Same to you. vol.10


目が眩みそうな日差しのせいではない僕の渋面に、牧はほとほと困った様子でまた謝ってきた。
「悪いと思ってるよ。でもあいつの前ではそんな顔してないでくれ」
渋面にならないでいる自信がないから頷けない。だってどう考えたっておかしいじゃないか。なんで初デートに僕がついてかなきゃならないんだ、百歩譲って保護者ならまだしも。馬に蹴られると分かっていて喜んでついていく酔狂さなど僕は持ち合わせちゃいない。
「だから何度も言ってるが、あの時は必死だったし、宮が傍にいたから冷静にあいつと対峙出来たんだって。何か失敗してもお前がすぐフォローしてくれるだろ。いなかったら、あんなまともに会話なんて出来てないって」
「だーかーら、それも思い込みだって言ってんの。そんなに思い込みしていたいんなら、僕がいつでも牧の後ろに立っているとイメトレしておけばいいんだよ」
「そんな突き離さなくてもいいじゃないか……」
しょんぼりとした姿は叱られた大型犬のようで、つい情け心が出そうになる。けれどここで甘い顔をすれば次のデートまで同伴させられそうで、あえて毅然と無視をした。

牧と仙道君は二ヶ月ほど前に恋人同士になった。その後は本気で哀れを誘うほど、どちらも予定が空くことも重なることもなかった。インハイ予選が近くなれば練習も厳しさを増すし、予選が始まってしまえばインハイが終わるまで空き時間を作れるわけもない。仙道君は一年だから先輩の目が厳しくて無理だろうけど、牧の要領が良ければ……って、やっぱりどう考えても無理だ。常勝海南の副主将は雑事も多いから、要領どうこうで時間を作れるわけもない。
海南は今年もインハイを勝ち進んだ。結果はベスト4。去年よりも好成績で、スタンド組の僕は心底凄いと感動した。なのに今年も全試合オールスタメン出場した隣の御仁ときたら、それでもまだ悔しいって唇噛んだりするんだから。どんだけ勝ちたいんだよって……全国制覇するまでって答えるだろうから聞く気もおきなかったけどさ。ま、そんなとこもいいトコなんだけど。
とにかくとんでもなく忙しかったから、二人はせっかく両想いになったのに、あの目茶苦茶な告白合戦みたいな日からこっち、一度も二人きりで会えていなかった。電話は頻繁にしあっていたようだけど。たまに試合会場で数秒挨拶を交わしたり試合で対峙するなど、恋人として会ったうちには入らない接触はあった。そんなことすら『今日は顔を見れた』と後からこっそり僕に嬉しそうに話す牧に、僕は心底哀れを感じたものだ。

「宮〜…」
今までをぼんやり振り返っていたら、不機嫌で黙していると誤解を受けたようだ。強引に頼み込んで引っ張ってきたくせに、哀れな声出すなよ。部活や試合の時は信じられないほど強気で頼りになるくせに、まるで別人じゃないか……なんて今更だから言わないけど。

