Let's have fun together. vol.01
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不運にも仙道が相手パワーフォワードの下敷きになり右手を怪我したのは、レギュラーシーズンラストとなる試合の後半20分を過ぎた辺りだった。 試合が終わって病院へ駆けつけた牧へ、仙道は照れくさそうに携帯を左手で渡してきた。 『あんた心配性だから、大したことないって言っても気にするでしょ。だからわざわざ提出前に撮ったんすよ』 画面には診断書の用紙が表示されており、右手首U度の捻挫であることなどが記されていた。 牧と仙道が所属するBリーグの川崎コルセドーレは、このレギュラーシーズンで48勝12敗、初の総合順位1位でBリーグチャンピオンシップ進出を決めることができた。 チャンピオンシップでのスモールフォワードはベテランの小塚を仙道の代わりに据られた。クォーターファイナルでは第3戦までもつれる熱戦を繰り広げたが、1勝2敗で敗れて幕を閉じた。 まだチームに入って一年にも満たない仙道だが、早くも牧と仙道はチーム史上最高のコンビとして人気を博しており、牧自身もまた彼を相棒と認めてもいる。だからこそ、勝利は逃したが結果としては上々な成績でシーズンを締めくくれたことを、誰あろう仙道と一番に分かち合いたかった。 しかし現実は、出場はなくとも試合に帯同して然るべき仙道はここにはいない。これはヘッドコーチから試合前に全体説明があったため、わかっていたことだ。 それなのに、選手やチームスタッフが入り乱れる興奮冷めやらぬ会場で。気付けば仙道の姿を目で探してしまっている自分がいた。 * * * * * * 試合の翌日、携帯に連絡を入れても返信がないので、結果報告と見舞いを口実に仙道が暮らすマンションに寄ったが、仙道は不在だった。 シーズンオフに入ってからも牧は何度も仙道に連絡を取ろうとした。しかし不自然なほどに連絡がつかないまま、時間は過ぎていった。こんなことは海南大に仙道が入学し後輩となって以来、一度としてない。仙道は連絡がまめな男だと認識しているだけに、ここまで音信不通になると、怪我以外の何か大きな問題ごとでも起きたのではと気にもなってくる。 他のメンバーに聞いてみるも、「番号使われてないか電源入ってないって機械音声ばっか。既読もつかねーし。あいつどーしちゃったの?」などと、かえって聞き返される始末で、牧は途方に暮れるばかりだった。 今夜も繋がらない電話。まだ音信不通の日数的には失踪を考えるには早過ぎる。そう頭では判断できてはいるのだが、牧はじっとしていられず家を出た。 まだ5月というのに蒸し暑い夜気に鬱陶しさを感じながらも、そう遠くはない仙道マンションまでの道を辿る。 インターホンを押す前にエントランスの集合ポストを覗いてみれば、DMやチラシのようなものでいっぱいだった。自分同様に仙道は一人暮らしだ。何かおこって部屋の中で動けなくなっているのではないか。 悪い想像が一気に膨らみ表情を厳しくした牧の耳に二人分の足音が聞こえてきた。ポストの前から身体をずらすと声をかけられた。 「あれ? もしかして、川崎コルセのポイントガードの牧選手、ですよね?」 牧は足音の主である二名を上から下まで、ざっと視線を走らせる。どちらも知らない男だ。一人は中肉中背で、Tシャツと七分丈パンツ、センター分けの短髪黒髪が清潔感を感じさせる170cm前後くらいの20代。もう一人は自分よりも高身長で、だらしなくのびた襟のTシャツと膝丈のパンツとサンダル、ボサボサの髪と不精髭……は、よくみれば自分が会いに来た仙道彰本人であった。 「あの、そうですよね?」 見知らぬ男の方にもう一度問われ、牧は仙道の変貌に強く戸惑いつつも浅く頷いた。 