Sleeper train  vol.08

冷静に考えてみればたったまる一日程度一緒にいただけなのに、どうしてここまで彼は自分にとって特別で、自分は彼にとっても特別だろうなどと思い込めていたのか。あの時の俺は捨て犬のようだったから、優しくしてくれた彼を新しい主人と思い込んだのだろうか。
先ほどまで気にもならなかった列車のモーター音が耳について煩わしい。
今の俺は『酷い面』と牧さんが評した昨日の俺より何倍も醜い面をしているから、顔をむけることもできやしない。

待てども返事が来ないため、牧は軽い溜息をひとつ吐くと自分から話し出した。
「そんなに俺は誰彼かまわず人を誘うようにみえるのか…? 確かに俺は他校のバスケ部にも知った顔は多い。神奈川以外にもな。それなのに、そうホイホイと出会った奴を気軽に誘ってられるかよ。社会人で稼いでるわけでもねぇのに」
まだ頑なに己の膝から視線を動かさない仙道に、牧は困ったようにガリガリと後頭部をかく。
「…特殊なケースなんだよ。桜木が全国のレベルを知ったらどう成長するか見たい。そう思ったから見せに連れて行った。お前だって思うだろ? 違うか?」
「……じゃあ、俺は?」
「お前は……」
肝心のところで言葉を止められた。
続きを聞きたくて、仙道は僅かに顔を上げ盗み見る。そこには気まずそうでもあり、どこか不貞腐れてもいるような、見たこともない表情の牧がいた。
「俺は、なんで誘ってもらえたんですか?」
「お前、は……」
「俺が寝台列車に乗ったことがあるかどうかなんて、あの時はまだ知らないよね。つか知っててもそんな理由じゃ誘わないでしょ。寝台乗ったことない奴の方が圧倒的に多いもん」
「……」
「香川で一人うどんは淋しいと急に感じた?」
「んなわけあるか」
「じゃ、別のマトモな理由あんじゃないすか。教えて下さいよ。教えてくれたら、俺があんたについていった理由を教えますから」
仙道は上体を起こすと牧の瞳を見つめ返す。肩を重ねる距離で知った、よく見れば一般的な日本人の瞳とは違う、少し複雑な色味を含んだ綺麗な瞳を。
牧が一度、コクリと喉をならしてから口を開く。
「……他校だが先輩の俺に強引に誘われたからだろ。お前の理由なんて」
「それも理由の一つにはあるけど、それだけでは俺はついてはいきませんよ。さあ、俺の答えの一部を知ったんだから、せめてあんたの理由のひとつくらい教えて下さいよ」
半人分だけ腰をずらし座りなおせば、牧もまた同じ分だけ腰をひいて座りなおす。
距離詰めれば詰めた分だけ、退かれる。常に泰然自若な男が、まるで俺に怯えているかのように。

縮まらない距離。捨鉢な感覚と奇妙な高揚感が仙道の口を動かす。
「ひとつで、いいんです」
また少し近寄れば、もう逃げ場もない彼の強く引き結ばれていた唇がほどかれた。
「お前は……ひとつしかない場合だから、言えない」
揺れた瞳が流れる様に、仙道の心臓は驚くほどの早さで鼓動を鳴り響かせる。
たった二日間でこの人はとてもシンプルな考え方をすると知った。そこもすごく好きで、真似たいと思った。そんなことを思ったのも初めてなら、思わせたのもまた彼が初めてだった。
─── 今、真似てみようか。
後ろ抱きの時に耳に時折触れた彼の頬、寒さなど微塵も感じさせない高い体温、しっかりと俺の体を固定してくれる腕の力、頭をなでる優しい指の感触。そうだよ、全てがこんなにも欲しい。欲する気持ちが強ければ、あとは行動したっていいんだろ。

