Never never get bored !






 待っても待っても訪れない。現れる気配すら感じられない。
 個人差はあるが吸血鬼には広範囲を超音波探査できる能力がある。能力の高い者であれば、特定固体を反響帝位で位置を探ることも可能だ。
 純血種のアキラの能力は群を抜いている。その超音波探査で周囲数千キロメートルを探ってみても感知ができずにいた。

 ここ六十五年ほどは毎月、こちらが出向かなくとも彼は満月の夜には律儀に訪問してくれていた。去年など『次の満月はどうしても用事があって抜けられんから』と、満月の五日前に突然来訪したこともあった。それほどに約束を守るのがシンイチという男だった。
 それなのに。もう空は薄明るくなり満月は白く淡く消えゆきそうだというのに、探査可能圏内に彼の気配が全くないなんて。
 会わなかった一ヶ月の間に彼の恋人や家族の間に何かがあってもうここへ来ないことにしたか、何らかの事情で来れないことになった可能性もある。しかしそれならかえって理由を言いに絶対来るはず。突発で来られなくなったとしても、知人か狼を使って伝言をよこすだろう。
 律儀な彼の性格から考えれば行きたくても行けない、又は連絡すら出来ない状況にあると考えるのが一番しっくりくる。
 来られない状況を悪い方向に考えてしまえば、嫌な予感めいたものばかりがどんどんと膨らんでゆく。ひと月分の空腹のせいもあり、楽観的な予想で打ち消すことなど全く出来やしなかった。

 完全に朝日が支配する空を安全な深い日陰から睨みつけたアキラは、探しにいける日没後まで体力を温存しようと踵を返し寝床へ向かった。高身長用に特注で作らせた快適安眠設計の棺桶に横たわれば空腹に腹が鳴った。
「……出かける前に何か食っといた方がいいんだろうけどねぇ」
 地下室の冷凍庫に保管してある、彼が手土産にくれた冷凍死体を思い浮かべる。
─── 『腹が減った時に食えばいい。非常食は大事だぞ』
 不要の古い冷凍庫を押しつけられたとか二月二十九日生まれの二十九歳の処女を偶然見つけたついでだと言って、冷凍庫付きでプレゼントしてくれたけれど。俺ですら見つけるのがあまりに面倒で探すのをやめてしまうほどの貴重な食料を、そんな偶然に見つけられるわけがない。それに昨今の家電は製造年月日が記載されているから、新品であることなど裏面を見れば一発だ。
 全部俺のために探して、それを負担に思わないように考えてくれた彼の優しさ。だからもったいなくて、いくら腹が減っていようとも食う気にはなれなかった。……別に、今となっては十年以上前のものなので冷凍焼けして不味そうだからという理由では……ないと思う。
 寝ている間は感じないが、一度起きてしまえば空腹感で眠気はなかなかやってこない。少しでも不安な考えと空腹を紛らわすために、適度なスプリングのきいたジャストフィットサイズの寝床で仕方なく歌をうたってやり過ごすことにする。
「♪やっみっにっか〜くれて生きる、俺たちゃ妖怪人間なのさ〜」
 口から出た歌はノブナガ君がよく歌っているものだった。曲名は忘れたが、悲哀感が今の気分にぴたりとはまっていた。


*  *  *  *  *


 空腹でまっすぐ飛行できないながらも、アキラはかなり神経を使う超音波探査を行いつつ、上空から地上へ目を凝らして飛んでいた。雲の多い夜空は月明かりを何度も消してしまうが、夜目が利くため視界的には不便はない。
 空からは国境など分からないが、二つほど国を越えただろうか。あまりに久々の長距離飛行は体力的にも辛くて、一休みをとるべく飛行高度を下げた。すると彼のものではないが人狼の気配を感じた。もしかしたら何か手掛かりがつかめるかと、けっこうなスピードで移動しているその人狼へ追いつくべく、アキラは速度を上げた。

 目標の人狼が走るのをやめ、頭上を伺うそぶりをみせた。アキラは相手が自分の気配を感知したと認識し、ゆっくりと人狼にとっての防衛距離位置にあたる地点へ降り立った。
「こんばんは〜。すみません、突然。ええと、俺は」
「あんた、マキさんの血ぃもらってる吸血鬼だろ。マキさん返せよ! もう満月は過ぎただろ!」
 怒りに爛々と瞳を燃やし、ボサボサと伸びた髪を後ろで軽く束ねた少年風の人狼がアキラの言葉を断ち切った。
 若く見えるが不死者は外見と年齢が全く一致しないため、アキラは敬語を続けるべきか迷った。シンイチが『マキ』の方の名を呼ばせているということはシンイチより若いと判断できるが、例外のケースもあるかもしれない。
 そんな一瞬の躊躇が彼を帰すことを渋っていると受け取らせてしまったようだ。眼前の男が荒々しく一歩踏み出してきた。
「落ち着いてくれ! 違う、俺は彼を拘束なんてしてない! 昨夜彼は俺の所には来ていない。だから何かあったかと思って探していたんだ」
 人狼の跳躍は助走なしに長距離を飛ぶ。しかもとても素早いため、飛翔しようとする前に間合いを詰められた。マントの襟を乱暴に掴まれる。身長はアキラよりも低いため吊りあげられる形にはならずにすんではいる。近距離から睨みあげてくる瞳には強い焦りと猜疑心があった。
「……嘘じゃないみたいだな。マキさんの香りがあんたからはしねぇ」
 暫く睨んではいたが、急に手を離すと両腕をだらりと下げて項垂れた。
 アキラから全く敵対する空気がないと察したことで警戒を全て解いたようだった。
「もしかしてそっちのテリトリーにもシン……マキさんは戻ってきてないの? それっていつから? あ、ええと。俺の名前は」
「あんたのことはマキさんから聞いて知ってる。俺はノブナガ。マキさんの二番目の息子」
「息子……」
「先月の満月から二日目くらいだったかな。数日留守にするってメモ書きがテーブルにあって。そういうことはしょっちゅうあんだけど、数日ったっていつもは三日以内なんだ。それ以上になる時は必ず追加連絡があんだよ。けど未だに何も連絡がこない。もう一ヶ月経つのに」
 続くノブナガの話しはアキラの耳に届かなかった。シンイチは結婚しているとも、ましてや子供がいるなどアキラに一度も話したことはなかった。妻帯しているどころか二子もいるという事実に、アキラは相当なショックを受けていた。
 確かにあれだけ精悍な面立ちに男らしくもしなやかな体躯を持ち、かつ性格も大らかで優しく真面目とくれば、結婚相手がいないと考える方が難しい。だが、アキラはシンイチが言った『恋人はいない』という昔の言葉をずっと信じてきた。否、心のどこかでもう彼女ができているかもしれないと疑いつつも、知りたくない事実から目を逸らすべく信じるふりを続けてきたのだった。
「……息子」
「あ? 変な呼び方しないでくれよ。あんたは俺よか年上だからノブナガって呼んでいいんだぜ?」
 独り言だったのだが、呼んだと勘違いされてしまった。
「あ、あぁ。ええと……ノブナガ君は何人兄弟なの?」
 ノブナガは訝しげに首をかしげた。
「……兄貴が一人いるけど、んなこと今は関係ねーだろ? あんた俺の話し聞いてた?」
「え。あー、うん。そうだね」
 胡散臭そうに見上げていたノブナガは盛大な溜息をつくと、アキラの眼前に指を突き付ける。
「じゃ、そーいうわけだから。あんたはこのまま東探して。俺は西。南はジンさん、北はタカサゴさんが探してるから。発見したらあんたの使い魔でも蝙蝠でもなんでもいいから連絡よろしく」
 話はほとんど聞いていなかったが、状況はあらかた読めたアキラが了解と深く頷いて頭を上げれば、もうノブナガの姿はそこになかった。   
 発見したら連絡をどこへすればいいのか聞いていなかったけれど、シンイチに会えさえすればそこは解決するだろう。アキラも再び上昇し探索を再開した。