「俺、こいつと同じ陵南高校バスケ部でシューティングガードだった、越野宏明っす。覚えて…………ませんよね」 期待を覗かせた瞳は牧が顎を引いて返答に詰まった様子から、すぐに諦めに変わった。申し訳無さに必死で記憶を手繰るも、焦りのせいか思い出せない。 「いいです、気にしないで下さい。あ、でも……当時、牧さんのことをダンプカーって言い出した張本人って言ったら思い出します?」 「……ああ! すまん。思い出した。陵南のシューティングガードだったな」 最初の自己紹介と同じ言葉を繰り返す牧に、越野は苦笑いで軽く会釈する。 「はい。ファウルしてでも止めようとしたのに、無様にぶっ飛ばされた奴です。すみませんでした、悔しまぎれの悪態が変なあだ名っぽく広まってしまって」 「いや、そんなのはいいんだ。それより越野は今はどこの所属なんだ?」 「あー……いえ、俺はもうバスケはしてなくて。普通に会社員してます」 「そうか……」 気まずい雰囲気を増長するように、仙道は瞳と同じほど力なく暗い声を牧へ放ってきた。 「なんであんたがこんな時間にこんなトコに? なんかあったんすか?」 お前こそ何があったんだよと返したくなったが、人がいる手前、牧は堪える。 「……いや、何度か電話したんだが出ないから。少し心配になってな」 「すんません、充電器壊したもんで。でも今買ってきましたし、このとーり俺は元気すから」 仙道はテーピングされた右手首をみせて、軽く手を握ったり開いたりしてみせた。 「この通りって……」 「日常生活的には不便ないんすけど。でもまだ咄嗟に捻ると痛みっつーか違和感があるんですよね。だからまだボール扱う段階じゃなくて。安静……つーても完全固定で固まってもマズイんで、普通に生活しつつ心肺機能や筋肉保持をしてく、てな感じっす。来週からは手首使わねー自主練は始めますよ」 「手首以外の方が……会って余計に心配になったんだが」 「なんで?」 わかっていない仙道の返答に、牧の胸は嫌な感覚でざわついた。U度程度の捻挫、しかも初回受傷で万が一もなにもないはずなのに。それでも数日顔を合わせない間に、精神面が悪い方へ急激に変化したのを視覚的に見せつけられてしまっては、気を揉むなというのが無理な話だ。 ますます重くなった空気を払拭するように、越野がその場にそぐわない明るい声をあげた。 「あの! 明日から俺ら、二泊三日のキャンプするんです。良かったら牧さんも一緒に行きませんか?」 越野の手にはコンビニの袋が下げられている。袋越しに透けて見える中身は缶チューハイらしきものが二本とおにぎりや惣菜など。仙道の手にはスーパーのレジ袋。これから仙道の部屋で軽く飲み食いでもするのだろうと思っていたが、キャンプの買い出しや打ち合わせだったのかと理解する。 「一人増えるくらい余裕すから。テント三人は少し狭いすけど、寝れなかないし、寝袋一枚くらいこいつが余分もってるはず。なあ、持ってんだろ?」 相槌をうってこない仙道に苛立った越野が、仙道を見上げる。 「…………やっときたシーズンオフで、いつも何かと忙しい牧さんの貴重極まりない完全オフに三日も連続で予定が空いてて、山歩き出来そうな靴……汚れていいような歩きやすい靴を持っていれば、の話ですけど。でも急な話過ぎますよね、だからまたこん」 明らかに歓迎していない口ぶりに、越野は笑顔のまま仙道に最後まで言わせず背中を力強く叩いた。 「痛ってぇ……」 「靴なんてバッシュの古いのでも大丈夫すよ。そんな本格的な山歩きじゃないし。キャンプは人数多いほど楽しいんで、牧さんも行きましょう! 道具とかは俺らが持ってく分で足りるから、手ぶらで大丈夫。外での飯は美味いすよ〜!」 「手ぶらは流石にダメだろ……」 「ダメじゃねーって。あ、夜に着る用の長袖アウターとタオルくらいはいるか。でもまあ、そんくらいすよ! どうです? 