。大きく息をひとつはき、椅子の上で伸びをすると欠伸が出た。 欠伸にひっぱられて今朝方変な夢をみたことが浮かんだが、どこかの体育館っぽい建物にいたこと以外は夢などもう残っていない。強烈な印象(怖い・楽しいなど内容にかかわらず)があり、かつ起き方や起床のタイミングが揃わない限り、朝食の前には九割は消えているものだ。 そんなことを考えて、また仙道がみていた夢を思い出してしまった。 性的な夢は俺だってみる。この齢になるまで全く見たことのない者の方が少ないだろう。だから別に仙道の夢なんてどうということはない。夢など脈絡も理屈も何もない、ただの脳の情報整理がみせるものだから、相手がオレでありはしたがそこに意味はないはずだ。 もっとどぎつく直接的な男女の交わりだって俺は叔父の夢でみてもいる。あんな程度のものなど俺がこんなに引っ張るほどのものじゃない。 そう理屈でわかっているから、仙道と会っていたあの二日間は改めて思い返すこともなかった。 それなのに今日になって、何故かやけに繰り返し再現している。相手がオレだったことに意味的なものを見出そうとするような……そんな無意味な思考を理論で消し去ろうと試みては、次はより詳細に思い出すという悪循環を繰り返していた。 一人になって気を抜くとすぐに頭を占めるこの悪循環をなんとか止めたい。どうしても仙道が浮かぶなら、あの時のやけに心地よい時間のほうがよっぽどいい。 そこまで思い至った牧は、即実践とばかりに意図的に仙道と過ごした時間の回想に努めてみた。 ……─── 焼けた路面にのびるビーチクルーザーと俺と仙道の影。吹き抜ける海風。日に焼けすぎてボロボロの暖簾がたなびく狭い入口の定食屋。足を一歩踏み入れただけで旨い飯屋だと匂いが教えてくる。運ばれてきた定食のボリュームに思わず声がでたら、『ここのアジフライ絶品なんすよ』と少し得意げに口角を上げる仙道の顔が汗で少し光ってみえた……。そういえばあのとき、随分と整った顔をしてると初めて気付いたのだ。男の顔を一度たりとも評価目線で意識したことのない俺が。 『どうかしました? あ、歯に海苔でもついてます?』と問われるほどにまじまじと見ていたことがきまり悪くて、変な言い訳をしどろもどろで口にすれば。『……いーすけど別に。牧さんになら見られても』などと、ふわりと照れた笑みで返されて、かえってドキリとしたのだった。 己への違和感に座り心地が悪くなっても、仙道が飯に集中しているときについ奴の食いっぷりに目を奪われ。そんな自分に気づき慌てて飲んだ味噌汁がまた美味く……汗で塩分を失っていたいた分だけ五臓六腑にしみた。 海に面した壊れかけのベンチに座って気の向くままにどうでもいい話を長々とした。 その内容全部までは思い出せないが、潮の香りに混ざる仙道の整髪料や汗の仄かな香りを時折感じたのは覚えている。普通は男臭ぇなと感じるだけなのに、よほどいい整髪料を使っているのか。それともいい制汗剤なのかはわからんが悪くなかった。だから風向きが逆になったときは少し緊張したものの。あいつは飲み物を買って戻ってくると腰ひとつ分だけ前より俺のそばに座ったので……俺は臭くはないと認識されていると思うことにしたんだった。 マジックアワーが終わっていよいよ互いの顔が薄暗く見えだすと、仙道は『そろそろ帰りますかねぇ』と言ったくせに腰を上げないから、『そうだな』と返す俺の足も動かなかった。そのうち真っ暗になって仙道の顔半分が街灯の白さで寂しげに映るようになってようやく、『腹減ってきたかも』『俺も』とどちらからともなく歩き出したのだ。今思えば、離れがたくさせるというのはあの白い横顔を指すような気がする……。 意図的に追想してみて自分で驚いてしまった。特段なにをすることなく過ごした二日間が何故、これほど鮮明に細部まで胸に焼き付いていたのかと。 呆然とぬるくなった麦茶を飲み干してやっと、随分長いこと休憩をとってしまったことに気がついた。 (やる気が完全に飛んじまったな……残り7ページだし、続きは明日やるかな) パラパラとテキストをめくっていると携帯が鳴った。 表示画面上の『仙道彰』の白文字に目を瞠る。つい数秒前まで思い返していたせいか妙な焦りを覚える。 「昨日の今日だぞ? なんの用事だよ」 自分の上ずった声にも慌てて、牧はンッンッと喉の調子を整えてから画面上の通話ボタンを押した。 * * * * * * 時間にしたら5〜10分くらいの短い電話が、部の夏休みが終わってから今日をのぞいて五日間も続いていた。 これほど続くと、仙道との電話という休憩は良い習慣になりつつあった。その証拠に、部活から帰宅して飯と風呂のあとというう脱力しきった状態でも、今までよりダラダラせず予定の時間になるとすんなり机に向かえるようになっていた。 けれど仙道はどうなのだろう。もしかしたら電話のやめどきのタイミングをはかれずに他校の先輩からの言いつけ(電話番号を聞いただけだが)を守って、面倒ながらも律儀に毎晩かけてきているのでは……と。牧は遅まきながら思い至ったのだった。 自分は楽しくとも気遣いに甘えてすぎてはいけない。こういうことは年上から切り出さねばと、牧は仙道から電話がかかってくるとタイミングを見計らって早めにつげた。 「あのな。その、別に毎日かけてこなくていいんだぞ? お前も忙しい日はあるだろうし、電話代もかかるだろ」 『いや〜それがちょうどこの時間帯って何もすることねーんすよ。それに俺、自分からかけるのはあんた以外にいねーんで全く問題ないっす』 一瞬の躊躇もなくこちらの気を良くするような返事をよこされてしまっては、牧が返せる言葉など一つしかない。 「それならいいが」 『牧さんは? 毎日だとちょい面倒? 別の時間帯がいいとか?』 「全然。前も言ったが飯も風呂も終わってるし、勉強の休憩時間だから全く問題ない。いい気晴らしになってる」 『そっか。よかった……』 深い安堵の吐息と僅かな間が、牧の脳裏に黄昏に融けいりそうな仙道の淡い笑みを思い出させる。 「……仙道?」 『ん…………俺さ、ホントちょうどこの時間帯って何もすることなくて……でも寝るには早くて』 「そうだな」 『で、ちょっと……何か小さなルーティンを入れたいなって思ってたとこだったんです。短時間でホッとできるっつーか……落ち着ける予定を』 今度は電話の向こうで照れている仙道の顔が目に浮かんだ。一人暮らしゆえの寂しさをほのめかしてしまったことに対する照れだろうか。それとも全く別の理由か。 なんにせよそんなささやかな望みを打ち明けることに照れるなよと言ってやるより先に。今まではバスケの好敵手でしかなかった俺がこいつにとって今はバスケ以外では落ち着ける相手と認識されていたことがやけに嬉しくて。そう感じる自分に照れて妙に慌ててしまう。 「そうか」 短い返事にやけに感情が漏れ出てしまった気がして、誤魔化そうと空咳を数回。 「明日は俺から電話する。これからは交互にかけあおうぜ。その方が気楽でいい」 『まじすか。あ。ねえ、なんか決まった相手にのみ決まった着信音にできるやり方って牧さん知ってます?』 「そういう機能があるのは知ってるが、使ったことがないからわからん」 『俺も〜』 「なんだ? 俺からだと着信音でわかるようにしたいのか?」 『そっす。秒で取りてぇすもん。あ、大丈夫、明日部活の奴らに聞いて設定しときますから』 冗談で聞いたことに真面目に即答され、牧は返事に窮した。 その翌日に牧は高砂に着信音個別設定の方法を習いもしたし、それからは忙しい日でも電話がきそうな時間帯だけは極力自室にいるようにもなった。 そして多分、改めて聞いてはいないが、いつでもワンコールで電話に出る仙道もまた自分と同じだろうと思えていた。 予定の課題が早く終わった牧は二階のバルコニーに出た。夜でも蒸し暑い空気が全身をもったりとくるんでくる。 今夜は月でも眺めながらと思ったのだが暑さに負けて自室に戻り、少し早い気がしつつも仙道へ電話をかけた。 「おー。今夜も暑いな」 『まいるよね〜。牧さんもしかして今、外出中?』 「いや、今夜は珍しい月だと母親が言っていたから、さっき少しだけ洗濯物干し場に出てみただけだ。俺の部屋からは見えないんでな」 『牧さん家、洗濯物干し場があるんだ。便利でいーすね』 以前部室で『バルコニー』と言ったら何故か武藤や小峰にからかわれた。そんなどうでもいい記憶がよぎったため言い換えたのだが、変だっただろうかと僅かに身構えたところ。 『俺んとこは独身寮みたいな一人暮らし専用アパートでね、ベランダもねーからカーテンレールに干したりで。雨の日なんて大変なんすよ。