Surely goes well. vol.04


晩の食卓は約束通り仙道が煮魚で牧を喜ばせた。牧もまた約束通り湯船を洗い湯をはった。一応客人だからと仙道を先に入らせ、次に牧が入った。
特別広くはない湯船だが、昔ながらのつくりでしっかりとした深さがある。足は伸ばせないものの熱い湯に肩までしっかりつかれば指先がじんと痺れた。体のすみずみから疲れが抜けてゆく心地よさに牧は深く息を吐いた。
「……いつ以来かな、湯船につかったのは」
小さな呟きが湯気にとける。
高校の寮は大浴場を時間制で大人数が利用するためゆっくりつかれなかった。だからこの家に越してきてはじめの頃はまめに湯船をはっていた。それがいつしか平日は部活の後に体育館に併設されているシャワー室で、部活休みの日でも自宅でシャワーですませている。
……そういえば一人で入る風呂は残り湯がもったいなくて、翌日洗濯用にしようと洗濯ホースをのばしたら浴槽まで届かなくて悔しがった記憶が。それ以来三ヶ月に一度くらいしか湯船を使っていない…?
「ずぼらなんだかもったいながりなんだか、我ながらわからんな」
苦笑すると牧は両手で顔をごしごしとこすってフーッと大きく息を吐いた。

風呂からあがると牧はいつものように真っ直ぐ冷蔵庫へ向かい、冷えた麦茶を立て続けに二杯飲んだ。
居間から来た仙道が首を傾げながら隣へやってきた。
「なんで麦茶ガブ飲み? 風呂上りのメインはアイスですよ?」
「決まりごとかよ」
「そうです。せっかく広い冷凍庫あるのに全然活用してないなんて、もったいねぇの」
帰宅して冷蔵庫に購入した品物を入れていた仙道が、『え〜? もったいねぇ』と言っていたのはそういう意味かと今頃理解する。
「夏場はスーパーから家につくまでにアイス類はけっこう溶けるんだ」
「まだ春の今も空っぽじゃないすか」
それに夏だってスーパーに保冷剤あるし、冷凍食品と一緒に買うとかさーと続けられてしまう。
意外にものを考えている仙道に内心驚きつつも追求を逃れるため、牧はアイスバーの袋をひったくるように奪って「お前もさっさと食え」と仙道よりも先に噛り付いた。

しっかりしたチョコの風味とキリッとした冷たさに思わず「美味い」と呟いていた。初めて食べるわけでもない安いアイスだというのに。
寮では共同冷蔵庫はあったが自由に使えるものではなく、冷たい物がほしい時はせいぜい設置されていたサーバーの水をがぶ飲みするくらいだった。冷たいものは外で。それが三年間で身にしみついたようで、独り暮らしになっても家では冷やした麦茶をがぶ飲みするのが習慣になっていた。
手早くすませるシャワーではなく、しっかり湯船につかった風呂上りに食うアイスは格別だった。家族と暮らしていた頃は、風呂上りのアイスやジュースは大事なお約束だったこともすっかり忘れていた。
「美味いな……確かに、決まりごとだ」
プッと軽く笑われて顔をむけると仙道が楽しげな顔でこちらをみていた。
「や、二回も。しかもあんまりしみじみと呟くもんだからおかしくて」
「お前といると太りそうだ」
「んな、たかがアイスくらいで」
「アイスも飯も、なんでも。お前と食うと美味い」
仙道が照れた顔をして微笑んだ。そこで俺はこの家で人と何かを食うと美味いと感じる、というべきだったかと己の言葉足らずに気付いたけれど。
「俺も、あんたと食うと美味いですよ」
訂正する前に嬉しそうに返されてしまった。余計な補足をしてこの笑顔が曇られてはもったいないので、俺はただ黙って頷いた。

