I can say to nobody. vol.05


あの時即座に追いかけられなかったことや、傷つけてしまったことを謝りたかった。多分、何か誤解しているだろうから説明させてもらいたかったけれど。一切電話に出てはもらえなかった。あの日の夜初めて家へ行ってみたが、立派な家のどこにも灯りはついていなかった。メールも見ているのかいないのか、未だ何度送っても返事はない。
うっかりデッキの上に置いたままだったことを今更悔やんだところでどうしようもない。それでも仙道は自分のなんでも使いっぱな習性を呪わずにいられなかった。

本当は他に何度も家まで押し掛けようか考えた。けれど日が経つにつれ面と向かって何と言えばいいのかがわからなくなっていった。ごめんの一言では足りない。言いふらさないから安心してとか、そんなくだらない事を言いたいのではなく。心臓のあたりにある、この痛い何かをどうにか伝えたいと気付いてからは、ずっとその方法を探し続けていた。
妙な確信だけれど、これを彼に伝えれば何かが変わると思うのだ。少なくとも彼につけた傷が少しは浅くなるだろうとはわかる。幸い以前の時のように一晩という期限はついていない。もうしくじれないのだから、いきあたりばったり的な行動はとらずじっくりいかなければ。

そう焦るなと自分に言い聞かせてはきたが。日に日に増す痛みが睡眠時間を削っていくのと比例するように胸の痛みを言葉に変換するのが困難になっていった。寝不足が続いて頭が麻痺しているせいか数学の時間、痛みが読み解けない難解な数式の鎖となって自分の足をがんじがらめに縛りつけ動けなくさせる白昼夢までみる始末だ。
こんなに面倒で難解なことを、それでも逃げたいとか投げ出したいと思わないのが自分でも不思議だった。
「………ってぇ」
口から漏れた言葉は“痛ぇ” “会いてぇ” “切ねぇ”、そのどれだろうか。全部かもしれない。
急いてはいけないと分かってはいるけれど、なんとしてでもまた牧さんと過ごせる時間を早く取り戻さないと、自分が駄目になりそうだった。


*  *  *  *  *

始業式から二日目。昼休みに仙道は後輩の彦一がいるクラスへ足を運んだ。正確にいえば仙道は間違って隣のクラスへ行ったのだが、親切なその子は仙道が彦一を探していると知って呼びにすっとんでくれたのだった。
駆けつけた彦一は何故か大仰に喜びながら仙道に「あっちいきましょか!」と人気のない通路階段下へと仙道を連れて行った。
どう話し出そうかと仙道が逡巡したところ、彦一はニカリと笑った。
「嬉しいですわ。仙道さんから頼まれごとされるなんて初めてやから。何でも言ったって下さい。わいのツテやら情報網で探れることなら、なんだって調べてみせまっせ!」
忠実な小犬がぶんぶんと尻尾を降りながら主の命令を待つ姿に重なり、仙道は目を瞠った。
「なんで俺が調べてもらいたいことがあるってわかった?」
「わざわざ部活前にワイんとこ来るのんはそれしかないやろうから。他の先輩方もそうやし」
「そうなんだ……。俺までパシらせてわりぃな」
彦一はぶんぶんと首を振った。
「パシらされとるわけやないことなんてわかってますがな。皆さん頼ってくれてんのわかるよってワイは嬉しいんですわ。さぁさ、遠慮せんと。バッチリ秘密にしときまっせ!」
声が大きく賑やかで可愛がられている後輩と認識してはいたが、初めて心から納得できた気がした。改めて自分は興味を持たないと相手を深くまでは観察しないことも。人の認識を聞いて己もわかったつもりで上っ面で接してきたことを知る。
牧さんと親しくなってから、悩んだり考えたりすることで少しずつ自分が変わってきていることに今頃気が付いて面映ゆい。
忠犬のようにひたむきな黒目をじっとむけてくる後輩に悟られないよう、仙道はいつもののんびりした口調を意識しながら話しだした。

