Let's have fun together. vol.02
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テントの前に張ったタープと呼ばれる布製屋根の下、持ち込んだコンパクトチェアにそれぞれが座った。この瞬間がキャンプのセッティング終了のようで、越野は気に入っている。 ペットボトルの烏龍茶を簡易テーブルに置いた越野は、周辺の簡易地図を広げた。 「今から山頂まで往復すると晩飯作る時間がキツくなるんで、見晴台までにします。帰り道に食堂とかあるんで、そこで早めの晩飯をすませます。飯は明日派手にいく予定……まあ明日の話は夜にでも。これから出発地点の大山ケーブルバス停そばの駐車場まで車で行きます」 「詳しいな。何度か行ってるのか?」 「俺は三度目、仙道は二度目す。山頂行くには途中までケーブルカーに乗るコース。全部徒歩の女坂コースと男坂コース。あと裏を登る、の4つですね」 地図の上で指先を走らせるれば牧が手元を覗き込んできて小さく頷く。 「牧さんはケーブルカーを使って阿夫利神社駅で降りて参拝でもして待ってて下さい。俺たちは男坂登るんで、神社駅で合流しましょう」 眉間を僅かに狭めた牧が顔をあげる。 「なんでだよ。俺もお前たちと登るよ。俺だけ先行ってどうするよ」 想像以上に牧の機嫌を損ねたため、越野は仙道と目線を合わせたが、仙道の口が開かれる気配は全くない。少々怖さを感じつつも、越野は仕方なく説明をはじめる。 「えーと……あの、だって牧さんせっかくの休暇なのに、山登り全部付き合わせんの申し訳ないつーか。下りだけでもけっこう大変だし、神社駅からも少し登りもあるんですよ。だからその、」 「余計な気遣いだ。俺はお前らのペースに全面的に合わせるが、仮に俺が不慣れで遅ければ、置いてってくれてかまわない。一本道なんだろ? 迷う心配もないんだ。俺も行く」 越野は地図と牧を交互に見ながら首を傾げた。 「石階段や岩場とか荒れた感じの道が多いから、普段走ってる平坦道とは勝手が違いますよ?」 「だからトレーニングになるんだろ。俺を客扱いするのはやめてくれ」 譲る気のない牧を暫く不機嫌そうな顔で見ていた仙道だったが、根負けしたように溜息をつくと越野へ顔を向けた。 「三人でなら……ヤビツ峠を通るコースで山頂目指すか。イタツミ尾根を登れば片道一時間半くらいだろ」 「うーん……ヤビツのバス停に駐車場二箇所あるにはあるけど。今から山頂って少しキツくね? あ、でもケーブルカーで降りればいいか」 「お前たちは男坂を登りたいんじゃないのか?」 「や、別に。俺は一回登ってるし。越野は二回か? ヤビツ通る方は裏参道だから、途中見どころ的なもんはないんすよ。でも表参道降りれば少しは店もあるし、バスで麓までいけば晩飯どころもあります」 「帰り少し遅くなるけど、それでいくか。問題はヤビツに停めた車の回収だよな〜。何時まで駐車できんのかなぁ」 牧が仙道を見ながら片方の口角を上げる。 「……なんすか」 「いや、邪魔者に随分と気を遣ってくれるもんだからさ」 「あ、本人に言っちまうんすね」と越野が笑う。 「邪魔者なんて言ってねーでしょ…………」 仙道はきまり悪そうな顔を俯けて、手にしていたタオルを意味もなく捩る。 「帰りもそのまま同じ道を戻ってくればいいだろ。それから車に乗って飯を食いに行けばいい。俺は物見遊山をしに来たつもりはない。トレッキング初心者の俺をビシビシしごくつもりで引き回してくれよ」 「体力はあんたの方が上じゃないすか」 「平地でなら、な。山では知らん。仙道先輩、越野先輩、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします」 両手を両膝におき、牧がふざけて軽く頭を下げると越野が慌てて立ち上がって止めた。 「冗談でもやめて下さいよ〜。こんなん誰かに見られたら俺がヤバいじゃないすか。