Surely goes well. vol.12



「ただいま〜。やーもーマジ山下ウザ過ぎ。埋めてやりたくなったっすよ」
玄関の引き戸が開かれる音と同時に仙道の声が玄関から廊下まで響けば居間から牧が出迎えるように姿を現した。
「おかえり。遅かったな、お疲れ」
「……牧さん、もうパジャマだ」
「あー。なんか疲れたから早く寝ようと思ったんだ」
パジャマでお迎えだなんて……しかもそんなに眠いのに俺の帰りを待っていてくれたなんて……。
などと邪な妄想と感謝の気持ちで仙道の顔は盛大にデレた。二階の自室へ向かう牧の逆三角形の背中と引き締まった形のいい尻を見つめながら、仙道はかまってほしい犬のようにあとをついていく。
しかし仙道の部屋に牧が寄らないとわかると仙道の肩と眉毛はしょんぼりと下がった。牧がもう寝てしまうならば起きていても意味がないため、自室に入るなり仙道もパジャマに着替えた。顔を洗わないで寝ても平気だが、流石に歯は磨いてさっぱりして寝たい。一瞬躊躇はしたものの、面倒と思いつつも洗面所へ下りることにした。

ついでだからと顔を洗って歯ブラシに歯磨き粉を乗せていると牧が下りてきた。トイレかと思ったが、何故か仙道の背後で歩みを止めた。
鏡越しにどうしたのと伝えるように首を傾げてみせれば、牧もまた同じような素振りを返してから口を開いた。
「……そういえばお前さぁ、こないだも寝ぼけて俺の匂い嗅いでたぞ?」
「す、すんません……。ぼんやりは覚えてます……」
心の底から申し訳なく思いつつ、しおらしい嘘で返す。実は先々週のあれは寝ぼけたフリであり、しっかり覚醒していたからだ。

以前牧さんに寝ぼけの奇行を指摘されてから、ああいう夢うつつ状態になることは残念にもなくなってしまっていた。
それまでは無意識というか、夢だと思っていたからとれた大胆な行動だったようだ。寝不足が続くと何かやらかすと自覚したせいか、あれから何度寝不足続きの夜を過ごしても、残念ながら奇行にでることはなくなっていた。
俺の奇行は止まってしまったけれど、俺が彼に触れたい、抱きしめたい、匂いを嗅ぎたいという欲望は止まりはしない。それどころか欲望は日に日に膨らんで苦しさが増すばかりだった。
奇行による反応以外で牧さんが俺を好きであると確証できるような何かが─── 覚醒した状態で彼に触れていいと思える出来事が起こらないかと、そりゃもう日々ずっと期待してきた。けれど残念なことにそういった嬉しいことは特別起こることもなく。それなら自分がそういう状況を作り出して彼の好意を確かめればいいのかもしれないけれど。んな高等な恋愛の駆け引きなど、雑な恋愛(今にして思えば恋愛とすらいえない、ただのお付き合いだが)をしてきた俺に思いつけるわけがない。
だからというのではないけれど、牧さんの好意のほどはさておき。もういい加減、あの幸せで特別な時間を俺はどうしても再び味わいたくて我慢しきれなくなり……騙すことになるとわかってはいたけれど、先々週とうとう寝ぼけたフリで牧さんを腕におさめて幸せに浸ってしまったのだった。

それがまさかフリだったのがバレていたとか? もしくは、最近収まっていた奇行が何故もどってきたか問い詰められるとか? まさかあれをどうにか治せとお叱りを受けるとか??
「マジすんません……。い、嫌でしたか?」
「別に……減るもんじゃなし。何度も謝らんでいい」
そうは言われても、なんとなく不穏な空気が……。
騙してしまった罪悪感のある身としては内心びくびくなため、鏡越しでも牧さんの顔を見るのが怖くなってしまう。顔をまともに見ることができなくて俯き加減で歯磨きを再開した。
ふいに後頭部に何かが触れた。そっと触れてくるものが彼の指だと気付いた時、指の主はぽつりと呟いた。
「そんなに匂いを嗅ぐってのはいいもんなのか?」
声と一緒に後頭部から側頭葉に指が移動していく。そのままスイッと身体を寄せてこられた。
(え え え え えええええええ─── !????)
歯ブラシを口に突っ込んだまま、胸中で俺は叫んだ。何だこの妙なウハウハ展開!? 確かに減るもんじゃないけど、そういう問題?? そこに興味持っちゃうんだ??? いやいやいや、そうじゃなくて、やっぱ俺の勘違いじゃないってことじゃね?!! 牧さんやっぱ俺の事好きなの確定じゃん─── !!!!!