*  *  *  *  *


曇天が重たく覆う日曜の早朝。パーカーのフードを何度かぶっても海風が何度でもフードを外してくる。かぶり直すのが面倒になって、スプレーもワックスも使っていない髪をバサバサと風に煽られるままに仙道は海辺の朽ちた流木に座っていた。
─── 『こことかここをけっこう頻繁に走ってるようですわ。…こんな曖昧な情報になってすんません』
十分だと伝えているのに何度も、時間まで特定できなかったことを詫びる彦一の姿を思い出しながら、どこのラーメン屋のチャーシュー麺を奢ってやろうかと考える。
会ってどう話そう、何を伝えようということはもう十分過ぎるほど考えシュミレーションした。あとはもう流れに任せるしかないのだから、あまり考え過ぎてこれ以上捻じれたくはなかった。

空を映す鈍い色をした海を眺め続けていると、いつの間にか釣りをしているように無心になった。
ただ、待つ。僅かな期待を胸に灯して。


季節外れで天気も悪い。サーフィンが出来るような波がくるわけではないなだらかな海岸は、いつの間にか犬を散歩させる人影すらもいなくなった。薄手の半袖パーカーが塩を含んだ風で湿りきった頃。遠くから重い砂をものともせず走って来る人影を見つけた。まだ遠くて目鼻も見えないけれど。
「……まいったな、もう判るや」
かすれた自分の声に仙道は苦笑いを零した。
釣りをしている時はいつも先に自分が彼を見つけた。釣りだけじゃなくどこの体育館でもそうだ。俺はいつでもあの人を見つける。もともと目立つ人ではあるけれど、もっと目立つ他の知人に俺から先に気付くことなどほとんどないというのに。
やっと目鼻の位置が見えてきた。もう間違いようもない自分の気持ちに気付いて目頭がぎゅっと熱くなる。
仙道は「待ち人、来る。だな」と呟きながらゆっくり腰を上げ足元の砂をはらった。

「おはようございます。あ、もうこんにちはかな」
斜め横から突如出てきた高身長の男が誰か牧は一瞬わからなかったようだ。反射で「こんにちは…」と言った牧の眉間には疑問が浮かんだが、風が仙道の前髪を吹き上げた瞬間に目を大きく見開き足を止めた。
「仙道!? どうしてこんなところに?」
「牧さんに会いにきました」
あまり歓迎した顔はされないだろうと覚悟はしていたが、意外にも牧は普段と変わらない顔で「そうか」と呟いた。そのまま軽く頭を下げられて仙道は驚いた。
「…悪かったな、転ばせておいて謝りもしないで。怪我はなかったか?」
「え? あ、あぁ、忘れてましたよ。怪我なんてするわきゃないでしょあんなんで」
「すまなかった」
仙道もつられて、「全然」といいつつ頭を下げた。そのまま「じゃあな」とつげて走り出した牧の腕を仙道は慌てて掴んで止めた。
今度は前のように振り払われなかったが、振り向いた牧の顔は限りなく無表情に近いものだった。仙道は一瞬言葉に詰まったが、自分を奮い立たせた。
「俺は話がしたくて会いに来たんです。少し時間をもらえませんか」
「……いつからここにいた?」
「さぁ……時間、見なかったんで。それが?」
返事のかわりに牧は深いため息をひとつ零した。