……いねーよな、バスケ関係者とか牧さんのファンとか」 キョロキョロと周囲を見回す越野の横で、仙道は口元をわかりやすくひん曲げた。 「……わかりましたよ、じゃあ往復ヤビツ峠のイタツミ尾根コースで。帰り道でつまらんとか飽きたとか言わないで下さいね。本当になんもねーとこなんすから」 「もちろん。なんなら疲れたとか弱音は一切吐かないことも約束しておくが?」 ニヤリとする牧へ仙道はもう一度、溜息だけで返事をすませる。 「ちょっと〜。今から頂上まで往復しなくても明日って日が…………って誰も聞いてねえし」 二人で話がついてしまったようで、それぞれチェアを畳みだしている。越野はどちらへともなく溜息を零すと「二人して勝手だぜ」と口先を尖らせた。 ヤビツ峠の駐車場は下山した者が戻ってくるタイミングと合ったようで、思っていたより空きがあった。車を停めようとハンドルをきっていると、牧が後部座席から尋ねてきた。 「キャンプ場から駐車場まで歩ける距離だよな?」 助手席の仙道は黙ったままなので、越野が返す。 「徒歩だと山頂まで片道3時間になっちゃいますよ?」 牧からの返事がないため、歩くために来たんじゃないのかと思われているように感じて、越野は仕方なく続ける。 「現役プロ選手と違って俺は一般人なんで、往復6時間も登山してクタクタの状態でキャンプ泊なんて。そんなんはごめんですね」 「ああ、誤解させたな。今日明日の話じゃない、ただの興味で聞いたんだ。今から6時間もかけていたら、山道など真っ暗で危ないだろ。俺もそれは遠慮被るよ」 ただの会話のひとつだったのに、つい卑屈さが出た自分。なのに穏やかな返答をされてしまい、急に恥ずかしくなった。返事に窮し下唇を噛んでいると、仙道が鼻で笑いやがった。 「笑ってんじゃねー」 左手で仙道の太腿を音がなるほど強く叩いてやったら、後ろで牧さんが「痛そうだ」と笑った。 バス停付近の登山口から仙道を先頭に、越野、牧の順で登ることにした。通常初心者は真ん中の方が良いが、牧が「最後尾が気楽でいい」と言い、彼なら問題ないだろうと仙道が判断した。 最初は断続的にだが階段も整備されている登山道なので歩きやすい。両脇の樹々の緑の間からは水色の空が見える。久々の山登りに上々な天気が気分を高揚させる。 仙道の後ろを登りながら、このルートのことを少し牧へ説明していた越野だったが、牧から早々に気を遣わなくていいと言われてしまった。何かあったら声をかけて下さいと伝えてからは、素直に登山に集中した。話しながら登るのは好きだがペースが落ちる。前を行く仙道の足が早いので、話す体力すらもなるべく温存しておきたかった。 階段の一段一段に敷かれた、歩きにくい大きく平たい石に足を捻らないようにしつつ、越野はひたすら登った。歩きやすい道にくると野鳥の声も耳に戻ってくるが、完全に緊張はとかず、かなり先を行く仙道に近づくべく足を早める。けれど鎖場とよばれる、設置されている鎖を頼りに登るしかないひどく荒い、もう道とは呼べない荒れ坂ではまた大幅に時間や体力を削られた。 そんな繰り返しに疲労感が増していくのと比例して、現実逃避なのか昨日のことが頭の整理でもするかのように次々と浮かんできた。 昨夜は二年ぶりに神奈川へ戻ってきて、一ヶ月前の約束通り仙道のところに泊まるべく向かったのに、まさかの不在。携帯に連絡を入れるも無反応。先週末に一度キャンプの件で確認事項をメールしあってもいたから連絡を入れずに直接来たのは失敗だったかと本気で青ざめさせられた。 玄関前で立ち尽くす俺の前に、ビールだけ入ったビニール袋を片手に仙道がのっそりと現れた。一瞬安心したせいで余計に腹が立って怒鳴り散らせば、『忘れてた。悪ぃ、キャンセルさせてくれ』ときた。勝手なこと言うなと雷を落とそうとしたその時になってようやく、俺は様子も見た目も何もかも、仙道の全てがおかしいことに気付いたのだった。 直接会うのは一昨年に開かれた高校バスケ部同窓会以来だが、今年のファーストシーズンのTV中継で何度も仙道を見てきている。