|
|
||||
朝食後、神に『俺は朝一から講義が入ってるけど、牧さんは?』と尋ねられた。牧は二講目からで時間があるから神を車で大学まで送ると申し出た。神は驚き何度も断ってきたが、牧としては恩返しにもならないがと頑なに譲らなかった。 押し切られた形で乗り込んだ車中で神は『昨夜は牧さん、家主をおいてさっさと寝てしまうからゆっくり話もできなかったし、俺の携帯が入ったバッグに足をのせて寝てたから、ノブ達に連絡も入れれなかったんですよねぇ』などと、さらりとした嫌味を笑顔にのせて語った。牧としてもまさか自分でもあれほど早く寝付くとは思わなかっただけにバツが悪く。続く神の『今夜は飲みですから。異論は認めません。…そうなるとゆっくり話もできませんね。明日の夜こそゆっくり語り合いましょう』と。言外にもう二泊しろという内容に牧は頷かざるをえなかった。 午後の講義が教授の都合でかなり早く終わったため、部活が始まるまでけっこうな空き時間ができてしまった。牧は一人になりたくて車を出し海へ向かった。
サーファーがちらほら浮かぶ海は薄曇りの空色。牧はぼんやりとハンドルに組んだ腕をのせ、フロントガラスごしに波間に浮かぶ人影を眺めた。 (腹〜胸で少々ヨレぎみってとこか。これならカットバック入れながらインサイドまでつなげば……) などと波を見ながらイメトレをしようとしては、途中で何度も失敗する。 理由は昨日仙道へメールを送信してすぐに電源を切った携帯が気になっているからだ。昨日は返事が来ないのも淋しくなりそうで、かといって来ていたとしても読むのも怖かった。 しかし現実から逃げてぐっすり眠ったのがよかったのか、今はどのみち気になるくらいならと電源を入れられた。サーフィンと部活の仲間から四通。 そして一番気になっていた仙道から、一通。 ─── 『件名 松井さんって誰ですか? 外泊了解です。松井さんは俺の知ってる人? 牧さんは晩飯何食いましたか。 俺は焼肉弁当と総菜。両方ハズレでした。』 メールの内容があまりに今回も普通過ぎて拍子抜けする。同居は終わりと思い込んでいるのは自分だけかと錯覚しそうになるほどに。そうであったらと願う気持ちが自分に都合よく読ませてしまうだけ、とわかっているけれど。それでも少しだけ救われた気持ちになってしまう。
返信で松井の説明の次に飯のメニューを打とうとして指が止まる。昨夜あいつは一人で味気ない弁当を食っていたのに、自分は神のところで家庭料理をご馳走になっていた。自分の身勝手のせいで侘しい一人飯をさせてしまったことに今更ながら申し訳なさが募る。 今夜はあいつも誰かと一緒に美味い飯でも食ってくれればいいのに。そう思えば、再び指が動いた。 自分で打った最後の一行、『お前も家に仲間呼んでいいぞ。ただし俺の部屋は入室不可。』を三度も読み返す。 本当は俺がいない間に他人をあげてほしくはない。懐かしさともの寂しさを湛えたあの家は、俺一人では朽ちることを僅かに止めることしかできなかった。それが、計らずも仙道が来たことでほがらかな楽しさや優しい空気に満たされて息吹を再び吹き込まれていった。今ではあの家によって育てられたような俺達の少し不思議なほどの良好な関係に、僅かなりとも他者の介入で余計な水をさされたくはなかった。 しかしそれも自分のせいだから仕方がない、とは思いつつも、せめてもと『仲間』と打った。まだあいつとの同居上の約束は有効だろうから、女をあげはしないだろうが……。などとみみっちい心が透けて見える文面に嫌気がさす。けれどまた全消しを繰り返していては送信すらできなくなるだろう。 深いため息を零したのち、牧は苦い顔のまま送信ボタンを押した。 