Sugared lies. vol.02
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一晩くらいで肺が劇的に膨らむわけもなく。四日後に手術と言い渡された。 誰かに現状を聞いてもらいたいといった気持ちは全くなかったが、昨夜仙道に手術になるかもと話したせいだろうか。おかしなもので昨日のような落ち込みはなく、検査後はいつものルーティンを淡々とこなせて宿題もはかどった。 夕食のトレイを下げがてら牧はディールームへ向かった。 「そろそろ来るのかな……」 窓際の席に座り壁掛け時計をぼんやりと眺めていたら、「こんばんは、牧さん」と背後から仙道に小さく声をかけられた。 気配に気付かなかったが驚かずにすんだ牧はゆっくりと首だけ捩って仙道を見上げる。 「よう。今日はジャージじゃないんだな」 昨日は陵南バスケ部のジャージ姿だったが、今はTシャツとジーンズだ。190と高身長ながら俺より細身なせいだろうか、至って普通の服装なのにやたら爽やかに見える。そのままで雑誌の一ページを飾れそうだ。 仙道は己のTシャツの首元を引っ張りながら眉を僅かに下げる。 「部活から真っ直ぐ来たかったけど、今日すげー暑かったんすよ。やたら汗かいちまったけど着替えがなくて、一旦家帰ってから来たんです。牧さんは昨日と髪型が違いますね。オールバックって初めて見たかも。カッコいっすね」 モデルのような男に笑顔で世辞を言われて、眉間に皺が寄る自分を自覚する。 「……この機械のせいでシャワーも浴びれないんだ。だから今日は濡れタオルで頭を拭いてみたんだが。そのあとどうにもならなくて、櫛で流しただけだ」 両腕を上げる動きは胸や背中が痛むので、実際は母親に頭を拭いてもらったのだが、そこは伏せておく。 機械と繋がっている管が刺さっている左わき腹へ手を当ててみせると、仙道は納得したように頷いた。 「大変すね……。あ、前、リーゼントっぽいのしてましたよね。あれもカッコ良かったな〜。牧さんってお洒落すよね。俺なんて中学からずっとこれすよ」 額を全て出して髪の上半分を全部逆立て、側面や後ろは流す独特のスタイルを仙道が指差す。中学からこれとは相当目立っていただろうな……などと、牧はまじまじと仙道の髪型を観察してしまう。 「そんな手が込んだ頭を中学からほぼ毎日か。凄いな、お前こそ洒落じゃねぇか」 「全然すよ。頭洗ってタオルでざっと拭いて、頭を下にしてここら辺りからドライヤーの強風あてて。ハードスプレーぶっかけてから冷風あてて。あとは手で横や後ろを撫でつけたら終わりすもん。簡単でしょ?」 椅子に座ったまま仙道は自分のヘソを見るように頭を下げ、ジェスチャーでご丁寧に教えてくれる。 「いや、十分手間だ。まあ俺もリーゼントの時は手間かけてたけどな〜。だんだん面倒になってリーゼントとオールバックの中間みたいになっていって……」 うんうんと頷いて聞きながら仙道に自分の髪を見られ、牧は洗っていない引け目で口をつぐんだ。そうまじまじと見るなと言いたいが、自分が先に見ていたために言い出せない。早くこの話題を変えてしまいたかった。 そんな牧の心情に気付いていない仙道は「なるほどねぇ」とのんびりと呟くと、テーブルの上に腕を組んだ。 「真ん中分けで前髪下ろしてる髪型が俺は一番イイと思うんすけど。それも楽さを追求した結果なんすか?」 髪型を変えた理由は見当がついているのだろう。そのくせ目をキラキラさせて聞いてくるとはこの野郎め……というのを牧はわざと顔に出した。 仙道は手刀をきりながら「さーせん。けどマジ一番似合ってますよ。一番若々しいすもん」と、牧が口を開くより先に楽しそうに笑い零す。 「お前はそうやって笑うけどな、魚住より俺は若く見えてるだろ。ケホコホンッ……あいつこそOBだろうが」 口を尖らせる牧に仙道は「確かに! 魚住さんなんて監督レベルすよ!」と更に笑いを深めた。 牧の頭には桜木の仲間に監督と呼ばれた過去が過ぎったが、あえて沈黙を決め込んだ。 頼んでいた雑誌を受け取って礼を述べたところで、はたと牧は全く別のことを思い出した。 「あのさ、昨日お前が帰ってから気付いたんだが。俺が呼吸器科・外科にかかっているとどうやって知ったんだ? 俺が教えるまで病名知らなかったよな?」 「そすよ。小児科・婦人科・耳鼻科以外の各階のナースステーションに行って『見舞いに来たんすけど、牧紳一さんの部屋番号教えて下さい』って。怪我かと思って最初整形に行ったけど違ったんで、その上の階のここに聞いたらビンゴでした」 だから一回しか迷惑かけないですみましたよ、と仙道は照れくさそうに後頭部をかいた。 「……そこまでしたのか」 つい漏れた小さな呟きを拾った仙道の片頬がぴくりとつるように動いた。 