この変化は捻挫をして戦力外となってからだとすぐにわかった。でもそれが理由とは思えないほど劇的な変化過ぎだった。 怒りを一旦抑えて何かあったのか聞いても『……ちょっと』と濁す。理由言わねーと約束忘れてたこと末代まで許してやらねえぞと睨み続けてどれくらい経ってからだったか。『……失恋しただけ』と、全く予想外なことをぬかしやがったのだ。 信じられなさ過ぎてつい、誰にいつから片思いしていた等としつこく聞いたが、完全にだんまりで。とにかく家に上げろとせかして入ってみれば、本人同様に室内は惨憺たる有様。寝る場所ねーじゃねーかとまた怒りながら片付けたテーブルの上は、カップ麺の容器とビールの缶だらけ。まともな食事もできなくなるほど思い入れてた相手に失恋したのが伝わってきて、ほんの少々同情してしまった。 片付け終わっても仙道はベッドに横になったまま、ミリも動かねー。掃除の礼に飯奢れ道案内くらいしろとケツを蹴って連れ出した帰り道に、牧がいたんだった。あんなところに川崎コルセの二枚看板が揃って、俺はひどく興奮した。 何であんなとこにいたかは知らないが、変な仙道を目にして心配してるのは伝わってきた。こんな状態の仙道と二人キャンプなんて最悪だと思っていたところに、飛んで火にいる夏の虫。いや、飛んで火にいる夏のダンプ。彼を道連れにして、不機嫌野郎を同じチームのよしみで押し付けようと思ったんだ。少しでも俺が楽しく快適にキャンプするべく、強引に誘ったんだった。 越野は後ろから聞こえてくる規則正しい、全く疲れを感じさせない足音に眉をしかめる。 だからあんたには仙道の面倒以上の期待なんて全くしてなかった。でも高校時代、魚住主将が『牧はあの強面ながら実は穏やかで面倒見が良い性格だ』と自分の顔を棚に上げて言ってたのは本当だったようで。あいつにもさわり過ぎず放置し過ぎもせず、何故か俺なんかを立ててもくれて。気さくで話しやすくて、会社の仲がいい先輩とキャンプしたらこんな感じかなっつー感じで普通に楽しいんだもんな……。 (そうだよ、強引に誘ったのに。予想外にいい人でラッキーなのになんで俺、苛立ってんだ?) 急登のわりには比較的登りやすいはずの登山道は、前に来た時よりもやけに登りにくく感じる。昨夜遅くまで飲んだせいだろうか。こう足が重いと、これから先に急坂が待ち構えてることもあり、気持ちまで重くなってしまう。 額から滝のように流れる汗が目に入って足を止めると、後ろから声をかけられた。 「少し休憩しようか。荷物持つぞ?」 「……い、ら……ないっす。へーき……す」 全く息を乱すこともなければ、車の中にいた時となんら変わらない口調にまで苛立ってしまう。 後ろのペースを気遣うこともなく先を行ってしまった仙道の背は随分前から見えやしない。 そういえばあいつは昔から勝手だった。高校時代、授業も部活も一年の頃から遅刻は常習、平気でサボる。部のキャプテンになっても『各々の自主性を尊重しよう』とか調子のいいことを言いながら、自分の自主性を尊重してやがった。後輩への指導だって『褒めて伸ばす』とか言って、『いーね』『ナイス』くらいしか言えやしねえくせに。つか褒めてばっかいたって統率とれねーから、結局は副キャプの俺が叱り役になってたんだ。バスケは確かにズバ抜けて上手いこいつより、部のことを考えて動ける俺こそがキャプテンになるべきじゃねーかと腹も立てた。 そんな当時の、まだまだ青かった自分を苦々しく思い出してしまえば、舌打ちのひとつも出ちまうのは仕方ないだろう。 こんなペースじゃ山登りの楽しさは感じられないのかもしれない。彼は仙道よりも体力があるようだし、本当は仙道と同じペースで登りたいはずだ。それなのに文句も言わなければ、苛立つ素振りも見せない……のが、また癪に障る。たった一つしか年など違わないのに、その余裕はなんだ? 体力がそうさせるのか? ああでも体力があったって仙道のようにあっさり置いてくのもいるか。