*  *  *  *  *

 東はかなり宗教心が厚い人間が集う都市で有名なところがいくつもあった。
 深夜ではあるが低空飛行して人間に目視されれば銀の玉をぶっ放されかねない。用心のため高度を上げた。そのかわり疲労度が高い超音波探知をさらに強める。
「……今夜中に発見できなかったら、下痢を覚悟で不味い食事をしないと流石にヤベーかな」
 酷くなる一方の空腹・頭痛・目眩に弱音を零した数分後。微弱ではあるがシンイチの周波を感じとった。人間に気付かれないよう、アキラはシンイチのいる気配が強い場へ近付くと上空から精一杯の速度で急降下した。

 木々に覆われた上空からは気付かなかったが、そこはとても深い渓谷だった。その一帯からは木々が燃えた臭いと、甘く芳ばしい彼の血液の香りが広がっていた。周波はここだと伝えていても姿が見えないもどかしさにぐるぐると低空旋回飛行をしていると、のんびりとした声が下方からかけられた。
「おーい、アキラだろ? すまんがちょっとこっち来てくれないかー」
 人狼には吸血鬼のような超音波探査能力はないが、鼻は格段に利くため嗅ぎ分けに秀でている。シンイチに先に呼ばれてしまった。  
 文字通りすっ飛んでいくとアキラは言葉を失った。
「あー…無様な格好ですまん。ちょっと油断してたらいきなり背後から腹を撃たれてな。ライフルだったら穴が一つですぐ治るのに、よりによって散弾銃だったんだ。一粒一粒が広範囲に散るから、瞬時に回復といかなくてさ。とりあえず逃げたら追ってこられて」
 裏手にある森へ逃げても執拗に撃ってきたため、更に奥へと進んだらここへ落ちて木に刺さってしまったとシンイチは説明した。しかしアキラの耳に届いていないのは凍りついた驚愕の瞳で一目瞭然だった。
 シンイチは大きな溜息を零すと、少々大きい声で告げる。
「しっかりしろよアキラ。だからお前に見つかるのだけは嫌だったんだよ。驚くのは後にして、とりあえず俺を木から抜いてくれ。さっさと帰りたいんだ。家族も心配してるだろうし」
 家族という言葉にビクリと肩を跳ね上げるアキラにシンイチは首を傾げた。
「そ、そうだね。それに痛いよね、いくらなんでもこんだけ深く刺さってたら。えっと。ちょっと失礼」
 アキラはおもむろに自分のタイピンを外すと、何カラットか分からないがかなり大きいダイヤの粒を支える台座部分を数回まわした。宝石がころりとアキラの手の上に転げ落ちると、指先で摘んだアキラは己の牙を伸ばしてその付け根辺りに押しあてた。

 シンイチが声をかける間もなく、とても硬い物を無理に砕こうとする嫌な音が響いた。吸血鬼の本気の指力と、それを助長するダイヤモンドの硬さにより、頑強なアキラの牙に亀裂が入れられる。
「ぐがあああああああ!!」
 痛みか気合か、それとも両方であろうか。アキラは吠えると、両指でダイヤモンドを押しこみ無理やり牙をへし折った。歯茎の辺りから暗紫色の液体が滴り落ちる。涼しげに整った顔を痛みに歪めるアキラの瞳は通常時の黒葡萄色から興奮状態の真紅へと変化し燃えあがっていた。
「おっ、お前っ、何やってんだ!! 大丈夫か!?」
 今にも渓谷へ落下してもおかしくないほど震えているアキラの体を支えようとしたが、首・腹・両腕を落雷で折れたような鋭い亀裂の樹木に貫かれている身では一ミリたりとも近付けない。散弾銃を背後からぶっ放された時など比べ物にならないほどの恐怖── ただでさえ個体として弱ってきているこいつが、牙を失うことで霧散してしまうのではと強烈な寒気に襲われる。
 顔色を失っているシンイチに、アキラは口元を指でぬぐうと安心させるように弱く微笑んだ。
「だい……じょうぶ。はい、これ。飲んで」
 震える両手でシンイチの左腕を木から引っこ抜くと、その掌に象牙のように白い牙を乗せた。

