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インターハイ予選が近付きだした頃。牧さんは朝の走りこみは出来なくなると言った。俺も朝練が増えたから、今までのようにギリギリまで牧さんと朝食をしている優雅な生活は出来なくなるため都合が良かった。試合に向けて集中している期間だったから、お互いインハイが終わるまでは電話もし合わないのが暗黙の了解のようなものだった。 予定としては俺も牧さんと同じくらいまでインハイで忙しくしているはずだったのだが。残念ながら一足先に牧さんよりも早く忙しさから解放されてしまった。洒落た言い方をすれば、一足先に夏が終わったというところか……死ぬほど暑いけど。 気が緩んだせいかどうかは知らないが、一時期治まっていた“やたらに牧さんのことを考える病”が復活してしまっていた。 牧さんのことをあまりに考えてしまうのを、俺は原因不明の風邪みたいなものと捉えることにしていた。たまに考え過ぎてしまったことに気付いた自分に“病気なんだから仕方ない”と思うと気が軽くなった。病であればそのうち治まると思えたのだ。 もう一度インハイ予選にむけての地獄の特練の日々や、インハイ期間に戻ればこの病も治まるのだろうが、あれほどヘビーな日々よりはいいかと割り切れば病も可愛いものである。最近では実害があるわけでもなく暇も潰せる病はある意味便利かもしれないとまで割り切れている。 そんなこんなで病を甘くみていたら……信じ難くとんでもない夢をみてしまった。 夢の中、インハイ表彰式のあとで俺は牧さんの腕を引っ張り二人で抜け出した。都合良く誰もいないロッカー室のようなところへ連れ込んで、あろうことか俺は牧さんへ説教を始めたのだ。夢なのであまり詳しく覚えちゃいないが、『あんた、後輩に甘えられ過ぎ』『ベンチ裏で着替えても、相手のベンチから丸見えだからやめてくれ』とかなんとか、おかしなイチャモンをつけていた。それに対し牧さんは『これからは甘やかすのはお前だけにするよ』なんて甘い言葉くれちゃって。俺はさも当然のように頷いて……頷きながら、あろうことか牧さんの唇にキスをした……。 ─── これはダメだ。ダメ過ぎる。いくらなんでも牧さんに失礼だ。 確かに後輩に甘えられてる様子を遠目から見ていい気分はしなかったのは認めるけれど。それぞれ部活のカラーもあるわけだし、着替えだって俺もベンチの裏ですることなんてザラにある。そんなの普通のことだ。 そんなどうでもいいことをネタに俺は……彼の唇を…………目覚めねぇで続き見たかったなぁ……。って、おいおい、しっかりしろよ俺。だから失礼だっつってんだろが。あーもー。 自己嫌悪にかられカレンダーを見上げれば、約一ヶ月以上牧さんと遊んでいなかったことに気付いた。インハイが終わって既に五日経っている。会わないからこんな夢を見ちまったのだろう。 もうそろそろいいかなと自分から電話をかけた。多分、俺からかけないと牧さんはかけにくいのではないだろうかとこの四日間考えていたのだ。勝負の世界なのだから勝ち上がっただの負けただのを気にして人間関係などはやっていられない。それでもきっと、牧さんなら……俺に気を遣う気がした。確かに悔しいし、もう牧さんとインハイ出場をかけて闘えないと思えば勝ち逃げされたような気持ちに全くならないわけではないけれど。変な遠慮をして電話をかけられないでいるように思えるんだ。 実際かけてみれば電話が来て少し戸惑っていたようだが、俺が全く変わっていないと知って牧さんも安心したのが電話越しに伝わってきた。 俺は久しぶりに声を聞けたことで、夜は自分でも驚くほど穏やかに。何も考えず夢も見ずに深く眠った。 翌日昼過ぎ。玄関のドアを開ければ真夏の蒸した空気と一緒に牧がコンビニの袋を片手に入ってきた。 白いポロシャツと洗いざらしたジーンズという格好を見たのは初めてで、その爽やかさに仙道は目を奪われていた。いつもは早朝ランニングのついでに会う形だったからスポーツウェアの彼しか見ていなかったからだ。ラフな普段着姿なのに特別新鮮に感じてしまう。 「よう、久しぶり……って、表彰式で会ったか」 これ、と言ってビニール袋を手渡されてやっと仙道の口が動いた。 「あんな顔チラ程度、会ったって言わないっすよ。どうぞ入って。あ、アイスだ。俺これ」 「もう食うのかよ。