そうだよ、いっそ俺なんて抜いてサクサク登っていきゃいいじゃねーか。どうせすげートレーニングを毎日ガンガンやってんだろ。ああ忌々しい、この体力オバケどもが。 俺だって大学でバスケも少しやってたし、社会人になってからも……つーても先月からだけど、週イチで活動してる社会人バスケチームにも入ってんのに。嫌になる……なんだって俺はこんな卑屈になってんだよ。俺だって仕事で疲れてても週一バスケはサボんねーで頑張ってんのに……。 だんだんと思考がぐだぐだになって入り乱れてきた頃、規則正しいペースで後ろから聞こえていた足音が急に消えた。 「あれは……富士山か? こんなとこからも見えるんだなぁ」 牧が立ち止まって景色を眺めているのが振り返らなくてもわかる。この機に少しでも距離を稼ぎたい。一定の距離を保ちつつ、全く息を切らすことなくついてこられるプレッシャーから逃げたい越野は、流れ落ちる汗を乱暴に手で拭い、相槌を打つこともなく足を動かした。─── いや。動かしたつもり、だった。 「なあ越野、お前も富士、あ!!」 呼びかけられた時には俺の足の下には踏んでいるはずの石の感触はなく。視界は石と土の道ではなく、真っ青な空と眩しい緑のみに切り替わっている。ほんの一瞬がやけにスローに感じることが試合中とかでまれにあった。でも今ここでそれが起こっているのは、やばい。 (俺、終わった?) そう思ったのと、硬いウレタンフォームクッションのようなもので体を包まれたと感じたのは、ほぼ同時だった気がする。 「大丈夫か!? 越野?!」 頭上から男の声。腹に回されている褐色の長くて力強い腕。 「……あ、あれ……俺」 「足を踏み外した時にバランスを崩して仰向けにひっくり返ったんだ。足首捻ったりしてないか?」 言われて漸く、自分が彼の胸に背中からすっぽり支えられていることに気付く。 「わ。や、あ、あの、だっ大丈夫っす。すんま、うわわっ」 宙に浮いていた片方の足を慌てて地に下ろし、距離を取ろうとしたらバランスを崩しかけてしまい、今度は自分から彼の腕にすがった。 「足元よく見ろ。危ないぞ」 少々咎めるような声でやっと越野の視野は平常に戻った。まばらに設置されている石段の角は細い丸太で作られており、自分はそこに足を引っ掛けるか滑らせるかして落ちかけたのだと理解する。あの時確かに俺は空を見た。後頭部から落ちるところを、彼が後ろから受け止め助けたのだ。ゆっくりと空が小さくなって緑が周囲から増えていく視界を思い出して、急に身震いが走る。こんなところで後頭部を打ち付けたら、確実に死んでいた。 「……助けてくれてありがとうございます。あの、でも俺、あん時牧さんと石段数段分距離がありましたよね?」 「ん? あぁ。富士山をお前も見ろよと声をかけようとしたんだ。その時にふらついたのを見て、ヤバそうだと思って走った」 「いや、だからって距離は……」 「そんな開いてないだろ。だって俺はあそこから富士山を……」 二人は振り返り、樹木の隙間がある場所を目視する。 「…………少しある、かな」 「かなりありますよ……。え、マジあそこからここまで一瞬で駆け上って俺をキャッチしたんですか?」 「そうなるな。驚きの方が大きくてどう登ったかは覚えてないが。まあいいじゃないか、間に合って助けられたんだし」 「その言い方変すよ。俺は責めてないんすから。こっからあそこまでの距離を、俺の落下速度が……えーと……」 まだパニックの余韻で激しいままの鼓動のせいで思考がままならない頭に、大きな手がポンッと軽く乗せられる。 「いいって。それより少し休もう。……そうだ、せっかくだからお前も見ないか?」 牧はまた振り返り、先程彼がいた場所を指差す。なんでそんなに富士山を見せたいのかと、なんだか可笑しくなってしまった。 声もなく笑う俺に、彼は一瞬何で笑われているのだろうという顔ののち『あ』と唇を形作る。 「……越野はここを通るのは初めてではないんだったな。