「っ……引きますよね。なんか自分でも内心少し引いたんすけど。すんません」 「おい、違うぞ。勘違いしないでくれ。手間をかけたなと思ったんだ。ありがとうな」 返事のかわりによこした弱い笑みが牧の胸を詰まらせる。 「そこまでさせてしまって悪かったって意味で言ったんだ。悪くとらんでくッゲッホゲホン」 焦って勢いづいてしまい、また咳が出てしまった。 まだ仙道の目が不安そうなのは俺の体を心配してか。それともまだ誤解が消えないせいなのか。何の気なしに漏らした自分の迂闊な一言が心底腹立たしい。 「俺は部活の奴等もだがクラスの奴にも病院は教えていない。メールやラインで水臭いとか教えろと散々言われてるが、退院したら教えると返してる。…ケホッ……だから見舞いは家族だけでさ」 長い睫毛が半分ほど隠している黒い瞳を見ながら話していると、体裁を保とうとか少しは格好つけねばという気が薄れていく。それでなくとも、こんな病衣を着て管をぶら下げて機械を連れて歩いているくせに。 牧はそろりと静かに一呼吸してから続ける。 「けどさ。自分が望んだとはいえ、やっぱり家族とだけってのは会話が退屈でな。ゲホンッ、父は無口で会話にならんし、母は稽古と隣のおばさんとの話ばかり。妹は部活に専念しろ、来なくていいと言ってあるからラインだけ。だからお前と話せて、昨日は楽しかったんだ」 本当だぞ? と照れを押し隠して念を込めると、仙道が視線を上げてしっかりと見つめ返してきた。 「……妹さんいるんだ。いくつ離れてるんすか? 何部?」 「中三で吹奏楽部。高校は吹奏楽の強いとこに入ると息巻いてる」 吹奏楽部も体育会系すよね〜と、頷く顔はよく見知ったものに戻っていた。 牧は安堵し背もたれに身を預けたが、体を反る動きで痛みが走った。 仕方なくまたテーブルに肘をついて背中を丸めれば痛みは消えるが、楽でもない。管がなければまだ楽なのにと眉間に皺が寄る。 仙道が心配そうに、でも黙って見守っていることに気付いた牧は、あえて明るい声で訊いた。 「お前のとこは何人家族なんだ?」 「うち? うちは四人。父・母・姉・俺。姉は大学二年。牧さんとこと逆すね」 「へえ……。お姉さんも毎日見舞いに来てるのか?」 「いや、俺だけ。姉は京都の大学だし、父は単身赴任で愛知なんで」 「愛知か。愛知はバスケットをやってる昔馴染みがいる。愛和学院三年の諸星大というんだが、知ってるか?」 「あー……聞いたことがあるよーな、ないよーな? なかったと言えばある気も……しますよね?」 「俺に聞くなよ」 大真面目にとぼけた口ぶりが妙におかしくて、牧は胸を押さえながらも笑ってしまった。 今度は会話が途切れても気詰まりさはなかった。夏の遅い夜がゆっくりと街を青く染めていく。五階から暮れていく景色を誰かと見るのもいいものだ。 紙コップに口をつけると遠慮がちな視線を寄越されたため、牧は首を傾げた。 「あの……。肺は膨らんだんですかね?」 「ああ、すまん。言おうと思ってたんだ。肺な〜、ダメだったんだよ。入院初日からほんの少し膨らんだ程度でさ。手術は四日後の午前十一時からだと」 「そうなんだ……。手術って部分麻酔? 時間はどのくらいの予定なんすか?」 「全身麻酔で一〜二時間ってとこらしい。手術当日はICUで一泊らしいから、手術当日は寄ってくれても会えない」 「ICUって……めっちゃ緊急の患者が運び込まれるイメージなんすけど」 怯えたように眉根を寄せられ、牧は微苦笑を漏らした。 「俺も最初聞いた時は同じように思って少しビビった。けど、麻酔が切れるまではほとんどの術後の患者はそこに運ばれるんだと。簡単な手術の人なら手術当日でも病室に戻れるそうだ。まあ俺の場合は最低でも一泊は確定と言われたが」 「それって……やっぱ大変な手術の部類ってことじゃないすか」 「うーん……。そういうわけでもないんじゃないかな? とにかく一泊と言われてしまえば嫌とも言えんし。泊まってくるさ」 牧が肩を軽く竦めてみせれば、暗い顔になっていた仙道がくすりと笑みを零した。 「なんか妙な宿に強制的に泊まらされる羽目になった旅人みてー。ICU泊、快適だといっすね。寝れるといーけど」 「俺はけっこうどこでも良く寝れる方だから。大丈夫だろ」 「そいつは頼もしい」 指先だけで拍手をされて、牧は意外さを隠さずに問うた。 「お前はどこでも寝れそうだと勝手に思っていたが。実は寝る場所や枕を選ぶたちなのか?」 「全然。合宿の煎餅布団、体育館のマットレス、机の天板で組んだ腕枕。なんなら公園のベンチでも。その気になったらどこでも俺の寝床です」 「俺よりお前の方がよっぽど頼もしいじゃねーか。