乾いた喉を仙道は数回か無理やり上下させて、俯いてしまった牧へ告げる。
「……他にはね、自暴自棄になっていたから。あと、誘ってくれたのが牧さんだったからですよ」
「勝手に全部言いやがって……俺は訊いてないのに。ずるい奴だ」
うめくような返事。相手に先に言われてしまえば律儀な彼が口を割るのは時間の問題だ。
辛抱強く仙道が沈黙を耐えていると、予想通り牧が重い口を動かしはじめた。
「俺は。……苦しそうなお前を少しでもどうにかしたかった。笑わせられれば最高だが、俺は面白味もなければ器用でもないから。……せめて泣かせてやれればと思ったんだ」
彼の横顔の頬の辺りが心なしか赤い。そして続きの言葉を待ってもそれ以上言う気配がないものだから、仙道はつい聞いてしまった。
「……牧さん、もしかして照れてます? なんかちょっと赤い?」
「!! 聞くな! じろじろ見んな!」
「? 今のどこに照れポイントなんてありました?」
顔を上げた牧は驚きと苦さが混在した複雑な表情で仙道を見返してきた。先ほどよりもはっきりと赤みを増した頬で。
「お、お前……本気で言ってんのか!?」
「す。つか俺、期待しちまってたのに…あんなに引っ張るから」
牧さんは面白味もあるし、器用だよ俺よりずっと、と苦笑した仙道に牧はとても嫌そうに眉間の皺を深める。つられるように仙道の肩眉も跳ね上がる。
「なんすか。だって俺、もっと特別な理由を期待していたんですよ。だって牧さん、特殊だって何回も言うんだもん。俺があんたにとって特別なんだって錯覚したっておかしかないでしょうが」
「……お前は男なんだぞ?」
「言われなくても知ってますよ」
「お前はどうか知らんが、俺は18年間生きてきて。男相手に突然、こいつをどうにかして笑顔にしてやりたいとか。それが出来ないなら自分の胸で泣かせてやりたいなどと思ったことはない。ましてや、その衝動のままにさらったなんて」
これが特殊じゃなくてなんだってんだよ……。
顔を背けて放たれた最後の方の言葉は、ともすれば電車の走行音に紛れてしまいそうなほど弱々しかった。

仙道のぽかんと開かれていた口が勝手に動いた。
「それって……“特殊”っていうより、“特別”って言うんじゃないの……?」
「あ、改めて言い直さないでくれ」
増々嫌そうに顔を背けた牧は首まで赤くしている。しかし仙道には牧の表面的な変化などただ目に映っているだけで。自分の中に広がる思いを整理するのに忙しく、見えていないも同じだった。
「……東京駅で酷い面の俺を見てから…特別になったんですか?」
「わからん。だがこの先一年は確実にお前と練習試合で合うこともなけりゃ公式戦もない。そう思い至って初めて、もっと話をしてみたかった……とは、何度か思っていた」
「他に同じように思った奴とか、います?」
牧が首を左右に小さく振った。
「……だから東京駅でお前を見つけた時、時間もないのにお前に声をかけてしまった」
なのにあんなに憔悴しきられてては、放っておけずさらっちまうのも仕方ないだろ。
自分を揶揄するように短く笑った彼の頬は辛そうにゆがんで見えた。

牧は立ち上がりドアの取っ手に指をかけて言った。
「安心しろ。またいつかどこかでお前を見つけても。もう声はかけない。気色悪い話を聞かせて悪かった」
おやすみ、と出ていこうとする牧の肩を仙道が強く掴んで止めた。
「自己完結しないで下さい。俺、言いましたよね。牧さんだったからついてったって」
それがなんだというような顔を肩越しにされて、仙道は一気にまくしたてる。
「俺はけっこうフラフラしてるから流されやすいようにみられますけど。それは俺が流されてやってもいいと思った時だけです。どんなに楽そうでもオイシイ話であってもね。こう見えて俺、かなりガンコでワガママなんすよ。自分を動かす主導権はあくまで、俺」
首をもとに戻されて牧の表情は仙道には窺えなくなってしまった。それでも言い募る。
「そんな俺がだよ。他校の先輩に誘われたからって、あんな精神状態最悪な時にノコノコついてくと思う? ただ気に入ってる先輩レベルだったら絶対ついてかない。もともとかなり牧さんを好きだったんだよ俺。じゃなかったらおかしいし、自分の行動に俺が納得できない。あんただからついていったし、一緒にいてすっごく楽しくて、笑えたんだ」
肩を掴んでいた仙道の指を牧の手がはずさせる。
拒絶されたのかと焦りを覚えた次の瞬間。いきなり抱きしめられて仙道は動けなくなった。
頬にあたる、まだ少し湿った柔らかい髪。昨夜知ったいとおしい体温が正面から自分を包み込み、力強い腕が背中を優しく抱き支えてくれている。
欲しいと望んだ距離よりもまだ近く。仙道は抱いた望みより大きな幸せに目が眩んだ。


