Let's have fun together. vol.07
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しっかり喫茶店で休憩はとったが、やはりキャンプ地まで歩いたのはきつかった。昨日越野が激しく嫌がったのも、今なら茶化さず頷ける。無理ではなかったけれど、テントに戻り靴を脱いでしまえば気が抜けて動きたくなくなってしまったから。 隣で同じように大の字になっている牧さんが天井に大きく息を吐いた。流石に疲労が見てとれる。 「すんません、結局全部歩かせちまって」 「ヒッチハイクは落ち着かなくて嫌だと言ったのは俺だ。端からそのつもりだったから気にするな」 「魚釣りして登山して……ウォーキング、いや散歩? 今日だけでどんだけ歩いたかな……」 「今夜もよく眠れるぞ」 「寝れなくて困ったことなんて、俺は数えるほどしかないすけどね」 仙道が軽く笑い零すと、牧がさらりと聞いてきた。 「例えば一昨日とかか? 目の周りを随分と真っ黒にしていたが」 「…………まあ、そっすね」 あれほどやさぐれた姿や態度を彼にみせたことはないどころか、他の誰にだってない。だからこそ理由を知りたいだろうに、牧さんはずっと何も聞いてこなかった。今になってなのはきっと、俺が明るさを取り戻すまで待っていてくれたからだろう。 今が理由を伝えるチャンスだぞと頭の中で越野の声がする。その通りだと思うのに言葉が見つからない。しかしこのまま甘え続けるのは不誠実すぎるから、せめて何か納得させられそうなうまい嘘でも言えばいいのに、それすらも浮かばない。 それでも仙道はどうにか唇を動かそうとしたのだが、牧が先に口を開いた。 「越野に言うよ。ヤビツ峠の駐車場からキャンプ地まで歩けなかないが、晩飯の支度を考えれば歩かないのが正解だって」 あえて全く別の話題に変えてくれたのは、まだ眠れなかった理由を引きずってると判断してのことだろう。彼の優しさにまたも甘えることに罪悪感はあるが、助け舟に乗らせてもらう。 「また〜。んなこと言わなくていーすよ。絶対あいつ調子にのっから。牧さんはホント誰にでも優しいよね。……さてと、そろそろ動きますか。日が暮れたらますます億劫になっちまう」 「おう」 テントから出ていく仙道の広い背中が見えなくなってから、牧は静かに深い溜め息を吐いてあとに続いた。 クーラーボックスの前にしゃがみこんだ仙道はあえて弾んだ声を上げた。 「今夜の飯は昨日使わなかった食材も全部使って豪勢にいきますよ!」 「越野に聞かないでいいのか?」 「食材を無駄にしねーことが残された俺らの使命です。途中離脱を後悔させねーためにもね」 そうだなと素直に頷く牧の生真面目な顔にちょっと大げさすぎに言い過ぎたかなと感じつつも、やる気がでてくる。 キャンプ飯作りは実はあまり好きではない。限られた道具で作る手間暇のかかりように途中で面倒になりやすい。だからソロキャンプの時はカップ麺や市販の弁当などを持ち込むことがほとんどだ。でも今夜は。 「時間はかかるけど、昨日よりは絶対いい晩飯にしますから期待して下さい」 「昨日だってデザート美味かったけどな。バーベキューでもするのか?」 「肉巻きごはんとシチューと焼き鳥と焼き野菜の予定す」 「そんなにか! 聞いただけで腹が鳴るな……」 腹に手をあてて期待に目を輝かせる牧に仙道の眉はおどけるように上がる。 「品数あるけど人手少ないからコキ使っていい?」 「任せろ。と言いたいとこだが、俺が料理に関しては戦力外なのはお前が一番よく知ってるだろ」 牧さんがこうも自信がないのを前面にだすことは珍しく、それだけに面白く楽しい。 「もちろん。手に怪我させるようなことなんてさせませんて」 安心させようと満面の笑みをむけると、何故か牧さんはキュッと下唇を噛んで明らかに視線を逸らした。けっこう牧さんの表情を読むのは得意なのに今のはなんだろう……読めなかった。 「シーズンオフ中だから気遣いは無用だ。包丁だって練習しなきゃいつまでたっても上手くならん。やるよ」 再び向けられた表情はいつもの泰然としたものだ。先程のは特に意味はなかったのかもしれない。 「うん、まあ、そーいうのは家でおいおいね。