見たことあったか」 「前回は曇りだったんで見てないんで、俺も見たいです」 さらりとついた嘘を彼は軽い笑みで受け流す。その瞳に日が差し、少し色味が薄いことに初めて気付かされる。 「そうか。足元気をつけろよ」 「はい」 石段を先に降りていく広く逞しい背中へ、越野は苦笑いで頭を下げた。 雲もかかっていない富士山はスッキリとしていた。しかし富士山に特別な興味もないため、すぐに満足してしまった。もう動悸もおさまっている。 「そろそろ行きましょう」 「そんな焦らず、もう少し景色を楽しんだらどうだ?」 ちょっと心配そうに首を傾げられ、この人は富士山どうこうではなく俺に休憩を入れさせたかったのがわかってしまった。 「もう俺、大丈夫ですから。心配かけてさーせん。牧さん先行って下さい。俺はゆっくり行きます」 「俺は初めてだから、ゆっくりの方が景色を楽しめていいんだ。後ろが気楽でいい」 「景色……同じような岩と土と緑ばっかすけど」 「野鳥もけっこういるよな。眼鏡持ってくればよかった」 「視力悪いんすか? コンタクトは?」 「試合の時だけ。0.7だから普段そう不自由はないんだが、野鳥は小さいよな〜動きも予測できないし、しかも素早い」 「はは。すね」 「もう少しペース落としてくれると、ゆっくり見れていいんだが」 あくまで自分のためを装い、相手を気遣う。実年齢の差以上に人としての器の差を感じさせるこの人に、俺は返す言葉が探せない。本当は登りを再開したいけれど、苦笑いで会釈をした。 「じゃあ、そうします」 頷いてまた前を向いた彼の横顔は穏やかだから、きっと今の俺の返答は正解だ……と、思わせてもらうことにした。 腰を据えて眺める景色は天気が良いせいか少し色濃く映る。表尾根や南アルプスなど様々な山の中で、ぴょっこり飛び出た富士山だけが山頂に雪を冠している。絵葉書にするには山だらけでイマイチだけど、なかなか悪くない眺めだ。 最初はどんどん遠ざかる仙道の背中や、思いのほか重たい自分の身体にばかり気を取られ。仙道の欠片も見えなくなってからは景色を楽しむ余裕なんてなかった。視野は狭まり、息はやたらにあがり、歩幅だけ無駄に広がっていたように思う。 そういえば高校の頃も、仙道と自分を比較しては自分の不甲斐なさに腹が立って、八つ当たり的に仙道に突っかかっていた。憧れていると素直に認めたくなくて、上手さを盗むと称して粗探しまでしていた。でもそんだけ仙道をみていたせいだろう。勝手にみえていた行動には、自分のペースを落とさない・狂わせないために周囲と距離を置く場合だったり、仲間を無理に突き合わせて潰さぬようにと奴なりの配慮だと知ってしまった。 そうしたら、自分たちこそがあいつ一人に勝手な期待をかけ過ぎていたことや、それを不満ひとつ零さずに背負って飄々と前を一人で走っていたのだとわかってしまった。以来、俺はあいつに勝手をされても、置き去りにされても嫌いになれやしないんだ。 きっと今頃、山頂で一人で待っているんだろう。俺が遅いペースで登ってくるのを、不満ひとつ顔に出さずに。 「……もう十分、しっかり休めました。行きましょう。あいつきっと頂上に着いてますよ」 「じゃあ、ぼちぼち行くか」 「はい。ゆっくり行きます。後ろ頼んます」 僅かに微笑んで小さく頷いた牧は踵を返すと、軽々とした足取りでコースへ戻っていった。 今度は自分のペースを意識して登った。歩幅は広げず膝に負担をかけないように。先程より三割くらい遅いけど、無理を続けて再び失態を繰り返すよりは、体力がない自分を晒す方がずっとましだから。 ペースを掴んでリズムが戻ってくると頭もクリアになり、申し訳なさが急速にこみ上げてきた。俺はいい人ってのに弱いのだ。 「すんませんっした……」 大きくはない声でも、最初よりも少し近い距離をキープしている後ろの男には十分に届く。 「そんなに気にするな。もうしないようにすればいいだけだろ」 「それもありますけど。キャンプに突然無理やり誘って。