 牙や尻尾は体のどこよりも頑丈な造りになっているが、傷つけばかなり痛みがある部位だ。傷ついても千切れてもある程度は回復するけれど、治りは身体のどこよりも遅い。死にはしないが弱点ともいえるそこは、信頼できる相手の前でも滅多に曝すことはない。闘いや食事など必要に迫られた時にのみ使う特別な部位である。
 そんな大事な部分を見せ合い、あまつさえ触り舐めあうほどの関係になってはいるけれど。まさか、まさか……
「……飲め、だって?」
「うん。人間には猛毒だけど、不死者には凄い薬になるんだ。朝日を浴びたら消えちゃうから、その前に飲んで」
 呆けているシンイチに焦れたアキラは、ぽかんと開いているシンイチの口へ牙を投げ入れて頭頂部と顎を両手で押し、口を強引に閉ざさせた。
 鋭く尖った牙なのに、シンイチの上下の唇が重なるなり、それは舌の上で甘い砂糖菓子のように溶けて液体に変わった。ほぼ仰向けの状態だったこともあり、液体はするすると喉へ落ちていく。
「……もう、いいかな?」
 アキラの手が外された途端、シンイチの体はガクガクと大きくわなないた。
「あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああああ……」
 甘い叫びがシンイチの喉から漏れ続ける。まるで月に一度、満月の深夜に行われる濃密な情事の最中にあげる嬌声のような。アキラは震える己の体を両腕で抱きしめながら、目を細めて様子を見守る。
 悩ましげに頭を振るシンイチの体は驚くほどのスピードで埋め込まれた木々を肉体から押し出していく。自由になっていた左腕が別の木を掴んでいるため、完全に木から浮いた状態になっても落ちることはない。体に空いている大きな穴も瞬く間に塞がった。それでもまだ持て余したパワーが全身から金色の光となって放出されている。
「綺麗だ……。闇夜に浮かぶ太陽なんて、初めて見」
 最後の言葉を言い終えないうちに、アキラの体は谷底へ真っ逆さまに落下していった。


*  *  *  *  *


「……ログハウス?」
 目に最初に映ったのは、全く知らない家の天井。丸太が沢山連なった天井は古そうではあるが立派なものだった。
 状況を把握すべく首を捻ると見知らぬ青年がこちらをじっと見ていた。鹿のように真っ黒でくりっとした瞳に白く優しい面立ち。どちらかといえば優しく可愛い系の風貌だが、恨まれていると錯覚するほど向けてくる視線があまりに冷たいため、魔物か人形の類にも見えた。
 体が衰弱しているため、周波数で不死者か人間か判断することもできなかったが、落ち着きようからは前者のように思えた。
「水でも飲みます?」
「あ、うん。ありがとう」
 青年は手にしていた本をテーブルの上に置くと、その横にあった水差しからコップに水を入れて手渡してくれた。水は青年の声のように爽やかで冷たく喉を潤していった。とはいえ、そんなものは空腹感にはもちろん、体力回復に繋がるものでは全くないけれど。
 理由の分からない重たい空気の中で二杯ほど飲んでから、コップを返す時にアキラは訊ねた。
「あの……助けてくれたのは君? 昔どこかで会ったことがあったかな? 俺は覚えていないんだけど……何か恨みでも買ってたりした?」
「俺は助けてませんし、初対面です。でも俺はあんたを知ってるけどね。恨みは……ないけど、嫌ってはいるかな」
 青年はにっこりと初めて微笑んでみせたけれど、それはかえって相手を不快にさせる笑みだった。恨みならば食事として捕食した者の家族を考えれば、シンイチと出会う前の自分には数え切れないほどいる。その理由以外で嫌われるほど親密に人と接したことなどここ数十年ない気がする。なのに何故一方的に俺を知っているのだろうか。
「名前は教えてはもらえないのかな? 水のお礼を言いたいんだけど」
 青年は軽く肩を一度竦めてみせた。
「これは失礼。俺はジン。あんたから礼なんて言われたくないから、いいよ」
「そう。じゃあ、お礼の替わりに聞きたくないけど尋ねることにするよ。俺は君に何か嫌われるようなことをしたようだけど、悪いが覚えていないんだ。教えてもらえるかな。教えてもらえたからって直せたりつぐなえたりするかは別の話なんだけど」
 先ほどのジンがしたのと同じような微笑をアキラは浮かべてみせた。ジンの眉間が苛立ちで僅かに狭まる。
「直せないのに話すのは話し損だよね。……でもまぁ、興味はあるからいいか」
「別に無理に話さなくてもいいよ。聞きたいわけじゃないから」
「いやいや、せっかく純血種のヴァンパイア様に質問をされたんだから、話させてもらうよ」
 別種族だろうに血統のことまで知っているとなると、ジンは深い知人・友人の息子か何かだろう。だが彼の容貌や周波数と似通った存在に覚えがない。となると知人の更に知人か、亡き両親の友人の息子……?
「常々疑問だったんだけどさ。純血種のヴァンパイアはどれほど偉いの? というか、何様? アンデッドの頂点に君臨するほどの存在なわけ?」
「え……?」
 ジンは一度大きく深呼吸をして、軽く首を左右に振った。
「……ごめん。言い方が悪かった。俺はさぁ、ただ本当に理解できなくて……教えて欲しいだけなんだ。どうしてあんたはマキさんに求婚されていながら断り続けているのかを。断りながらも何十年も血だけはたっぷり摂り続けて……。上位階級で歴史あるヴァンパイアの純血種と人狼なんぞが同列の存在には成りえない。まして同じアンデッドといえど混血はあくまで食事用の」
「ちょっと待った! 勝手に話を進めないでくれ」
 アキラは己の額にまだ震えが残る掌をあてた。
「君はノブナガ君のお兄さんで、シンイチの息子なんだね?」
「ノブは俺の義理の弟。シンイチ……マキさんは俺の義理の父親。でも、家族だ。あんたが拘る血の繋がりや血統なんて、マキさんは全く気にしない。あんなに大らかで優しい人と何十年と付き合ってきてもまだ、あんたは彼の素晴らしさに気付くどころか、優しさに胡坐をかいて玩んで。いい機会だよ、今回あんたが彼を助けてくれたことで今までの仕打ちはチャラにしてやるから、もう彼を解放してくれ。嫌だってんなら、俺が今、あんたを灰にしてやる。弱ってる今ならいくら純血種といっても俺にだって造作もない」

