Surely goes well. vol.09



翌朝、仙道の顔を見るなり牧は「おはよう。昨夜考えたが、こういうのは早く伝えた方がいいと思うんだ」と話を切り出してきた。内容は同居の件を互いの両親に今日、とりあえず伝えてしまおうというものだった。
あまり眠れずいくらかぼんやりとしていたが、牧の淡々とした説明で頭がしゃっきりしはじめる。
数日前に仙道の母親がいつまでも賃貸先を伝えてこない息子に業を煮やして『彰が決めれないなら私達が出向いて物件を決める』と言い出されていたことを思い出す。子供の自主性を尊重するといえば聞こえはいいが、けっこうな放任タイプの親とはいえ、息子が入学式が目前というのに未だホテルや友達の家を転々としてると思っていれば不安になって当然である。
「そっすね。実は俺、三日くらい前にも親に訊かれてたんです」
「そうか……。俺は昼休みに電話するつもりだ」
「俺もそうします」
現実問題に気が重くなったけれど、これを超えねば同居は成り立たない。牧と仙道は視線を合わせると頷き合った。

晩御飯が終わると二人は報告時の親の反応はどうであったか報告しあった。
牧は親からの信用が厚い。その上で仙道が災難にあい家を探していることを告げつつ、「学生一人で一軒家の管理をするのはこの一年で大変なことが分かった。実は既に仙道と数日暮らしていて、管理だけではなく食生活的にもとても助けられているんだ」という一言がきいたようで、仙道と直接会ってから決めると言っていた。感触としては良い方といえるだろう。
対する仙道の両親は学生二人で暮らすことに最初は難色を示した。高校時代一人暮らしの息子の部屋に部活仲間が押しかけてきていたことも薄々知っており、今度は他校の先輩宅とはいえ学生二人暮らしとなれば怠惰な生活になるのではと心配したからだ。しかしバスケット以外に熱意を示さない息子が強く希望する様子や、同居人の真面目さなどの説明に興味をもってくれもしたようだ。
「すんませんが、明日の朝出掛ける前にちらっとでいいんで牧さんも電話出てくれませんかね…」
「いいよ。……責任重大だな」
「マジすんません……。けど基本、うちのお袋はミーハーだから。きっと牧さんの喋り方と声でイチコロだと思うんすよね」
渋めの低音ボイスに弱いんすよ、という仙道を牧は軽く睨みつけた。
「バカだろお前。そんな甘いもんかよ。まったく……お前に信用があればもう少し俺だって気楽に話せるのに」
「朝イチで時間ねーから、ちょろっとですむと思うんす。ホントすみません……」
パカンと軽く仙道の後頭部をはたいた牧は、「もういい」と苦笑いで請け負った。

一夜明けてのち、息子からの再度の説得後に電話をかわって直接頼んできた牧の応答に仙道の母親は強く好印象を抱いたようだった。
「さっすが牧さん、頼み方も丁寧で好感度めっちゃ良かったっすよ! 『会えるのが楽しみだわ〜』だなんて、もう9割確定だなー」
「電話は顔が見えない分、丁寧に対応しとけって親に言われてんのが染みついてるだけだ。それより、そこまで聞こえてたのか」
「お袋の電話の声、デケーから。牧さんが挨拶したらコロッと声かえやがってあのババア」
悪い口をききながらも予定通りの成り行きに仙道は満足げだ。
「……まあ、何でもいいから上手くいってくれればいいんだが」
思慮深い牧の横顔を見ていた仙道もまた自然と顔が引き締まっていく。
「大丈夫。俺、本番には強いすから。ヘマしないよう気ぃつけます」
「俺も……」
「……合う前に神社でも寄ります?」
「神頼みなんて、受験生かよ」
交わした苦笑いは少し空虚に薄暗い廊下に響いた。


