Sleeper train vol.07
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先にノビノビ座席で寝てしまっていれば牧も諦めてB寝台で寝るだろうかと仙道は考えもした。けれど座ったままでできるストレッチなどをしてB寝台で牧を待った。暖かく単純な走行音が静かに響く室内は動いていないとすぐさま眠りを連れてきてしまう。 ─── 先に風呂に入らせたのは俺をこの部屋で先に寝かせるためだろうけど、その手には乗らねぇ。 寝台に座り足首の柔軟をしていると案の定、ノックもなく扉がそっと開かれた。 「ノックなしはマナー違反ですよ」 「すまん、寝てるかと思ったんだ」 「寝てたら起こさないつもりだったんでしょ」 「そりゃそうだろ。お前だって寝てる俺を起こさなかったじゃないか」 悪びれたふうもなく言い返された。座ったまま寝ていれば俺が寝かせておきたいと思ってもどうしたって一度は起こすしかない。そこを踏まえた上で座ったまま寝ていたくせに。しかもなんだか俺の方が分が悪くなっている。自然過ぎて気付かなかったが、もしかしたら食えない奴で有名な彼の後輩の神よりも、よっぽどやっかいな人なのではと勘ぐってしまうけれど。 「俺なんてシャワー浴びてないんだから、さっさと起こしてくれればいいのに。あ〜シャワーはいいなあ、さっぱりした」 などとのんびりと続ける声音にはやはり深いものはないように思えもするから、まったく読めない。 隣に腰かけた牧が薄いタオルで髪をがしがしと拭きはじめた。仙道は牧の頭部へ手を伸ばす。 「…牧さんの髪、柔らかいすね。デコに髪の毛全部下りてるの初めて見た。なんか別人」 「若く見えるか?」 真面目な顔で訊かれて仙道はブフッと吹きだした。 「牧さん実はかなり自分の見た目年齢気にしてるんすね」 「俺自身よりまわりが煩いんだよ。で?」 濡れておりている少し長めの前髪の下から見上げてくる視線が普段より幼く感じて、妙に戸惑ってしまう。 「ど、どうだろ…わかんない。…俺は、牧さんは額を少し見せた方が……」 仙道は牧の下りている前髪を手でかきあげたところで動けなくなった。 上目遣いに見つめてくる瞳に黄色味を帯びた照明が射しこみ複雑な虹彩を際立たせる。この世に二粒しかない美しい宝石に心を奪われる。シャワーで血色が良くなった唇は舐めれば甘く溶けそうに艶めかしいくせに、ほんのりと上気した頬はどこか初々しさを感じさせるのだから質が悪い。仙道は息をすることさえも忘れて魅入られてしまった。 数秒か、それとも数分だっただろうか、視線が絡み合っていたのは。やたらと喉が渇くような甘い空気が濃密に二人を包んでいる。そう感じているのは今度こそ俺だけじゃないはず。 しかし廊下から人の声が漏れ聞こえてきて、彼が先に視線をはずした。 「……さっさと続きを言え。どうなんだ? 額は全部出した方がいいのか?」 「あ。えと。オールバックも格好いいけど、真ん中分けの方が優しい感じがして、俺は好きかな。そういえば高一ん時の牧さんは二年の頃より前髪がこう、リーゼントっぽかったすよね?」 手振りで髪型を伝えながら、仙道は高校一年の頃の彼とは会ったことがないのに、知って覚えている自分に驚いていた。 それを顔にも声音にも出さなかったため、牧も知られていることに疑問を持たなかったようで普通に返してくる。 「一年の頃は舐められないようにと思ってリーゼントにしていた。けど部活の奴らにリーゼントは迫力あり過ぎてヤンキーのボスだと言われてな。それで二年はオールバックにしたんだが、今度は堅気じゃないと言われた」 「うっ。…た、確かに」 「そこはお世辞でいいから、そんなことないですよと言うところだろうが」 パコンと頭を叩かれて仙道はぺろりと舌を見せて「そうでした」と笑った。 