Surely goes well. vol.02


胡坐から横倒れになって体を捻ったおかしなポーズで器用に寝ている男へ声をかける。
「おい、起きろ。関節おかしくするぞ」
気持ち良さそうなところを起こすのは忍びなかったが、腹も減ってきた。
夕方になっても雨脚は弱まるどころか激しさを増したため、買物は諦めた。家にあるもので飯にしなくてはならない。また貧相な飯を出すのも可哀相な気もするけれど、我慢してもらうしかないようだ。
数回肩をゆるくゆさぶると長い睫毛が震えた。
「あ……今、何時すか」
寝ぼけ顔で起き上がった仙道は案の定、下になっていた腕が痺れていたようで肩や腕をさすっている。ぽかんとあけたままの口元、片頬にはラグの痕、目は半開き。高校時代には神奈川篭球三大イケメンのうちの一人と確か言われていた男だがこう無防備だと、どこがだよと笑いそうになる。それほど目の前の仙道は別人のように幼くみえた。
「七時半だ」
「やべ、遅刻……!」
「朝じゃないぞ」
「え……あ、そか。……ええと、晩飯の材料買いついでに携帯充電器……」
牧はカーテンをしていない窓を指差して、仙道の視線を誘導する。
「買物は中止だ。無理して滑って足でも怪我したら馬鹿くさい」
「すげー暴風雨っすね……そか、買物中止すか。…くあぁぁ……残念」
返事の途中にあくびを挟んだ仙道は言い終えるとまた瞼を閉じてしまった。
考えてみれば家にあるもので飯ならまだ寝かせておいても問題はない。
かくりと首を落とした仙道を起こさないよう、また質素な食卓を用意すべく静かに台所へ向った。

冷蔵庫にはケチャップ・マヨネーズ・チューブ入りのバター・ソース・醤油・牛乳・麦茶・卵・納豆・チーズ。
調味料以外の食材は全部きっちり一人分しか残っていない。昼に二人前分を使ったので、このままだと明日の朝は何もないどころか、今夜の飯を二人分用意するのすら難しい。飯だけはたっぷりあるから、自分はまた卵かけご飯にして、仙道には納豆ご飯とチーズをやる、としても全然足りない……おかわりは飯にバターをのせて醤油まわすしかないか。
防災的にもインスタントや菓子くらいもっと買い置きしておくべきかな、などとぼんやり考えていると溜息がでた。
「野菜室には何も入ってないんすか?」
真後ろから声をかけられて肩が跳ね上がった。振り返ると「あ。驚かせてすんません」と悪びれない仙道が腰をかがめて俺に覆いかぶさるようにして中を覗き込んでいた。─── 距離が近い。
「下には野菜ジュースとプロテインしか入ってない」
「明日の朝飯分も材料残しておく必要アリ?」
「無し。朝までには雨は弱まるか止むだろ」
「OK。そんじゃ、飯係の初仕事させてもらいますかね」
仙道は食材の少なさに文句もないようだ。牧は冷蔵庫の前から退いた。
「こんな材料で料理なんてできんだろ」
「まぁ、料理っつーもんでもないですけど。あ、そこのフライパン借ります。それとそこの油も」
「油、いつ開封したかわかんねぇぞ?」
「死にゃしねーでしょ」
鼻歌交じりに食材をテーブルへ乗せていく仙道の傍でただ突っ立っているのも邪魔かと、牧は台所から出て二階へむかった。

仙道が選んだ部屋は古いタンスが二つ並ぶだけの一番物が少ない四畳半の部屋だった。遠慮がちに壁にそって仙道の荷物が並べられている。その上に雨で塗れた衣類が広げてあった。言えばハンガーくらい出したものを。
泊まれと言った時の反応もそうだが、意外に遠慮をする性質かもしれない。俺は気が利かないから不便があったら言ってくれると助かるのだが…。しかし特別親しい間柄でもない他校の一つ上の先輩にはやはり言いにくいのだろう。ここは自分が先々気を回して居易くしてやれるようにしてやらねば。
牧はひっそりと溜息をつくと隣室からハンガーを数本とってきて衣類を鴨居にかけた。布団を敷きシーツをかけてやると、人を自分から招いて泊まらせるのは初めてなことに思い至る。
「似合わん世話やいたかな……」
仮に親と連絡がつかなくとも、仙道なら入金までの三日くらいどうとでもやれるのかもしれない。先ほど金を貸した時の反応から、出会った時の牧の所持金は三千円だけだったが、それを貸すだけでもなんとか出来そうだった。
─── それでも、あの時の仙道の表情を見た自分は、理屈抜きに引っ張ってこずにはいられなかったのだ。