*  *  *  *  *


仙道の大学入学式が明日に迫った本日。式に出席するため神奈川へ出てくる仙道の母親に合わせて、牧の母親とそれぞれの息子達が出向いて四人で会うことになった。
「うあ〜……変な感じで心臓バクバクいってる。初のインハイ出場ん時でもこんなんなんなかったのに〜」
「俺だってお前のお母さんに今から会うなんて……。あぁ〜…お袋、変なこと言いださなきゃいいが。天然入ってるからなぁ……」
「……牧さんはお母さん似なんだ?」
「何で? 全然似てないぞ? 目の色以外は親父にそっくりだってよく言われるが」
それなら性格だけがお母さん似なんだと仙道は納得したが別のことを口にした。
「じゃあ瞳の色はお母さん似なんだね」
「いや。先祖がえりらしい。父の爺さんのそのまたまた爺さん? ……忘れたが、その人がドイツ人だったらしい。本当かどうか知らないが、とにかく母とも似てないよ」
「ふぅん。牧さんの目、色素が薄くてちょっと外人っぽくて綺麗だよね。光の加減で時々、蜂蜜飴みたいな綺麗な色になるから……舐めてみたくなる」
指定された待ち合わせの駅前の小さな喫茶店。狭い四人席で体格の良い二人が向かい合わせの席で座っていると、どちらかが少し前のめりになれば距離はぐっと近づく。仙道が牧の瞳を覗き込もうとするように小さなテーブルに身をのりだしてきたため、狭いテーブルの下で膝頭が触れ合ってしまう。
真っ黒で少し濡れているような瞳に至近距離で見つめられ、牧は先ほど感じていたのとは違う種類の鼓動を刻みだす心臓に戸惑って視線を逸らした。

牧は喉の渇きを覚えてお冷へ手を伸ばしたが、手持無沙汰でちびちびと飲んでいたため、もうほとんど残っていなかった。丁度通りがかったウェイターに仙道がお冷の追加を申し出る。仙道のグラスも空になっていた。
「早く大人になりてぇ……」
再び狭い座席に長躯を押し込めた仙道の深い溜息と一緒に言葉が胸に染みる。
これ以上住居を親に隠し通すなど無理な話だ。互いの親の了承を得られればいいが、もし駄目であればこれからの同居生活はなくなってしまう。
未成年であれどバイトで生活費を稼ぎ奨学金で学校に通う者もいる。そういった者は己の住処を自己選択が可能かもしれない。けれどバスケを本気でしたい自分達は、今は親のすねを齧らなければバスケはもちろん大学生活も不可能だ。体ばかりが大人になっても生活能力という意味では、自分も仙道も子供と変わらない。
「……俺もだよ」
「けっこー自由に生きてる気ぃしてたけど。自分で稼げねー間はどうしたって親の掌の上だもんなぁ…」
牧もまた同じ無力さに打ちひしがれ、黙って頷くことしかできなかった。


最初に来たのは仙道の母親だった。電話での語り口そのままに、シャキシャキとした仕事の出来そうな女性という第一印象を受けた。明日の入学式に出席するためだろう、華やかな色合いのスーツ姿が若々しさを感じさせる。
仙道が『俺の母親は夫と仕事がすげー好きでね。ガキん頃はそれが淋しかったけど俺を溺愛する爺ちゃん婆ちゃんがいたし、母親に“彰も早く本当に大好きな人やコトを見つけるのよ。毎日がずっとずっと楽しくなるから”って呪文のように言われて。そういうもんかねぇ、って思うようになった』と教えてくれていたのがあまりにはまっていて驚くほどだった。
挨拶を交わし当たり障りのない天気の話などをしているうちに牧の母親も到着した。ごちゃごちゃした柄のツーピースとこちゃこちゃした手縫いのバッグで現れた母親に内心舌打ちする。あれほど地味目な普通の格好できてくれと言っておいたのに。スーツ姿で、多分牧の母親より十歳は若そうな仙道の母親の手前、牧は恥ずかしさに自分の母親から目を逸らした。
「こんにちは〜。あらあら私が最後でしたか、ごめんなさいねぇ。何回来ても駅の出口がいっぱいあるもんだから」と、母は相変わらずのマヌケさを披露して仙道親子の失笑をかった。