 捲くし立てているうちに怒りが噴出してきたようで、短い黒髪はざわざわと揺れ、鹿のようにつぶらで黒目がちな瞳は青い炎を灯し冷たくアキラを射抜いてくる。冷静そうな男に見えたが、内面はかなり短気で熱いようだ。
「だから待てって。俺は一度だって階級や血統差別なんて考えたことなんてないし、ましてやシンイチを玩具や食料なんて思うわけがない。彼は俺にとってこの世で一番大切な人なんだから。それに、冷静に考えろよ。生真面目な彼が求婚……愛人契約をしようなんて言うわけがないだろ。デマだよそんなの。あり得ない」
「本人が振られ続けていると言っているのに? 下手な嘘ではぐらかして逃げるつもりだろうけど、俺は彼ほど甘くない。逃げ道なんて作ってやる気はさらさらないからね。彼には返せないほどの恩義がある。だから見たくもないあんたの面や聞きたくもないその声を我慢して接しているけど、彼さえ悲しまなければ今すぐにでもその残りの牙をへし折って銀の玉を食らわせてやりたくてたまらないんだ。もうマキさんを解放すると誓え。誓ってからなら今回だけ逃がしてやる」
「誤解だ。人の話も聞いてくれよ」
「誰のせいでマキさんがあんな長期間、木に刺さったままで過ごす羽目になったかも知らないんだろ。あんたが二月二十九日生まれの処女しか食わないなんてふざけた話をするから。やっと二十九歳になったその女をさらいにいこうとマキさんは出かけたんだ。その家は凄い金持ちで警備も警護も半端じゃない。今回くらったのがもし銀の弾だったらどうしてくれんだよ。あんたの偏食のために自分の血を与えるだけじゃなく命まで捧げて? それでもあんたは彼が灰になったことも知らないでのうのうとしてんだろ。知ったってまた別の混血の人狼を探すだけに決まってる。今回は無事だったけど、俺達の大事なマキさんに次もこんな危険をはらんだ行動を取らせる奴なんて。そうだよ……逃すより灰にして、彼にはただ帰ったと言えばいいんだ……」
 冷静さを失ったジンの体からは人狼が戦闘時にまとう、人間だったら五分で意識を失う?気?がオーラのように噴出していた。彼もまた人狼と何かの混血らしいことが伝わってくる。
 下手な返事は火に油。返事どころか気に食わない仕草一つで牙を折られそうだ。売られた喧嘩でもシンイチの息子を傷つけるわけにもいかない。かといって彼を玩んでいたという誤解も解けぬまま灰になるのは流石に辛い。

 どうするかと逡巡していると、タイミングよくノックの音がした。
「まだアキラは寝てるか? 交代するからお前は仕事に行っていいぞ」
 呑気な声と共に問題の中心人物が赤ワインとグラス二つを手にしてのっそりと室内へ入ってきた。
「ああ、なんだ起きてるじゃないか。あ、おい。ジン?」
 入れ替わりにするりと部屋を出て行ってしまったジンに首を傾げつつも、あまり気にはしていないようでシンイチはアキラの隣に腰かけた。ベッドのスプリングが軽くきしむ。
「どうだ、調子は。その顔色じゃ空腹と疲労はどうにもなってないようだな。ほら、飲め」
 注がれた深いルビー色の液体は香り高く、栄養にはならないが水よりは格段にアキラの喉を心地良く潤した。続けて二杯一気に飲み干す。
「もう一杯いるか? あと三十分もすれば俺達以外無人になるから、そしたら俺を飲ませてやるんだが」
 辛いだろうがもう少し我慢してくれと、自分の方こそ辛そうな顔でアキラの頭を撫でてきた。
「……俺、帰るよ。もう飛べると思うから。ありがとう、世話になったみたいでごめんね。あ、これご馳走様」
 俯いていた顔をあげて無理やり普段通りに笑顔を浮かべてグラスを返した。
「冗談言うな。飛べるわけないだろが。空腹と疲労で落下して気を失った吸血鬼なんてお前以外見たことがない。そんなのが少々寝ただけでどうにかなるもんか。吸血して体動かしたら疲労が抜けないってんなら、バケツ持ってくるぞ? 飲むだけなら体力もいらんだろう」
 手首の上を手刀で切る仕草をみせてシンイチが腰を浮かしかけた。その腕を掴んで引きとめる。
「いいんだ! ……もう、あんたから血はもらわないって決めたんだ」
 シンイチの琥珀色をした瞳が驚きに瞠られた。その瞳を直視できなくてアキラは掴んでいた手を離し目を逸らした。
「今まで散々迷惑かけてごめん。……血や体温を分けてくれてありがとう。もう追いかけまわさない……から。これからは満月の夜も自由に。あんたは俺を忘れて自由に過ごしてくれて……いいんだよ」
 伊達に何百年も生きていないから、泣くのを堪えて嘘くらい吐ける。声だって震えたりなんてしない。飛ぶことは流石に無理だけど、歩いて帰る途中で人間に会えば捕食できるから何とかなる。腹を下すだろうけど、それでも食えばいくらかは回復する。最悪捕食できなくても死なない。でもまた気を失って倒れて、今度はそのまま朝日を浴びてしまったら。
─── まぁ死んだら死んだで、それでいい。もう彼を腕に抱きしめることが出来ないのだから、かえって好都合なだけだ。

 嘘がバレないように俯いていると、シンイチがポツリと言った。
「もう……流石に俺の血は飽きたか」
 とても寂しそうなシンイチの呟きにアキラは頭を跳ね上げ怒鳴っていた。
「んなわけないじゃん!
 あり得ない誤解をうけたことに驚き、咄嗟に本音が口から飛び出てしまった。
「……ご、ごめん。でも本当に、あんたの血は美味しいよ」
「いくら美味くたって流石に百年以上飲んでりゃ飽きるわな。だけど今のお前の体は嗜好で血を選んでる場合じゃないだろ。これが最後の逢瀬だってんなら、せめてたっぷり飲んでいってくれよ」
 ……俺のために。
 最後の言葉は音を伴わない吐息で紡がれた。
 ぶわりとアキラの視界が涙で歪む。今にも叫んでしまいそうになる、言ってはいけない言葉たちを無理に喉で止めているから声が出せない。否定のために首を振れば涙が零れてしまうから、動くことすら出来なくなる。