体育館のマットレスで寝てんなよ」 呆れて笑ったのに、仙道は何故か嬉しそうに頬を緩ませた。 「話戻しますけど俺、全身麻酔どころか部分麻酔も経験ないんすよ。ICUも海外映画で見たくらいしか知識なくて。終わったら色々聞かせて下さいよ」 「わかった。俺も全部お初だから、体験レポーター気分で受けてくる」 『「突撃☆牧紳一のドキドキッ全麻の手術体験! ICUにも入っちゃうゾ☆」』ってな感じすかね〜。楽しみだ〜」 仙道は何かの番組の予告のつもりか、高い声と両肘を曲げ両脇を絞めるポーズをしてウィンクまでかました。似合わない滑稽な仕草に思わず吹き出してしまい、牧は痛む胸をかばって手で押さえながら前のめりに笑った。 「すんません、ふざけ過ぎました。大丈夫すか?」 「まいった……。お前のアホさに気が抜けた〜。いいわ、俺もそんな感じで気楽に受けてくるわ。あ、さっきのゼンマってなんだ?」 「全身麻酔を略してみました。ピンクな全身マッサージの略じゃねっすよ?」 「お前、その顔でそういうギャグ言うんだな」 「んん? どういう顔すかね?」 顎に人差し指をあてて、キリリとしたドヤ顔を作られて。牧は胸を押さえながら「イタタタタ」と再び笑った。 話の合間にせっせと運んでくれた三杯目の冷水がなくなった頃。 「……少し検索してみたんですけど。手術したほうが自然治癒の場合よりは再発少ないみたいすよ」 仙道は真面目な面持ちで言ってきた。 「まあ、いいも悪いも手術しなけりゃ退院できないんだ。さっさとしてもらったらさっさと出れるようになるだろ」 「いいこと言いますねぇ。そのとーりすよ。さくっとやってもらっちゃって、早く元気になって下さいよ。んで、1on1やりましょーや。俺、いい場所知ってんすよ」 最初は仙道の手前、少々強がってもいたのだが。仙道の軽い感じに引っ張られて、自分もその気になって気が軽くなっていた。 そうだ、さっさと治してもらって早く退院しないと。筋力だって落ちていくし、バスケットから離れて感覚を鈍らせたくない。 1on1が出来る穴場の場所の話を聞いているうちにうずうずしてくる。 「呼吸器科の手術割り当て日で決まるんだよ。だから四日後なんだと。あーあ、明日にでも手術してもらいたくなっちまったぜ」 溜息交じりの牧の言葉に仙道は目を細めた。 「牧さん気付いてる? 昨日より格段に咳が減ってること。素人考えで言わせてもらうけど、手術までの四日間の間にも少しは良くなったりもあるんじゃないかな。どうせ手術受けるなら、万全とまではいかなくても備えて損はないと思うんすけど」 「素人考えって……。俺だって同じだよ」 「一週間や二週間バスケットから離れたって、何年も覚え込ませてきたあんたの体は忘れない。体力や筋肉が少々落ちたって、すぐ取り戻せますよ。焦るこたーなにもないす」 実際プロでもシーズンオフには全く、ボールにも触らない選手もいるのを牧も知っていた。それでも焦っているのを見透かされたようで少々恥ずかしさを覚える。しかし静かで、本当にどうってことはないと信じさせるような落ち着いた仙道の声音が雨のように優しく、焦燥も羞恥も流していく。 「……そうだな。サンキュ」 「偉そうでしたかね? 実は映画かなんかでみたセリフをちょいと変えただけなんすけど」 後頭部をかりかりとかく仙道の頬はほんのりと赤い。病室よりも涼しい場所なのに。 「なんだよ、仙道のくせにいいこと言うなーって思ったのに。そういうことは黙っとけよ」 「『仙道のくせに』とはなんすか。“くせに”とは」 不満げな口元は照れ隠しだ。気付いてはいたが牧は仙道に合わせて、軽く肩をすくめてみせた。 体が少々辛くても軽い会話で笑い、心配する瞳へ空元気で返す。 そういうのも時には必要なのだろうか。気を張るうちに辛さが消えて、笑ううちに気分は上がっている。どれも一人では出来ないことだ。 昨日今日と、仙道と過ごした時間にかなり救われている自分を思い返しながら、牧は手に下げていた袋の中を覗き込む。 仙道が帰り際、『母さんに“飽きた”って突っ返されちまったんで。よかったら食って下さい』と渡してきた、みかんゼリーとプリン。 白いビニールの中で透明のカップから覗くカスタード色や透明なオレンジ色が華やかしい。 病院という白い空間に、仙道が残していった涼し気な彩。 「…………かなり日持ちするんだな」 賞味期限を確認した牧は、大事に冷蔵庫の奥へしまった。 * * * * * * * * * *
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自然気胸の別名はイケメン病。高身長・細身・10〜30代前半の男性が多いからとか。
己を老け顔としか認識していない天然さも牧の魅力ですよねv |