Surely goes well. vol.11



半端に開いていたカーテンの隙間から月が覗いているのに今更気付いた。そういえば今夜は中秋の名月と誰かが言っていたような。いや、今日ではなく明日の話だっただろうか。どちらにせよカーテンと雲の間にのぞく月の光が綺麗なのは確かだ。
牧が映画のエンディングを聞きながら月に気をとられていると、隣で仙道の噛み殺したあくびが聞こえてきた。
ここ数日の仙道は夜中まで食卓テーブルにノートや資料らしきものを広げていた。何に取り組んでいるのかなど一々聞きはしないが、じわじわと寝不足が重なっているのことは気付いていた。『やっと次の奴にまわせました〜! 今夜は早く寝れますよ』と晩飯の時に喜んでいた仙道へ『よかったな』と返事もした。……しておきもしながら。

「ふあぁああぁ〜…。いやー、面白かったっすね〜。くぁあぁ……」
大あくびを何度もしながら、仙道はテーブルの上の菓子の袋と空のコップを片付けている。
「付き合わなくて良かったのに」
「だって明日返却しちまうんでしょ? ふあぁ……。俺も観たいやつだったから」
「あとは俺がやっとくから、もうお前は寝ろ」
「優しいな〜。大丈夫っすよ、明日は一限目休みだから」
「……いいから、先に歯を磨け。寝不足なんだろ」
「うぁい……ふわーあぁうぁ……」
あくびのし過ぎで滲んだ目元をこすりながら去っていく背と居間の時計をこっそり盗み見てしまう。
本当の返却期限は明後日のDVDを袋へ戻しながら、俺は胸中で詫びた。


翌朝。カーテンをあければ昨夜の天気予報通り霧雨が降っていた。朝サーフィンに行くつもりないのに、行く日と同じ早い時間に階下へおりる。顔を洗う前にわざとプラスチックの歯磨き用コップを床に落として物音をたてた。それを拾ってから髭を剃って顔を洗いはじめる。
洗い終える頃に階段がきしむ音が聞こえてきた。振り向かずにタオルに顔を埋めていると、頭を抱き込むように仙道の腕がまわされた。ふわりと寝起きの仙道の香りに包まれる。
「まぁきさん、サーフィン?」
「雨だし、気が乗らないからやめた」
「ふぅん……」
髪に仙道の高い鼻梁がさしこまれ、匂いを嗅がれているのがわかる。
仙道と同居するまでつけたこともなかった化粧水─── 仙道からプレゼントされてからつけることが日課となったそれをおざなりに肌へたたきこむ。尻の少し上に仙道の中心部が僅かに触れているようで、やけにそこを意識してしまいながら。
「いいにおい……ふかふかかわいい…………あったかいねぇまきさんは」
肩に置かれていた手が撫でるような仕草で移動し、牧の二の腕を掴む。
「……そこ、痛い。昨日ちょっとぶつけたんだ」
「ごめんなさい……だいじょうぶ?」
「ただの打ち身だ。それより寄り道してないでさっさとトイレへ行け」
「はぁい……」
今朝の仙道は数ヶ月ぶりに極端な寝不足を引きずり盛大に寝ぼけた状態になっていた。そんな仙道は俺の昨夜の狙い通りの行動をとった。
己でそう導いたというのに、よろけた足取りでトイレへ向かう仙道を俺は目で追うこともできないでいる。首を捻ることもできないくらい、心臓がバクバクいって足まで震えてしまっているからだ。
夏休みも終わり半月ほど過ぎたが、お盆あたりから己の感情の起伏の乱れを訝しく感じていた。しかし今、理解した。
洗面台へ僅かに震える両手をついて深く息を吐く。

頭を撫でられたり抱き込まれたり、匂いを嗅がれても平気になったのも。
あいつが俺以外に優しくしたり、俺以外に頼ったりすると苛々してしまうのも。
他の野郎の股間……しかも朝勃ちをなすりつけられたりなどされようものなら一撃で沈めることは確実なのに。仙道に限っては動悸が早くなり手に汗を握ってはしまうものの、嫌ではなく。むしろ今など、勃っていたかは知らないが触れていると意識しただけで……。意識したところで二の腕なんぞ掴まれてしまっては、あやしい刺激が駆けて動悸を早める始末。かといって自ら振り払うことすらも出来なくて、下手な嘘で逃げてみたりして。
冷静さを取り戻すため声に出してみる。
「前の一度目の時に突き放さなかった時点でおかしかったんだ。……つまりは……あの時点で既に」
ゆっくりと顔をあげると陰鬱な表情ながらも赤らんだ顔が鏡を挟んで見返してくる。
「おまえは惚れちまってたってことだ」
鏡の向こうにいる男に客観的に説明してみれば、いくらか冷静になれた。けれど出した声音があまりに落胆したものであったことも手伝って、俺はがっくりと項垂れた。