*  *  *  *  *

まだ入学前とはいえ俺は大学のバスケ部の練習に参加している。牧さんも春休み中ではあるが部活が毎日あった。とはいえどちらも高校とは違い朝練はない。そのため軽い朝食を食べてから一緒に家を出た。
「午前中は無理でも午後には親と連絡つくと思うんで。ついたら電話しますね」
頷きながら玄関に鍵をかけた牧さんはその鍵を差し出してきた。
「帰宅は俺の方が二時間は遅いから、お前が鍵持ってろ」
仙道は一瞬返事に困った。親と連絡がつけば遅くても明日には金が入る。今日一日の宿代くらい借りた金で十分おつりがくる。昨日と一昨日は土日だったから厚意に甘え泊めさせてもらったが、平日がスタートしたからにはこれ以上迷惑をかけるつもりはなかった。
「……時間調節して同じ時刻くらいになるようにしますから、いっすよ」
慎重に返事を選んだ。直接会ってしまえばまた彼の優しさに甘えてしまいかねないのが目に見えている。鍵さえ預からなければ、あとから電話で宿をとったと伝えればすむ。
しかし牧は鍵を受け取ろうとしない仙道の手首をつかんで強引に手渡してきた。
「これで合鍵を作っておいてくれ」
「え……そんな、わざわざ作らんでも」
「いつか作ろうと思いつつ忘れていたんだ。金は後で払うから。さ、行こう。遅くなる」
返事を待たずに先を行く背と手のひらにのった鈍い銀色を仙道は交互に見つめる。
本当は迷惑をかけるということよりも、居心地が良過ぎるからこそ早く去らないといけないというのが一番の理由だったりすることを。もしかしたら彼は見抜いているのだろうか。
「……俺、帰り早いから晩飯作っておきますよ」
「それはありがたいな。何作ってくれるんだ?」
「帰ってきてからのお楽しみ」
「ヒントくらいないのかよ」
「ヒントは、冷蔵庫にあるものを使います」
「全然ヒントじゃねぇ」
追いついて隣に並んで駅まで歩く。苦手な宿題に頭を悩ます子供みたいな横顔を横目で盗み見ながら、仙道は痛いほど強く握っていた鍵をポケットへしまった。


夕方過ぎに親とやっと連絡がとれた。大家や保険会社への連絡の引継ぎも親が請け負ったことで、やっと気が軽くなった。
真新しいスペアキーを使って「お邪魔します……」と誰もいないのに小声で呟きながら家へ入る。家主がいないせいで落ち着かないため、そそくさと二階へあがった。

晩御飯を作り終えて居間のラグに転がっていると、玄関扉が開く音と一緒に牧の「ただいまー」という声が聞こえてきた。
「おかえりなさーい。電話で言おうと思ったけど、もう帰ってくるかと思って。やっと親と連絡とれました」
仙道は素早く起き上りソファへ移動した。ほどなく牧も居間へ顔を出す。
「そうか。良かったな」
「明日からは金欠生活ともおさらばですよ〜。牧さんにはマジ世話んなっちゃって、」
「もう出てく気か」
話しを遮った牧の声は硬い。今さっき笑みを浮かべていたのに、居間の床に置かれた仙道のまとめられた荷物を見るなり表情を曇らせてしまった。
「……借りた金は明日返しますね。そうだ、合鍵作っておきましたよ」
小さな紙袋を手渡そうとしたが、牧は無言のまま受け取らずに二階へ行ってしまった。

家着に着替えた牧が下りてきて隣に腰かけた。琥珀色の淋しそうな瞳が仙道へ向けられる。
それだけで仙道は牧が自分を引き止めたがっていることが強くわかってしまい、表には出さなかったが動揺した。けっこう用心深そうな彼が、こんなに感情を素直に見せてもいいと思えるほどの信頼を、この短い期間に自分はいつ得られたのだろうと。
「……お前が通学が面倒じゃなかったら、だが」
予想通りの出だしに仙道の胸がドキリと鳴った。
「新しい住まいが見つかるまでここで暮らしたらどうだ? ホテル代も浮くぞ。今時期は大学の傍に空きなんてすぐにはでないだろう?」
「そうですけど…そこまで甘えきったら悪いすよ」
優しい彼にそう言わせるようにしむけたような気がして、罪悪感でじわりと頭が下がった。
「やっぱ大学通うのが大変か? それなら春休みの間だけでもどうだ」
「通うのは、朝練ないから遠くても問題はないです。……けど」
「ずっと独り暮らしだったから、家でくらい一人の時間がないと気疲れするか?」
「あんたとなら平気だよ。そうじゃなくて……俺だけ得なのは、なんか…嫌っつーか」
牧が小さく吐息をついて、「なんだ、そんなことか…」と目元で微笑んだ。
「風呂を交代で洗ったり、お前が気が向いた時にでも俺の分も飯を作ってくれれば、十分なメリットだ」
「たったそんだけで?」
「おう。俺の食生活の貧相さはこの二日間で知っただろ」
「……塩ふっただけの冷や飯を二杯、でしたっけ」
思い出し笑いを浮かべた仙道へ牧は「それは冷蔵庫が空の時だけだ」と自己フォローしたが、それすら情けないと思い至ったのか、一緒に苦笑いを零した。
笑い終えた仙道は姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「改めて、宜しくお願いします。新しい部屋が見つかるまでやっかいになります」
顔を上げると、牧の喜びが滲み出た深い微笑みがあった。心からの歓迎に仙道の胸が熱く痺れる。
「こちらこそ宜しくな」
短い言葉なのに耳から胸に染みこんできて、仙道はあたたかな幸福感を生み出す目の前の男を思わず抱きしめたくなってしまい困った。

