Sleeper train  vol.05

琴平駅からはことでんに乗った。ことでんは高松琴平電鉄という香川県の市電で、二両の電車がことこととよく揺れながら走る。
彼は「ことでんにも乗れた」と上機嫌に見えた。内心、やっぱり乗り物おたくなのではと思ったけれど、仙道はもうそれについては触れなかった。
暖かな車内で椅子に深く腰を沈めれば、満腹感と寝不足と疲労で瞼はすぐにおりてきそうだった。

「次で降りるぞ、起きろ」と声をかけられ牧の腕時計を覗き込めば、一時間以上も眠っていたとわかり恥ずかしくなった。軽く目を閉じただけのつもりが、大失態だ。
「すんません、爆睡してました…」
「別にいいだろ。昨夜は夜遅くまで起きてたしな」
それはあんたも同じでしょ、と反射で返しそうになった口を仙道はいったん閉じた。同じどころか朝も意地汚くギリギリまで寝ていた自分の方が確実に多く寝ている。そんな奴に先に寝られてしまい、彼は仮眠をとることができなかったのに。責めるどころかさらりと流してくれる、この優しさ。いい男過ぎるだろと俺は頭を抱えたくなった─── が、やっちまったもんは仕方がない。挽回する時間はまだまだあるのだから。
「たっぷり寝たから、もうすっげー回復しました。バンバン歩きましょう!」
「そんな燃えるほど面白い場所ではないと思うぞ?」
「日本三大庭園でミシュラン・グリーンガイド・ジャポンに載ったくらいだから、わっかんないすよ〜」
意識して明るく話しているうちに、本当に疲労が取れている手応えを感じた仙道は元気に腰を上げた。


駅を出て一度曲がってから栗林公園までは一本道だった。綺麗に舗装された歩道のせいか、それとも冬の日が落ちる前にと考えるのか、犬の散歩をしている人達と何度もすれ違う。
そのなかで一匹だけ黒毛のウェルシュ・コーギーを連れてる人がいた。ちょっと太らせ過ぎだな…と腹が地面すれすれの犬を見て思う。でも、それだけ。こいつはおはぎじゃない。
ここ二ヵ月くらいはおはぎと同じ犬種を見かけると、おはぎに会いにいかない罪悪感で自然と目を逸らしていたように思う。昨夜東京駅に着くまではどんな犬を見ても、もうおはぎを散歩させることはないのだと。悲しさや淋しさと、ほんの少し罪から逃げられたような汚れた安堵感を抱いた。その汚さが一層自己嫌悪に追い込んだ。それがたった一晩で、犬の散歩から目を背けなくなっている。おはぎが亡くなったことも、散歩につれていけなくなったのも事実。そう客観的にいくらか思えるようになれていた。
だから自分から言おう。電信柱を嗅いでいる黒毛のコーギーの横を通り過ぎる時に、少しだけ眉間を厳しく寄せただけで何も触れないでいてくれた彼へ。

「さっきすれ違った犬。あれとおはぎが同じ犬種なんすよ」
「そうかな…とは思った」
「茶のコーギーより大きかったでしょ。おはぎもあんな感じだったけど、腹廻りはもっとスリムでしたよ」
「へぇ…」
返事をしにくそうなのがわかる。確かにこんなことを言われてもかける返事なんてない。だからさっさと言ってしまう。
「俺、牧さんのおかげでもう平気すから。気ぃ遣わないで? これからまだコーギー見るかもしれないのに、いちいち気にしてくれてたら牧さん疲れちゃうよ。それに、俺もあんたに悪いなって思うしさ」
「わかった…」
首を傾げるような曖昧な感じで頷かれた。
優しさにキリリと胸が痛むけど、その痛みに救われるようなどっちつかずの感覚の中で伝えた。「ありがとう、牧さん」と。