*  *  *  *  *


ここ数日、俺は内心酷く憔悴しきっていた。その理由は二つに大別される。
一つは自分がバイ、もしくはゲイであると認識したことだ。
昔から恋愛話や女性に興味が薄い自覚はあった。部活の奴らの恋愛話(といっても彼女がいる奴が極少数だったため、ほとんどは恋愛妄想話みたいなものだが)を聞いても羨ましいと思うことも特になく。その手の雑誌を一緒に眺めても、『白くて餅みたいだ。柔らかそうなのは脂肪が厚いせいか?』程度の感想だった。
しかしそれはバスケとサーフィンで忙し過ぎて、興味のキャパがいっぱいいっぱいなせいだろうと。言い換えれば興味の順位が入れ替わるほど好きな女性が出来れば変わるはずと呑気にかまえていたのだ。なにせ部活の奴らの裸体を部室・風呂・脱衣所などでほぼ毎日散々目にするが、何も感じていなかったため男に興味はないと疑ったことなどなかったからだ。
それなのに、興味の順位ダントツ一位に突如躍り出た存在が女性ではなく同性の仙道と気付いたショックは表現のしようがない。今まで疑いもしなかった土台がひっくり返り、土中に埋められた気分だった。
二つ目は、よりによって仙道を、というものだった。
これがゼミの仲間や部活の連中ならまだいい。顔を合わせている時だけボロを出さないようにすればいいのだから。もともと俺は家から出ると自然と背筋が伸びるタイプだ。外ではなるべく冷静さを保ち節度ある行動を……とれたら面倒も少なそうでいいと思っている。まぁ、なかなかそう完全に上手くは出来ずにいるのだが。とにかく、家にいるよりは気を抜いていないから、外でなら問題なくやれる自信はあるのだ。
しかし仙道は……その、一番気が抜けている状態の俺がいる場にいる。家でも外と同じようにしゃっきりしていられればいいのだが、そんなのは無理だというのも一番自分がわかっている。
先日恋心を認識してからはどうにか今のところ家でも気を張ってボロはだしていない。……いないつもりだ。だがいつ気の抜けた自分が愚行を犯すかはわからない。

母が以前、仙道との居住を契約した日に『一緒に住みたいくらい彰君が大好きなんでしょ』的なことを俺に言った。その時は意識していなかったが、今になって母親の鋭さに舌を巻く。
らしくもなく自分から家に引き込み、あまつさえ離れるのが惜し過ぎて強引に同居へこぎつけてしまうほど……もうあの時点で既に気のせいですませられないほど重症の自分が、今になってそう簡単にこの恋情を消せるわけがない。今までは肯定的に捉えていた己の“熱しにくく冷めにくい性質”を初めて恨めしく思う。
仙道との同居はあと二年と数ヶ月。
その間ずっと俺は家で。仙道の前で気を張り続けなければならないとは、考えるだけで憔悴するというものだった。


廊下を挟んだ向かいの部屋から微かな物音がする。仙道が明日の準備か何かしているのだろう。
何をしているのか知りたい、その横顔だけでも見たいなど。悩み憔悴してるわりには、すぐこうしてあいつへ意識が引っ張られてしまう。また昨夜みたいに俺の部屋の扉がノックされて、あの整った顔がひょいと覗きこんでくればいいのにとまで考える俺はもう………本当にどうしようもない恋に溺れた馬鹿野郎に成り下がってしまっている。
そんなどうしようもない俺ではあるけれど。最初から覚悟は決まっている。
この想いを気付かれて、あいつを住み心地悪く感じさせるようなことだけは絶対にあってはならない。俺から同居に引き込んだのだから、何が何でも絶対に、だ。どれほど疲弊し切なさに押し潰されそうになろうとも、好きになってはいけない相手を好いてしまった自分が悪いのだから、二年と数ヶ月は死ぬ気で耐えてみせる。
ベッドに仰向けになったまま、牧は両手で閉じた両目を上から塞ぐ。
「……俺はやれる。俺はやれる。俺はやれる。……つか、死ぬ気でやりきれ馬鹿野郎」
ぼそぼそと今宵も繰り返される自己暗示の言葉。
目頭が熱くなる理由までは考えないようにして、牧は眠りを引き寄せるべく掛布団を引き上げた。