帰りに買ってきた惣菜と、すっかり冷めてしまった豚肉ともやしと豆腐のチャンプルと豆腐の味噌汁を温めて遅い晩飯となった。
牧は「美味い」と「凄いな」しか言えないくらい食事に集中していた。少し話しかけたけれど返事は上の空で、食事をしながら会話といかないほど空腹だったのがうかがえる。ボリューム優先のメインにして良かったと仙道は満足しながら、話はあとにしようと自分も黙々と箸を動かした。

食事を終えて皿を洗いながら牧から話しかけてきた。
「今日からは共同住宅…ホームステイでもないな、こういうのは何て言うんだったかな。えーと、最近流行っているらしい……ホームシェアリング…」
「シェアハウス?」
「そう、それ。俺だってこの家は借り物なんだ。そうだ、二人で借りてると思って使おうぜ」
「家主はあんた、俺は居候で十分すよ〜」
「いや、俺がそれだとお前を客だと思う分面倒だ。俺の負担を減らすのに貢献してくれよ。実は一軒家を一人で管理するのはけっこう面倒でなぁ」
半分は本音だろうが、残り半分は仙道の心理的な負担を減らそうとしているのが伝わってくる。
「わかりました。じゃ、明日からはそういうことで」
「今からだっていいだろが」
「いや、今晩はこの家のことを色々教えてもらいたいから。まだ家主の牧さんにね」
皿を拭いていた手をとめた仙道がビシッと牧を指さすと牧は僅かにたじろいだ。
「なんだよ分かったよ。…で、何を知りたいんだ?」
「えーとね。どの部屋は入ったらダメとか開けちゃダメとか。掃除はどうするとか。大雑把でいいからこの家のルール的なもの。あと賃貸でよくあるペット不可・煙草はベランダで、みたいな?」
「お前煙草吸うのか?」
「まさかぁ。たとえばっすよ。何かないの?」
「急に言われてもなぁ。まぁ、ペットは不可だな」
「それは言われなくても。まぁゆっくり考えて下さいよ」
「お前も明日から家主の一人なんだし、一緒に考えようぜ」
「そうだね。楽しく過ごすには最低限のルールが必要、だもんね」
ニッと笑ってみせると、牧は「なんか似たようなことを俺が言ってなかったか?」と微妙な顔をした。

なんだかわくわくしているのがお互いに読み取れてしまうのが少し気恥ずかしくて、何度もふざけて話を脱線しながらも、これからの共同生活についていくつかのルールを決めた。
「なんかあんたといると普通のことが何でも楽しくなるから困っちゃうよ」
「バーカ。それは俺のセリフだ。さて、もう寝るか」
客用布団に転がっていた牧がのっそりと起き上った。まだ畳に転がったままの仙道は見上げて言った。
「面倒くさかったらここで一緒に寝てもいーよ?」
「バーカ。五歩歩いたら自分の部屋だっつの」
「今日二回もバカって言った〜」
「ご希望とあらば何回でも言ってやるが?」
「丁重にお断りします。んじゃ、おやすみなさーい」
「おう。……あ、ちょっと待ってろ」
踵を返し階段を下りていく牧のあとを仙道もついていった。
居間のテーブルの上に置いたままの小さな紙袋から牧が二つの鍵を取り出す。
「合鍵だからってなくすなよ」
今度はすぐに手をだして受け取った。
「牧さんが鍵を忘れたら電話してよ。俺が開けてあげるからさ」
「バーカ」
「あっ、とうとう三回目! 実は口が悪い人だとは。本性出してきましたね」
「新鮮でいいだろ?」
「……バカ?」
「あ、テメ。先輩に向かって」

小突いたり小突き返したりしながら階段を上って。おやすみと言い合って。
布団に横になっても口の両端がずーっと上を向いたままなのはあんたのせいだって、今言いにいったらきっと、『バーカ』って。どうしてもつられちゃうあのいい笑顔で言われるんだろうな。
そんなことを考えている間に俺は眠りについていた。











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