Sleeper train  vol.03

朝6時15分頃。牧は仙道を起こしにB寝台へやってきた。一応ノックをしたが牧の予想通り返答はない。
寝台で長身を丸めて眠る仙道を牧は壁にもたれて暫く眺めていた。しかし通路を通る人の声が増えてきたため、仙道の肩にそっと手を置き優しく揺さぶり起こす。
「おい、そろそろ起きろ。洗面所の列、長くなってたぞ」
「…………顔、洗わなきゃダメ…?」
「まあ、別に駅のトイレで洗ってもかまわんが」
「おやすみなさい…」
「俺は洗ってくるからな。戻ってきたら起きろよ」
「はぁい」
牧が毛布をかけなおしてやると、仙道はもぞもぞと毛布に半分ほど顔を埋める。声をかけてから一度も瞼が開くことがなかった仙道に、「朝に弱いのは大変だな」と牧は苦笑を残して客室をあとにした。

香川県高松駅には7時30頃に到着した。列車を下りて仙道は胸いっぱいに冬の朝の空気を吸い込む。冷えた空気が心地よく肺を満たすと背筋が伸びた。
「あー、やっと目ぇ覚めました。天気よくて気持ちーすね」
「瀬戸大橋からの朝日はとても綺麗だったぞ。俺は海面が朝日を弾く眩しさでシャッキリ目が覚めた」
「え〜なにそれ。一人でいいもん見て〜」
「到着ギリギリまで寝てた奴がもんく言うな。……お前、こっちがわ酷い寝癖だな。稲妻走ってるぞ」
牧に笑われて仙道は寝癖のせいでジグザグに地肌が露出している側頭部へ手をやる。
「キオスク寄っていっすか? 歯ブラシとスプレー買いたい。シェーバーは…牧さん貸してくれます?」
デイパックから取り出した小さな黒いビニールポーチ(多分、サイズ的に洗顔セット)ごと手渡される。
「その中に足りない物を買ったらトイレで整えてこい。稲妻と無精ひげで美形が台無しだ」
己のざらりとした顎を撫でた仙道は首を傾げて牧をみやった。
「…俺、美形すか?」
「神奈川篭球部三大イケメンの一人と言われてるだろうが」
「いや、あんたから見てどうなのかなって」
牧の片眉が跳ね上がる。少々嫌そうな口元をしたからまたスルーされると思ったが。
「……顔洗って髭剃ったら、お前ほどの男はそういないだろ」
不承不承といった体ではあるが肯定的な返事をいただいた。正直なところ、カッコイイとかイケメンだとかは言われ慣れている。なのに、ちょっと無理やり言わせてしまったような感じでも彼の口からだと、やけに嬉しくて顔が笑ってしまう。
「なんだろ、すげーいい気分…。へへへ。あざす」
「まぬけ面してねぇで早く行け。俺はあっちのチラシ置き場見てるから」
「はーい。……あ。俺、牧さんの寝起きの顔見てねぇや。明日見せて下さいね」
「バカ言ってないで、さっさと行ってこい。置いてくぞ」
「はーい」
長い足で少しだけ早歩きで去る仙道は、その背を牧がどんな顔で見送っているかは知らない。


香川県での初うどんは早朝から開店している『味庄』にしようと牧から提案してきた。仙道がその店をどこで知ったのか聞くと、「チラシ置き場にあったうどん屋マップを見てたんだ。すぐそこみたいだったから」と返された。
昨夜から空腹の自分を気にして近場の店を選ばせてしまったのではと仙道は焦った。「金毘羅神社の近くに有名店があるって、ガイドにありましたよね」「俺はもっと遠くても平気ですよ?」などと言ったけれど。牧に「今日は何回もうどんを食うんだ。一軒目からそうこだわらなくたっていいだろ。それに俺も腹が減った」とあっさり押し切られてしまった。