階下から出来たと声がかけられ階段を下りる。納豆だけではない、濃い妙なにおいがする。
テーブルには山盛りのチャーハンと麦茶が二人分のっていた。
「調味料少なかったんで、味はあんま期待せんで下さい」
「……凄いな、あんな少ない材料で二人分の飯を作るなんて」
「飯、いっぱいあったんで助かりました。さ、座って座って。食いましょう」
「いただきます」
廊下まで漂っていたにおいから、正直少々気持ち悪い味を覚悟していた。しかし初めて食べる納豆チャーハンは口に入れると醤油の芳ばしい香りとコロコロしたチーズがアクセントになっており、納豆は気にならなかった。空腹だったこともあるが、食べ進めるうちに癖になる味のようで、山盛りの皿なのに一気に半分を食うまで箸を止められなかった。
「美味い」
「牧さん納豆チャーハン好きなんだね」
「存在は知ってたが食うのは初めてだ」
「え。初めて食う奴は大体最初はくせーとかあったかい納豆なんてって、食うのを嫌がるんだけど」
「匂いは驚いた」
「そーでしょ。チーズも入れてっから臭さ倍増だもん。けど俺、チーズ入れた方が好きなんすよ」
牧は頷いて食事を再開しようとスプーンを口に運びかけたが、仙道がまだこちらをじっと見ていることに気付いた。
「…納豆も粘り気がないから温かい豆みたいで、パラリとしてて食いやすい」
口に入れ咀嚼し飲み込んでもまだ見ているので、感想が足りなかっただろうかと牧は更に付け加えた。
「チーズの固まりがある部分が一番美味い」
「んな、たかがチャーハンにそこまで感想いらないすよ」
困ったように僅かに眉を下げられ、牧はいよいよ何を要求されているのか分からなくなり片眉が上がってしまった。
牧の疑問が伝わったのだろう、仙道はわずかに首を傾げて不思議そうに呟いた。
「初めて食わされる飯が食ったことのないくっさいものなのに、牧さん最初から全然嫌がる素振りも文句もなかったから……」
「お前が作ってくれたからだ」
当たり前のことを改まって不思議そうに聞かれて牧は拍子抜けした。なんだくだらん。せっかくの美味い飯が冷めるじゃないか。
「あの材料で火を使う料理を思いついて、二人前用意できるお前は凄い」
言いたいことを言い終えたため、牧は改めて食べることに専念した。

食器を洗い終えて米をといでいると仙道が台所へやってきた。
「布団、ありがたいっす」
「暫く使ってないから、湿気ってたらすまん」
「全然。あんまりご両親や仲間が泊まりに来たりはしないんですね」
「基本、親は泊まらん。湿気った布団を嫌がってホテル泊まりだな」
「へぇ…。さっき嬉しくてちょっと転がったけど、布団は何も気になんなかったっす」
「そりゃ良かった。去年の夏以来、押入れに入れっぱだったんだ」
洗った食器を仙道はかけてあった布巾で拭くと食器棚へしまいはじめた。あの布巾はいつ以来かけっぱなしだっただろうかと思ったが、『死にゃしねー』からいいかと、先ほどの仙道の返事を思い出して言うのをやめた。
「夏……お盆に親戚が集ったりしたんすか?」
「いや、仲間がなだれ込んでザコ寝したんだ。その時使ったきりだ。あ、シーツは洗ってあるから心配するな」
「洗ってなくても平気すよ。牧さんの大学からここまでけっこうありそうだけど、やっぱ溜まり場になるんすね。一軒家で一人暮らしだもんなー」
「部活の奴らじゃないぞ。親と暮らしてるといってあるんだ。教えたら押しかけられて面倒そうだからな」
「確かに事あるごとに入り浸られんの確実かも。俺、他言しませんから」
「そうしてくれると助かる。たまにならいいが、しょっちゅうだと疲れるし断るのも億劫だし」
ですよね、と頷いた仙道に牧も軽く頷き返した。
まだ何か聞きたそうな仙道に牧は捕捉を加えた。
「夏に来た奴らはサーフィン仲間だ。両親は出かけて不在だといって場を提供した。海辺でバーベキューしてた時に突然豪雨が来てな」
「サーフィン? 牧さんサーフィンするんだ?」
「俺がこの家を選んだのは、海まで徒歩五分なのも理由の一つだ」
少ない食器はあっという間に片付き、二人は居間へ移動した。