今は絆創膏くらいしかねーんで」 「深く指を切る前提かよ。右手首捻挫してるお前よりは俺の方が案外器用にこなすかもしれないぞ?」 「手首は普通に生活してる分には不便ないんだってば。もー、じゃあ早速頼むから。炊事場行ってこの野菜全部洗ってきて下さい」 持ち込む食材は洗って切ったり、必要に応じてレンジをしておくものだ。しかし腐りきっていた自分のせいで当日にスーパーで買う不手際っぷりとなってしまった。 そんなキャンパーらしくない準備不足に何ら疑問も不満も感じていない牧は力強く頷く。 「了解した。ついでに水も補充してくる。なにかと使うだろ」 ソフトタイプのウォータータンクと野菜が入った袋を手にすると、牧は意気揚々と踵を返した。 「……深く考えずフットワーク軽く動いてくれるキャンプ初心者ってマジありがてえ」 遠ざかっていく牧の背に、仙道は思わず手を合わせていた。 まずはライスクッカーに持参した無洗米と水を入れ、米に吸水させる。その間、牛肉を大きめに切りわけ、玉ねぎの皮をむいて少量の水で洗って千切りに。 静かな中での単調な一人作業は仙道の頭に牧の食事事情を巡らせる。 牧さんの朝食はトースト・シリアル・納豆ご飯のどれかひとつとプロテインのルーチン。時々それにカップサラダがつく。実際にこの朝飯を何度かご馳走になったこともある。俺一人の朝飯は牛乳とプロテインバーのみだから、牧さんの方がよっぽどしっかりしていて偉い。 昼や夜は大体一緒に食堂や外食。休みの日はどちらかの家で一緒に店屋物や惣菜。時には俺がパスタや炒飯にサラダをつけた簡単なものを作って食べもした。そうやって俺は牧さんの台所に立つ機会を奪ってきた。 男は胃袋をつかんだら落とせるとよく聞く。俺は高校時代は寮だったから飯作りは大学からだ。それだって牧さんへの恋心を自覚してしばらくたってからなので、胃袋をつかめるほどの腕前には遠かったりする。 だけど絶対上手くなって胃袋をつかむ予定だから、俺より料理上手になられちゃ都合が悪い。凝り性の牧さんが本気だしたら料理なんてすぐ上手くなられてしまうから、料理への興味を起こさせないようにしてきたのだ。 (……それもこれも知らん間に恋人作られたら意味ねーのに。自分の意気地なさから目を背けて、外堀ばっか埋めようとしてた俺が悪ぃんだけどさ……) 仙道は玉ねぎで滲んだ涙を腕で手荒く拭うとダッチオーブンに油を熱して玉ねぎを投入する。まずは今夜の飯で喜ばせなければいけないのに、あまりぐだぐだ考えながらではこの先失敗しかねない。これはステンレス製なので扱いは楽だが焦げやすくもある。仙道は丁寧に炒めることにのみ専念した。 戻ってきた牧は水と洗い終えた野菜、そしてみかんにしては少し大きい果物を簡易テーブルに置くなり手刀をきった。 「すまん、遅くなった。これはもらった新甘夏だ。ちょっと手伝っただけなんだが、礼だと持たされた」 「全然遅くはないけど、何手伝ってきたの?」 牧さんは日常的にもよく人助けをして、たまにお礼をもらってくるので驚きはない。一番最近では大荷物のご老人が駅の階段をのぼろうとしていたから荷物を全部運んであげたそうで、持たされた飴一袋を皆に配っていた。飴ちゃん配るおばちゃんかよとチームの皆に言われていたっけ。 「水を運ぶのを手伝っただけなんだが。なんだよ〜もう一品出来ちまったのか?」 皿へ取り出しておいた炒め玉ねぎを見て情けない声音を出すものだから、つい笑ってしまった。 「違う違う。これは下ごしらえ。まだまだ下ごしらえばっかすよ。戻ってきてすぐで悪いけど、ビール三本買ってきてくれます? シャワー棟の自販機にあるから」 「全然かまわんが、なんで三本なんだ? 越野はいないのに」 「一本は調理用。金はこの袋から出して下さい。最初に徴収したやつです」 「越野の金も入ってるんだよな……。まあいい、後でまとめて清算しよう」 独り言だったのか、牧は仙道の返事も待たずにすぐ行ってしまった。あれだけ歩いたあとだというのに足早に。 テーブルに残された二つのみかんは大ぶりで、ツルリとした黄色い皮を見ていると酸っぱそうで口内に唾液が滲んだ。 牧にピーラーで野菜の皮をむかせ、仙道はそれらを切る合間に先程の牛肉に小麦粉をはたいてダッチオーブンの中に放り込んで焼き色をつける。