Sugared lies. vol.03
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院内には病院関係者や患者を含め、184cmの自分と同程度の身長は滅多にいない。 そのせいだろうか、仙道を待つようになってそれほど日は経っていないのに、足音だけでなんとなく特定できるようになっていた。190cmに見合った足の長さで仙道はゆったりと歩く。小さな足音は少し独特のリズムを感じる。 「あ……」 今まさに頭の中で思い返していた足音を牧の耳が捉えた。 時計を見れば夕方6時半過ぎ。今日もまた定時……ではなく、いつもより十五分ほど早い。牧は本を閉じ、用意していた荷物を手にベッドから足を床におろす。 いつものように足元の方だけ開けておいたカーテンから仙道が「失礼します……」と顔を覗かせた。 「ディールームへ行こう」 挨拶も抜きに小声で返せば、仙道は頷いてすぐに顔を引っ込めた。 基本的に食事は部屋で取るものだ。しかし食事をここで取るように決められている患者も少数だがいるそうで、いつも十人程度が食事の時間に集っていた。 今夜も食堂のような独特の匂いが漂う時間帯の中、病衣を着た数名のご老人がTVを見ながら談笑している。 牧と仙道は定位置になりつつある窓際の隅の席に着いた。 ドラムバッグからビニールの袋に包んだ小箱を取り出した仙道は、「お待ちかねのブツ、運んできましたぜ。バレねぇように厳重に巻いてきやした」と。安い悪人面をつくってきたため、牧は周囲に聞こえないよう低音の小声で返す。 「混ぜもんは入ってねぇだろうな」 口を一文字に結んだ仙道は頭を下げて、わざと見上げるような目線を寄越してくる。 「……あんた、牧さんすよね? ドスきかせられっとまんま過ぎてマジビビるんすけど」 「お前がチンピラやるから合わせてやったんだろうが」 「うわ、怖っ。眼光ヤバ!」 「今は何もしてない。素だ。……おい、なんだその顔は。あぁもう、小芝居はいいから。さっさと肉を温めてくれよ」 仙道は「素なのに威圧感パねぇ〜うははっ!」と声を出して白い歯を零すと、テーブルの上の牧の手をとり、両手でキュッと握ってきた。 「……俺を温めてどうする。その肉じゃねぇ、チキンだ」 今度は自分の無言ギャグに受けたのか、仙道は「あははは!」と高笑いしながら箱を手にした。 涼し気に見えた仙道の掌は意外にも熱く湿っていた。 湯気をたてているだけでも美味そうなのに、独特のスパイスの香りときたら。 「いただきます。熱っ………うん、美味い。お前も食え。腹減ってるだろ」 「いや、俺は帰ってから飯を」 牧は仙道の言葉を遮るようにチキンが入った箱を押し付ける。 「一人で食うのは落ち着かない。それにあまり長いこと匂いをプンプンさせるのも気が引けるから、手伝え。最初からそのつもりで五個入りを頼んだんだ」 「俺はいつでも食えるから、牧さんたっぷり食って下さいよ」 「いいから食え。俺なんて晩飯食い終わってんだぞ? なのに五個も食えるかよ」 まだ手を出さない仙道に、牧は小さく首を傾げて囁く。 「手伝う、よな?」 「……いただきます」 苦笑しながら付属の紙おしぼりの袋を開ける姿に、牧は満足げに目を細めた。 どうやら久々のチキンは別腹だったようだ。つい夢中で黙々と食べてしまっていた。 がっついていたようで少々照れくさくなり、牧は食べる手を止め、指をぺろりと舐めてから顔を上げる。 「なあ、ドラムってどこの部位だっけ」 「脚です。あの形がドラムスティックっぽいからそう呼ぶみたい。俺はマイクの方が似てると思うんすけど」 「あー、あの食いでのないところか」 「食うトコねーのはコレじゃないすかね? 