*  *  *  *  *


ここ最近の牧のシュート率低下は著しいものだった。
絶対に成就しない不毛な恋などに思考を支配されるのは愚かだとわかっている。わかっていながら、バスケやサーフィンへの集中力を失わせるほど仙道のことばかり考えてしまうとは。これほど気持ちのコントロールが出来ないなど人生初なだけに、心身ともに自己管理はけっこう得意と自負していたが、そんな小さな自信までも喪失してしまう。
監督が不在だったからどやされずに済んだが、明日もこの調子だと追加の特別メニューを三日間課せられてしまいそうだった。

心底今が練習試合の予定もない時期で良かったとため息をつくと、いつの間にか後ろに立っていた佐武に声をかけられた。
「なんだよぅ〜牧も調子悪ぃなぁ。うちの二大スター両方ともダメダメじゃん」
「吉祥、調子悪いのか?」
「えー! 気付かないほど牧ってばスカポンタンなの?」
「スカポンタン……」
「嫌だったらアンポンタンって呼ぼうか?」
「どっちも呼ぶな。それより吉祥は具合でも悪くしたのか? 普通にランニングもダッシュもしてたと思うが」
「頭の具合が悪いんだよ。あいつさぁ、初めての彼女に魂抜かれちまって、集中力どこかに落としてきてんだ」
顔には出さずにすんだが心臓が嫌な具合に跳ねてしまった。
「いつから?」
「先々週の土曜日に告ったらOKもらったって自慢してたぜ? 昨日監督が、これ以上吉祥がアンポンタンかまし続けたら一週間特別メニューを追加だって新見コーチと喋ってたんだよ。一週間って、あいつヤバイね死ぬね確実に」
先々週の土曜といえば部活が終日休みで…“まるっと会”があって。俺が己に強く疑問を抱いた日ではなかったか。ということは自覚に至ったのは一週間前だから、まだ俺はセーフということか。三日間ならまだしも一週間特別メニューをくらったら、家で気を張っていられる体力を残せるわけがない。考えるだけで冷や汗が滲む。
「ところで牧はなんで調子落ちてんの? 見たトコ体調不良ってわけでもなさそーだけど? 黒いから顔色伝わってこねーだけとか?」
「……明日までに切り替える」
「なによ何か悩みでもあんの? まさか牧まで彼女できたとか言わねーでくれよ?」
「悩んでない。彼女もいない。どけよ、もう帰る」
「えー? シュート入んねーくせに自主練短過ぎねぇ?」
佐武の痛いツッコミを背に受けても、牧は片手を挙げるだけで振り返らなかった。
明日までに気持ちを切り替えるために必要なのはシュート練習ではないとわかっているからだ。

車に乗り込むと仙道からメールが来た。つい心が躍り急ぎ見る。
─── 『山下につかまりました。すみませんが晩飯は牧さん一人で食べて下さい(ToT) 冷凍庫にまだ冷凍餃子が残ってたと思います。』
山下といえば四年のあいつか……と眉間に皺が寄る。仙道がたまに零す軽い愚痴に大体名前が入っているため、俺の中で山下に良い印象はない。それどころか珍しく添えられている顔文字に、嫌がる仙道を先輩権限で連れまわしやがってと腹立たしささえ沸いてくる。
─── 『ご苦労さん。適当なところで抜けろよ。俺の飯の心配はいらん。しっかり食ってこい。』
密かに恋しい男への返信なので余計なことまで付け足して打ってみた。ついでに俺も何か顔文字でもつけてやりたかったが、出し方がわからないのでそのまま送信する。