その夜、牧は神主催の飲み会に連れて行かれ、高校時代の部活仲間二十数名と飲み食いして楽しい時間を過ごした。牧としてはたった一年半ぶりの集まりなので懐かしいという感慨はなかったが、仲間には散々、「すげーご無沙汰だな牧! この重役出勤! 重役なのは顔だけにしとけよ」だの「飲み会不参加の帝王光臨! 明日は台風か!?」などと手厳しい歓待を何度もされてしまった。途中で後輩達の中でも相変わらず一番元気で煩いほど慕ってくる清田につかまった。何度も「牧さんは誘っても誘っても都合がつかなかったり、OBがいたら煙たいだろとか何かと理由つけて顔出してくんなかった。メールの返信もすげー短いし!」などとグチグチと詰め寄られもした。そのため牧としては途中で抜けるわけにもいかなくなり。結局二次会も最後まで付き合うはめとなった。 深夜三時近くお開きになると、牧と神はタクシーで神の家へ帰宅した。家人は寝ているため、二人は足音を忍ばせて二階の神の部屋へ直行した。
「俺、夜更かし久々なんですげー眠くて……おやすみなさい」 神は相当眠かったようで、言うなり大きなあくびをすると電池が切れたように眠ってしまった。その様子を見るともなしに見届けると、牧は暗がりの中で客用布団に潜り込んだ。横たわれば牧も久しぶりに飲んだ大量のアルコールのせいか強烈な眠気に襲われる。それでも明日のことや仙道に向き合わねばならないことなどを考えようと試みはしたものの。結局は神と大差ないほどの早さで、牧もあっけなく眠りの世界へと落ちていってしまった。 * * * * * 尻の辺りに何かが落ちてきた気がして牧はぼんやりと瞼を開いた。 「あ、すみません。そのまま寝てて下さい」 神の声が離れた位置から聞こえてくる。視界が明るい。先ほど感じた気配は神が布団の上を歩いたものであることに気付く。 「……もう朝か」 「昨日準備しないで寝たんで、今ちょっと用意を……。あ、やっぱすみませんけど牧さんもう少し足をそっちにやってくれます? クローゼット開かなくて」 「すまん……」 牧は掛け布団ごと神のベッド側へもぞもぞと身を寄せた。神は敷き布団のはしを持ち上げるとクローゼットを開いて何やら取り出しはじめた。 高校時代よりはいくらか厚みのでた背中を半開きの目でぼんやりと見詰めていると、振り向いた神と視線があった。 「…………なんだ?」 「あ、いえ。寝起きの牧さんって初めて見たから。口数少ないだけで普通だなーと思って」 「普通じゃないのって……?」 「布団にしがみついて片目だけ半分くらい開いてて。話しかけてもすっごい不機嫌そうに意味不明な返事ばかりするんです。『もう起床時刻だよ』って言ったのに、『……ちくわだからってバカじゃねぇの』とか地を這うような低い声で唸ってきて。『何言ってんの?』って近付いたら、『予備の燃料ならここにはない、帰れ○▽□×……』って後半呪文みたいなのブツブツ唱えて手をあげようとしてきたり。あれこそが俺の知るKING OF 寝ぼけ野郎ですねぇ」 話を聞いているうちに目が覚めてきた牧は半身を起こして首をかしげた。 「それ、起きてるだろ? 寝ぼけてそこまで長く会話なんて成立しないだろ。ふざけてたんじゃないのか?」 「変過ぎるから、俺もそう思ったんですよ。でもそいつが落とした枕を拾ってやろうとしたら、のっそり立ち上がって妙な殺気で拳握って振り上げてきたんです。殴ってくるのかと身構えたけど、急にだらりと拳下ろしたと思ったら部屋を出て行きましてね…。それから間もなく戻ってきたら、『あれ? おはよう神。何で俺の枕抱えて突っ立ってんの?』って、いつも通りの飄々とした顔で聞いてきたんですよ? そんな風なことが合宿中に三日間連続であったんですけど、本人はどれも全く覚えてないって言うんです」 「飄々とした顔って……。