手羽……ウィングだったかな?」 「小さいな。こっち食えよ」 「いや、もうコレで十分す、二個食ったし。母さんのとこでも少し食ってきたんで、牧さんどーぞ」 「じゃあ遠慮なく」 「ケンタ食うの久々だからかな……。なんか妙に美味いすわ」 仙道は骨をはずしながら、整っている薄い唇で微笑む。 自分だって油で汚れた口をしているだろうに、何故か仙道の唇─── 普段よりも少し赤らんで艶めいている唇は、あまりまじまじと見てはいけないような気にさせられる。 「…………俺も」 牧は食べることに集中している体を装い、俯いて一言返した。 手を拭い終えた牧は背もたれにゆっくりと背を預け、腹に手を当てた。 「あー腹いっぱいだ。流石に九時には眠れそうにないかな……」 「明日は何食いたいすか?」 すっかり食い意地の張った男と刷り込まれたようだ。仙道はさも当然のことのように聞いてくる。 「お前の母さんのリクエストは? お前が寄る店に合わせて考える」 「コンビニの冷やし中華。TVのCMで見たんだって」 「あ〜いいなあ、しばらく食ってない。でもタレがな〜。やっぱ家のじゃないと」 「牧さんのお母さん、冷や中のタレも自作してんの?」 「まさか。ただのミツカンのタレだ」 「あ、うちと同じトコすね。母さんからタレは家から瓶ごと持ってこいって命令が下ってるんす。つーわけで、明日は牧さんも冷や中でOK?」 「あぁ、頼むよ。それにしてもお前の母さん、けっこう注文多い人なんだな。味に煩いというか」 自分もタレのメーカーを言ったくせにとツッコミを受けると思ったが、仙道は我が意を得たりとばかりに食い気味に返してきた。 「まったくすよ。もうねえ昔からワガママで。その上食が細いもんだから、病院食も半分くらい残すんで、食えるもんを運んでやらねーと」 「お前も苦労するな。優しくていい息子で感心するよ。その恩恵に俺は預かれてるから、お前にはもちろんだが、お前を育てたご両親にも感謝だな」 照れたのだろうか、仙道は一瞬複雑な表情を浮かべた。 しかしすぐに「いやいや、それほどでも」とふざけた口調で肩をすくめてみせた。 「あ、骨とか持って帰って捨てるから、下さい」 紙皿ごと再び箱に戻し、ビニール袋に入れなおして縛る仙道の細やかな一面に、牧は好感を深めた。 後片付けなどに気を配るようになったのは部活をするようになってからだ。もしかしたら仙道も同じなのかもと、口にはしないが親近感もわいてくる。 「それも」 眺めていると手指を拭き終えたウェットティッシュまで取り上げて仕舞われた。高身長でイケメンのくせに、こんなに気が利いて優しいとは。さぞかしモテるだろうと牧は舌を巻く。 「色々とありがとうな。明日は俺のところへ冷や中届けたら、帰ってくれ。たまにはゆっくり休んだらいい」 「バスと電車の乗り継ぎの関係で、牧さんとこで休んでから出る方が楽なんすよ。外は暑いし蚊はいるしで」 僅かに陰りをみせた仙道の表情から、余計な気遣いをしてしまったことに気付かされる。 「そうか。じゃあこれ、明日の冷やし中華代。釣りは駄賃だ」 一応用意しておいた千円札を、牧は仙道の前に滑らせた。 「いいすよ、毎回駄賃なんて。親でもないのに。あんまりくれるとパパって呼んじゃうよ?」 「呼ぶな。じゃあ、釣りでお前の分の冷や中も買って来い。どうせお前も外食か買って帰るかするんだろ。晩飯にありつくまで腹が減るだろうが。付き合えよ」 「……俺の分は母さんから金もらってるから出さないでいいって、何回も言ってるでしょ。じゃあ、お釣りは次回にループします。んで、母さんの金で俺の分も買ってきますよ、それなら俺も気楽でいーし」 後輩に奢ってやることが多いが、こんな風に気を配られたことはない。