安い牛丼屋へ寄ったが食欲がなく、牛丼の並大盛り一杯ときのこ汁一杯だけで帰宅した。
飯の用意も片付けもないので、ベッドに大の字になって目を閉じる。何も対策を講じなければこのままではそう遠くない先に一週間の特別追加練習を課せられてしまう。気を張っていられないのも心配ではあるが、それ以上に仙道と一緒に飯を食えなくなってしまうのが辛い。それだけはなんとしても避けたいところだ。食事中は食べることに意識が集中しているせいか、意識しなくても仙道のそばにいられる貴重な時間だ。それになにより、仙道が作る飯を食えるという期間限定の幸福の回数を減らすのはあまりにもったいなさ過ぎる。

恋心を簡単に消せそうにないならば、気持ちの切り替えを強化すればいい。
そう結論は出ていても実際頭の中は、仙道がそばにいようがいまいがおかまいなく、四六時中仙道のことでいっぱいだ。何かといえばすぐ仙道に結び付けて思い出したりなんだりで、ゲーム形式以外の練習中はさっぱり集中できていない。サーフィンも自分の番がきていてもぼんやりと浮かんだままで、周囲に邪魔扱いされる体たらくだ。まずはこの、四六時中をどうにかせねばなるまい。せめて仙道がそばにいない時くらいは、恋心を認識していなかった頃の状態へ戻せばいい。
だがそれが困難なほど、疲れているのが真の問題ではなかろうか。
仙道の前で『今まで通りの自分』を意識して頑なに貫こうとしているのが大きな負担になっているから、仙道が傍にいなくなるとどっと疲れが出たり気が抜けてしまうのだ。気が抜けて散漫になっているから好き放題に仙道のことを思い返してしまって……と悪循環なのだろう。

では疲れがたまらないように大きな負担を取り除けばいいわけだ。大きな負担=今まで通りの俺を意識して演じること、ならば。
「今まで通りが難しいならいっそのこと……新しい俺に? ……It's a new world?」
勢いで口にしてみたものの、さっぱり意味も方法もわからない。突然頭の中で何故か陽気なIt's A smoll worldがかかりだして、文字通り頭を抱える。本気で悩んでんのかお前はと自分にツッコミを入れながら。
仕方がないので別の切り口を探す。大きな負担……キツイ負担…そういえば帰宅部の奴に、よくキツイ練習とか毎日毎日やってられるよなーと言われる。
地味な練習をずっと続けていられるのも、試合で報われる一瞬があるからだ。試合の度にあるわけではないが、その一瞬がとてつもない快感で。そして試合に勝った高揚感がプラスされて、またあの一瞬を、あの勝利をと望む意識が練習を負担と感じさせなくなる。
これを応用すればどうだろう。そうだよ、褒美だ。頑張る先に褒美があると思えば努力は続けられる。“絶対に成就しない恋”という褒美とは真逆のもののために頑張っているだけだから、多大な負担なままなのだ。褒美を得ることによって努力も負担ではなく、己のためだと積極的に行えて楽しくすらなるものだ。

褒美……報われる一瞬……こうなりたいと望む一瞬……。
そこまで考えて、俺の全身は一瞬でカーッと熱くなった。じっとしていられなくなってベッドを飛び降りる。
「これで明日までに集中力を取り戻せるかもしれない……!」
仙道が帰宅したら実行に移そう。今夜褒美を首尾よく得ることが出来れば、明日からの努力はぐっと楽になるはず。なにせ褒美を得ることが出来る自分というのは"男に恋心など持たない自分”なのだから、次の褒美を得るまでの長い期間─── 実際に二度目があるかは定かではないが。そこは問題ではない。努力を続ければまた褒美を得られるチャンスを作れる自分でいられる、ということに意義がある。そう実感できれば、楽しんで頑張れるはず。
楽しんで行う努力は苦ではない。苦ではない努力はバスケの練習と同じだ。とすれば、努力することが常態で、努力を怠ると罪悪感にみまわれるほどにまでなれ……る、かもしれない。
「……てことは、二年なんて楽勝に?」

確信とやたらに高まったテンションをどうにか収めるべく、牧はいてもたってもいられずダンベルをはじめた。
 


牧も仙道と似たようなことやってます(笑) 今回は思慮深そうだった牧も実はアホの子…?
いやいや、恋はどんな人もアホに変えるもの。生暖かく引き続き見守って下さいませ(笑)



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