味庄には駅から徒歩二分もせずに着いた。外観からして平屋風の庶民的な雰囲気漂う佇まいだ。暖簾をくぐって中へ入ると、試合会場などでもよく見かける事務的な長机と簡易な丸椅子。カウンターにはトッピング用の揚げ物がバットに山盛りで乗せてある。素っ気無い食堂的な雰囲気はまさに地元の野郎向けを思わせた。実際店内はオッサン率が異様に高い。
仙道は牧の耳元へ小声で呟いた。
「……他行ってもいいんすよ?」
「何で? 落ち着く感じの店じゃないか。あ〜…匂いで腹が鳴るなぁ」
牧はすぐに歩を進めると、楽しそうに壁に貼ってあるメニュー札を眺めだす。その様子に仙道はホッと息を吐き、隣に並んでメニューを見上げた。
かけうどん大270円に牧はトッピングでエビ天150円を、仙道はイカゲソ天130円を選んだ。
「いただきます」と二人は同時に口にし、勢いよく食べはじめる。
あまりに安いから期待していなかったが、麺は手打ちらしくもちもちとしており、セルフの出汁なのに味もしっかりしていた。神奈川にもある某大手セルフうどんチェーン店と一味違うと思ってしまうのは、うどんの本場香川県にいるせいだろうか。
「美味い」
隣から聞こえてきた力強い牧の一声に仙道も強く頷いた。
「うん。麺が違いますよね。出汁を自分で入れたり、ねぎはスプーン二杯までとかも面白いし」
「あぁ。……いなり寿しもつけたい気もしたが、まあまだ一店目だからな」
「牧さんは朝からしっかり食う派なんすね」
「お前は?」
「早く起きた日はけっこう食いますよ」
「あまり食ってないのか…朝飯は大事だぞ」
「なんで俺が普段寝坊しまくりって決めつけるんすかぁ」
「“早く起きた日は”と言ってる時点でアウトだろうが。まだ頭寝てるだろお前」
フッと呆れるように笑われても嫌な気はしない。
(ああ、やっぱり。今日もだ。いいんだよなぁ、なんかこの人…)
どんな場合でも言葉に嫌味や意地の悪さを感じさせないのは性格か、それとも育ちの良さだろうか。傍にいるのがこれほど心地よいと思わせる人はなかなかいない。けれど、そんなことは面と向かっては恥ずかしくて言えない。
「……うどん県のうどんは、やっぱ美味いすねぇ」
「返事遅い上にスルーかよ。まあ、食って内臓が動き出せば目も覚めるさ」
綺麗な箸使いでどんどんうどんを食べていく様子を盗み見ながら。仙道は腹の底からじんわりとあたたまっていく心地よさに、満足気な猫のように目を細めた。


朝食をすませてJR高松駅に戻り、電車で40分ほどで丸亀駅に到着した。駅を出ればもう丸亀城の天守閣と立派な石垣の一部が見えている。
「地図いらずですね」
「楽でいいな」
まだシャッターが閉ざされている知らない街中をのんびり並んで歩いている。それだけで俄然旅行気分は高まる。朝日の眩しさに目を薄く眇めながらたわいのない会話を交わすのが、楽しい。

駅から10分もかからず城の石垣近くまで来た。小さな天守閣の下には立派過ぎる巨大な石垣が続く。それらを、これまた立派なお堀がぐるりと周りを囲う。水面が冬の日差しを銀色に弾いて、煌めく。
「内堀の水、綺麗だよなぁ。……それにしても日本一高い石垣…デカ過ぎるだろ。天守閣が小さ過ぎるのか?」
「遠近感狂う…わかんない。確かに天守閣と石垣の規模が合ってないすよ…。昔は人力しかないのに、なんでこんなすげー石垣作れんだろ。とんでもねぇ量の石使ってさぁ。すげぇなぁ。…あ、魚はねた。なんだろ…鯉かな」
外周の石垣と内堀を交互に眺めながら話しているうちに大手門へ到着した。
「これが大手門か……。瓦屋根付きで堂々としたもんだなぁ」
「うん。威風堂々って感じ? なんか時代劇のセットみてぇ」
国の重要文化財に指定されているという大手門を暫し二人はポケーッと見上げていたが、観光客の団体が戻ってきたので、避けながら大手門をくぐり観光案内所へ立ち寄る。そこで丸亀城案内地図をもらい、城を目指すべく急な坂道を上りはじめた。
「この坂の傾斜、すごいね。アキレス腱伸びまくる」
「あぁ。この急な坂道とそれに沿うこの高い石垣。これでまず敵は戦意喪失させられるよな。重い甲冑を着て武器まで持ってたら、上るだけでもキツいだろ」
仙道は斜め前を歩く母親くらいの世代の女性三人がヒーヒーいいながらのぼっているのを見てから、再び牧へ顔を向ける。
「……軽装でも大変キツそうだ」
真面目な顔で言い直した牧に仙道は笑った。