適度に人がいてざわめきのある電車内。走行音もあり、小声で話せば周囲には何を話しているかは伝わらない。
インハイも終わったことだし、会えないのが可哀想で今まで聞けなかったことを公共の場ながらも聞いてみた。
「ねぇ、牧。あの時さ、仙道君の顔ってそんなに分かりやすい顔だったの?」
「ど、どうしたんだよ急に……」
「牧の背中ごしからは仙道君の顔は見えなかったんだ。だから僕はしっかり騙されてた、なんて意地悪なことを言う嫌な奴だって。それで悔しくてずっと気になってたんだよ」
一瞬にして牧が茹でダコになった。なんと言っていいか分からないようで、待っているのに返事がない。
「未だに腑に落ちないんだよね。好きですって顔しながらあんな憎たらしいことを言ったり、キスさせようとしたりとか。なんでそんな、下手すりゃ嫌われるようなことを出来たわけ? 先に好かれてる優越感のなせる技かもしれないけどさぁ」
「それは違う」
牧はまだ赤みが引かない頬のまま、小声ながらも即座に否定してきた。
「あの後実はな、夜に仙道が電話で謝ってきたんだ。俺がその……初めてだと知らなかったから、させるように仕向けたって。あの時は、あいつもまだ自信がなかったそうだ」
翌日宮に言おうか迷ったが俺から言うのもどうかと、等と続ける牧がもどかしくて、宮益は口を挟んだ。
「自信? 何の?」
「あいつは宮と話をするまで、俺に対する感情が何なのか分からず悩んでいたんだと。だから俺に接触を試みたけれど、俺とじっくり話をする前に宮が現れた。宮の告白や話を聞いているうちに、一目惚れは同性にも発生すると知ってショックを受けたばかりだったんだって」
そんな話をしたのか? と牧に聞かれて、今までそんな話しをしたことなどすっかり忘れていた僕は頷いた。
「その…俺への感情が何であるか気付いた僅か一時間後に、突然当の本人が現れて。しかも宮との三角関係だと誤解して。けれど俺はあいつに気があるようなことを言い出すしで……内心パニックだったそうだ。実際、その時のあいつの顔はそりゃもう、俺の返事一つで様々に変化していったよ。鈍い俺が分かるほどに、な」
「パニックねぇ……」
「こ、恋と認めたつもりだったがまだ自信がなかったから、すればハッキリすると思ったそうだ。もし違っていれば拒否感があるだろうと。実践で確かめようとしたんだ……けなげじゃないか」
今更“恋”と言うくらいで赤くならなくても、僕の頭上でキスまでしといてと思いはしたけれど。それよりも聞き捨てならない台詞にツッコミを入れてしまった。
「今、“けなげ”って言った?」
僕の怪訝丸出しの声音に、牧は治まりかけていた頬の赤みを再び引き戻してしまった。
「だってそうだろ。あんな状況なら普通はその場では断って、あとで確信がもてたらOKを出すはずだ。けれど一度でも俺を傷つけないよう咄嗟に考えたんだろう。もし気持ち悪くなければその場でOKが出せる。傷つけなくてすむかもしれない可能性に賭けたんだあいつは。恋でなければ自分が気持ち悪い思いをするのに、それでも俺を優先したんだよ」
「……それ、仙道君がそう説明したの?」
「してないが、それくらいは少し考えれば分かるだろ」
「でも実際、牧はあんな形でさせられんのは嫌だっただろ?」
「…………嫌っていうか……宮もいたし。けど…俺は、どんな形であってもあいつさえいいと言うなら…一度くらいは…だから……」
隣で盛大に照れている牧に、僕はなんてポジティブ思考で、純情な割になんて大胆なんだとズッコケそうになった。あんなに恋愛に関してネガティブだった男が、好きな人の行動次第でこうも変わるとは。
かくも恋愛とは様々な面を引き出すものなのか……。深い。深すぎて僕にはまだまだまだまだ理解不能だ。

牧の心情は置いておくとして。僕からすればパニックに陥ってる人が、咄嗟の判断でそこまで相手を思いやれる行動をとれるとは思えない。
仙道君がいつから牧を意識するようになっていたかは知らない。けど、僕との会話で好意ではなく恋情と気付いたというのは、有り得るかもしれない。あの時、仙道君の黙考の長さが信憑性に足る行動に思える。
三角関係と仙道君が早合点したのは表情や迫力から事実だろう。現に僕に対する豹変ぶりに僕はビビってしまった。僕をかばう牧の背で邪魔者が見えなくなったことで、彼は表情で自分も牧を好きだと伝えることに成功している。それにより、あの場でキスをするよう誘導される牧の抵抗感を消し去る。そして牧からさせることで恋愛成就を牧に確信させつつ、ライバルの僕へは失恋のダメージを与える。
それがあの時仙道君が思い描き実行したシナリオ……という可能性の方が高くないか?