どれほどの間、そのまま抱きしめられていたのだろう。恍惚としていたのでわからない。
そっと離れられて淋しさを感じたところで、牧の染み入るような優しい声音を耳にする。
「ありがとう。もう十分だ。十分過ぎだ。この二日間のことは安心して忘れてくれ。いつか試合でまた会えるのを楽しみにしている」
「…………え?」
「ありがとうな」
付け足すように同じ言葉を繰り返した男は晴れやかなほど清々しく微笑んでいる。
言葉の意味を理解した途端、腹の奥がカッと熱くなった。同時に仙道の右手は牧の左耳を掠めながら扉を激しく突いていた。ダァンという大きな音と振動がビリビリと狭い室内を駆ける。
牧は防御もしなかったが、車体がカーブで大きく揺れたためバランスを崩し背を扉に預けた。もともとの身長差よりもさらに開きができ、牧は常より仙道を見上げる体勢となる。激情のままに仙道はもう一度とばかりに長い腕を勢いよく引く。それでも牧は避ける素振りすらもおこさない。
静かな瞳に見上げられながら、仙道は喉の奥から声を絞り出す。
「あんたは……俺の話を聞いてなかったのかよ。聞いてたから抱き締めてくれたんじゃねぇのかよ」
力を失った腕をだらりとおろす。怒りで揺れていた視界が涙で溢れて眼前の男の表情すらわからなくなる。けれど意地でも涙は零すまいと仙道は低く唸った。
「…何様なんだあんたは。人を舐めんのも大概にしろよ。綺麗に言い逃げなんてさせるかよ。ざけんな」
どんどん重たくなる頭を支えるのが辛くて、支えを求めて扉へゆっくりと両掌をついた。
仙道の腕の中に閉じ込められてもなお、牧は動こうとしない。ただ見つめてくるだけ。
(……なんで逃げようともしねぇんだろ。扉と俺に挟まれて、すっげぇ圧迫感を我慢して。……ああ、具だから? そういや昨夜ベッドでも壁と俺にサンドされて具をやってくれたっけね)
こんな状況で。慣れない激昂に頭痛までしているのに、奇妙なデジャヴに口元だけが笑う。
「言いなよ。俺が好きだって。今言わなかったら、俺だって言わない。一生言ってやるもんか」
「一生言われなくていい。次に会った時も俺たちは友人で好敵手。それでいい」
ずっと黙されて憎たらしかったけれど、口を開かれたらなお増してしまった。
「また俺の話聞いてない。大体さ、あんたが言ってたんだよ? 行動を起こす理由はひとつかふたつでいいって。なんでこの場合だけ、あんたは行動を起こしてくんないのさ」
「……よく聞くだろ、同性に惚れるのは若い頃の気の迷いだって。別れて悪い関係になるくらいなら。いつかお前に辛い思いをさせるくらいなら、好敵手の今のままがいい」
哀し気な彼の呟きが胸に痛い。自分の恋心よりも俺を大事に思ってくれているのがわかるから、苦しい。こんなに大事に思ってくれておきながら、拒絶しかできない彼の不器用さが哀しくなる。
「なんで。なんであんたはダメになることしか考えねぇの? ずっとうまくいくかもしんねぇじゃん」
「“ずっと”とは? 30や50になってもか? 仮に本人同士がよくたって、親兄弟が納得する確率は限りなく低いだろうよ」
「そんなん男女だって同じだろ。風当たりの強さは違うかもしんねぇけど。むしろ聞きたいね、最初から死ぬまでいい関係が100%確定して始まるお付き合いなんてあんの? 親兄弟が納得した上でスタートしてもダメになんのはザラにあんじゃね?」
「ご立派な屁理屈だな」
あしらうような声音に負けじと仙道も小馬鹿にした物言いで返す。
「あんたが意気地なしの自分を屁理屈で正当化したから、俺も同じように返したまでだよ」
平行線になり二人の間の空気が重たく澱む。
唇を真一文字に引き結んだままの牧へかからないよう、仙道は横を向き長い溜息を吐いた。
「いつかの俺どころか、もう今、十分過ぎるくらい辛いから。さっきから俺は何回あんたにふられてんの? 傷ついてないとでも思ってる?」