あ、月は窓からちょっと身を乗り出すと見えるんすよ……っと』 のんびりと話す仙道が自室の窓を開けているらしき音が聞こえてくる。 「見えたか?」 『うん。立派な満月だけど、どこらへんが珍しいの?』 「さあ」 『さあって。適当だな〜』 続く涼やかな仙道の笑い声が心地よくて、牧はやはり外で一緒に月を見ればよかったなとベッドの上で目を閉じる。 「スタージョンムーンって名前がついてることしか知らん」 『スタージョンムーン……なんかスターな犬を想像したんすけど』 「俺も。全くそういう意味じゃないだろうが、子供の頃に飼ってた犬がジョンって名前でさ。なんとなく月を見たくなったんだ」 『うーん……言われてよぉーく見ると確かに……兎じゃなくて犬の影が見えるような?』 「んなわけねえだろ、調子いいなぁお前は。まあジョンは随分前にお星さまになったけどな」 『そうなんだ。けどさ、今夜ジョンは月に来てんじゃない? 名前にかこつけてあんたが月を見そうだなって先回りしてさ』 「凄え……お前に詩的というかファンタジー的な想像力があるとは初めて知った。いいなそれ。いたのかもな」 『あはは、そんなもんねーけど。牧さんこそノリがいいよ〜。あ、ノリと言えば今日部活中にね、』 話はいつものように気まぐれにあちこちへ飛んだり戻ったり。そのうちにもう15分が過ぎようとしていた。 『あ〜……それじゃ今夜はこのへんで……っと、そうだった。明日はちょい遅くなるんで……10時半くらいにかけたら寝てます?』 「お前まで人をジジイ扱いする気か。桜木だけでも手に余ってんのに」 『あはは! そんなんじゃねーすよ。んじゃ10時半頃に』 「俺からかけるか?」 『まじ? なら9時半頃にお願いします。キャッチ入ったって理由で早く電話切れるだろうから。そのあと俺からかけなおすよ』 「わかった。じゃあな」 『うん。じゃ、また明日』 「寝る前に今度はよーく月を見てみるよ」 『もうジョンは星に帰っちゃってるかもしんねーけどね。じゃ、また明日〜』 昨日ぐらいから仙道の敬語にタメ語が混ざる率が上がったように感じる。かなり気を抜いてる感じが伝わってくるのはまんざらでもない。 自分にとって今ではすっかり仙道との電話が丁度よいリフレッシュになっているから、仙道にとってもそうであればいいと思う。 スマホの暗くなった画面に映った楽し気な自分の口元が何故か気恥ずかしくなり、牧は画面を伏せた。 もう少しだけこの心地よい余韻を味わってから別の課題をやることにして、暑いバルコニーへと再び足を運ぶ。もしかしたらまだジョンの尻尾くらいは見れるかもしれないなどと、似合わないことを考える自分に苦笑しながら。 翌日21時半きっかりに、牧は約束通り仙道の携帯へワンコールした。 その後、仙道が昨夜言っていたように22時前には折り返しの電話がかかってきた。初めて聞く、かなり疲れた声で。 いつもならばどんなくだらない話をしていても、どこかしっくりくるような心地よさがあった。しかし今夜はさっぱり噛み合わない。その上何度も上の空な相槌をよこしてくるため、ここまでくると体調でも悪いのかと心配になってしまう。 試しに仙道の生返事から少しだけ間を置いてみたが、訝しがられるどころか何も反応がない。 「調子悪そうだな。大丈夫か? 疲れてるならもう寝たらいい」 『全然へーきす。眠くもないよ』 「……何か嫌なことでもあったか?」 『何も。ご心配あざす。あ、そーだ。牧さん連れてったあの定食屋にね、新メニューが登場したんすよ。まだ俺も食ってねーんだけど、』 急に明るい声でいつものように話し出されて、仙道がこれ以上の気遣いや詮索を拒んだことを理解する。かえって空元気をさせてしまう結果になり、申し訳無さと同時に淋しさを感じた。 しかしそれを今伝えては重ねて無理を強いることになりかねないため、牧は気付かぬふりで会話を続けるしかなかった。 小さな共有のルーティンは途切れることなく毎晩続き、早二週間以上になっていた。 電話を切ったあとに残るのは会話の内容ではなく、相手の柔らかな声の調子やゆったりとした空気感。そして話がいい具合に噛み合う絶妙な感覚だけ。 そんな綿菓子のような心地よいだけの余韻が消えると、いつからか一度だけ仙道がいつになく疲れた様子だった時を思い返してしまうようになっていた。 もしも俺があの時、上手く疲れの原因を聞き出せたなら。せめて愚痴くらい吐かせてやれていたなら。