そこへ炒め玉ねぎと乱切りにした人参とジャガイモ。ビール一缶分と塩コショウとコンソメキューブを入れて蓋をし、焚き火台の中火程度の場所に設置した。 「これでシチューは終わりです。あとはゆっくり煮込むだけ」 「手際が良いなぁ。次は何をするんだ?」 「飯を炊きます。もう給水出来たんで火にかけるだけ。よいしょ」 火力の強い部分にライスクッカーを置くと、牧がちらりと仙道を伺ってきた。 「始めちょろちょろ中ぱっぱ……だったか?」 「あはは! 大丈夫、んな火力気にしないでいーんすよ。これは強火で沸騰させて、蓋から蒸気が出なくなったら弱火の位置に移して10分くらい蒸らしたら出来るんです」 「へえ、便利な道具があるもんだな」 「だからずっと見てなくていいんですよ。あとは急ぐことはないんでダラダラ呑みながらやりましょうや」 「本日二度目の乾杯だな」 「だね。綺麗な夕暮れと夕飯作りにカンパーイ」 簡易テーブルの上に置いたままだったビールでも日が暮れかけて気温が下がってきているためか、なかなかに冷たかった。 仙道はまた別の料理の下ごしらえがあるが、野菜と鶏や豚串を焚き火の上の焼き網に乗せ終えた牧に頼むことはもうなかった。 「俺だけ手持ち無沙汰でつまらん。なあ、何かすることないのかよ〜。なあ〜」 二人で宅飲みをしている時のような気分なのだろう。足を投げ出し簡易チェアに深く座っていた牧が、少しだらけた感じで足先を左右に振って聞いてくる。どこか幼さを感じさせる仕草がまた可愛いくて眉尻が下がる。 「ホントにまだないんだよね〜……。そーだなーお約束のお手伝いでもお願いしちゃおっかな」 「なんだ?」 「応援して下さいよ。『仙道くんがんばれ〜』とか『仙道くんナイス〜』とか」 「くだらねぇ。二人しかいないのにかえって白けるだけだろ。大体なぁ俺なんかに応援されて嬉しいかよ」 「嬉しっすね〜。そりゃもう世界中の誰に応援されるよかやる気でますね〜」 「全く心がこもってねぇな」 本音だけどあえて抑揚を消したのが良かったのだろう。牧さんは呆れ顔で座りなおすとおもむろに両手を上げた。 「フレーッフレーッ、せ・ん・どー。行け行けせんどー、押せ押せせんどー。ワー」 背筋を伸ばし、応援団のように真っ直ぐに伸ばした長い腕をキビキビと動かしているくせに、顔や声には全くやる気がない。そのギャップに仙道は虚をつかれたが、すぐにツボにはまり腹を抱えて笑った。笑いすぎて酸欠になる。 「し……死ぬっ……ヒー……ヒー……く、苦しいー!! ひっでー棒読み!!」 「せんどー負けんなー。チンタラしてんなオラァ、笑ってんじゃねぇぞゴラァ」 「なんで今度はドスきかせてんの?! ぶっは、あはははは!! 睨みきかせた低音応援すげー怖ぇ〜!」 「お前への黄色い声援と違って、俺への声援はほとんど野郎のこういう、あ、やばい。焦げる」 焚き火の火力は想像以上に強い。慌てて野菜や串をひっくり返そうとした牧は煙をもろにかぶってむせた。上体を引いた牧をかばうように仙道が素早く腰を上げる。 「俺がやり……ゲッフォ!! なんで急に風向きがっ」 「いいからお前は、っ、う、煙り酷いな。あっ! 豚串が!!」 煙に目をやられ牧の手元が狂い、串を一本火中へ落下させてしまった。更に灰は舞い散り炎が勢いづく。 「そいつは諦めましょう。残りを避難させるんです。こっちの熾火の方へ」 「くっ……了解だ。さらば俺の育てた豚串……」 牧の目尻にキラリと光るものを見つけ、仙道はその肩に手を置く。 「尊い犠牲でしたが、諦めたおかげで他の串や野菜はほぼ無事です。どうか泣かないで」 「これは煙のせいだ」 「いいんですよ、強がらなくても。さあ、豚串一号へお別れを言ってやって下さい……」 「豚串一号……味わってやれずすまなかった。安らかに炭と化せ」 牧が両手で合掌したため、また仙道は吹き出した。 「ノリ良すぎでしょ! こんなんあんたを崇拝するよそのチーム連中が見たら泣きますよ? なんなら越野だって」 「そんなに俺の追悼は感動的だったか」 「いや違うから」 ふざけている間に蒸らし終えた米は、牧が目を輝かせるほどふっくらと粒が立ち綺麗に炊けていた。 「お前凄いな……。炊飯器以外で飯がこんなに美味そうに炊けるなんて。