牧の体の両脇に下げられた拳はぎっちりと固められている。その両拳からはミシミシと骨がきしむ音が聞こえてきそうだ。その拳をくらわせたいのは俺じゃなく、きっとあんた自身なのだろう。わかりたくもないけどわかってしまうのは、拳を握ってはいないものの俺だって同じだからだ。
─── 馬鹿みたいだ。抱擁の数分後に傷つけあってるなんて陳腐なドラマかよ。
仙道はぐじゃぐじゃした胸の内を全て溜息に乗せて吐き出した。
吐いた分だけ深く息を吸い込み腹に力を籠める。
「いいよもう。あんた意気地なしで優し過ぎて話になんねぇ。だから俺が決める」
「決める? 何をだ」
「俺と牧さんの関係。俺たち、恋人からはじめましょう」
「…………は?」
呆然とする牧を力強い目で見下ろす仙道が喧嘩腰に言い放つ。
「だってもう、俺たちは初デートも初お泊まりも初旅行も全部しちゃったじゃないですか。今更まだるっこしくて先輩後輩お友達だなんだとか最初からなんてやってらんねぇすよ。双方の希望を取り入れて、今から恋人兼バスケの好敵手ってことで手打ちにしましょうや」
牧はゆっくりと片手で己の額を覆い憮然とした顔で呟いた。
「なにが手打ちだ。お前こそ俺の話聞いてねぇだろ」
「両方のイイとこ取り。天才的采配じゃないすか。これぞ大岡裁き?」
「城とか見過ぎて頭おかしくなってんじゃねぇのか? 冷静になって考えてみろ。俺はまだしも、お前なんてバスケ以外の俺を意識したのは昨日今日の話じゃねぇか」
一歩踏み出すように距離を詰めた仙道が睨むように牧を見据える。
「そうだけど、時間かけてりゃ全ては正解になるとでも? 確かに俺も疲れちゃいるけどね、残念ながら頭は冴えわたってますよ。だからこうして、俺を大事にしようとし過ぎて頭おかしくなってる牧さんが出せない正解を、俺が出したんでしょうが」
「何が正解だ。正解は男女での交際だろうが。俺は正直、自信がない。同性に惹かれた経験がないから、これが若さ特有の錯覚ではないと言い切れない。お前だってそうだろ?」
牧が片手で仙道の肩を突っぱねるように押し離す。仙道は鼻先で笑った。
「なんにだって初めてはあんでしょ。錯覚かどうかなんていつわかる? 一年後? 十年後? 第一、錯覚じゃないとわかった時にあんたがフリーでいる保障は? 俺はそっちの方が怖いよ。十年先のあんたに彼女がいたとして。奪える自信の方がもてねぇ」
仙道が『あんたはどうなの?』と視線で問えば、牧は苦々しげに下唇を噛んだ。
「好き同士が付き合うのは至極自然なことだよ。何も問題なんてない」
「んな単純な話じゃないだろ」
「単純だよ。付き合ってダメになるのは仕方ないけど、付き合えもしなかったら、将来どころか今からずっと俺は消せない後悔で辛さを抱える。……牧さんだってそうでしょ」

