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その日の夜は二人とも遅くに帰宅となったため、牧は外食を申し出た。しかし仙道はそれを丁重に断ると、驚くほど手早く晩飯を作ってしまった。レトルトカレー三袋に豚肉と野菜をたっぷり入れたカレーと山盛りのブロッコリーが食卓に並べられる。 「またメニュー勝手に替えてすんません。明日こそハンバーグ作りますから」 「全くかまわんよ、美味そうだ」 「冷凍ものは楽だし価格安定で助かるんすよね。最近は葉物高くてさー」 「お前、どんどん主婦みたいな発言するようになるな」 「牧さんと暮らすようになってから、財布の中身を気にするようになったんだもん……」 「何故すねる? ……冷凍もの……どれのことだ?」 「ブロッコリー。レンチンしただけなんすよ、これ。カレーに入ってる野菜もそうっす」 「へぇ…だからこんなに手早いのか」 「手抜きですんません」 「違う、臨機応変を褒めたんだ。俺なんてそんな便利な物があることも知らんから。さっきの主婦みたいだと言ったのも経済観念が育まれていると褒めたんだからな。勘違いすんなよ」 「へへ……あざっす。じゃ、食いましょーか。いただきます〜」 「いただきます。……! 美味いぞこのカレー! 店屋より美味いんじゃないか…?」 「ははは。褒め過ぎ〜。あ、けどね、野菜と肉と香辛料追加したからレトルトっぽさは消えたと俺も思う」 「ブロッコリーも丁度いい硬さだ。……それにしてもカレー美味過ぎだろ。カレールーの箱裏の説明見ながら時間かけてつくる俺のカレーより確実に早くて美味いなんて」 もう真面目に作るのがバカらしくなるじゃないか……と悔しそうに呟やかれて、仙道はまたも笑った。 「真面目に作るカレーの良さは別物っすよ。あ、ガラムマサラもっと入れる?」 「なんだそれ?」 「辛みと香りが強くなんの。あ、そんなに入れたら……」 「……辛い。美味いけど……辛くし過ぎた……」 水へ手を伸ばす涙目の牧の姿に仙道は目尻を下げつつ牧の皿をとりあげた。 「こういうのはちょっとずつ入れるもんなんすよ。まだ鍋にカレーあるから、混ぜちまいましょう」 「おい、そんな豪快に……飯粒かなり入ったぞ」 「そんなの。あんたのなら食い残しだって俺は平気だよ。……はい、どーぞ。ん? どーかしました?」 「……お前は、凄いな」 「別にルーに飯が混ざるくらいで。あ、もしかして牧さんは人の飯混ざったら食えない?」 「お前のは俺も平気だが……いや、そうなんだが……その、色々と…………」 歯切れ悪く俯いた牧を見て、仙道はなんとなく意図を察っせたような、都合の良い早合点をしてしまったような落ち着かない気分で席についた。 それからはまたいつものように、黙々と二人は食欲を満たした。 シャワーから出ると先にあがっていた仙道がアイスを手渡してきた。夏場はよくこうして食べたが、最近は涼しいので食べなくなっていたのに。 「俺はいらん。それほど暑くないから」 冷凍庫へ戻そうとしたが、仙道のぼそぼそとした呟きに足が止まる。 「……また、暑くさせちまうかもしんねーから。今のうちに冷えておいてもらおうかと」 「?」 「こ、今夜は牧さんの番だから」 視線を合わさない意味深な仙道の様子に牧の心拍数が上がる。 「…俺の?」 「ギブアンドテイクで。昨日は俺が嗅いだから……と思って。そんで朝、夜に時間欲しいっつったんすけど」 妙に甘ったるい雰囲気のする晩飯ではあったが、それからは普段と変わらなかったので意識せずにすんでいた。つい先ほど─── 晩飯までには忘れようと必死で、なんとか成功して意識下に押し込めていたというのに。引きかけていた湯上りの汗とは別の汗がぶわりと牧の背中に浮かび上がる。 「ち、違ってましたかね。あ、やっぱもう眠たいとか……」 「…………違ってねぇよ」 開きかけた冷凍庫の扉を力強く閉めると、牧は袋をバリッと開けてアイスに噛り付いた。 * * * * *
結局その晩も、その翌日の晩までも。つまりは三日間連続で、就寝前の30分を日々交互に嗅がれる側と座椅子になる側となって過ごした。流石にアイスを毎晩食べるのはあれなので、昨夜は麦茶にたっぷりの氷を入れて一気飲みするように替えはしたけれど。
順番からすれば今夜は牧が座椅子になる日だ。まだまだ照れはあるものの、お互い幾分慣れてもきていた。
「……先、いってるから」 「うん。ふゅぐひひまふ」 歯を磨きながらの不明瞭な返事を背に、牧は居間のソファ前にクッションを二つ縦に並べ、そのひとつに座ってソファの座面に後頭部を乗せるように天井を見上げた。ほどなくして仙道が「お待たせしました〜。♪ア・ロ・マ、ターイム」とハミングしながら、牧の足の間に置かれた残りのクッションに腰を下ろして背中をあずけてくる。喉がゴクリと鳴ってしまわないように浅く呼吸をしながら牧は仙道へゆるく腕を回す。 「……どっすか今日は?」 どうもなにも、牧にしてみれば仙道に腕を回すだけで心臓が跳ねて匂いを嗅ぐどころではなかった。一応は嗅いでもみるけれど、好きだという気持ちばかりが肺に満ちて苦しくて香りを味わうなどできはしない。 