 石のように硬直したままの吸血鬼の横で、人狼は爪を伸ばすと己の首をかき切った。新鮮で甘く芳しい血液が白い寝具と木目が美しい壁面に派手に飛び散る。アキラのやつれた頬にも熱く鮮やかな朱が数滴彩る。
 噴き出す血を止めようともせず、シンイチはアキラを抱きしめた。
「無駄に零れるのはもったいないだけだ。飲んでくれ」
 降り注ぐ熱い血潮がアキラの意思ではなく極限に近いまでの空腹状態にある体を反応させる。一本の無傷な牙はもちろん、半分以下に折れている牙までもが完全とはいかないが血を求めて伸びていく。
「帰る背中くらい元気な姿を残していってくれよ。ほら……アキラ。全部。俺の血は全部お前だけのものだ」
 俯いたままブルブルと小刻みに揺れているアキラの両頬をシンイチの温かい両手がこれ以上ない優しさで包む。そのまま己の溢れ出る赤へアキラの顔を寄せた。

 戸惑いは一瞬だった。
 愛しい者から与えられる命の証を、値の分からない寝具達にむざむざ与えるのは耐えられない。それ以上に本能が彼の全てを欲した。
「……っあ、ふ……あ、んうっ……アキラ、アキラっ」
 一本の牙が沈みきった直後にシンイチはアキラの予想に反し、二本の牙を埋められている時と同じように。いや、それ以上に感じ入っている甘い鳴き声でしがみついてきた。
 吸血鬼の牙を飲んだ人狼の体は数日間は通常の数倍はエネルギーに満ち、体表感覚も鈍化し強靭になっている。だから牙一本分の毒では催淫効果は薄すぎて物足りなさを感じるはずなのに。
 しかしそれが演技ではないことを裏打ちするように、アキラの脚にあたる彼の雄部分は熱く昂ぶり、人狼特有の獣耳がちらちらと髪の間から見えはじめている。
 高い感度を目の当たりにしたことや、枯渇しきっていたエネルギーが満たされていくことでアキラの瞳が歓喜の真紅に染まる。室内を染め上げる鮮烈な命の色と芳醇な香りからも力を得ているような強い輝きを湛えて。
─── 本能が今この時の幸福を手放せないと叫ぶならば。甘受し尽くすまで。
 アキラは牙を一度抜くと血濡れた唇を歪ませて微笑んだ。
「あいにく牙が一本しかないんで、時間は多分いつもの倍はかかる。だからあんたが快感で何度気を失っても、俺は御馳走になり続けるよ」
 甘い囁きに頷いたシンイチは両腕を伸ばして再びアキラを引き寄せた。


*  *  *  *  *  *


 極限まで飢えていた吸血鬼と、その牙を飲んで通常の数倍パワーが増幅していた人狼は、狂気じみた愛欲の交歓をとめどなく繰り返した。
 満腹感で吸血ができなくなってもなお、アキラは肉体を繋ぐ行為を繰り返し続けた。だが永遠にも思えた濃密過ぎる交接にも終わりはやってくる。シーツや床を染め上げていた大量の血液も乾き変色した頃には互いの疲弊はピークにさしかかっていた。
 最後はシンイチが一番楽な体勢で快感を得やすい後ろからの挿入となった。疲労で麻痺しかけている体ながらも二人は丹念に快感を引き出しあって同時に達した。
 ベッドに腰を下ろしたアキラは息も切れ切れに尋ねる。
「感覚……は、まだ、残って、る?」
「ほとんど……ない。お前も、だろ」
 顔を深く枕に埋めてうつ伏せで横たわる人狼は枕でくぐもった返事をよこした。あれほど吸血し毒も回ったというのにまだ意識があるとは。
 吸血鬼は人狼の中でもずば抜けた彼の体力と飲ませた牙の威力との相乗効果化に苦く笑った。気を失わせたところで一人行方をくらまそうと思っていたのに、上手くいかないものだ。
「そう……だね。俺も、ない、かな」
 軽く頷いたシンイチは首を僅かに動かして左目と目尻のホクロだけをアキラへ向けた。背中の筋肉が数回深呼吸するのに合わせて何度か上下する。
「アキラ。最後くらい俺の……俺の願いを叶えていけ。今までの血液提供への礼くらいしていけよ」
「珍しい……欲しいもんでもあんの?」
 頷くかわりにシンイチの瞼が返事のように閉じられた。
「何? なんでも……俺があんたに与えられるもんがあるなら。残りの牙だってあげる。なんなら命も置いてくけど?」
「永遠の安寧をくれ。多分、あと一回吸血してくれるだけでいい」
 腹がいっぱいのところすまんが、頼む。それがすんだら少し寝て、それから家人が戻る前にお前は帰ってくれ。多分、明後日までは不在だと思うから。

 アキラは返事が出来なかった。
 ここ百年ほど、零れたことのない滴が赤く染まった頬にいく筋もの白い道を作る。
 どういう時にこれほど大量の涙は出るものだっただろうか。確か悲しい時や、嬉し過ぎる時だったような。でも今は嬉しくも悲しくもない。頭も気持ちも整理できないから、この涙の理由を見つけられない。
 存在を消して欲しいと、何故彼が言うのか。
 消えたいのは俺なのに。大事な者など俺にはあんたしかいないのに。子供も妻もいて、人狼の間では主将も務めているらしい、大事な者が沢山いるあんたが消えたいと願っていいはずがない。