DVD観てからのつもりで買ってきたのに」 「観終わったらちょうど晩飯の時間になるから、今食おうよ。いい?」 「いいもなにも、もう開けてんじゃねぇか」 笑いながら肩を軽く小突かれた仙道はソーダのアイスをくわえながら指でTVの方をさして座っててと促した。 「今日は走りじゃないんだね。バス? 電車?」 「電車。かなり混んでた。親子連れがいっぱいだった」 「へぇ。この辺りで何か祭りでもあんのかな。それとも夏休みだから?」 「さぁ? ま、今時期はどこが混んでても不思議じゃないがな」 牧さんは少ない部活休みに家族でどこかへ行ったりするのだろうか。その貴重な一日を俺は用があるわけでもないのに気軽に使わせたと今頃思い至り、なんとなく気まずい気分になる。けれどこうして呼んでおいては今更な話しだ。 せめて今晩は美味い飯にでも案内しようと切り替えて、仙道は冷蔵庫を開けながら尋ねた。 「麦茶・アクエリ・ジンジャーエール?」 「牛乳ないのか?」 「コップ半分くらいなら」 「切らさず毎日飲めよ」 「あんたに言われてからは切らしたことねっすよ」 「感心感心。あ、俺はジンジャーエール」 「人に牛乳毎日飲めって言っといて、あんたはジンジャーエールすか」 「俺は毎朝飲んでるからいいんだ。おい、“面白くなさが炸裂してる番組特集”ってのはこれか?」 「その白いディスクっす。先流してて」 そんなに面白くないなんて逆に気になる。政治経済か?と呟きながら牧はリモコンを手に頷いた。 製氷皿から氷をガラガラ落としていると、「え」という牧の小さな呟きが仙道の耳に届いた。 コップを両手に振りむいた仙道は驚きで危うく飲み物を零しそうになった。牧が凝視しているTV画面には二ヶ月ほど前から仙道の部屋にある、件のゲイDVDのインタビューが映っていたからだ。 「違う! それじゃなくて」 仙道が慌ててコップを台所のシンクへ置いて振りむくと、既にTVの電源は切られていた。牧がリモコンを手に驚いた顔で仙道を見上げてきた。 「お前、なんでこれ……まさか、お前もあのサイトから?」 「サイト…?」 頭の中が予期せぬことに真っ白になっていた仙道は、意味がわからなくてオウム返しをしてしまった。 途端、牧はレコーダーから出てきたディスクを手にすると真っ二つに折って割ると、ゴミ箱へ叩きつけるように捨てて立ち上がった。 「帰る」 顔を上げないまま低い声で一言呟くと仙道をすり抜けて玄関へ行こうとした。咄嗟に仙道は牧へ体当たりをするように行く手を防いだが、仙道は激しい勢いで突き飛ばされてユニットバスのドアへ背中からぶち当たり尻もちをついた。 「痛…ってぇ」と思わず漏れた声と玄関の扉が荒々しく閉まる音はほぼ同時だった。 急いで追いかけようと仙道が立ち上がったところ、玄関チャイムが鳴った。まさかと思いつつも返事もせず扉を力まかせに開いた。 「ちわっす、○○急便っす。仙道結衣美様からクール便でお荷物届いてます」 共有通路には段ボールを抱えて汗をかいてる制服姿のおっさんが、扉の開いた勢いに少々戸惑った顔で立っている。 一気に落胆した仙道は小さな備え付けの靴箱の上から認印を取り、母親からの食料定期便へ受領印を押した。 受け取った冷たい荷物を抱えながらもう追いかけても間に合わないと悟れば、鼻の奥がツンとした。 のろのろと段ボールを開けて食材を冷蔵庫へ突っ込んでいると牛乳パックに目がとまった。 好きじゃなかったけど、今では毎日飲まないと落ち着かなくなった牛乳。 夜に切れていることに気付き、面倒だと思いながらもコンビニまで買いに行ったりも何度かしている。 突き飛ばされる瞬間に垣間見た、白いポロシャツが寒々しく感じるほど血の気を失った顔。 そんな顔を見るために俺は、一睡もできず悩んだり、上手く事を運べて喜んだり。 毎日彼のことを想ったり、牛乳飲んできたわけじゃないのに。 開け放した小さい冷蔵庫から冷気が出なくなった頃。 床をドンッと叩いた仙道の拳の上に一滴のぬるい雫が落ちてきた。
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青春は格好悪いものなんです。だから青春なんです。…書けば書くほど二人とも恰好悪くなっております。
こうなったら格好悪い二人シリーズということで! …って、それいつもと同じやん自分よ☆ぷぎゃー☆ |