仙道は牧の趣味がサーフィンと知って興味を持ったようで色々聞いてきた。牧は聞かれるままに返事をした。会話の中で仙道が釣りの話しを少ししたため、今度は牧が海釣りについて聞いた。
自分も少し興味を持っていたことを相手が詳しいと知った二人の会話はゆっくりと弾んでいった。
お互いの成功談や失敗談で笑い声があがるようになった頃には、プラスチックの麦茶ボトル二本が空になっていた。
「お。もうこんな時間か。お前、先にシャワー入れよ。湯船入るなら洗うが、どうする?」
「シャワーで十分す。いいなぁ、家に風呂のある生活!」
「お前のとこはなかったのか?」
「あるけどユニットだから凄く狭くて入れたもんじゃなくて。年中シャワーで、湯船に入りたい時は銭湯行ってました」
「明日は湯船洗ってやる。タオル以外に何か足りない物はあるか?」
「ないっす。風呂くらい明日俺に洗わせて下さいよ。や〜明日も楽しみが出来たな〜」
家の湯船くらいで浮かれる仙道が微笑ましくて、つられて牧までなんとなく明日が楽しみになる。
狭い脱衣所兼洗面所へ案内して、バスタオルを渡しつつタオル類が入っている場所を教えた。
「シャンプーでもなんでもあるものは好きに使っていいから」
「あざっす。あの、牧さん」
「ん?」
「俺……今日、牧さんに拾われて凄ぇラッキーでした」
「拾われてって。お前は犬か」
笑うと仙道は「ワン!」とふざけて一吠えした。それから真顔に戻ると「ありがとうございます」と深く頭を下げた。
礼を言われると急に自分の方が居たたまれなくなってしまい、牧は早口で告げた。
「いいって。考えなしに貧相な食料しかないとこに引っ張ってきたんだから」
「全然す、腹一杯すよ! つか俺。マジこんな楽しかったの久々で…自分の状況忘れるくらい安心して寝こけたっつか………」
僅かに赤みを増した頬を隠すように仙道が背を向けた。
「じゃ、お先に!」
まだ牧が洗面台で替えの歯ブラシを探しているのに、仙道はTシャツを脱ぐと下着とジャージの両方を一気に下ろして風呂場へ飛び込んでいった。
「……早ぇ…手品かよ」
3秒でいなくなられて驚いた牧の呆け声が狭い脱衣所で少し響いた。

この古い家は、牧の父親の兄弟の長男一家が暮らしていた家だ。人が住まないと家は老朽化が加速するため、空き家の管理として誰か住まないかと親戚中に声がかけられた。息子の高校卒業を控え、寮を探していた牧の両親は息子がここで一人暮らしをしたいと言い出した時はいい顔はしなかったけれど、長い話し合いの末に牧の希望は通ったのだった。
狭いつくりの家ではあったが、当然一人暮らしには広過ぎた。けれど慣れてしまえばそれなりに快適で、すっかり忘れていた。独り言も笑い声も全て吸い込まれて消えていくような淋しさに、暫くはなかなか慣れなかったことを。
台所で麦茶を作っている自分の顔が古いレンジのガラスに映っている。僅かに黄色味を帯びた蛍光灯の下、見慣れたいつもの辛気臭い自分の顔とは思えないほど、どこか楽しげな表情に驚いた。
「この家でこんなに喋ったことはあったかなぁ……」
久々に零した独り言に続いて風呂場から「冷てぇ!」と仙道の声と派手な水音があがった。
まるで返事のようなタイミングに、牧は声もなく破顔した。

何でもそうだけど、初めて食べるものが臭いとちょっとビビリませんか?
臭いもの=発酵食品、ともいえるかしら。でも食べると美味しいものって多いですよね〜。


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