「このまま寝ちまったら、きっと俺は回復してしまう。かなり眠たいんだ……。すまんが、早くしてくれないか」
 愛の言葉を囁くように促す声音は優しい。細められた穏やかな琥珀色の瞳はどこか幸せそうにさえ見える。そう映るのは俺の視界が涙でおかしくなっているせいだろうか。
「やだ。そんなん……、……れよ。ぜんぶ…………なら、おれにくれたって、いいだろ」
 涙が喉につかえるから上手く喋れない。苛立たしさにベッドを殴る。
「……聞きとれなかった。もっと近くに……おいで」
 半分眠そうに。半分は声もなく泣きじゃくる子供をあやすように。
 優しく導かれ、アキラはシンイチの隣にうつ伏せた。
「死ぬくらいなら……あんたを俺にくれ、たって、いい……のに」
「飽きた飯を持って帰る必要はない。そうだ……本当かどうか確かめてはいないが、俺が刺さっていたあの渓谷の近くにある……なんてったかな。えーと。その町の豪邸の娘が二十九で処女らしいぞ。名前は……ジンに訊いてくれ。ジンはさっきいた男で、」
「あんたの息子、でしょ」
「息子……。まあ、義理のだけどな。そこの豪邸は警備が厳重だから気を抜くと俺のように醜態を曝すぞ。行く時はノブナガを連れていくといい。あいつの足は俺より速い。そいつも俺の義理の息子だ」
「義理……」
「どっちも両親を人間に殺られて天涯孤独だったから……。子供が独りなのは何かと危ないだろ。独り者の俺でも一応大人だからいないよりいいかと思って、三十年前くらいだったかな。養子にしたんだ」
 親らしいことなんて全然してやってないし、俺よりジンの方がしっかりしてるくらいだからさ。つい自分が親の立場にあるんだってことを忘れちまうんだよな。息子というより年の離れた兄弟のような気分というか。
 続くシンイチの話をアキラはぽかんと口を開けて聞いていた。
「……なんだよ? どんだけ若いつもりでいるんだってか?」
「違うよ。違う……俺、知らなかったから。あんたって、奥さん本当にいないの?」
「いないって散々言ってきたつもりだが。ジンとノブナガのことは……そういや言って……なかったか」
 呑気な返事に知らず入っていた全身の力が全部抜けた。
─── 脱力。
 この二文字がアキラの涙を一気に乾かし、笑いまで引っ張り出した。
 何を笑っているんだと不思議そうに尋ねられたが、久々に大量に泣いた反動か、今度は笑いが収められない。こんなに笑ったのはとても久しぶりだ。確か、初めて満月の夜にあんたから尋ねてくれた日で、あんたが帰ってしまってから一人で笑って……。あぁ、そういえばそん時も笑いながらちょっと泣いたんだったかな。

 やっと落ち着いた頃には、シンイチは半分眠りに落ちかけていた。あくび交じりに溜息をつかれた。
「……お前、長く笑い過ぎ。本当、さっさと頼むって。こちとら眠りに落ちそうなのを必死で我慢してんだ」
 アキラはシンイチの唇に唇で軽く触れた。
「その願いは聞き入れられない。確かにあんたには返せないほどの恩があるけど」
「退屈しのぎがなくなってまで……これから先何百年生きるなんてうんざりなんだ。一度の礼でチャラにしてやるんだからいいだろが」
「俺とのセックスがこの先なくなったら、退屈で耐えられないって?」
「そういう意味じゃねぇ」
 シンイチのふさふさと美しい立派な尻尾を撫でた。流石にここだけはまだ感覚はしっかりあるようで、嫌そうに尻尾で払われる。
「返せないと分かってるから、返さない。丸ごともらうことに決めた」
「は?」
「あんたを伴侶として俺がもらう。伝統の長い方の系譜に入るのが同性同士の婚姻だったよね。なら、あんたを今から俺の妻にする」
 いよいよ眠そうにうつらうつらしていた人狼は目を驚きに大きく開いた。
「霧散するまで一緒に過ごそうよ。あんたの望む礼はできないけど、そのかわり退屈でうんざりなんて感じさせない。あとどんだけ生きれるか正直分かんねぇおんぼろボディだから、多分俺が先に消えると思う。その時には両方の牙をあんたへ礼にあげるよ。悪い話じゃないだろ?」
 頬笑みながらどさくさでまた尻尾に触れてみたが、今度は払われなかった。それどころか喜ぶ犬の尻尾のようにパタパタと振っている。
「返事はOKってことなんだよね?」
「……妻という表現は受け入れんがな」
 顔を枕に沈め直してしまったが、首の付け根まで赤くしているのがアキラを更に上機嫌にさせる。
「人間界では貫かれる側を妻と言うから、そうなるんじゃない?」
「お前が俺のパートナーになると決まれば、吸血行為なしで性交も可だろ。……俺も本気出させてもらおうか」
「……え?」
「少々裂けたってすぐ元に戻るからいいだろ。うんと楽しませてやるから覚悟してやがれ」
 枕化のぞく広角がにやりと上がる。その唇からは肉食の人狼らしい立派な太い牙が光った。
「う……うわぁ、退屈しなさそう」