しかも底の方も焦げてないとは」 ボウルにあけたご飯を団扇で扇ぎながらの手放しの称賛に仙道は苦笑する。 「飯盒より簡単なの見てたでしょ。さてこっからは手伝ってもらうんで軍手して下さい」 「力仕事なら任せろ」 「いーえ。飯をきりたんぽみたいな形に成形してもらいます。まずはテントん中の俺のザックから綺麗な軍手とってきて?」 「おー」 素直に従う背中に目を細めてから、仙道は切っておいた大葉とキムチとごまをごはんに混ぜ込み塩コショウ少々で味付けした。 軍手をして戻ってきた牧の両手にラップを広げて、味付きご飯を盛る。その上に割ったわりばしを乗せた。 「熱くない? 大丈夫?」 「平気だ。きりたんぽみたいにすればいいんだな」 「そうそう。ごはんで割りばしくるむように。形はそんなこだわらなくていいすよ。どうせ豚バラ肉で巻いちゃうんで」 「味付きご飯だけで美味そうなのに豚バラもか……。よし、こんなもんか?」 「うん、いい感じ。じゃんじゃんいきましょう! 飯全部やっつけますよ〜」 今度は味付ききりたんぽを豚バラ肉で全体が隠れるように覆い、網の上で焼き始めると二人の喉が鳴った。 「肉が焼ける香ばしい匂いや脂が落ちる様子ってのは、なんでこう食欲をそそるかなぁ」 炙られて肉から滲んだ透明の脂がオレンジ色の炎にぽたぽたと落ちる様に牧は釘付けだ。その横顔に仙道の頬がゆるむ。 「だよねー。しかもね、コレ塗ってさらに焼いちゃうから。ジャジャーン」 後ろ手に隠していた焼き肉のタレの小瓶を見せると、「絶対美味すぎるだろ。ランクアップ間違いなしじゃねえか」と牧が唸った。 全面にたっぷりと塗ってまた炙れば、甘辛いタレの香りと肉の脂の甘い香りが混ざりあい、二人の胃袋を痛いほど直撃する。 「一個だけ味見しようぜ」 「まだダメ。もう少し焼き目つけて照りがでたらもっと美味い」 「…………もう十分だろ〜テリッテリじゃねぇか。なあ〜一個だけ〜」 子供みたいにねだる口調など、彼の家で俺が飯を作ってる時でも滅多に聞けない。もちろん越野がいたら絶対聞けやしない。レアなラッキーに今日何度目かの感謝をする。 「本当はもうちょっと焦げめつけて香ばしさをプラスしたいんだけどなー。……はい、熱いから気をつけて」 「サンキュ。……はち、あっち、……美味い! 肉と味付きご飯がすげー合ってる」 はふはふと熱そうに、何度も瞬きを繰り返しながら頬張るこの姿だけでもう作ったかいがあったというものだ。 「そう? 良かった。そろそろシチューも開けてみようかな……。え、何?」 美味しそうな顔に深く満たされ、腰を浮かせかけた仙道の腕を牧が掴んでとめた。 「肉と米が一体化してて最高に美味いぞ。ほら、お前も味見しろ」 差し出された皿には半分残された肉巻きご飯。 「全部食っていいのに……。ありがと……」 食べさしを彼から出されたことなど初めてで。これは間接キスになるのだろうかと瞬時にバカなことを考えつつも口に入れる。 「美味いだろ」 炎に照らされながら目を細める牧を白い煙が包んで、その微笑みを更に甘く柔らかにする。まるで愛しい者と幸せを分かち合っているかのような……とても優しい微笑みに目を奪われる。 それでもなんとか咀嚼し飲み込んで「うん」と仙道が返すと牧は満足そうに頷き、立ち上がってダッチオーブンの方へ行ってしまった。 味見を半分コしただけなのにやたら甘い余韻を感じてしまい、仙道は自分の口元を手で覆って小声で呟いた。 「やっべ……。恋人通り越して新婚じゃんこんなの……」 頬の内側をぎゅっと噛んで眉間をぐぐっと狭め渋面をつくる。でもそんなことくらいでは顔面崩壊を防ぐことはできなくて、仙道はとうとう両手で顔を隠すしかなかった。 蓋を開ければ大量の湯気と同時に牧の「おお!」という歓声があがった。 ダッチオーブンの中でゴロゴロの牛塊り肉や大きめに切った野菜がブラウンのシチューの上に顔を出し、ランタンの光を浴びてキラキラと美味そうに光っている。箸でジャガイモを刺してみると手ごたえもなくスッと刺さった。しっかり中まで火が通っている。 「シチューっていうから白いもんだと思ってた。ビーフシチューなんだな」 「牛モモ肉のビール煮って名前だったかな? ビールの酵母で肉が柔く煮えるらしいんすよ」 味見をして醤油も少々足してみる。