─── なんてことは、欠片も考えてなさそうだ。なんとまぁ、幸せそうな顔しちゃって。

どちらの考えが本当かは仙道君しか知らない。もしかしたら本当にパニックで、深く考えずにとった行動かもしれない。まぁ、なんにしろ恋が実って牧が幸せなら、僕は無用なことは言わないけどさ。


* * * * *


待ち合わせの駅で無事合流し、三人で向った仙道君の親戚が経営する飲食店は、想像以上に小洒落たハワイアンカフェだった。僕だけでなく多分牧も、こういった店は初めてで足が入口の前から先に動かない。仙道君がそんな僕らにさりげなく店のドアを開けて入るように促した。そんな少々気障っぽいエスコート姿に牧は見惚れて硬直した。先が思いやられながらも、仕方なく僕から先に入った。

外観から女性客ばかりだろうと踏んでいたが、店内は意外にも男女同じくらいの割合でにぎわっていた。カップルや女同士はもちろん、男同士もいる。木目の壁はハワイ風のカラフルな小物や観葉植物で飾られており、女の子が喜びそうな雑貨や駄菓子も売っている。一角にはサーフィンの道具や男向けのアクセサリーも販売しており、男性客がいるのも頷けた。

奥の丸テーブル席に僕・牧・仙道君という並びで腰かけた。なんで僕が仙道君の顔を見ながら飯食うんだろと最初思ったけれど、牧・僕・仙道君という並びもなんだか変だ。人のデートについてくる僕の存在自体が変なのだから、どう座っても変なのは当然かと、あきらめてカラフルなメニュー表を広げた。
「どれも写真よりもボリュームありますよ。あ、これとこれは俺がよく食うやつで、」
仙道君の説明と沢山のメニューに僕はウキウキしてきた。どれも食べてみたくなる。飲み物もデザートも充実していて迷う。どれにしようと唸っていると仙道君が笑った。
「奢りなんだから、どんどん注文しちゃって下さい。残ったら俺と牧さんが食えばいいし、それでも残ったらおばちゃんに詰めてもらうか。親戚特権で」
以前僕らに失礼な発言をしたお詫びに昼飯を奢りたいと、仙道君が牧に電話で言ったそうだ。牧は奢りを辞退する理由がしっかりあったので仙道君も納得したが、僕の場合はダメだった。しかも今回どうしても初デートに同行してくれと牧に頼まれ断り切れなかったこともあり。僕の昼飯代は仙道君と牧が持つことになってしまっていた。『親戚の店だから、いつも俺の分は半額なんで気にしないで下さい』と言ってはくれていたけれど。
「なんか悪いなぁ。でも……美味しそうだから遠慮できそうにないや」
「そうこなくちゃ。堂々とたんまり食って下さい、宮さんは俺らのキューピッドなんだから。ね、牧さん」
「お、おう。どんどん頼め、宮」
こんな見た目貧弱眼鏡チビがキューピッドねぇ……。あーあ、牧ったら“俺ら”って一言だけでそんな目を泳がせなくたっていいのに。