親同士が挨拶を交わすと沈黙が落ちた。仙道の母親が牧の母親へ笑顔をむける。
「こちらへはあまりいらっしゃることはないんですか?」
「年に数回、東京のキルトの展示会の帰りに寄るくらいかしら。仙道さんは東京にご自宅があるんでしたっけ」
「そうなんです。あの……牧さんはキルトにご興味があるんですか?」
「はい〜。キルト作りが好きで、もう長いことずーっと飽きずにやってます〜」
突然仙道の母親が目に見えてそわそわしだした。
「…どうかなされたんですか? そうそう、お手洗いだったら入口のねぇ、左に矢印が」
「違っ……違うんです。あの、間違っていたら申し訳ないんですけど。もしかしてその…キルト作家の、牧彩音先生…ですか?」
「はい。あらぁ、仙道さんもキルトされるんですか〜。嬉しいわぁ」
「私は全く作れないんです。でも! 昔から彩音先生の作品の大ファンなんですっ! 去年の東京での個展も観にいって、そこでこれっこれを…」
仙道の母親は大きい洒落たボストンバッグを膝に乗せて中を探りだした。興奮気味に大きな白いキルトの袋を取り出してテーブルの上にそっと置いた。
「あら懐かしい、白のシリーズ。貴女が競り落として下さったのねぇ。高かったでしょ、ありがとうございます。使ってくれて嬉しいわ〜」
「本当は使うのがもったいなくて半年ほど飾ったままにしていたんです。でも一月のキルトジャパンのインタビューで、“どんな作品も飾るより使ってもらいたい”って仰っていたから……」
「まあまあ、嬉しい。そうなの、私は使ってもらいたくて作ってるから。綺麗なビニールに包まれて色褪せていくよりも、沢山使ってくたくたのボロボロになって役目を終えてほしいの。ありがとう、わかって下さって」
「彩音先生…。先生が今日お持ちのバッグも個展で見た覚えがあって、でもまさかって思ったのに、本当に牧彩音先生ご本人だなんて。お会いできて、しかもこうしてお話できるなんてとても光栄です!」
それからはキルトの話しで二人は散々盛り上がった。
牧から見ても仙道の母親は少女のようにキラキラとしており、牧の母親もまたとても楽しそうで。とてもじゃないが『いい加減本題に入ってくれ』とは言い出せなかった。それは仙道も同じだったようで、何度かお互い視線を合わせては苦笑いを交わしあうだけだった。

結局本題に入ったのは二時間後だった。牧の母親が「そういえば紳一のところにも何個か小さい物だけど置いてあるのよ。よかったらこれから行かない?」と言い出したからだ。
今やすっかり乙女と化したおばさん二人はきゃっきゃと楽しそうに席を立った。置いてけぼり感満載の息子たちはすっかりくたびれ、力ない足取りで年のいった乙女達の後をついていった。


*  *  *  *  *


「それでは、本当にお世話になっちゃいますけど宜しくお願いします〜。気が利かない息子だけど身長と体力だけはあるから、草むしりでも天井掃除でもなんでも、どんどんコキ使ってやって下さい〜」
「こちらこそ〜。紳一はごはんを作るのも下手だし、こんな顔して淋しがり屋だから。彰君が一緒でとても助かります〜宜しくお願いしますねぇ」
母親同士がペコペコと頭を下げる横でそれぞれの息子も深く礼をした。笑顔の下で息子達は『勝手なことを散々言いやがって』と苦々しく思いながら。

仙道親子は大学近くのホテルへ。牧の母親は息子のところで今夜は一泊することになっている。タクシーが拾える道まで出て仙道親子を見送ったあと、二人は家に続く細道を戻った。
「理沙さん面白くて可愛い人だったわね。まさかこの年になって息子の友達のお母さんと仲良くなるなんてねぇ」
「仙道もいいやつだったろ」
「礼儀正しくて背が高くて格好いい子だったわ。でも〜“いいやつ”かまでは、私はあまり彰君とは喋ってないからわかんない」
「キルトの話ばっかしてるから、あいつと話す時間がなくなったんだ」
ムッとした息子をからかうように彩音は下から覗きこんでにっこりと笑顔で言った。
「悪かったわよ。でもいーじゃないの、一緒に住むあんたがいいやつだって思っているんなら。私なんかよりずっと慎重なあんたが一緒に住みたいと思うくらいいいやつなんでしょ。それで私も、お父さんだって納得しますよ」
「……父さんにはもっとマトモな報告してくれよ」
「なぁに格好つけてんの。しっかり報告しとくわ、一緒に住みたいくらい彰君が大好きなんだって」
「だっ……大好きってなんだよ!」
「あら違うの?」
「表現が変だろ!」
「じゃあ嫌いなの? あんたが嫌いな子と住みたがるなんて、それこそ驚きだわ」
「好きにきまってんだろ! 嫌いな奴と住めるか!」
「やだもぅ、声大きい。うるさい〜何興奮してんのよ〜」
「…………くそババア」
「あははは! 久しぶりに聞いたわ、あんたの悪態。はーやれやれ、なんか疲れたわ〜。ほら、なに突っ立ってんの、早く開けて。お茶でもいれてちょうだいよ」
このくそババアともう一度呟きながらも開きにくい玄関扉を開ける息子に母親は再び笑った。