近場なんですけど、この時期は緑が綺麗でいーすよ! 行きましょう!」 やけに強引に誘う越野と、全く歓迎していない仙道の間に挟まれた牧に返答が求められた。 「…………行く。他にも最低限必要なものがあったら教えてくれ、用意する」 仙道が驚きに目を瞠った。無理もない、仙道にここまで邪険にされたことなど長い付き合いだが初めてなのだから。 「口頭で言われても取りこぼすかもしれないから、今夜中にメールでくれないか」 「わかりました。じゃアドレス交換しましょう。や〜、人数増えて良かった〜。やっぱキャンプは人数いねーと」 越野とアドレス交換をする間、無言だった仙道が深い溜め息を零して後頭部を苛立たしげにかいた。 「…………観光しねーし、体力維持が目的なだけの面白くもなんともねーキャンプですよ」 不機嫌極まりない声を聞き続ければ決心が鈍りそうで、牧は少し腹に力を入れて返す。 「かまわない。キャンプ場代や変更手数料とかかかるんだろ? あと食い物の追加分とか。今は手持ちがないが、明日までに用意する。大体いくらかも教えてくれ」 越野が二人の間に文字通り一歩入るような形で割って入った。 「テント増やすわけじゃないから、参加人数変更だけなんで千円もしないはずです。まあそのへんもメールします。待ち合わせ場所はここにしましょう」 足は俺が乗ってきた親父の車なんですけど、デカイいから男三人でも余裕すよ〜と越野が少々自慢げに口の端を上げる。牧は越野に口の端だけで笑み返した。 「わかった。じゃあ明日、ここで。メール頼むな」 明日と明後日の予定をキャンセルし、検索して家にある物でキャンプに必要そうなものを見繕って詰めなければならない。時間が惜しい牧はすぐさま踵を返した。 「…………マジかよ」 「バカっ。聞こえんぞ」 仙道の暗い呟きと、それを咎める越野の声を牧は聞こえなかったふりで無視し駆け出した。 玄関で靴を脱いでいるとメールがきた。読みながら居間のソファへ腰掛ける。 下着や洗面具などの必要な物と少額の参加費と待ち合わせ時刻。そして最後に『態度最悪野郎は俺がしめときました。キャンプ楽しみましょう!』と書かれていた。 最後の仙道の呟きを耳にしていたのを気付いたのか、それとも終始機嫌が悪いままだった仙道のフォローか。なんにせよ越野は気の回る、いい奴のように思えた。 一人暮らしで聞く者などいないのに、画面の文字を牧は酷く小さな声で音読する。 「態度最悪野郎…………」 今まで見たこともないほど不機嫌でそれを隠しもしない仙道を前にして、自分はどうしてあの時あれほど空気は読むなと自分に言い聞かせたのか。拒否されているのに強引に参加するなど全く自分らしくない。正直なところ山より海の方が好きだ。キャンプも山歩きにも特別興味もないのに。 初めて見る、別人のように精彩を欠いた暗い仙道が脳裏に浮かぶ。 何があったかは知らないが、あの洒落な男が身なりも気にしないほどやさぐれてはいても。越野とは連絡を取り合い、あんなに酷そうな精神状態でも家に泊めもするのだと。そこに気付いた瞬間かもしれない。俺の中で自分らしくない行動を起こさせるスイッチが入ったのは。 高校では俺のライバルと称されながら、あいつは俺がいる海南大にスポーツ推薦で入ってきた。高校時代に国体合宿で同じチームとして何度かやった時もこいつとはやりやすい、合うなと思ってはいたが、実際半年もたたないうちに良いコンビになっていた。俺の卒業後一年間は疎遠になりもしたが、今はこうして同じチームで双璧と呼ばれるまでに……いや、それだけじゃない。プライベートでだって俺たちはいい関係を保てている。 「そうだよな?」 正面のTV台の上、何も映っていない暗いTV画面には輪郭のぼやけた自分だけ。本当に尋ねたい相手は今頃、高校時代からの仲間と飲みながら準備でもしているのろう。