Surely goes well. vol.15



居間のカレンダーを見て仙道は指を折りながら深い溜息をついた。強引ではあったが約束しなくとも彼と触れ合える時間を作れたのは遠い遠い昔……。
なんて、実際はあれから二ヶ月程度しか経っていないが、触れ合えないどころか顔を合わせることすらない日も合間に何度か挟んできた。仙道にとって初めての関東リーグ戦の期間はとてつもなく長く苦しい禁欲生活でもあった。
牧も仙道も基本"バスケットありき”で生活はまわっている。リーグ戦を勝ち進むほどに、当然相手は強豪になっていくわけで。二人が偶然同日にリーグ戦開始後初の負け試合となった二ヶ月前のとある夜。『……気乗りしねぇよな』と呟いた牧に仙道が「っすね……」と頷いた時からアロマタイムは休止となっていた。
あの時は勝てる相手に負けた悔しさで素直に頷きもしたし、次は辛くも勝利したものの反省の多い試合だったため、もっと気持ちのいい勝ちを得てから気兼ねなく思う存分に……と軽く捉えていた。しかし照れからふざけた名称をつけたあの貴重なスキンシップの時間は、お互い勝ち進んでいってもなお復活する兆しがなかった。何度かいい雰囲気になりかけても、『今夜はたっぷり寝れそうだ』とか『明日に備えてもう寝よう』などとするりするりとかわされ続けてしまったからだ。

─── けれどもう、今夜は絶対に断らせない。強引にでもなだれ込む。
リーグ戦も終わった。このままうかうかしていたらすぐにインカレが始まってしまう。そうなればバスケバカの彼(俺も人の事は言えないけれど)は絶対、リーグ戦の雪辱をすすぐとか言い出すだろう。そんなことがずーっと繰り返されたらバスケから離れるまで彼とイチャコラできないじゃん!
それはそれ。これはこれ。ストイックにやってたら勝利するんだったら、修行僧とか修道女がオリンピック全種目制覇できるっつの。もー待たない。待てのできない犬だって可愛がってもらったっていーじゃねえ! バカな子ほど可愛いとかいうじゃん! 今夜っつーたら今夜なの! 守りに入るだけじゃ形勢逆転しないのがセオリーなんだから、今夜ぜってー仕掛ける!! あの幸せだった七日間の夜を強制的にカムバックさせてやるっ!! 一度知ってしまったあの素晴らしい幸せを諦められるかってんだ!!!

どんどん思考は入り乱れ、支離滅裂になってしまうほどに。仙道は牧との直接的な触れ合いに心底飢えていた。
もう少ししたら風呂から上がってくる愛しい男を仙道は今か今かと待ちかまえるのだった。


*  *  *  *  *


何度か断られることも覚悟の上で誘ったが、牧は驚いた顔を見せたものの即座に断りはしなかった。どころか暫し困惑にも似た複雑な表情を浮かべた後、『……どっちが座椅子だ?』と訊いてきたのだ。二ヶ月も前のことなので自信はなかったが、仙道は『俺です』と床にさっさと腰を下ろしてしまった。まだ躊躇が残る顔で隣に立ち尽くす男の手を仙道は座ったまま掴んで強引に引き寄せた。