扇の勾配になっているという総高60mの高石垣をのぼりきると、開けた場所に屋根がついた『二の丸井戸』という日本一の深さを誇る井戸があった。
立て看板を読んでいる牧の横顔が渋いものに変わる。仙道がその顔を覗き込めば低く唸った。
「…命ぜられて立派な石垣を築いたのに、敵に通じて情報漏えいされたら困ると勝手に思い込まれて。あげく井戸の深さを計ってる間に石を落とされ殺されたって……どう考えても、出るだろここ」
「出るって……お化けすか? もしかして牧さん、お化け怖いの?」
「俺とは縁もゆかりもないから怖くはない。気の毒に、殺しを命じた奴を存分に呪ってくれと思うくらいだ」
「あはは。じゃあさ、縁やゆかりがあったら怖いんだ?」
「…気持ち悪いだけだ。……なんだ? その顔は」
「いーえ、別に? それよか早く天守閣上りましょうよ。見えてんのに」
漆喰が塗られた15mほどの天守閣は日差しを浴びて白さが目に痛いくらいだ。
「おー…。小さい天守閣だが美しいな」
「木造建築では日本で一番小さい天守なんだって。つっても木造天守は現在12ヶ所しか現存してない、って書いてあるよ」
「ふぅん。では敬意を払って見るとしようか」
「入場料も払ってね」
「ダジャレ小僧一枚と大人一枚分、これで買って来い」
「小僧と大人に見える未成年の分ですね。了解しました」
金を仙道へ手渡した牧が己の拳にハーッと息を吹きかける仕草をしてみせたので、仙道は笑いながら券売所へと走った。

天守閣の一階は資料館のようになっていた。
牧は軽くざっと眺めると、仙道をちょいちょいと指先で呼んでひとつの展示品を指さした。
「この戦国時代の兜なら、お前もかぶれるよな?」
ガラスケースの中の兜は、烏帽子に烏天狗風の変なお面がくっついているような奇抜過ぎるものだった。
「…確かにこれなら俺の自慢の髪型も乱れずにかぶれそう…って、あんた酷くね?」
はははと満足そうに笑うと、牧はもう二階へ続く急な階段を上りだした。
井戸の立て看板を読んでいた様子から、じっくりひとつひとつ展示品を見て説明を読む人だと思っていたため、仙道は小首を傾げ尋ねた。
「説明読まないんすか?」
「読んでも覚えきれんし、ポイントはガイドブックやパンフに書いてあるだろ。後から興味がわけばネットや書物で調べるさ。それより俺は建築物や景色などを五感で感じておきたいんだ」
「あとから説明読んで興味が湧いて、あん時実物をもっとしっかり見ておけばよかったなーとかは?」
「ない。仮にあったとしてだ、地の果てまで行ったわけでなし。またいつか見に行けばいい。まあ、そこまでの興味が湧けばの話だがな」
なるほどそういう旅の仕方もあるのかと感心していると、振り返った牧にまじまじと顔を覗き込まれた。
「なんすか?」
「いや……お前、思ったより素直な奴なんだな。もっと食えない奴だと思っていたんだが」
「はあ。どうして?」
「だってお前、信じて納得したような顔して頷いてただろ」
「! 嘘ついたんすか!?」
「全部ではないが、ほとんどは説明を読まないための建前と屁理屈だろうが」
「!! なら、さっきの説明であんたの本音の部分てどこなんですか」
「……その場で説明読んだって覚えきれない、かな?」
「ほとんど建前じゃん!! あーもー、格好いい旅行の仕方だなって思って損したあ」
「嘘だよ、全部本当だ。あまり素直に信じてくれるから、自分で茶化したんだ」
牧は軽い微笑みを浮かべるとすぐに背中を向けた。照れ隠しだったのか…と一瞬思ったけれど、牧の肩が微妙に揺れているのに気付き、仙道は眉根を寄せた。
「………それも一部しかホントじゃないんでしょ」
「お? 学習早いな。よしよし」
振り向いた牧の大きな手が突然後頭部に触れてきた。犬を撫でるような感じでわしゃわしゃとされてぎょっとする。
「よしよしじゃねーすよ! もー、ホントあんた試合や合宿ん時と別人過ぎ。面白過ぎんでしょ」
「そういうお前も、随分と可愛い奴で驚かされてばかりだよ」
また楽しそうに笑い先を行く牧の後ろで、仙道はやけに熱くなってしまった頬の内側を噛みながらついていった。