「じゃあ、僕はこのロコモコプレートとグアバジュース。…パンケーキも美味しそうだけどやめとこ。牧は決まった?」
いつもメニューを決めるのが早い牧にしては珍しく迷っている。仙道君が写真を指しながらニコッと笑顔を牧へ向けた。
「ロコモコプレートも美味しいけど、こっちのBIGバーガーセットも美味いっすよ。そこらのバーガーと全然違うし、この付け合わせのポテトがまた絶品なんすよ」
「…それにする」
「飲み物は?」
「アイスコーヒーで」
さっきのニコッって笑顔で牧はすっかりやられたらしい。メニューも見ずにお冷やのグラスを握りしめて俯いてしまった。それでも受け答えをしただけマシか。
「牧。せっかくジュースやスムージーとか色々あるのにアイスコーヒーでいいの? デザートもこんなにいっぱいあるのに。ハニートーストにチョコパフェ……あ、このタワーパンケーキ凄い」
「み、宮」
「へぇ。牧さんって甘い物いける派なんだ。ならガンガン頼んで下さいよ。ここのはどれも人気高いすよ。まずは飯を先に注文して、飯が出てくるまでの間にデザートをゆっくり決めましょうか」
仙道君に微笑まれた牧は曖昧な笑顔を浮かべてから、僕をひと睨みした。今時、男は甘い物を食べないと信じてるような奴はいないっていうのに。どんだけ格好つけたいんだか。我慢いっぱいして後々バレるより、こういうことはさっさとお互い知っといた方がいいんだ。…って、恋人のいない僕が言えるわけもないけど。


運ばれてきた料理は全て、想像以上のボリュームがあった。牧の前に置かれた大皿には巨大なハンバーガーと溢れんばかりのフライドポテト。僕の頼んだものは木皿が海亀を模しており、凹ませた甲羅部分に半円に盛りつけられたご飯が二つと巨大なハンバーグと半熟目玉焼き、それとサラダと付け合わせが盛られている。仙道君の頼んだポークソーセージのホットドッグも巨大で、横の山盛りフライドポテトが零れそうだ。それぞれの前に置かれた大きなグラスはたっぷりの飲み物で満たされていた。
「すっごい量だね……。この量であの値段だなんて、元が取れるか心配になるよ」
「そうだな。…これ、どうやって食うんだ? 流石にここまで口は開かんぞ……」
僕は牧とは違う意味でまだ皿に手をつけられずにいた。仙道君は今まさに僕が考えていることを口にして笑った。
「その飯の盛り方、毎回思うんだけど。どう見ても“おっぱい”すよねー」
アイスクリームのように丸い半円の白いライスが二つ並び、ご丁寧にその上に粉末パセリが飾られている。僕が思っていても言えなかった単語をあっさり仙道君が言うものだから、気が抜けて笑ってしまった。
「だよねー。よかった、僕だけがそう思ったんじゃなくて。じゃ、いただきまーす」
二人も唱和するようにいただきますと言ったけれど、仙道君はすぐに牧の皿へ手を伸ばした。
「パンをこの紙で少しこう潰すと食べやすいですよ」
「なるほど。……うん、これならなんとか」
大口を開けてかぶりつく牧を見る仙道君の目はとても優しい。
「……ん…む…美味い。こんなに美味いハンバーガー食ったことない。けど、やっぱ食い難い。零れる」
「零さないでなんて食えないっすよこれは。でも俺はここではこれが一番美味いと思ってるんで、牧さんに食ってもらいたくて。あ、ついてますよ」
頬笑みながら牧の口元についたソースを仙道君は指ですくうと、その指を平気な顔で舐めた。予想通り赤くなる牧を横目に、僕は瞬時に視線を周囲へ走らせた。店内に入った時はどの客も等しく仙道君と牧へ目をやっていた。飛びぬけた高身長だから男ですら見てしまうのも無理はない。座っても続くのは女達の視線だ。どちらもタイプ違いの格好良い男だから興味津々といった感じで、なかなか二人から視線を外す者はいなかった。きっと今のことだって─── あれ? なんで誰も気付いていないの?
もう一度二人をよく見てわかった。仙道君が牧の方へ体を寄せると、背後の巨大な南国植物の植木が二人を隠すことに。だから一番先に仙道君はあの席に手を置いたのだろうか。僕らがそこへ座らないように……?