『特別名勝 栗林公園』と書かれた木製の看板がかる木製の門をくぐれば、すでに広々としていた。入場券を購入し公園へ足を踏み入れると、視界に入りきらないほど広大で美しい景色に圧倒され二人は口を開けた。
「こりゃあ……本気でバンバン歩かんと閉園時間までに見きれんぞ」
「牧さんこれ見た…? 園内マップと見どころ解説のチラシ…広さハンパねぇ。あの山もあっちの山も公園内だって…」
牧が仙道の手元のマップを覗き込む。
「……おい、ここも見ろ。“船頭つきの船で南湖一周30分”…。他にも北湖・西湖、でっかい沼もいっぱいあるってのに」
どれだけ広いんだ…と牧が息をのむ。仙道はチラシにある『東京ドーム16個分』という説明文を見るなりふるふると首を振った。
「やめましょう、全部まわんの。見るとこ絞って歩きましょう。いくら俺ら体力あるっつっても閉園時間までにゃ全部なんてムリっすよ〜」
「だな。作戦会議だ。あそこに座ってコースを決めよう」
「了解っ。その前に俺、飲み物買ってきます。牧さん何がいいっすか?」
「烏龍茶で」
「りょー…かい? 牧さんも行って見て選びます?」
ベンチに向かおうとしない牧に仙道は首を傾げて自販機を指さした。
「……いや、いい。サンキュな」
眩しさに顔をしかめたような微笑みを向けられ、柄にもなく内心慌てたが「いいえ〜」といつも通りの返事をして自販機に走った。

マップを見ても見所が分散しており歩くコースを選びかねていると、通りがかったお婆さん三人組が「梅が見頃で綺麗だったねぇ」「冬場のお花は貴重よぉ」と話しているのが聞こえてきた。特別花に興味があるわけではなかったが、せっかくだからと梅が見れるという南庭回遊60分のモデルコースに決めた。
コースが決まると気が楽になって、手入れが隅々まで行き届いた景色を眺めながらのんびりと散歩を楽しんだ。
「殿様の庭はスケールが違うぜ…。もうこれ、庭っていわないすよねー」
「まったくだ。池も橋も山も湖も全部、わびさびとか計算して配置して手入れされてんだろ…気が遠くなるよ」
「巨大な松盆栽の美とか、この松のうねりがとか? うーん…全く難しいことわかんねぇ…」
「俺も。300年以上前と変わらない佇まいとか言われてもなぁ…」
作り物めいて見えないように、けれど美しく計算されつくした風景が延々と広がる。300年前に殿様の庭にタイムスリップしたような、時代劇映画のセットに迷い込んでしまったような気分になる。でも当前ながら殿様や忍者などが出てくるわけじゃない。美しいとは思うけど景色にいつまでも感動はしない。かといってつまらなくもない。それは彼も同じのようで、どこか呆け顔でてくてくと歩いている。そんな自分達は、なんだかひどくマヌケだ。
「……わかんねぇけど。空は青くて緑も水も綺麗で。のどかな感じで……リラーックス!」
両腕を天に突き上げてやけっぱちで仙道が吠えれば牧が笑った。
「お前、雄叫びと一緒に魂まで出しただろ。しまっとけ」
「牧さんだって頭から半分くらい魂出てるよ。……なんかさぁ、こんなに長い時間一緒にいたことなかったせいかもだけど。牧さんってバスケから離れたらちっとも″神奈川の帝王”ってあだ名、似合わないすね」
「幻滅したか?」
「全然。それに幻滅するほど深くも知らなかったし? だから、まさか」
仙道は言葉を紡ごうと開いていた唇を閉じる。
今、自分はなんという言葉を続けようとしたのだろう。心臓がやけに走る。指先がビリビリする。
「まさか?」
尋ねるべく復唱され、仙道は今目が覚めたかのように数回瞬きを繰り返す。
「だから…まさか……い、いきなり俺を旅に連れ出すとは思わなかったっす」
自分で言ってて話の流れというか主旨がズレているのがわかる。苦しい。でも咄嗟にうまい言葉など捜せなかった。
しかし彼は、「俺も。自分でびっくりした」と苦笑いを零して話を終わらせてしまった。

二歩分ほど離れている場所に立つ彼が、橋の下を泳ぐ鯉の群れを眺めている。
その穏やかな横顔を盗み見ながら、己に問う。こうしてただ散歩を楽しく続行していることを俺は喜んでいるのか。それとも彼に趣旨のズレを指摘されて、最初に浮かんだ生のままの言葉を聞き出されたかったのか。そうなっていたら自分は言えただろうか。
『だから、まさかたった一日程度しか一緒に過ごしていないくせに、あんたを好きになるなんて思わなかった』などと。

長閑過ぎる悠久の時を留めたような美し過ぎるこの場所で。
もうゆっくりと淡いクリーム色を帯びだした冬の陽を浴びながら。仙道はろくに景色を見もせずに、ぼんやりと自問ばかりを繰り返していた。