何度も柔らかな髪に口づけるように顔を埋め、愛しい男の香りを胸いっぱいに吸い込む。腕や胸に直接感じる体温と身体の硬さや弾力を存分に味わう。落ち着かなそうに何度も体をずらしていたけれど、そんな動きすらも深く抱き込んで吸収しきれば、仙道は己の全てが漸く満たされたことを実感した。それと同時にこの二ヶ月がいかに自分にとって味気ないものであったかを痛感する。トーナメントがなかったらストレスで爆発しててもおかしかねぇかもと裡で笑う。
「トーナメント期間だからアロマタイムやめるんの、やっぱ無意味すよ〜。だってすっごいリラックスするもん…。牧さん前に言ってたじゃん、『緊張状態では身体のコントロールは難しい。練習で培った動きを瞬時に出すにはリラックスが不可欠なんだ』って」
以前に牧が話していたことを部分的に牧の声音を真似て言った。それなのに腕の中に納まっている当の本人からはいつもの『真似すんな、バーカ』という嫌そうな反応がとんでこない。
「? ……え、まさか怒っちゃった?」
僅かに焦りを含んだ仙道の声に牧はやっと返事をよこした。
「何にだ?」
「何って……や、別に怒ってないなら嬉しーすけど」
「怒ってない」
「そう……?」
「ん」
彼の機嫌が悪いわけではないことと話を聞いていないことはよーくわかった。しかし何かおかしいと感じるのは久しぶりのせいだろうか。
前もスキンシップの時間は心地よい緊張と高揚感で饒舌になる俺とは対照的に、彼は普段の倍は寡黙になっていたことを思い出す。でもあの時の沈黙は彼特有の強烈な照れであることは伝わってきていたから、そんなところも可愛くてとても愛しかった。
でも今夜は……やたらに緊張だけされているような気がする。まるで初めてスキンシップを仕掛けた日のような?

TVの音量が少し大きい気がして仙道はリモコンへ腕を伸ばした。調整してから牧を抱き直そうとしたが、牧は身を縮めるように膝を抱えてしまっていた。
「牧さん、腹に腕まわす隙間つくって?」
お願いを耳元に呟くとピクリと肩を竦められた。……もしかして俺の息で感じちゃったのだろうか。
「ねぇ……。あんたの膝ごと抱えられるほど俺の腕は長くないんだから」
今度は少し長く、意図的に耳に息を吹き込むように囁いてみる。すると、耳・頬の赤味がじわじわと増していくのが見て取れた。
─── もしかしてもしかしていつもと違うこの違和感は……いわゆる“お誘いの雰囲気”ってやつ?
そこまで思い至った仙道の頭と体は一瞬にして熱くなった。強引に牧の腹と太腿の隙間に腕をねじ込む。
「なっ…!? や、やめろ仙道」
牧がひるんだ隙に仙道は己の踵を牧の踵にひっかけて押し伸ばした。同時に牧の上体に回した腕に力を込めて引っ張る。縮こまっていた身体を伸ばし開かれた牧は仙道の腕をはがそうともがいた。
「ふざけ過ぎだろが! やめろこのバカ!」
「やめないっ!」
力比べのようになった仙道は身を縮めようとする牧の胸をさらにきつく抱きしめる。そのまま牧の唇めがけて顔を近づけようとした瞬間。
「……ぅんっ」
あまりに甘い鼻から抜ける声が牧の口から零れ、驚きに仙道の動きが止まった。発した本人も咄嗟に両手で口に蓋をした後は目を見開いたまま硬直してしまった。

時間が止まったような世界で一足先に我に返ったのはやはり発した本人だった。
「も、もうこんなことは今後一切やらん!」
「へ? え? うわっ!」
断言するなり牧は仙道を荒々しく振りほどいた。頭がまだ事態に追いついていない仙道に取り合うことなく立ち上がりざま背をむけると、足音も荒く自室へ走り去ってしまった。

押しのけられ床に尻もちをついた格好のまま放心していた仙道の首から上が朱に染まる。
「……す……凄ぇ………あ、あんなん反則だぜ……」
たった一度耳にしただけの、掠れた甘い嬌声が鼓動を恐ろしいほどに早める。恋を自覚してからは何度も彼をおかずにしてきてはいたけれど。快感を感じた時にあげる本物の彼の声の艶めかしい威力を知ってしまい、仙道の下腹部は熱を帯びた。
─── 早く、早く手に入れたい、もっとあの声を、あの狼狽えた彼の瞳を、硬く熱く燃える身体を。
この身に滾る熱のままに今すぐ二階へ駆け上ってドアを蹴破り、ベッドで恥ずかしさに頭を抱えているであろう彼を今すぐ襲ってしまいたい。
そんな思いとは裏腹に仙道は立ち上がることすらできなかった。初めて体感する獣のような自分への戸惑い。そして牧の放った怒声と突き飛ばしてきた力の強さが仙道の体をその場に縛りつけていたからだ。
今まで一度だって彼のあんな悲痛な怒声を聞いたことはなかった。部活がら叱咤激励などの怒声は高校時代の合同合宿や練習試合などでよく耳にはしていた。そのどれとも違う、多分彼のとても柔らかな部分があげた悲鳴のようなそれは、とてつもない罪悪感と嫌われたかもしれないという強い不安感を与えてあまりあるものであった。