合宿中? そいつは俺の知ってる奴か?」 「仙道ですよ、○○大学の。何年前だったかな……あ、牧さんも確かいましたよ。高校時代の神奈川国体メンバーの合宿で、あの時は親睦を兼ねて学年ごとにくじ引きをして同じ番号同士が同室に」 牧は神の説明を遮るように繰り返した。 「部屋割りのことは覚えている。仙道って……あの、仙道彰のことだよな」 「そうですよ、変わった髪形の。あれ? 俺、牧さんにもこの話してましたよね、そういえば。寝起きの仙道は面白かったって。録画したかったなぁ、毎日色々な種類の不機嫌な変人になってて」 合宿の時は携帯持ち込み禁止だったんですよねぇ……と、さも惜しそうな顔で神はバッグを肩にかけ立ち上がった。 「待ってくれ。その、仙道の寝ぼけというのは、甘えてきたり触ってきたりとかじゃないのか?」 「は? だから、三日間全部、普段の飄々とした調子からは想像も出来ないほど暗くて不機嫌で、意味不明なことばかり呟いて。物騒な雰囲気で威嚇もしてきましたよ? 甘えたりなんて一切なかったし、聞いたこともないですね」 「信じられん……あいつがそんな寝ぼけ方をするなんて」 俺は物騒だと感じたことなど一度もない、と牧は思いはしたが口にはしなかった。 「牧さんは仙道を泊めたことが……。あいつに甘えられるような寝ぼけでもされたことがあるんですか?」
探るような神の暗い声音に牧は顔を上げた。神の表情はどこか硬い。牧は咄嗟に嘘をついた。 「いや、人伝でそう聞いた気がしてたから。俺の思い込み違いだったんだな。別の奴の話だったんだろう」 軽く肩をすくめてみせたが、神は黙ったままで牧を見返してくる。牧もまた無言でその視線を受け止めたまま、何故自分は嘘をつく必要があったのだろうかと顔には出さずに考えていた。 短い沈黙ののち、軽く息を吐いた神が先に口を開いた。 「フッキー…あ、元陵南の福田のことですけど。そいつは『寝ボケてる仙道は物騒だから放っておくに限る』『二度寝してから起きると普通に少し不機嫌な程度になる』と言ってました。でも毎日寝ボケるわけではないから、いつ寝ボケるか陵南の合宿では賭けの対象にもなってたそうです。俺の時も初日やその次の日は普通でしたね」 神はまだどこか訝しげではあったが、時間なのかドアノブへ手をかけた。 「…俺も大分忘れてるんで、福田に電話して詳しく聞いてみましょうか?」 「いや、いいよ。すまんな、勘違いで引き止めて」 「いえ…。牧さんはまだ時間あるんですから、ゆっくりしてって下さい。じゃ、行って来ます」 「いってらっしゃい」 「…………」 もともと大きめの目を更に大きく見開いて凝視してきた神に牧は「どうした?」と尋ねた。 「……別に。いってきます」 神は返事と同時に牧へ背を向けると部屋を出て行った。男にしては白い頬が朱色に染まったのを牧へ見せることもなく。 * * * * * 今日も牧は講義に身を入れられず、休み時間も一人潜心していた。牧の友人達には二日前からその様子は変わっておらず、相変わらず調子が悪そうに見えている。しかし牧にとっては二日前の暗澹と黙考していた状態とは大きく異なっていた。今朝方、神から聞いた話のせいで。 仙道の酷い寝ぼけ─── はっきり受け答えをして動きまわる奇行は同じでも、陵南の部員達や神と牧への対応の違いは信じがたいものだった。とはいえ神や福田達が嘘を言う必要もない。 ─── どれも本当であるのならば……。 この講義が終われば夕方の部活までは何も予定がない。牧はポケットの中にある車のキーをぐっと握り締めた。
|
|||||
|
|||||
神と仙道は合宿で数日同室で過ごしても特に仲良くはならなさそう。 |