俺、不機嫌なあいつと二人で二泊三日と思うと面倒になっちまってて。でもドタキャンで施設の人に迷惑かけんのも嫌で。だからその……最初から助けられてるんす。あざす……」 顔を見ないで話せているせいか、一応でも謝ることができた自分に胸をなでおろす。 「俺こそ図々しくて悪いと思っていたから、気が楽になった」 こんなに気遣いのできる人が参加した理由はわからないが、元はと言えば仙道が不機嫌過ぎるのが全部悪いと腹がたった。 「マジ仙道の奴、態度ワリーすよね。いくら失恋して辛いからって、それが周囲に不機嫌さを撒き散らしていい理由にゃなんねーすよ」 口止めされていないし、昔も今もモテ男にはかわりないんだからと腹立ち紛れにばらしてやった。 「…………しつ、れん? 仙道が失恋?」 「そっす。どんだけ本気の片思いやってたのか知らねーけど、だからって。俺ら全く関係ねーのに、これじゃとばっちり……あれ? 牧さん?」 規則正しく同じペースで上ってきていた足音が止んだため、越野は振り返った。 石段に片足をかけてこちらに顔を向けたままの状態で牧は固まっている。よく見れば、こちらを向いてはいるものの、目は宙を見ている。 「牧さん? 牧さん、どうしたんすか?」 「…………あ……あぁ……」 「ちょっと! 危ねえすよ、足元しっかり!」 「お。おお。すまん」 上体を僅かにぐらつかせはしたものの、越野の声に牧はまたバランスを取り直し安定した足取りですぐに追いついてきた。 「なしたんすか急に。あ、もしかして牧さんもあいつの失恋に驚いた口すか?」 「驚いた。考えもしなかった。失恋ってことは、あいつに好きな人がいたってことだよな」 「そーなんですよ〜。信じられないっすよね、バスケ以外では他人に興味のない奴が。牧さんも心当たりないんすか、あいつの好きな人の」 「ない。そんな相手がいたなんて……これっぽっちも気付かなかった……」 気付かなかった自分にショックを受けている口ぶりがやけに面白く感じて越野は笑った。 「俺もすよ〜。まあ俺は二年ぶりに会ったし当然なんすけど」 「二年ぶり? 随分と仲がいいと思っていたが」 「高校の頃はクラスも一緒だったけど、普通すよ。今回会うことにしたのだって、魚住さん経由であいつがソロキャンプはじめた話しを聞いたからで。俺は大学のサークルでちょっとキャンプやってから少しハマってて、それで先月誘ってみたんです」 だからあいつとキャンプすんのは初めてなんすよと続ければ、彼は微妙な間を開けたのちに短い相槌よこしてくる。 「へぇ……」 「あいつと牧さんはオフでも仲がいいって雑誌やなんかで見ましたけど。プライベートでは一緒に遊んだりはしねーんすか?」 「飲み食いはよく行く。あとは映画やドライブとか? 大体はどちらかの部屋で宅飲みしつつDVD観たり……」 やっぱ俺よりよっぽど牧さんの方が仲がいい。─── というより、男二人で映画やドライブを頻繁に行く方が珍しい気がする。でも一般的な野郎の遊びとは何かといえば、そんなのは人それぞれだから……そういうのも有りかと、越野は考え直した。大体、自分だってもし牧が参加しなければ仙道と二人キャンプだったのだから。 話しながら息が切れずに登れる速度は遅い。けれど気が紛れるせいか、疲れをひととき忘れられた。もう頂上は近い。道の先に27丁目の鳥居が見えてきた。これを超えれば28丁目の鳥居越しに阿夫利神社が見える。 越野は顎に伝う汗を手の甲ではらうと、『あともう少しだ。頑張れ俺』と己を鼓舞して足に力を込めた。 後ろの牧が先程から一言も発しなくなっていることなど気にもとめずに。 *next : 03 |
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私は登山は学生の頃の登山遠足が最後でして。体力ないから山登りの魅力が全くわからない!
それなのに何で書いてんの? 無謀でしょ! ……人生わからんことだらけで楽しいですね(笑) |