まだ反論すべく牧の唇は開かれたが、数秒かけたのち悔し気に閉ざされた。
言い負かしたいわけではない仙道は、精一杯の気持ちを込めて懇願する。
「俺に辛い思いをさせたくないってのが本心なら。今すぐ恋人になって下さい」
「……だから……それは……」
「はじまる前から難しく考えるのよしませんか。牧さんも俺も根は単純なんだ」
断言され、牧が怯んだように視線を逸らす。仙道は牧の手を掴むとぐっと引き寄せた。
「寝台のベッドではこのくらい近かったよね。なのに電車降りたらただの先輩後輩みたいに距離とられて。観光してる間、けっこう本気で淋しかったんです…」
至近距離から少し上向いた彼の、不安そうな瞳が濃いダージリンティーのように揺らぐ。琥珀、蜂蜜、ダージリン……どんな時でも美しいこの瞳を得るために。祈りを込めて告げる。
「俺はあんたとこの距離の仲になりたい」
……キスができる距離だよ。
モーター音に紛れそうなほど小さな囁きも届く距離。
近すぎて焦点が合わなくても彼の顔が朱に染まっていくのがわかる。血がめぐる音すらも感じ取れそうだ。
「今、この瞬間からはじめましょう」
吐息すら交じり合う距離にある唇に契約のキスを刻む。震える、淡い熱の交換。
そっと唇を離せば、牧の長い腕が仙道の背へ強く回された。痛いほどの縋るような力強さが、いかに仙道へと傾倒していく心を無理に封じていたかを雄弁に伝えていた。
「……信じさせてくれ。錯覚ではないと。……何十年かかってもいい」
独白のようなか細い懇願の声は列車の走行音にかき消されることなく仙道へ届く。この距離が届けさせるのだ。
「列車を降りる頃には、錯覚なんかじゃないって確信できてるよ。だって俺にはもう不安なんてない。この距離ならなんだって伝わるんだから……」
笑みを作ろうとして失敗し戦慄く唇へもう一度唇で触れれば、臆病な舌が唇をそろりと舐めてきた。驚かさないように舌先を唇で優しく食んで仙道は己の口腔深くへと招き入れた。


*  *  *  *  *


寝台列車で過ごす最後の夜。どうにかして二人でこの狭いベッドで寝ようとしたけれど。どちらが具になっても、頬を重ね合うほどサンドしあっても車体が傾くと落ちそうになってしまうから、ベッドで一緒に寝るのは諦めた。
ではどうするかという話になった時。今夜こそノビノビ座席で寝てみたいとごねる仙道に牧が折れた。
車掌に見つからないようにこそこそと周囲を伺いながらノビノビ座席へ潜り込む。カーテンを全てぴっちり閉め切り、外側には牧の靴だけだして仙道の靴は座席内に置く。これで車掌に覗かれない限りは安全……の、はずだ。
B寝台から持ち込んだ枕とノビノビ座席備え付けの枕。牧のダウンを広げて褥にし、薄い毛布の下で身を寄せ合う。ささやかながら愛の巣のようで、くすぐったさに仙道の頬がゆるむ。

前夜よりも完全に音を消した声で牧が尋ねてきた。
『寒くないか?』
『うん。毛布二枚になったし、筋肉アンカのあんたがいるから平気』
同じように音なき声で返した仙道は牧の肩へ甘えるように額をこすりつける。
『……やっぱり心配だ。窮屈だろうが我慢しろよ』
牧は向き合うようにさらに身体ごと近付くと行き場をなくした片腕を仙道の腰に置いた。仙道もまた同じように牧の腕の上に自分の腕を乗せる。もうほとんど抱き合うような。いや、そうとしか形容できないほど身を寄せあう。
『すげーあったかい…気持ちいい……。冬に誘ってもらって良かった』
『あまり可愛いことを言うな。眠れなくなる』
可愛いとこの旅で何度言われただろう。言われ慣れない言葉を思い返せば、今更ながらじわじわと熱を帯びる自分の頬を持て余す。
『寝酒買えば良かったね』
『いらん。十分幸せに酔っている』
『可愛いオッサンギャグ言わないでよ、ハマるから』
額が触れ合わないギリギリの距離で声もなく、くくっと笑い合う。
『おやすみなさい、明日も起こして下さいね』
『あぁ。……おやすみ』
そっと触れるだけの口づけをひとつ交わして瞼を閉じた。