「宮さんのも美味いでしょ?」
話しをふられて我に返った。
「あ、うん。凄く美味しいよ。ファミレスのとは全然違う。この不思議なマカロニっぽいのが入ってる付け合わせも、何味かわかんないけど美味しい。何よりハンバーグが分厚くてすっごくジューシー」
「今度は俺もそれ頼もうかな」
まだ目元の赤みが取れない牧の言葉に、食べにくいバーガーを仙道君の前で食べる気力が失せたのがわかる。可哀相になぁ、初デートでこんなに一気に色々されちゃあ、純情な牧には辛いだろうに。
「…それと取り替えてあげよっか?」
「いや、いい。こっちのパテも肉汁がたっぷりで美味いよ」
「へぇ。モスより美味しい?」
頷きながらポテトを食べた牧が無言で目を瞠った。どうやら驚くほど美味いらしく、頷きながら立て続けに食べている。
「俺のホットドックも美味いすよ。皿まわして全員で味見しません?」
仙道君は言うなり自分の皿を僕へ押して、牧の皿を自分の手元へやった。僕は驚きながらもつられて仙道君の皿を受け取って自分の皿を牧の前へ押しやった。親子連れや女の子がよくやってるのを見るけど、男同士でやるのは初めてだ。部活の奴ら同士で味見と称して奪うことはあるけど、こういうのではない。
戸惑う僕と牧を全く気にする様子もなく、仙道君は豪快に、少し崩れたハンバーガーにかぶりついた。
「……うん、やっぱこれが一番美味い。俺はこれに途中で一回ケチャップ足すんですよ」
躊躇する方が変に意識しているように思えて、僕らも口に運んだ。
「やっぱ俺、次はこれにする。美味いな、このソースもこっちのも」
「熱っ! 今ソーセージ齧ったら肉汁弾けた。このパン、ほんのり塩味で甘いソースに合うねー。それにポテト、カリッカリなのに中はホックホク。味もちょっと唐揚げっぽくて美味い!」
また皿がテーブルの上で回転する。
「ホットドッグの方が食いやすくていいが、味はバーガーの方が好みだ」
「バーガーもいい味だね〜零れるけど。いいね、こういうの。全部の味が試せたから、次に注文する時は全く別のを頼んでみたくなるよ」
「でしょ。あ、牧さん」
「ん?」
ニコニコしながら牧の手をとると、指についてるケチャップを仙道君が紙お絞りで拭った。
「じ、自分で拭けるから。それにまだ食ってる途中、っあ!?」
恥ずかしかったのだろう、牧が手を引いたはずみでテーブルの上のお冷やが牧の来ているシャツに全部零れてしまった。慌てて僕は自分の紙お絞りを牧へやろうとした。けれど牧は「水だからいい。ちょっと絞れば夏だし乾く」と言って足早にトイレへ行ってしまった。

少しだけ濡れているテーブルを二人で拭き、食事を再開した。
「すんません、宮さん……」
「なんで僕に謝るの? あんなの、牧も言ってたけど絞れば乾くよ。半袖シャツの下にTシャツも着てたから、シャツ脱いでいれば問題ないんじゃない?」
「そっすけど……。あの、俺。やっぱ変すかね」
「何が?」
仙道君がしょんぼりと視線を皿へ落とした。
「……ずっと牧さんと会えなかったせいか、会えて舞い上がっちまって。牧さん何やっても可愛いから、つい手を出したくなんのが抑えられなくて。俺、こんなこと今まで経験したことなくて……。人の世話やくとか、今までやったこともねーくせにやたらなんか、牧さんにはしたくて」
前回彼は、男女から沢山告白もされてきていると言っていたし、たかがキスくらいと言いのけてもいた。それだけに意外な発言に感じてしまって、僕の手も止まった。
「…女の子と付き合ってたことはあるんでしょ?」
「あれこれ世話やかれたけど、俺からしたいと思ったことなんてないっす」
だから自然消滅になってたりふられたりしてきたんかも、と続けるうちに自分で何か気付いたらしい。顔を上げた仙道君は眉を下げて僕を見た。
「もしかして今ので牧さん、ウゼェとか思っちゃったんだと思います? 俺、彼女たちに何かされる度にそう思ってきたのに、自分がそれを牧さんにしてた…かも…」
「大丈夫、そんな反応じゃなかったよ。でも気になるんなら、牧と入れ替わりでトイレ行ってみて。その間に僕がそれとなく聞いてみる」
「マジすか? 流石キューピッド宮さん! 頼りになります!」
嬉しそうに頭を下げられ、僕は慌てて顔の前で手を振った。
「やめてよ。僕は昔も今も、一度だって彼女なんていないから想像出来なくて、直接聞くしか方法がないだけなんだ。それとキューピッドってのもやめて、柄じゃなくて恥ずかしい」