歓喜のパニックに陥ってフリーズしている仙道に全くかまわず、牧は仙道の肩を掴んで更に距離を縮めた。パジャマ越しに牧の腕や手の体温がダイレクトに伝わってきて漸く、仙道は恐る恐る声をかけた。
「……ど、どう? 臭くないすか?」
「……遠くてよくわからん。少し頭下げてみてくれ」
「こ、こう?」
「そう……」
爪先立ちの牧が仙道の頭部へ腕を伸ばし、そっと横から包んだ。明らかにヘッドロックとは違う優しい腕の中で仙道の心拍数は一気に上昇する。
「ままま……まき、さん」
「……悪くない」
「え?」
聞き返した次の瞬間にはもう牧は腕をほどいてくるりと背を向けていた。
「今度お前が寝ぼけて俺の匂いを嗅いだら、俺もやり返すことにする。give and takeは同居では特に大事だからな」
……これでお前も謝る理由もなくなるだろ。お互い様だ。
話しながらすたすたとトイレへ行ってしまう牧を仙道は飛び出しそうな心臓を抑えながら見送った。


その後、布団に入っても仙道はなかなか寝付けなかった。甘いときめきが轟々と頭の中を音をたてて走り回り眠気が下りるどころではなかったからだ。何度も何度もバカみたいに、時間にすればたった二分ほどの出来事を反芻しては身を捩る。
両想いなのはもう確信できた。ダチや仲間もいちいち友達になろうとか仲間になってくれとか言い合わない、自然に、気付けばそうなっているものだ。牧さんと俺も告白というプロセスを必要としない、自然と恋人同士という関係になっていっていたのだ。そうに違いない。そういえば親戚の伯母さんが旦那さんに告白されたことはないと言っていたのを聞いたことがある。いつから付き合ってるのかわからないまま結婚に至ったとも言っていた。俺だって別に愛の告白をもらえなくても牧さんが好きだから、それでなんら問題はない。

「……けど、やっぱ……一度くらいは」
布団を口元まで引き上げた状態で思わず口に出た己の真面目な声に仙道は狼狽えた。
一度くらいは、なんだ? 一度くらいは……言いたいとでも? 俺は牧さんが"好きだ”と本人に面と向かって言ってみたいというのか??
女の子と付き合っていた時にこんなこっ恥ずかしいことを考えたことなど一度もなかった。相手に言ってほしいと言われたら礼儀として言ったけれど。よくよく考えたら、ねだられて口にした以外、自分から言いたくて言ったことなどない気がする。
けれど牧さんには……好きだと伝えて抱きしめたい。もっと言えば、俺に好きだと言われた牧さんがどんな顔をするのか見てみたい。恋人同士なんだからきっと嬉しそうな顔をしてくれるはず。その顔を至近距離で見詰めて抱きしめて、あの柔らかな髪に鼻を埋めて思いっきり幸せに酔いたいのだ。

考えるだけで顔から火が出そうだけどそれが正直な気持ちだから、多分俺がアクションを起こす役割で、牧さんは受けとめる側なのだろうと理解する。
だとすれば牧さんの今日のあの行動は、もしかしたらここ暫く俺からのアクションが少なくて物足りなく思ったからかもしれない。そう考えれば全てに辻褄が合うではないか。
あの行動が硬派というより真面目で照れ屋な彼の精一杯の甘え……? そう結論づいただけで愛しさと照れくささでじたばたしたくなってどうしようもなくなる。
─── 明日の夜にでも、早速行動に移そう。
照れ屋の彼のために、なるべくさりげなく。でももっと心だけじゃなく体の距離もぐいっと縮めていく方向で。そしていつかは、言わせてもらおう。あんたが好きだって。