*  *  *  *  *



ゆさぶり起こされて仙道は寝ぼけ眼を擦った。自分のベッドで寝たレベルの熟睡をしていたようで、牧に起こされてもまだ頭が働かない。
「俺は先に顔洗ってB寝台にいるから。二度寝するなよ」
「自信ないですぅ…」
今にも再び眠りにつきそうな仙道の額に牧はキスを落とす。
「すぐ涼しくなって寝ていられなくなるから大丈夫だ。じゃあな」
去っていく気配とぬくもり。寒さに身は震えたけれど額への置き土産に頬は緩む。

広くなった座席でゴロリと寝返りをうてば、車窓から東京独特の冴えない青空が見える。香川の抜けるような青空を知ってしまった今では、どこか物寂しい。
今日、この空におはぎの魂が飛んでいく。もしかしたらとっくに飛んでいってるかもだけど。
もう俺は大丈夫だから。お前の骨を見ても愛しさと感謝をこめて“今までありがとう。お疲れ様″と心から言える。だから一人で会いに行くよ。お前が連れてきてくれた俺の恋人に、ちょっとはイイ格好したいしさ。
額に手をあてて瞼を閉じ祈る。俺が生きてる間はお前を忘れることはない。だからお前が転生するまででいいから、お前も俺のことを忘れないでと。


列車の中でおはぎの火葬には一人で行くことや、終わったらメールか電話を入れることなどを仙道は牧に話しておいた。その時は「わかった。連絡待ってる」と牧は頷いていた。駅のホームにある立ち食い蕎麦屋で朝食をとっている時にもその話題はなかったのに。
「大丈夫か、本当に一人で。途中で座り込んだりしないか?」
「しないしない。なんすかもー。そんなに心配そうな顔しないで。ありがとう、牧さん」
いざ離れるとなった途端、牧が心配を前面に出すものだから仙道は内心驚いていた。
とことん優しいのは自分にだけなのか、それとも誰にでもこうなのか。少し気になるけれど、それはおいおい知っていけばいいことだから。今は優しさに素直に感謝しておく。
「気を付けてな。信号ぼんやりして見過ごすなよ」
「あはは、大丈夫だって。じゃあ、連絡するね」
「あぁ。……少しでも辛くなったら呼び出せよ。可能な限りすっとんでくから」
牧の過剰な心配っぷりにどれだけ金曜の自分はダメダメだったのかと、仙道の唇から苦笑が漏れる。その苦笑を己の心配性を笑われたと誤解したらしき牧が少々気恥ずかしそうに眉根を寄せた。
安心させたくて褐色の手をぎゅっと握ればすぐさま強い力で握り返される。困ったように目を細め微笑むこの表情も好きだ。また唇を重ねたくなってしまうほどに。
微かに疼く自分の唇を黙らせるために仙道はキュッと下唇を噛み締めたのち頷いた。
「またね」
「おう」
別れがたさにキリがないため、仙道は今度こそと勢いよく踵を返した。

数歩ほど歩いたところで、仙道は振り向く。案の定、見守るように立ち止まってまだこちらを見ていた牧へ手を振る。
「牧さん。金がたまったら、今度はエンジェルロード行きましょう!」
僅かに驚いた顔は、すぐさま白い歯を見せた。
「次はサンライズツインを予約する」
軽く手を挙げて返した牧は乗り換えのホームへ向かうべく、今度は先に背を向け雑踏に紛れていった。















* end *









ちなみにホームの蕎麦屋で朝から牧はカツ丼、仙道は親子丼を食べてます。
金曜の夜から日曜の朝までのお話を話数を十分に使って書いて満足でしたv

※ここから約一年後の二人のお話『What will be, will be.』はR15です。
年齢が15歳以上でエロギャグを楽しみたいお嬢さんはタイトルをクリックしてねv



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