仙道君が頷いたところで牧が戻って来た。片手に持っていたシャツを椅子の背にかけて腰掛ける。
「Tシャツもかなり濡れたんだね…お店の人にタオル借りる?」
「すいません牧さん……」
「俺の失敗にお前が謝る必要はない。服も全然平気だ、タオルなんて大げさな。こんなもん食ってるうちに乾く。それより俺こそ悪かった。騒がせちまって」
牧が苦笑いしながらポテトに手を伸ばした。僕も頷いてまた食べだす。
さてそろそろ仙道君は席を外す……はずでは?
食べながらこっそり仙道君を盗み見た。何か様子がおかしい。頬を染めて一点を凝視している。
視線の先を辿ってみると、牧の胸元。濡れて張りついたTシャツが牧の胸筋と腹筋を浮かび上がらせている。冷えたせいだろう、そこには小さな乳首もプツリと存在を主張していた。
─── ああそう。そんなもんでときめくんだ。モテモテで生きてきたって、そういう所はモテない野郎と一緒なんだ……。
一気に脱力した僕の脳裏には、年中『モテたいー!』と何かにつけて叫ぶ武藤の顔が浮かんだ。喜べ武藤。君が嫌うモテ男の代表みたいな仙道君は、こんなゴッツくて黒い男にメロメロでアンテナびんびん立ててるよ……。
「仙道君も飲まないと、氷とけて水っぽくなっちゃうよ」
僕の一言で我に返った仙道君はハッと顔を僕へ向けると、バツの悪そうな顔で一礼した。
「すんません、俺もトイレ」
仙道君が立ちあがると、「ん」と牧は軽く返事を返した。
ハンバーガーに苦戦中の牧は全く何も気付いてやしなかった。

仙道君がいなくなったので早速…と思った矢先に、牧が背もたれにだらしなくもたれて喋り出した。
「いや〜参った〜。やっぱ宮を引っ張ってきて大正解。格好いい奴だとは知ってたけど、まさかここまでとは。もし宮がいなかったら、飯の味なんてわからなくて会話出来てなかったよ」
「普通のシャツとジーンズで、僕らとあんまり変わんないと思うけど?」
「違うって、着てるもんじゃなくて。まぁ、スタイルがいいから独特の格好良さがあるけどさ。それだけじゃなくて、宮は気付いたか? 店に入る前の、奴の自然なエスコートっぷりとか、メニューをさりげなく決めさせる誘導の見事な手腕! 俺じゃあ、絶対ああはいかない。宮だって出来ないと思うだろ?」
僕は素直に頷いた。内心では『やろうとも思わないけどね』と軽い悪態をつきつつ。
牧は僕の首肯に気を良くしたようで、僅かに興奮気味のまま続けた。
「しかもだぞ、人が零したものをさりげなく拭いたりなんてさ。なかなか出来ないよな。子供が零したなら別だぞ? でも野郎が零したものを拭いてやるとかさ、ゲイと思われそうで出来ないよ俺なら。やっぱ元がノーマルなせいだろうな、自然なんだよ。拭いたのを舐めたのも気付いたか? 俺さぁ、不謹慎というか図々しくも……」
「も?」
照れて視線を逸らすと、ポテトを口に放り込み租借してから牧は呟いた。
「か、彼女に拭ってもらうような気分になっちまったんだ。宮だって、ああいうのTVで見たことないか? 指先までされた時なんて俺、もう恥ずかしいやら嬉しいやらやめてほしいやらで、つい乱暴に手を払っちまって。だからあんな無様なことになったんだけど!」
顔から火が出そうになっているのを眺めながら、僕はサラダを食べた。さっきよりしょっぱいと感じるのは牧のせいかもしれない。
「でもさ、宮がいてくれたから、それでもどうにか持ち直せた気がするんだ。どうだろう、トイレで顔も洗ってきたし! なぁ、俺、別に変な奴になってないよな?」
「大丈夫。……もしかして洗った顔をTシャツのそこでぬぐってきた?」
「うん。さっきさ、無意識なんだろうけど宮がナイスフォローしてくれて助かったよ。本当は零した水はシャツで止まってたんだ。あ、シャツで拭けば良かったのか」
軽く失笑する牧に、僕は黙って生ぬるい笑みを送った。
変な奴ではないよ、牧。でもね、とんでもなく乙女な奴にはなってるから。それと、可哀相だけど牧が彼女みたいだと評した恋人は、牧の乳首ガン見しちゃうような立派な雄だから……。