そのせいか、仙道のきちんとした感覚がとても新鮮で小気味よく感じる。 「お前は硬いな」 「あんたに言われたくないすねぇ」 どっちがだよ、と言い合って一息ついたところで、仙道は壁掛け時計を見上げて急に眉間を狭めた。 「どうした?」 「や……あの……。ここ来る時にドラッグストア寄ったんすけど。そん時もらった試供品を思い出して。良ければその……ええと……。俺はいらないんで……牧さんどうかなって。あ、でも気を悪くしないで欲しいんすけど。もらうまで俺も気ぃ付かなかったんすよ、まじで」 「何をもらったんだ?」 遠慮がち過ぎる話しっぷりがかえって気になってしまい、牧はつい先をせかしてしまった。 病院では介助が必要な患者や点滴や機械を連れ歩く患者用に、一般の個室トイレより広くて洗面台や手すりもあるトイレが設置されている。 牧はそこへ仙道と一緒に入ると、寝間着の上の紐を全て解いた。仙道が後ろから寝間着をするりと脱がせてくれる。 「いっすね、ここなら昨日よりは声を潜めなくても良さそうだ」 「別に病室でも今くらいの声量なら喋っても問題はないが、ここは換気扇があるから」 牧の後ろで試供品だという汗拭き用ボディシートの封を開けながら、仙道は呆れ声を上げた。 「え〜。んなこと気にして、ココなんすか。昨日も言ったけど、あんた全然臭くなんてねーのに。気にし過ぎすよ。あ、拭きますね」 「おう。頼む」 食事を終えると汗がけっこう出るのは、多分微熱のせいだろう。ひやりとしたシートが滑るはしから汗で湿った肌に清涼感が広がってゆく。強過ぎず、弱すぎない力加減で丁寧に拭いてくれるのため、とても気持ちが良い。 二日に一回、看護師が上半身や足を手早く拭いてくれるのでありがたいが、その時は自分が物になったような気がする。しかし仙道の優しく細やかな拭き方は繊細な壊れ物を扱うようで、気恥ずかしさまで覚えてしまう。 「そんなに丁重にしなくていい。もっと雑でかまわん」 「タオルと違って薄いから、力かけて拭く方がむずいっす。痛くないならいーじゃんすか」 「……こんなことまでしてもらうつもりはなかったんだが。昨日も迷惑かけたのに、すまんな」 「違いますよ、俺がこのシートがホントに効くのか知りたかったから言い出したんです。言うなれば人体実験? 昨日のだって俺が。あ、肩も拭いていい?」 「うん。……あ、あとはいいよ。自分でやれる。貸してくれ」 新しいシートを手渡され、牧は首・胸・腹、脇などをざっと拭う。 「専用の商品は流石だな。ウェットティッシュとは爽快感が格段に違う。部活後シャワーを浴びずに帰る日やサーフィンの後にも便利そうだ。気に入ったよ」 少し待っても相槌もないため、牧は仙道を見上げた。しかし仙道はスイッと視線を外すと、黙したまま牧の手からシートを奪って、そっと丸めた。 着替えを手伝ってもらいすませると、気持ち良さに思わず吐息が漏れた。 「ありがとう。随分とさっぱりしたよ。今夜は気持ちよく眠れそうだ」 「頭も洗えたら、もっとさっぱりしますよね」 「そりゃそうだ。でも今日はお前のおかげで十分爽快だよ」 仙道が残りのボディシートのパックを「俺は使わないんで」と押し付けてくる。 牧は礼を述べ受け取ると、仙道はまたも何か言いた気な思いつめた顔になっている。 意外にわかりやすい表情をするため、つい苦笑いしながらもこちらから聞いてしまう。 「今度はどうした」 「実はこっちが本命で。ほんっとーに、俺はマジ牧さんの匂い大好きなんですけどっ! あんたが気にしてるみてーだったから」 妙な必死さに気圧される牧の眼前へ、仙道はドライシャンプーと書かれたスプレーボトルを突きつけた。 