様々な強烈過ぎる感情にショートしてしまった仙道は、壊れた玩具のようにその場から長い間動けずにいた。


*  *  *  *  *


翌朝食卓テーブルの上には予想通り一枚の紙切れがあった。
『朝練があったのを忘れていた。先に出る。今夜は遅くなるから俺の飯は不要。』
書かれている内容までも予想通りのものだった。仙道は朝の眩しい日差しすらグレーに変えられそうなほどに重たい溜息を吐いた。
その日の夕方には『松井のところに泊まることになった。急ですまない。』という、避けられているのが明確に伝わるメールが来た。夜も顔を合わせたくないと思われてしまったなんてと、予想を超える反応に仙道は頭を抱えた。

部活帰りに飯に行こうと仲間に誘われたが「金ねーからいいわ」と断った。今夜は一人飯だし実はそれほど金欠ではなかったが、とてもそんな気分にはなれなかったのだ。メールを読んでから凹んでいるのを隠す気力もなかったせいか引き止められはしなかった。あのいつもはしつこい山下先輩ですら何も言わなかったから、きっと俺の顔は相当暗かったに違いない。
コンビニ弁当を誰もいない食卓テーブルに置けば、ビニール袋の乾いた音にやたら気が滅入った。こんなにやるせない気分になるのなら、やっぱり少々煩わしくても皆と食った方がまだマシだっただろうかと後悔するほどに。
一人暮らしの頃のように食べた空容器などを放置したまま、シャワーもあびずに二階の自室へあがる。
こんな時はふて寝しかない。謝ろうにも本人がいないのでは仕方がない。明日になれば牧さんは戻ってくるのだから、その時しっかり謝ればきっと大丈夫。……そう何度も自分に言い聞かせて、敷きっぱなしの布団へ横たわったが眠気は微塵も下りてこない。
一人暗がりで目を閉じじっとしていると、心を占めるたった一人の男の背中ばかりが浮かんでしまう。

バスケでは高校時代のみならず大学でまでも"帝王”の名を冠し続ける堂々たる彼は。一緒に暮らしてみればしっかりとした一般常識を持った、良い意味で“普通の男”だった。評判通りの真面目な努力家でも確かにあるけれど、元来の性格なのか特別ストイックな感じもない。多分それが自然体なのだろう。また考えているようで考えていなかったり、けっこういい加減だったり適度な具合にどこかぬけていて、そばにいると疲れないどころか癒されたりもする。そのくせここぞという時はちゃっかりとした機転を利かせてみたり、するりと上手く交わしてみせる頼もしさがあった。
外見だってそうだ。日焼けした肌が精悍な顔立ちを更に引き立てている美丈夫だ。特に少し色素が薄い瞳とふっくらした肉感のある唇が時にドキリとさせられるほどにセクシーだったりもする。スタイルなどは言わずもがな。あのしなやかなで上質な筋肉をまとった体に羨ましさを覚えない男はいないだろう。
そんな全てにおいてちょっと出来過ぎじゃないかと思う男にも欠点……いや、弱点があることを一緒に暮らして半年が過ぎ、こんな形で漸く知るはめになろうとは。

