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あの後、俺以外の三人は和やかな雰囲気で何か話していたが、俺は疲れて半分も聞いちゃいなかった。 花形と藤真と別れてから、脱力しきっている間に仙道の住むアパートに到着したような。それがかえってよかったのか、変な緊張もしないですんだ。それどころか、丁度いい具合に雑然としている、あまり広くはないワンルームに俺は最初からなじんでしまった。 「これが土産の東京バナナクッキーっす」 ベランダに繋がる室内に一つしかない窓から見慣れない景色を見ていた牧は振り返った。小さな折りたたみテーブルの上にはクッキーの入った箱と缶ビールにバタピーの袋や、先ほど商店街でもらったゴマ団子やコロッケなどが入っている大きなビニール袋。テーブルの天板はそれらで埋め尽くされて全く見えない。 「随分豪勢な新年会だな。二人じゃ食いきれねぇような……誰か呼」 「残ったら明日食えばいいじゃん。さ、座って座って」 自分の言葉をかぶせて、仙道は悪びれない笑顔で座布団もない床を手で叩き招いた。苦笑しつつ牧はテーブルをはさんだ隣にベッドを背もたれにして床に座った。 「安いもんでもこんだけあったら豪勢に感じるね、確かに。でも新年会はいただけない」 プルトップに指をかけた仙道へ牧は首を傾げた。 「恋人の部屋に初めて来たってのに色気ねぇ。ここは“ドキドキッ はぁと お・と・ま・り会”なんて」 最近たまにTVで目にするオカマを演じている男の、両手の指でハートを形づくるおかしな仕草のオマケ付きに、牧は本気で顔が歪んでしまった。仙道は牧の反応ににやりと口角を上げた。 「キモ! 寒っ!」 「あっはっは! 嫌そうな顔! 俺もやってて寒くなってきた。早くアルコールであったまろう。さ、かんぱーい!」 小さな電気ストーブが室内をやっとあたためきった頃。テーブルの上にあった食料は半分ほど片付き、空のビール缶が四本並んでいた。喋って、笑って、また喋って……。楽しい時間にすっかり気を抜いていた牧は仙道の長い腕が肩にまわされても抵抗はしなかった。仙道の足がテーブルを端へ寄せるように押しやる。 「もっと、こっち」 「ん」 腕をとられるままに身を寄せれば、仙道に体重をあずける形となる。重たくないかと気遣う牧に仙道は首を軽く振って否定し、更にその身を抱き寄せて腕の中に包みこんだ。 「クリスマス、忙しかった?」 「うん。お前もだろ?」 「三年だから後輩にあれこれやらせて楽っちゃー楽なんだけどね。やっぱねぇ。牧さんなんて一年だから出し物とかやらされたんじゃない?」 「……その話はまた今度。今夜はしたくないかな」 「そう言われるとすっげぇ知りたくなる……けど。まぁね、実はもう笑いは十分足りてる、俺も」 ぎゅっと抱きしめられると酔いも手伝って瞼が落ちてくる。 「……このまま寝ちゃいたくなるね」 仙道のうっとりした声音に軽く首をひねって見上げると瞼が閉じられていた。瞬間、長い睫毛に見惚れる。 背を預けられる心地よさを存分に堪能することにして、牧は後頭部を仙道の顎辺りに擦りつけ目を閉じた。 イベントごとに交わしあうプレゼントや言葉など、年間にしたら数えるほどだろう。それよりも、俺にはアホみたいにマメに連絡をよこして、時間が作れたら顔を出してくれる方が幸せだ。イベントの時だけべったりするのではなく、一週間に一度でいい。顔を三分見れたら。それが無理なら一分でいいから声を聞きたい。 恋愛をして初めて知ったが、どうやら俺は仙道が以前指摘したように……認めたくはないが、淋しがりで甘ったれのようだ。週一で、俺にはお前がいると感覚で確認させてもらえる贅沢は何物にも代えがたい幸福と感じている。 社会人になればこうはいかない。これは期間限定の幸福だと知っている。 だから俺は社会人になったら携帯を買おう。イベントのこじつけ的便利さも利用しよう。それまでは今のままで、学生同士の特権を最大限に利用した時間─── 頻回にお前の存在を感じられる幸福を味わわせてもらいたい。 「あ、今笑った? なにさ、可愛い口元しちゃって」 「アホか。寝てなかったのかよ。タヌキ寝入りか」 ペロッと舌を小さく出され、こんな芝居じみた仕草すら絵になるなんてと牧は苦笑いを零した。 「可愛いのはお前の方だろ」 「藤真さんより?」 