ぼやけていた味が引き締まって、仙道は頷きながら牧にスプーンを渡した。 「どう?」 「美味い。見た目はビーフシチューっぽいが、味が全然想像と違った。何味っていうんだ?」 「うーん……コンソメ味? いや、牛肉入ってるからビーフコンソメ?」 話しながらも仙道は牛肉だけを箸でつまみ出しては小さいボウルにひょいひょいと入れていく。 「何してんだ?」 「肉を半分取り分けてんの。半分は明日の朝飯に使おうと思って」 「先々考えてるなあ……」 ひどく感心しきった声音と視線に照れくささが勝った仙道は、顔をそむけて指で示す。 「牧さんは焼き鳥と豚串に追い塩コショウして下さい。取り皿も出してね」 「了解」 料理全てが並ぶとなかなか見事な食卓ができあがり、仙道は安堵の吐息をついた。 「うっし。けっこう時間かかっちゃったけど、食いますか。あ、ビールがないか。俺買ってきますから牧さん先に食べ……牧さん?」 テーブルの上を凝視していた牧が少し困ったような顔で振り向いた。 「今気付いたんだが……。昼間釣った魚の半分、持ち帰ってきたよな?」 「あ!!」 「クーラーボックスに突っ込んであるけど、明日もいけるのか? 魚に保冷剤入れてもらってはいたが」 「あんな小せえ保冷剤なんてもう……。明日だと完全アウトです」 シチューに使う野菜を少しわけて一緒にホイル焼きにして一品増やそうと思っていたのにすっかり忘れていた。今残っている野菜は明日の朝用だから手はつけたくない。 「うわー失敗した……」 初めて作る料理に気をとられて、すっかり三枚おろしにした魚のことなど失念していた自分にがっかりする。 「仙道? そんなに落ち込むことじゃないだろ? 今から塩ふって焼けばいいじゃないか」 「塩焼きは昼に食ったでしょ」 「同じだっていいだろ」 それでは目新しさがないから牧さん喜ばないかもしんねーじゃん……と喉まで出かかったところで閃いた。 「俺、今から魚焼くんで牧さん先に食ってて下さい」 「やだよ。一緒に食いたい」 即答されてまたもキュンときてしまう。もしこのキュンというのがキューピッドの矢みたいないものだったら、今日の俺は確実に矢の刺さりすぎでキュン死してるだろう。 「飯食ってから魚焼いて、明日の朝飯にしたらどうだ? 焼いとけばもつだろ」 「うん……。けどそんな手間じゃないから、食いながら焼きますわ」 「俺はビールはもういらんが、お前がいるなら買ってくるぞ?」 「俺もいらねーす。でも冷たい烏龍茶飲みたいかな。お願いできます?」 「おう。飲み物何本かみつくろってくる」 軽いフットワークにまたも感謝しつつ、仙道はクーラーボックスへ駆け寄った。 先程牛肉に使った残りの小麦粉が入ったビニール袋に塩コショウをしっかりめに追加し、三枚におろした魚を入れて振る。フライパンに少し多めの油を熱して、揚げ焼きに近い形で外側をパリッと…… 「串に刺して焼かないんだな。あ、すまん。驚かせた」 背後から突然声をかけられ、料理に集中していた仙道は肩を跳ね上げていた。 「びっくりした〜。随分戻り早いすね。金持っていくの忘れ」 話しの途中で牧がテーブルを指さした。見れば二本の烏龍茶のペットボトルと三個の紙パック飲料があった。 「手伝おうと思って走っていってきた」 全速力でも出したのか、よく見れば額の前髪が乱れて肩を僅かに上下させている。─── なんなのあんた俺の忠犬なの? そんなキラキラ目を輝かせちゃって、なんて可愛い俺だけの大型 「ワンコ……」 「え? あ、おい、油って熱し過ぎたら危険じゃないのか?」 「あっ! うん、そうなんですよ」 慌てて小麦粉をまぶした魚を入れれば派手に泡がたった。ギリギリセーフだ。 「フライか?」 「そんなに油がないから揚げ焼き。ニジマスのムニエルにしてみました」 「へえ、凄いな。お前がこんなに料理できるって知らなかった。いや、出来るのは知っていたがレパートリーがこんなにあるとは」 「魚のムニエルなんて小学生の調理実習メニューすよ〜。と、ここでバターを投入。牧さんもやったでしょ?」 「覚えてない……。違うの作った気がするなぁ」 魚を返してみるとやはり油が熱過ぎたようで、キツネ色よりも黒っぽい……タヌキ色? 