再び栗林公園駅まで戻りことでんに乗車した。帰宅ラッシュが始まるにはまだ少し早いけれどけっこう混んでいたため、ドア付近に並び立つ。
「急勾配上って城を見て、石段上って神社参拝して。立派な公園でぐるぐる歩いて梅も見て。いや〜いい運動量になりましたよね一日で!」
「一日観光でも運動になるもんだな」
「や、普通は一日に三ヵ所の観光名所回るとしても、この三つをまとめて選びはしないんじゃない? 神社も城もけっこう歩くもん。あの公園が文化財庭園の中で日本最大の広さだって知ってたら、俺らも選んでなかったよね?」
「そうかもしれん。体力のあるお前とだから気が向くままに行けて、いい旅ができた。礼を言わねばならんな」
心からの感謝が込められている深みのある笑みと優しい眼差し。それを向けられただけで仙道の胸は甘苦しく疼く。
「ちょっとぉ……牧さん、いい男過ぎでしょその結論。女の子だったら堕ちてますよ?」
さきほど自覚したばかりの気持ちが不用意に悟られてしまわないよう、乾いた喉を上下させて無理にふざけてみせた。そんなこちらの気も知らない彼は、今度は軽くあしらうように笑った。
「こんな体力勝負の気まま旅など、早々に女性の方から断られるだろうよ」
「まぁそーかもしんねぇすけどぉ」
口先を尖らせた仙道へ牧は少し肩を寄せると小声で聞いてきた。
「お前は?」
「俺?」
「お前は堕ちないのか?」
ニヤリと片方の口角を上げる悪戯っぽい頬の輪郭をオレンジの光が縁取る。思わず目を奪われてしまう。
「なっ……、バカ言わんで下さいよ」
カッと首から上が熱くなった。気付かれたらまたからかわれそうで、夕日の力を借りるべく急いで車窓へ顔を背ける。やたらに喉が渇いて干上がりそうだ。
ガラス越しに牧がこちらを見ていないのを確認すると、仙道は頬の熱を冷ますべく短く息を吐いた。


高松駅に近いことでん高松築港駅で下車した。通路に貼られた綺麗な写真のポスター『日本三大水城・ 史跡高松城跡 玉藻公園』が二人の目にとまる。牧が腕時計に目をやり「……今から行っても閉園時間が17時だからなぁ」と呟くのを耳にした仙道は勢いよく首を振った。
「もう城はじゅーぶんっす!」
「だよなぁ。城と公園はもういいか」
「そっすよ!」
あまりの力強い返事に牧が顔だけで笑う。
「それなら、これからどうしようか」
仙道は駅構内の壁面に設置されている高松市内の地図とその隣の広告にざっと目を通して指差した。
「温泉なんてどっすか? いくつか近距離にありますよ。どれも日帰り入浴ありだって」
「温泉……」
「かなり歩いたから汗もかいたし。地元の銭湯とかも風情があっていーと思いません?」
続けた仙道へ牧は浮かない顔をした。
「……バスタオルもないし、出発までの間に湯冷めするかもしれない。…夜は寝台列車内のシャワーを使ってみたいから、風呂系はなしにしよう」
疲れもとれる良い案だから断られるとは思いもしなかった。つい、温泉に売ってる普通のタオルでもいいでしょと言いかけたが、そこは寸でで飲み込んだ。こうもゴリ推ししたくなってしまうのは、自分が純粋に温泉に浸かりたいからではない別の理由があるからだ。
俺は、彼を好きになった自分の気持ちにまだ確証を持ち切れずにいる。彼を人として好きなのか、それとも恋愛対象としてなのか。彼を好きだという感情のベクトルがどちらを向いているのかを見極めたくて温泉を選んだ。彼の裸体を目にすれば理屈ではなく感覚で判別できるかもと狙ったのだ。
けれどこの旅は彼のもの。俺は余分なオマケだ。分はわきまえないといけない。
「そっすか。他にこの近辺では……」
「いや、もう観光関係はどこも閉園時間か間近だろうよ。それよりどこかで晩飯ゆっくり食って、高松駅近辺の喫茶かなんかで出発まで時間潰そう。お前も疲れただろ」
暮れかけの夕日を背に労うような優しさを向けられてしまえば何も言えなくなる。
こんなに楽しいのに。何故か焦りばかりが募っていく。
言葉を探せなかった仙道は眉尻を少し下げ曖昧な感じで頷いてみせた。












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列車のシャワーより観光地で温泉の方がよっぽど疲れがとれるのに……非常に残念です。
二人には疲れを流し合ってもらいたかったですね。←精一杯のやせ我慢☆



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