「こんなことまでしてもらうとは……」 便座に腰かけた牧は弱り切った顔で溜息を吐いた。背後で仙道が軽く笑う。 「さっきも同じような会話しましたよね? これはマジ俺が勝手に買ったんで〜」 数回スプレーしてわしゃわしゃと髪を混ぜてから頭皮をマッサージされる。 指の腹を使うように隅々まで揉まれていると、美容室でシャンプーを受けているよりも心地良くて驚いてしまう。 「今、痛かった?」 心配そうに仙道に問われた。気持ち良過ぎて震えた背中を気付かれたことで、なんとなくバツが悪い。 「全然。続けてくれ。……いい感じだよ」 「そう? なら良かった。……じゃ、拭きますね」 仙道は洗面台で濡らした持参のタオルでわしゃわしゃと優しく拭いてくれる。 タオルくらい病室に予備があると何度言っても、『せっかく持ってきたんだから使わせて下さいよ。このタオル、三枚で百円なんすよ』と押し切られたのだ。 「お前は物知りだな。ドライシャンプーなんて便利な存在知らなかったよ」 「実は母さんからけっこう前に聞いてたのを、昨日思い出して。同室で風呂入れない患者さんがいた時だったかな。……どっすか? 少しは違うもんです?」 仙道の手が離れたので、牧は自分で頭をわしわしと触ってみる。 「全然違う。ベタつきが取れた気がするし、臭いもとれた。凄いなこれ。なあ、金払うから譲ってくれないか?」 「もちろんタダで置いてきますよ。こんなん俺いらねーすもん。普通に風呂入れるんで。見舞いくらい気持ち良くもらって下さい」 初めて見る子供のように得意げな表情にのまれ、牧はボトルへ手を伸ばした。 「……じゃあ、ありがたくもらっておく。サンキュな」 「はい。さて、どれどれ?」 長身を折りたたむようにして、仙道は座っている牧の頭頂部に鼻を寄せてきた。 「やめろよ、いくらドライシャンプーしたからって」 恥ずかしさに抗議したが仙道は取り合わず、更に少し屈んで牧の顔の横でにっこりと微笑む。 「いー感じ。シャンプーの臭いしかしないっす。けど俺は昨日の方が好みですけどね」 至近距離の美形の笑顔の威力か、それとも羞恥心のせいか。牧はやけに緊張してしまい、異論が喉の奥で貼りついて出てこない。 「牧さん?」 首を傾げた仙道を牧は弱い力で押しのけ、咳払いを数回してから窺うように仙道の目を覗き込む。 「……お前、ひょっとして臭いもの好きなのか?」 やっと出た間抜けな一言に仙道は「なに言ってんすか!」と声をあげて楽し気に笑った。 牧はいつものようにエレベーターホールまで仙道と並んで歩いた。 「じゃ、また明日。タレも持ってくるから楽しみに待ってて下さいよ」 「ああ。今日は色々とありがとう。お前のおかげでシャワー浴びれた気分だ」 「んな喜んでもらえちまうと、明日もしてあげたくなるな〜」 「そこまで手は借りねぇよ。気を付けて帰れな」 エレベーターに乗り込み軽く頷いた仙道を、ゆっくりと隠すように扉が閉まった。 人に頭を洗ってもらったなど子供の頃以来だろうか。 仙道の指先の感触を思い出し、牧は無意識で頭部へ手をやった。無造作の雑な動きで背中がズキリと痛む。腕を上げた姿勢をとると呼吸も少し苦しい。 牧は「またやってくれって言えば良かったかな……」と、苦笑交じりに独りごちた。 * * * * * * * * * *
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母が「お父さん」と呼ぶため牧も「父さん」呼びに。なので牧父の名前は考えてません。
ちなみに奥さん大好きな牧父は「富江さん」呼びという、どうでもいい裏設定(笑) |