多分、何で牧さん誘ったんだよとかぐだを巻きながら、やさぐれた理由なども聞いてもらいながら。 舌打ちをついた自分の頭を両手で強くつかみ、かき乱す。 苛々する。腹が立つ。なんで俺に零さないんだ。高校時代からの仲っていったって、お前の隣に今現在、いつもいるのはそいつじゃないだろ。どうして俺を蚊帳の外に置くんだ。あんなにやさぐれるほど辛いことがあったのなら、尚更愚痴を聞かせるのに相応しい相手は俺しかいないだろうが。 「クソが。…………絶対二泊三日、キャンプに居座ってやるからな」 悪態をつく自分の頬を、牧は強く両手で叩きつけた。長考してる暇はない。今はとにかく準備だ。 牧は気持ちを切り替えて、先約のキャンセルを方々へ伝えるべく携帯を再び手にした。 * * * * * * 翌日。約束の時間より少し早いぐらいに牧は仙道のマンションの前に到着した。そこには昨日はなかった大きなクルーザーが横付けされており、越野が車の陰からひょっこり現れた。 「あ、はよっす! 丁度さっきパーキングから車とってきたんすよ。あいつはまだ家にい……あ、出て来た」 言ってる間もなく仙道が、前髪から頭頂部を逆立てたいつものこざっぱりとして清潔感のある外見で現れた。昨日のままが新しい定番スタイルにはならないだろうとは思ってはいたものの、やはり少々安堵する。 「おはよーございます……」 「おはよう」 力ない挨拶と、まだ暗さを宿したままの目つき。外見は取り繕えても精神的な部分は一日程度でもとに戻れるほどではなかったようだ。この二日でどの程度戻ってくれるだろうか。もしずっとこのままだとしたら、今度は俺がこの仙道に慣れていかなくてはならなくなる。否、俺だけではなくチームもチームスタッフもだ。 どうしたもんかな、まあ数日様子みるか……などと牧がのんきに構えていると、トランクに荷物を詰めていた越野が横を通り過ぎ運転席に乗り込んだ。 「車高高くて見晴らしいいんすよ、牧さん助手席どうぞ」 「いや、いい。俺のことはオマケとでも思って気を遣わないでくれ」 後部座席へ牧が乗り込んでもなお立ち尽くしたままの仙道へ、牧は助手席を手のひらで示す。 「ナビとかするんだろ?」 逡巡しているのか、まだ黙ったまま動かない仙道へ越野が荒い声をあげる。 「返事すれよさっさと! あーもーウゼェ、前乗れ、前。出発すっぞ」 仙道は少し眉根を寄せたが、結局朝の挨拶以外口を全く開くことなく助手席へ乗り込んだ。 仙道に話しかけても会話になりそうにないと、早々に見切りをつけた牧は赤信号で越野に封筒を手渡した。 「参加費だ。相場を検索してみたが、まさか俺の分でお前らに負担させてたりしないか? 変な気遣いしないでしっかり徴収してくれ」 「んなことしてません。キャンプ場は仙道の叔父さんが経営に絡んでるんで、半額利用なんすよ。だから人数変更も融通効くんです。けっこう増えるとムリかもだけど」 「でも食材とか追加で買うだろ? その時は全額俺が持つから。たっぷり好きなもの買ってくれ」 「あざーっす! つーても今もらった中で十分まかなえますから、心配しないで下さい。とりあえず今日の昼は弁当買って、夜は外食メインで。明日の朝は用意してある分を使います。明日の晩飯分は明日の日中買いに」 「明日とか言ってねーで今行く途中で追加買おうぜ。牧さん金出してくれんだから、ケチケチしねーで豪華弁当と高級肉たっぷり買えばいーんだよ」 唐突に話を遮ったぶっきらぼうな声音に、牧が何か思うよりも早く越野が噛み付いた。 「何だよその嫌な言い方! 一回朝飯作ってみて、そん時に足りないものが出るのを見越して、俺は明日買いに行ったらいいって言ったんだ。食材だってクーラーボックスのサイズもあんだし、むやみに買い足しても鮮度が……つか、お前昨日からなんなの? 牧さんに恨みでもあんのかよ。