「失敗した。バターって焦げやすいんだよなぁ」 「全然だろ。美味そうな焼き色じゃないか。よく焼けてて安心だ」 牧さんの力強い返事に励まされ、なんだかその気になってくる。 「そっかなぁ」 「上出来上出来。生焼けよりずっといいぞ。あ、さっきから見てるだけで何も手伝ってねぇな俺」 「すっげー手伝ってくれてますよ」 何をというように首を傾げられて、我慢しきれずにふざけたふりでその肩を抱く。 「お・う・え・ん。してくれてるでしょ?」 ね、とわざとらしくニッコリまでしてみせたのに、予想した軽口や呆れた苦笑いが飛んでこない。それどころか驚いたように固まられてしまい戸惑ったが、油を使っているのであまりよそ見もしていられない。 仙道はまたフライパンに向き直り揚げ具合を確かめる。最初揚げすぎたせいでオセロのようだが仕方がない。こんなもんかと皿に取り出し、身の上にバターを少量追加でのせてまんべんなくのばす。少量でもこれで風味がしっかりつく……はずだ。 「さーて出来ましたよ〜。遅くなっちまったけど今度こそ食べ……あれ? 牧さん?」 さっきまで隣にいたはずなのにと辺りを見回したが姿が見えない。 「まーきさーん? 出来ましたよー? 牧さぁーん?」 「おー……」 テントのむこうから声が聞こえて振り向けば、のっそりと牧さんが現れた。 「あっちで何してたの?」 「…………なにも。焚き火で暑くなったから涼んでた」 話しながらも何故か牧さんはこちらを見ない。もしかしたら大きな虫でも見つけて逃げだしたのだろうか。さっき固まっていたのは俺の背後に巨大な蛾でも飛んでいたに違いない。助けを求めようにも俺は調理してるし、逃げるしかなかったのだろう。それで追及されたくない察してくれという雰囲気なのかな……。 「焚き火の煙は虫よけ効果があるから」 牧の椅子をもっと焚き火の近くに寄せようとしたが止められた。 「いい、いい、かまうな。それより食おうぜ! いい加減腹減って死にそうだ」 「そっすね。すっかり遅くなっちまったけどもう他に用事もないし。ゆっくり食いましょう!」 やっと目を合わせてくれた牧さんは、まだ少し困っている感が残る顔ながら頷いた。大丈夫、もう怖い思いなんてさせません。これからは大っぴらに、もっとあんたを大事にも優しくも出来るんですよ俺。だからもっと遠慮しないで頼ったり甘えてもらいたいんだよ。 (意識して、俺を。頼って、甘えて、そんで好きになって選んでよ。俺の方を) 熾火のおかげでまだ熱々のシチューをよそい直して仙道は牧へと手渡す。 「熱いから気をつけてね。おかわりいっぱいあるから、沢山食って下さい」 「ありがとう。美味そうだ」 蓋をはずしたペットボトルの烏龍茶を仙道に渡した牧は「今夜の豪勢な飯に乾杯」と、自分のをぶつけてきた。グラスと違い間抜けな音がして仙道は笑った。 * * * * * * 後片付けが一段落したものの、まだ焼き肉臭さや焚き火の煙り臭さが残る。昼間の汗ともども流すべく今夜もシャワーへ足を運んだ。行きよりも帰り道はまた一段と足元は暗さを増し、時折吹く風は山裾の夜らしい寒さを感じさせた。 「冷えたね。日中はあんなに暑かったのに」 「髪の毛よく拭いたか? しっかり拭いておかないと風邪引くぞ」 「大丈夫だよ〜。ほら」 自分の髪に手を突っ込んでワシャワシャと荒くかき回すと、牧の手が軽く髪に触れた。 「まあまあだな。……ッ、クシュン」 「あんたの方が風邪ひきそーじゃん。走ろっか、戻ったらコーヒー淹れますよ」 「こんな真っ暗な中で走るのは危なくないか?」 「じゃあ手ぇ繋いで早歩きする? あ、走った! なんだよ待ってよ、置いてかないで下さいよっ!」 マイクロストーブで湯を沸かしコーヒーを淹れると、ほろ苦く芳醇な香りが冷たい夜気を仄かに和らげる。 仙道はカップの湯を捨てコーヒーを注ぐと、湯につけておいたスプーンに角砂糖を乗せブランデーをしみこませて火を灯した。縁にひらひらと淡い紅梅色を纏わせた青く静かな炎が音もなく砂糖を溶かしていく。 「同じアルコールなのに昨日のデザートの炎とはまた違う、随分と上品な感じだな……。砂糖が溶けてもまだ燃えてる」 「スプーンの上で炎が浮いて見えるね…………あ、消えた」 スプーンを沈めて混ぜて手渡すと、牧は礼を呟いてから口をつけた。 