*  *  *  *  *  *

 ノブナガの誤解を解くのに一ヶ月。ジンに至っては未だに信用されていない感じはするけれど。
「今日からここがあんたと俺の住まい。俺の棺桶以外は全部あんたの物と思って好きにしていいからね」
「おう」
「あ、棺桶もやっぱ欲しい?」
「いらん、そんな狭苦しい箱。それより俺の部屋はどこだ?」
「だから棺桶以外は全部だってば。築年数は古いけど部屋数だけはあるから、日替わりで使ったら?」
 大昔は一国の王子が住んでいた城だったらしい建物は使い魔に管理させているため、古い割りには頑丈で綺麗に保たれている。
 シンイチはとりあえずといって棺のある部屋の隣室を自分の部屋と決め、最後の荷物である四つのトランクを軽々とベッドへ放った。
「お前、俺と同じ睡眠時間で足りてるのか? 今まではあの棺桶で一ヶ月近く寝てたんだろ。寝不足じゃないのか?」
 ここ数日は引越手伝いと称して毎晩、シンイチの住居へ通っていたのを気にしていたのだろう。さりげない気遣いにアキラの頬が緩む。
「全然。人狼と同じ睡眠量で問題はないんだ。棺桶は一日以上寝る時専用でね。あれに入って中にある空気を吸いきったら省エネモードというか冬眠モードのような感じになんの。寝たい時間の量で選んでいただけだから気にしないで。もうっ、シンイチは優しいなあ〜」
「ふん……そういうもんかね」
 妙なところは大胆なのに、けっこうな照れ屋の人狼は照れ隠しなのか背を向けた。その逞しい背中を抱きしめようと伸ばした手が空を切る。空しく浮いた手を泳がせていると、もっと照れさせてみたくなった。
「そういえば。ジンがさ、シンイチが俺にプロポーズ何回もしてくれてたって言ってたんだけど。ないよねぇ、一回もそんな嬉しいこと」
「そんなことばらしてやがったのか……。知ってたらあの家は半壊にしてから出てきたのに」
 チッと舌打ちされてアキラは驚いた。
「まさか、本当なの? 全然知らないんだけど……。俺が寝てた時?」
 シンイチは面倒くさそうに首を左右に振った。
「ええ〜? ずるいよ〜! なんでジンが知ってて俺が知らないのさ」
「いいだろ、もう伴侶になったんだから」
「ちっともよくないって! 教えてくれないとベッドん中であんたの尻尾の付け根を直接噛むよ!」
 尻尾を出してもいないのにシンイチは尻尾が出る場所を片手で隠しながら振り向いた。
「バカ野郎! んな恐ろしいことを軽々しく口にするな! 寒気がしただろが! 見ろ、毛が逆立っちまった」
 折ったシャツの袖口から出ている腕を見て口元をひんまげられた。しかしアキラも負けじと眉間にしわを寄せて低音に力を込める。
「……教えてくんないと、黙って隙をみて噛む。絶対そこから吸血して毒まわして……」
「わーかった! 分かったから! もうそれ以上言うな。聞きたくもない」
 アキラはニイッと歯をむいて牙を見せつけるように笑った。
 シンイチは暫く嫌そうに「しつこい奴だ」とか「終わったことを」などと呟いていたが、仕方なさそうにボソボソと話し出した。
「……正確な年数は忘れたが、十年ぐらい前からけっこう言ったかな。今年も二回言ったような」
「全っ然、覚えがないんですけど」
「だろうな。お前には分からないと思う」
「伝わらないと分かってて言うのはプロポーズと言えないと思うんだけど? 俺はそのせいで今もジンにチクチク嫌味言われているのに。酷いなあ」
 身に覚えがないのにジンに恨まれてた俺って可哀相〜とふざけて歌えば流石に悪いと感じたようで、機嫌をとるように頭を撫でてくれた。
「飯を用意するから泊まりに来いって言っただろ」
「うん。でも俺が美味いと感じるのはあんただけだし。腹を下さないのは二月二十九日生まれの」
「分かってる。だから飯を用意できてないのに誘う俺も悪かったからいいんだ。ただこのあいだは飯が手に入りそうだったんで、用意しとけば誘いに乗るだろうと狩りにいったんだよ。狩りに出る途中でジンに会って、どうしてこの十年ほど頻繁に家を数日空けるんだと追求されて……。お前を飯に誘うためだと白状させられてしまったんだ。それにしても先日の狩りは失敗したなぁ。まさかあんなに警備が厳重とは思ってもいなかったよ」
 しかもその娘がどう見ても二十九歳に見えないんだ。遠目のせいか五十はいってるっぽくてな。ガセかどうか確かめようと、とりあえず近づこうとしたら後ろからズバンッと散弾銃。
 いかな老け顔でもあれはないだの、警備の奴らのしつこさや己の準備不足を忌々しそうにシンイチは珍しく長く語った。
「大変な苦労をしてくれたんだね……ありがとう」
 アキラは深々と頭を下げたが、「結局用意出来なかったんだから礼はいらん」と何故かムッとされてしまった。

「さて。そろそろ鹿が動き出す頃だから。俺は飯でも狩ってこようかな」
 部屋を出ようとしたシンイチにアキラは待ったをかけた。
「あのさぁ、全然答えになってないし、俺は分からないまんまなんだけど」
「俺は全部話した。何度も言わせるな、無粋だぞ」
「無粋だとかそういう話じゃなくて。あんたが嫌がる話をきっと俺はまた蒸し返すよ? そうだろ? だって理解してねーんだから」
「嫌がってはいない……照れくさいだけだ」
 視線を床へ流しただけなのに色気を感じさせるなんて罪な男だ……とアキラは気付かれないよう苦笑する。
「じゃあ俺、横向いてるから。お願いします」
「……俺が飯を用意しとくから、泊まりに来い」
「続きは?」
「そんなもんはない。……お前のその他種族の慣習に興味がないとこはけっこう気に入っている」
 そういい残してシンイチは部屋を出て行ってしまった。今度は止める隙すらなかった。