だいたいてめーは」 越野の導火線の短さと、まるでマシンガンのように言い立てる様に牧は呆気にとられたが、周りの車が動き出したことで我に返った。 「おい越野、信号青だぞ。前向いてくれ。俺のことはいいから」 「さーせんっ! ……クソっ、『よろずや』しか寄んねーかんなっ」 小さく仙道が頷いたのが後ろから見えた。越野は吐き捨てるように言ってはいるが、仙道の意向を汲みつつ自分の意見も通している。高校時代もこんなにも気兼ねない─── 湘北高校の桜木と流川のようにケンカでコミニュケーションをはかる感じだったのだろうか。 (俺と仙道は大学時代にもそういうのは全くなかったな……意見の相違はあっても) 体育会系では年功序列は絶対だ。それだけに同期ならではの気安さは独特なものがある。 社会人になり薄れていた、ひとつ年上の自分と仙道との小さな距離。そんな今更なことが胸をわずかに曇らせる。 牧は二人から目をそらすと、流れ行く窓の景色へ意識を向けるよう努めた。 スーパーへ寄り追加の食材や木炭を買い、購入した弁当を車内でかきこんでもなお、二時前にはキャンプ場に到着した。 受付で手続きをしてから場所を決め、持参のテントを越野と仙道がはる。その間、牧は受付にあるキャリーを借りて荷物を二度に分けて運んだ。キャンプなど中学の時以来のせいだろうか、キャンプに様々な道具が必要なのは漠然と知ってはいたが、想像以上の量に驚かされた。これらのほとんどを自分は借りて利用させてもらうのだと思えば、飛び入り参加の形見の狭さを痛感する。 本当に自分はオマケの存在として小さく……ガタイのでかさで邪魔な分、よけいに大人しくしていようと神妙なことを考えているとお呼びがかかった。 「牧さーん、テント張れたんで入ってみて下さいよ!」 越野の声に振り返れば水色の巨大な萩の月のような、こんもりとしたテントが出来上がっていた。 「おお……立派なもんだな」 「入って入って! 二〜三人用だけど、けっこう寝れそうでしょ? 前室もあるから、ここに荷物や靴が置けるんです。あ、そのオレンジのマットに横んなってみて下さい」 テントは二重構造になっていると説明をうけながら、牧は靴を脱いで中へ入った。天井は低いが底面積はなかなかで、三人分のマットが重なることなく並べて敷かれている。言われるがままに横たわってみれば、長さはかかとがはみ出る程度で、横幅はちょうど一人分といったところか。適度なクッション性もある。入り口と対面する位置には大きなメッシュの窓が開いており、風通しが良く爽やかだ。 「これはいい。寝れるな」 「でしょ! ちょっと牧さんとかあいつには座ると天井低くて圧迫感あるけど、どうせテント使うのは寝る時くらいすから」 「ああ。座っても別に頭はつかないから、気にならんよ。……快適そうだ。ありがとうな」 随分と気を遣ってくれる越野へ礼を述べれば、越野は一瞬驚いたように目を大きく開いて凝視してきた。 「越野?」 「……あ。いいえ、なんでもないす。あざす。……そーだ。この時期まだそんなに虫いないけど、一応。これ、虫よけスプレーの割に、まあまあいい匂いなんですよ」 ぎこちなく笑み返してきた越野だったが、スプレーを手にすると牧が知る彼らしくニッカリと白い歯をみせてこちらへ噴射してきた。 「わ。ちょっと。おい、かけ過ぎだ。おいって」 「はははは! こんくらいかけとかないと効き目ないすから!」 「ならお前だってしっかりかけとけよ。そら!」 隙きを見て奪ったスプレーを越野のつむじ目掛けて噴射すれば、越野は頭を抱えながら「何でつむじ! 冷てー!」と笑いながらマットの上をゴロゴロと転がった。 「越野テメー、俺一人にタープ張らせてんじゃねーよ」 不機嫌な声が入り口付近から聞こえると、越野は「え、一人でもう張れちまったの? すげーなー。俺なら絶対ムリ」と身軽な動きで喋りながら出ていった。 「おー、いい感じで張れてんじゃん。