重い話や踏み込んだ話はしない空気─── 暗黙のルールなどできなかったかもしれないと胸が淀む。 だが時間は戻せないし、仮に似たようなことが今後あったとして。仙道に胸中を吐露させれるようなさりげなくも適切に促す言葉など、不器用で気の利かない俺にはどれほど探せど見つけられない。それゆえ同じルートを辿りそうで、不本意ながらも結局踏み込めないままでいた。 強烈すぎる日差しから逃げて木陰へ逃げ込んでも、セミや様々な虫の音が多重層でぐわんぐわんと襲いかかってくる。それらに気を取られ、隣に座った武藤が何か言ったようだったが聞き逃してしまった。 「すまん、もう一回言ってくれ」 「んだよ〜。いくら暑ぃからって脳ミソまでとかしてんじゃねーよ」 真夏の体育館は時間が経つにつれ地獄の釜茹で状態になる。今日も今日とて休憩時は体育館裏手の風が吹き抜ける広い日陰が大人気だ。放置されたままの機材が丁度よいベンチになっているため、牧と武藤もここで水分補給をしながら休んでいた。点在しているベンチがわりになりそうなところはどこも同じように、僅かな涼を求める輩で占められている。 武藤はスポドリで唇を湿らせてから、「だぁーら、その唐突に考え込むのやめさせたいから、悩んでんなら今なら特別割引でこの武藤様が聞いてやるからゲロれって言ってんだ」とのたまった。 照れ隠しなのかかなり嫌々な顔で口先を尖らせる武藤を牧はまじまじと見返してしまった。 「……らしくねーこと言うじゃねぇか。お前こそ脳みそとけたか?」 「うっせ! いーから吐け。隠すってことは恋バナか? 恋バナだろ!」 「違う」 「違うってんならなんだよ。バスケの調子は悪くねぇから、どーせ人間関係とか親とかなんじゃねぇの? 牧は真面目だからなー。で? 何やらかしたんだ?」 「別に。……もう少し言い方が違っていたら結果も違っていたかなって考えてただけだ」 「んだよ、やっぱ恋バナじゃねーか。何? シンイチ君はどんな大失言かましたの?」 「シンイチ君て呼ぶな。疲れた声だったから、大丈夫かと聞いが平気だと返されただけだ」 「それの何が引っかかんのよ」 「大丈夫かじゃなく、どうした? と先に聞いていたらよかったのかな……とか」 目を丸くした武藤は渋々答えた牧を凝視したまま固まった。 驚かれる理由がわからない牧が苛立たしげに眉間をぎゅっと狭めると、武藤はゆっくりと口を開いた。 「や……まじ恋バナだったんだな。すまん茶化して。こっから真面目に聞くわ」 「勝手に決めるな。違うと何度言ったらわかる。どうして疲れていたのかを俺は」 「話してほしかったんだろ。その娘に平気だって強がらせたくなかった、弱音も安心して零してもらえる男だと思われたかったってこったろ」 「……まあそうだが、でもその子って年じゃない。ひとつし」 武藤は牧の言葉を掌で遮った。 「いーから聞けって。よーく考えてみ? 牧は自分にキビシーけど、それを人に強要はしねー。けど自分に甘い奴らは眼中にしねー。良くも悪くもそれが牧の親しくなるかならないかの線引きラインだと俺は思ってるわけ。どうだ? 大幅にハズレちゃいねぇだろ?」 急に自己分析へと話が変わった上に、先日風呂上がりにアイスを三つ食ってしまった俺が自分に厳しいと言われてもピンとこない。そう反論しようとした牧だったが、確かに自分に甘い者に対し親身になったことはないので、大幅に外れてはいないかもしれないと言い留まる。 不承不承な顔ながらも反論してこないことに調子づいたのか、武藤は嬉々として続ける。 「その反動なんかは知んねーけど、努力してる奴がギリギリで零す弱音にお前は心底親身になる。宮も高砂も、つかスタメンはほぼそれで落とされてる。つまりは牧よ……お前はな、努力する奴キラーなのだ!」 わざわざ立ち上がってビシッと先日貸してくれた漫画の主人公のようなポーズを。しかも多くの後輩の目がある中で決められるとは……と牧はあんぐりと口を開けてしまった。 そんな牧の呆れ顔を武藤は自分の説明に感服したからだと受け取ったようで。 「そんな『真面目に努力する奴は100%俺の親衛隊に落とすマン』の牧としてはだ。弱音を聞いて、甘い言葉を囁いて自分にメロメロにさせたいのだよ。なのに弱音を零してくれないとはなんてことだ! 俺に惚れさせたいのに! ……とね、絶好のチャンスを逃したがゆえに悲しんでいるのだよシンイチ君は!」 