「まだ言うか」 口元を軽く捻ってやると、嘘ですよーと笑いながら牧のつむじへ仙道は何度も唇を落とした。 「牧さん、牧さん。大好きだ。顔も声も名前も全部」 鳥が頭をつっつくようにキスを繰り返す仙道へ、急に伝えたくなった。 「遠藤だったんだ」 突然知らない人名をあげられて仙道が首を傾げる。 「俺、小六までは遠藤って苗字だったんだよ」 「……それって」 「小二の時に父が交通事故で亡くなったんだ。それから母が再婚するまでは遠藤紳一だった」 「知らなかった……」 僅かに曇った瞳に長い睫毛の影がかぶさった。その仙道のこめかみから頬へ腕を伸ばしそっと指でたどる。 「知らなくて当前だ。自分から人に話したのは初めてだから。隠していた訳じゃないが、聞かれなかったらわざわざ話すようなことでもないだろ。小三にあがるとき母の実家がある愛知に引っ越してさ。数年後に母と今の義父が出会って、再婚。義父が神奈川で独立開業するのに合わせて引っ越したのが中二の終わり。きりが良かったせいか神奈川に来てからは誰にも苗字について触れられたことはなかった」 仙道は静かな瞳で頷いた。 「でもさ……不思議なもんでな。お前に何度も何度も……特別大切な名前のように、“牧さん”と呼ばれて。俺は初めて、自分の苗字を好きになれたような気がするんだ。別に今までも嫌だったわけじゃない。牧の苗字に慣れてもいたし。それに義父はとてもいい人だから」 「そう……」 牧は仙道の胸から上半身を起こしビールを手にした。すっかりぬるくなり泡も炭酸も抜けて、ただ苦いだけ。そんな液体が何故か今は不味くはない……。むしろ、どこか優しいものにすら感じる。 「……心のどこかでは、遠藤という苗字が、なんとなく本当の自分の名であるように思っていたんだな。意識はしてこなかったけれど、だから俺は…好きだった父に似た面差しの藤真に“紳一”と呼ばれてみたかったのかもしれない」 「藤真さんがお父さんに…似てたんだ……」 「最近だけどな、そう気付いたのは。毎日見てる仏壇の写真は似てないんだよ、全然」 振り向けば見つめ返してくる深く澄んだ夜色の瞳。藤真は父と似た瞳の色で、今まではそれが一番美しいものと思っていた。だが今は違う。俺にとって一番美しいのは、この夜空のような柔らかさと深みを湛えた、俺だけを映してくれるこの瞳だけだ。 その日、父は出張のため早くに家を出なければならなかった。手早く皮靴の紐を結ぶ父の広い背中を、寝ぼけ眼をこすりながらぼんやり見ていた。そんな息子の頭を大きくあたたかい掌でなでた父は、『お父さんが帰るまで、祐二を頼むぞ』、としゃがんだ同じ目線の高さで言った。まだ半分眠っている二男坊を腕に抱いた母は長男の一歩後ろで明るく、『何よぅ、私のことは頼んでくれないの?』と笑った。苦笑いを浮かべつつ、『そうだった、一番頼りない人のことを頼むのを忘れてた。紳一、手のかかるお母さんも宜しくな』と、もう一度頭をなでた。 俺の返事を聞いた父は綺麗なカーブを描く眉をかすかに寄せるように、俺への言葉を残して出かけて行った。 出張先で父が交通事故で亡くなったのは、俺が小学二年にあがり、弟は幼稚園の入園式をすませた翌日のことだった。 最後に父に頭を撫でてもらった日から十年以上の月日が過ぎている。 あの時、自分はなんと返事をしたのか。それに対して父が何と言ったかを思い出せないのがずっと歯がゆくもあり、徐々に薄れ減り続けてゆく亡き父との思い出が淋しくもあった。 それがやっと、仙道をもっと知りたいと思うようになり。仙道がかけてくる言葉が胸に積み重なってくることで、昔の記憶が風化していくことも自然な供養の一つであり、悲しむことではないのだと感じるようになっていた。 そうなって漸く、思い出せた。いや、仙道に教えてもらったと言ってもいいだろう。 ──『うん! 俺、いっぱいいっぱい頑張って、祐二とお母さんをお父さんのかわりに守ってるよ!』 眠気を無理に吹き飛ばすよう元気いっぱいに言う幼い自分の声と、それへ返す父の柔らかな声が耳に蘇る。 ──『頼もしいな。でも紳一はもともと頑張り屋だから、いっぱいは頑張る必要はないからね。疲れちゃったり困ったりした時は周りに頼るんだよ、いいね。お父さんだって一人じゃ全部はできないんだぞ。辛い時に頼ることも勇気なんだ』 子供だったから、その時は父の言葉の意味が理解できなかった。だから思い出せないでいたのかもしれない。 今は、分かる。