「……深みが増したというか上手く言えんが好きな味だ。これがカフェロワイヤルというものか。砂糖が入ってるのにくどさがないんだな」 「そうだね。俺も砂糖入りは苦手だけど、これはいいね。初めて作ったわりに上手くいったのかも」 「寒い夜にぴったりだ」 昼間に密かに作り方を検索したかいがあったと、仙道は胸中で思う。喜ばせたい、いい思い出になりそうなことは片っ端からやりたいと必死な自分はまるで思春期のガキのようだ。それでも。 「こうして……星空を眺めながら飲むのは贅沢だ」 彼の穏やかな横顔を瞳に焼き付けてから、ブランデーが豊かに香るほの甘いコーヒーを楽しむのは確かに贅沢な時間だと噛みしめていたのに。 「越野もいれば喜んだだろうな」 二人きりに喜びを感じるのは自分だけだと水をさされたような気がして。 「あんた以外の野郎になんて作りませんよ」と、つい強い口調で返してしまっていた。 意味深な言葉だが、普段の鈍い彼なら目を瞠ることすらなく『調子がいいな』と鼻で笑って流すだろうに。 「…………」 意外にも牧さんは唇を薄く開け、濃い睫毛を数回瞬かせた。その反応に顔には出さなかったが俺は驚かされた。こんな程度の言葉で意識をしてくれるなんて。この非日常的な深い夜の雰囲気が功を奏したのか、それとも男と恋愛をするようになったせいなのだろうか。 次の言動が激しく気になり鼓動が早まる。相棒や先輩として喜んでみせるか、それとも遠回しに不快を冗談に混ぜて返す? それとも……。 渦巻く胸中を至極真面目な表情で隠して見返す仙道の前で、牧の唇が動く。 「……確かに、こういうのは女性ウケしそうだよな」 自分の言葉にうんうんと二度ほど頷いてから、牧は再びコーヒーを飲みだした。 肩透かしをくらった感はいなめないけれど。一瞬でもこの好意に鈍い人が俺を意識したのは事実だ。間違いなく一歩前進だと仙道は己を落ち着かせる。 「……うん。でも女にもやんないけどね」 「じゃあ俺はご相伴にあずかれて光栄だな」 言ってることは最初に戻ったけれど、意味合いは変わってしまった。もしこれが計算だとしたら舌を巻くが、天然なのがわかっているから別の意味でお手上げだ。 「そっすよ。あんたのためだけに入れた特別中の特別なんで、うんと味わって下さいよ」 「随分と恩を着せるな。まあその価値のある美味さだが」 笑う瞳が心なしか嬉しそうに見えて、今はこれで十分だと仙道も一緒に笑った。 * * * * * * テント出入り口を閉じるとLEDランタンだけが光源の、水色の空間が出来上がる。越野一人が欠けた以外は昨夜と何ら変わらないのにやけに広く感じ、密室で仙道と二人きりだと無性に強く牧に意識させた。 牧は頭を切り替えたくて荷物を漁ってみたが、当たり前だが何もない。本でも持ってくればよかった、することが無く間が持たない。自宅や仙道の家では二人でよく過ごしているのに、何故か今はひどく落ち着かない。もう寝てしまいたい気もするが流石に早いかと迷っていると、項に冷たい風を感じた。僅かな隙間を窓のファスナー部分に発見する。昨夜は半分ほど窓を開けて寝たというのに、山裾の気温変動は随分と激しい。 「寒いすね。もう一回火をおこしましょうか。外でも火にあたった方がマシかも」 ファスナーを閉める牧の背に気遣う仙道の声がかけられた。 「もうすぐ寝るんだ、そんなに気を遣うな。五月だってのに日中が暑過ぎたんだ」 「そうだけど……」 仙道の頬が白いのはLEDの光のせいだけではないようだ。自分が寒いのだろう。 「こっち来るか?」 牧は肩にかけていた寝袋の端を掴んで腕を上げた。仙道は四つん這いでやってくると、その腕に背中を預けるようにして座りこんだ。驚くほど密着されて右腕の所在に一瞬迷ったものの、肩を組むぐらいはおかしくないだろうし体温を分けてやる目的なのだからと。自分に言い訳を必要としながらも仙道の肩を右手で抱いた。 「……牧さんの手、あったけー。気持ちいい」 すり……と猫のように二度ほど頭を擦り寄せられて牧の心臓が騒ぎはじめる。 「あまりそう寄るな。……調子が狂う」 「なんで? どんな風に?」 ますます体重を預けるようにくっつかれて牧は困ってしまい、寝袋をしっかりと仙道の肩へかけてから右手を引っ込めた。 