「とどめに桜木が“じい”と呼ぶもんだから、前髪を下ろしてみたんだ」 「そして今の髪型に至る、ってわけすか。なるほどねぇ」 「……人の意見だけでコロコロ髪型変えてるわけじゃないぞ?」 少し不貞腐れた感じで口先を尖らせる彼が年相応に可愛く感じられて困ってしまう。 「何を変な勘ぐり入れてんすか。いーじゃないすか自分の頭なんだし好きに変えたって。それに俺は今のあんたの髪型が一番いいと思うけど?」 「ふーん…」 気のない返事の割に牧は僅かに頬を緩ませて膝の上のタオルを畳みだした。 先ほどまで確実に存在していた甘い空気の余韻などどこにも探せなくなっていたけれど、まだこのまま寝てしまうのは惜し過ぎる。 牧からもう寝ようと言い出される前にと仙道は話しかけた。 「明日の東京着は何時でしたっけ。8時くらい?」 「あぁ。朝7時8分くらいだから、早めに寝ないといかんよな」 会話選びを失敗したことに気付き、急いで別の話題に替えようとしたところで牧が先に口を開いた。 「だがまだ少しいいだろ? お互い髪がもう少し乾くまで」 「もちろん。髪の毛生乾きで寝るとノビノビ座席だと頭から風邪ひきそうですよね」 「あー…まぁな」 これで髪がしっかり乾くまではここで一緒にいられる。仙道は我知らず笑みを零した。 牧から引き留めてもらえて、少し浮かれた気分で振り向いた仙道は牧の神妙な表情に首を傾げた。何か言いたそうに見えたからだ。 言葉を待っていると牧は躊躇いがちに口を開いた。 「……お前を連れまわしておいて、今更蒸し返すのはどうかとも思うんだが……気になって」 「蒸し返す……? あ、おはぎのことですか?」 牧は頷きながら「聞いていいか?」と。もともと小声で話しているのに、更にボリュームを絞って断りを入れてきた。 「牧さんに連れ出してもらってなかったら、昨夜はずっと。今日なんて学校も部活も休みだから、ずーっと卑屈なまんま凹んでましたよ。牧さんに救われてすげぇ感謝してます。実際俺、薄情だけど今日はおはぎのこと午前中は全く考えてなかったよ」 しっかり旅を満喫してました、と苦笑いをすれば牧は軽く微笑んだ。 「薄情じゃないさ。東京駅で座ってたお前は本当に酷い面をしていた。犬猫…動物ってのは、飼い主が弱っていると心配して寄り添ってくるだろ。あんな面のままだとおはぎは心配で成仏もできずお前についてなきゃならんだろうが。お前の顔が晴れておはぎも少しは安心できて喜んだに決まってる」 「そっすね…。できれば俺より、姉ちゃんについててもらいたいな。俺は牧さんがついててくれたから早く浮上できたし」 「そう言ってもらえると俺が救われる…。時々だが、悪かったかなと…悲しみに静かに浸る時間を邪魔しているかもしれないと思ってもいたから」 伏せ目がちに自分の足先を見て話す牧の横顔を見つめながら、仙道の顔が歪む。 (だからあんなに……俺が勝手にもうあんたとは親友レベルだと錯覚するほど優しくしてくれてたんだ…?) 同情だけで付き合ってくれたのなら、神奈川に戻ってから会う約束をくれないことに合点がいく。 身体の芯が急に冷たくなってきて、仙道は自分の体を抱きしめるように腕組みし項垂れた。 膝の間に組んでいる己の指先から視線を動かしていない牧は静かに話し続ける。 「俺は自分が救われたくて蒸し返したんじゃなくてだな。おはぎにはしっかり別れを告げ終えているのか……家の庭にでも埋葬したのかと聞きたかったんだ」 「あー…。実家、マンションなんで。ペット霊園で焼却してもらうって言ってました。日曜の午前10時しか予約取れなかったとかって。あと金曜の夜中に姉から…」 コートのポケットから携帯を取り出してメールの添付写真を牧に見せる。 「個別予約入れたら業者さんが保冷材入りの綺麗な箱を届けてくれたみたいでね、」 白い箱の中、お気に入りのブランケットで頭以外をくるまれたおはぎは眠っているようで、この写真を見たことも辛さを和らげられたのだと仙道は言い添えた。 