「……なんてこった」
あんなささやかな接触で極度に緊張し、ちょっと強引にキスをしようとしただけで恥ずかしがって暴れて。あまつさえ自分のあげた小さなたった一度の嬌声─── 確かにあんなドタバタの最中で、しかも唇が触れてもいないうちに何で感じちゃったのかは不思議ではあるけれど。とにかくそれを発した自分に驚いてパニックを起こしたあげく家まで出て行くなんて。ここまで度を越した照れ屋で恥ずかしがり屋というのは、弱点としかいえないだろう。
「こんなんでどうしたらいいんだよ……。まだまだまだまだ先は長いってのに」
ウブな女の子やカマトトの域を超えている。キスをしたら死んでしまう病にかかっているわけでもあるまいし。……病? もしかしてマジでキスをしてはいけない重大な理由が……って、そんなんあるのか? エイズだってキスじゃうつらない……って、あの純情っぷりからして童貞だろうからそれはない。もしかしたら潔癖症……なわけないか。一緒に暮らしててそんな素振り全くないどころか、俺の奇行まで平気と言いきったツワモノなのだから。
「………ん? あれ、んじゃやっぱ恥ずかしがり屋の理由は……童貞だからってことになんのか?」
思わず口にしてしまい、一瞬にして頭のてっぺんまで血が昇った。
そうだよ……今まで考えたこともなかったけどあんな威風堂々とした完璧な人が、実は誰にも大事な部分を触れさせたこともなくて、誰かに触れたこともないわけで。まっさらの彼が初めて全てを許す相手が女どころか男で、しかもそれが俺っていう……。処女の姫君どころじゃねぇほど責任重大だぞ、童貞の帝王の相手を務めさせてもらうなんて。
「や、やべー……心臓破裂する」
あの小さな嬌声や、褐色の滑らかな肌が赤く染まっていく様がオーバーラップして、指の先までぶるぶると震える。
俺はなんてバカだったんだ。あんなに性急に唇を求めていい人じゃなかったんだ。まずは俺から告白をして、それから指先にキスを。日をあけて二度目には手の甲に、その次は髪……ってくらいゆっくり時間をかけて大切に進めていくべきで。それをいきなり腕の中に収めたりキスをしようとするなんて、今思えば相思相愛だからといい気になっていた俺は随分と傍若無人ではなかったか。彼の立場から考えてみれば、初陣の相手が年下の男となれば、それだけで恥ずかしさも相当なものだろうに。なのにあんなに性急に求められてしまえば恐怖でパニクり家出するのも頷ける。

最後の彼の怒鳴り声には痛々しいものが含まれていた。あれはひょっとして、告白もしてこないで彼氏気取りの俺の態度に傷ついてしまったせいだろうか。それとも手順も踏まずにいきなり雑に扱われて一気に俺への気持ちが急降下しただとか……。
「あーもー……最悪」
真面目に考え本気で反省しているのに、頭の半分はどうしてもあの男惚れする肉体美が自分だけに開かれる未来を想像してしまう。あの嬌声が耳から離れないせいで、欲望に正直な俺の分身は痛いくらいに自己主張してくる。彼のことに関してはこうも自分のコントロールがきかなくて、大人しく反省もできやしない。彼を好きになる前までの自分はもっと理性的というか淡白だったのに、変われば変わるものだ。これが本気の恋の怖さか……と、改めて深いため息を三連発。

一人ため息を何度ついたところでどうにもならず、仕方なくトイレへ行こうと起き上がりかけたが、仙道はまた布団に横たわった。今夜は廊下を挟んだ向かいの部屋を気にして移動する必要もないのだ。愛しい人の不在を再認識して淋しさに水をさされはしたものの、このままでは収まりそうもない。
仙道は緩慢な動きで頭上にあるティッシュを苦虫を噛み潰したような顔のまま引き寄せた。






真面目に考えようとしていても火が付いた欲望を抱えたままでは厳しい…(笑) 
健全な男子大学生二人の同居生活は色々と大変ですねぇ。ムフ。



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