しかし仙道の硬いながらも質のいい筋肉をまとった肩の感触は掌から消えてくれない。強く指を何度も握り込むことで無理やり感触を打ち消してから、牧は渋々口を開く。 「いいから、もう少し離れろ。窮屈すぎる」 「……牧さんはさ、俺に笑っていて欲しいって思ってくれてるんだよね?」 急に昨夜の会話を持ち出されて戸惑う。あの時はまだ仙道を意識していなかったから言えたことだ。意識してしまった今なら……今ならば笑っていようがいまいが全部まるごと仙道が欲しい。そんな気持ちの変遷など欠片でも言えないから、答えにならない返事をする。 「なんだ突然」 「あったかいと顔が緩みません?」 足の間に下ろしていた牧の右腕を仙道が掴んで己の腕に抱き込む。 「お、お前、なにすんだよっ」 「この方があったけー」 にっこりと向けられた笑みに、腕を引き抜こうとした牧の動きが止まる。 「牧さんも俺で暖を取って緩んでよ」 狡猾だなと思いはしたが甘えられることに喜んでしまっている自分に諦め、されるがままにした。 冷えるという理由で身を寄せ合うのは別に不自然ではない。たとえ腕を抱き込まれて互いの身体の側面をぴったりと密着させていようとも……。 そう自らに胸中で何度も言いきかせては体を固くしている牧とは対象的に、仙道は至極リラックスした様子でのんびりと昼間の釣りの話をしている。 「そーいえばさぁ、牧さんいきなり脱ぎだして体拭いてたよね。自由人〜」 「そんなこと…………したか」 「サーフィンやってるからすかね、外で脱ぐのに抵抗ないのって」 あの時仙道の視線を感じたのは、川釣りとはいえ人目もある中で脱いだ俺を苦く思っていたのかと反省する。上だけだがマナー的によくなかったのだろう。 「悪かったよ。今度は気をつける」 「全然悪かないすよ? ……でもまあ、目の毒ではありましたけど」 どういう意味だと問う前に、仙道がもぞりと身じろぎをした。その動きで牧の掌が仙道の体に押し付けられる。 「っ!? す、すんません!」 放り出すように右腕ごと解放され、二人の間に距離ができる。 急に離れ、顔を隠すように体ごと少し背中を向けた仙道の理由を牧はわかってしまっていた。一瞬だがしっかりと掌に感じたあの弾力と熱は……同じ男だからこそわかってしまう、アノ状態のソレの感触だったからだ。 今日はみっちり遊び倒した。昨日の疲労もいくらかあるだろう。疲れマラだと同性ゆえにわかる生理現象なのに、漸く収まりかけていた牧の心臓はまた激しく自己主張を再開する。それと同時に不埒な考えが頭を横切った。 (もしかしらた今が仙道の恋愛対象範囲を知るチャンスじゃないか?) 俺たちは恋愛や下ネタ話をする性格ではない。だから常では探りようがないが今のこの状況だ、俺が下ネタを言っても気まずさを払拭する冗談だったで通せそうじゃないか? 気が動転してる今の仙道が返す反応にはきっと本音が混ざるはずだ。こいつが男も恋愛対象としてみれるかどうか。いや、そこまでは無理でも同性同士に嫌悪感を抱くか否かくらいは判断がつくだろう。 性格を疑われるリスクは少なく、情報を得られるメリットはでかい。仙道が男は無理だと今知れれば、早期失恋早期復活できる。しかも百億万が一、嫌悪感がなさそうだったら希望だって芽生えもする。 頑張って作ってくれた立派な夕食や俺にしかあのコーヒーは作らないと言った真剣な眼差し、腕を抱き込まれての密着にすっかりのぼせ上がっていた俺は。昼間にカフェデートなわけがないと苦い顔をされたことも忘れ、仙道のソレに触れ瞬間沸騰しイカレた頭に浮かんだ愚策を常にないトリッキーな妙案だと錯覚した。それをこの気まずい雰囲気が消える前に実行せねばと焦った結果。 「ソレ、疲れのせいだろ。俺が抜いてやろうか」 あと一秒でも冷静に考えていたら絶対言わない下手を俺は口走っていた。 *next : 08 |
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東日本では「軍手をする」で、北海道では「はく」。西日本は「はめる」。他「つける」もあるそうな。
私は「する」「はく」両方使います。色々あって面白いけど小説書くには少し迷いますね。 |