牧は「ありがとう…」と軽く頭を下げて携帯を返すと、「差し出がましいことを聞くが。お前は霊園へ行かなくていいのか?」と訊いてきた。 「俺なんか。二年……三年近くほったらかしに近かった俺が、今更すよ」 軽い笑いを混ぜて流すように返事をしたかったのに、おはぎの写真を見ていたせいで笑い声は出てこず、ただ口元だけが奇妙に引きつれただけだった。 ふいに肩に温かく心地よい重みを感じた。牧の腕が肩に回されているからだと気付いた途端、仙道の視界はじわりと滲んで歪んだ。 日中何度か犬の散歩をしてる人達を見かけた時ですら、涙など出る気配もなかった。なのに彼の腕の中にいると卑屈さや空しさなどの暗い感情は消えて、ただ会えなくなった寂しさや楽しかったおはぎとの思い出だけが満ちてくる。だから静かな涙を引き出されて、その涙がまた辛さを少しずつ洗い落としてくれるから……離さないで欲しいと。同情だけだとわかってしまってもなお、甘えたことを願わせられるのだから困ってしまう。 牧の大きな掌と長い指がしっかりと仙道の肩を握るように包む。 「……無理して抑えるな。遠慮せず何回でも泣いとけ」 もう泣かないようにと体に力を入れていたのが伝わってしまっていたのを知らされる。 仙道は俯くと同時に涙が零れ落ちる自分を許した。 牧の腕が離れていく。熱を帯びていた体に訪れた軽さと涼しさに物寂しさを感じたが、差し出されたポケットティッシュをありがたく受け取り鼻をかんだ。 「場所は東京市内なのか?」 「あ、はい」 「なら、行けよ。一人で行くのが嫌なら俺も一緒に行く。参列させてもらえるならしたいし、水を差すようなら俺は近場で待機してる」 「なんであんたがそこまで…」 「お前が好きだったおはぎを一緒に弔いたい、という理由だけじゃダメか?」 真っ直ぐに見つめ返される。彼の目のふちが少し赤く見えるのは気のせいだろうか。 「ダメじゃないよ。そうじゃなくて、だってあんたも午後練あるでしょ?」 「三年は二月の部活は遅刻くらい大目に見てもらえるんだ。就活や試験で欠席の奴らも数名いるから。お前の方はどうなんだ?」 「俺? 俺は監督に見つからなければ楽勝すよ。見つかっても寝坊したって言えば大体なんとかなるんです」 にこりと仙道が笑むと牧は苦笑いを零した。 「なら、決まりだな。明日は東京駅構内でさっと朝飯すませようぜ。いいだろ?」 初めて牧さんから明日の約束を取り付けられた。それも、彼自身から。これはおはぎが俺にくれたプレゼントだろうか。もしかしたら昨夜彼に引き合わせてくれたのも、おはぎの粋な計らい…? そんなことを考えてしまうのは不謹慎だろうか。…だけどあの優しくて賢いおはぎなら。三年間の不義理すらも許して、弔う資格の有無をぐずぐずと自問し躊躇う俺の背を押す存在を用意してくれたようにも思えるんだよ……。 仙道はほろりと微苦笑を浮かべて頭を下げた。 「ありがとうございます」 「別に礼を言われたくて行くわけじゃない」 「うん。わかってる。でも俺、あんたが行くって言ってくれたから……俺もついていける気になれたから」 「逆だろ。俺がついてくんだ。道案内はお前がしろよ」 照れ隠しなのか渋い顔で付け足した牧に仙道はまた滲んでしまった目を細めた。 「牧さんは……理由がシンプルですね」 全て言わなくても通じたようで、軽く肩をすくめられた。 「まあ…よく言われるよ。宮や坂川なんかには単純過ぎだって」 あ、坂川はクラスの仲間で、宮は時々スタメンに起用されてる眼鏡をかけた背の低いガードだと説明してくれる。 「単純ってんじゃなくて。少ない理由で動けるのは、いいなって」 「人は知らんが…。俺は、行動を起こす理由はひとつかふたつあればいいと思ってる」 「そんだけ…?」 「俺にとって大事なのは目的を達成することだ。