僕はわざと腕時計を見てから言った。
「ちょっとごめん。この時間に親にメールする約束してたんだ。すぐすむから」
今日、駅で強引に仙道君にメルアド交換をさせられたことが、まさかこんなに早く役に立つとは。
─── 『全くウザがってない。問題なし。』
送信を押すと間もなく仙道君が戻ってきた。そしてまた和やかに食事は再開された。
会話もけっこう弾んだのは、牧の緊張が緩んだせいだろう。食べるのが早い二人はいい感じで話していた。おかげで僕も食事に専念できて、たっぷりの量もどうにか全て胃に納めることができた。


牧が甘味を好むと知った仙道君が、案の定食後にデザートをすすめてきた。とてもじゃないが腹がはち切れそうな僕は丁重に断った。
「宮は食が細いんだよ。もっと食わないとウェイトつけられないぞ」
「ウェイトは大事すよねぇ…。けどまぁ、無理して腹壊しても困るし。次ん時には食事軽めにして、デザート重視でいきましょう」
「そうだね。せっかくだしさ、デザート食える人は食って。二人とも僕に遠慮しないで注文してよ」
「俺もまた今度で」
「え〜。俺は食いたいから、牧さんも付き合って下さいよ」
ね、と仙道君に笑顔を向けられた牧が断れるはずもなく。また一緒にメニューを見はじめた。
楽しそうな仙道君と真剣に選んでいる牧に、『ホントお似合い。バスケのセンスや実力もさることながら、好きな相手にはメロメロのおバカになるとこも。加えて食事の量もねぇ……何もかも規格外でお似合いの二人だよ』と呆れつつ。馬に蹴られて瀕死寸前だった僕は、我慢しきれない溜息を行儀悪くもゲップに変えて口から出してしまった。