先ほどまで座っていた、砂浜から少し離れた短い草が茂るところにある太い流木へ牧を案内した。四分の一ほども残っていないペットボトルの水が置いてあるのを見た牧は何か言いたそうな顔をしたが、黙ったまま腰かけた。その隣に仙道も並ぶ。
想像していた以上に牧と自分の距離が開いてしまっていたことを感じ、少なからずショックを受けた仙道はシュミレーションしていた会話が全て役に立たないと早々に悟った。では何から話そうか……と思った矢先、意外にも牧が先に口火を切った。
「突き飛ばしておいて謝りもしない、メールも電話も出ない。嫌な思いばかりさせてすまなかった」
「いや、もうそれはいいっす」
「失くし物がまさかお前のところにあるなんて思いもしなくて……パニクった。そのあとはもう、どの面下げてってな感じでさ。お前にしたら聞きたいことだらけだっただろうに、逃げまくって悪かったよ」
「牧さん……」
「お前から借りた六枚のDVDのうち、俺は一枚を間違って返却した。その日のうちにお前は間違って渡されたDVDの中を見ていたんだな。だから俺にそのまま返せずに、新品のDVDを渡した。迷惑をかけたのも気遣わせたことにも俺はずっと気付かないでいたよ。てっきり自分の部屋の中で紛失したとばかり思っていた。…お前は言いふらすどころか、そのあともずっと変わらず接してくれていたな。感謝してるよ。ありがとう」
海を見ながらさらりと礼を言われた。牧の推測は外れていない。それなのに仙道の額には嫌な感じでじわりと汗が浮かんだ。
「内容もだけど変なDVDで驚いただろ。前にうちの母親の友達の子供が出ているネット動画をダウンロードしたことがあってな。それをDVDにしてくれと頼まれてデータを変換する方法…裏技? それを部活の仲間に習って覚えたんだよ。本当は違法なんだろうけど、個人で使用するだけだから。うちは二台PCあって、一台は父のでもう一台を俺と母親で共有しているんだ。母はPC弱くて滅多に使わないから俺専用みたいなものだが、やっぱああいうのを居間で見るのは後ろめたいし不便でな。それで覚えていた裏技でネットの無料配信動画をDVDにしたんだ。俺の部屋にはTVとDVDはあるんだ。だからそれで」
「牧さん、あのさ」
「お前は一人暮らしだからそういう不便はなくていいな。一人暮らしの苦労の方が色々と多いんだろうけどさ。気持ち悪い物を見せちまって悪かったな。忘れてほしいが無理だろうから。そのうち時間が経てば記憶も薄れるだろうし、妙な思い出になるだろうが我慢してくれ。それじゃ、そろそろ」
「待って」
立ちあがろうとした牧に仙道はカッとなった。肩をぐっと掴んで押しとどめて腰を上げさせなかった。
俺に何も言わせないまま、自分だけ言いたいことを一方的に告げて去ろうなんて卑怯だ。しかし腹が立ったのはそんなことではない。特に口数が多い方でもない彼が必死に喋り続けたのは、俺に無言でいられたり変なことを言われて傷つくのが怖かったからだろう。それか居たたまれなかっただけかもしれないけれど、どちらにしろスタートから失敗したのは確かで。何のために苦しめないためにと会いたいのを堪えて考えてきたのかと、どうして先に自分から話を切り出せなかったのかと自分を殴りたくなったのだ。

刺すような己への罪悪感で声を尖らせないように、仙道は慎重にゆっくりと尋ねた。
「牧さんは…まだ。いや、もう俺と会いたくはなかったんだね。だから疑問に感じてそうなことに辺りをつけて先回りして説明した。俺が知りたそうなことは教えたからもういいだろ、ってことでしょ今のは」
予想通り牧からの返事はない。全部ではないにしろ多分図星だろうから、正直な彼にはその場限りの取り繕う返事もできないのだろう。
「…あんたはそれでいいよね。俺と関係を断つ理由があるから。でも俺にはない。そうだろ?」
こちらに向けてくることのない横顔からは表情もうかがえない。
「確かに親しい奴とだって話し合えないことかもしれない。そう考えれば俺にバレたなんてあんたにとっては許せないことかな。秘密にしていたことがバレていたことを知らなかったのも悔しいのかもね。気持ちは、わかる気がするよ」
「…………わかるなら」
風にかき消されそうな、やっと返された小さな返事を消し去るように仙道は腹に力を込めて言った。
「でもその半分は、あんたが俺の話を一切聞こうとしないで勝手に抱えた傷だと思うんだ」
一呼吸おいて仙道は牧の左膝頭へ掌をそっとのせた。ぴくりと牧の膝の筋肉が反応する。
「牧さん。俺の話を聞いて。話を聞けば少なくとも、あんたの傷の半分は負う必要はないものだってわかるはずなんだ」
いつでも立ち上がり走りだせるように力を入れている足の緊張がまだ去らないのが伝わっている。
「お願いです。……もし…あんたが少しでも俺に悪いと思っていたんなら。話を聞いて下さい」
仙道の真摯な懇願に折れたのか、牧はゆっくりと項垂れ背を丸めるように深く腰をかけなおした。
膝にこめられていた力が漸く抜けたのを感じて、仙道も肩の力をやっと抜くことが出来た。


雲の流れが早くなった。先ほどまでの薄いグレーの雲を追いやるように黒い雲が空を覆っていく。雨の降るにおいが潮の香りに混ざりはじめた。
何をやっている、早く伝えろ。ぐずぐずしている暇はないぞ、と空にまでせかされている気になって仙道は空を睨んだ。












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この回から私の大好きな某曲の歌詞をガンガン織り交ぜていきますよー!
それがやりたくてこの話を書いてるのだ♪ 話の最後にここで曲名ばらしますのでお楽しみにv

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