恋人同士であるとやっと確信が持てた今。幸福感と期待感でやる気に満ち満ちてしまい興奮した己を落ち着かせるべく。仙道は起き上って部屋の窓をなるべく静かに開けた。
冷たい夜風と木々のざわめきに身を浸す。
火照っていた顔が冷えてきた頃。廊下を挟んだむこうの部屋から窓をなるべく音を立てないよう気遣いつつ閉めるような、囁きにも似た小さな物音が聞こえた。


*  *  *  *  *


牧とゆっくり向きあえる時間─── 夜が待ち遠しくてたまらない仙道には、朝から一時間が過ぎるのを三時間くらいに感じていた。部活の最中だけはかろうじて倍程度のようでもあったが、仲間には「上の空過ぎ」とか「色ボケ?」などと散々ツッコミをくらった。寝不足なんだと無難に返しながらも、今夜の結果次第では本当の色ボケになれるんだけどな……などと真面目に考えていた。


朝から晩飯は手早く作れるメニューにしようと決めていた。脳内シュミレーションまでしておいたため、金曜夜のハンバーグ用ひき肉と市販の麻婆春雨のもとを使い、牧が「凄い早いな!」と驚くほどのスピードで麻婆春雨を完成させた。
「それ、飯の上にのっける……?」
「もちろんのせますよ? モリモリに」
インスタントの中華スープに乾燥わかめを追加してお湯を注いでいた牧は仙道の一言に口角を上げた。

一緒に暮らしてから知ったのだが、彼の家ではカレーや汁物系以外のおかずはご飯と別皿で食べるのが常だったようだ。父親が躾に厳しかったと何かの時にちらりと聞いた気がするから、なんでもご飯の上に乗せるは上品じゃないとかかもしれない。
俺はといえば、両親が家にそろっていることもあまりなかったし、小五の頃には鍵っ子で一人飯がほとんどだった。だから用意されているおかずも好きに飯の上に乗せたり、マヨネーズやケチャップなどもあれこれ気ままにかけておかずをぐちゃぐちゃにミックスしたりもよくやっていた。
「ひき肉多過ぎてなんだかわかんないものっぽいけど…一応、麻婆春雨丼っす」
「美味そうだ」
手渡すと手の中の丼ぶり(正しくはラーメン用丼ぶり)を見下ろして目を輝かせるから、けっこうなんでも飯の上に乗せて出すようになってしまった。洗う食器の数が減るのも地味に嬉しいし。
「春雨もサラダもおかわりあるから。中華スープはそれで終わりだけど」
うんうんと頷いている間も牧の視線はテーブルの上に注がれたままだ。ほころぶ口元を軽く手で隠しつつ仙道は席についた。

美味かったと機嫌よく食器を洗う牧の隣で洗い終えた皿を拭きながら仙道は壁の時計をちらりと見た。
この後、俺が先にシャワー浴びた次に牧さん。……よし、十分余裕。
「何か見たい番組でもあるのか?」
「は、え? あ、いえ。ちょっと俺、頭かゆいから早くシャワー入りたくて」
やたらと時計を確認し過ぎていたようだ。不思議なところでけっこう敏い人なので、あり得ないのに予定に気付かれた気になって軽く焦ってしまった。
「そうか。シャワー浴びてきていいぞ。あとは俺がやっとく、洗い終わったから」
「いいっすよ、あと三枚くらい。あ……。すんません、それじゃあお言葉に甘えて」
「たかが三枚に何が“甘えて”なんだか」
奪った布巾で皿を拭きながら笑う牧へ苦笑いを返し、かゆくもない頭を洗いに仙道は風呂場へ直行した。



別にご飯におかずを乗せるのが下品ではないです。仙道の勝手なイメージ発言(笑)
「男が作る料理」は鍋・丼ぶりなど豪快なイメージがありますよね。ホントイメージって勝手ですよね〜☆



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