「いいと思う」 「そっすか、良かった。さて、昨日の続き観ましょーか」 「おう」 録画した番組の続きを再生しながら嬉しそうな返事をよこす仙道に、毎度同じ返事しか出来なくて申し訳なく思う。しかし香りの表現に適する言葉など知らないし、そもそもよく嗅げていないから仕方がない。正直に、嗅いでいると胸が甘く疼くけれど苦しくもなって泣きたくなると言えば、自分が邪な気持ちを抱いているのがばれてしまうから言えない。かといって無難な"シャンプーの香り”とこたえるのも……今まで意識しなかったが、好きな男と同じシャンプーや石鹸を使っているのだと再認識し妙に恥ずかしくてなおさら言えなかったりするのだ。 詫びのつもりでそっと髪を撫でてみる。まだ半乾きの黒髪はハリはあるけれど柔らかい。
「ふ……くすぐってぇ。あ、やめないで下さい。もちょっと強く……うん、気持ちいいっす」 仙道が背中を牧の胸へ深くあずけてきた。早過ぎる鼓動が仙道へ伝わってしまいそうで怖くなる。 「もう少し離れろ。撫でてやれん」 「あ、そっか」 重みが胸元から去った途端、もったいないことをしていると思ってしまう。けれど安心してまた髪へと指をのばせる。なるべくなるべく、部活で後輩の頭を撫でたり親戚の甥っ子を撫でているような何気なさを装って。どうかこの指先からこの想いが伝わりませんようにと何かに祈りながら撫で続ける。 そんなこちらの必死さに全く気付く様子もない男は呑気に喋り出す。
「そうそう、今日部活でさ。河治の彼女がアロマテラピーにこってるって話をしててさ。道具が色々いるみたいだし、香りのする油? なんか色々すげー金かかんだなーって。作法っつーのかな? やり方も面倒くさそーだった。けど俺達のは道具も金もいらないじゃん。なのにすっげーリラックスできるから、もんのすっげーお得すよね」 「……そうだな」 「俺さぁ、このアロマタイムのおかげで、最近マジ調子いいんす。深く眠れるし、部活も集中力高まった気ぃする。アロマが流行る理由がわかりましたよ」 「そうか」 仙道の無邪気な話を聞きながら、しみじみとこいつが激ニブで頭のネジがどこか抜けてる純粋なガキで良かったと感謝してしまう。
毎晩匂いを嗅ぎ合うだけでもおかしいのに。同性で、その上相手を腕に収めながら30分近くも密着しているなど。どこからどう見ても、どう良心的に考えたとしても、仮に兄弟だってあり得ないこの状況を何がアロマタイムか。こんなのゲイカップルのいちゃいちゃ以外の何物でもないだろうが。 しかし真実を教えて仙道の目が覚めてしまえば、俺にとって最高の褒美タイムは泡と化す。それくらいならまだいい。いや、むしろこんなことはもう終わらせるほうがいいのだ。たまにだから褒美であって、これほど頻繁では常態化されてしまいそうで怖い。常態化された幸せを失った時の喪失感を埋めるのは大変に難しいことはもう知っている。 それよりなにより一番怖いのは。真実を知っている俺が何日もこの状況を続けていたと気付いた仙道が、『知っててやってたなんて。あんたはゲイで俺を狙っていたんだ!』と嫌悪感と侮蔑に満ちた眼差しで糾弾したのちに家から出ていくことだ。 「? 牧さん今、ブルッってきたでしょ。もしかして寒い?」
もう頭撫でてくれなくていーすから、といって牧の手を握って仙道は自分の胸元に引き込んだ。 己の体温で暖めようと気を遣ってくれたのがわかるだけに、牧は離してくれと言えなくなってしまう。嫌われることを少し考えただけで冷えてしまった指先は、愛しい男の体温を与えられる喜びと恥ずかしさですぐに熱を帯びる。 こうしてまた一日分、嫌われる理由を増やしてしまう愚かさに泣きたくなる。 「手、血の気が戻ったみたいすね、ホカホカだ。あ〜……気持ちいー……ふにゃけちまう〜」 仙道は毛布か何かを引き寄せるように牧のもう一方の腕まで自分の胸元に引き寄せて目を閉じた。牧は必要以上に仙道に触れないように己の指先の場所を慎重に選ぶ。 「……安上がりのアロマ方法を知ってるとか、人に言うなよ」 「面白い冗談いいますねぇ牧さんは。あ、ねぇ? 牧さんもアロマ効果を実感したことある?」 「……関係あるかはわからんが、最近シュートの成功率が戻ったとマネージャーに言われた」 「あー、そりゃ絶対関係アリアリっすよ。そっか〜牧さんにも効果あって嬉しいな。つか、牧さん調子落ちてたんだ?」 体調とか悪くなかったよね? 戻ってなによりだけど。……ん? そいうえば河治もシュートが決まらんって喚いてたな。あいつも彼女とこーすりゃ治んのかも? ま、絶対教えてやんねーけど。
続く、楽しそうな話声とくすくすと笑う振動を腕や耳に感じながら。牧はいつものようにこの上ない幸せと切なさと、また今夜もこんな不自然な行為は終わらせようと言い出せなかった罪悪感に襲われる。
愛しい温もりを宿す身体を腕に収めたまま。ただただ鼻の奥をツンと痛め、視線だけを煌々と明るいTVへ向けているしかなかった。 |
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市販の冷凍野菜は便利ですよね。私は根野菜ミックスと里芋の冷凍を使って筑前煮を作ります。 |