*  *  *  *  *


持たされていた荷物をベッドの上へ放り投げると即座にお小言が飛んできた。
「ちょっとお! 人の物を大事に扱いなさいよ! 中に彩音先生の作品が入ってんだから!」
「くたくたになんのがご希望って言ってなかった?」
「だからって雑に扱っていいってもんじゃないのよ、このバカ息子!」
へーへーといい加減な返事をしてベッドへ横たわった息子の長い足を母親はペチンと叩いた。
「いや〜もぉ〜まだ信じられないわ。彩音先生と直接お会いして沢山お話できて。しかもお土産に非売品を頂けるなんて。あーん、彩音先生〜想像以上に可愛い方だったわ。あれほど繊細で緻密な作品を作る方が、まさかあーんなにほんわかしてるなんて〜」
「耳タコ。母さんはしゃぎ過ぎで恥ずかしかったよ俺は」
「うっさいわね。なにさ、あんただって紳一君が喋ってる時はすっごい目ぇキラキラさせて見つめてたくせに。なあに、なんなのあんたゲイになったの? 紳一君に惚れてんの? 災難に乗じて押しかけたんじゃないでしょうね」
「乗じてねーよ、人聞き悪ぃ。もう少し自分の息子を信じらんねーの?」
「そりゃそーよ。二週間以上もホテル代ちょろまかして友達のとこに転がり込んでいたくせに」
「あ、金返す。食費以外全部とってある。今返す、持ってきてっから」
「えええええ──!? あったらあった分使う、私そっくりのあんたが? 冗談でしょ?」
「後でいいから、最初の家賃振り込む時にこっから二週間分上乗せして入金しといて」

渡された封筒の中身を確認した理沙は驚いた顔を息子へ向けた。
「……紳一君にそうしろって言われたの?」
「はあ? んなわけねーだろ。牧さんは外食ん時は俺の分まで払ってくれたし、滞在費って渡そうとしても受け取ってくれなかったんだ。“困った時はお互い様。それに俺は家賃や管理費とかノータッチだから渡されても困る”とか言ってさ。それに何回も言っただろ、」
「泥だらけの臭い部屋を一緒に何時間も片付けてくれたり、いーっぱい親切にしてもらったんだっけ? 彩音先生にも紳一君にもお礼言ったじゃない私」
「あんな礼程度じゃ全然足んねー。自分のしたい話ばっかしてさぁ。何しに来たんだよ」
「失礼ね、きちんと賃貸契約結んだじゃない。あとでもちろん菓子折り送るわよ。今日渡したら彩音先生の手荷物になるからやめといたの。…なによ、そんなに不貞腐れるくらいなら、これから自分で紳一君に沢山恩返ししたらいいじゃない」
「言われなくてもするっての」
「久しぶりに会ったのに相変わらず可愛くない。紳一君、顔はちょっと怖いけど優しいし礼儀正しいし声も渋いし、彩音先生が羨ましいなー」
急にかくんと力を失ったようにベッドへ横たわられて、理沙は首を傾げた。顔を隠すように交差した腕の隙間から、低い呟きが漏れる。
「…………マジでいい人なんだ。俺なんかがどうやったら恩返しできるかわかんねーくらい」
「彰……?」
「……」
「あんた、ちょっと会わない間にマシな男に成長してんじゃないの。驚いちゃったわ」
「茶化すなババア」
「私に似て外見ばっかり良くって、中身が追いつかない自分勝手なくそガキだったのに。中学の時なんて、女の子に告白されてもあんたってば」
「それ以上喋ったら荷物窓から放り投げる。そんな大昔の話蒸し返すな」
寝返りをうち背中を向けた息子を見つめる理沙の目は嬉しそうに細められた。
「……大丈夫よ。あんたの本気に気付けないような子には見えなかったもの。頑張んなさい、バカ息子」
理沙は静止したままの広い背中を軽く叩いた。


*  *  *  *  *


久しぶりに別々の屋根の下。牧と仙道は眠りにつくまでのひと時、ぼんやりと考えていた。
特別意識して隠してきたわけではない。けれど、親に同居を認められてどこか安心した気持ちになれたのは事実だった。
二年間。これから本当の意味で二人暮らしが始まる─── 。













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親を出すと話に重みが出てしまいそうだけど、まだスネ齧りの学生なので仕方ない。
大人っぽい二人だけど親の前では当然だけど子供になりますね〜。



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