あ、お前も中入ってみろよ。俺が買ったマット、かなりいいぜ」 「……牧さんいんのに、俺が入ったら狭いだろ」 「夜は三人で寝んのに何言ってんだよ。おら、虫除けスプレー背中にかけてもらえ」 テント越しでも丸聞こえな会話ののち、仙道がつんのめるように入ってきた。多分、越野に背中でも押されたのだろう。バツが悪そうな面持ちで顔を上げたが、それでもすぐ出て行くのは悪いと思ったのか、のろのろと四つん這いで入ってくる。 「狭いでしょ」 「いや、三人寝れそうで安心した。背中こっちむけろよ、スプレーしてやる」 素直にむけられた広い背中にまんべんなくかけてやりながら、やはり仙道と二人だと先程よりは狭さを感じる。テント内の空気が僅かに濃くなった気までしたが、口にはしない。 「あざす、もういーす。……狭くても寝袋マミー型だから、そう場所とらねーす。あ、マミー型は顔だけ出るミイラみたいなやつ」 「他にはどういう形があるんだ?」 前室から筒型の袋を引き入れた仙道は、「封筒型すね。ただの長方形つーか」と返しつつ中身を引っ張り出してファスナーを開けはじめた。 「へえ……広げて敷物や掛布にも出来るのか。便利なもんだなぁ。もしかしてこれもか? 広げるか?」 「はい。陰干しになるんで。……これは牧さんの分す」 仙道に手渡された物を牧は同じように取り出して広げた。真似して数回振ってもみる。 「おー、空気を含んだからかな、ふかっとした。寝袋2つも持ってるんだな。けっこうするんだろ、こういうの」 「俺は一枚買っただけ」 そっけない返事で会話が止まると、「無口キャラ気取ってんじゃねーよ」と外にいる越野から小さなツッコミが入った。仙道が渋々と口を開く。 「……叔父からの貰い物なんす。今日持ってきた俺の荷物はほとんどそうです。叔父は釣りやアウトドアにハマってたんですけど、二年前にぎっくり腰やって癖になっちまって。持ってると未練がいつまでも残るからって、二ヶ月前に一式全部俺に譲ってくれたんです」 「それは気の毒に。まあ持ってるだけも辛いし、宝の持ち腐れになるよりは、こうして大事に使って貰えるほうが気も楽なんだろうな」 「叔父も同じようなこと言ってました。コツコツ買い足してきたから、個別に引き取ってもらうより、まとめて使ってもらいたいって。……昔よく釣りやキャンプ連れてってもらってたんすよ。叔父さんとこ子供いないから。そーいうのがあって俺にお鉢が回ってきたんだと思います」 「へえ……。じゃあ釣りはその頃から?」 「まあそーなりますかね……。実の親よりあちこち連れてってもらいましたよ。両親共働きで俺は一人っ子だったから、夏休みは三週間くらい叔父の家に預けられてて。その家の裏手に川も山もあったし、叔父が仕事休みの日はキャンプもよくしましたね」 メッシュの窓の向こうへ投げた視線を仙道はわずかに細めた。いい思い出だったことがその横顔から伝わってくる。長く一緒にいるが仙道はあまり自分のことを話したがらないし、自分も特に話す方ではない。そのせいか、仙道をひとつまた知れたような気がして、牧は頬を緩める。 「そうか……いい経験沢山したんだな」 「……そすね」 仙道の声にほんの少し照れたような柔らかさが含まれているような気がした。 今日初めての会話らしい会話を仙道と交わせた牧は、説明はできないが仙道は大丈夫だと判断できて安堵した。そして多分、俺たちを気にかけてくれている越野へ、胸中でもう一度感謝をつげた。 *next : 02 |
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越野初登場。今回の(けっこう毎回?)牧と仙道は天然同士(ボケ同士?)なので、
ツッコミ担当の越野がいると話が動きやすくていいです(笑) ※二人が所属するチームは架空のチームなんで、深く考えないでねv |