二人が注文を終えてから宮益はトイレへ行った。用を足すためではなく、最初からこのタイミングと決めていた。
トイレで宮益は事前に用意していた牧へのメールを一読してから送信した。次に仙道へメールを打って送信した。
多分二人は僕が席を外すと、少しだけ会話に詰まっているだろう。そんな時にメールが入れば、食事中や店内等ではメールや電話に極力出ない牧でも『ちょっと』といって見るはず。牧がメールを見ていれば仙道君は手持無沙汰だ。マナーを牧ほど気にするかは知らないが、手持無沙汰であれば自分にも来れば見るだろう。
宮益は朝、牧が迎えに来る前に牧宛てにこう打っておいた。
──『電話で喋ってきただけはあって、実際に仙道君と会っても喋れてるね。もう僕がいなくても牧は大丈夫。仮に多少格好悪いところを見たって仙道君は幻滅するような奴じゃないことは知ってるだろ。滅多に会えない二人の時間を、これからは大事にするんだよ。』
もしあまりに牧が情けない状態だったら送信するつもりはなかったメール。しかし実際に今日の二人を見て予想と違わない…どころか、予想以上に親密さが増しているのを確認した。そして仙道君の本音まで聞けた。だから送信した。
本日二度目となる仙道君へのメールは、こう打った。
─── 『仙道君が牧に本気なのが分かって安心しました。僕の大切な友達を宜しく頼みます。』
仙道君は僕が敬語を使うのを嫌う。でも僕の心からの願いを伝えるのに相応しい表現は敬語しか浮かばなかった。
“頼みます”だなんて親兄弟でもあるまいし、とも思う。それでも無粋と承知で書いた。
昔から、君が牧を知らないずっとずっと昔から。僕にとって本当は“大切な友達”だなんて、たった五文字で言い表せるような存在じゃないんだ……それは今だって変わっていないんだよ。
送信し終えた画面が滲んだ。慌てて顔を上向ける。
深呼吸を三回。軽い屈伸を五回。眼鏡も拭いた。さあ、もうそろそろ戻ってもいい頃合いだ。頑張れ僕、あと少しだけ。

席に戻ると真面目な顔をした二人に迎えられたけれど、気付かぬ顔で口を開いた。
「デザートはまだ来てないんだね。ちょっと見てみたい気もするけど、僕、これから用事があるんで悪いけど先に帰らせてもらうよ。ごめんね仙道君、なんか突然で感じ悪くて。牧には朝言っておいたんだけど、仙道君に伝えるのをすっかり忘れてたんだ」
僅かに驚いた牧が何か言いかけたけれど、さりげなく遮って続けた。
「味も量も満足した〜! ハワイアンカフェって初めて入ったけど気に入っちゃったよ。流石仙道君の隠れ家的な店だね。僕もいつか彼女が出来たら連れてきてもいい?」
「もちろん。宮さんも顔パスで半額になるようにお願いしときますよ」
「そんなことされるとかえって来にくくなるから、気持ちだけもらっておく。それじゃ、悪いね。御馳走様。十分ご馳走になったから、これでもう変な気は遣わないでくれよ」
「デザートの写メ送りますよ。今度は一緒に食いましょう」
「うん。ダブルデートの時は僕もデザートを注文するよ。じゃ、牧は明後日、朝練で」
「宮」
「ん?」
「……気をつけてな」
「うん。牧は帰り、乗る電車間違えないようにね」
一言余計だとしかめた顔は、きっとわざとだ。でも僕らはわかっていながら軽くそれを笑った。



* * * * *



食事中に仙道君が『ここに誰か連れてきたの初めてなんで、ついあれこれススメちまいました』と言っていた。本当に彼にとっての隠れ家のような店だったことがわかる。
海南からも陵南からも少し遠いあのカフェは、きっとこれから二人にとって定番の待ち合わせか、デートコースの一つになるのだろう。あの店なら牧も気軽に一人で入って仙道君を待つこともできそうだった。
それを僕にも見せたくて誘ったとのかな、安心させようとしてさ。
……なんて、また僕の深読みのし過ぎかな。

もうこれから、仙道君の言動を深読みはしない。今日で終わりにする。今後もしまた会っても、普通の友達として言動を特に意識しないことにする。
仙道君のことは牧が、牧のことは仙道君が一番大切にして分かりあおうと努力しあえばいいのだから。



真夏のこの時間帯は殺人的に日差しがキツイ。日陰で電車を待つ人達の数人が暑そうにハンカチで額を抑えている。
宮益はあえて日が直接射すホームで、汗を流しながら濃い自分の影だけを連れて立っていた。

白く反射する駅舎の屋根越しに広がる、真っ青な空を見つめて。















*next: 11







すっかり牧より成長したような宮益。人の恋路で苦労したねぇ…(笑) 
最近ハワイアンカフェが増えたような。料理は私の好きな店のをモデルにしました♪


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