絶好調な武藤は呆気にとられている牧の肩をバシバシと叩いた。 「そーかそーか俺様の的確な回答にぐうの音も出ないか。まあさ、チャンスなんてまた巡ってくっから気にすんな。大丈夫だ、気の利かない奴と思われたかもしれねーけど、優しい奴とは思われてるはずだぜ? 心配してくれた気持ちは伝わってるって、多分な。だからそんな失敗ですらねーことなんて気にすんな! ま、恋すりゃ些細なことも気になるもんだからわかるけどよー。いつでも話くらい聞くぜ? この恋の准教授・武藤正様がな。だから頑張ってその娘を落とせよ、帝王の名が泣くぜ?」 勝手に結論づけた武藤がウィンクをよこした。それがやけに上手い分腹立たしい。 「的外れすぎて返す言葉がみつからん……」と呟く牧に振り向くことなく、武藤は「いーからいーから照れんな。ほら休憩終わるぜ」と先に行ってしまった。引き止めてムキになって否定するのも馬鹿らしいため、牧はのっそりとあとに続いた。 結局武藤に零したところで何一つ役立ちそうなことはなかった。だがあまりにバカバカしい推論とおかしなテンションにあてられて妙に気だけは軽くなった。良くも悪くもいつもの自分なら一度の失敗をこんなに引きずらないだろと、少し目が覚めたような気になれた。切り替えて、次に似たようなことがあった時には不器用なりに頑張るしかないのだからと思えた。 風が止まったせいで地獄の熱波が淀み、少々臭いがこもった真夏の体育館へ再び足を踏み入れるその前に、牧は立ち止まり空を見上げた。 「眩し……」 海の青さを思い出させる空の青と波しぶきのような白い雲がやけに目にしみた。 変わらず仙道との電話は続いている。電話の後もあの失敗を思い出してはあーだこーだと考えはしなくなった。 なのに今度は、癒され楽しい気持ちで満たされた心の奥底に砂粒のようなザラザラしたものがほんの少しずつ積もるようになっていた。 またそれとは別に最近は、もっと仙道を深く知りたい、もっとあいつに自由に話をしてほしい。仙道にだって俺と同じように清濁両面あるはずなのだから、綿菓子話ばかりでいられないはずだろ? ……といった、うまく言えないが焦れったさのようなものを感じるようになった。 そして思うのだ。お前は俺をもっと深く知りたくなりはしないのかと。 ─── そこまで思い至ってしまうといつも深い溜息が零れた。何故ならそれは『短時間で落ち着けるルーティン』を望む相手には迷惑でしかない、過ぎた望みだからだ。 そんな、時折耳にする恋愛ソングなどと似たようなことを考えている自分は、自称恋多き男の武藤准教授(「准」なのは彼女がまだいないからか?)に話したらきっと『それは恋だ』とまた断定されそうだ。 恋をしたことがないからわからないが、男女ならば100歩譲って恋なのかもしれない。しかし仙道は男で─── そこまで考えたところで牧の脳裏に仙道がみていた夢の映像が数日ぶりに蘇った。 (だから! あれは脳の情報整理なだけなのに何度も思い出したら悪いだろ! いや、悪くはないかもしれんが無意味だろ!) 誰に脳内を覗き見されるわけでもないのに、牧は妙に慌てて思考を散らしてシャワーの蛇口ハンドルを力任せに締めあげた。ギギッと嫌な音が浴室内に響く。 「……ん? 今何時だ?」 思考に流されたおざなりな風呂からあがって洗面所の置き時計を見る。あと1時間弱で仙道から電話がくると意識した途端に心拍数が上がった。 (……恋をするとドキドキするというよな。この鼓動の早さは……って、武藤と同類の恋愛脳になるなよ俺。風呂入って心拍数が上がるのは当たり前だ) そう思いながらも手首の脈をつい測っていたのを誤魔化すように、牧はそそくさと下着とハーフパンツを身に着けた。 「……毎日体育館のあのクソ暑い中で長時間動き回ってるせいで、俺の脳みそも溶けかかってんのかな」 力ないく吐き捨てた牧は濡れている髪をガシガシとタオルで拭きながら洗面所を後にした。
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まさに真夏にこれを書いてるせいか、暑さで脳みそがやられているような牧になってしまいました。ごめんよ牧☆
それに武藤のキャラ崩壊が激しいかも……武藤もごめんよ☆ ……って今回謝ってばかりだわ(苦笑) |