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「すんません、朝っぱらから。昨夜すぐ気付けば良かったんすけど」 「いや、こっちこそ気付かなくてすまなかった。俺の方が届けるべきだったのに、わざわざ悪かったな」 朝の眩しい光に眼を細める顔はしゃっきりとして清々しい。去年の神奈川合同合宿の時に“朝日の似合わねぇ面だな!”と彼へ悪態をついたのは誰だったかな。口の悪い人……湘北の三井さん…は参加してないから、やっぱ藤真さんかな。今まで意識して見てきていなかったから知らなかったけれど、俺はよく会うようになってからは牧さんには朝日がとても似合うと思っている。ほら、苦笑いした口元からのぞく白い歯が爽やかで色素の薄い瞳に陽光がキラキラ……眩しい……綺麗だなぁ…… 「どうした、走り疲れたか? まだ時間あるならうち寄っていけよ。朝飯食っていくといい」 寝不足のせいか、訝しがられるほど牧さんを阿呆のように凝視していた自分に気付き、俺は慌てて白いディスクを差し出した。 「いえ、今日は朝練あるんですぐ帰ります。あの、これ」 「ありがとう。俺のミスで忙しい思いをさせて、本当にすまなかった」 「いえ。んじゃ、また明日」 「おう。明日はお詫びに少しいいもん食わせてやるよ」 「期待して腹すかせておきます」 軽く手をあげあって別れた。数メートル走りかけて後ろを見ると、まだ牧は見送っていた。朝日を背に立つ牧が眩しくて目を細めると、バイバイと子供がするように小さく手を振られて仙道は驚いた。たったそれだけのことに何故か胸がいっぱいになり、会釈をして走り出した。 * * * * * 仙道は顔を洗ってから身支度を手早くすませると海南大附属高校へ向かって軽いペースで走った。 走っているうちにコンビニが目に入り、そこへ飛び込むと仙道はDVD-R一枚と炭酸飲料を一本買った。店の外でビニールを破ってゴミ箱へ捨てる。炭酸飲料を半分ほど一気飲みして「くうぁぁぁ〜〜」と顔をしかめ唸ると頭がシャッキリした。 しばらく走って大分海南に近付いたと解り、携帯を取り出し電話をかける。 『早いな、どうした?』 朝の挨拶より先に驚きを口にされ、仙道は牧に見えていないのにその場で申し訳なさそうに俯いた。 「おはようございます、すんません早くに。まだ寝てましたか?」 『いや、飯食おうとしていたところだ。今日は俺、そっちは走らない日だって言ってあったよな?』 「や、それは知ってます。あの、ですね。昨日返してもらったDVDなんすけど。一枚入れ違っていたんですよ」 『え!?』 「試合のディスクは白地に番号だけだったじゃないすか。だから牧さん、一枚を新品の空ディスクと間違ったみたい。今日彦一に返さないといけないんで、俺、取りに行っていっすかね。実はもう、海南に近いところにいるんす」 『すまなかった……枚数確認したって意味ねぇじゃねぇか。ボケだな俺は。お前、今どこにいるんだ?』 「えっと多分、牧さんが前に教えてくれた、変なインド象が花をくわえてる看板のカレー屋の前まで来てます。店名…なんて読むんだろ……」 『ああ、解った。それなら学校より俺の家の方が近い。カレー屋の前にコンビニあるだろ。俺がそこに行くから、そこの駐車場で少しだけ待っててくれ。あ、間違えたのは何枚目だった?』 「四枚目です。急がなくていいですから」 『わかった。すぐ行く。ごめんな』 切れた電話に仙道は、俺こそ嘘ついてごめん……と眉を少し下げた。 * * * * * 間違いで渡されたディスクは真っ白で模様もない。つまり新しいのと表からは見わけがつかない。新品のディスクが混ざってましたよと言えばやり過ごせるのではないか、と。仮に、彼があのディスクが家にないと気付いていたとしても、まさか俺の手に渡っていたとまでは考えていないだろう。だから先ほど手渡した新しいディスクを不自然に感じることはないはずだ。 家にいる間ずっと悶々と悩んでいたのに、走り出し朝日を浴びているうちに浮かんだ案は成功した。牧さんの傷つく顔を見るどころか朝日の中で眩しい笑顔を見れた。やるじゃん、俺。 仙道は最初に寄ったコンビニに着くと裏にまわり、雑然と積み上げられている段ボールの影に隠れるように置いておいたビニール袋を取って中身を確認した。半分残した炭酸飲料のペットボトルと、新品のDVDケース。ケースからDVD-Rをとりだして裏を見る。録画されているのはほんの少しの量。間違いなく、昨夜散々悩まされた件のものだ。 試合のDVDと悩まされたDVD二枚を手に、仙道は深い深い溜息をついた。その分、大きく息を吸い空を見上げた。 「……良かった」 明日も明後日も明々後日も、それから先もずっと、牧さんと俺の関係は変わらない。 変わらない笑顔でたまに俺ん家に来て飯を作ってくれたり、俺が作ったり。そんで、一緒に食えるのだ。一晩、悩みに悩んだからこそいい案が生まれたことを思えば、悩むのだってたまには悪かねぇなと思えた。 