「ほら、見ろ。絶景だ」
牧の声に仙道は顔を上げた。何もない二階を通り過ぎ辿り着いた最上階はとても狭く、人もいなければ物もなくガランとしている。牧の手招きで仙道は天守閣の窓から少し上半身を乗り出して眺めてみた。
遮るものがなにもない冬の青空の下には城を取り囲むように植えられた立派な常緑樹の緑。その裾から広がる街並みと、さらに向こうは冬枯れた山と海。
「……確かに、絶景すね。すげー清々しい景色だ」
「そうだな。400年前とは街並みも違えば植えられた緑の成長具合も違うだろうが。それでもこの清々しさと吹き抜ける風は、そう変わらんのではないかな…」
数歩後ろから聞こえる彼の低く落ち着いた声が景色に400年の重みを添えるようで、とても好ましい。
「…うん。なんか今、ちょっと城主の気分を疑似体験…っと、突風きたっ」
風に押され上体をそらすと後ろに立っていた牧が両肩を支えてくれた。
「ひっくり返ったら痛いぞ、板の間だからな。あ、ほらあれ見ろ。あれが瀬戸大橋だ、多分」
すぐに離された褐色の手が海を指し示す。どうも、と牧へ小さな会釈をして再び景色を望む。遠くに細く白い線で緻密に描かれた絵のような橋が見える。
「へえ……綺麗だ。じゃああの辺が瀬戸内海?」
振り向くと頷かれ、ほんの少し両方の口角をあげられた。それだけなのに胸の奥がキュっと絞られる。
「…ありがとう、牧さん」
「礼を言うのはまだ早いな。次は金毘羅神社だろ。そっちもきっといい景色がみれる。それに帰りは瀬戸大橋を渡るから、その時はライトアップされた海辺が見れるかもしれないぞ」
「楽しみです」
そう笑顔で返事はしたけれど。礼を言ったのは絶景を見れたからではなかった。しかし誤解をそのままにして、仙道は再び遠くの橋を見つめた。


再び丸亀駅まで戻り、今度は琴平駅へ向かった。土曜のせいか電車内は混んでおり、最初の一時間ほどの乗車中、二人は立ったまま車窓に流れる景色を眺めながら揺られていた。残り30分というところで団体客だったのか一気に人が降車して座ることができ、琴平駅に到着したのは昼前だった。
駅で新たに入手した観光マップに金毘羅神社へ行く川沿いルートが紹介されていたので、素直に従うことにした。
趣のあるJR琴平駅舎を出ると、目の前に金毘羅神社がある象頭山が見えた。
「…神社入り口まで徒歩25分と書いてあるが、すぐ着きそうだ」
「そっすね。あ、狛犬。灯篭もある。なんか旅行気分が盛り上がりますねぇ」
「あぁ。乗り物もいいが、歩くと色々と発見があっていい」
歩きながら話している間に、道の右手先に琴平電鉄の琴平駅が見えてきた。大きな白い鳥居や瓦屋根の一風変わった駅舎を外から少し眺めてから川沿いを歩く。細いその道の頭上には赤い色で「金」と書かれた黄色い提灯がずっと先まで連なっている。
「夜歩いたら風情がありそうだ」
「川に黄色い丸い灯りがうつるのかな…。夜も見たくなりますね、寒そうだけど」
隣で頷く穏やかな横顔と知らない町の風景が仙道の中でとてもしっくりと重なる。
(なんだろ、やたら心が浮き立つような。ただ歩いてるだけなのに…。旅行ってこんなだっけ?)
通った鼻筋や彫の深い目元がローマの彫刻のようだ……と、長く見つめ過ぎてしまったようで首を傾げられてしまった。
「…どうした?」
「いえ、なんでもないす。あ、新町商店てこれだよね。てことは、この橋を渡ればすぐですよ」
「ここまでゆっくり来たのに15分もかかってないような。もう少し先の橋じゃないのか?」
「俺らだと歩幅が一般より大きいから早く着いたんだよ、きっと。いきましょう。ほら、橋の向こう、なんかにぎやかになってきましたよ」
いつもの調子で返事をしながらも、何故かやけに焦ってしまっている自分に戸惑う。

少し足早になった仙道の数歩後ろを、牧は川を眺めながらついていった。







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展示物の解説、読まないと展示物の値がわからないけれど。なかなか全部は読めませんよね。
私は読むのも遅いので気に入った展示物の説明だけ読みます。それでも忘れちゃうけど☆



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