 一人取り残され手持ち無沙汰になり、アキラは地下の書庫へと向かった。
 興味のある書物はあらかた読みつくしてしまっているので久しく行っていなかった場所。掃除はされているのでそれほどカビ臭くはないが、日干しを何年もいいつけていないため室内全体が湿っぽい。人間の図書館を真似て分類表記させてあるため、目当ての本はすぐ見つかった。
「えーと……人狼の求婚方法は…………っと」
 タイトルを目で追うと他の項目もじっくり読みたくなってきたが、やはり一番気になるところを開いた。
─── 人狼は縄張り意識が強いため、家にはよほど信頼をした者でないと入室を許可しない。どれほど親しくなろうとも宿泊しあう習慣はない。しかし種族としての絆も仲間意識も強いため、頻繁に外での集会を行い親睦を深める。集会は食事や酒を酌み交わし長時間にわたるため、宿泊してまで個人的に合う必要性がないことも理由としてあげられる。 ───
「……ってことは、まあ、俺の屋敷に泊ったことは数回あるから、彼としてはかなり譲歩してくれていたわけだ。なんだ〜通りで誘いに誘わないと泊ってくれないはずだよ」
─── 基本的に独身の人狼が人を家に招くことは、その相手へ好意を伝える最も一般的な手段である。宿泊を誘い尚且つ食事を用意して歓待するのは、求愛を意味する。家族がいる時に家へ食事に招いた場合は、家族に伴侶とする者を紹介するのが目的である。用意する食事は招く相手の好みに合わせて求婚者自らが作らなければならなかったが、現在では材料調達を求婚者が行って調理を家族の者が行う場合も増えている。 ───
「…………うっわ、そのまんまだ。わっかりずら!」
 本を閉じて今まで何度か言ってくれていた時の彼を思い出してみる。プロポーズをしているのだと思い込んでから思い返せば……確かにやけに落ち着かない感じで話していたような。必要以上にぶっきらぼうで、誘いたくないなら無理しなきゃいいのにとか思わせるほど……変といえば変だった。そういえばさっきも材料を調達できなかったとふて腐れた顔をしていた……。
 ふつふつと笑いがこみ上げてきて、アキラはぶぶぶと吹き出すように笑った。
「無理だよ〜ムリムリ! 俺の好みの食事を用意するなんて! あーあ、知らなかったとはいえ可哀想なことしてたんだな〜。……ん? もし仮に彼が食事を用意出来て、俺がせっかくだからって食いにいってたら……彼に奥さんはいないことを信じられた俺がプロポーズしてるわけだから」
 どのみち遅かれ早かれ、俺が彼の家へ行けば彼の求婚を理解できていなくとも結果的には婚姻に至るのだ。そこまで彼は分かっていたのだろう。だからあえて人狼流プロポーズはどういうものかを教えなかったんだ。お互いに口にしないまでも愛し合っていることは確認するまでもないのだから……。

 ゆるゆるの顔を城内にいる使い魔達に見られぬよう気を付けながら。でもやっぱり口からポロリと、
「なんたる遠まわしな。種族全体がとんでもない照れ屋ってことなのかねぇ」
 などと幸福を零してしまいつつ階段を上り玄関ロビーへ出れば、丁度戻ってきた彼を見つけた。自分の倍はありそうな立派な雄鹿を無造作に引きずっている姿に使い魔達が群がりだしている。
「こいつは俺とアキラの分だから分けてやれんが、外に二頭ほど置いてあるから、お前らはそれを食うといい」
 喜び跳ねる者、運ぶのを手伝おうとする者。皆が喜び彼に礼を述べている。それもそうだろう、使い魔に生肉をプレゼントしてやる主人など聞いたことがない。もしかしたら彼にとっては、一つ屋根の下に住むものはなんでも家族みたいなものなのだろうか。
 自分の城内とは思えない、あたたかく和やかで明るい空気にアキラは目を細め輪の中心へ向かった。
「あ。ただいま」
「お帰りなさい、短時間のお出かけの割りに随分大量だね」
「ここらの鹿は警戒心が薄くて俺も驚いた。今夜は飯に付き合えよ。俺が料理するから」
「もちろんいいけど、俺の分はワインだけでいいよ。摂取しても全く栄養にならないのにもったいないから」
「知っているが……今夜くらいは食え。人間以外の動物は栄養にならんかわりに腹も下さないんだったろ?」
 珍しく彼にしては強引な誘いに先ほど読んでいた本を思い出した。もしかしたらこれも人狼にとって特別な意味があるのかもしれない。
「うん。じゃあ、ご馳走になろうかな」
 パアッと雲間から満月が姿を現したような明るい笑顔をシンイチが浮かべた。その無邪気なまでの明るさにアキラは見惚れた。何百年と生きていながら、これほど素直な笑顔ができるものなのか……。
「アキラ、おい?」
「……あ、何?」
「お前は料理なんてしたことないだろ?」
「ないねぇ。する必要がなかったから」
「だろうと思った。どうだ、これからはたまに一緒に作ってみないか。いい退屈しのぎになるぞ。栄養にはならなくても、純血種のお前には味覚があるんだから。きっと食べていくうちに楽しくなってくるはずだ」
 まだロビーにいて二人の会話に耳をそばだてていた使い魔達が驚きでいっせいにこちらを注視する。アキラは可笑しくなってくっくと笑った。
「……人間みたいで面白いね。あんたが手取り足取り教えてくれるなら楽しそうだ」
「じゃあ、決まりだな。よし、お前も着替えてこい。早速今晩から作るぞ」
「今晩から?」
「そう。新鮮な素材でな。あ、でも安心しろ。お前はまずは野菜の下ごしらえからだ」
 有無を言わせぬその笑顔。アキラもつられて笑うしかなかった。


 退屈はさせないと思っていたけど、どうやら俺のほうが慣れない忙しさに目を回しちまうかも。
 だがそれもいい。なにせこれから彼と過ごし積み重ねていくのは、ただ長いだけではない意味のある時間なのだから。












* end *






不死者シリーズ最終話をネット連載するにあたり、本に掲載したこのお話もネットに再掲載。
ネットで初掲載を本にするからと校正し、更に今回ネット再掲載なのでまたまた校正。
ホントに自分のザル校正が嫌になります。いや〜まいったまいった☆ 校正作業大嫌い〜☆
まあその。本をお持ちの方は間違い探しの気分で読み比べて遊んで下さい……///;

※背景素材はNEO HIMEISM様からお借りしてリピート用に描き足し加工しました。


<以下は2011年(多分そのくらい)に書いたあとがきです>* * * * * *


ハロウィンに間に合わせましたが、流石に今年はイラストまでは無理でした。すみません☆
今度こっそり裏にでもイラスト描いてUPしようかな。ムフフv
ちなみにジンは魔女と狼男のハーフ。ノブナガは狼男とフランケンが造った怪物の末裔とのハーフ。
混血だからなかなか養子先が見つからなかったので、同じく混血で孤児だった過去を持つシンイチが
みかねて引き取ったという裏設定や、実はジン×ノブでデキてるのをシンイチだけが知らないとか。
色々最初は盛り込もうと思っていたのだけどタイムアップでした。ま、どうでもいいですわね(笑)

カウンター10万回転記念にふざけて描いたイメージ絵を、こちらにこっそり収納。



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