ぬるくなった炭酸飲料の残りを一気にあおって、「うげ、甘っ」と顔をしかめてからまた走り出す。走り出せば気持ちがぐんぐん軽くなって、誰にも言えないことではあるけれど誰かに言いたいくらいに爽快な気分だった。 どんどん空が抜けるように青くなっていく。 牧さんの家から俺の家まで、走ればけっこうな距離があると知った。 たまには俺が牧さんのトコまで今みたいに走ってもいんじゃね? なんて思ったらタイミング良く上空でカラスが返事をするように一声鳴いて過ぎ去っていった。 あれからもう一ヶ月ほど経つが、何も変わらずに俺達は一日か二日おきに俺の部屋で朝飯を一緒に食っていた。 会って、食って、たわいのない話をして。心地良さも何もかも変っていない。俺にはゲイに対する偏見などは元からないというか、偏見を持つほどの興味もなかった。だから牧さんさえ構えることがなければ、同じように一緒にいても何も変わりようがないと信じていた。実際俺が望んだ通りの、以前と変わらない関係が続いている。 それなのに。俺の中の何かが変わってしまった。 やけに気になってしまうのだ。牧さんがふと浮かべる柔らかい頬笑み。少し伏せた目元のまつ毛の影。指についた醤油をぺろりと舐めとった舌などを見ては…………落ち着かなくなってしまう。ずっと見ていたいけど見ていいのか悪いのかわからなくなって頭の中で混乱する。それが表情に出ないよう気を逸らそうとして、どちらかといえば好きでもない牛乳を一気飲みして褒められたことがあった。 先日など、俺が見ていた雑誌を隣からひょいとのぞきこんでこられ、その距離の近さにやけに驚きページがめくれなくなった。部活などでは越野などスキンシップの多い仲間にはのしかかられたりもするが全く気にもならないのに。牧さんの髪からふわりと香る爽やかな……シャンプーか何かの清潔感がある香りを感じとって動悸がする。しなやかに動く褐色の指先が雑誌へ伸びてペラリとめくる、そんななんてことない仕草にまで俺は自分の呼吸を意識してしまう。 そういえば、ジロジロ見過ぎてしまったかもしれないと、慌てて逸らした視線の先が牧さんの柔らかそうな唇で。……なぜかは解らないが喉が鳴って焦った。 一緒にいる時に気になるだけならまだいい。問題は、会っていない時の方がやたらに思い出すようになったことだ。これには心底困っている。 気さくに凄く魅力的な頬笑みを浮かべてみせるのはサービス精神過剰なんじゃなかろうか。うっかり気があると勘違いされたり、惚れられてしまったりと大変になってしまったらどうするんだと心配してみたり。 あんな無防備に懐っこく人のそばに寄るのはどうなんだ、誰かに髪からいい香りがすると触られてしまうじゃないかと、その場を見ているわけでもないのムッとしてしまったり。 体育や部活で着替える時も、俺の家で雨で濡れたTシャツを換える時のように豪快に脱いでいるのだろうか。だとしたらクラスや部活の奴らで牧さんの肉体美に邪な視線をよこしている奴がいるに決まっていると疑ってみたり。 こんな調子で自分には向いていない余計過ぎるお世話を考える時間がやたら増えてしまい、ほとほと弱っているのだった。 「やっぱ風邪ひいてんじゃね? なーんか普段のボーっとしてんのとは違うぞ?」 部活が終わりスーパーのパンコーナーでパンを選んでいるだけなのに、仙道は越野から尋ねられ内心驚いた。昨日は福田に『……部活以外は心ここにあらず』と呟かれてヒヤリとしたばかりなのに。 まさか牧のことでいらぬおせっかいめいたことばかり考えているとも言えないため、仙道は軽くおどけるように肩すくめてみせる。 「風邪ひいたような動きをした覚えはねーけど?」 「バスケん時の話じゃねー。動いてる時以外が変なボケ入ってるって言ってんの」 「何? もしかして心配してんの?」 「ちっげーよ、ぶぁーか!」 照れ屋の越野は予想通りの返事をして、ジャムパンとメロンパンを鷲掴んでレジへ行ってしまった。詳しく詮索されずにすんだ仙道は、周りにいる他の仲間にも聞かれないような小さい溜息を零した。 本当は俺だって聞けるものなら聞きたい。誰かに相談などというこっ恥ずかしいことをしてみたいとすら思いもするのだ。だっておかしい。なんでこんなに牧さんのことばかり。福田に言われるまでもなく部活以外ではほとんどの時間を思考が牧さんのことで占められているといっていいなんて。 今までこんなおかしなことは一度もなかった。それほどに牧さんがゲイかもしれないというのが、偏見や嫌悪はなくともショックだったなんて思えないのに。 けれど、どう色々と遡って考えてみたって、きっかけはあのDVDを見てからなのは間違いないわけで─── やっぱり、俺は誰にも聞けないのだった。
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もうカッコイイ仙道を書くのは完全にあきらめました。だってどんなにカッコイイ高校生だって、
内心なんて絶対格好悪いはずだもの。牧視点で書けばまだマシだったかもですが。サーセンッ!(平謝) |