だから行動を起こす理由を考え集める時間より、達成するための方法や上手くいかなかった場合の別の手とか……。そういうのを考えたり、そっちに時間を割く方が…向いてるというか、楽というか」 「バスケで例えるのも変だけど、勝ちたい理由を探す時間より、勝つために練習したり、練習方法を見直したりしてる方が楽……ってこと?」 「そんな感じだな。その例えで言えば、勝ちたい理由は後付けみたいなもんだろ。欲する気持ちが強ければ、本当は理由なんてなくたっていい場合もあるんじゃないかな」 「そっか……そうだね。理由揃えるより動いた方が断然楽だし、楽しそうだ」 牧がほころぶ。 「だろ。楽しい方がいいよな」 「うん。断然いい」 「断然か」 「うん。断然」 清々しい風が仙道の胸の内の暗雲を薙ぎ払い空気を一新していく。 今なら言える。明日の約束も既にあるから、断られてももう暗雲に囚われない気がする。 仙道は意を決してはっきりと願い出た。 「連絡先教えてくれませんか。おはぎの火葬が終わったら、待機してくれてる牧さんにすぐ連絡入れたいから。それにさ、また一緒に牧さんとどっか行きたいんすよ、俺」 携帯を取り出した牧とアドレス交換をする。 仙道は内心胸をなでおろしたが、すぐに安堵はかき消される。 「旅行は……資金が暫くは用意できそうにないから、無理だと思う。すまない」 「列車代奢ってもらったから、次は俺が払いますよ」 「だから、奢ったんじゃない。出世払いと言っただろ。桜木もお前もどうしてそう、俺に奢らせようとするんだ。昼飯程度の額じゃないんだから、いつかは返してもらうぞ」 突然、数ヵ月前に牧が桜木を新幹線で愛知まで連れて行った話を持ち出されて仙道の胸に嫌な痛みが走った。その件は神奈川の帝王は金持ちだとか太っ腹だとか、羨望半分やっかみ半分で神奈川高校バスケ部所属の者の間で広く流布されていた。元来噂話に全く興味がない自分がそれを覚えていたこともだが、俺も知っている前提で軽く話されたことにも、何故だか少なからず動揺もした。 「……牧さんはさ、もっと人に金を貸すなら慎重にならなきゃ。俺や桜木が悪党で踏み倒したり、味を占められてたかられたらどーすんすか」 「あのなあ。簡単に金など貸すわけないだろ」 「貸してんじゃん、現に。俺が知ってるだけでも、俺を入れて二人も」 「俺はなあ、基本、人と金の貸し借りはしない。嫌いなんだ。少額なら貸すより奢る方がずっといい、あと腐れがないからな。お前ら二人が例外なんだよ」 呆れた声音はカラリとしたもので、だからこそ余計にまだ自分は桜木と同レベルの、他校のバスケ部のいち後輩でしかないことを言い渡された気がした。俺だけが特別親しくなれたなんて思い上がりだったのだと頭の中の卑屈な自分が嗤う。 「……けど、また偶然暇そうなバスケ部の後輩がいたら誘って同行させんでしょ。旅費立て替えてやってさ。ちっとも特殊なケースじゃないじゃん。二度あることは三度あるってね」 尖ってしまった声音に牧が片眉をいぶかし気に上げる。 「……お前、何か怒ってるのか? 言いたいことがあるならはっきり言え」 怒りではない。即座に脳裏に浮かんだのは、自分に許したあの近距離を、この人は桜木にも。そしてこれから先、別の誰かにも惜しみなく与えるのだという嫉妬。そしてやはりこの人はもう自分と一緒に旅行どころか会って遊ぶ気はなく。またもとのバスケだけの繋がりに戻ることを望んでいるのが確定した失望感だった。 醜い感情を見抜かれたくなくて、立ち上がりコートに携帯を戻す。 夜の真っ暗な車窓に映った自分の顔は。闇を飲み込んだように陰鬱だった。 *Next : 08 |
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この話では牧が1月、仙道が11月生まれの設定です。 |