父の言葉は、そのまま仙道がくれたものと意味合いは同じだ。意地を張りすぎるきらいのある俺に休めといってくれる、一つ年下なのに俺よりも周りが見えている男……。 確かに、前を向いて走り続けることしか知らない藤真と俺では、どちらも倒れるまで走り続けて……共倒れになるのがオチというものだ。休み休みやる余裕。相手に委ねる勇気もなければ、短いようで長いこれから先はやっていけなくなるだろう。社会という厳しい世界に出ていけば尚更に。 俺にはお前があってる。俺にはお前が必要だと素直に思える。お前がそのことに俺より先に気付いてくれていたことに感謝したい。 青年独特の線の細い柔らかさを保ったままで逝った父。彼に憧れ、目指し頑張っていた子供の頃の自分は、家族を守る役目が義父に移った後も、漠然とその姿に縛られていたのだろう。目標だった亡き父に似ていた部分がどんどん薄れて、急激に体ばかりが成長していく自分をどこかで淋しく感じてもいたのかもしれない。だからあれほど藤真の姿に魅かれたのだ。そして恋とは何であるかも知らなかった俺は見つめていくことで失った、憧れに似たものを恋と錯覚した。こんな程度の思いだから、花形から奪おうなど考えもしなかった。 体が何かに包まれた。薄眼を開けると薄手の毛布がかけられている。自分の意識に潜ってしまって大分たっていたようだ。仙道は眠ったと勘違いして、このまま寝させてやろうと思ったのだろう。 優しく、そして敏い男だと改めて感服する。 何もかも。父の言葉を思い出せたのも、素直に認めることが出来たのも。きっとこいつが甘やかし上手だからだ。甘やかされることに慣れていない俺ですら、こいつの優しい眼差しやまとう空気に浸りたいと思わせられた。それらを存分に与えられて、俺は多分、少しは成長できたのだと思いたい。……いや、そう思う。こいつと成長していけると確信している。 一枚の毛布とは思えないほどあたたかい。二人分の体温と、寄り添えている心の温度のせいか。 体に回されていた腕が重たくなった。後頭部に乗せられている仙道の頭部も重みを増し、寝てしまったことが伝わってくる。 このまま朝を迎えれば確実にお互い変な筋肉痛になりそうだ。仙道は少しは残念がるだろうか、健全に夜を終えてしまったと。朝目覚めてどんな顔をするか見たいから、俺も筋肉痛を覚悟してこのまま眠ることにしよう。 燃え上がる恋情は三年しか持たないと、先日部活の奴らが雑誌の見出しを読みあげていた。真偽は定かではないが、仮にそうだとしても。 大事だから、急ぎたくない。俺達のペースは俺達でつくる。時流がどうであろうと関係ない、かまわない。 自分をかなり誤認している男を、俺が気の遠くなるほど時間をかけて変えてやりたい。俺も、もっともっと変えてもらいたい。 大丈夫。恋情だけじゃないものが既に俺達には芽生えているのだから。 ─── 夢とわかる夢をみた。 雨上がりの青空の下、路面にはいくつもの大きな水溜り。鏡のように青空を映す。 空にかかった虹が全ての鏡に映りこむ。 しゃがみこんで覗きこみ手にすくえば、手の中に、虹。 揺れる虹の中に懐かしい人の微笑み。 嬉しくて語りかけようとしたけれど、空はまた曇り虹は消えた。両掌の中には砂利混じりの濁った水だけ。 悲しくなり水を戻せば、手は薄汚れていた。 手を洗えるところはないかと辺りを見回せば、仙道が近くにいた。笑っている。 『泥遊びは楽しかった?』 『…まぁな。なぁ、手を洗える場所を知らないか?』 『知ってるよ。あっちにあるから、行こう』 『あ、おい! お前の手まで汚れるって! …あーあ』 『そんな顔することないじゃん。汚れたら洗えばいいんだよ』 『……そうか』 『そうだよ。一緒に洗おう?』 『おう』 握られた感触とぬくもりが夢ではないことに気付いている。 今、目を開ければ俺の右手は仙道の手に握られていると分かる。 分かっているから、このまま、俺は夢の中のお前に手を引かれていこう。 どこへ向かうか見てみたい。 目が覚めた時に、お前を抱きしめながらこの夢を聞かせたいから。
* end *
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本当はHも入れようと思っていたのだけど、考え付いたのが表には掲載不可な濃さだったので断念(笑)
結局どちらが攻めかと疑問な貴女。うちは牧仙牧サイト。お好きにご想像下さい♪ |